渦戦士エディー
阿波のオオカミ男伝説
(序)武人の気持ち
月夜ってのはいいものだ。
―――親と月夜はいつも良い。
現代のように電気が普及し街灯が夜を彩る以前、子にとって親という存在が何よりも素晴らしいものであるように、真暗な闇夜に月の光はこのうえなく有難いものであった。
今はどちらも、必ずしもそうとは言えなくなってしまったが。。。
だが、彼らにとって月は今も素晴らしい。どんな諺でも言い表せないほどに。
ウオオオオオオン!
その者は全身に金色の光を浴びながら鼻面を天に向け、喉を一直線に開いて声を迸らせた。
夜の空に響き渡るそいつの声は喉の奥から迸り出て己自身の耳から再び体に戻り、全身を耐え難い快感でくるんだ。
突然背後に気配を感じた。振り向かずともわかる。あいつだ。
「町へ行きたいのか、狗一郎」
狗一郎(くいちろう)というのはそいつの名だ。そいつはよつんばいのまま月を見上げて頷いた。
「町は魔地なり。おまえが行っても良いことなどないぞ」
―――あいかわらずうるさいやつだ。おまえの小言は聞き飽きたぜ。
狗一郎は振り返ってそいつのツラを睨み付けた。
キバがズラリと並んだ口を開くと、喉の奥からくぐもった人の言葉が発せられた。
「おまえは何度も町へ行ったのだろう?御山の守り人のくせに。ツルギよ」
そこには漆黒の衣をまとい腰に剣を下げた武人が立っていた。
剣山の守護者、超武人ツルギだ。
感情を表さぬ金色の目がじっと狗一郎を見ている。こういう時のツルギの目は妙にやさしげだ。だが狗一郎はこんなツルギの目が苦手だった。
相手が無口なのをいいことに狗一郎はこの際言いたいことを言った。
「おまえばっかりいい思いをして、ずるいぞ。一度くらいは俺にも町を見物させろ」
ちょっとの間、にらみ合いが続いた。狗一郎が根負けして「わかったよ、行かないよ」と言いかけた時、ツルギが先に口を開いた。
「わかった。行ってこい」
―――へ?
「今、なんて?」
狗一郎は自分の耳を疑った。そりゃそうだろう。てっきり「町へ行くなど許さん!」とでも言われるものとばかり思っていたのに、頑固者のツルギが折れたのだから。
「だから、町を見聞して来いと言っている」
「。。。どういう風の吹きまわしだい?」
狗一郎の問いにツルギは満月を見上げてボソリと呟いた。
「自分の考えを押しつけるだけが正義ではないと、前にエリスが言っていた」
狗一郎はまたまた驚いた。
この世界にツルギに説教するヤツがいるなんて?!
「ただし大人しくしていろ。目立たぬようにな」
「あ、ああ、わかっている」
「正体がバレるようなことがあれば二度と山へは帰れぬと思え。掟を忘れるな」
そう言い残すと漆黒の超武人はひょうと風を巻いて姿を消した。
(一)捲土重来!
深夜2時。
徳島市内であってもさすがにこの時間になると人の気配がほとんどない。
いや、そうでもないようだ。
月の無い夜の道を街灯の明かりだけを頼りに歩いてくる若者の一団があった。酒が入っているのか、賑やかだ。
「ああもう疲れたよ。ここ、どの辺だよ?」
「まだ半分くらいしか来てないって。ホレ歩け歩け」
どうやら居酒屋で飲んだ後、家まで歩いて帰る途中のようだ。
今夜は職場の仲間6人で集まって楽しく飲んだ。うち2人は帰る方向が違うため店の前で別れた。
「だいたい、せっかく車で迎えに来てくれたヨシオ君までなんでビール飲んじゃうんだよ」
4人にラインで呼び出されたヨシオが車で迎えに来たのはよいが、駐車場で話し込むうち缶ビールを買って飲んでしまった。やむなく車をそのままコインパーキングに停めて、結局5人で歩きとなってしまった。
「ぎゃははは。バカですね〜」
「バカですよ〜」
ヨシオを呼び出したケイスケがヨシオの背をバシバシ叩きながら大声で笑った。
「あ〜明日からまた仕事だなぁ」
サトシが長い溜息をついた。
「それ言うなよ。せっかくの酒がさめちゃうよ」
笑っていたケイスケが両手をダラリと下げて力なく言った。
「オレは昔から月曜日がだいっ嫌いなんだ!」
一番後ろからついて来ていたマサユキが妙なことで胸を張った。
「なんで一週間て7日もあるんだろうな?」
黙って先頭を歩いていたコウイチがくるりと後ろを振り返って言った。
「だな。月金土日くらいでいいんじゃないか?」
マサユキが大声で賛同した。
「いいな、それ!」
ケイスケが復活した。
「でも俺ら日雇いだから給料ほとんど無くなっちまうな」
サトシが盛り上がりかけた雰囲気をまた落とす。
「バカですね〜」
いつまで聞いていてもとりとめのないバカ話を続けながら夜道を歩く5人であった。
その時!
うぉうおおおおおお〜!
「なんだ?」
「オオカミの遠吠えだろ」
「なんで街中にオオカミがいるんだよ。イヌだろうよ」
「だけどホラ。最近ノライヌやノラネコの死骸があっちこっちで見つかったってニュースでやってたべ」
「おう。なんかでっけぇケモノにかみ殺されたらしいって言ってたよな。やっぱあれ、オオカミじゃね?」
「オオカミやべぇな。早く帰ろうぜ」
自分達の周囲の闇が急に現実味を帯びて、5人はなにやら不安になった。
「なんかイヌ臭くないか?」
サトシが鼻を空に向けてクンクンやり始めた。
「よせよ、こんなタイミングで」
「いや、でもたしかに。。。」
他のメンバーも同じように周囲の臭いをかぎ始めた。
「いや、これはイヌっていうより。。。じいちゃんが撃ってきたイノシシの臭いだぞ」
コウイチは眉間に深い皺を作りながらあたりを窺っている。
その時、先頭のコウイチが不意に立ち止まった。
―――おい、あれ。。。あれなんだ?
そろりそろりと前方の闇を指差す。
その指の先を後続の4人も目を凝らせて見た。
何かいる。
でかい。
ケモノの臭いはどうやらそこから漂ってくる。
だがそいつはオオカミやイノシシのような4つ足ではなく2本足で立っている。しかもそのアタマは隣にある民家の2階にまでも届きそうな高みにある。
ふうぅふうぅ。しゅううう。
荒い呼吸によって白い息が盛んに吐き出されている。
街灯の光も届かぬ暗闇の中で、一対の金色の目だけが暗い中空に浮かんでじぃっと自分達を見ている。姿は見えなくとも、なにやら尋常ならざるものであることはわかる。感じる!
5人の全身の体毛が恐怖でぞわりと立ち上がった。
「おおい、君たち」
今度は若者達の背後から突然声がかかり、5人は「ひい!」と飛び上がった。
そこには自転車に乗った警官がいた。
さきほど若者達が話題にしていたイヌやネコの斬殺死体があちらこちらで見つかり、住民達からの苦情もあって深夜の見回りを強化しているところであった。
ごああ!
警官が「早く帰りなさい」と注意するのと同時に、前方にいる謎の巨体が動いた。そしてその存在を警官は知らなかった!
いつもの喫茶店の奥の席。いつものジャージ姿の男女がいつものようにテーブル一面に新聞を広げている。
だが、今朝はちょっと雰囲気が違う。ふたりとも喋らない。広げた新聞の前で腕組みをして無言のまま動かない。ふたりの周囲だけ店内の空気が重い。小さなブラックホールの中にでもいるかのようだ。
彼等の少し後から入店してモーニングセットを注文した客が食べ終えて店を出た頃、ようやくひとりが溜息と共に口を開いた。
「とにかく。。。ここでこうして溜息ついていてもなにも解決しないよ、ヒロ」
「わかっているさドク。今だけ、今だけさ。今だけ思いっきり悔しがって。。。そしたら前向きに対抗策を考えよう」
徳島の守護神にして悪の組織ヨーゴス軍団の天敵、渦戦士エディーことヒロと、彼の頼れる相棒エリスことドクのふたりだ。
ヨーゴス軍団の企みをことごとく粉砕してきた彼らだが、今回は住民に被害が及んでしまった。
夜のしじまを破る連夜の遠吠え。無残にかみ殺されたノライヌやノラネコの死骸。そしてなりをひそめたタレナガース。どれを取ってもヨーゴス軍団が本格的に動き始めることを如実に物語っていた。
―――奴らが何を企もうと、必ず未然に防いでやる。
エディーたちは昼夜のパトロールを強化していた。なのに、昨夜とうとうけが人が出た。
5人の若者と1人の警官が謎の巨大生物に襲われた。被害者の証言によれば体長は推定約3メートル。ケモノ臭が強く、まるで立ち上がったヒグマのようだったとのことだ。
巨獣に一番近いところにいた若者は逃げようとして右腕をツメで引き裂かれて重傷を負った。巨獣は俊敏で、逃げる若者達を次々と跳ね飛ばし、ツメで襲った。最後に倒れた若者を前足で押さえつけた巨獣は喉笛に噛みつこうとしたのだが、たまたまその場に居合わせた警官が発砲したため巨獣はその若者から警官に標的を変え、正面から警官に突進した。警官は計3発をその巨獣に撃ち込んだが突進は止まらず、巨体の体当たりをモロに食らって数メートルも吹っ飛ばされて今も意識不明の重体だ。
エディーとエリスの当初の意気込みとは裏腹に5人の重傷者と彼らを守ろうとした警官1人の重体患者を出してしまった。
暗闇をパニック状態で逃げようとした若者達は襲ってきたモノの正体をはっきりと憶えてはいない。証言をもっとも期待できるのはそいつを正面から迎え撃った警官だが、残念ながら意識不明のままだ。
「遠吠えといい、直立した大きなケモノといい、なんだかオオカミ男みたいね」
ドクの言葉にヒロはぷぷっと吹き出した。
「まさか。オオカミ男ってヨーロッパ方面の伝説だろう?ここは日本の徳島だぜ」
「あら、徳島って日本じゃオオカミ男の本場なのよ。ヒロは阿波のオオカミ男伝説って知らないの?」
ドクは身を乗り出して低い声で話し始めた。ヒロがゴクリと唾を飲んだ。
「お。。。オオカミ男伝説?よしなさいって。脅かしっこなしだよ」
ヒロはこの手の話が苦手なことをドクは知っている。彼女の変なスイッチが入ったかもしれないぞ?
「昔、平安時代に京の都を荒らしまくった鵺(ぬえ)っていう化け物がいてねぇ、ひっひっひ」
上目遣いのドクが乗り出す分ヒロが後ろへ反り返る。
「その鵺を退治した侍が、二度と復活しないように体をバラバラにしちゃったんだって。そしたらそのバラバラの四肢がいきなり天空に飛び去ったのよ。それらのパーツは四国や九州の各地に飛来したそうよ。調べてみると、その土地土地には似たような妖怪伝説がいろいろ残されているわ。当然京都と目と鼻の先の徳島にも飛来したの。それはオオカミの後ろ足だったと言われているけど、それ以後阿波にオオカミ男騒ぎが起こるようになったと伝えられているのね。だから徳島と犬系のモンスターは無縁じゃないのよ。現に。。。」
ドクは下を向いている。
「現に、何?」
「現に、私も。。。ぐわあ!」
不意に顔を上げたドクの口には数センチもある大きな犬歯が光っていた。
「。。。。。。。あなたねえ」
「ぐわ」
「いつもそんな物を持ち歩いているの?」
ヒロの冷たい対応に、ドクは口からパカッとソフビ製の付けキバをはずした。期待した反応が得られずつまらなさそうだ。
テーブルの上に乗り出したドクのおでこをグイグイ押し返してヒロはイスに座りなおした。
「とにかく今度の敵は重量級のパワーファイターみたいだな。出会ったらこちらもエボリューション・フォーム、いやアルティメット・クロスに二段三段変身するつもりで臨まなきゃ」
「それよりもまず見つけ出すことよ。どうすればその現場にいち早く急行できるか、対策を練りましょう」
ヒロとドクはこの悔しさをファイトに昇華させるべく最善のチョイスを決めた。それは。。。
「マスター、朝カレーセットふたつ。辛さマックスでよろしく!」
(二)掟
うおうおぉおおおお!
立ち入り禁止のビルの屋上で今夜も月に向かって全力で遠吠えした。
「やっぱフルパワーのハウリングは気持ちいいぜぇ!」
狗一郎は高いビルの上から徳島の夜景に向かって吼えたのだ。
剣山を降りるとき、目立つことは控えろとツルギに釘を刺されていたが、この習慣だけは止められぬ。
連夜の咆哮は下界でも話題になりかけていた。あれから10日、本来なら徳島よりもっと大きな都会へ行ってみたかったが、それでも結構楽しかった。もうそろそろ山へ帰るとするか。
彼は産まれてずっと剣山中で暮らしてきた。普通の人間とは違う遺伝子を持つ彼の一族は、代々人間達との交渉を絶って生きてきた。
その「遺伝」のせいか、彼自身山の暮らしが嫌いなわけではない。ただ好奇心だけは人並み以上に強かったせいか、一度でいいから町に下りてみたいという欲望を抑え切れなかった。
―――さて帰るか。
踵を返した狗一郎の前に誰か立っていた。
「?!。。。ツルギ?何してんだこんな所で」
気配も無く狗一郎の背後に立っていたのは剣山の守護者ツルギだった。
―――気配もなく?
不意に狗一郎はこの男の目的に思い当たった。
「な、なんだよ。俺が何したっていうのさ?遠吠えしただけで殺しに来るかフツー?」
ツルギは無言で狗一郎の前に立っている。
山に住む者たちは皆厳しい掟の中で生きている。それを破ることは死を意味する。ツルギは山と山に生きる者たちを護る存在だが、掟に背いた者を排除することも、他を護ることのひとつなのだ。狗一郎はそのことを熟知している。
ツルギの右手がゆっくりと左腰の剣の柄の上に乗った。神速の抜刀は斬られた者も気づかぬうちに絶命させると言われている。
「ま、待てよ。俺は正体も知られていないし悪いこともしてないだろ?」
初めてツルギの殺気がゆらいだ。
「悪いことをしていない、だと?」
「そうさ。俺はオオカミ憑きだ。遠吠えくらいしたっていいじゃないか」
「それだけではなかろう!」
ツルギの言葉には怒気が含まれている。普段は物静かな男だ。こんなツルギは見たことがない。
「なんだよ、それだけじゃないって。他に俺が何したんだよ?道にだってゴミひとつ捨ててないぜ」
「昨夜、人を襲った。隠しても無駄だ」
「ええ、お、俺が?!え?え?」
ツルギが剣の鯉口を切った。狗一郎は自分が何を責められているのかわからぬまま硬く目をつぶった。
「何をしている?!」
その時隣のビルの屋上から声があがった。
気配だけでその正体を察したツルギは微動だにせぬが、狗一郎は驚いて声のほうを見た。
丁度風が黒雲を押し流し、満月が姿を現した。
思いのほか明るい光源を背に立っているのは額に大きなひし形のマークをつけた男だった。胸に埋め込まれた細長いコアが夜の闇の中で異様に青く光り輝いている。
―――誰?
狗一郎は彼を知らない。
「邪魔をするな、エディー」
獲物から視線をはずさずツルギがぼそりと言った。
「この男は山の掟を破ってこの町の人間を傷つけた。ここで成敗せねばならぬ」
「成敗って。。。ちょっと待てツルギ。この町で罪を犯したのならこの町の掟、つまり法律で裁かれなければいけない。勝手に殺生などしてはいけない!」
「我等は山に住む者だ。山の掟で裁く。お前は手を出すな」
この男が一旦言い出したら頑として譲らないことはエディーもわかっている。しかし、みすみす目の前でこの若者を斬らせるわけにはゆかぬ。
バン!
ツルギの背後で屋上の鉄扉が勢いよく開いた。
「またあなたは、はぁはぁ、勝手なことを言っているのね、ツルギ!」
「エリス」
その名を聞いて狗一郎は我が身の立場を忘れて後方に立つ青い髪の人物を見た。額にエディーと同じ紋様がある。胸にもだ。ふたりが似たような存在であることは何となく見て取れた。
「山の掟山の掟って、はぁはぁ、ハンで押したように!はぁはぁ、あなたがやろうとしていることは、はぁあふぅう、ただのリンチじゃないの。筋が通ってないわ」
青く長い髪を夜風になびかせながらツカツカとツルギに近づいてくる。屋上まで駆け上がってきたのか、はぁはぁと息が荒い。
「ツルギに説教したってのはあの人かい?」
狗一郎は当のツルギに尋ねた。応えずツルギは剣を抜こうとしたが、一瞬早く隣のビルから飛来したエディーがツルギと狗一郎の間に立ちはだかった。
エディーの右手は柄を握ったツルギの左腰の前に差し出されている。
―――むっ。
ツルギは腰を落とし、エディーに対しても臨戦態勢をとった。
「待てと言っているだろう、ツルギ。何にせよまず訳を聞かせてくれないか?彼はいったい何をしたんだ?ツルギが話さないなら君でもいい。君は一体なぜツルギに命を狙われるようなことになった?」
エディーは背後でもぞもぞしている狗一郎に尋ねた。
狗一郎は逡巡した。
―――A。。。何も言わずにこのままいる。ツルギに斬られる。ブブー!
―――B。。。無実を主張しエディーに助けを求める。正体を明かした咎でツルギに斬られる。ブブー!
ブルブルブル。
狗一郎は頭を振って下手な考えをすべて消し去った。
だめだだめだ。どっちにしろ今の俺はツルギに斬られちゃう。ええい、こうなりゃヤケだ!
切羽詰った狗一郎は手すりを飛び越えてビルの屋上から飛び降りた。
「うそだろ?!」
「ダメよ!」
「しまった!」
12階建てのビルから飛び降りて無事に済むわけはない。エディーとツルギはそれぞれ真逆の目的で、咄嗟に狗一郎の後を追ってジャンプした。
屋上の手すりまで駈け寄ったエリスは下を覗き込んだ。目を凝らしてみたが、3人の姿は既に無い。
エリスは手すりにもたれかかって叫んだ。
「もう!また降りるのぉ?!昇ったばっかりなのにぃぃぃ!」
それは狗一郎の遠吠えよりも遠くへ響き渡った。
(三)陽動
数日前に遡る。
「タ〜レ様や〜い」
暗い。
湿った空気が澱んでいる。
奇妙な臭いが漂っている。
ヨーゴス軍団のアジトである。
カッカッカッ。
明りのない真暗な中を足音だけが移動してゆく。硬い石の床を細いヒールが叩く音だ。
細長い洞穴の奥にかすかな明りが灯り、そこに誰か立っている。
長身だ。
猫背でいかり肩。
薄汚れた白衣を着て何やら作業をしている。
銀色の豊かな頭髪をドレッドに編み、背中まで垂らしている。
「先刻から何をしておいでじゃ?」
かすかな灯りの中に浮かび上がるのはピンクの頭髪を肩まで垂らした魔女ヨーゴス・クイーンだ。異様に大きな、まばたきをせぬ目が好奇心で充ちている。
白衣の人物が振り返った。こちらも人の顔ではなかった。奇妙に歪んだしゃれこうべだ。目玉を失った眼窩は底知れぬ闇を湛えている。耳まで裂けた口の両端からは鋭いキバが突き上げるようにはえていた。
ヨーゴス軍団の首領にして恐るべき呪術の使い手、魔人タレナガースである。
「クイーンか。もう少ししたら遊んでやるゆえしばし待て」
背中に氷水を垂らされたような気持にさせる不気味な笑みを浮かべると、再び作業にとりかかった。
クイーンが背後から覗き込む。石のテーブルの上にはいくつかの動物の死骸が並べられていた。どれも異なる種類の動物達だ。それらをタレナガースは切り刻み、奇妙な管でつなぎ合わせているではないか。
「これは。。。もしや鵺(ぬえ)を造っておるのか?」
さすが異界の住人だけあって、常人なら吐き気をこらえきれぬであろう凄惨なありさまを見てもクイーンは平然としている。しかもその目的まで言い当てるとは。
タレナガースはまたしてもニヤリと笑うと頷いた。
「おぬし、鵺を見たことがあるのか?」
「ある。じゃがかなり前のことじゃ。最後にあれを見たのは。。。そう、まだ侍が威張りちらしておった頃じゃ。この地の空を東へ向かって飛んでおった。わらわが『しっかり災厄を撒き散らすのじゃぞ』と声をかけたら嬉しそうに尻尾を振っておったわ。あやつ、元気にしておるかのう?」
「それは恐らく江戸へ行って大火事をおこしたヤツであろう。どこぞの寺で風に乗って舞い上がった着物に炎を吹きかけてやったら、その火が隣家に燃え移り、またたく間に江戸中を焼く大火事になったと聞いておる」
「ほほう。大したヤツじゃ。是非我がヨーゴス軍団にスカウトしようぞ」
「死んだわ」
「なに?!」
「退治されたのよ。何とか言う弓の名人に、まじないを施された矢で眉間を射抜かれたそうじゃ」
「なんと哀れな。。。いつの時代にもエディーのような忌々しいヤツがおるのじゃのう。しかし惜しいことじゃ」
「天然モノの鵺はそやつが最後じゃ。よって、余がこうしてこしらえておる」
「出来るのかや?鵺が」
「出来るのか?とは心外な!要はキメラをこしらえるのと同じじゃ。まぁ見ておれ、天然モノよりもっと恐ろしい鵺モンスターをこしらえてやるでのう。ふぇ!」
ふぇっふぇっふぇ。
ひょっひょっひょ。
気色の悪い笑い声が暗い洞穴にこだまして、その夜は近隣の住人達はそろって悪夢にうなされたのだった。
翌朝、エディーとエリスは昨夜のビルにやって来た。
結局屋上からダイブした青年はそのまま夜の闇に逃げ込んでしまった。後を追ったエディーとツルギは互いをけん制しながら追跡せねばならなかったため、素早い彼の動きに対処しきれず姿を見失ってしまったのだ。そしてその直後、ツルギもまた風を巻いていずこかへ消えた。
夜の闇ではわからなかった何らかの手がかりが、朝になれば見つかるかもしれないと期待してふたりはここへやって来たのだ。
「失敗したよ、昨日は」
エディーは屋上から地上を見渡しながら悔しげに言った。
「それにしても彼の動きは人間離れしていたなぁ。俺とツルギをまくなんて」
「当たり前よ。こんな高い所から飛び降りて死なないなんて普通じゃないわ。私なんて階段を一気に駆け上がってきてまたスグ駆け下りる羽目になって。。。」
エディーはエリスの言葉に剣呑なものを感じた。
「このビルは今使われていなくてエレベータも止まっていたから大変だったのよ。か細い太ももが筋肉痛でもう痛いのなんの」
「エリスさんエリスさん、その話今朝からもう4回目ですよ。。。」
遠慮がちなエディーの言葉にエリスはギロリと鋭い視線で返し、相棒を黙らせた。
「あなたはいいわよ。しらさぎの羽根があるんだからさ」
そうなのだ。昨夜約40メートルもあるこの屋上からダイブした時、さすがのエディーも背中にあるしらさぎの羽根を展開させて滑空し、落下速度を遅らせたのだった。
しばらくあたりを探索したが、事件の手がかりになりそうなものは何も見つけられなかった。仕方なく引き上げようかと思ったとき、屋上の給水タンクの陰から人影が現れた。
「エディーとエリスだっけ」
昨夜の青年、狗一郎だ。
「君!」
「無事だったのね、よかった。心配していたのよ」
粗末なチェックのシャツと所々穴の開いたジーンズ、何十年履いているのかわからないボロボロのズック靴といういでたちだ。
狗一郎はゆっくりとふたりに近づいてきた。ひょこひょこと片足をひきずっている。
「昨日は有難う。おかげで何とか助かったよ。ここにいたらまた会えるような気がしていたんだ」
「足、どうかしたの?」
「うん、着地した時ちょっとひねっちゃってね。大したことはないさ」
エディーとエリスはあきれて顔を見合わせた。40メートル近い高さから飛び降りておいて、足をひねった?大したことない?
―――何者だ、こいつ?
互いに自己紹介を済ませた後、今までのいきさつを猛烈に知りたがったエディーとエリスのリクエストに応えて、狗一郎は順を追ってすべて話して聞かせた。
オオカミ憑きの家系のこと。剣山から町を見学に来たこと。連夜の遠吠えのこと。身に覚えの無いことでツルギに命を狙われたこと。などなど。
すべてを聞き終わったふたりはじりりと狗一郎に近寄ると、不思議そうに左右から彼のほっぺをつねったりおでこを突っついたりし始めた。
「いた、痛いよ。やめれ」
ふたりの手と疑惑の目を振り払うと、狗一郎は「わかったわかった」と言いながら再び給水タンクの陰に隠れた。
「見ないでね」
と言うと手早く着ているものを脱ぎ始めた。
やがてグルル。。。グオオオ。。。グアアア。。。という唸り声があがり、ガリガリと何かでコンクリートを引掻くような音がした。そして3分ほど後。。。
再び姿を現したのは黒く大きなオオカミだった。目が金色に光っている。
「出た!マジでオオカミ男!!!」
エディーがエリスにすがろうとするのをエリスが「ええい!」と振り払う。
大きなオオカミとなった狗一郎は後ずさるエディーの傍らへ一気にジャンプすると喉を真上に向けて「俺だよ」と言った。
なんだかうがいをしながら話しているような声だが、ともかく人語を聞いてエディーも少し気が落ち着いたようだ。
エリスが近づいて黒い体に手を置いた。
「狗一郎。。。君?」
長い胴をやさしく撫でてみる。しなやかで力強い野生の息吹が伝わってくるようだ。
「そうだよ。この体だとちょっと話しにくいから変な声だけど、これが俺のもうひとつの姿さ」
先日喫茶店でエリスが言ったなかば冗談みたいなオオカミ男の伝説は真実の話だったのだ。信じられないが、信じるしかない。
こうしてふたりは、連夜の遠吠えと先日の傷害事件はまったく無関係だったのだと理解した。そしてツルギの誤解によって狗一郎が濡れ衣を着せられていたことも。
「とりあえず人間に戻ろうか。朝めしを食べに行こう」
「朝めしか。いいね、腹が減って死にそうなんだ、へへへ」
しゃべるオオカミは嬉しそうに天に向かっておおんおおんと啼いた。
慌ててその遠吠えをやめさせたエディーとエリスは「人間」の狗一郎を連れていつもの喫茶店へ向かった。
「だけどそうなると、あの夜の傷害事件の犯人はいったい。。。?」
「そりゃやっぱりヨーゴス軍団のしわざだろう」
馴染みの喫茶店に狗一郎を案内したヒロとドクはトーストのモーニングセットを注文した。
声を潜めてふたりが話している間、狗一郎は厚切りのバタートーストに鼻を近づけてクンクンとしきりに臭いを嗅いでいる。
マスターはコーヒーを淹れながらチラチラとそのようすを見ている。変なお客の友達はやっぱり変な人だ。。。
「それ、死んだケモノをいっぱいつないだヤツのことかい?」
バターが鼻先につくほど顔を近づけていた狗一郎がひょいと顔を上げてヒロに言った。
「君、犯人を知っているのか?!」
「モンスターの姿を見たの?」
ヒロとドクは驚いたが、当の狗一郎はトーストに塗られたバターをペロペロ舐め始めた。
「見ていないけど、変な臭いが漂っていたからね。あれは死んだケモノの臭いだった。オオカミやサルやヘビや、ツキノワの臭いもしたなぁ。。。とにかくいろんなものの臭いだったよ」
ドクが「ちゃんと食べなさい」と狗一郎をたしなめながらヒロに目配せした。この青年の証言のおかげで敵の姿がおぼろげながら見えて来た。
敵はどうやらタレナガースがこしらえたキメラ合成モンスターらしい。狗一郎の協力を得られれば敵モンスターの不意の出現にも対応できるかもしれない。
しかし。。。
「問題は」
「ええ。ツルギね」
ふたりは嬉しそうにトーストをほおばる狗一郎を見て溜息をついた。
「こやつ、もう行けるのかや?」
ヨーゴス・クイーンがタレナガースの白衣の肩越しに覗き込んだ。大きな一枚岩でこしらえた作業台にはあのキメラモンスターが横たわっていた。
「ぬえちんならもう大丈夫じゃ」
タレナガースは胸をそらせた。
「ぬ、ぬえちん?」
我等が首領殿はこの世のあらゆる毒素を熟知し、黄泉の国の律を用いて新たなる活性毒素を産み出す超天才的かつ超悪魔的発明者ではあるが、命名のセンスだけは致命的に欠落しておる。。。クイーンは顔の3分の1を占める大きな目をひくひく歪めて渋い顔を作った。
「タレ様や、もうちょっと違う名前にせぬかや?」
「なんじゃ、何かよい名があるのか?」
タレナガースはクイーンを振り返った。目玉の無い不気味な視線を受けてクイーンは言葉に詰まった。彼女とて名づけのセンスなぞ微塵も無い。
「お。。。オオカミクマサルヘビ。。。」
「なんじゃそれは。まるで出来損ないの干支ではないか。それなら、そうじゃな。。。オオカミとクマとサルとヘビから少しずつ頂戴してオオ・ク・サ・ビというのはどうじゃ?」
「おお、かなり良い」
―――ぬえちんよりは。
クイーンも納得したところで、キメラモンスターの名はオオクサビと決まった。
「これなるオオクサビは本来、拳銃弾の2発や3発くらいではびくともせぬが、合成モンスターの唯一の弱点である継ぎ目を警官めに偶然撃ち抜かれたがゆえにちょっとばかりダメージを被ったのじゃ。この2日を傷口の補修と継ぎ目の強化に費やしたがようやくそれも済んだ。今夜からまた出張るぞよ。ふぇっふぇっふぇ」
胸を反らせすぎたタレナガースが後ろへよろけたためクイーンが慌てて支える。そしてタレナガースの耳元に口を寄せた。
「じゃがタレ様、先日の襲撃事件はかなり人間どもをビビらせたとみえて、昨夜から警備の警官の数がハンパないようじゃ。十分注意されるがよいぞ」
「ふん、防御力を増したオオクサビはもはや敵なしじゃ。警官隊なんぞひとひねり。。。あ、いや。。。せっかくじゃからちょっとからかってやろうかのう」
「からかう?」
ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。
訝しげなクイーンを残して、白衣を脱ぎ捨てたタレナガースはひとり笑いながらアジトの奥の闇へと姿を消した。
コンパスで描いたような満月だ。
徳島県警は謎のモンスター襲撃事件以来、特別警戒態勢を布いている。今なら、一度も警官に出くわさず近所のコンビニへ行くのも至難の業であろう。
もちろんエディーとエリスも連夜で徹夜のパトロールを続けていた。
ちょうど補給のためにふたりがマシン・ヴォルティカの秘密格納庫に立ち寄っていた時、その情報が入った。
<ヨーゴス軍団が現れました。徳島市エリアD−122です>
「行こうエリス」
「オッケー。じゃあ狗一郎君、この格納庫で待っていてね」
ツルギに狙われている狗一郎はここに匿われていた。彼を残してサイドカー仕様のマシン・ヴォルティカは、唸りをあげて吉野川北岸エリアをめざした。
「いってらっしゃい」
駐車場から緊急発進したマシン・ヴォルティカに狗一郎が手を振っている。見る見る小さくなってゆくヴォルティカを見送った狗一郎が屋内に戻ろうとした時、彼は何かに気づいて「あれれ?」と声を上げ、足を止めた。
鼻を空に向けてクンクンしていたが、やがて「あっちだな」と言うと南の空をじっと睨み始めた。
「やっぱりそうだ。エディー、そっちじゃないよ」
そう言うと狗一郎はヴォルティカとは反対の方向へ向かって駆け出した。
エリアD−122での騒動は既に大きなパニックになっていた。
営業時間終了間際の大型ショッピングモールの食品売り場にヨーゴス軍団の戦闘員数名がなだれ込んで大暴れし始めたのだ。
迷彩色の戦闘服にドクロマークのヘルメット、タレナガースのシャレコウベを連想させる不気味なマスク。見るだけで県民を恐れさせるに十分ないでたちである。肩や腕に他の者にはないアーマを装着した戦闘隊長に率いられた一団だ。
先夜のモンスター騒ぎが記憶に新しい買い物客たちは買い物カゴを放り出して逃げ惑った。
駆けつけた警官隊十数名が、一斉に戦闘員たちを取り囲んだ。
「動くな。直ちに投降しなさい」
「無駄な抵抗をするんじゃない」
ゲヒゲヒゲヒ!
ギィギィギギギ!
警官隊は拳銃に手をかけてはいるが、まだ大勢の買い物客たちが右往左往している中ではうかつに発砲できない。戦闘員たちもそのことを知ってか、警官隊を一向に恐れていないようだ。
「かかれ!」
警官隊は警棒を片手に一斉に戦闘員たちに飛びかかった。約3倍の人数ではあるが、相手は人ならぬヨーゴス軍団のポイズンドロイドだ。警官隊は苦戦を強いられた。特に戦闘隊長は四方から組みつく警官たちを力づくでひきはがし、投げ飛ばした。その戦闘能力は他の戦闘員よりあきらかに図抜けている。
それでも警官隊の奮戦は買い物客の避難に十分な時間を稼いだ。
そこへエディーが到着した。
「待て、ヨーゴス軍団。そこまでだ!」
衣服売り場に並べられたマネキン人形を飛び越えてエディーが戦いの輪に飛び込んだ。
戦闘員たちが身構える前に神速のキックとパンチで2人を吹っ飛ばして戦闘不能に陥れた。
「エディー。来てくれましたか」
警官が嬉しそうに近寄った。
「もちろんです。ここまでよく持ち堪えてくれました。あとは任せてください」
そう言うとエディーは猛然と戦闘員たちに襲いかかった。
約10分後、戦闘隊長以下の無法者達をすべて行動不能に陥れたエディーは緊張を解かずに周囲を見渡した。
「ヨーゴス軍団はこれだけですか?」
「はい。おかげで市民に誰一人けが人を出さずに鎮圧できました。有難うございます」
喜ぶ警官隊の隊長とは裏腹に、エディーは浮かない表情だ。
―――先夜の騒ぎから今日までモンスターは現れていない。恐らくあの夜若者達を守った警官の銃撃でなんらかの傷を負ったからだ。今夜の襲撃はてっきりモンスターが復活したからだと思ったんだけど。。。はっ!まさか!?
その時、買い物客の避難誘導にあたっていたエリスが店内に駆け込んできた。
「エディー大変。モンスターがエリアB−02に現れたそうよ」
「しまった。やっぱりこれはヨーゴス軍団の陽動作戦だったのか」
臍を噛むエディーはエリスとともにマシンヴォルティカに走った。
モンスターは夜の繁華街を急襲しようとしていた。
出番を待つ役者が舞台の袖でスタンバイするように、色とりどりのネオンに彩られた飲食街をじっと睨みむ目。。。
タレナガース、ヨーゴス・クイーン、そしてぬえちん、いやオオクサビだ。
ぐるるるる。
耳がピンと立っている。不自然なほど吊り上った鋭い目の中には燃える鉄球のような瞳がネオンの灯りを受けて金色に光っている。耳まで裂けた大きな口には刃のごときキバがズラリと並んでいる。オオカミの頭だ。
大柄なタレナガースよりもまだひとまわり大きな体。張り出した胸には白い三日月の紋様が浮き出ている。ツキノワグマのボディだ。
器用で俊敏なサルの腕と足、背後にもにらみを利かせるマムシのシッポ。
この世のものならぬ秘術でタレナガースが造り上げたキメラモンスター。
「よいか、あえて戦闘員どもを生贄にしてエディーめを遠ざけたのじゃ。遠慮せず暴れまわるのじゃぞ」
大嫌いな人間どもが楽しそうに行き交うこうした賑やかな町がタレナガースは特に気に食わなかった。
酔った人間どもがオオクサビを見てどんな反応を見せるのか、遅れてやってきたエディーがどんなふうに悔しがるのか、いろいろと楽しみだ。
「すぐに警官隊が来るぞえ」
クイーンが不安げだがタレナガースは自信満々だ。拳銃弾ごときではびくともしない強化ボディを得た今のオオクサビもはや無敵だ。
「さぁ行けオオクサビ。。。ん?」
「見つけたぞ、お前ら」
頭上から突然声をかけられてタレナガースは少々面食らった。
「小僧、何者じゃ?」
タレナガースたちが潜んでいる暗い路地を見下ろすビルの外階段の3階の踊り場で誰かがしゃがんでこちらを見おろしている。
夜の闇の中でもタレナガースの瞳の無い目は相手の姿をはっきりと捉えているとみえる。
その「小僧」はひらりと踊り場からジャンプすると、そのまま地上のオオクサビの眼前に舞い降りた。人とは思えぬ身の軽さだ。
常人ならば遠めにも怖気をふるう凶暴なオオカミヅラの前へぐいと顔を突き出すとクンクンと鼻を鳴らした。
「このあいだ人を襲ったのはお前だな?あの時とおんなじ臭いだ」
狗一郎だ。
「いろいろ縫い合わせてあるみたいだな。変な臭いだ。嗅いだことがない、いろんなモノが混じった嫌な臭いだ」
「貴様、人か?いや、違うな。。。いったい何者ぞ?」
タレナガースにしても眼前の青年の正体が計りきれずにいた。本来なら有無を言わさずとっくに命を奪っていても不思議ではない状況だが、自分の存在をこうまで恐れぬ男にかえって興味がわいてきたようだ。
「うん、まぁ人であってケモノでもあるんだけど、ツルギはいつも人でありなさいって言うよな」
「ナニ?!貴様ツルギのツレかや?」
クイーンが眉をしかめた。
「いやまぁ、ツレというかつれないというか」
「なんじゃソレは?」
「どうもこの若造と話しておると調子が狂うわい」
クイーンはイライラしているのか、ピンクの長い髪をやたらいじくりまわしている。
その時、タレナガースが素っ頓狂な声をあげた。
「そうか貴様、まさか純血種か?!」
「なんと?」
クイーンも途端に目を輝かせた。
狗一郎ひとりがぽかんとしている。
「なんだ、純血種って?」
それには応えず、タレナガースが背後のオオクサビに大声で命じた。
「こやつを捕らえよ!」
ぐらああああ!
命令を受けて、3メートル近い巨体が狗一郎に襲いかかった。大きな体に不似合いな俊敏さだ。だが狗一郎も咄嗟にオオクサビの腕をかいくぐって逃走した。
暗い路地から飛び出て、ふたり(二匹?)はもつれあうようにネオンが照らす繁華街の真ん中へ躍り出た。
「うわーー!」
「なんだ?!」
「怪物だ!助けてくれ!!」
「わはははは、ええぞにいちゃん!」
たちまち夜の街は大騒ぎになった。通行人は腰を抜かし、酔っ払いは手を叩いて喜んでいる。なんぞの大道芸とでも思っているのだろうか?
狗一郎はひと目があるため四足のオオカミには変身できずにいた。これ以上山の掟を破ってツルギを怒らせたら八つ裂きどころでは済まなくなる。
駐車してある車のルーフに、コンビニの看板の上に、商店の軒の上に、ひらりひらりと飛び乗ってはジャンプした。それをオオクサビが追う。車のルーフには大穴が穿たれ、看板は粉砕され、コンクリートの軒は抉られた。
ぐるるぅあああ!
「これ、オオクサビや。殺してはならぬぞ。捕まえるのじゃ、よいな」
オオクサビの張り切りようにタレナガースが釘をさした。さすがにあるじの命令には従順なようだ。
しかし最速モードであるオオカミの姿になれぬ狗一郎は次第にオオクサビのスピードに追い詰められていた。しかも先夜のビルからのダイブで痛めた足首はまだ完治していない。ついにオオクサビの長い猿の手が狗一郎の背中にかかった。
「うわあっ!」
狗一郎の苦鳴があがり、着ていたシャツの背がおおきく引き裂かれた。
「遅かったか。。。」
警官たちが到着して現場検証を行っているようすを高いビルの屋上から見つめる影ひとつ。
ツルギだ。
―――妙な気配を感じて来てみたが。。。うん?
ツルギの金色の目が光った。
一陣の風と共に屋上のツルギの姿が霞むと、その姿は路上に移っていた。風に舞う1枚の布切れを素早くキャッチした。それは少し汚れたチェックのシャツの切れ端だった。
―――やはりお前なのか、狗一郎。。。
その時ツルギのすぐ近くを若い警官が通り過ぎた。すぐ傍らを通ったのに、なぜだか彼はツルギの存在にまったく気づいていない。ツルギが自らの気配を完璧に消し去っているからだ。警官は無線で話しながら去っていった。
「ハイ、そうです。この騒動の元凶はやはりヨーゴス軍団でした。ケモノのモンスターが暴れまわったのだそうです」
その通話を聞きながら、ツルギは夜の空に浮かぶ眉山山頂を見上げた。
それはエディーたちが陽動作戦の戦闘員たちを制圧した10分後のことだった。
(四)魔人対超武人
ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。
暗いアジトにタレナガースの笑い声が響いた。周囲の岩に反響して不気味さ3倍増しである。
真の闇の中のろうそくの灯りが、かえって心細さを誘う。
「まことに面白いものが手に入ったわい」
タレナガースとヨーゴス・クイーン、ふたりの魔人がじっと見つめる先には狗一郎がいた。
意識がない。
キメラモンスター・オオクサビに捕らえられた後、タレナガースに薬を嗅がされたのだ。両手両足を荒縄で縛られて畳一畳ほどの大きな一枚岩の上に寝かされている。
「見よクイーン。こやつはその昔、京の都で大活躍した鵺の末裔ぞ」
「愛しいのう」
「うむ。都を守護する侍に四肢を切り裂かれた鵺の肉体が西日本の各地に飛び去ったと言われておる。この地にもそれがあるとは聞いていたが、まさかこうして生きた純血の体が手に入るとは夢にも思わなんだ」
「どのような力を秘めておるのじゃ?わらわにもその力、わけてたも」
クイーンの言葉にタレナガースは「よかろう」とつぶやくと狗一郎の頬に鋭いツメでツゥとひとすじの傷をつけた。赤い線が若い狗一郎の頬に引かれ、そこから赤い珠のような血が湧き出てきた。それをまたツメの先ですくい取ると、古い杯に垂らし入れ、黒い液体を注ぎ足してクイーンに渡した。
「いくら我々でもこやつの血をストレートで飲むのは効き過ぎるでの。余が特性のカクテルじゃ。試してみよ」
「うむ、うむ」
その杯を奪うように手に取ると、クイーンは勢いよく飲み干した。
数秒。
ドクン!
「ひっ!?」
ドクン!
「ほえっ!?」
ドクン!
「ひょへっ!?」
大きな目を更に見開いたヨーゴス・クイーンは「ひょおおおおお」と歓喜の声を上げた。力がみなぎる。生きていた時のように「血」が体を巡るのを感じた。体が活き活きと若返ってゆく。
見守るタレナガースが「ほほう」と嗤った。鵺の末裔の血がヨーゴスの魔人にとって大きな力となることはわかっていたが、具体的にクイーンの体がどう変貌するかは彼自身わかっていなかったからだ。
ピンクの体は濃さを増し、艶やかな紫色に変色した。大きかった目はぐいぐいと引きつるように鋭く切れ長に変わってゆく。愛用のピンクのマントも体と同様の濃い紫に変わってゆく。
こうしてピンクの魔女は、狗一郎の数滴の血によって紫の鬼女へと変身した。
「ほんにこれほど効くとは。タレ様おかわりじゃ」
ねだるクイーンをタレナガースは困った顔で押しとどめた。
「いかん!これ以上はかえって体に悪い。そなたモンスターになってしまってもよいのか?」
さすがにモンスターと言われてクイーンは渋々聞き分けた。
「邪魔をする」
不意に背後で声がした。低いが真っ直ぐな声だ。
それにしてもここは、人はおろか野生の獣でさえも敬遠するヨーゴス軍団のアジトだ。「関係者以外立ち入り禁止」でなくとも訪ねてくる者などあるはずもない。
が、その男は平然と岩窟のアジトの最奥へと入ってきた。
全身は闇に溶け込んでいる。ただ金色の鋭い目だけが浮いているようだ。だが、ここの住人達とは決定的に違う清廉なオーラを放っていて、見るものが見ればその存在は一目瞭然である。
「ゲッ!貴様?!」
「ツルギではないか」
タレナガースがクイーンを庇うようにずいと前へ出た。
「我らがアジトへようこそ、と言いたいところじゃが何の用じゃ?」
狭いアジトに一瞬で剣呑な空気が満ち満ちた。このような魔人でも、勝手に己が家に踏み込まれたとあっては腹が立つらしい。
「ここに我が山の民がひとり世話になっているはずだ。返してもらおう」
「山の民。。。ふん、こやつのことかや?」
タレナガースは体をよけて岩の上に横たえられた狗一郎をツルギに見せた。
「?!タレナガース貴様、この者に何をした?やはりこやつをたぶらかして人を襲わせたのか」
ツルギの全身からぶわっと殺気が湧いた。
タレナガースといいツルギといい、人間なら意識を失いかねない互いの殺気を平然と正面から受けている。
「たぶらかす?知らぬな。まぁかどわかしはしたが。ふぇっふぇっふぇ。それよりもこやつ、オオカミ憑きじゃろう。臭いでわかる。鵺の臭いじゃ。これほど貴重なもの、そうそう手に入るわけもないでのう。返せぬよ、ふぇっふぇっふぇ」
「そちらが返す、返さぬは関係ない」
エリスはこの武人をさして頑固者と言うが、つまるところツルギは信念の男なのだ。己が信念は毛ほども曲げぬ。流れるような動きで腰を落とすと腰の剣に手をかけた。
その間合いを本能で察知して3歩半後退したタレナガースは、パチンと指を鳴らした。
「オオクサビよ、出番じゃ」
途端にぶわっ!とアジトの奥から異様な気配が湧き上がった。まるで突然そこに現れたかのようだ。
「紹介しよう。余の可愛いモンスターのオオクサビじゃ。先夜もよう働いてくれたが、今宵はそこの小僧の血を少し与えたゆえさらに強くなっておるぞ」
奥の暗がりからゆらりと現れたソレは体長が約4メートル、耳がピンと尖ったオオカミの頭。その額からはサイのようなツノが伸び、鋭いキバが下あごから突き上げるように伸びている。胸の筋肉が大きく前に張り出したツキノワグマのボディに、直立していても地面に届きそうな異様に長いニホンザルの腕。クマの肩からサルの二の腕にかけて無数のトゲがびっしりと生えていて、背中には太古の恐竜のような三角の鋭い背びれが並んでいる。無限の瞬発力を内包するサルの足にはシャモを思わせる大きな蹴爪が伸びている。股の間から隙あらば噛んでやろうと牙を光らせている双頭の毒蛇のしっぽを持っていた。
ツルギは知らないが、最初の被害者が出た夜に出現した時よりも更にいびつで恐ろしいモンスターと化している。タレナガースが言うように、これも狗一郎の血のなせる業であろうか?
モンスターの姿を見たツルギは初めて悟った。先夜の事件の犯人は狗一郎ではなくこのモンスターであったのだと。
―――そうだったのか。。。すまぬことをした、狗一郎。
自分の思い違いがこの青年を苦境に陥れてしまった。ならば命にかえても狗一郎をここから救い出さねばならぬ。ツルギは覚悟を決めた。
黒衣の超武人から立ち昇る一層凄まじい闘気を察したタレナガースは、ニヤリと嗤うと背後に立つオオクサビに最前列の場所を譲った。
ゴオ!
咆哮とともにモンスター、強化オオクサビが突進した。
ツルギは素早く左に避けたが、それを追ってモンスターも素早く直角に曲がった。でかいくせにツルギに劣らぬスピードだ!
ガキン!
ゴキッ!
ツルギの体はアジトの岩壁とモンスターの巨躯に挟まれて嫌な音を立てた。
ぐうう!
強靭なツルギが悶絶した。狭いアジトの中ではツルギのスピードが十分に活かされない。
ガシン!
グァキィン!
オオクサビは両腕でツルギの体を岩壁に押さえつけたまま何度も何度も強烈なショルダータックルをお見舞いした。
ぐう。。。ごふっ。。。がはぁ!
一撃ごとにツルギの苦鳴が次第に大きくなる。
このままこの巨体のタックルを受け続ければ霊峰を守護する超武人とてただでは済まぬ。
何度目かのタックルに備えてオオクサビが身を引いた時、ツルギは敵のこめかみにチョップを、鼻先に拳を、喉に手刀を打ち込んだ。まるで一度の攻撃で三箇所に同時打撃を与えたかのような速攻だ。剣による戦いが秀でているため気づかれていないが、ツルギの体術はエディーやタレナガースに勝るとも劣らない。
がるるうううおおお!
ツルギの急所への容赦ない打ち込みに一瞬ひるんだものの、オオクサビは再び戦闘態勢に入った。
痛みが怒りをつのらせている。両腕を振り上げて咆哮をあげた。
ハッ!
その時ツルギは、オオクサビの両脇の隙間へ風のごとく身を滑り込ませた。
驚くべき速さでオオクサビの背後に回るやその大きな背を踏みつけてジャンプし、まるで引力を断ち切ったかのように洞穴の天井をタタタと走った。
「あやややや!?」
あっけにとられるタレナガースとクイーンの頭上をも越えて走ると、岩の台に横たえられた狗一郎の傍らに音もなく着地した。
ろうそくの薄明かりに浮かび上がるツルギの胸から腹にかけて、オオクサビの強力なボディアタックによって刺さった無数のトゲが突き刺さっている。
ここでツルギは初めてゆっくりと腰の剣を抜き、眼前の敵に切っ先を向けた。が、その切っ先は大きく揺れている。
「ふぇっふぇっふぇ。どうしたどうした。いつもの剣さばきの冴えが見られぬが、どこぞ悪いのかえ?」
「その小僧を抱えて、無事このアジトから出られようか?」
がるるるるる。
はたしてヨーゴス軍団の包囲網をツルギは突破できるのか?手負いの超武人は片手で狗一郎を肩に担ぎ上げると不敵に言い放った。
「出てみせよう」
。。。のむ。。。
「え?」
ヴォルティカがキキッ!と音を立てて停まった。
早朝パトロールの最中であった。
吉野川の土手の上。停車したサイドカーに乗ったエディーとエリスはお互いをじっと見詰め合っている。
「今、たしか。。。?」
「声が聞こえた。。。ような?」
午前6時40分。間もなく日が昇る。風はない。
「エリスも聞いたのかい?」
「ええ。かすかだけど、確かに聞いたわ。なんだか、の、む、とか何とか」
エリスの言葉にエディーも頷いた。どうやらふたりが同じものを聞いたのは間違いないようだ。それにしても、周囲に人影はない。いったい誰の声だろう?正確にはなんと言ったのだろう?
不思議な体験に、ふたりの渦戦士たちはしばしそのままで考え込んだ。
「まるで、風が話しかけたみたいだ。。。」
エディーの言葉にエリスがはっ!と顔を上げた。
「風!そうよ風よ」
エディーはきょとんとしている。
「だけど今は風がないわ。このままではダメ。エディー、ヴォルティカを発進させてみて」
エリスがナニを言わんとしているのかわからず怪訝な顔をしながらも、エディーは再びヴォルティカのアクセルを回した。
ヴォン!
青いスーパーマシンが走り出すとたちまちふたりは突風の中に放り出された。轟音のような風の音はやがて静けさを呼び、まるで水の中にいるような気持にさせてくれる。すると。。。
―――のむ。。。たのむ。。。。。。てくれ。。。見つけ。。。くれ。。。。。。くいちろ。。。
「驚いた。風が話しているよ」
エリスは声が風に運ばれていたことに気づいたのだ。エディーは改めてサイドカーの相棒に驚きのまなざしを送った。
「エリス、この声」
「ええ。ツルギだわ。それに狗一郎って」
ふたりは即座に気づいた。この声はツルギから自分たちに向けて送られたメッセージなのだと。
それに先日出動した折に、ヴォルティカの格納庫で留守番をしているはずの狗一郎がいなくなってしまったことはずっと気になっていた。居心地が悪かったのだろうか?何か良からぬことに巻き込まれてはいないのだろうか?
彼の行方は今もわかっていない。
だが。。。
「いったい狗一郎君をどうしろと言うんだ?彼らはどこにいるんだ?」
その時、エリスは再び気づいた。風の向きと聞こえる声のはっきり具合に関係がありそうだということに。それはまるでラジオのアンテナの方向をあちこち動かしているかのようだ。
「エディー、こっちへ!」
もはやエディーに躊躇はない。エリスが指差す方向へマシン・ヴォルティカのカウルを向けた。
(五)ツルギ死す
すこし前。。。
ツルギはヨーゴス軍団の暗いアジトでキメラモンスター・オオクサビと対峙していた。左肩には意識を失ったオオカミ憑きの青年狗一郎を抱え、片手で愛刀を操っている。
だがその剣さばきにはいつものキレが見られない。ツルギはその体に巨大なオオクサビの痛烈なタックルによるダメージを受けていた。
加えてこの瘴気だ。幅数メートルの細長い洞穴内いっぱいに充満する濃い瘴気は、ヨーゴス軍団の魔物どもにとってこそ心地よい空間なのであろうが、そうでなければただ長時間そこにいるだけで毒気に体を蝕まれてゆく。
ツルギも同様であった。オオクサビのタックルで受けた体内の傷に、染みこんだ瘴気が潜り込んで耐え難い苦痛を与えている。
狗一郎は、かつて京の都を恐怖のどん底に叩き込んだ妖怪鵺(ぬえ)の血を引く特殊な存在であった。その血肉は魔物たるヨーゴス軍団の者どもに計り知れない力を与える。
だがツルギはなんとしても狗一郎をここから連れ出さねばならなかった。
ツルギは徳島で起きた謎の傷害事件の犯人を狗一郎だと勘違いをしており、それがもとでこの青年が現在の苦境に陥ったことに深く責任を感じていた。そのために自らの命にかえても狗一郎をこのアジトから安全な所へ移送すると決意したのだ。
だが目の前のキメラモンスター・オオクサビは恐ろしく強力であり、さらにその背後にはタレナガース、ヨーゴス・クイーンの二大幹部が控えている。特にヨーゴス・クイーンはごく僅かの狗一郎の血液を体内に取り込むことで容姿が激変し強力となっていた。
ぶぅん!
狭いアジトの空気を切り裂いてオオクサビのツメが襲いかかった。切れ味だけではない。太い腕と分厚い肩の筋肉に裏づけられた破壊力は凄まじい。
ガキン!ギリリ!
受け止めたツルギの愛刀が悲鳴をあげた。狭いアジトの中ではツルギ本来の機動性を活かした変幻自在の攻撃は不可能だ。攻めるも守るも敵の正面からのみだ。
「ふぇっふぇっふぇ。ここから出てみせると言うたが、さきほどから一歩も進んでおらぬではないか。いったいいつまでもつのやら?」
ぐらあああ!
オオクサビはさらにキバやらツメやら尻尾のヘビやらで襲いかかる。ツルギは少しずつ奥へ奥へと下がりながらその攻撃をかわし続けた。
「これこれ。そのように奥へ奥へと下がっておってはこのアジトから外へ出るなど夢のまた夢じゃ。しっかりいたせ、剣の達人よ」
勝ち誇ったようなタレナガースの言葉を無視して、ツルギは先刻からある感覚に意識を集中させていた。
瘴気が微かに動いているのだ。
たちこめる濃密な悪臭と瘴気はほんの微かだが流れている。しかも出口へではなく更に濃い闇の深奥へ向かっている。
それはつまりこの洞穴の奥に、外界と接している部分があるに違いないということだ。ツルギはその可能性に賭けていた。
ツルギは愛刀の刀身を口元に寄せて何かをつぶやきはじめた。
呪文だ。
聞き取れぬほど小さな声で口早に呪を唱える。
唱えられた呪文はツルギの口から出た途端小さな文字と化して刀身の中へ次々に吸い込まれてゆくではないか。無数の小さな文字が踊るようにツルギの口元から現れては刀の中へと消えてゆく。
ツルギが呪文の詠唱を終えたとき、彼の愛刀は赤く発光していた。まるで危険な何らかのチカラが刀の中に充ちているかのようだ。
ツルギはその刀の切先をアジトの奥の闇に向けると「許せ」と静かに語りかけてツィと軽く柄を押した。
するといかなる法則によるものか、その刀はまるで車掌の発車の合図を受けた列車のように音もなく空中を滑って暗闇の奥へと姿を消した。
それを見ていたタレナガースとクイーンは、ツルギが得物を捨てたと思って笑い出した。
「ひょひょ。ツルギが剣を捨てたぞよ。やけくそになりよったか?」
「気の毒なことじゃ。ほれオオクサビ、可哀想なツルギに早よう引導を渡してやれ」
だがその時、タレナガースもヨーゴス・クイーンも知らなかった。音もなく飛び去ったツルギの刀が、アジトの洞穴の一点、わずかに外界と通ずる人の小指すらも通らぬ細い穴に狙い違わずサクッと突き刺さったことを。それはまるでチーズにフォークを突き刺したような滑らかな動きだった。
ぐおおおおお!
オオクサビがいきり立ってツルギに襲いかかった。
大股でツルギに向かってくる。縫いつけられたオオカミの頭でも、剣を持たぬツルギなどとるに足らぬと判断できたようだ。
ガキッ!ブン!
ぐるああああ!
鋭い乱杭歯が並ぶ口を大きく開けてツルギに噛みつこうとする。左右のツメを振るって真っ二つに切り裂こうとする。だがそれらのいずれもツルギの素早い動きでむなしく空を切るばかりだ。
イラついたオオクサビは周囲の岩壁を震わせて吼えた。
その時!
ズガーーーーン!!
大音響とともにアジト全体が大きく揺れた。アジトの奥で何かが爆発したようだ。ガラガラと大量の石が崩れ落ちる音が皆の耳に届いた。
ことここに至って初めてタレナガースたちはツルギがなにか仕掛けをしたことに気がついた。
「むむっ、何事じゃ?」
「ツルギ、貴様何をした!?」
爆発によってアジトの奥に大きな穴が穿たれたようだ。洞穴内を静かに漂っていた重さを感じるほどの濃い瘴気が、激流のように一斉にアジトの外へと吸い出された。
ヒョウウウ!
鋭い音を立てながらアジトの外へと流れ出すどす黒い瘴気の突風に乗って、ツルギはモンスターたちと対峙した姿勢のままでアジトの奥へと飛び去った。まるで風を受けて飛ぶ凧のごとくだ。
「ややっ!ツルギめが逃げる!」
「ま、待ちやっ!」
タレナガースたちも後を追おうと慌てたが、オオクサビの巨体が邪魔をして思うように進めない。
「何をしておる、オオクサビ。ツルギを追うのじゃ。純血種の体を奪い返すのじゃ!」
ぎょおおおおええええ!
ツルギは眉山の急斜面を滑り落ちるように下った。肩に担いだ狗一郎は今も両手両足をだらりとさせたままだ。それだけにその全体重はずしりとツルギにのしかかっていた。黒衣は破れ、砂埃で白く汚れている。精悍な超武人の見る影もない消耗ぶりだ。
ズシーーーン!
大地を揺るがせてツルギの眼前に天から巨大な塊が降ってきた。
キメラモンスター、オオクサビだ。その両肩には首領タレナガースと大幹部ヨーゴス・クイーンを乗せている。
口々にツルギを倒せ!狗一郎を取り戻せ!とわめいている。
どうやら是が非でもツルギをここで倒して狗一郎を奪い返したいようだ。
だが、きっともうすぐやって来る。
―――そうだ。もうすぐやって来るぞ、渦の戦士たちが。
ツルギはニヤリと嗤うとよろよろと立ち上がり格闘の構えをとった。剣は無くとも神業の如き足さばきから繰り出す体術はやはり超人のレベルだ。
「そんなに私の肩の荷が欲しいのか?ならばくれてやるさ、ホレ」
ツルギが肩に担いだ狗一郎を脇の草むらへドサリと放り投げた!?
それを見たタレナガースがオオクサビの肩から慌てて飛び降り、狗一郎の傍らへ駈け寄った。
「ふぇっふぇっふぇ、確かに貰ったぞ、純血の。。。あやや?」
突然素っ頓狂な声をあげた。何事かと背後から近寄って覗き込んだヨーゴス・クイーンも「おりょりょ!?」と奇妙な声を上げた。
それもそのはず、ツルギが放り投げた狗一郎は、いや狗一郎と皆が思い込んでいたものはただの太い丸太ん棒であった。
「き、貴様!おのれ騙しおったな」
「正義の味方の分際で、汚いまねを!」
真っ赤な顔で怒るヨーゴス軍団のふたりを、ツルギの金色の目が冷ややかに見下ろしている。
「ふたつ教えてやろう。ひとつ、欲の皮が突っ張りすぎると丸太ん棒もお宝に見えてしまうものだ。ふたつ、私は正義の味方などという存在ではない」
「やかましい!オオカミ人間をどこへやった!?言え!言わぬか!!!」
カタブツのツルギに騙されたのがよほど悔しかったのか、タレナガースは地団駄を踏んでいる。
ツルギはフンと鼻で笑った。彼は山の戦士だ。山においてはその能力を遺憾なく発揮できる。人や物を木や岩などにカモフラージュする能力もそのひとつだ。
彼は逃走する途中で狗一郎の体を山中のどこかに隠してきたのだった。
ギリギリ!
タレナガースのシャレコウベから悔しげな歯軋りの音が流れた。
「まぁよい。ツルギめを倒した後でゆっくりと探せばよいのじゃ。さぁオオクサビよ、やれっ!」
ぐぉおおおおおお!
第2ラウンドのゴングは麓にまで届いたモンスターの咆哮だ。
アジトで受けたツルギのダメージは回復していないが、先ほどと違うのは肩に余計な荷を担いでいないことと縦横に動き回れる広さがあること。つまりツルギは本来の戦い方を取り戻していたのだ。
ズドン!ブゥン!ガキィン!
頭上から振り下ろされたパンチが空を裂いて地面に食い込む。
丸太のような回し蹴りが屈んだツルギの頭頂部をかすめて飛ぶ。
鋭いキバがスウェイしてかわすツルギの眼前でガチガチと噛み合わされる。
ツルギにとって戦いが長引くのは辛かったが、直線的に真っ直ぐ前へ前へ圧してくるオオクサビの攻撃は単調なので助かった。
オオカミのキバ!サルのパンチとキック!マムシの毒!クマのショルダータックル!これらが交互に正面から繰り出される。ツルギはそれらを難なくかわしては攻撃に転じた。
頑丈なモンスターのボディに深刻なダメージを与えるにはかなりの手数を叩き込まねばならないが、同じところをピンポイントで正確に狙うツルギの攻撃は少しずつだか確実に効果をあげ始めた。
オオカミ頭の側頭部へ拳を打ち込む!
ツルギは攻撃のターゲットをオオクサビのこめかみに集中させていた。死体をつなぎ合わせたモンスターではあっても視覚や聴覚は機能している。つまりはこいつの脳は生前と同じ役割を果たしているということだ。脳にダメージを与えればこの絶対的不利の状況を打破できるかもしれぬ。
グァシュッ!
ふらつき始めたオオクサビの側頭部にツルギの容赦ない膝蹴りがヒットした。
モンスターの巨体がグラリと揺らいだ。
「む、いかん」
タレナガースが助っ人に入ろうと身構えた瞬間、隣にいたヨーゴス・クイーンが「わらわが行く」と言うやツルギめがけて走った。
―――早っ!
タレナガースが驚くのと同時に紫の鬼女と化したヨーゴス・クイーンはまんまとツルギの背後を取った。
「ナニッ!?」
真後ろを取られるなどツルギにとっては初めてのことだった。
「ひざかっくん!」
クイーンの両膝がツルギの膝の裏をコツンと叩いた。
「!」
きれいに決まった。
バランスを失ってよろよろと2歩3歩前へ出たツルギの体をオオクサビのサルのツメが容赦なく袈裟懸けに引き裂いた。
ぐう。。。うう。。。
声も上げられず天を見上げて立ち尽くすツルギの顔面をガシッと鷲づかみにしたオオクサビは片手でその体を地上から持ち上げた。
深手を負ったツルギにはもう敵の腕を振り払う余力もない。抵抗を止めた獲物めがけて、モンスターの背後から音も無く伸びた双頭のマムシが大きく口を開けて迫った。
シャーーー!
ザッ。
ふたつの影がじっと立ち尽くしている。しばらく足元を眺めていたが、やがてふたりは視線を交わした。
「ここか?」
「ええ。ここだわ」
渦戦士エディーとエリスだ。
ここはついさきほどツルギとヨーゴス軍団のキメラモンスターが戦った場所なのだ。
風に乗せて届けられたツルギからの不思議な声に導かれるままふたりは眉山中腹までやって来た。だが眉山の麓まで来たときからその声はぷっつり途絶えてしまった。
あとは気配を辿りつつここまで来た。そしてふたりは確信したのだ。ここでツルギに何か重大なことが起こったと。
「まさかツルギは。。。」
あのツルギが易々とやられてしまうとは思えない。しかしこの感覚はただごとではない。
その時、地面から金色の粒子がさわさわと湧き上がってきた。
その粒子はゆるやかな渦を巻きながら人の背丈ほどに上昇すると、ひとつの顔を浮かび上がらせた。
「ツルギ!」
そう、それは紛れも無くツルギの顔だ。エディーが、何があったのか尋ねてもツルギは何も語らない。ただそこよりも少し上の斜面を見上げて何か言いたげな表情を浮かべてそのまま粒子ごとまた大地に吸い込まれる様に消えてしまった。
「あ、待ってツルギ」
エリスの声もむなしく、そこにはただ静寂だけが残された。
「エリス、俺たちはまた間に合わなかったのか?」
エディーが搾り出すようにつぶやいた。
「いいえ、私達にはまだやるべきことが残っている。恐らくツルギは狗一郎君をこの山のどこかに隠したのよ。彼を見つけて保護しなければ」
「ああ。ツルギから託された使命だな」
ふたりはツルギが見上げたあたりを目指して潅木の中を歩き始めた。
そしてふたりは茂みの中に大きな岩を見つけて立ち止まった。たたみ一畳ほどの白い岩だ。
根拠は無いが、これだ。
エディーとエリスは互いを見交わして頷いた。
エリスがかがんでそっと岩の表面に触れた。
その途端、大きな岩は音も無く姿を消し、土の上に横たわる狗一郎が現れた。
「狗一郎君!」
エディーが肩を揺さぶったが反応が無い。エリスが狗一郎のようすをつぶさに観察して言った。
「唇が青いわ。毒の影響ね」
エリスはパウチから無針注射器を取り出すと狗一郎の太ももに薬液を注入した。
―――う、ううう。。。
即効性のあるエリスの解毒剤が効いたのか、狗一郎の唇が微かに動いた。青白い頬に少しずつ赤みが差してくる。
「気がついた?狗一郎君。大丈夫?」
「。。。あ、エディー。エリスも。助けに来てくれたんだね、有難う」
「立てるかい?山を降りよう」
ふたりの渦戦士に左右から支えられてよろよろと狗一郎は立ち上がった。
「ところで、ツルギはどうしてるのかな?意識がぼやけてはっきりしないんだけど、ツルギが暗い洞穴からボクを連れ出してくれたような気がするんだ。お礼を言わなきゃ」
狗一郎の言葉を聞きながらも、左右の渦戦士たちはただ黙って歩き続けている。
ふたりともなんだか機嫌が悪そうだ。。。狗一郎もそれ以降話すのをやめた。3人はただ黙って山を降りていった。
(六)反撃せよ!
翌日、モンスターの体当たりを食らって昏睡状態であった警官の意識が戻った。まだ多くは語れないが、モンスターの容姿などについて供述したらしい。
被害は大きかったが幸い死者は出さずに済んだ。エディーたちは胸をなでおろした。
「だけどツルギは。。。もう。。。」
狗一郎はエリスの運んだコーヒーに手もつけず、ソファの上で膝に顔を埋めたまま動かない。くぐもった声が震えている。
一度は自分を亡き者にしようとしたツルギだったが、狗一郎は彼の本質をよく知っている。真っ直ぐな男だった。愚直なまでに。。。
そのツルギが自分を助ける為に命を落とした。命を賭して自分を救ってくれた。
―――やっぱり山を降りるんじゃなかった。
町は魔地なり。
ツルギの言葉を何度も思い返しては後悔の念に駆られる狗一郎だった。
「気持ちはわかる。だけどそこで泣いていたってツルギは戻ってきやしない」
「そうよ。近々ヨーゴス軍団は万全の態勢で襲ってくるわ。その時あなたは何ができるの?そのオオカミの能力を今こそこの町のために使うのよ!」
<ヨーゴス軍団が現れました!場所はエリアA−33。エリア内の警官隊はただちにポイント33へ急行せよ!>
―――来た!
渦戦士エディーとエリスは警察からの連絡を受けてマシン・ヴォルティカに飛び乗った。
むこうもこちらも満を持しての出撃だ。
だが、マシン・ヴォルティカは動かない。ギアはニュートラルのままだ。
そしておよそ3分後。。。
「わかったぞ!敵は西の方にいる。この風でこの臭いの強さなら、だいたい20kmってとこかな?」
マンションのベランダで風に意識を集中させていた狗一郎が階下のふたりに叫んだ。
「オッケー、グッジョブだ狗一郎君」
「おかげで今度はヨーゴス軍団を逃がさないで済むわ。後は私達に任せて。今度こそキミはここにいるのよ」
カチン。軽快な音と共にギアが入り、アイドリング状態だったマシン・ヴォルティカは猛然と駆け出した。
ぐるおおおおああああ!
鼓膜を一直線に突き破りそうな咆哮とともに、火だるまの軽自動車がビルの1階店舗に突き刺さった。
ズガーーン!
ボン!
破壊と炸裂と悲鳴。
県西部の町を急襲したキメラモンスター・オオクサビは思う存分己がパワーを見せびらかしていた。
片手で電柱をへし折って投げる。
軽トラックを蹴り飛ばす。
路線バスを持ち上げて民家に投げつける。
町は火炎地獄だ。肌を焼くような高熱と油の臭いがあたりに充満している。
「ふぇ〜っふぇっふぇっふぇ!絶好調じゃ!」
オオクサビが暴れまわるようすを近くのビルの屋上から見下ろしているタレナガースとヨーゴス・クイーンは大喜びである。
「わらわと同じくあの純血小僧のエキスを注射したゆえに、あのように強い強い。もはやエディーであれ誰であれ敵うはずもあるまい。愉快じゃ!」
もともとはタレナガースが秘伝の呪力によってツキノワグマの体にオオカミの頭部とサルの腕と足、シッポとしてマムシをくっつけた合成怪物であった。
同種の妖怪は平安の昔、鵺と呼ばれて恐れられた。だがその後、鵺の遺伝子を継ぐ山育ちの青年狗一郎の血を体内に取り込み、さらなる異質なモンスターへと進化。。。いや悪化していた。
巨体はひとまわり巨大化し、体のあちこちに本来の動物には無い特徴が付加されていた。オオカミの眉間にサイのようなツノ。背には2列に並ぶ恐竜の如き背びれ。そして肩から胸にかけてはびっしりとサメの歯が。
いびつな怪物である。
「そぉれオオクサビよ、そのまま徳島中の町という町を炎の海に沈めてやれぃ」
ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ!
ひょっひょっひょっひょっひょ!
ふたりで阿波踊りを踊り始めた。なかなかうまいじゃないか。。。その時!
「。。。こで会ったがぁ。。。」
頭上を吹く風に煽られて何か聞こえたような気がした。
―――ん?空耳かえ??
「百年目だあああああああああああ!」
ヒュゥン!
バァン!
ガシイイン!
天空から一条の赤い光が飛来して屋上のふたりを盛大に跳ね飛ばし、そのまま真っ直ぐ地上のオオクサビに命中して、その巨体をも横倒しにしてみせた。
どしええええ!
ぎゅりゅりゅりゅ。
屋上から跳ね飛ばされたふたりは十数メートル下のアスファルトに叩きつけられて呻いた。
「いたたたた。。。なんじゃ今のは?」
「ううう。。。余の顔が欠けてしもうた」
よろよろと立ち上がったタレナガースの不気味なシャレコウベの顔に一層の凄みを醸し出していた右側の大きなキバが中ほどからポッキリと折れてしまっている。
あたりはもうもうと土煙が舞っていて遠目が効かぬ。天空から飛来したものの正体を確かめんとふたりは目を凝らせた。
「てて、天罰でもくだったのかや?」
「うろたえるでないクィーン。そのようなものは無い。たとえあっても、このタレナガース様が天へ叩き返してくれる!」
タレナガースが吼えたが、片キバではいまひとつさまにならない。
目を凝らせば、瓦礫と炎と土煙の中に誰かいる。モンスターのいる絶対的な死地の只中に立っている。
「誰ぞ!?」
タレナガースの瞳の無い目に赤い炎が宿る。
「夜の町で通行人を襲い。。。」
砂塵の中から声がした。
「繁華街をめちゃめちゃにし、さらに山からやって来た純朴な青年をさらって貴様の悪質な実験に利用した」
「その声、聞き覚えがあるぞよ。胸くその悪いあの声じゃ」
「そして剣山を守護するツルギまでも手にかけた」
「タレ様、こやつは!?」
叫ぶヨーゴス・クイーンを庇うように前へ出た首領タレナガースは全身から怒りの瘴気を放出した。
「そうじゃ、こやつは、憎き渦戦士エディー!」
そう。土煙の幕の向こうからゆっくりと姿を現したのは我らの渦戦士であった。しかも最強の赤を纏ったアルティメット・クロスだ。
渦のパワーとヨーゴス軍団の活性毒素が交じり合って生まれた赤いエディー・コアを持つ彼の最強形態。胸のエディー・コアを守るべく金色のエックスアーマが輝いている。
今回の事件では、エディーはここまで敵モンスターと遭遇することさえ叶わなかった。町を守るヒーローにとって悪さを重ねる敵を捕捉できないことほど腹立たしいことはない。
「ふん、いかに赤いエディーであろうと今回のキメラモンスター・オオクサビには敵わぬわい。ほぉれ、後ろががら空きじゃぞ」
アルティメット・クロスの背後にとてつもなく大きな影がゆらりと現れた。
タレナガースとヨーゴス・クイーンがにやぁりと笑った。その瞬間!
咆哮するモンスターがアルティメット・クロスの頭上へ拳を振り下ろした。
ドッガーーーン!
しかしどデカイ拳の軌道上に、既にアルティメット・クロスの姿はなかった。
大きなサルの拳はそのまま路面に突き刺さり、アスファルトの破片を盛大に撒き散らしたが、肝心のアルティメット・クロスはオオクサビの頭上にいた。
おりゃーーー!
ズゴン!
ジャンプしたアルティメット・クロスの打ち下ろすパンチがオオクサビのこめかみにヒットし、キメラモンスターは側頭部を地面にめり込ませた。
そこを間髪いれずアルティメット・クロスのキックが襲う。サッカー選手のような全力キックでダンプカーほどもあるモンスターは数メートルも吹っ飛んだ。
ぐえええ。。。
爆発的な破壊力のパンチとキックたった2発でオオクサビは大地に沈んだ。舌をダラリと伸ばし白目をむいている。オオクサビとアルティメット・クロスの大きさはまるで大人と小学生だが、戦いにおいてはエディー・アルティメット・クロスの破壊力がまさっている。
ところが「パリリ!」とオオクサビの全身を火花が走ると、黒いオーラがゆらり立ち昇り、モンスターは再び唸り声と共に立ち上がった。
「むっ。活性毒素の再生能力か。ならば」
アルティメット・クロスは渦エナジーを両手の中に集めて青く光を放つ両刃の剣を練成させた。
「エディー・ソードで斬る!」
足の裏に火薬でも仕込まれているかのようなロケットジャンプで猛然とオオクサビに立ち向かうアルティメット・クロスは上段からエディー・ソードを振り下ろした。そのスピードも切れ味も通常モードのエディーより数段凄まじい。
ザシュッ!
硬い剛毛に覆われた巨熊の肩口から胸にかけて一文字に斬り裂かれた。
ぐええええ!
耳を覆いたくなるような苦鳴とともに傷口がぱっくりと開いた。。。かに見えたが、なんと開いた傷口がみるみるもとに戻ってゆくではないか!?
切り離された肉の中から奇妙な触手状のモノが伸びてたがいに繫がりあい、引き合ってまるで縫合したかのように元通りにくっついたのだ。これも狗一郎の血のなせる業であった。本来の活性毒素による再生能力に、オオカミ人間の持つ生命力が加わってとんでもない治癒能力を身につけてしまった。
「なんだこいつ、無茶苦茶な再生能力だな」
さすがのアルティメット・クロスも舌を巻いた。
「ならこいつはどうだ?」
アルティメット・クロスは再び大地を蹴るとエディー・ソードを構えたまま高速で自転しながら、まるで大きな電動丸ノコと化してオオクサビの首をはねた。
しかし神業の斬撃によって宙に舞ったオオカミの頭部は、やはり双方の傷口からビュビュッと伸びた触手によって再び繫がれ、引き戻されて元の位置に戻った。
ごるあああああ!
―――さっきよりも太くていい声で啼きやがる。
驚くアルティメット・クロスの左足をオオクサビの右腕が掴んだ。
「しまった!」
ぶぅん!
オオクサビはアルティメット・クロスの体を力任せに頭上で振り回すとそのまま建物の外壁へ放り投げた。
グヮシャア!
アルティメット・クロスの体がコンクリートにめり込んで周囲に蜘蛛の巣状のひび割れが走った。
―――ぐっ、今のはさすがに効いたぜ。。。
打撃による衝撃も斬撃も見る間に修復してしまう。相変わらずうんざりするほど厄介な体質だ。
―――斬った後傷口から伸びてくるあの触手をもう一度斬るしかない。やつは合成モンスターだから、とにかく斬り離してしまえば何とかなるんじゃないか?
だがいくら神速の斬撃を誇るエディー・アルティメット・クロスでも同じところをほぼ同時に二度も斬るのは至難の業だ。敵も野生のすばしっこさを武器にしている以上、同じ場所に足を止めて戦うことは命取りになりかねない。また捕まれば振り回されてあちこち叩きつけられるのがオチだ。
「さて、どうしたものか?」
アルティメット・クロスは思案した。
その時、バトルフィールドに突如新たな気配が現れた。
―――!
それもただ者の気配ではない、こいつは!?
「ナニ!?なぜじゃ?」
戦況を見つめていたタレナガースがキバをむいた。
「やっぱり生きていたのか!」
タレナガースたちとは対照的に、アルティメット・クロスの声が弾んだ。
「ツルギ!!!」
火災によって巻き起こされた突風に乗って、ひとりの男が天空からゆっくりと舞い降りてくる。黒衣を纏ったその男こそ、超武人ツルギであった。
あの日、狗一郎を守って単身ヨーゴス軍団と戦ったツルギは命にかかわる深手を負った。
体の組織を維持することも出来ず、やがてツルギの肉体は眉山の斜面を下る風と共に散った。
―――ここまでか。。。我ながらよく戦った。よその山中で果てることになるとは、我が神には顔向けできぬ。だが、エディーたちが狗一郎を保護してくれさえすれば思い残すことは無い。
肉体を離れたツルギの魂は遠く剣山の方に頭を垂れると空へと旅立とうとした。
「待たれよ、黒の武人」
突然背後からかけられた声にツルギは空中で立ち止まった。少ししゃがれた声だがどこか心を穏やかにさせてくれる響きを持った声であった。しかし姿は見えない。
「何か?」
ツルギが応えた。肉体を持たぬゆえにそれは心の声として発せられた。
「逝かれるのか?」
「ご覧のとおり、お恥ずかしい有り様ゆえ」
長い間山の神に仕えてきたツルギは察した。この声の主は、姿こそ見えぬが眉山の精霊であると。
山こそ違えど、礼は尽くさねばならぬ。ツルギは再び地に降りて跪いた。
その瞬間、眉山の大地からおびただしいエナジーが沸きあがってツルギの魂を満たしていった。やがて魂から溢れ出した大地のエナジーは彼の肉体をも形成し始めたではないか。
「こ、これは!?」
驚くツルギに、眉山の精は静かに語りかけた。
「私の地脈の痛いところに穴を掘られ、あまつさえ厄介な毒を流し込まれて難儀をしておったのじゃ。それを貴殿が抜き取ってくれた。おかげで楽になった。有り難いことである。このまま貴殿を逝かせては霊山殿に顔向けが出来ぬ」
数分後、そこには傷ひとつ無い立派な黒衣の武人が立っていた。
「霊山殿の宝剣ほどではないが、よければこれを使ってくれ」
ツルギの眼前にひと振りの太刀が現れた。
何の飾りも無いシンプルな拵えだが、両手でいただいたツルギはそれが神刀であることを直感した。
ツルギは太刀の緒を腰に結んで吊るすと眉山の精霊に短く礼を述べ、今度こそ風に乗って姿を消した。
ツルギは左腰に吊った太刀をスラリと抜いた。
なんと鮮やかな赤い刀身だ。
ツルギはその赤い太刀を無造作に肩に担いだ。
「手を貸そうか?」
静かに語るツルギにアルティメット・クロスが歩み寄った。
「是非お願いするよ」
過去にも何度か肩を並べて闘ったことのあるふたりは互いの技量をよく知っている。青い光を放つエディー・ソードのアルティメット・クロス。眉山の精霊から授かった赤い太刀のツルギ。さあ最強タッグの結成だ。
ぐるあああ!
片やモンスターにとってはそんなことはどうでもよかった。全身を震わせて猛り立った。なぁに倒す相手がひとり増えただけのこと。それに後からやって来た黒いヤツは知っている。大したことはなかった。
耳まで裂けた口から真っ赤な舌を垂らし、目をひん剥いて遮二無二襲いかかった。
「こ、これオオクサビや。気をつけるのじゃ。今のこやつは以前のこやつとは。。。聞け!」
タレナガースの注意ももはや耳には届いていない。
傍らの電信柱をへし折ると電線をひきずったままブンブンと振り回して二人に迫った。
少しでもかすれば骨を粉砕されそうな勢いの長い凶器をアルティメット・クロスは宙へ跳び、ツルギは身を伏せてかわした。
アルティメット・クロスは空中でエディー・ソードを振り三日月型の光弾タイダル・ストームを放った。
ぐああああああ!
不意をつかれたオオクサビは正義の破壊光弾を右目に受けて悶絶した。
「今だ!」
ツルギの合図でエディーがモンスターの頭上からエディー・ソードを振るった。3度目の斬撃はオオクサビの太い左腕を肩口からばっさりと切り落とした。
ビュルビュルビュル
途端に謎の触手が宿主の体を守らんと伸びて肩と腕を再び繋ごうとする。そこへツルギの二撃目が来た!
ズバッッッ!
ボッ。
なんと赤い太刀に斬られた触手の切り口から小さな炎があがり、互いに結びつくことが出来なくなった。
切り裂いた傷口から発火させる。悪しきものを焼き尽くす浄化の炎こそこの剣の能力なのだろう。
電信柱ほどもある太いサルの左腕が地面にボトリと落ちた。傷口の触手が燃えながらビチビチとはねまわり、やがて動かなくなった。
すると、その太い腕は見る見る収縮してゆき、何の変哲も無い小さなニホンザルの左腕に変わった。
「このサルも、もとは山の民であったものを。哀れな。。。」
「死者の魂を弄ぶ悪辣な行いを許すわけにはゆかない」
アルティメット・クロスとツルギはその小さな腕を見下ろして悲しげに呟いた。やがてその左腕も、ようやく時の流れを取り戻したかのように朽ちてミイラのように枯れ、風に手を取られるかのように消え去った。
―――さぁ、一気にモンスターを葬ろう。すべての動物達の魂を救うためにも。
ごるああああ!
腕を失ったというよりは、一方的に攻撃されることへの怒りでオオクサビは全身を震わせた。戦いと破壊の衝動はもはや痛みをも超越し、オオカミの目は血の涙を流している。
傍らで横転している乗用車を残った右手で引っつかんで投げつける。ジャンプして避けるツルギを追ってオオクサビもジャンプした。巨体に似合わぬ素早さだ。
がああ!と鋭いキバでツルギのボディを噛み裂こうと伸ばしたその首を、今度はアルティメット・クロスが真下から斬りあげた!
ジャッ!
ズバッ!
およそ人の日常にあるあらゆる刃物では易々と傷ひとつもつけられそうにない強い剛毛と堅い筋肉と規格外に太い骨格を、アルティメット・クロスの渦パワーの剣は一気に斬りおとした。その直後に今度はその同じ場所をツルギの赤い太刀が逆方向から斬り下げる。
またも傷口から伸びる無数の触手はツルギの斬撃によってあえなく炎に包まれて沈黙した。
ガチガチと空を噛み続けるオオカミの頭部は白目を向いてドサリと地に落ちて、傷口を斜め上に見せてゴロリと転がった。
「うええ。こ、これはいかん。まさかあの触手をも断ち切るとは。もともとが死体の寄せ集めであったキメラ・モンスターの体は、繫がりを絶たれてしまえば思いほのか脆いゆえのう」
タレナガースは既に及び腰になっている。首領のそんなありさまを見たヨーゴス・クイーンに至ってはもはや地に足がついていない。
さすがに頭部を失ったオオクサビの体は糸を切られた操り人形のごとく大地にペタリと倒れ、それぞれもとのツキノワグマ、サル、ヘビに戻り、朽ちて風の中に消えた。
「やられた。。。」
「うむ」
「逃げるとするかのう」
「それがよい」
絶対の信頼を置いていたモンスターがエディーの最上モード、アルティメット・クロスと死んだはずの超武人ツルギの最強タッグによって打ち倒されてしまった。流れは忌々しい正義の味方サイドにある。三十六計逃げるに如かずだ。
それっと駆け出そうとしたタレナガースの眼前にぬぅっと赤い太刀が突き出された。
「どこへ行くのだ、タレナガース」
「ひっ。ツ、ツルギ」
「お達者そうで何よりじゃ。。。」
ツルギの全身からはあからさまに殺気が吹き出している。ヤバイ雰囲気だ。
「いろいろと貴様には責任を取ってもらわねばならぬ」
「やなこったい!」
クルリと反転して逃げ出そうとした両幹部の足がまたも止まった。
「だから、どこへ行くんだよタレナガース」
背後には青いエディー・ソードを携えたアルティメット・クロスが待ち構えていた。
「お。。。おうち帰る。。。」
クイーンが小首をかしげて可愛く言ってみても効果は無い。
その時、ようやく住民の避難を終えて合流してきたエリスが叫んだ。
「ねぇエディー、あのオオカミの頭だけなんで消えずに残ってるの!?」
―――はっ!
他の部位はすべて朽ちて消えたのに、確かに狼の頭だけは横倒しになったそのままの状態でそこにある。
その時、ズババッと狼の頭を貫いて内部から何かがたくさん飛び出した。
「ナニ!?」
「きゃああ、気持悪い〜」
アルティメット・クロスとツルギが素早く剣を構え、エリスは後ろも見ないで逃げ出した。
「ダメ!あたしクモきら〜い!」
そうだ。オオカミの頭部から飛び出したのは8本の黒い足、クモの足だ。
「ふぇっふぇっふぇ。今頃気づいたか。あれこそは余の隠しダマじゃ。あやつはこのまま何の意思も持たずただ走り回り、30秒後に大爆発するのじゃ。ご両人、余に構っておってよいのかな?」
タレナガースはキメラモンスターのオオカミの頭部にクモを仕込んでいたのだった。オオカミの脳が停止すると同時にクモが活動を始める仕組みか。どこまでも油断のならぬ悪党だ。
斜めに傾いたオオカミの頭がシャカシャカシャカとビルの壁面を走る。エリスならずとも夢に出てきそうなふざけた光景だ。
「いかん、追って仕留めなきゃ!」
アルティメット・クロスとツルギはタレナガース達をほったらかしてオオカミクモめざして走った。
そのうしろ姿を見送って、タレナガースはほくそ笑んだ。
「ふっ。剣呑剣呑。頭の中にクモを仕込んでおいて正解じゃったわ」
「タレ様、どれくらい大きな爆発なのじゃ?」
「うん?まぁ。。。のう」
クイーンの問いをはぐらかして、タレナガースはその場を退散した。
「早いな!」
「追いつけない!」
さすが8本足だ。まるで地面すれすれを滑空するリニア・モーターカーのようではないか。
アルティメット・クロスもツルギも本気で走っているが、なかなか追いつけない。
「だめだ時間がない」
「爆発するぞ!?」
がるるるる!
その時黒い塊が斜め上から飛来してシャカシャカと走るオオカミクモに喰らいついた。
がう!
バキッ!ボリリ!
「狗一郎君!?」
それは大きなオオカミに変身した狗一郎だった。黒い体毛が艶やかに輝いている。
不気味なオオカミクモに噛みつくや、またたく間に8本の足を喰い裂き、頭部を地上へ振り落とした。
ドシャッ!
クモの足をすべて失い、再びアタマだけになったキメラオオカミが地面に転がる。その上にひらりと飛び降り、狗一郎は喉を天に向けて叫んだ。
「思い知ったか!ツルギの仇だ!」
うぉうおおおおお!
わぅおおおおおおおん!
狗一郎は啼き続けた。動物と話などできなくとも、それは悲しい声だと誰しもわかる。
山の守り人は狗一郎にとって家族にも似たかけがえのない存在だった。
ツルギは自分をヨーゴス軍団から救い出す為に単身戦って命を落とした。エディーとエリスに留守番を命じられたが、やはりあのモンスターに一矢報いねば気がすまなかったのだ。
「もういいよ、狗一郎君。モンスターは倒された。キミがやっつけたんだよ」
「あなたってば、また抜け出しちゃったのね。気持ちはわかるけど。。。」
エディーとエリスがやさしく言った。
「ごめんね、ツルギの仇がうちたくて。。。」
「無用なことだ」
「そんなこと言ったって、ツルギは俺たち山の民にとってかけがえのない人だったんだ」
「お前を殺そうとしたのだぞ」
「理由があったからさ。誤解された俺にも責任はある。。。し。。。って、え?」
狗一郎は自分が誰と話しているのか、ようやく気がついた。
「ひえええ!化けて出たのかよ!?ツルギ!」
驚きのあまりなかば人間に戻っている。エリスが慌てて狗一郎の洋服を探しに行った。
「まぁ、そうなりかけたのだが、生憎こちらに呼び戻されてな」
ツルギは今までのいきさつを手短に話して聞かせた。彼が本当に蘇ったのだと理解した狗一郎は安心しきったのか、すっかり人間の姿に戻り、ペタンと地面に座り込んだ。
その時、タレナガースの毒のしがらみから解放されたキメラオオカミの頭がようやく元の姿に戻り、サラサラと砂時計の砂のごとくその形を失って消えた。
ヨーゴス軍団が造ったキメラ・モンスターはこうして葬られたのだ。
「すべて大地に還ったか」
ツルギが静かに言った。
「辛いさだめをようやく断ち切れたというわけだ」
こうなってしまえばタレナガースの野望に利用されたキメラ・モンスターも哀れに思えてくる。
さきほどまでタレナガースとヨーゴス・クイーンがいたあたりを振り返ったツルギは悔しげに呟いた。
「しかし、またもまんまと騙されたな」
「爆発のことかい?クモ爆弾はどうやら自分達の逃走時間を稼ぐための、ただのびっくり箱だったみたいだね。まぁでも、ただのはったりで良かったじゃないか」
「ただのはったりではないか!」
ヨーゴス・クイーンはタレナガースに食ってかかった。
「爆発が今か今かと楽しみにしておったに、いっこうに火の手が上がらぬ」
「そうじゃよ。そのはったりのおかげで我らはまんまと逃げおおせたのではないか。良かったであろう」
負けて逃げてきたのに、タレナガースのなにやら嬉しそうなもの言いがクイーンは無性に腹立たしかった。
「とにかくわらわは気に食わぬ!」
怒りが体色の紫を一層鮮やかに光らせるや、クイーンは腰にさしてあった長キセルでタレナガースの顔をひっぱたいた。
グァン!
バキッ!
ひいいい!
狗一郎の血を取り込んでパワーアップした一撃は、タレナガースの残っている方のキバを見事に粉砕した。
「にゃ、にゃにをしゅるのじゃ。しょ、しょのようにゃこひょにパファーを使ってふぁにゃらにゅ」
歯抜けのじいさんのような情けない声で許しを請うタレナガースを紫の鬼女ヨーゴス・クイーンはどこまでも追いかけていった。
(七)終章
「元気でね、狗一郎君」
差し出されたエリスの手を握って狗一郎は「うん」と元気に頷いた。
「いろいろあったけど、本当にいい勉強になったよ」
「町はどうだった?」
「ツルギが言ったように町は魔の地でもあったけど、エディーとエリスにも会えた。君たちが命がけで守ろうとするこの町はやっぱりいい所なんだと思うよ」
「またいらっしゃいよ」
「うん、でもツルギがなんて言うかなぁ?」
狗一郎は傍らに立つ武人を見上げた。エディーもエリスも見た。
「。。。また来ればよい」
6つの視線に耐えかねたのか、ツルギはボソリと言った。
「ホントか!?どうしたんだよツルギ、急に物わかりがよくなったじゃないか」
今にも抱きつきそうな狗一郎から体をよけつつ、ツルギはコホンとせきばらいをした。
「フフ、こう見えてもツルギってば反省してるのよね。ちゃんと狗一郎君に謝ったの?」
狗一郎は驚いた。御山の住人の誰一人としてツルギに「謝れ」などと言える者はいない。それをまぁエリスときたら。。。
―――やっぱエリスすげー。
「さ、帰るぞ」
ツルギに促されて狗一郎はうんと頷いた。
ツルギはエディーたちを振り返ると
「今回は世話になった」
と言い残して笑顔で手を振る狗一郎ともども風に姿を消した。
30分後、変身を解除したヒロとドクはいつもの喫茶店に向かっていた。
ヒーローショーで着るおそろいのツナギに着替えたふたりは往来に出た。
「ところでさぁヒロ。。。」
「なんだいドク。。。」
ふたりはバッと互いの顔を突き出した。
ぐわ!
しゃかしゃかしゃか!
片やドクの口には例の狼男のキバが。一方のヒロの顔の真ん中にはゴム製のタランチュラがくっついていた。
3秒ほど互いの顔をじっと見合っていたふたりは「チッ」と舌打ちすると
「バカじゃないの?」
「いつまで持ってるんだよそんなモン」
「そんなオモチャいつ買い込んだのよ、このヒマ人」
「うるさいな、一回使ってダメだったモノをまた使うってどうなんですかね」
やれやれ、言い合いは喫茶店に着くまで続くのだろうか。
ま、とにもかくにも彼らはまた平和を取り戻したのだ。よしとしようじゃないか。
徳島をヨーゴス軍団の魔の手から守る渦のヒーローたち。道行く人々の誰も、そのジャージ姿の若者がその人であることを知らない。
ただ、そこを吹き渡る風だけがふたりの髪をやさしくなでていった。その胸に宿る正義の心を祝福するように。
(完)