渦戦士エディー

魂切丸

(序)不可解な被害者たち

立入り禁止の黄色いテープが張り巡らされた一帯では制服を着た警官や鑑識員たちがせわしなく働いていた。

やじうまたちが遠巻きにそのようすを眺めている。

ピーポーピーポー。

突然サイレンが鳴り響き、おそらく事件の被害者を乗せているのであろう救急車が走り出した。

それを見送って、エディーは鑑識と一緒に現場をチェックしているエリスを呼んだ。

渦戦士エディー。徳島に仇なす邪悪な秘密組織ヨーゴス軍団に敢然と立ち向かう正義のヒーローである。

黒いゴーグルとボディスーツを銀色に輝くマスクとアーマが包む。額には菱形の青いエンブレム。胸の中央には渦のパワーを象徴するブルーのコアが煌いている。

「なにかわかったかい?」

「いいえ。。。なにも」

エディーの問いに、エリスは首を左右に振って応じた。折から吹いた風に、青く長い髪が軽やかに揺れる。銀色のマスクとアーマ、黒いゴーグルとボディースーツはエディーと同種の存在であることをうかがわせる。額の青いエンブレムと胸のコアはその証左だ。宿敵ヨーゴス軍団と戦うエディーに寄り添いつつさまざまな情報を分析してエディーにアドバイスを与えたり、ヨーゴス軍団が使う毒性物質の解毒、中和作業など科学面からの被害者救済にあたっている。互いの信頼に裏付けられたタッグはヨーゴス軍団の企みをことごとく打ち砕いてきた。

だが今回はエリスの表情が浮かない。

「被害者がいるのに何も手がかりがないなんて。。。こんなのは初めてだわ」

うむ。。。頼りの相棒の困惑がエディーにも伝わってきた。

<人が倒れています>

第一報が県警にもたらされ、ただちにパトカーが現着した。現場には3人の男性が倒れていた。意識がない。だがどこにも外傷もない。呼吸もしているし心臓も動いている。ただ意識がないのだ。

やがて他の警官たちや救急車も現場に集まり、それぞれ倒れている人たちの身体や現場周辺を徹底的に調べ始めた。だが、エリスが言ったように被害者の肉体にも現場にもなにも異常が見当たらなかった。

「そもそもこれは、事件なのでしょうか?」

若い警官が眉間に皺を寄せてつぶやいた。

 

「なんですって?これが4件目?」

思わずあげたエディーの大きな声に数名の警官がこちらを振り返った。

いけない、と首をすくめたエディーだが、驚きはおさまっていないようすである。

「私達、そのような報告は始めて伺いました」

エリスも訝しげに尋ねた。民間人ではあっても、ヨーゴス軍団が関係しているかもしれないと思われる不可解な事件は一応エディーたちにも情報が届けられる。つまりは、さきほどの警官が呟いたとおり凶悪な事件性が認められなかったということだろうか?

管轄の異なる場所で起こったいくつかの小さな事件がひとつにつながったのはつい今しがたのことだ。

被害者はいる。最初に1人。次も1人。3件目は2人。そして今度は3人。4件の被害者は合わせて7人だ。しかし全員かすり傷ひとつ負っていないし血の1滴も流れていない。辺りには争った後もなければ持ち物を盗まれた形跡もない。妙な言い方だがきわめて穏やかなのだ。そもそも被害者といっても何の、誰による被害者なのかすらわからない。

だがこうしてひとくくりの出来事として考えると、誠に不可解きわまりないひとつの連続事件として浮かび上がってくる。

「で、倒れていた人たちの容態は?」

「病院に収容された時と何も変わりません。ただ意識がないだけです。呼吸も脳波もまったく正常なのに、ただ意識がないだけ。眠っているのかとも思いましたが脳波が睡眠時のものとまったく異なるとのことです」

エディーとエリスは顔を見合わせた。

一体どういうことなのだろう?彼らに何が起こったというのだろう?

ただ、ふたりの胸に予感じみたものが湧き上がっていた。確信に似た予感だ。

「絶対また何かやらかしたんだ。タレナガースのヤツめ」

 

(一)『阿波の名刀展』

「本当にかまわないんですか?」

本田は歓声を上げた。

目の前には数えきれないほどの刀剣が並べられている。どれも白鞘に入れて刀袋に収められている。

ここは徳島県南部にある轟民俗博物館の収蔵庫だ。徳島市内にある中央歴史博物館の主任学芸員本田は、来月開かれる特別企画展「阿波の名刀展」に備えて、刀剣のコレクションで有名なこの轟民俗博物館へ刀剣の貸出依頼にやって来たのだ。

「うちも刀剣はいくつか所蔵していますが、企画展を開くとなるとどうしても力不足なのです。昨今の刀剣ブームでにわかファンも大勢いますから、貧相な展示内容だと思われたくありません。こちらのご助力をいただけて本当に助かります」

本田は、さてどれから品定めしたものかと迷ってしまった。

「館長は今出張中ですが、ここにある刀はどれでも貸し出していいよと言われています。とにかくこの町は海部刀の本場ですからね。珍しいものもありますから、ゆっくりとご覧になってください」

本田は何度も礼を言いながら刀の検分を始めた。海部刀は鎌倉時代より高知県にほど近い県南部で作られてきた刀剣で、阿波水軍などがよく使ったことで知られている。船で用いたためか、背の部分がノコギリ刃になっていたり、ひもを通す丸い穴が開けられていたりするものもある。阿波から出た戦国大名三好長慶が所持していた名物「岩切海部」はつとに有名であるが、芸術品というよりはやはり実戦向きであろう。展示会に出すに相応しい刀を見極めるのは容易な作業ではない。

宝の山から特に目を引いた五振りを選り分けたところで、本田はふと収蔵棚の奥のほうに置かれたままの細長い白木の箱に目を止めた。

―――あれも刀じゃないのか?

ここにある刀はどれでもお貸ししますと言われている。素晴らしい五振りの刀剣でじゅうぶん成果は得られたが、せっかく車を2時間以上走らせてここまで来たのだ。どれ、あの刀も拝見しようと棚から取り出した。かなり古い木箱のようだ。

灯りの下に置いて白木の箱を開けると、古い刀袋が収められている。重さからして間違いなく刀が入っているはずだ。箱書きは墨が消えかかっているが辛うじて「魂切丸」と読めた。

―――たまきりまる。。。

網児作とある。あみじ、とはまた変わった名前だ。

本田は刀袋の口を閉めてある紐に手をかけた。

途端!

どくん。

心臓が音を立てて脈打った。視界がぐらりと揺れる。

―――なんだ今のは?

一度に文化財級の名刀をたくさん見て興奮しているのだろうか?

紐をほどく手が震える。

―――見たい。早く中の刀を。。。見たい!早く!

我知らず目を見開き、口を大きく開いてはぁはぁと荒い息を吐いている。落ち着けと頭の中で自分に言い聞かせてもどうにもならぬ。呻くように本田は中の刀剣を取り出した。どういうわけか白鞘ではなく赤い塗り加工が施された鞘に収められ、雲を思わせる鍔が付けられている。

鍔の穴と鞘の栗形をつなぐように紙のこよりが通されている。刀を抜かぬようにするための結束のようだ。本田はこのこよりを躊躇せず引きちぎると刀を一気に。。。

抜いた!

びゅん!

 

「なんじゃ!?」

暗いアジトでタレナガースは飛び跳ねた。

ただならぬ気配だ。まるで矢で射られたかのような衝撃を覚えて魔群の首領は身をこわばらせた。

シャレコウベの顔面にぽっかりと開けられた瞳の無い一対の眼があたりを伺っている。

「今のはいったい?何か。。。何かが放たれたぞよ。。。この現世に」

誰にも嗅ぎつけられるはずのない堅固なアジトにあって、タレナガースは広い野原にポツンと立っているかのような無防備な不安を覚えた。そしてそのことに腹が立ってきた。

何者にも臆することのない無敵の存在であるはずの自分が、わけのわからぬ不安を覚えた。。。銀色のドレッドヘアがゆるゆると持ち上がり黒い怒りのオーラがタレナガースの体を縁取った。深い闇を湛える瞳の奥に赤い炎がぼぉと浮かび上がった。

 

本田は「はっ!」と我に返った。

気がつくとひと振りの刀を握っていた。

刀身二尺八寸。堂々とした見事な太刀だ。なにより特徴的なのは、刀身が赤味を帯びて怪しい光りを放っていることだ。

本田はゴクリとつばを飲んだ。

これを展示コレクションに加えれば間違いなく目玉のひとつになる。

「これは。。。とんでもない名刀に違いないぞ」

本田はしばらくの間、この刀身に魅入られたように陶然と眺めていたが、いそいそと鞘に収めると持ち帰る刀のリストに加えた。

 

「いよいよ明日ですね、館長」

博物館の学芸員はショーケースにずらりと並んだ名刀たちを眺めて満足げに笑った。

「そうだね。みんな、本当にご苦労だった」

白髪の館長も嬉しそうだ。

明日から開催される中央歴史博物館の特別企画展「阿波の名刀展」の準備のために、ここしばらく博物館のスタッフたちは皆、連夜の残業を率先してかってでてくれた。館長の、度の強い分厚いレンズの向こうの細い目が少し潤んでいるようにも見える。

「この徳島にもこんなに素晴らしい日本刀があるんだ。ひとりでも多くの県民達にこの美しさを見てもらいたいものだねぇ」

 

(二)現れたタレナガース

「目覚めておるのであろう、出てまいれ」

中央歴史博物館の特別展示会場最奥、展示されている魂切丸の前に立つ影がひとつ。

時刻は深夜2時。まぁ尋常な訪問者ではあるまい。

照明を落とした暗い館内に目が慣れてくると、その姿がしだいに認識できるようになってきた。

暗闇で出くわしたら誰もが腰を抜かすであろう。なにせ顔がシャレコウベなのだ。

肉のついていない顔には眼球の無い眼窩。息をしているとも思えぬお飾りの鼻腔の下に一対の牙。下あごから伸びて頬から耳にまでも届きそうだ。灰をかぶったような長い銀色の頭髪は後頭部でドレッドに束ねられている。ケモノのマントで体を包んでいるが、体の前面に大きなドクロの胸当てが見えている。迷彩色のコンバットスーツに編上げ式のミリタリーブーツという奇妙ないでたちである。

ヨーゴス軍団首領タレナガース。邪悪この上ない魔物である。

先日アジトにいながら得体の知れぬ邪悪な気配に射抜かれて以来、タレナガースはその気配の源を探していた。そして今ここにいる。してみるとあの異様な謎の気配はこの刀剣から放たれたものなのか?

タレナガースの呼びかけに応じてか、展示されている魂切丸の姿がすぅぅと消えるとタレナガースの眼前に人の姿となって現れたではないか。それは堂々たる体躯の鎧武者であった。これが魂切丸のもうひとつの姿なのであろうか?

立派ないくさ仕度からは、かなり位の高い武将を連想させる。鉢の左右から雄牛を思わせる1対のツノが伸びている牛角脇立ての兜に、桶側胴などの具足を纏っている。その左腰に吊っているのは当の魂切丸であろう。兜の下は相対した者を威嚇する鋭い烈勢面の頬当てを付けているが、その奥には毛深い顔に埋め込まれたような黄色い瞳が光を放っている。

「ふぇふぇ。思い出したぞよ。そちであったか。あの刀鍛冶めがいくさ場で汲んだ狸の血をたっぷり塗り込んで打った呪いの刀。余を覚えておるかや?あの日そちに最初の魂を食わせてやったタレナガースじゃ」

タレナガースはまるで成長した我が子を見るように鎧武者の全身を嬉しそうに眺めた。

「人間の肉体ではなくその魂を斬る刀。そしてその魂を己が刀身に喰らい込む妖刀。まこと面白き刀よ。ふぇっふぇっふぇ」

武者は愉快そうに笑うタレナガースを見て「ぐうう」と唸り声をあげて歯をむいた。異様に長い犬歯がぬらりと光っている。

「さあゆけ魂切丸よ。腑抜けた人間どもの魂を斬りまくれ。食いまくれ。喰らい尽くせ!」

武者の姿を借りた魂切丸はタレナガースが指さす方へと歩き出すと、博物館の壁の中へすぅと姿を消した。

 

星のない深夜。

街灯の明かりの中を歩く人影あり。二つの影が寄り添い重なり合ってひとつになっている。

仲の良い若い男女のようだ。家路を急いでいるのだろうが、酔っているからだろうか、足取りが少々おぼつかない。

ちょうど街灯の光の届かぬ一角にさしかかった。普段は気づかぬが、こういう時に人は灯りのありがたみを痛感するものだ。

女性が暗がりの中で後方を振り返った。

「コウタくん、遅いなぁ。道端で寝てるんじゃないのかなぁ」

「まさか。自販機の前でどの缶コーヒー買うか悩んでるんだよ。あいついつも決めるの遅いからさ。そのうち追いついてくるって」

男性のほうはとにかく早く家にたどり着きたいのか、前を向いたまま歩き続けている。

「あ、待ってよ」

女性は男性との距離が広がるのを嫌がるように足早でその後を追った。

―――ガシャ。ガシャ。

「え?」

―――ガシャ。ガシャ。

ふたりはあたりを見渡した。聞きなれぬ音が近づいてくる。金属がすれあうような音だ。

「ねぇ、何の音?」

「さぁ。。。わからないな」

どこかの店が閉店後にゴミ出しでもしているのだろうか?

とにかく急ごう。口に出さなくとも思いは同じだった。ふたりは歩くスピードをあげた。

「え?なに??」

女性が先に気づいた。

前方に何かいる。男性もすぐに気がついた。恐る恐る闇を透かして見ると、それは大柄な鎧武者だ。

―――なんだ、何かのディスプレーじゃないか?

そう思った途端、その鎧武者が前へ出た。

ガシャン。

身にまとった具足が音を上げた。

顔は面頬に覆われていて見えないが、暗闇にあってふたつの目だけが黄色く光っている。

「いやだ、気味が悪いわ」

女性が男性の腕を引いて後ずさりした瞬間、鎧武者は左腰に吊った剣に手をかけて素早く抜いた。

「あっ!」

鞘から赤い光が迸ったと見るや、そこでふたりの意識はプッツリと途絶えた。

「ひい!」

ガン。

短い悲鳴と缶コーヒーが地面に落ちる音が重なった。

細身の若い男性が両目を見開いて棒立ちになっていた。

武者がそちらを見た。

ガシャ。

鎧武者がその若者に向かって一歩踏み出したとき、若者の中で安全装置のリミッターがはずれた。

彼はくるりと向きを変えると、彼自身かつてないほどのスピードで駆け出した。両目は開いたまままばたきをしていない。口は最大限開いているが、声は出せていなかった。

 

(三)かすかな糸口

「目撃者ですか!?」

県警からの報を受け、エディーとエリスは県警本部へ急行した。

不幸にして、昨夜5件目の事件が発生した。しかし幸い現場から逃げ延びた生存者がいたのだ。たまたま被害に遭ったふたりとは距離を置いていたため難を逃れたらしい。

「話を聴けますか?」

エリスの問いに担当の警官はわずかに表情を曇らせた。

「わかりません。。。」

目撃者の青年コウタは病院で治療を受けていた。

 

昨夜、交番に駆け込んできたその青年は、恐怖のためかまともに話すことができなかった。

ただ、背後の闇を指差して「キル!キル!」と繰り返すばかりだったという。右手を空手チョップのように斜めに何度も振っていたそうだ。

交番の警官は青年が落ち着くまでしばらく時間を置いたのだがいっこうに状態が変わる様子がないうえ、次第に過呼吸の様相を呈しはじめ胸の痛みやめまいを訴え始めたため救急車を要請した。

そうこうしているうち「人がふたり、道で倒れている」という通報が入った。駆けつけたところ、意識のない若い男女がハの字を描くように倒れていた。こちらにも直ちに救急車を要請したが、どこを調べても外傷は見当たらなかった。

県警では交番に駆け込んだ青年はこの不可思議な事件の目撃者ではないかとして直ちに事情聴取を試みたが、鎮静剤をうたれていて眠っていたためしばらくは話が出来る状況ではなかった。

携帯していた身分証明書などから青年はコウタという名前であることがわかった。コウタは夜明けごろに目を覚ましたが、病室を歩く足音や医療器材を運ぶ際の音などに過敏に反応してそのたび悲鳴をあげた。不用意に彼を刺激せぬよう医師から厳命されている。一連の不可解な事件の鍵を握る人物がいながら話が聴けぬという歯がゆい状況に、警察は苛立った。

そこでエディーとエリスに白羽の矢が立てられた。徳島県の絶対的守護神たるふたりになら、恐怖に支配されたコウタも落ち着いて話を聞かせてくれるのではないか?

「病室を出入りする際もドアを開閉する旨をあらかじめ患者に伝えたうえで行なってください」

看護師に念を押されながらエディーとエリスはそぉ〜っと病室のドアを開けて入室した。

コウタは点滴をさした左腕以外、頭の先からスッポリと布団を被っている。

エディーとエリスはベッドの左右に座ると「コウタくん」と声をかけた。

コウタはそろそろと顔を出して左右に座っている渦の戦士を交互に見た。

「エ。。。ディ。。。エリ。。。ス」

コウタは両手を布団から出してふたりに伸ばした。そしてエディーとエリスによってそれらがしっかりと握られたと感じた時、目を閉じてふうううと息を吐いた。死ぬほど恐ろしい目に遭ってから今の今まで、たとえ警官たちに護衛されていようとも、彼の心は恐怖の虜になっていたようだ。エディーとエリスを見てようやくその恐怖から解放されたに違いない。

伸ばされたコウタの手を両手で包み込んだままエリスが穏やかな声で尋ねた。

「怖い思いをしたのね。可愛そうに。でももう大丈夫よ」

「コウタくん、聴いてもいいかな?キミが昨夜見たことを」

エディーの問いにコウタは少し唇をかんだ。目が潤んでくる。まだ心の中の恐怖を打ち消しきれてはいないようだ。だが、ここにエディーとエリスがいてくれる。自分を守ってくれる。その思いが彼の中にようやく勇気を沸き起こさせたに違いない。

「鎧の侍が。。。ふたりを、ううっ。ふたりを斬った、くうう」

そこまで言うと、コウタは肩を揺らせてすすり泣きをはじめた。そのようすを傍らで見ていた看護師がドクターストップをかけた。

「すみません、今日はもうこれくらいで」

ふたりの渦の戦士は頷くとコウタを励まして病室を退出した。

 

「とは言うものの。。。」

ヒロはため息をついた。

午後5時すぎ。太陽は傾いて馴染みの喫茶店の窓を赤く染めている。

ホットコーヒーとミックスサンドのセットを注文したヒロとドクはコウタの言ったことについてあれこれと話し合っていた。

「鎧の侍、つまりは戦国時代の鎧武者みたいな姿なんだろうか?」

「そうとしか思えないけど、鎧って重いんでしょう?人を襲うにしても逃げるにしても、わざわざそんな動きにくい格好をするなんておかしいと思わない?」

ドクの言い分はもっともだ。ヒロも頷きながら黙り込んでしまった。

ふたりの前にミックスサンドセットが運ばれてきた。サンドイッチのプレートにはフライドポテトが添えられている。今日はいろいろあって、ふたりとも昼食にはありつけずにいた。

「斬ったって言ってたよね、コウタくん」

「ん。。。」

「でも、倒れていた連れのふたりはかすり傷ひとつしていない」

「んん。。。。」

「それ以前の人たちもみんな同様でケガは誰もしていない。だけどみんな意識が戻らない」

「んごうう。。。。」

向いに座っているドクはなにやら唸りながらひたすらサンドイッチをかじっている。

「ねぇ聞いてるかいドク?」

ヒロはドクの前にあるセットのトレイをズイと引いて文句を言った。

「聞いてるわよ」

そのトレイをふたたびグイと手元に引っ張り返してドクは上目遣いにヒロを睨んだ。

―――こりゃあサンドイッチを食べ終わるまでドクは話を聴いてくれそうにないな。。。

あきらめてヒロもミックスサンドにかぶりついた。

数分後。

ようやくドクは人心地がついて落ち着きを取り戻した。ポテトを1本ずつつまんでは口に運んでいる。

「で、オレたちはどうすればいい?」

ヒロの問いにすぐには答えず、ドクは人差指を立てて話し始めた。順を追って話す、というジェスチャーだろう。

「コウタくんの証言は置いといて、今までの5つの事件の共通点はふたつ。。。」

ドクはボールペンを取り出して紙ナプキンに書き始めた。

「まずは時間。最初の人は仕事場を出た時間と現場までの距離から推定して深夜1時すぎ。2人目は事件前の行動がわかっていないために時間は不明。3件目と4件目はやはり飲食店を出てから現場までの所要時間から考えて深夜1時半ごろ。5件目はコウタくんが交番に飛び込んできた時刻が午前1時40分。どれも夜中の1時台だわ」

紙ナプキンに書かれた文字はひどい殴り書きで読めやしない。たぶんドクは紙にまとめるというよりも頭の中に浮かんだことを書くことで自分自身で再確認しているのだろう。

「次に場所ね。これは明快。どっかから運んできた形跡はないから倒れていた場所がそのまま現場でしょうね。全部徳島市内の中心部だわ。それも駅に近いガチの中心部。大胆よね」

それを腕組みして聞いていたヒロは「う〜ん」と唸りながら店の天井をながめて呟いた。

「つまり深夜1時ごろに徳島市中心部に絞った重点警備をやってみるってことかな?」

「そういうことね。そこでその鎧武者とやらに出くわしたらこっちのモンよ」

―――こっちのモンねぇ。

「大胆な警備シフトだけど大丈夫かな?」

ドクの意見に反対ではないものの、ヒロは踏ん切りがつかないようだ。

「ただ夜中じゅう徳島県下全域をやみくもに走り回ったところでいい結果が得られるわけないわ」

ドクは殴り書きした紙ナプキンを両手でクシャクシャとまるめてカラになったプレートにポイと放り投げると立ち上がった。

「いったんうちへ帰って仮眠を取りましょう。これからしばらくは深夜営業になるわ」

 

(四)邂逅

「日本刀にご興味がおありですか?」

不意に背後から声をかけられてドクは驚いた。

背後には白髪の男性がにこにこして立っていた。

「いや失礼。館長の木下です」

ドクはペコリと頭を下げた。

「どれも素晴らしい芸術品ですね。戦うための道具も極めれば美しさを伴うものだということがよくわかりました」

ドクの言葉に木下館長は満足げに頷いた。

ドクはヒロとの合流前に、中央歴史博物館の特別企画展「阿波の名刀展」を訪れていた。

入館時に受付でもらったパンフレットを参考にしながら展示された刀剣をひとつひとつ時間をかけて丁寧に見て回った。刀の脇に添えられた説明のプレートもしっかりと読んで回っている。熱心なその姿が館長の目を引いたのだろう。

実際、関孫六、備前長船、和泉守兼定、それに村正など全国には有名な刀工たちが大勢いるが、この徳島にもこれほどの美しい日本刀を造る刀鍛冶がいたのだということをドクは初めて知った。

だが、ドクは日本刀に興味を抱いてこの博物館に足を運んだわけではなかった。

―――鎧の侍。。。斬った。

コウタから聞かされたこれらの断片的な言葉がドクに連想させるものは「刀」だった。その刀の展覧会がドクの想定する犯罪エリアのど真ん中の博物館で開かれている。しかも最初の被害は特別展の開幕前夜である。

これが偶然だとは思えなかった。それでも確証のないドクはヒロには告げずひとりでこの博物館に足を運んだのだった。日の高い時間帯ならくだんの鎧武者も現れはしないだろう。ひととおり見て回ったが、この博物館がヨーゴス軍団に関わっているとも思えない。

「海部刀、ですか。初めて見ましたが実用的なアイデアが盛り込まれていて斬新ですね。心惹かれます」

うんうんと木下館長は嬉しそうに頷いている。若い女性のファンは大歓迎だ。

「海部刀は村上水軍がよく使ったとも伝えられていて、その信頼性はかつて大坂夏の陣において徳川家康が大量の海部刀を発注したことからも伺えます。この刀をご覧ください」

館長はひとふりの海部刀を指さした。

「江戸時代後期の名工、榊氏泰。情念の刀鍛冶師と言われています。刀身を見つめているとなんだか吸い込まれそうです」

なるほどパンフレットにもそう書かれている。だが科学に精通しているドクにとって、情念などという要素は理解できない。人の精神が研ぎ澄まされ集中力が極限まで高まったとき、経験に裏づけられた炎の色の見極めや槌を打つ加減などが最適に近いものになった帰結であろうと思う。

だが、こうして目の前にある日本刀が放つ神秘性にはやはり科学の域を超えた、いわば超自然の存在を感じずにはいられない。

「でも私が一番惹かれるのは、あの刀です」

ドクは展示会場の一番奥を指さした。一番奥の中央に展示されているのは大振りの海部刀だ。刀身が赤く光っているように見える。怪しい光だ。

「ほう」

木下館長の笑顔がさらに広がった。

「あなたはお目が高い。これは本来展示する予定にはなかった品ですが、私もこの日本刀には大いに心惹かれます。さきほどの氏泰の弟子で網児という刀工の手になる日本刀です。無名の刀鍛冶ですが、このひとふりはまさしく彼の一世一代ともいうべき出来ですな。個人的には名物と言っても過言ではないと思っています」

ドクは館長の話を聴きながら、同時にプレートに書かれた説明文を読んだ。

「たまきりまる。。。ですか」

「その白刃は肉体を斬らずして魂のみを斬ると言われています」

「えっ?魂を。。。斬るんですか?」

「はは。こうした名刀にはいろいろな伝承がもっともらしく付けられていますからね。やれ鬼の首をはねただの、いかづちを引き裂いただの、ね。これもそのひとつでしょう」

無言で頷きながら、ドクはその刀「魂切丸」を見つめた。

偶然とはいえ、こうまでピースが重なるとただごととは思えない。

―――犯人は、あなたね。

 

深夜1時20分。

博物館の前庭に3つの人影があった。

かたや渦戦士エディー&エリス。かたや謎の鎧武者。

―――本当に出やがった。

詳しい訳も聞かぬまま、エディーはエリスに引っ張られてここに来た。「犯人に会わせる」とだけ彼女は言った。半信半疑だったエディーの目の前に、しかしコウタが言った鎧武者が現れた。つまりこいつは魂切丸の化身、今風に言えばアバターというわけだ。

「さぁエディー。噂の彼に会えたわよ。何とかしてよね」

「いや、会えば何とかなるって言ったのはあなたですけどね。。。まぁ、何とかしますけど」

ガシャ。ガシャ。ガシャ。

その敵は渦のヒーローを前にして臆する風もなく、無造作に歩を進めた。

アバターの鎧武者は腰の日本刀をスラリと抜いた。赤みのある特徴的な刀身だ。

「魂切丸」

エリスがゴクリとつばを飲んだ。

アバター武者はその大太刀を右肩に担ぐと、左足を半歩踏み出して僅かに腰を落とした。こやつなりの戦闘態勢のようだ。応じてエディーの両手のひらに青い光がぼぅと灯った。

「なるほどこいつは。。。」

青い光はエディーのたなごころから長く伸び、両刃のソードを形作った。

「てこずりそうだな」

エディーはソードを脇に構えた。アバター武者の構えは最上段から敵将の兜を叩き割らんとする列火のごとき攻撃型の構え。対してエディーはその一撃を回避すると同時にカウンターを打ち込むことを目的とした奇襲型の構えだ。

ツツーと互いの距離を縮める両雄の剣が交差した。

ガキン!

赤と青の火花が散ってエディーとアバター武者はついさっきまで相手がいた場所に立っていた。

エディーの左肩のアーマがグギリと嫌な音を立てて砕けた。

―――エディーのアーマが!?

エリスは目の前の出来事が信じられなかった。が、その時!

バキン!

堅い殻が割れるような音と共にアバター武者の鎧がまっぷたつに割れて頭からズルリと左右に分かれて落ちた。

そこに現れたのは?

―――人?いやしかし。。。???

黄色い目を光らせ、顔中に濃いケモノの剛毛を生やした人の顔だった。

その口がゆっくりと開き、鋭い牙の間から「があ」とひとこえ啼いた。

その声を合図に赤い刀のアバター武者と青い剣のエディーはふたたび地を蹴ってぶつかった。

ギン!

ガギ!

ギリリ!

キィン!

夜の町に剣戟の音が響いた。だがその音の間隔が尋常ではなく早い。まるで青く光る虫と赤く光る虫が闇の中を跳びながら離れたり交わったりしているようだ。だが現実はそんなに幻想的なものではない。

アバター武者はただならぬ剣技の持ち主だった。手にある大太刀魂切丸を自在に操ってエディーに向かってくる。その戦法はただ斬る、突くだけではなく左手でエディーの胸ぐらをつかんで引き寄せ、投げ飛ばし、馬乗りになろうとする。恐らくは戦場での戦い方なのだろう。最後にはエディーのノドを狙って首を獲ろうとしている。

エディー・ソードを構えるとき、エディーはもっぱら剣での戦いに専念するが、この敵は違う。刀はパンチやキックと同じなのだ。勝って首を獲る。徹底した冷徹な攻撃にさすがのエディーも舌を巻いていた。

ギリリ。

何度目かのつばぜり合いだ。十数秒だが見ているエリスには何時間ものように思えた。

―――離れ際が勝負だ。

エディーは覚悟を決めた。おそらく相手も同様だろう。エディーと武者は互いに体をぶつけると反動で一気に飛びずさった。同時にふたりとも大上段から自分の得物を振り下ろす。防御など考えていない、どちらも渾身の一撃だ。

てやあああああ!

グァキィィィン!

暗闇に眩い火花が散ってエディーとアバター武者の間には10メートルほどの間合いが開いた。

「ああっ!?」

エリスが悲鳴をあげた。

エディーは己のソードを見つめたまま動かない。必殺のエディー・ソードがなかほどからポッキリと折れていた。

「まさか。。。エネルギー練成のエディー・ソードが折れるなんて」

折れた切先側は蒸発したように霧消した。

ガシャ。

ふと見ると、謎のアバター武者も魂切丸を中段に構えたまま後退し始めた。

ぐうううう。。。

地を這うような低い唸り声がエディーたちの耳にも届いた。

魂切丸は激しく刃こぼれしていた。

何度もエディー・ソードと刃を交える中でダメージを受け、今の一撃で折れはしなかったものの、ひときわ大きな刃こぼれを生んでしまったのだろう。こやつにとって、これはこれでショックな出来事であったようだ。黄色く光るケモノの目をエディーに向けたまま数歩下がるとすぅと闇の中にかき消えた。

「エディー、大丈夫?」

エディーは、心配げに駈け寄るエリスに笑顔で応えた。

「オレよりも、ソードが折れちゃったよ。。。」

エディーが両手を開くと、手の中に会った半身のソードも静かに消滅した。

「ソードなら問題ないわ。また渦エナジーを練成すれば何度でも蘇るから」

「うん。だけどハガネでないエディー・ソードにはそもそも折れるという現象は起きないはずなんだけど」

「向こうもただの日本刀じゃないってことね。だけどあの硬さ。。。エボリューション・フォームのソードでも互角ってところかしら」

「だったら今度戦うときは。。。」

「ええ。赤いエディーでお相手しましょう」

 

(五)網児という刀鍛冶

その一風変わった名前は、その男の出自に由来しているらしい。

ある日、漁に出ていた海部村の漁船の網にたらいがひっかかった。驚いたことにそのたらいの中には赤子がひとり入れられているではないか。荒れる波間をどこからか流れ来て奇跡的に網に絡め取られ命を永らえたのだ。漁師たちは肝をつぶしたが、この命冥加な赤子を村へと連れ帰った。

その赤子は網にかかった児、網児(あみじ)と名づけられて海部刀の刀鍛冶、榊氏泰の家に預けられた。

氏泰には子がいなかった。海から来た奇跡の赤子を、氏泰は我が子のように育てたという。

幼い頃から勘が鋭く、知らないはずのものを言い当ててみたりしたらしい。5歳になった時から刀鍛冶の手伝いを始めたというが、仕事のコツを掴む速さは兄弟子ですら舌を巻いたという。網児は若くして氏泰の後継者と陰で噂されるようになっていた。

やがて成人し一人前の刀鍛冶となった網児だったが、案に反して師匠の氏泰はいっこうに網児の打つ刀を認めようとはしなかった。見た目には申し分ない。切れ味も並み以上だ。だが網児の刀には人を惹きつけるなにかが足りないと氏泰は言うのだ。

ただ教えられた手順どおりにこしらえた刀に何の魅力があろうか?ただ戦場で人を何人か斬り、やがて折れて朽ちる。。。そんな刀をお前は打ちたいのか?と氏泰は問うた。

そうは言われても、網児は首をかしげるばかりだった。

「情念じゃ」

ある夜、氏泰は網児に言った。普段は口数の少ない男であったが、その夜は珍しく酒が入って饒舌になっていた。

「たたらの中で赤く燃える炎のような情念を込めて鍛錬された刀こそが真の刀なんじゃ。。。」

それだけ呟くと氏泰は「ふう」と酒臭い息を吐いてその場にごろりと身を横たえ、眠ってしまった。

―――情念。。。?

だが、網児にはやはりその意味がわかなかった。刀に求められるものは強度と切れ味だ。人をひとりでも多く斬ること意外に刀に何を求めるというのだ?

そんなある日、網児は氏泰のこしらえた新しい刀を徳島城下のとある武家の屋敷に届ける為に日の出前に海部村を発った。

夕方までに用を無事に済ませ、今宵は城下の宿に泊まろうと思っていた網児だったが、あいにくどの宿もいっぱいであった。

―――しかたがない。勝浦まで行って漁師小屋にでも泊めてもらおう。

勝浦村(今の小松島)の漁村に顔見知りの漁師がいる。網置き小屋くらいなら借してくれるだろう。

網児は疲れた足を引きずるように歩き始めた。

ところが、津田村を過ぎたあたりから網児は奇妙な音に悩まされ始めた。

ときの声のような「うおおおお!」という声。悲鳴のような叫び声。そして大群衆が走っているような地鳴りのような音。それらが渾然一体となったまるで津波のような音だ。

―――何の音だ?どこぞでいくさでも始まったのか?

そんな馬鹿なことはあるまいと思いつつ、網児は不安な思いを抱えて勝浦村を目指した。

だが勝浦川のほとりまで来ると、もうその音は耳を覆いたくなるほどになっており、網児のすぐ近くで突然悲鳴があがったりドタドタと走り去る足音が聞こえた。

突然何かが背後から網児の体にぶつかってきた。

驚いて振り返ったが誰もいない。

―――なんだ、今のは?!

首をかしげながら歩き出そうとすると、またドスン!ときた。そしてその衝撃は網児の体を突き抜けて前面から抜けていったように思えた。すぐに3度めが正面から!網児の鳩尾から股間のあたりにかけて何か生暖かいものがぶつかり、背後から抜けていった。

目に見えぬ何かがあちこちから自分の体にぶつかってくる。ぶつかっては体の中を通り過ぎてゆく。

網児は言いしれぬ恐怖に捕らわれた。

「ひいい!」

たまらず駆け出したが、その後も数回以上得体の知れないものが体の中を前後左右から通り抜けていった。ついに網児はがくりと両膝を地面につけた。

―――はぁ、はぁ、はぁ。。。た、助けて。。。

その時、網児は見た。彼の周囲の景色が少しずつ変わってゆく。夕闇に染まる無人の勝浦川河畔にいたはずだが、いつの間にか周囲には大勢の人たちがいる。背後から、そして川の向こうから、数え切れない人達が駆けている。多くはてっぺんの尖った陣笠を被り槍を振りかざしているが、中には鎧兜をまとった位の高そうな者もいる。

「やはり、いくさだ。。。」

どうやら両軍はこの勝浦川のほとりで激突しているらしい。地鳴りのような音が振動を伴って川の流れを中心に渦を巻いている。

いくさのど真ん中に踏み込んでしまった。網児は焦った。生きた心地がしないとはこのことだ。

頭を抱えて地面にへたりこんでいる網児のすぐ横をガシャガシャと音を立てて鎧武者が叫びながら走り過ぎていった。背には何かの絵が描かれた旗指物を挿している。

うおおおおおおお!

ええええい!

ガキン!

バシュッ!

ぐあああ!ぎゃあああ!

恐怖で鬨の声は裏返り、重い具足が川の流れの中で足をもつれさせてつんのめっている者もいる。しかし誰も彼も刀を振り回しながら目をひんむき喉の奥まで見えるほど口を開けてキバをむき出し、シッポを振り上げて敵に向かってゆく。

―――キバ?シッポ?え?いったいどうゆうことだ?

その時網児は始めて気づいた。戦っている者たちは人ではない。顔中に毛がふさふさと生え、らんらんと光る目は黄色く輝き、口の端から肉食獣特有の鋭いキバが伸びている。なにより尻から出ている丸みを帯びたボリュームのあるシッポは?!

「た、た、狸だ!こりゃあ化け狸の戦だぁ!」

網児が絶叫したその時、勝浦川の北岸と南岸に別れて殺しあっている何万という狸の軍勢がピタリと動きを止め一斉に網児を見た。

―――見ぃたなぁ人間。

黄色い何万もの目が網児を見てにいいと笑った。

網児はあまりの恐怖にぐるりと白目をむいてその場に気を失って倒れた。

 

気がついたのは東の空が少し赤みを帯びてきた頃だった。

ひどい異臭だ。

この臭いには覚えがあった。

子供の頃、師匠氏泰の友人の猟師が山でイノシシを仕留めてきた時だ。あの激しいケモノ臭と血の臭い。

しかしあの時の比ではない。むせかえるような濃密な臭いだ。

網児はそろそろと立ち上がってあたりを見渡した。

すぐに吐いた。

臭いのせいもあるが、その凄惨な情景はとても正気で見ていられるものではない。あたりにはおびただしい数の狸の死体が転がっていた。河原を埋め尽くしているといってもいい。

死んでいるのはどれも普通の狸だ。先刻網児が見たように鎧兜などのいくさ支度をまとった死体はどこにもない。ただ、どれも死因はあきらかに刀傷だ。切り裂かれたもの、突かれたもの、首や腕を失ったものもある。死屍累々の河原は朱に染まっており、流れ込んだ狸の血で勝浦川の流れも赤い水へと変わっていた。なにやら色彩感覚がおかしくなってしまったのかとさえ思える。

網児は力なくよろよろと歩き出した。

―――おのれえええ。

「えっ?!」

突然聞こえた声に網児はびくりと体をこわばらせた。

―――よくも殺してくれたな。

―――この恨み忘れまいぞ。

―――いつか貴様を呪い殺してくれる。

慌ててあたりを見渡したが動くものはない。皆死んでいる。なのに声だけははっきりと聞こえる。網児の頭の中で響くように聞こえるのだ。

「殺してやるぞ」

「殺してやるわい」

いつしかそれらは網児自身の口から発せられていた。

黄色いケモノの目をして、キバをむきながら、網児はひとりでいつまでもその呪いの言葉を発し続けていた。

 

結局網児は海部村には帰ってこなかった。

心配した氏泰が消息をもとめて城下へ向かい方々を尋ねて回ったが、無事に使いを終えたところまではわかったものの、それ以降の消息がプツリと途絶えた。

ただ、城下の宿のあるじが網児らしい若者の来訪を覚えていたがその夜は生憎満室であったために断ったことを覚えていた。それと、その数日後に富岡村の商人が勝浦川を越える際に河原でなにやらブツブツ言いながら川の水を桶にくんでいる奇妙な男の姿を見ている。その容姿がどうにも網児によく似ているように思えた。だが、氏泰が勝浦川にやって来たときにはその姿は既になかった。

 

幼い頃から我が子のように育ててきた網児の行方知れずはかなりこたえたとみえて、それからの数年というもの氏泰は刀を打つことをやめてしまった。元来気力と体力を要する刀鍛冶の仕事は腑抜けになってしまった氏泰には到底無理であったのだろう。

しかし、間もなく不思議なことがおこった。

夜中、たたらに火も入っていない無人の鍛冶場からハガネを打つ音が聞こえてくるという。

ガン!ガン!カンカン!ガン!ガン!カンカン!

リズミカルな鍛錬の槌音が鍛冶場から漏れてくるのを何人もの人が耳にしていた。

気味悪がって誰一人その最中に鍛冶場を覗いた者はいないのだが、翌朝恐る恐る中を検めてみると冷え冷えとした無人の鍛冶場があるだけで、人が入った気配などは皆無であったと言う。ただ思わず鼻と口を覆いたくなるようなケモノの臭いだけが残されていた。

 

ある日の深夜。

氏泰の鍛冶場をひとりの男が訪ねてきた。

このような時間に訪れるものは盗人か狐狸妖怪の類か?いずれにしても尋常な客ではあるまい。

編み笠を被った着流し姿だ。裏の木戸を開け、そのまま鍛冶の作業場へと音もなく歩を進める。微塵も迷わず遅滞なく進むのを見ると、この家のことをよく知る者なのか、それとも何かに導かれてでもいるのか?

編み笠の男が鍛冶場の前に立つと、今度は待っていたかのように戸がするりと開いた。敷居をはさんでやって来た編み笠の男と中から戸を開けた男が対峙する形となったが、中の男がさっと身をかわして編み笠の男に入室のための道を開けた。

戸を開けたのはなんと網児であった。

「できたかや?」

室内へ入ったにもかかわらず来訪者は編み笠を取ろうともせずしゃがれた気味の悪い声で網児に尋ねた。

「うむ。できた」

「見せよ」

網児は頷くと、暗い鍛冶場の奥からひとふりの日本刀をさげて帰って来た。「ほれ」と片手で無造作に編み笠の男に差し出す。

「魂切丸〜たまきりまる〜と名付けた」

編み笠の男は鞘と柄を左右の手で鷲掴みにすると、網児にくるりと背を向けてスラリと一気に引き抜いた。

ふううううううう。

抜き身を眺めた編み笠の男は、満足げに長い息を吐いた。

刀身約二尺八寸の大太刀だ。

編み笠の男は魂切丸を右手に下げるや、背後の網児を振り返った。笠の向こうから向けられた視線を受け、網児はニヤリと笑うと無言で頷いた。

それを合図と見たか、編み笠の男は魂切丸を振り上げ、上段から網児に斬りつけた。刃は網児の頭頂から股座までを一気に走り抜け、その体を真っ二つにした。

その瞬間、不思議なことに網児の姿は消え、そこには少し赤みを帯びた魂切丸を構える編み笠の男のみがあった。

編み笠の男はわずかに笠を上げてその刀身をふたたび見た。ほんのり赤い光をたたえる魂切丸に男の暗い眼が映っている。

「目覚めたかや、魂切丸よ」

そう言うと魂切丸をパチンと鞘に納め、その場に置いて鍛冶場を後にした。そのまま木戸を出て、来た時と同じように音もなくどこかへと姿を消してしまった。

 

()暗躍するタレナガース

「なるほどのう」

薄暗いアジトの中でヨーゴスクイーンはふむふむとしきりに相槌を打っていた。

鋭く吊り上がった目。女王蜂を連想させる、全身を覆う紫色の羽毛がわさわさと蠢いている。紫の毒婦の異名を持つヨーゴス軍団の大幹部である。

タレナガースが語る、魂切丸という名の海部刀がこの世に生み出されるに至るいきさつを、クイーンはじっと聞いていた。

「結局網児というその刀鍛冶は、あの日狸合戦に巻き込まれて命を落としたのじゃ。おそらく、人並みはずれて勘の鋭い人間であったのであろう。普通の人間ならば戦場の近くにおっても狸どもの姿は見えるものではなかった。じゃが不幸にも網児には見えてしもうた。そして見えたことを狸に知られてしもうた。一瞬のうちにいくさで気の立っておる狸どもの餌食になり、あとに残されたのはあやつの魂だけであった」

「では魂切丸は網児とやらの魂が打った刀であったかや。魂だけでのう。。。タレ様の仰せではあるが、左様なことが人にできるものかのう」

「うむ。もともと勘の鋭い血筋であったのじゃろう。あの時代、そうした人間は重宝されるどころか忌み嫌われておったと聞くが、ヤツをひと目見て余も尋常ならざるものを感じた。そして余は打ちあがった魂切丸で真っ先にあやつの魂を斬った。刀に食わせて眠っていた魂切丸を目覚めさせたのよ」

クイーンは「ううむ」と腕組みしていたが、ふとタレナガースを見た。

「で、なにゆえこやつがここにおるのじゃ?」

ヨーゴスクイーンは視線をタレナガースからはずして己の右を見た。そこにはぼんやりとあの鎧武者が立っていた。

岩肌がむき出しのアジトの壁にはひとふりの大太刀が立てかけられている。魂切丸だ。

徳島市街での凶行においてこの日本刀は、自身をアバターとも言える鎧武者に変えて人々の前に現れた。だがエディーとの戦いで大きく刃こぼれした現在は大人しく鞘に収まったままだ。ただ、タレナガースとヨーゴスクイーンには見えているのだ。この現実離れした日本刀に込められた怪しの正体が。。。

「こやつは夜な夜な実体化して町を彷徨い人を襲いその魂を喰らう。だが魂を奪われた人間どもは肉体には何の支障もない。おそらく彼奴らには魂切丸の存在は当分知れぬであろうと思っておった。じゃが、ほれこのありさまよ。。。」

タレナガースは立てかけてあった魂切丸を引っ掴むとスラリと抜いた。白刃は中ほどが哀れなほどに欠けてギザギザになっている。

「クイーンよ、そなた何か感じぬか?」

そう言うとタレナガースは刃こぼれした刀身をヨーゴスクイーンの顔に近づけた。

「うえっ!こ、この胸糞悪さはまさしく。。。」

「そうじゃ。この刃こぼれをつけたのは紛れもなく渦のエナジーによって作られた剣。エディー・ソードじゃ」

「またあやつか。。。誠に厄介な」

タレナガースの言葉にヨーゴスクイーンも蜂のような鋭い目をさらに吊り上げて呻いた。

「どういういきさつか、エディーめが嗅ぎつけた。しかも既に一戦交えたようじゃの。おそらくあの渦の小娘あたりが魂切丸の存在に気づいたのであろう」

「その挙句がこの刃こぼれかや。。。まぁ折られなかっただけでもよしとせねばなるまいのう。それにしてもあいかわらずあのエリスめはいやらしいほどに鋭いのう」

この魂切丸がエディー・ソードを半ばから叩き折る殊勲をあげたことをこやつらは知らない。

「ふぇっ!あの小娘も網児と同じたぐいなのであろう。それよりも次あいまみえる時は恐らく深い青の、いや赤いエディーで向かって来るであろう。こちらも相応の用意をしておかねばならぬわのう」

タレナガースはそう言うとたてかけてある魂切丸を引っ掴むとアジトの奥の暗がりに姿を消した。そして鎧武者の幻影もそれに付き従うようにスゥと姿を消した。

 

SF映画でこういうセットを見たことがあるだろう。火星であったり、火山の火口の内部であったり。

ゴツゴツした岩山のあちらこちらから炎が噴出している。足元の地面がうねうねと蠢いている。少なくとも現実の世界ではあり得ない。

どこかから悲鳴や怒号が聞こえてくる。ひとりやふたりではない。大勢が泣き喚き、怒鳴り散らしている。こちらも現実の世界なら躊躇せずに警察に電話しているところだが、ここにそのような治安組織があるとも思えない。

ザッザッザッと蠢く地面を踏みしめて誰か近づいてくる。

タレナガースだ。吹き上がる炎に煽られてシャレコウベ顔が赤く染まりさらに不気味さを増している。

タレナガースは地面から5メートルほど隆起したとある岩山をくりぬいた穴の前に立った。そこは粗末な庵になっており、穴の奥では何かの気配が動いていた。

「久しいの」

中の気配がビクッとした。恐れの波動が伝わって来る。

「驚くことはない。余じゃよ、かなち鬼」

気配の主は洞穴の庵の入り口に立つ者を恐る恐る仰ぎ見た。

粗末な麻のような着物を頭から被っている。頭頂からハゲオヤジの最後の頭髪を思わせる細長いツノが頼りなげに1本伸びている。すすけた丸く黒い顔に異様なほど大きな目が上目遣いにギョロリとタレナガースを見やった。

「おやおやおやおやおや。どなたかと思うたらタレナガース殿ではないか。ほんにお久しぶりじゃ」

甲高い声が石造りの庵に反響した。庵の中にはさまざまな種類の槌やふいご、火箸などが置かれている。かなち鬼と呼ばれたこの卑屈な鬼は、どうやら鍛冶屋を営んでいるようだ。

「いやいやいやいやいや。しかし人にあらずとはいえ、現世におられるお方がこのような場所に来られてもよろしいのですか?」

「ふぇっふぇっふぇ。そのようなことどうでもよいわ。あいかわらず卑屈に生きておるようじゃのう」

「へえへえへえへえへえ。来る日も来る日も赤鬼や青鬼どもの金棒やら亡者をいたぶる鍬ばかりをこしらえておると卑屈にもなりましょうぞ」

鬼どもの金棒?亡者?

「そんなお主に今日は面白いものを持参致した」

タレナガースは手に持ったひとふりの大太刀を鞘ごと突き出した。魂切丸だ。

かなち鬼はそれをギョロリと見るとたちまち失望の声を上げた。

「ほうほうほうほうほう。現世の刀ですな。しかし現世では名刀などともてはやされていても、ここでは大した業物とは申せませぬ。地獄の業火で鍛え上げられた金棒や鍬のほうがましというものじゃ」

地獄の業火とは?

「ふぇっ。これでもかや?」

タレナガースはスラリと魂切丸を抜いた。

途端、かなち鬼の表情が変わった。

刀身が赤い光を湛えている。地の底から噴き上げる炎に照らさていても決して見失わぬ凛とした強さを秘めた光だ。

「おおおおおおおお。なんとこれは!?」

魂切丸を目にした途端、小さく卑屈にまるまっていたかまち鬼の体がまるで空気を入れた人形のようにムクムクと膨れ上がってくる。

「この刃こぼれを何とかしてもらいたいのよ。ついでに強度も切れ味もアップさせてもらえると有難い」

「これはこれはこれはこれは!血を吸うておるではないか。おんや、人の魂も食ろうておる!よいぞ。よいぞ。よいぞおお!」

かまち鬼の卑屈な目がらんらんと光り始めた。見開かれた目には魂切丸の赤い光が映されている。大きくなってゆく体躯に耐え切れず麻の着物がベリベリバリバリと悲鳴をあげている。

魂切丸をタレナガースの手からひったくり顔に近づけて嘗め回すように眺めながら、かなち鬼の体躯はさらに大きく筋肉隆々の恐ろしき黒鬼へと変貌した。頭頂部のツノも太さを増し、ねじりながら伸び上がって庵の天井をえぐりそうだ。

「がっはっはっはっは!よい業物を持参した!タレナガースよ、この刀を我に打ち直せと申すのだな!?」

いまやタレナガースを見下ろすほどに巨大化したかまち鬼は喜びに打ち振るえている。気持ちも大きくなっているのか、言葉遣いもぞんざいだ。

「これこれ。大きな声を出すでない。ここの番人に見つかったら面倒じゃ」

「がっはっはっはっは!承知しておる。貴様はここに来てはならぬ者じゃからのう。わかっておる。わかっておるぞお!がっはっは!」

その声はさらに音量をあげている。

「その様子では気に入ってもらえたようじゃのう。そちの気持ちの赴くまま、いかように変貌させてもよいゆえ何にも勝る業物に生まれ変わらせてもらいたい。報酬は。。。」

「いらん!!」

そう言うとかまち鬼は、もはやタレナガースなど眼中にないかのように魂切丸を大切そうに両手で抱え、庵の奥へと入っていった。

「普段は気の弱い卑屈で頭はカラッポの小鬼のくせに、良き業物を見るとたちまちアレじゃ。まぁ腕は確かゆえ任せてみるとしよう」

そう言うとタレナガースはその岩山の庵を出た。

ゴツゴツした岩山といきなり地面から噴き上げる炎を器用にヒョイヒョイとよけながら、タレナガースはもと来た道を帰っていった。

背後からはあいかわらず大勢の悲鳴が聞こえていた。

 

「あ〜あ。しまったなあ」

左右の握りこぶしを突き上げてドクは背もたれに全体重を預けて反り返った。

―――今日何度目だよ、ソレ?

向いの席でヒロは、振り上げたドクの左手が壁際に置かれた花瓶を倒さないかと毎回はらはらしながら見ている。

いつもの喫茶店が開店するや否やジャージ姿のヒロとドクは「あ〜あ〜」とか「ちくしょう、やられた」などと口々に呟きながらなだれ込んだ。

一連の謎の失神事件の犯人をドクのファインプレー的発想で言い当てたまでは良かった。だが対戦したエディーは文字通り伝家の宝刀とも言うべきエディー・ソードを折られてしまい、こともあろうに展示してあった魂切丸そのものが忽然と姿を消してしまったのだ。

―――まぁ確かにいいとこなしだよなぁ。

ヒロも悔しい気持ちは同じだ。

エディーと魂切丸、正確には魂切丸の化身である鎧武者の初戦はエディーの敗戦的引き分けと言ったところか。だが魂切丸本体が中央歴史博物館に展示されている限り逃しはしない。エリスが直ちに県警本部に連絡を入れ、魂切丸と博物館周辺に重点警備態勢を敷いた。

あのアバター武者が現れたらエディーがすぐに駆けつけられる。と、そう思っていたのだが。。。

翌朝、魂切丸だけが展示会場から忽然と姿を消していた。

警備の警官たちは皆昏倒していた。状況を尋ねても仔細を説明できる者はいない。ただ、目の前が急に黒くなり悪臭と吐き気に襲われてそこで意識を失ったようだ。。。と。

「タレナガースのやつめ」

エディーとエリスは臍をかんだ。説明のつかない怪しい事件の裏にはヨーゴス軍団がいる。それはわかっていたはずなのに、今回は目の前の敵があまりに強力であったためにヤツらに対する警戒心が薄れていた。つまりは集中力を欠いたのだ。

ドクはプレートの上のミックスサンドのパンをはがしてはさんであるハムを食べ、レタスを食べ、薄く斬ったトマトを食べている。最後に残った三角形のパン2枚を口に放り込み、ほっぺたの膨らんだ顔を不意に上げた。

「もにまむもうむむげっせんもむむむ」

そう、とにかくもうすぐ決戦なのだ。

 

(七)無人島の決闘

「なんだこれ?」

エディーとエリスは20分ほど前、県警から連絡を受けて徳島駅前に来た。駅の入り口正面には見たこともない槍が地面に深々と突き立てられているではないか。見たこともない形の槍だった。柄と穂で優に3メートルは超えている。

穂先を天に向けて、反対側の石突きが舗装道路を砕いて垂直に立てられている。

穂はかつての日本刀を思わせる片刃の形状で、槍本来の突く攻撃よりも斬ることを想定しているようだ。柄は黒金製で、これだけでも金砕棒として凄まじい破壊力を発揮するだろう。石突きは路面に食い込んでいるため形状は伺えないが、堅い舗装道路をまるでウエハースのように突き破っていることから、こちらもただならぬ破壊力を秘めたものなのであろう。

「エディー、これって?」

「ああ、魂切丸だ。姿は変われど、この気配だけは絶対に忘れない」

槍の穂は赤い光を湛えている。なにかしら邪悪なものを刀身に秘めているにちがいない。

魂切丸はエディーと一戦交えた後、おそらくはタレナガースの手によって博物館から奪い去られていた。とすれば、ここにこのように槍を放置していったのも奴らヨーゴス軍団に違いない。

とりあえず周囲にヨーゴス軍団の姿はないようだが、モノがモノだけに、警官数人が槍の周囲を取り囲み、通行人は少なからず大回りをさせられている。これだけでも大変な迷惑だ。

その槍の鍔のあたりにおみくじのように紙が結わえられている。エディーは警官の許しを得てその紙を解いて広げた。

「なんて書いてあるの?」

エリスが尋ねた。この状況から察するに紙に書かれているのはおそらくヨーゴス軍団からの果たし状だろう。槍があるなら対決の場所はここなのだろう。時刻は、やはり深夜か。。。だがエディーは返事をしない。

「エディー?」

エリスの問いかけにエディーは困ったような表情でその紙を広げて見せた。

そこには電気ショックを受けてのたうち回るミミズのような文字で『 ア は 』とだけ書かれていた。

「これ、なんだろう?」

しばらく無言だったエリスがその文字を凝視しながら口を開いた。

「まず、書きたかったのはアホってことでしょうね。“ほ”が“は”になっちゃった。で、言いたいことは<新しく生まれ変わった魂切丸と勝負じゃ!われらは逃げも隠れもせぬ!>とまぁ、果たし状みたいなもんね」

エディーはポカンとエリスを見た。この人はいつから言語学者になったのだろう?

「一番目立つ駅の真正面にこんな物騒なものを見せびらかすように置いて。自己顕示欲の強いタレナガースのやりそうなことだわ」

ふうむ。とエディーはしきりに頷いている。

「でも、だからと言って馬鹿正直にここであのアバター武者を迎え撃つ必要はないわよね」

恐らくあの鎧武者が姿を現すのは深更だろう。こちらとしては迎え撃つ準備を整える時間がある。

「こんな危ない代物はさっさとどかして、路面の亀裂も修理してもらおう」

エディーは警備の警官を呼んでいくつかのことを依頼した。

 

夜9時を少しまわっている。

巨大な槍と化した魂切丸は土の地面に柄の半ばまで埋まる形で突き立てられていた。

ここは県南にある無人島だ。地元の人たちはここをフカメ島と呼んでいる。漁師がこの島の近くで海面を泳ぐフカと目が合ったことに由来しているらしい。

槍となって徳島駅正面口前に突き立てられていた魂切丸は異様に重く、エディーが両腕で抱えてなんとか路面から引き抜き、トラックに積んで一旦県警本部へ運び込まれた。

動かぬ槍のうちに壊してしまえという意見が出て、ハンマーで叩いたり旋盤で切断を試みたりしたがいっかな歯が立たない。重い鉄球にはヒビが入り、旋盤の歯はボロボロになってしまった。

ならばいっそのこと海の底に沈めてしまってはどうだろう?という意見も出たが、万一深い海底に本体を沈めてなおあのアバター武者が現れたら、今度はこちらに打つ手がなくなってしまう。結局ここは正攻法で叩くしかあるまいということに落ち着いた。

そこでまだ日があるうちにこのフカメ島まで船で運び込んだ。ここならばどんなに激しい戦いになろうとも一般人に累が及ぶことは無いからだ。

敵が出現するのはおそらく深夜、日付が変わってからだろうとは思ったが、エディーとエリスと警官隊は念のため日没から無人島に詰めていた。警官隊は数人ずつ1時間ごとにボートで交代要員がやって来たが、エディーとエリスはずっと魂切丸を監視し続けていた。

 

そして深夜1時20分。

地面に真っ直ぐ突き刺さった魂切丸がボゥと黒いオーラを放った。

「来たわ」

エディーとエリスが身構えた。

周囲からは強力なライトが当てられていて、バトルフィールドは昼間の明るさだ。その中でも魂切丸が放つ黒いオーラは光すら退けるブラックホールのごとき闇を創り出している。

そのブラックホールから産まれ出るかのように大きな人影が現れた。魂切丸の化身たる鎧武者だ。魂切丸本体は半分ほども地中に埋まっているが、アバター武者はなにごともなく地上に立っている。やはり海底に沈めなくて正解だったか。

本体である魂切丸の変貌が武者にも影響するのか、博物館前での先の戦いでエディーとエリスが見た姿とはまったく違っていた。

頭上に兜らしき形状は認められるが、それを被っているのではなく頭部と融合している。白亜紀に生息していた石頭の恐竜のようだ。だがその兜頭には明らかに自然のものとは異なる鋭い金属製のスパイクが無数に突き出している。目は黄色いケモノのものだ。初対面では兜の下に面頬を装着していたが、今は鼻面が大きく前へせり出してオオカミのようだ。上下に並ぶ太く大きな牙はそれだけで戦場を血の海に変えられるだろう。

首から下は確かに鎧武者の風情を残してはいるが、かつての刀剣が今度の槍に変貌した分、武者の体躯も大きくなっている。胸板や肩がまるで空気を圧し込んだように膨れ上がっている。

ごおう。

熱い息を吐くたび口の端から短い炎が見える。本体ともどもとんでもない化け物に変じたものだ。

背後の槍がすううと姿を消すとアバター武者の手に移った。

エディーがエリスを庇うように一歩前へ出た。

「待ちかねたぞ。。。ウグッ!ウウ!」

エリスがいきなりエディーの口を背後から塞いだ。

「プハッ!なに!?どうしたエリス?」

「あのね、そのセリフ。。。験が悪いからやめてくんない?」

よくわからなかったが、エリスがそう言うならと、エディーはなんとなく首肯した。

―――ま、巌流島じゃないけどね。

「忘れないでエディー。最優先事項は被害者たちの魂を取り戻すことよ。考えられる手段は魂切丸の刀身を叩き折ること。それが正しいやり方かどうか、根拠はないけどやってみて」

「オッケー」

エリスが「がんばって」とエディーの肩をポンと叩いて彼から距離をとるのを背後の気配で感じて、エディーは戦闘モードのスイッチを入れた。エリスから予め手渡されていた赤いエディー・コアを胸の青いコアにあてがって融合させる。

一瞬青い光が彼の全身を包み込むや、すぐさまそれは赤いオーラに変わって彼の全身を紅に染め上げていった。

エディー・アルティメット・クロス。

エリスが開発した清廉なる渦のパワーにヨーゴス軍団の毒の成分を配合させて爆発的パワーアップを実現させた、渦戦士エディーの最強フォームだ。

胸に輝く赤いエディー・コアは超硬質のクロスガードに護られている。

アルティメット・クロスとアバター武者が同時に猛然とダッシュした。

駆けながら、化け物じみたアバター武者は自らの本体である魂切丸の石突きのあたりを片手で握って頭上でぶんぶんと振り回す。周囲の木々の枝葉が風圧を受けてヴヮッ!と反り返る。まるでモンスターの突進に恐れをなして道を開けているようだ。

一方アルティメット・クロスは駆けながら両腕を下げ、左右の手のひらで握手をするような形をとった。手のひらの間に赤い光が灯ると、その光は見る見る伸びて剣の形になる。赤いエディー・ソード、アルティメット・クロス・バージョンだ。赤いエディー・ソードはどんどん伸びる。刃渡り1メートルを越えても伸びる!まだ伸びる!通常のエディー・ソードをはるかに凌ぐ大太刀が現れた。

うおおおおお!

ごあああああ!

アルティメット・クロスは地面を抉るような下段から。

化け物武者は遠心力をつけて最上段から。

双方打ち込む!

ガギイイイン!

ぶわっ!

赤い渦エナジーのエディー・ソードと異形の鉄槍魂切丸がまともにぶつかり、凄まじい衝撃波が周囲に奔る!離れてみていたエリスの青く長い髪が風圧で真後ろに流れた。

踏み込んだふたりの足元の地面がくもの巣のようにひび割れているではないか。凄まじい破壊力の激突だ!

アルティメット・クロスが「ひゅっ!」と短く息を吐いて体を回転させながらアバター武者の懐に入る。

―――先制点いただき!

わき腹のあたり、鎧の隙間を狙ってエディー・ソードの切先が走った。が、次の瞬間アルティメット・クロスは背中にぞくりと冷たい気配を感じて大きく横へ飛んだ。

ズガアアン!

コンマ何秒か前までアルティメット・クロスがいた所に、魂切丸の鋭く尖った石突きが落ちてきて地面に突き刺さっている。あのまま攻撃を続けていたらいかなアルティメット・クロスの堅固なアーマでも深刻なダメージを受けて大地に這いつくばっていただろう。

「ふぅ、あぶねぇ。馬鹿でかい図体のわりに機敏だなぁ」

彼は徳島駅前であの魂切丸を地面から引き抜くのを手伝っている。常人には構えることすら出来ぬであろうその重さを体感していたのだ。それをあのように軽々と。。。だが、その桁外れのパワーはアルティメット・クロスのハートに更なる闘志を注ぎ込んだ。

ニヤリと不敵に笑うとアルティメット・クロスは再び攻撃に移った。赤いエディー・ソードを目にも留まらぬ速さで振るう。アバター武者は黒い金属の柄でソードの斬撃を受け止めた。巨木でさえも一刀のもとに切り裂くエディー・ソードの一撃を本来の魂切丸たる穂の部分のみならず黒鉄製の柄までもが退けた。

「ただの鉄じゃないな?!」

ギイイイン!

ギリリ!

ズウン!

ブウン!

一方が打ちこむ。

片方が受ける。

そんな攻防がしばし続いた。

アルティメット・クロスが薙いだソードを胸を反らせてかわしたアバター武者だが、アルティメット・クロスは素早く逆手に握りなおして再び至近距離から斬りつけた。首を狙った斬撃だったが避けきれないと見たアバター武者はあえて兜頭を突き出して顔面で受けた。

予想以上に堅い兜頭のせいで破壊力は減じられたが、それでもアバター武者の顔面を斜めに切り裂いた。しかしアバター武者のほうは痛がるどころか平然と反撃に移る。魂切丸の穂が空気を切り裂いてアルテッィメット・クロスを襲った。斬り込んだ後の不安定な体勢だったアルティメット・クロスは大きく首を傾けて、辛うじてかわした。が!

キィィィィィン!

―――痛ッ!

かわしたアルティメット・クロスのわずかに上の空気を切り裂いた魂切丸はその衝撃波で彼の片耳の聴力を奪っていった。渦パワーで構成されたヘッドギアの中で、耳から生暖かいものが流れる。

互いに体を反転させて刃を振るう。相手の肩口にヒットしたふた振りの異界の刃は袈裟懸けにバチバチと火花を散らし、双方後方へ数メートル飛ばされて地面に転がった。

アルティメット・クロスのアーマとアバター武者の黒糸威の鎧が悲鳴をあげた。

ごおおあああ!

先に起き上がったのは武者の方だ。痛みを感じないせいか、ダメージへの耐性はアバター武者の方に分があるのかもしれない。まだ体勢が整っていないアルティメット・クロスに魂切丸が振り下ろされる。立ち上がるよりも先にアルティメット・クロスは地面を転がってその攻撃を避けた。間髪を入れずに第二波、第三波が襲い掛かる。

ズガッ!

ドガッ!

アバター武者は槍をせわしなく上下させて攻撃を続けた。だがアルティメット・クロスはそれらの攻撃をすべてかわしながら、強靭な全身のバネを使って飛び起きた。水上を撥ねる魚のようなしなやかさだ。

それを追って横に払われた槍の柄がアルティメット・クロスの背後の巨木を叩いた。

バキバキ!グアシャ!メキメキメキ!

何十年もかけて大きく育った巨木が断末魔をあげて幹の中ほどからゆっくりと大地に倒れた。

アルティメット・クロスはバク転を繰り返してアバター武者から距離をとり、エディー・ソードを構えなおした。

そのアルティメット・クロスめがけてアバター武者が魂切丸を投擲した。

銃弾かと見紛う勢いの鉄槍をアルティメット・クロスは半身を反らせてかわした。魂切丸はすぐ後の大木の幹を粉砕して止まった。

―――得物を投げた?!よし今だ。

ここを好機と見たアルティメット・クロスはエディー・ソードを握る手に力を込めて敵に向おうとしたが?!

「いない?!」

あっ!と思った瞬間アルティメット・クロスは背後から刺すような殺気を浴びせかけられた。

間一髪頭上に振り下ろされた魂切丸の穂を両腕で捧げ持ったエディー・ソードで防いだ。

ギリリ。。。

真正面にいたはずのアバター武者が一瞬で背後に移動している?

「ぬうう。なるほど、こいつは本体の槍がある場所から何度でも出現できるってわけか」

真上からもの凄い力で押さえつけられるアルティメット・クロスは動きが取れない。地面についている片膝がズブズブとめり込んでゆく。

ドゴッ!

いきなり背を膝で蹴られてアルティメット・クロスは再び地面を転がって呻いた。背骨にダメージを受けて息ができない。

―――そんな、最強のアルティメット・クロスが押されているなんて?

「エディー。しっかり!」

エリスの声援が遠くから聞こえる。たしかに今は魂切丸に押されっぱなしだ。

―――あの重い槍をオモチャみたいに振り回せる。痛みを感じない。投げた槍が飛んだ所へ瞬間移動できる。。。か。いろいろ便利な機能を搭載してるじゃないか。さて、どう対処する?

「エディー、忘れないで。狙いは刃よ!」

そうだ。あの異様な姿に惑わされてはいけない。あの槍の穂を粉砕して被害者を救う!そのためなら何度弾き返されても何度地面にはいつくばっても、持てる力のすべてを出して戦う。そして勝つ!

アルティメット・クロスがしかけた。

大振りの赤いエディー・ソードがアバター武者の巨体めがけて縦横無尽に襲いかかる。渦戦士エディーの持ち味である神速の連続攻撃だ。

ガガガドドド!

「すごい!アルティメット・クロスの攻撃がだんだん早くなるわ」

エリスが歓声をあげた。

狙いをつけて振りかぶって斬りこむ。その一連の攻撃が1秒ほどで行なわれている。アバター武者はその斬撃を魂切丸の穂で、あるいは柄で受けている。だが次第に、少しずつ、ほんのわずかだが遅れはじめて、ついに!

ザシュッ!

アルティメット・クロスの一撃がアバター武者の左の肩当てを粉砕して腕に深手を与えた。

ぐああ。。。

筋を切られたのか、さすがのアバター武者も左手の自由を失ったようだ。それでも右腕1本で魂切丸を振り上げている。

だが、向ってくるのかと思いきやアバター武者は振り上げた槍を穂から深々と地面に突き刺した。その槍の黒い鉄の柄を右手で握り、ごおお!と吼えた。

ドドドドドドドド!

その瞬間、地面が大きく揺れた。

―――衝撃波だ!

アルティメット・クロスは大きく宙に跳んだ。

槍を中心に八方に向けて亀裂が走り、地上にいるものすべてに凄まじい衝撃を与えた。

ガシャアアン!ドガアン!

きゃあ!

衝撃波はバトルフィールドを照らしていた県警のライトを破壊し、戦況を眺めていたエリスをも跳ね飛ばした。

「あ、エリス!大丈夫か?エリス!?」

彼女の悲鳴に驚いたアルティメット・クロスが声のするほうに向って叫んだ。だがライトがすべて壊れてしまいあたりはにわかに真っ暗だ。今夜は満月のはずだが分厚い雲に覆われている。今アバター武者に槍を投げられたら防ぐのは困難だ。

「だ、大丈夫。心配いらないわ。。。」

アルティメット・クロスの何度目かの呼びかけにようやくエリスのか細い声が応じた。

―――よかった。とりあえず意識はあるようだ。

しかし心配であることに変わりはない。あの凄まじさだ。エリスが少なからずダメージを受けていることは間違いがない。もし地面に横たわっているとしたら、さっきの攻撃をもう一度喰らったらやばい。ぐずぐずしてはいられない。

「勝負だ」

アバター武者の姿は闇に包まれているが、足元に走るこの地割れの行き着く所にやつがいる。アルティメット・クロスはやにわにエディー・ソードを投げつけた。と同時に猛ダッシュする。さきほどの武者の戦法を真似たのか?!

エディー・ソードは闇の中を赤い光跡をひいて一直線に走る。だがそれはガキン!と鋭い金属音と共に魂切丸のひと振りによって弾き飛ばされてしまった。だが本当の攻撃は後から来た。

「おりゃあ!」

ソードと同様の高速で襲いかかったアルティメット・クロスの拳が武者の胸板に炸裂した。

不意をつかれたアバター武者の上体がぐらりと揺らぐ。間髪いれずにアルティメット・クロスの後ろ回し蹴りが!高空からのかかと落しが!立て続けにヒットする。

よく見れば打ち込まれる拳やかかとがソードと同じように赤く光を放っている。ソードのように切り裂く力はないが、赤い渦パワーを打撃点に展開することで破壊力が飛躍的にアップする。

よろめきながらも振り降ろそうとする魂切丸を受け止める掌や一の腕などにも瞬時に渦パワーをバリヤのように展開してダメージを殺す。

アルティメット・クロスはソードを捨てて素手による格闘にもちこんだのだ。

密着して戦っているうちに、目が暗さに慣れてきた。アバター武者の無機質な黄色い目もはっきりと見えている。

唸り声と共に突き出された槍の穂がアルティメット・クロスの目の前を通り過ぎた。それを咄嗟に抱え込むように脇ではさむと、アルティメット・クロスは穂の刀身に懇親の力で手刀を叩きつけた。

ティヤアアアア!

ゴギッ!

旋盤でも傷ひとつつけられなかった魂切丸の刃本体が、鈍い音と共になかほどからポッキリと折れた。

そのアルティメット・クロスの側頭部めがけて巨石のようなアバター武者の拳が飛来した。が、こめかみの僅か手前でその拳はピタリと止まった。

本体の穂の刀身を破壊されたためか、動きを止めたアバター武者はやがてすぅと音もなく闇に吸い込まれるように消えた。そして魂切丸の槍がズンと重い音を立てて地面に落ちた。

 

「やったね、エディー」

闇の向こうからエリスがやって来た。足どりがおぼつかない。やはり先ほどの衝撃波で受けたダメージが残っているようだ。

戦いを終え、アルティメット・クロスはノーマル・バージョンのエディーに戻っている。

「これで辻斬りの被害に遭った人たちの意識が戻ればいいんだけど。。。」

戦いが終わり、首尾よくエディーたちが勝利を収めたらすぐ、被害者たちが入院している病院に容態の変化を確認するよう手配済みだ。ふたりは祈るような気持ちで知らせを待った。

十数分後、島の船着場で待機していた当番の警官がふたりのもとに駆けてきた。

「病院から連絡が入りました。被害者たちの意識は戻りませんでした。。。残念です」

 

強い海風が島に漂う邪気を打ち払うかのように吹いている。その中でエディーとエリスは黙ってたたずんでいた。

傍らには刀身をなかほどから折られた大きな槍が横たわっている。これからの脅威は取り除くことができたが、本来の目的は果たせなかった。

「あの人たちは、もうダメなんだろうか。。。?」

エディーはまっぷたつになった魂切丸の刃をつまみあげて呟いた。

「そんなはずない!。。。と思う」

エリスも歩みよって魂切丸の刃文を見つめた。丁度顔を出した月の明かりの中で刀身にエディーとエリスの顔が映った。

 

うわあああああああ!

行けえええええ!

あたりに鬨の声が響いている。

エディーとエリスははっとしてあたりを見渡した。

ふたりは今の今まで深夜の無人島にいたはずだ。だが、周囲には数えきれないほどの大勢の人がいる。

「ここは?」

「どこかの川原だわ。さっきまで私たちがいたフカメ島でないことは確かね。それにこの人たち、まるで」

「ああ。戦国時代の合戦みたいだ」

エディーが言うとおり、大声をあげながら駆けてゆく人たちは皆戦国時代の合戦の装束を身に着けている。騎馬武者もいる。足軽もいる。見ると川の反対側からも同じくらいの武者たちがこちらをめがけて駆けてくるではないか。これはかなりの人数だ。まるで巨額の予算をつぎ込んで作った時代劇映画の合戦シーンそのままだ。

どうしてしまったのだろう?一体自分たちに何が起こったというのか?

この騒がしいようすは。。。なにかのイベントなのだろうか?いやしかし、こんな深夜にこれだけの大きなスケールのイベントなど聞いたことが無い。

その時エリスが気づいた。

「エディー、あの人たち、人じゃないわ!」

「は?」

エディーはにわかに理解できなかった。

―――あの人たち、人じゃないって。。。エリス日本語おかしいぜ。

そう思った瞬間エディーも気づいた。

「シッポがある?!」

すべての人たちのお尻からシッポが生えている。ふさふさした、まるで書道の筆のような尻尾をピンと立てて駆けてゆく。あのシッポはまさしく?!

「狸だ!」

ふたりはしばらくあっけにとられて狸の合戦を眺めていたが、やがてエディーが気づいた。

「エリス、あそこ」

対岸で頭を抱えてうずくまる人影があった。戦支度ではない、みすぼらしい麻の着物を着ている。よく目を凝らしてみてもそのお尻からシッポは垂れていない。

「人だわ!」

「行こう。人なら保護しなくては」

エディーとエリスは入り乱れる狸の兵たちをけん制しながら川を渡り、うずくまる人のもとへ走った。

「大丈夫ですか?」

「怪我はありませんか?」

不意に声を掛けられ、その人はひっ!と悲鳴を上げて頭から前方の草むらへ飛び込んだ。

「怖がらなくても大丈夫です」

「私たちは味方ですから。さぁ安全な場所まで移動しましょう」

やさしい言葉をかけられてその人は恐る恐る顔を上げてふたりを見上げた。まだ若い男性だ。頬がこけて、浅黒い顔の中で目だけが底知れぬ恐怖をたたえている。

「ひいいいい!狸の親分だ!おた、おたすけ!」

あたりを見回しても現代の徳島とは思えない。もしかしたら過去の徳島にタイムスリップしたのかもしれない。だとしたらエディーとエリスの姿はこの時代の村人の目には化け物と映ってしまったのだろう。

エリスは意を決して変身を解除した。周囲は尋常ならざる状況だ。ここで変身を解除するのは勇気が要ったが、傍らにエディーがいてくれるから大丈夫だと判断したのだ。

ドクの姿に戻って彼女はその若者の方にそっと手を置いた。

「ね、怖い思いをしたわね。でももう大丈夫だから、一緒にここを離れましょう」

やさしい声と、一風変わった装束だが、微笑んでいる女性の姿にその若者は少し落ち着きを取り戻した。

約30分後、エディーとドクはその若者を間に挟んで歩き続けた。聞けばこのまま海部村まで変えるのだという。今夜は勝浦村で宿を頼むつもりだったのだそうだ。

「勝浦村って、小松島よね」

ドクはエディーに確かめた。記憶にある地形とは少し異なるが、このあたりが若者の言う勝浦村であろうと思う。

「さぁここまで来ればもう大丈夫よ。お知り合いの漁師さんの家はわかる?」

ドクの問いに若者は首をすくめるように黙って頷いた。まだ少しエディーが怖いようだ。

「じゃあ、私たちはこれでお別れするわ。気をつけてね」

いつまでもついていっても仕方がない。ドクは頃合いを見て若者に別れを告げた。

もう一度、今度は深々と頭を下げて立ち去ろうとするその若者にエディーが声をかけた。

「ねぇ、キミ名前は?」

「。。。網児」

消え入るような声で若者はそう名乗った。

 

エディーとドクが顔を見合わせた時、周囲の景色が一瞬ぐにゃりと歪んだ。時計の秒針が半周する間もなく景色は元に戻ったが、そこはもとのフカメ島だった。

「船の準備ができましたよ。お乗りください」

警官が松林の向こうからふたりを呼んだ。

 

それより90分ほど前、徳島駅前。

バスターミナルの屋根の上に蠢く影がみっつ。

うねうねと立ち昇る瘴気の中に身を隠しているのはヨーゴス軍団の首領タレナガースと大幹部ヨーゴス・クイーン、そして怪力のサイボーグ、ダミーネーターだ。

「遅いではないか?」

「エディーめ、怖気づいたのかもしれぬぞよ」

不気味な声でなにやらボソボソとささやきあいながら駅舎のほうを見ている。

「第一、 魂切丸が無いではないか。まことにあの場所に置いたのじゃな?ダミーネーター」

「が」

肯定の返事だ。

どうやら巨大な槍と化した魂切丸を駅の真正面に突き刺した実行犯はダミーネーターであったようだ。してみるとこやつらはそこに現れるであろうアバター武者とエディーのリターンマッチを高見の見物に来たのだろう。しかし槍は既に移動させられており、路面の傷も改修されている。

「クイーンよ、ちゃんと挑戦状は結び付けたのであろうな?」

「モチのロンであるわえ」

「新しく生まれ変わった魂切丸と勝負じゃ!われらは逃げも隠れもせぬ!と書いたのであろうな?」

「モ、モ、モチのロンだわ。。。さ」

タレナガースは少しだけ目を細めてクイーンを見たが「そうか」と頷いた。

「ならばそろそろエディーめが姿を現してもよい頃じゃが。。。そもそも槍は、魂切丸はいずこへ行ったのじゃ?」

どこじゃあああああ!

徳島駅前に不気味な声がこだまして野良猫たちが一斉に毛を逆立てた。

 

(八)大団円

フカメ島から戻ったエディーとエリスはキツネにつままれたような顔をしていた。

「外傷も意識もない不思議な被害者。。。ですって?」

応対に出た警官は報告書の束を何度も何度もめくりながら困ったような顔をした。

魂切丸の刃を叩き折ってとりあえずアバター武者の被害拡大を食い止めたものの、それまでの辻斬り被害者の魂を奪還することが出来ず意気消沈していたエディーとエリスは次なる策を練ろうと県警本部に顔を出したのだ。

「いやぁ今回もお手柄でしたね」

担当刑事が満面の笑顔で出迎えてくれた。

「それにしても大きな槍でしたな。しかしどんな怪力モンスターも渦戦士エディーさんには敵うわけがない」

あまりに上機嫌なのでエリスが「あのう」と口をはさんだ。その大きな槍の前身である日本刀によって肉体ではなく魂のみを斬られた被害者たちをどうやって救えばよいものか思案していると。

「は?魂を?そんな連続事件がありましたか?いや、聞いておりませんが?」

それ以上追求すれば無用の波風を立てそうな気配であったため、ふたりはそのまま県警本部を後にした。だがどうしても得心がゆかないため、ふたりは念のために辻斬りの被害者たちが入院していた病院へ立ち寄ってみた。

「は?そのような患者さんは入院しておられませんが。。。」

ここでも同じような反応を示された。

不思議そうな視線を浴びつつ患者の名を告げて、確かにここに入院しているはずだと主張したが、受付の係は申し訳なさそうに首を左右に振るばかりだった。

「ドク、なにがなんだかわけがわかんないよ」

変身を解除して徳島城公園のベンチにヒロとドクは腰かけている。あの短くも不思議な体験をして以来、どうもこの事件に関してふたりだけが世間と違う認識を持っているようだ。

あれはいったい何だったのだろう?

「私もよ。だけど、なんかひっかかってるのよ。あの不思議な体験。。。あの青年にどうして私たちは会わねばならなかったのか?あの。。。なんて言ったっけ?」

「網児くん」

そうそう、と言いかけてドクは突然思い出した。視線の先には中央歴史博物館の建物がある。

「そうよ!網児!網児だわ!」

ドクは辻斬り事件の犯人を手探り状態で追っていた時、あの博物館で、阿波の名刀展に展示されていた魂切丸に出会った。なぜだか心惹かれるように魂切丸の前で足を止めたのだ。

そしてたまたま声をかけてきた館長に説明してもらった。あの禍々しいアバター武者を発現させる日本刀を打った刀工の名は―――網児だったと。

ドクは「なんだ?」「どうした?」と尋ねるヒロの手を引いて駆けこむように博物館へ来た。入場ドアには「阿波の名刀展」のポスターが貼られている。

―――やってる!

急いで入場券を求め、「順路」の矢印を無視して魂切丸が展示されていた最奥部へとまっすぐ進んだ。

しかしそこに魂切丸は無かった。

代わりに展示してあったのは海部村の名工、榊氏泰作の雲切丸という日本刀であった。夏の雲を思わせる見事な刃文が特徴であるらしい。

―――魂切丸がない。

呆然と立ち尽くすふたりに背後から声がかけられた。

「日本刀がお好きですか?」

振り返ると博物館の木下館長が笑顔で立っている。

「お若い方が見に来て下さるのは嬉しいかぎりです」

「あ、館長。またお邪魔しています」

ドクが頭を下げたが、木下館長は少し怪訝な顔をしたがすぐに笑顔に戻った。

「二度目のご来館でしたか。益々光栄ですな」

―――私を覚えていないの?ついこの間ここで魂切丸の説明をしてくれたじゃないですか。

ドクはだんだんわかってきた。

網児とは、魂切丸の生みの親だ。あの時狸の合戦場でうずくまる網児を助けたことで、歴史の何かが変わってしまったのだろう。

つまり魂切丸はこの世に生まれなかったのだ。生まれなかったものなら事件も起こらない。被害者だって存在しないのだ。

ひとり大きく頷いているドクをヒロと館長はきょとんと見ている。

「館長、網児という刀鍛冶にお心当たりはありませんか?」

ドクの問いに館長は少し目を丸くした。

「ほう。網児ですか?お嬢さんはかなりのマニアとみえますな。網児はこの名刀『雲切丸』の作者、榊氏泰の養子でしてな。彼自身は大した刀を残しておりませんが、子の榊氏国は、ホラ隣に飾られている美しい名刀を生み出しています。氏泰の才能は孫に受け継がれたのですね。もっとも網児は頑丈ないくさ刀を量産して大層稼いだそうですよ。榊の家はこの人の代でかなり大きくなったと伝えられています」

 

はああ。

詳しく解説してくれた館長に礼を言って博物館を出たドクは空を見上げて大きく深呼吸をした。

この事件は終わったのだと確信した。いや、むしろ起こらなかったのだ。だがヒロはまだわけがわからずドクの横顔をチラチラ見ながら歩いている。今回も命がけで戦ったヒーローに、これではたしかに失礼だ。

「ヒロ、お疲れ様。喫茶店行ってアイスコーヒー飲もう。全部話すから」

ふん、と曖昧に頷いてついてくるヒロを今度はドクがチラリと見た。

―――ふふふ、この時代の人たちだけじゃなくって、遠い昔の、江戸時代の人まで救ったのよ、あなたは。やっぱりエディーは凄い!

ドクはヒロを置いてスキップで喫茶店へ向かった。

(完)