渦戦士エディー

    戦烈のダーク・エディー 〜前編〜 

 

 


(一)

月の光も華やかなネオンライトも届かぬ、忘れ去られた場末の路地。

酔っ払いのおっさんが電柱の影で立ち小便をしている。視線は宙をさまよい、体全体がふらふらと揺れているために、排泄した液体で自分のクツやズボンの裾を濡らしている。

ひょっひょっひょっひょっひょ

妙な笑い声に酔っ払いが顔を上げた。

眼前に顔があった。

男のすぐ脇に据えつけられている清涼飲料水の自販機の上にしゃがみこんで自分を見下ろす奇怪な顔。

シャレコウベを帽子のように頭上に置いた不気味ないでたち。異様に大きな目がじぃっと男を見下ろしている。ロングマフラーにマントがあでやかなピンクであることがかえってアンバランスな凄みを与える。

「立ち小便とは見所のあるヤツ。貴様、わらわの下僕にならぬかえ」

にぃと笑った目がみるみる血の赤に光った。

「ひいいいいいい」

アルコールのせいで正常な判断などできはしないが、悲鳴をあげて一目散に逃げ出したのは動物が持つ本能のなせる業であったのかもしれない。「天敵」に出会ってしまったか弱い動物の・・・。

「なんじゃ、バケモノでも見るような目で見おって。無礼なヤツ」

化け物のくせに、的外れな文句を言いながら自販機からひらりと舞い降りたのはヨーゴス軍団の大幹部ヨ−ゴス・クイーンである。

クイーンは、本来鍵がかけられているはずの自販機を無造作に開くと中を覗き込んだ。のどでも渇いたか?

否。

自販機の中には飲み物をサーブする機械など組み込まれておらず、かわりに地中へ向かって降りるための階段がのぞいているではないか。

自販機を開いた際にチャリリーンと百円玉がいくつか地面に落ちた。

「ふん、こんな辺鄙なところにある自販機にも金を入れる阿呆がおるのかえ」

クイーンは落ちた硬貨を踏みつけて階段の向こうに広がる暗闇へと姿を消した。

その背後で自販機はまたカチャリと閉じられた。

階段を降りきった先はヨーゴス軍団のアジトであった。

薄暗い。

赤い非常灯が唯一の照明だ。薄暗いゆえに部屋の隅々まで見渡せないほどだ。

そして臭い。

常人ならばもだえ苦しみながら嘔吐しそうな名状しがたい異臭が充満している。しかしこの部屋の住人たちにとってはこれとても心地よい芳香剤のようなものなのかもしれない。

そこにいるのはタレナガースであった。

銀色の狼を思わせるボサボサの堅い頭髪と、両頬を貫くような鋭い一対のキバを持つシャレコウベのマスクは一切の感情を覆いつくしてさらに気色が悪い。

ここではいつもの狐狸妖怪を思わせるケモノのマントのかわりに、油汚れがこびりついた白衣を着用している。なにやら研究中であるらしい。しかし下半身はお馴染みの迷彩色のミリタリーパンツに包まれており、白衣とのアンバランスさときたら滑稽とさえ思える。

来客を一瞥する。

「クイーンか。地獄の調剤薬局へようこそ。どのような薬をご所望かの?」

「ふん、またろくでもないものをこしらえているのでしょうよ」

タレナガースの前では大きな釜の中で濁った濃緑色の液体がグツグツと煮立っている。

部屋にこもった悪臭をかきまわすかのようにピンクのマントをひるがえしてタレナガースの横に並んだクイーンは、大釜の中を覗き込んだ。

「なんなの?」

「ネオ・トキシンじゃ。人間どもならこのひとしずくでたちまちお陀仏じゃ。試してみるかや」

タレナガースはたった今完成した猛毒ネオ・トキシンを台所用品のおたまでひとすくいしてクイーンの眼前でゆっくりとたらしてみせた。濃緑色の液体が長ぁく糸をひきながらボタリと落ちた。

「ふん、猛毒ならばわざわざ造らなくともこの世の中には星の数ほどあるわいな」

ヨーゴス・クイーンは悪の軍団を率いる魔女である。生半可なことでは驚くはずもない。だがタレナガースは気難しい相棒の反応を予測していたようだ。

「このネオ・トキシンはそれ自体猛毒なのじゃが、同時に余が完成させた猛毒細胞を稼動させる動力源としてのポイズンエナジーでもあるのじゃ」

タレナガースはネオ・トキシンを、取り出した円柱形のカプセルにとろりとろりと注いだ。カプセルに注がれて冷めたネオ・トキシンはさらにどす黒く変色した。透明な特殊樹脂でできたペットボトルほどのカプセルはバッテリーを内蔵しており、その電力でカプセル内のネオ・トキシンをゆっくりと強制対流させて常に活性状態を保たせるシステムとなっている。

「これはコア・カプセルじゃ。いわば悪のエディー・コアじゃよ。ふぇっふぇっふぇ」

タレナガースは悦に入っているがクイーンはまだ頭上にはてなマークを浮かべているようすである。

「もうひとつ面白いものを見せてやる。こちらへ来よ」

タレナガースはクイーンを奥の闇へといざなった。

そこには無数のコードが繋がれたカマボコ型のベッドのようなマシンが置かれている。人ひとりが横になってもさらに余裕がありそうな大きさだ。

「余にはダミーネーターやビザーンのような人造人間をこしらえる闇の技法があるでの。それはもはや神の御技よ」

 自慢しながらタレナガースはマシンのハッチを開いてクイーンに内部を見せた。そこには暗闇であろうとも決して見紛うはずのないあの男が横たわっていた。

「ゲッ、エディー!!」

 上半身をかがめて覗き込んだクイーンはのけぞった。壁際まで後退るとあわ、あわと指差して呻いた。まるで、さきほど彼女が脅した酔っ払いの役を今度は彼女自身が演じているようだ。

 そのマシン内に横たわるのは、まさしく渦戦士エディーである。しかしなぜ?

 クイーンのようすに満足したのか、タレナガースはさらに饒舌になった。

「そう、これはまさしくエディーじゃよ。見た目も能力も本物と寸分たがわぬが、こやつの細胞のひとつひとつはさきほどの猛毒ネオ・トキシンでできておる。今はまだマシンの中で全身の細胞の完全活性化を待っておるが、まもなく余の忠実なる悪しきエディーとして存分に暴れさせてやるのじゃ。つまりこやつはヨーゴス軍団のエディー、名付けてダァァァァク・エディィィィィー」

タレナガースは、静かに細胞の活性を待つ憎き仇敵の姿を愛おしそうに見まわした。

「タレちゃん、あなたはやっぱり天才だねぇ。わらわが見込んだとおりの天才だねぇ」

クイーンのタレナガースを見る目に尊敬の光が灯っている。

ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ

ひょっひょっひょっひょっひょ

薄暗い地下室で奇妙な笑い声が重なった。

(二)

週末の国道11号線はよく混み合っている。全国で唯一電車というものが走っていない徳島では京阪神ほど公共交通機関が充実していない。県民はその移動手段をいきおい車に求めることになり、主要幹線道路では平日でも長い車の列ができてしまう。まして週末ともなれば行楽に向かう自家用車で国道はたちまちあふれてしまう。

ガツン!

激しい衝撃とともにバスが急停車した。

徳島駅前発京阪神方面行の高速バス「エディ」だ。

幸い乗客たちは乗務員の指示で全員シートベルトを着用していたため無事だったが、スナック菓子が宙を舞い飲み物が洋服や床を濡らした。

「きゃああ!」

「うわっ、なんだ?」

「事故か!?」

 ただ急ブレーキを踏んで停まったわけではなさそうだ。何かにぶつかったような音と衝撃が確かにあった。乗客たちは立ち上がってフロントガラスの向こうを覗き込んだ。

シュウシュウと白煙が立ち上る中に誰かいる。

―――人をはねたのか?

 いや、ちがう。あれは?

 銀色の額に輝くブルー・ローンバスのシンボルは・・・

「エディーだ」

 そうだ。バスの前に平然と立っているのは、徳島をヨーゴス軍団の魔の手から護り続けてきた我らがヒーローに間違いない。しかしその右の拳はまっすぐフロントグリルに叩き込まれている。

 渋滞でのろのろ走行であったとはいえ、走るバスをパンチひとつで停めてしまうとは、なんという破壊力か。しかしなにより正義の味方エディーが何故?

「エディー、どうして?」

「このバスに悪者が乗っているのか?」

 ここにいたって乗客たちはまだエディーを信じている。悪いのは・・・こちらなのか?と。

 運転手がバスを降りてエディーのもとへ近寄った。

「どうかしたんですか?このバスに何か?」

 しかしエディーは応えず、運転手の胸ぐらを掴むやブンとそのまま背後へと投げた。

うわあ!

バキバキバキ。

 運転手は中央分離帯のつつじの植え込みに頭から落下してうめいた。幸い打撲は軽症のようだが、植え込みの枝で顔や手にいくつもの擦過傷をこしらえた。

「エディー!なにをするんだ!?」

「なぜだ、エディー?」

 信頼するヒーローの理由なき乱行に乗客たちはパニックに陥った。我先にバスから降りて逃げ始めた。窓が開かないタイプのバスであるため、後部座席の乗客たちは後方の非常口を開いて飛び降りて逃げている。そのようすを見ていた後続車の運転手たちも皆一様に驚いて車を捨てて駆け出した。

 中には分離帯を越えて対向車線へ駆け込む人もいて、国道11号線は上下線とも大混乱となった。

 そんな人々を追うでもなく気に留めるでもなく、エディーは拳を固めた両腕を胸の前でクロスさせて己が体内に気をためている。

 やがてエナジーが満ち満ちたエディーの全身から墨色のオーラが立ち昇り始めた。胸のエディー・コアも漆黒の闇が渦巻いている。

 エディーがふたたび右の拳を唸らせて無人のバスにパンチを撃ち込んだ。

ドガッ!

 激しい衝撃がボディを震わせ、バスはサイドブレーキをかけたまま後方へとんで後続の乗用車に衝突して停まった。

 エディーがさらにバスへ向かって歩を進めようとしたとき、頭上から声がかかった。楽しそうな声だ。

「面白そうなことやってるなあ」

 無言で見上げる先に、緑色のマントがひるがえっている。

 スダッチャーだ。表示板をとりつけた門型式のアームの上にしゃがんでエディーを見下ろしている。

胸の中央には全身にみなぎるすだちパワーが燦燦と輝いている。バトルスーツは正義の緑と悪の黒に塗り分けられていてスダッチャーの気まぐれさを物語っているようだ。赤いゴーグル・アイが好奇心で輝いている。

「おまえはそういうことしないのかと思っていたぜ。だけどやるんなら俺もまぜろ」

 遊びの輪に自分も加えろという無邪気な物言いだが、事態は深刻だ。

 エディーは無言でスダッチャーを見上げていたが、エディー・ソードを出現させるやそのひと振りで鋭い衝撃波を5m頭上のスダッチャーめがけて放った。

「おわっ、アブネー」

 アームもろとも表示板をスパッと切り裂いて飛び去った衝撃波を間一髪かわして、スダッチャーは回転しながら路面へと飛び降りた。

「ナニすんだ!・・・あれ、いない?」

 そこにはエディーの姿はすでに無く、白煙をあげる大型バスをはじめ、無秩序に停車した無数の車だけが取り残されていた。

(三)

「あり得ない!」

「あり得ないわ!」

 ヒロとドクのご機嫌は斜めを通り越して真横になっていた。ふたりとも怒りで目じりがひくひく痙攣している。

 いつものカフェで新聞を広げたドクがいきなり「なんじゃあああ!」と奇声をあげて以降、ふたりで交互に「うそだあ!」「なんでよお!」と立て続けに叫び、先刻の「あり得ない」にたどり着いた。

 新聞の地方欄には大きく『エディー突然の乱行。国道11号線パニック』の見出しが載せられていた。

 ヒロは髪の毛をぐしゃぐしゃとかきむしった。ボランティアでやっているヒーローショーのスタッフに言わせると、濃いめのイケメンでいかにも熱血変身ヒーロー向けの容貌ということらしい。時々はスーツアクター役以外に、変身前の顔出し演技もしているためか街で声をかけられることもある。

 かたや地元情報誌に何度か写真を掲載されたことのあるドクとふたり、この店にはいった時から何度もチラチラと他の客からの視線が送られていた。そのふたりがいきなり叫び始めたのだから周囲からの視線は一変した。

―――変人だ。

 しかしふたりともそんなことに構っていられる状況ではなかった。まったく身に覚えの無いことが新聞に書き立てられているのだ。穏やかでいられるはずもない。

「誰なのよこいつ?」

「・・・エディー?」

「あなたやったの、こんなこと!?」

「シー!声がデカいよ。しかもやってないし」

 ヒロにたしなめられてもドクの怒りは収まらない。う〜と闘犬のような唸り声を上げている。ヒロが、エディーがこんなことをするはずがないことはわかっている。しかし新聞の写真にはっきりと写っているのは間違いなくエディーだ。何度も記事を読んで、何度も写真を見て、何度も叫んで、何度も否定した。この堂々巡りをどうやって解消すればいい?

「そうだドク、動画は?」

「あ、そっか。何かアップされているかもしれないわね」

 愛用のタブレットを取り出して起動させる。この店をよく使うのはコーヒーが美味しいだけではなく、店内がホットスポットになっているからだ。

 探し物はすぐ見つかった。

「・・・どこからどう見てもエディーだな」

 バスの乗客がスマホで撮影したその動画には、鮮明に“自分の姿”が映っている。ヒロは困惑を極めた。

「タレナガースよ。こういうワケのわからない事件にあのタヌキオヤジがからんでいないはずないもの」

「そうだな」

 たしかにドクの言うとおりだ。だが、それならそれで確証が欲しい。

 ふたりはいくつかアップされている動画をひととおり見終えた。人によって撮影した角度が違う為、それなりに参考になった。

「こいつ、エディー・ソードを使うのね」

「ああ。しかもスダッチャーに放った技・・・タイダル・ストームだ」

 エディー・コアのエナジーレベルが最高域に達したときにのみ放てる必殺の大技を、このエディーはいとも容易く片手で撃ち出している。あなどれない戦闘能力の持ち主だ。

 何度目かの再生時にヒロが「おや?」と身を乗り出した。動画に写るエディーをどんどん拡大させてゆく。

「このエディー・コアを見てくれ」

「真っ黒だわ。でも・・・何だか対流しているわね。原理は渦のパワーと同じなのかしら」

「んんん。だがこれはやはり悪のエナジーに違いない。ヨーゴス軍団がさしむけたエディーだと断定していいんじゃないかな」

「当然です!だからさっきからそう言ってるじゃないの」

 ドクはずっと怒りっぱなしだ。

「ドク、そんなに怒ってばかりいないで君も冷静に観察してくれ。俺はこういう時、君の洞察力をけっこう頼りにしているんだぜ」

「あ、あらそう?・・・むふふ・・・アラ?・・・ううん・・・けど、まさかね」

「ナニ?なにか気づいたことでも?」

「い、いえ」

 いえいえいえ、と首を左右に振る。自分で思ったことを自分で否定しようとしているふうだ。

「なんだよ、言ってくれ。頼むよドク」

 ヒロに食い下がられて、ドクは渋々口を開いた。

「このエディー、バスを吹っ飛ばすほどのパンチ力を持っているのに、なぜか一撃目は破壊力を小さく抑えているわ。そして・・・」

「うん、そして?」

「パワーを貯めて撃ち込んだ次のパンチは、たぶんこれが彼本来のパンチなんでしょうけど・・・」

「うん、そのパンチは?」

 ドクはヒロの目を見つめて、その考えをかみしめるようにゆっくりと言葉に変えた。

「乗客たちが全員退避してから放っている」

(四)

ビシッ!ビシッ!

 唸るムチが背に巨大なミミズのような傷を幾筋も残してゆく。

 ヨーゴス軍団の秘密アジトで天井から垂らした太い鎖に四肢をつながれているのは先日国道11号線を大混乱に陥れたダーク・エディーであった。その背に容赦ないムチをくれているのは悪女ヨーゴス・クイーンである。

「このウスノロ!どうして手加減したのじゃ。どうして人間どもを逃がしたのじゃ!ええい、歯がゆい!」

 やがて狂ったように何度もムチをふるうクイーンの息があがりはじめた。

「ハァハァハァ・・・タレナガース、こやつ本当に痛みを感じておるのかえ?」

 ダーク・エディーの背は一面傷だらけだ。しかし当のダーク・エディーは両腕を鎖につながれてグリコのような万歳ポーズをとらされたまま平然としている。

「ああ。感じておるよ」

 彼を産み出した張本人のタレナガースにはわかっているのだろうか。闇の力によって産み出されたよこしまなる生命体の胸のうちが。

「こやつにはある程度の知能を与えてあるからの。人の感情もいくぶん紛れ込んでしもうたようじゃ。人の知能と感情というものは完全に切り分けることは不可能じゃからのう。厄介なものよ」

「わかったようなことをしたり顔で言うでない!このような体たらくではせっかくの戦闘能力も宝の持ち腐れではないかえ」

「承知しておる」

 タレナガースは黙ってクイーンの仕置きに耐えているダーク・エディーの頭にヘルメットを被せた。禍々しい電極がいくつも埋め込まれている。ひとめで拷問具と察しがつくヘルメットだ。

電極のスイッチをパチンとオンにすると、バチバチと音を立てて脳から全身へと電撃が放たれ、鎖につながれたダーク・エディーの体がヒクヒクと小刻みに痙攣し始めた。タレナガースはダーク・エディの前に立ち、そのシャレコウベヅラをぐいと近づけた。

「よいかダーク・エディー、よう聞け。余がきさまに知能を与えたのは戦いに必要であるからじゃ。機を見るに敏ならざれば、エディーのごとき強敵には決して勝てぬからじゃ。あのように姑息なマネをするためではない!」

 鋭いツメで電撃の苦痛に耐えているダーク・エディーのアゴを掴んで荒々しく上を向かせた。

「貴様は何のために生まれてきたのじゃ、え?我らヨーゴスのために骨身を惜しまず働くためじゃ。この徳島を汚し、人間を苦しめるために生を受けたのじゃ。憎きエディーを葬るために生を受けたのじゃ。余の力で産み出されたのじゃ」

 ヨーゴスクイーンが電流計の目盛りを一気に最大に引き上げた。

ガクガクガク。

 痙攣が激しくなる。そのようすを見てクイーンはひょっひょっひょと愉快そうに笑った。

「この電流はただこやつに懲罰としての痛みを与えておるだけではないぞえ。余が今言うたことを電気信号に変えてこやつの脳に焼きつけておるのじゃ。二度と攻撃の手をゆるめたりせぬようにの。ふぇっふぇっふぇ」

 痙攣を続けるダーク・エディのゴーグル・アイから、ハイボルテージの電流によって溶けたネオ・トキシンが流れ出た。それはまるで・・・黒い涙のようだ。

<トクシマヲヨゴシ、ニンゲンヲクルシメル>

<ニクキエディーヲ、ホウムリサル>

 ダーク・エディの脳内にタレナガースの言葉が大音量で響いている。何度も何度もこだましている。

ふぇっふぇっふぇっふぇ。

ひょっひょっひょっひょ。

 薄暗いアジトに、幹部ふたりの不気味な笑い声が低く響き渡っていた。

(五)

―――♪

 徳島駅前の大時計が深夜0時を告げるメロディーを奏ではじめたその時。

ふぇ〜っふぇっふぇっふぇっふぇ〜

 やさしい夜に相応しいなめらかなオルゴールの音色が突如気味悪い笑い声によってかき消された。通行人がめっきり少なくなった駅前広場にいやらしくこだまする。

 駅前交番からなにごとかと警官が飛び出してきた。不良たちが騒いでいるのかと周囲に視線を走らせる。しかし・・・。

「う・・・うわあああ!」

 不自然に光る駅舎を振り返った警官は、凍りついた表情のまま尻餅をついた。同じように驚いて車から降りてきた客待ちのタクシー運転手たちが背後から警官を助け起こす。だが誰も彼も目と口がぽかんと開いたままだ。

 駅舎と一体のステーションホテルの白い外壁いっぱいに巨大な顔が映し出されていた。駅前広場に響き渡る気味の悪い笑い声にお似合いの気味の悪い妖怪の顔だ。呪術に使われる悪魔の面のようにも見える。

頭髪はヤマアラシのトゲのごとき天を突く銀髪。顔は白いシャレコウベだ。しかし人間の頭蓋骨ではない。かといって動物のような、鼻から口にかけて前方にせり出した形状とも違う。まるで、強い恨みを抱き続けたがゆえにケモノの頭骨が醜く歪んでできあがったかのような奇妙なシャレコウベなのだ。キバがはえている。恨みの相手ののど笛に突き立てるためのキバなのだろう。

「タ・・・タレナガースだ!」

 背後をドライバーに支えられた警官が指差して叫んだ。

「うええ、気味が悪いぜ」

「なんであんなところに映っているんだよ?」

 深夜であるため駅前をゆく通行人はほとんどいなかったが、それでも事態に気づいた人々が駅前広場に集まって騒ぎ始めた。

―――いけない、パニックが起こる。

真っ先に冷静さを取り戻したのはさすがに派出所の警官であった。

「さがって!危険だからみんなさがってください。」

ライトを振りながら通行人や客待ちのタクシー運転手たちを駅ビルから遠ざけはじめた。

ふぇ〜っふぇっふぇっふぇっふぇ。

 気味の悪い笑い声は眉山山麓にまで届いていた。

「余の名はタレナガース。聞け愚かなる人間どもよ。我らはこの徳島を汚すものなり。山々の緑に枯死を。吉野の流れに枯渇を。余の刃の切っ先は常に貴様たちに向けられておるのじゃ。ふぇっふぇっふぇ。恐ろしいであろう。心細いであろう。助けてくれる者などもはやおらぬぞ。エディーも貴様ら人間を裏切ったであろうが。貴様らは見捨てられたのじゃ。無論、警察など役には立たぬ。ヨーゴス軍団は貴様らひとりひとりのすぐ後ろにおるのじゃ。さぁ震えて眠るがよいわ。ふぇっ〜ふぇっふぇ〜」

 この夜、悪夢にうなされた人々は一千人以上にのぼった。

(六)

 徳島自動車道を超高速で奔るバイクが2台。片側1車線を走行する車をすり抜けながら競い合うように西へ向かって疾走し続けている。

 驚くべきことに、ライダーはふたりともエディーだ。まるで同じチームのレーサーのようだが、彼らの関係はそのような友好的なものであるはずがない。

 高速で走行しながら吸い寄せられるように接近した2台の間からは激しい火花が飛び散っている。彼らは戦っているのだ。

 1台はスーパーバイクSSRC−Xヴォルティカ、もう一方は車体のいたるところに何枚ものステッカーが貼り付けられたレース用バイクである。

 2台ともすでに時速200キロを超えているが、ともにハンドルから両手を離してエディー・ソードで互いを攻撃しながら疾走している。抜群の安定力を誇る2台のバイクならではの戦い方だが、攻撃を受けてわずかでもバランスを崩せば、たちまち防護壁を飛び越えて十数メートル下の林へと真っ逆さまに転落するのは明らかだ。

 ことの始まりは昨日の新聞記事だった。

『レースバイク強奪される』

 岡山県中山サーキットへ向かう途中だった徳島県のプライベートチーム一行が乗るトレーラーが襲撃され、積んであったレースバイクが奪われてしまったというのだ。襲撃犯人は奇妙な赤い目のドクロマスクを被っており全身迷彩色の戦闘服を着ていたということであった。通報を受けた徳島県警がただちに緊急配備を敷いたが、犯人のゆくえは杳として知れなかった。

 しかしエディーは勘づいていた。これがヨーゴス軍団の仕業であること。レース用にチューンナップされた高性能バイクはニセ・エディーのためのものであろうこと。そしてそのバイクを完全に我が物とするため近々テスト走行を行うであろうことを。

―――やるならここしかない。

 エディーは徳島自動車道の入口付近に網を張り、静かにニセエディーが来るのを待っていたのだ。必ずニセモノの正体を暴いて高速バス襲撃犯の汚名をそそがねばならぬ。

 そして狙い通りヤツは来た。

「逃がさんぜ!」

 常識外れの馬力でカッ飛ぶモンスターマシンを両膝のグリップだけで押さえこみながら、エディーは愛用のソードを振るい続けた。順手から逆手へと巧に持ち方を変えながら変幻自在の攻撃をしかける。この技でヨーゴス軍団のモンスターやタレナガース戦に勝利してきたのだ。

 しかしこの攻撃をニセモノはことごとく受け止めた。そればかりではなく、受けから攻めへと流れるように転じてみせた。ビジュアルのみならず、この相手はエディーお得意の殺法までもを会得している。まるで鏡を相手にしているかのようだ。

キィィィィィィィィン

 超高速回転のエンジン音は次第に人の聴覚域から遠ざかり、かわりに空気を切り裂く鋭い金属音が静かな山間にこだました。

「来たぞ!」

 エディーから「自分のニセモノ」が昨日強奪したバイクを駆ってやって来る公算が高い、との連絡を受けていた県警交通機動隊が自動車道で待機していた。

本当にそんなヤツが来るのか?先日のバス襲撃犯はニセ・エディーだったのか?ならば本物のエディーは今まで通り正義の味方でいてくれるのか?疑念と期待が入り混じる中で彼らもまた待機していたのだ。

はたして彼らは現れた。

<エディーがふたりいます!うちひとりは昨日強奪されたレース用バイクと思しきマシンに乗っています>

<そいつがニセモノだ!やはりニセ・エディーはいたんだ>

 ただちに徳島自動車道の下り車線は封鎖され、県警本部からあらためて指令が飛んだ。

<現在徳島自動車道を走行中のふたりのエディーを追跡し、ヴォルティカを駆る本物のエディーを全力で支援せよ!繰り返す、徳島県民の味方エディーを支援せよ!>

 指令を受けて2台の白バイがエディーたちを追跡し始めた。しかしその車間距離はみるみる開いてゆく。

「だめだ。早すぎる!」

「地上からの追跡続行は不可能。あとはヘリに任せる」

 抜群の腕前と性能を誇るさしもの白バイ隊員たちも、エディーのスーパーバイクに食い下がることは叶わなかった。

「もはや人間の出る幕じゃないぜ」

「勝てるのか?俺たちのエディーは」

「ヴォルティカの開発には県警の科学班も一枚かんでいるんだ。勝つさ、きっと」

―――頼むぞ、エディー。

 堅く握りしめられた拳にその思いが溢れている。その切なる思いこそがエディーに勝利をもたらすのだ。必ずや!

 

ヒュン!

ギン!ガキン!

 既に徳島市街は遥か後方だが、超高速のバトルはまだ続いていた。

 両者の戦闘能力は拮抗しており、互いに繰り出す斬撃はなかなか決め手にならずにいた。

 前方をゆく軽自動車の左右を風のようにすりぬける。

 走行する車両がかなり減ってきたのは、おそらく県警がこの自動車道を通行止めにしたからだろう。だが、まだ一般道へ降りていない車両が何台か残っている。

 エディーはあることに気づいていた。

―――こいつ、なぜだか一般車両には手を出さんな。

 片側1車線の自動車道で戦うふたりにとって、前を行く一般車両ははっきりいって邪魔な存在だ。エディーは当初一般車両への被害を心配していたのだが、ニセモノは一般車両を追い越す際はエディー同様攻撃の手をやすめている。

 エリスが指摘した通り、一般人には被害を出したくないと言うのか?しかしそんなことをタレナガースが許すとも思えない。

 しかしそれならそれで好都合だ。エディーは戦いに専念しようと思いなおしていた。

 前方に小さく見えたトラックの後姿がみるみる眼前に近づいてくる。木材を山積みにしている。ドライバーを刺激してハンドル操作を誤れば大きな事故となる。

―――しかしこいつは手を出さない・・・。

 エディーはトラックの左側へコースを取ると加速した。先にトラックの前へ出て有利な攻撃態勢を取ろうと目論んだのだ。

 トラックの荷台の横をすり抜けようとした時、反対側で「ドガッ」と何かがぶつかるような音がしてトラックがエディーの方へ横滑りしてきた。

「ナニ!?」

 バックミラーには驚きと恐怖にゆがむ運転手の顔が映っている。

 エディーは咄嗟に両手でトラックの荷台を押し返した。

ガッ!ガガッ!

 その時ヴォルティカのカウリングが側壁に接触し、反対側へ立て直そうとした反動で今度はトラックの車体に触れてしまった。

「しまった!」

 トラックと側壁のわずかなすき間でピンボールのように何度も弾かれたヴォルティカは、ついに防護壁を飛び越えて空中に舞った。

―――くそっ!

 約20メートル下の一般道が猛烈な勢いで迫ってくる。

ッダダン!

エディーは空中で横倒しになりかけたモンスターバイクを引き起こし、なんとかタイヤを下に向けて軟着陸させた。

 幸いなことにそこは一般道に面したコンビニエンスストアの駐車場であった。

―――トラックは?

 慌てて頭上の高架道路を見上げるエディーの視界に、平然と走り去るトラックの姿が捉えられた。幸いトラックは無事のようだ。おそらくニセ・エディーもあのまま走り去ってしまっただろう。

 ニセ・エディーが反対側からトラックのボディーになんらかの衝撃を与えてこちら側へ弾き飛ばしたのだ。迂闊だった。一般車両には手を出さぬだろうとたかをくくっていた自分が甘かったのか。いやしかし・・・。

―――あいつの破壊力ならトラックをミサイルのように勢いよく吹っ飛ばすこともできたはずだ。まさか俺が反対側からトラックを支えることを予期してパワーをセーブしたのか?

 コンビニから、驚いた客や店員たちが出てきてエディーを遠巻きに見ている。正義の味方のはずなのだが、先日の高速バス襲撃の衝撃的映像は県民たちの記憶に新しい。

 エディーはとりあえずヴォルティカのエンジンを切り、彼らに向かって軽く手をふってみせた。

―――謎が多いヤツだ。だがなんにしても、第1ラウンドは俺の負けだな。

ニセ・エディーが走り去った西の空を見上げて、エディーは唇をかんだ。

<前編 終>