渦戦士エディー
妖術師イカヅチ
<序章>姿なき来訪者
今夜のように月のない夜は有難い。闇は天敵からわが身を隠してくれる。
1頭の鹿が草を食んでいる。その鹿の体が一瞬ピクリと震え、頭を上げて周囲を窺っている。何かを感じたようだ。警戒している。
何だ?何がいる?何が来た?
鹿は突然弾かれたように駆け出して森の奥へと姿を消した。
ツキノワグマでもやって来たのだろうか?
その答えはまもなく判明した。
いや、判明したとて何が起こっているのか説明するのは難しい。
鹿がいた辺りの落ち葉が一斉にふわりと宙に舞い上がりゆっくりと円を描いてさらに上昇してゆく。
円を描く木の葉は次第に舞う速度を上げ、風力は増してより広範囲の落ち葉や枯れ枝を巻き上げてゆく。
やがて風と木の葉は人ひとりがすっぽりと入れそうな空気の筒を形成した。
と!
その筒の中にパリパリと鋭い音とともにプラズマが奔りだした。
満月の夜をもしのぐ光がその一角を照らし、その数瞬後!
パシュッ!
うおおおおおおおお!
ひときわ激しい稲妻とともに太い雄叫びがあがった。
それは野生動物をも凌ぐ、しかし明らかに人の声であった。
次の日の明け方、不自然なひと塊の雲が南の空からもの凄い速度で北へ向かって飛んでゆくのを多くの人々が目撃した。
どこがどう不自然かというと、雲にしては高度があまりにも低いこと。10数階建てのビルの屋上あたりをかすめるほどの低空であったという。
そしてその大きさが乗用車くらいで、まるで雲の塊と言ってよいほどに硬そうで飛んでいる間も形を全く変えなかったという。
さらにその雲が風の向きや強さなどまったく無関係のように、あたかもどこか目的地を定めて飛んでいるようだったということなどである。
偶然撮られた動画がいくつかSNSにもアップされ、いずれも閲覧数が1万件を大きく超えた。
「特撮だよね。結構レベル高い」
「あの飛び方はドローンだよ。雲の外装をまとったドローンに違いない」
などとさまざまな憶測を生んだ。
そしてさらにその2日後の夜。
何者かが徳島市内の繁華街を急襲した。
<一>はじめの惨劇
バリバリ!
ドシャーーン!
ごおおお!
通りが眩い閃光と耳をつんざく轟音に包まれ立ち並ぶビルが炎と共に崩れた。
街は一瞬でパニックに陥った。
最初の衝撃だけで気を失った人も少なくなかった。
ガシャーーーン!
ガガーン!
「うわあああ!」
「助けてくれ」
「熱い!熱い!!」
バチバチバチ!
電線が断ち切られ、降り注ぐ火花の中を逃げ惑う人々。
爆破して炎を噴き上げる車の近くで路上に突っ伏している人々。
ビルから落ちてくるガラス片を頭から浴びて出血している人々。
ガラガラガラ!!
ピシャーーン!!
目の前を稲妻が奔る!
衝撃で大地が揺れる!
閃光が視力を奪う!
ビルが次々と炎に包まれてゆく!
こんなことがあるのか?
その一角だけが切り取られたようなパニックに陥った。
「何事だ!?」
突然目の前に繰り広げられた現実離れした惨状に、交番から駆けつけた警官もうろたえた。
「ミ、ミサイル攻撃か!?」
何が何やらさっぱりわからない。ただ大勢の人々が路上に倒れている。
―――助けなければ。助けなければ。しっかりしろ!
警官は自身の精神に活を入れると急いで救急車と応援を要請し、そしてあの人のホットラインへコンタクトして震える声でその名を呼んだ。
「エディー!」
3分後、エディーとエリスが駆けつけた時、すでに新たな衝撃も爆発もやんでいた。
僅か2〜3分間の惨劇だ。
そこにはただ遠くからでも現場がわかるほどの大きな炎が舞い上がり、風に巻かれた黒煙があたりを支配していた。
「エディー、これは。。。」
搾り出すようなひとことを発したきり呆然と立ち尽くすエリスの肩をエディーが強く掴んだ。しっかりしろ!とその手の強さが語っていた。
「俺たちも救助活動に参加しよう。全力でみんなを助けるぞ!」
無言で頷くエリスと共に、エディーは滝のように降り注ぐ火花の向こう側へ姿を消した。
いつものカフェ。
マスターがトレイに乗せたふたつのカップを奇妙な常連客の前に置いた。
チラリと彼らの顔を窺う。
いつもなら席に着くなりガサガサと新聞を広げて記事を指さしながら顔を近づけてヒソヒソとなにやら話しているジャージふたり組が、今日は何も話さない。微動だにしない。
―――これはこれで気味が悪いな。
「お待たせしました。どうぞごゆっくり」
女の子が無言でペコリと頭を下げた。
トレイを右手にぶら下げたままマスターは俯いたままのふたりを見ながらカウンターの向こうにまで後ずさりした。
「死んだ人はいないんだよね、ヒロ」
コーヒーがすっかり冷めた頃、ドクの蚊の鳴くような声がようようした。
「犠牲者はいない。。。ひとりもね」
こちらはオスの蚊だ。
「けが人は?」
「重傷者19人、火傷を負った人が14人、そのほか擦り傷、切り傷、打撲、捻挫などが合わせて33人、煙を吸い込んで治療を受けている人が18人」
何度も何度も新聞記事を読んですっかり暗記している。
「重傷者は多いけれど、命を落とした人がいなくて本当によかったわ」
ドクの言葉にヒロは無言で頷いた。
だがよかった、とは両名ともまったく思ってはいない。
当然だ。
徳島市の繁華街を何者かに急襲されて多くのけが人が出た。死者が出なかったのはただ運がよかっただけなのだから。
―――あれほど毎日パトロールしていたのに、結局俺たちふたりだけじゃどうにもならないのか?
ヒロは拳を己のひざに打ちつけた。
ドクが顔を上げてヒロの顔を正面から見た。
「タレナガースのしわざだと思う?」
そう問いかけるドクの表情からは何か決然としたものが窺えた。いつまでも落ち込んではいられない。次の惨劇を必ず未然に防がなければ!という決意に満ちている。
ヒロはドクの問いに、にわかに答えられなかった。犯人については彼だって当然、いや真っ先にヨーゴス軍団の名前を脳裏に浮かべた。
しかし何か変だ。。。
「タレナガースにしては。。。違和感が残るんだ」
それを聞いたドクが頷きながら身を乗り出した。
「私もなのよ。ヨーゴス軍団が暴れてあのありさまになったとはどうも思えないわ。タレナガースならもっとこう。。。見せびらかすというか」
「自分のしわざであることを言いふらしてヨーゴス軍団に対する恐怖心を煽るというか」
ヒロはドクは人差指で互いをさして頷きあった。ヒロもドクもこれまでうんざりするほどヨーゴス軍団の犯行を目の当たりにしてきた。ヤツらの悪事に対する嗅覚のようなものが培われている。
その嗅覚が今回は「YES」と言わないのだ。
「もう一度事件を丁寧に検証してみよう。犯人につながる何かが見つかるかもしれない」
今できることはそれしかなかった。ならばそれをやる。
ふたりは頷きあうと冷めたコーヒーを一気に飲み干すとカウンターの向こうにいるマスターに向って声を上げた。
「マスター厚切りピザトーストセットふたつ!」
暗闇。
押し潰されそうな暗闇だ。
だが同時に、形容しがたい張り詰めた空気に満ちている。
その暗闇からぬぅと青白い顔が現れた。
肉がついていない。骨の顔。。。しかも人の顔ではない。
恨みにゆがみ、憎しみにねじれた異形のシャレコウベだ。
眼球のない吊り上がった眼窩の奥には怪しい炎が揺れている。
口元からは1対の鋭いキバが突き上げるように伸びている。
徳島県民なら誰もが一度は悪夢にうなされたであろう不気味な顔。
悪の軍団ヨーゴスの首領タレナガースだ。
かあああああ!
突然タレナガースがどす黒い瘴気を吐いた。
何やら怒っているようだ。異様に張り詰めた空気はこやつの怒気のせいであったか。
「タレ様や、われらのアジトで瘴気を吐いても何にもならぬわ。もともと暗いうえに戦闘員どもは瘴気を吸って喜んでおるし。どうせなら人間どものたくさんおる場所で吐きなされ」
「うるさい!」
もうひとつのしゃがれた声には聞き覚えがある。
タレナガースの右腕にして残虐かつ冷酷なる紫の魔女、ヨーゴス・クイーンだ。
「いかがなされたのじゃ?先刻より何を拗ねておられるのじゃ」
「拗ねてなんぞおらぬわい!ほっといてくれ」
「どこからどう見ても完全に拗ねておられるではないか。見事な拗ねっぷりじゃ」
かああああああ!
狭いアジトの中はすでに瘴気でいっぱいだ。ま、暗くてわからぬが。
「まぁわかっておるわ。昨夜のアレであろう?どこぞの誰かが繁華街をハチャメチャにぶっ壊して、人間どもがたくさんケガをしたアレ。要は羨ましいのじゃろ。自分がやりたかったことを先に誰かにやられてしもうて悔しいのであろう」
かああああああああ!
「ええい、うっとうしい。腹が立つならタレ様も同じことをおやりなされ」
「今からやっても二番煎じではないか。真似したと思われるに違いないわい」
「誰に思われるのじゃ?前のヤツよりも派手にやればよいではないか」
「前のヤツ。。。そうじゃ前のヤツ。まずは余を出し抜きおったそやつを見つけ出さねばなるまいて」
「どうやって見つけ出すのじゃ?手がかりなんぞあるまいに」
ヨーゴス・クイーンの問いかけにシャレコウベづらが更に歪んでニヤリと笑った。
「あれはのうクイーンよ。力で殴りつけたり火薬で爆破したものではないのじゃ」
「ほう。あれだけの破壊を力も道具も使わずにどうやってやらかしたというのじゃ?」
「妖術よ」
「なんと!?今の世に妖術使いがおると申されるか?」
「おうよ。妖術使いの匂いがプンプンしておるわ。これほどの手がかりがあれば犯人探しはさほど難しくはあるまいて。ふぇっふぇっふぇ」
そう言うとタレナガースはうんうんと頷きながらそそくさとアジトを後にした。
その後姿を見ながら、ヨーゴス・クイーンはため息をついた。
「やれやれ、まるでオモチャを壊された子供じゃ」
そう言うとその気配を出口とは逆の暗闇の奥へと消した。
<二>イカヅチ転生
里山の、ひときわ背の高い木のてっぺんに立つ人影あり。
後頭部で引き結んだ総髪が流れる雲によって見えかくれする月の光を浴びて黒く、あるいは銀色にも見える。
首から下は篠懸や括り袴といった修験者を思わせる法衣を纏っている。
だがいずれも汚れ破れてボロボロである。
よく見れば木の先端の細く尖った部分にバランスも崩さず直立している。足の下の木もまた歪みも曲がりもせず、まるで何も乗っていないかのようだ。
物理的にありえない。
頬骨が高くえらが張った四角い顔だ。への字に結んだ口からは、いかにも負けず嫌いな印象を与える。
人相からして年のころは40代半ばか。白い無精ひげが頬からあごにかけて生えている。
最も異様なのは、細い目の奥の眼球が真っ赤に染まっていることだ。人の目ではない。
血のように赤い目が、今また雲間から顔を出した三日月をじぃっと見上げている。
ボソリと呟いた。
「何という世界か。。。」
この男、名をイカヅチという。
平安時代の後期、イカヅチは前ぶれ無く雲に乗って都の上空に現われた。
摩訶不思議な妖術を使う。
修験者を思わせるその装束から、いずれ山岳密教に伝わる呪術使いであろうと都の公家たちは噂しあった。
山岳密教の修行僧たちはその験力によって国家安寧をもたらすべく当時の貴族たちとも結びつきを深めていた。
やがては陰陽道など国家の直属機関となり、悪しきものどもを都から遠ざけるべく活動した一派もあった。
イカヅチが都に姿を見せるようになった数か月前、そうした朝廷直属の妖術師たちの進言で、他流派の妖術使いの村がいくつか襲われて滅んでいた。
この男はそうした村の生き残りであった。
深い恨みそのままに、イカヅチは執念深く帝を苦しめようとしていた。
毎夜御所の周辺に雷を落として帝を驚かせるのだ。
夜空を指差して「あやつを討て!」とヒステリックに喚きたてる帝の命をうけ、功を争う警護の武士たちが目の色を変えて矢を放ったが、イカヅチの乗った雲はスイスイと矢をかわし、逆に落雷で武士達をなぎ倒した。
遠からず御所を残して都じゅうが焼け野原になるであろう。そして最後の標的は。。。
帝は恐怖のあまり泣き喚き続けていたが、やがて精も根も尽き果てて寝込んでしまった。
そんなことが続くある日、ひとりの若き妖術使いがイカヅチの前に現われた。
立て烏帽子を被り武家を模したひたたれを着用している。
一見青白い公家のようだが、その若者は、凄まじい妖術の使い手だった。
若い妖術使いはイカヅチの雲を彼の思う方向と逆に飛ばし、放たれた雷撃を天空へと跳ね返した。
再三邪魔をされて業を煮やしたイカヅチはある夜、その若い妖術師に勝負を挑んだ。
真正面からぶつかりあった妖術の真剣勝負はイカヅチの完敗に終わった。
イカヅチは動きを完全に封じられて御所の庭に転がされた。
そんなイカヅチを指さして帝は狂ったように笑った。
「殺せ!さんざん苦しめてから殺すのじゃ!」
妖獣の体毛で編まれた縄はイカヅチの肉体に食い込んでいた。指一本動かせぬイカヅチは数人の男達に担がれて宇治川まで運ばれた。
―――儂をここに投げ込むのか。。。
「この川は海に通じておる。そなたの命運も尽きたかのう」
イカヅチを担いでいた従者のひとりが面白そうに言った。
その時若き妖術使いが担がれたイカヅチの耳元でこう呟いた。
「帝にはさらし者にした後で首をはねよと命じられておる。じゃがそなたを川に運んできたのには訳がある」
昨夜の雨で宇治川は増水している。
「ひとつ我と賭けをせぬか。そなたの運命がどれほど強いかを賭けるのじゃ」
息がかかるほど近づけられたその顔に嚙みつこうと歯をむいたが、若者が手にした扇でピシャリと眉間を打ち据えられた。
「おとなしゅう聞くのじゃ。賭けに勝てば貴様は命を長らえる。自慢の妖術でこの難儀を切り抜けてみよ。但し二度と都には近づくな!次は容赦なく命を貰い受ける」
若い妖術使いはまじめな顔でそう言うとイカヅチを宇治川へと放り込んだ。
気がついたらどこかの砂浜に流れ着いていた。
―――生きておったか。
賭けに勝ったかと喜んだのもつかのま。縄で縛られて砂浜に横たわるイカヅチの姿を最初に見つけた漁師が代官所へ届け、イカヅチは今度は代官所の庭に転がされた。
「縄を打たれておるところをみると罪人には違いあるまい」
と頬ひげをはやした役人が言った。
―――この縄を解け。
そう言おうとしたが声が出ない。いや、発してはいるが蚊の鳴くような小さき声だ。口元に耳をぴったりと付けなければ到底聞こえぬほどの。
一方役人の方でも全身グルグル巻きでは立たせるにも歩かせるにも手がかかってしかたがないため足の縄だけでも切ろうとしたが刃を当てると縄が眩い火花を発して刀を弾いた。
「この縄、なにやら呪いが込められておるようだ」
「してみると、こやつも人ではないのかも知れぬ」
「一刻も早う首をはねよ!」
そしてイカヅチは代官所の裏手の河原へとひきずられ、ほどなく首をはねられた。
役人の太刀がイカヅチの首に食い込むその直前まで、その口でなにやら呪文が唱えられていたのだが誰も気にはとめなかった。
離れ離れになった首と胴体を同じ穴の中に放り込んで、すべては終わった。
その時代の役人たちにとっては。。。
そして今。
あれからどれくらいの時が過ぎたのであろうか。
死の間際に発動させた妖術は見事に成功した。
「これぞ忌伝転生の術よ」
忌伝転生の術によって自分はちゃんとこの世に蘇ったのだ。
あの時、役人どもに首をはねられる直前まで詠唱した長い呪文は見事にイカヅチの肉体をこの世に復活させた。
刑場の河原までひきずられて、首をはねられるのが先か。呪文の詠唱を終えるのが先か。
さすがのイカヅチも肝を冷やしたが。
こうして現世に戻ったからにはもう一度我が妖術にて国中を恐怖のどん底に叩き込んでやる。
「どうじゃ若造。儂は賭けに勝ったぞ」
イカヅチは天に向かって吠えた。
だが肝心の「この世」の方がおかしなことになっていた。
町には身分の判然とせぬ異国の装束をまとった男女があふれている。
どれが公家でどれが町人かさっぱりわからぬ。
それに人が乗っている鉄の車。牛に曳かれているわけでもないのに驚くべき速さで走っておった。
「もしや、妖術の世界なのか。。。?」
この世に復活し、無敵の妖術を駆使して朝廷をひっくり返してやろうと思っていた。
だがまるでようすがわからない。
夜だというのに昼間よりも明るくやかましい街があったので試しに忌伝鳴神の術で落雷を落としてやった。何か反撃があるかと思ったが矢の一本も飛んで来ぬ。
「どうなっておるのだ?」
苛立ちは増すばかりだ。
「ええい、考えておっても始まらぬ。もう一度どこぞの村を襲ってみるとするか」
イカヅチは目を半眼にすると口の中で何やら呪文を唱え、左右の指を幾重にも組み合わせて複雑な印をいくつも結んだ。
「忌伝招雲の術」
いずこからかひと塊の雲が飛来した。まるで広大な雲の端っこを掴んで引き千切ったかのような塊だ。
イカヅチが巨木のてっぺんからその雲にひょいと跳び移ると、その姿は月の光の及ばぬ夜の闇の中へと吸い込まれるように消え去った。
<三>イカヅチVSタレナガース
イカヅチを乗せた雲は徳島市内にある大きなショッピングモールの上空にいた。
徳島市中心部を流れる川の河口にほど近い場所に立つ巨大なショッピングモールだ。
「なんと大きな屋敷じゃ?」
これほどの高き建物は見たことが無い。奇妙な白い石のカタマリでできた要塞のようだ。だが己が会得した妖術の凄まじさを誇示する標的として不足は無い。
見せてやる、忌伝鳴神の術。
印を結び始めたその時だ。
「見つけたぞよ、妖術使い」
ショッピングモールのすぐ脇をはしる高架道路から不意に声が上がった。
人の声ではない。地獄の釜の中から響くような声だ。
大きな声ではない。だが耳元で囁かれたような声だ。
転生した魔人の赤い目が声の主を睨みつけた。
丸い不安定なガードレールの手すりの上に立つは魔人タレナガース。
シャレコウベの顔、ドクロの胸当て、迷彩色のコンバットスーツ、ヒグマを連想させる毛深い腕と鋭く長いツメ。
「ひとりでずいぶんと楽しそうじゃのう」
「貴様は。。。人ではないな。何者?」
「ふん!お互い様じゃ。そのほう、反魂の術か何かで蘇った者であろう?」
「忌伝転生の術よ」
「ほう。聞いたことがあるぞよ。かつて奈良の山奥にその術を伝える山里があったそうな。確か道しるべの無い村、無標村(なしるべむら)というたかのう」
「物知りなのはよいが、おしゃべりが過ぎる」
「ふぇっふぇっふぇ。気にするでない。こうみえても余は怒っておる」
人ならぬ魔人同士、妙に話が弾んでいるようにも思えるが。
「貴様が何者か知らぬが物知りついでに教えてくれぬか。儂が生きておった時代からどのくらい経ったのじゃ?今のこの世はいったいなにごとなのじゃ?」
問われたタレナガースはグイと胸をそらせて嗤った。
「妖術がこの世にはびこっておった時代からじゃと、ざっと1100年ほどじゃな。どうじゃ、世の中が変わりすぎて面食らったであろう」
「1100年か。さもありなん。じゃが世の中がどう変わろうがすべて灰にしてしまえば同じこと。儂の妖術を使って今一度この世を作り直してくれる!」
「ふぇっふぇっふぇ。愉快愉快。じゃがな!」
肩を揺らせて嗤っていたタレナガースが不意にキバをむいた。
「余の楽しみを横取りすることは許さぬ!」
ごおおお!
タレナガースの咆哮が戦闘開始のゴング替わりであった。
「不思議よねぇ。あれだけの爆発と破壊が起きていて、火薬や砲弾の欠片が何ひとつ残されていないなんて」
「可燃性の何かが引火した形跡も無いそうだよ。スプリンクラーが稼働する間もなく建物そのものが崩壊している。すごい破壊力だ」
被害を受けた現場を見て回りながらエディーよエリスはしきりに首をひねった。
「うん。警察が出した結論は落雷だって。。。だけどあの日の天気は快晴で雷雲なんてどこにも観測されていないんだよ。それにこの通りに並んでいるビルだけに順番に雷が落ちるなんてことあるものなのかい?」
廃墟と化した雑居ビルの中を覗きながら、エディーも困惑を隠せないようすだ。
「ないわよね、そんなこと」
エリスの答えはそっけない。飛び散った破片や焦げた木片を拾ってはつぶさに観察している。
しかし、あり得ないことがおこったということになれば、徳島の場合はヨーゴス軍団のしわざという答えになるが。。。結局疑問はふりだしに戻ってしまうのか?
「危ないですよ!」
警官の一人が鋭い声を上げた。
エディーとエリスがそちらを見ると、破壊されたコンクリート片やガラスを踏みしめて歩いている老人が目に入った。
無造作に肩まで伸びたぼさぼさの白髪、白だったのかグレーなのか元の色さえも判然としない汚れたトレーナーに穴の開いたデニム。スニーカーはあちこち破れて足の指も見えてる。そんな靴でこの辺を歩けば怪我をしてしまう。
「ここは立ち入り禁止です。早く退去してください」
さぁ!と促す警官にぼそぼそと何か言ったようだが、強い口調で退去させようとする警官は聞く耳を持たない。
「おじいさん」
エリスが駆け寄って老人に語りかけた。警官に後は任せろと目配せする。
「どうしたんですか?ここに住んでいたんですか?大切なものを探しているの?だったら私一緒に探します」
背に手を回してやさしく話しかけるエリスに老人は小さな笑みを浮かべてポツリと言った。
「大事無い。。。」
「え?」
聞き返すエリスの手をそっと払うと<立ち入り禁止>と書かれたバリケードテープをくぐって夜の町に姿を消した。
「どうかしたかい?」
なぜか気になってその後ろ姿をじっと見送るエリスの傍らにエディーがやって来た。
「ううん。でも、あのおじいさん、なんか。。。声は弱弱しいのに。。。妙に覇気があるというか品があるというか。それに」
「それに?」
「去り際に『大事無い』って言ったのよ」
「お侍みたいだね?」
「お侍っていうか。。。アクセントがお公家様?なんかそんな感じかしらね」
その時、停めてあったヴォルティカの車載無線が緊迫した声を伝えた。
<リバーサイドショッピングモールにタレナガースが現われました>
「タレナガースが!?」
やはりヨーゴス軍団の仕業なのか?
だが緊迫の声はまだ続いた。
<そしてもうひとり、宙に浮いた謎の人物がタレナガースと対峙しています>
エディーとエリスは思わず顔を見合わせた。
わけがわからないがとにかく現場へ!
ヴォルティカのエンジンが雄叫びを上げた。
ショッピングモールでは警備員がいち早くこの異変に気づき、店内の買い物客の避難誘導を始めた。
「慌てないで。できるだけ北側の出口から避難してください」
「車は置いて徒歩で避難してください。車はだめです!渋滞で動けなくなります」
「前の人を押さないで。大丈夫、この建物は頑丈ですから」
ショップの店員たちも加わって懸命の避難誘導が続いた。
その時。
ドガーーーン!
「うわっ」
「きゃああ」
凄まじい轟音と共に建物が揺れて窓ガラスがビリビリと震えた。
「始まったぞ」
警備員が眉間にしわを寄せて呟いた。このショッピングモールは以前も一度ヨーゴス軍団の襲撃を受けたことがある。あの時よりも落ち着いて行動しなければ。警備員は自分に言い聞かせて誘導を続けた。
「窓ガラスに近寄ってはいけません。さぁ、奥の壁伝いに逃げましょう!」
「ほほおおお!」
煙を上げるケモノのマントを見つめながらタレナガースは感嘆の声を上げた。
「標的の頭上に雷雲をこしらえて至近距離から落雷を食らわすか。面白い!」
一方のイカヅチも平然と雲に乗っていながら内心驚愕していた。
―――カミナリを真上から受けながら毛皮の母衣1枚で防ぎおった。。。なんというヤツだ」
初手で互いの力量を知り、只者ではないと悟った両者は次の一手をどう打つかほんのわずか逡巡した。
動いたのはタレナガース。。。いやヨーゴス軍団であった。
音もなく高空から落下したゴキブリモンスターがイカヅチに体当たりした。体長2メートルを優に超える巨躯によるトペ・スイシーダをまともに食らってイカヅチはうめき声と共に雲から落下した。
ゴキブリモンスターはすぐに羽を開いてブウウウンと再び上空へ舞い上がり、イカヅチの方は地面に激突する寸前急降下してきた雲にすくいあげられた。
「むむうう」
転生した身でも苦痛はついて回るようだ。イカヅチは激突された右の肩から背中にかけて痛みで動かせない。
「いかがした?長い間居眠りをしていて戦い方を忘れたのではないか?ふぇっふぇっふぇ」
「確かにその通りだ。おかげで目が覚めたわ」
―――逃げ回る公家どもに稲妻を浴びせかけるのとはわけが違うということか。
イカヅチを乗せた雲が上昇してゆく。
再びゴキブリモンスターが飛来する。不意打ちが成功するのは1度だけだ。今度は正面から突っ込んできた。左右にゆらゆらと揺れて相手を幻惑する。ゴキブリにしては利口な戦術だ。だがイカヅチは激突の瞬間足元の雲を蹴って飛び上がり、ゴキブリモンスターの巨体をやり過ごす。
標的を見失ったゴキブリモンスターは空中で大きくバランスを失ったが、すぐに態勢を立て直すとUターンしてまた襲いかかってきた。
迎え撃つイカヅチは円を描くように空中を移動する。ゴキブリモンスターがそれを追う。
タレナガースは腕を組んだまま、目だけで両者の動きを追っている。イカヅチがタレナガースの背後に回りこんだ。
―――む?風上に回りおったか。
タレナガースは嫌な予感がしたが、ゴキブリモンスターは構わずイカヅチめがけて突っ込んだ。
イカヅチ、ゴキブリモンスターそしてタレナガースが一直線上に並んだその瞬間。
バババババババ!
火花を散らせて大気が爆ぜ、短い炎が宙を奔った。
ゴウァ!
「むん?」
空中を走る炎はゴキブリモンスターの全身を包み、さらに進んでその向こうに立つタレナガースに襲いかかった。
炎の先端が触れようとする刹那、タレナガースはケモノのマントを広げて強い海風をはらませるや、後方にあるショッピングセンターの屋根へと跳んだ。
炎に包まれたゴキブリモンスターが落下してゆくさまを見ながらタレナガースは牙をむいた。
「彼奴め、海風に乗せてリンを大気中に流しおったな。空中で発火させてゴキブリモンスターと余を同時に狙いおった。それゆえ余の背後に回り込んで海風を背に受けたか。やりおる」
空気中に漂わせたリンを花火のように発火させ、敵の目をくらませる。火遁の術の応用技だ。
再び対峙するふたりの魔人。
かああああああ!
タレナガースが瘴気を吐いた。
強い海風などものともせず、真っ黒な瘴気はみるみるイカヅチを包み込んだ。
「これよりは接近戦じゃ!」
タレナガースがショッピングモールの屋根からジャンプしてイカヅチを包む瘴気のゾーンの中へと身を躍らせた。
ブウン!
漂う黒い瘴気を裂いてタレナガースの熊の如き鋭く大きなツメが振り下ろされた。
イカヅチは素早く体をかわしてよける。しなやかで早い。生前は森の中や足場の悪い河原などで鍛錬したのだろう。
そのツメの奥へ、反対側からつぶてが飛んだ。
手ごたえはない。
先刻より真っ黒な霧のごとき瘴気の中で恐るべき戦いが続いていた。
瘴気を払って突如現れる得物や腕しか見えず、その本体は黒い霧の向こうだ。だが戦っている双方には見えているのか?
タレナガースには見えていた。己が放った瘴気である。目玉のないこやつの目には何の障害ともなってはいなかった。
片やイカヅチは気配で悟っていた。漆黒の闇の世界でイカヅチは目を閉じている。だが人外の奇怪な気配は白日の下で見ているようにはっきりとわかる。もとよりタレナガースは気配を消そうともしておらぬ。
ケモノのマントが翻ってその中から手品のように1本の棒が現れた。左右の先端には小さいが鋭い鎌が取り付けられている。
タレナガースはその棒を巧みに操り敵を薙ぎ払わんと振る。鎌ではなくとも棒の打撃を受ければ腕がへし折れるであろう。
突き、あるいは払う。見事な棒術だが、敵も間一髪でその棒と鎌を避ける。対してイカヅチは得物は持っていない。
いつしかイカヅチは防戦一方となっていった。
「ふぇっふぇっふぇ。どうした?暗器のひとつも持っておらぬのか?」
「ふん、1000年も経てば道具などもはや使い物にはならぬわ」
「そりゃそうじゃ。ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。だが手加減はせぬぞ」
タレナガースが棒を大きく振りかぶった。渾身の力を込めた一撃を食らえば頭部は原形を留めまい。
その時!
「むむ!?」
素早く印を結ぶイカヅチの体が一瞬ぼやけると、左右に1体ずつ同じ姿のイカヅチが現れたではないか。
「分身の術か」
ほんの一瞬攻撃を躊躇したものの、タレナガースは棒の先端の鎌の刃を横にして3体のイカヅチを一気に薙ぎ払った。
イカヅチの姿は腰のあたりで切断され、ゆらゆらと揺らぐと3体すべてがそのまますうぅと消えてしまった。
「ん!?」
ひゅひゅっ!
カッカカッ!
瘴気の向こうからツブテが飛んで狙い違わずタレナガースの眉間辺りにすべて命中してめり込んだ。
それは武器を持たぬイカヅチがあらかじめ河原の石を拾って鋭利に削ったものを懐に忍ばせておいた唯一の飛び道具だった。ただの石でもこの男が投げれば木の枝くらいはへし折る。人間の額に当たれば致命傷は免れまい。
命中の衝撃で頭を後方にのけぞらせて動きを止めたタレナガースが顔を元の向きに戻すと同時にツブテが飛んだ方へ突進した。
「おおおおお!」
気合一閃、棒の先端を一気に突き出す。
―――捉えた!
だが脳天を貫いたと思ったターゲットはまたもや残像で不意に姿を消した。
「むむむ、どこへ。。。ぬお!?」
消えたと思ったイカヅチはなんとその棒の先端に立っていた。
口元を歪めて笑っている。
なんと重さをまったく感じない。まるで羽根のように立っている。
そのままススーっと滑るようにタレナガースの手元まで近寄ると倒れこみながら肘をタレナガースの喉に打ち込んだ。
ぐえっ!
シャレコウベづらが一瞬歪む。防具の無い喉がグシャリと音を立ててへしゃげてタレナガースは棒を握ったまま仰向けにひっくり返った。
たたみ掛けようと踏み出したイカヅチの足が不意に止まった。
いつの間に移動したのかイカヅチの背後から太い腕が首に巻きついてその頭をあり得ない角度にねじ曲げた。
ふぇっふぇっふぇ。
だが次の瞬間、タレナガースの頭上に小さな雷雲が現われた。
「ちっ!」
バリバリバリン!
落雷が脳天を直撃する寸前、タレナガースはイカヅチの首から手を離し瘴気の奥へと飛び去った。
忌伝鳴神の術。
魔人同士の常識はずれの戦いは凄まじいながら決め手とはならなかった。
両者は黒い霧の中でしばし間合いを取った。
「ふぇっふぇっふぇ。よい腕じゃ。せっかくこの徳島に仇なさんと蘇った者を屠るのは、なにやら惜しい気がしてきたわい」
タレナガースのシャレコウベにめり込んでいたイカヅチのつぶてがポロリポロリと落ちて額の窪みがすぅっと消えてゆく。
この時タレナガースは近づいてくるもうひとつの気配に気づいていた。
「決め手がないと見て懐柔にかかったか?」
「いや、選手交代の潮時かのうと思っただけじゃ」
その時、マシン・ヴォルティカが爆音とともに屋上に到着した。
タレナガースが「ふふん」と鼻を鳴らした。
「決め手がないのはお互い様じゃ。じゃが、気が変わったのも確かじゃのう。ここいらで余の宿敵をそなたに紹介してみようと思う」
タレナガースがショッピングモールの屋上を横目で睨んだ。
ブオン!
まるでタイミングを計ったかのように1台のサイドカーが猛スピードで屋上に駆け上がってきた。
「来たおったかエディーめ。毎度おじゃま虫じゃのう」
バトルフィールドを覆っていた黒い瘴気が大気に溶け込むように消えて二人の魔人の姿が再び白日の下に現われた。
タレナガースが腕組みをしたままマシン・ヴォルティカを睨みつけている。一方のイカヅチもその爆音に背後を振り返った。バイクを珍しそうに眺めている。
「タレナガース!貴様ここで何をしている!?」
「偉そうにそんな所でふんぞり返っていないでここへ降りてきなさいよ」
エディーとエリス。タレナガースと対峙している雲に乗った奇妙な人物に注意しつつ、まずはタレナガースに食いついた。
「それから君。不思議な技を使うようだが、いったい何者なんだ?タレナガースと戦っているようだけれど、人々が怯えて逃げ惑っているじゃないか。いますぐやめるんだ」
「エディー気をつけて。タレナガースと戦っているからといって私たちの味方とはかぎらないわよ」
エリスは正体不明の人物が体から放つ怪しい気を感じ取っていた。好きにはなれない!
「あれは誰だ?」
イカヅチがタレナガースに問うた。例によって小声だが相手の耳元で語るようにはっきりと届く声だ。これも忍びの発声法なのだろう。
「ふん、我らのような魔物にとっては天敵ともいえるような輩じゃ。いずれ貴様にとっても邪魔者となるであろうよ」
その時、タレナガース一味が最も嫌うあの気配がして青い光の鎌が飛んできた。
エディーが放ったタイダル・ストームだ。
「おおっと」
タレナガースは大きく飛びずさった。
その攻撃を見たイカヅチは目を丸くした。
「ほお」
―――こやつも妖術を使うか。それもとてつもない力よ。
当のエディーは青い刀身のエディー・ソードを構えて仁王立ちだ。
それを見たタレナガースは小さく首を振るとプイとイカヅチに背を向けた。
「無粋な渦戦士のせいで興が冷めたわ。イカヅチとやら、この決着はまた今度。とりあえずあやつと手合わせしてみよ」
そう言うと、タレナガースは再び自ら吐いた瘴気の中へと姿を消した。
残されたイカヅチは渦戦士を正面から見た。
「我が名はイカヅチ。うぬはエディーと申すか。青き光の刃、見事な妖術じゃ。じゃが我らとは違うてあまりに清清しい。相容れぬのう」
「妖術だって?何を言っている。イカヅチ、君は何者なんだ?先日の繁華街襲撃は君の仕業なのか?」
「そうじゃ。この狂った世の中を一度たたき壊してやりとうてのう。ゆえに、邪魔はするなよ」
エディーを睨みつけるイカヅチがキバをむいた。
「そういうわけにはいかないな」
凄むイカヅチを正面から見据えてエディーは平然と宣言した。
戦いのゴングはそれで充分だった。
<四>イカヅチVSエディー
シュ シュシュッ!
イカヅチの手から石つぶてが飛ぶ。
ギンギギン。
咄嗟にエディー・ソードでそれらを受けるが、青い刃をすり抜けた一打が肩のアーマを削った。
エディーから攻撃を仕掛けようにも、イカヅチは雲に乗ってあちらこちらと上下左右に動いて捕まらない。
両手を何度も組み合わせてなにやら印を結んでいる。
攻めあぐねているエディーの頭上に音もなく黒い雲がわきあがってきたが、エディーは気づいていない。
だがヴォルティカのサイドカーで戦況を見ていたエリスが気づいた。
「エディー!真上よ。かわして!」
その声が耳に届くと同時に頭上を確かめもせずエディーが横に跳んだ。
バリバリ!ドドーン!
間一髪。1秒前までエディーが立っていた場所に鋭い閃光と火花が起こった。
「落雷?あんな所から?」
エリスは目を見張った。と同時にすべての疑問が氷解した。
―――エディー、町を壊したのは今の技よ。標的の真上にピンポイントで雷雲を作って落雷を浴びせるんだわ」
「くそ、恐ろしい術だな」
「はっはっは。苦労して会得した我が妖術をそのように褒めてくれるとは、嬉しいぞエディーとやら」
笑いながらもイカヅチは印を結んでエディーを狙っている。
再びエディーの頭上に雷雲が現れた。
ピシャ!バリバリ!
ガガガーン!
「うお!」
エディーはよけきれず、稲妻の直撃をエディー・ソードで受けた。
とんでもない衝撃と圧力がエディーの全身を襲い、エディーは思わず片膝をついたが、稲妻はソードの刀身に当たると、まるで傘から跳ねる雨のように四方へ散って屋上のコンクリートに穴を穿った。
―――今のは?
「よう受けたのう。だがいつまで持ちこたえられるかな?」
イカヅチは印を結んで短い呪を唱え続けた。
パリパリッ!
ビシッ!
バシュ!
エディーの頭上に繰り返し黒雲が現れ、そこから雷鳴とともに稲妻が奔った。
2度、3度。エディーは間一髪でその稲妻をソードで受け続け、その都度ショッピングモールの屋上には雷撃による焦げ跡や抉られた穴ができた。
そのようすをじっと見ていたエリスのゴーグルアイがキラリと光った。
―――思った通りよ。ソードに当たった稲妻はソードの表面で弾かれているんじゃなくて、ソードの内部から放たれている。渦エナジーの特性によるものかしら。ほんの一瞬だけど雷撃を刀身に取り込んでいるんだわ。だったら。。。
「エディー、雷撃を受けた瞬間エディー・ソードの切っ先をイカヅチに向けられる?」
「切っ先を?やってみるよ」
―――とてつもなく難しいことをサラリと要求してくれるぜ。だが、エリスが言うなら。。。
またもや真っ黒な雷雲の塊がエディーの頭上に現れた。内部では赤い光が明滅している。凄いパワーを内包しているようだ。
ふん!
印を結んだイカヅチが気合を入れると、稲光が奔って直下のエディーめがけて電撃が放たれた。
ピカッ!ドドーーーン!パリパリ。
「くっ、キツイぜ」
ひとつ間違えば致命傷を受けるであろう一撃を、エディーは頭上にかざしたエディー・ソードで受け、その切っ先を雲に乗って浮遊しているイカヅチの方へ何とか向けた。
バシュッ!
エディー・ソードを通って凄まじい勢いの雷撃が、それを発射させたイカヅチめがけて奔った。
「ぬお!」
イカヅチは躊躇なく乗っていた雲から飛び出して雷撃を避ける。エディー同様信じられない運動能力だ。
「エリス、これは?」
「詳しくは説明できないけれど、渦エナジーで構成されたソードの特性かもしれない。ほんの1、2秒だけどソードが雷を刀身に留めていたのよ。ソードがグラグラしていると四方へ飛び散ってしまうのだけど、しっかりと固定させて狙えば思った方へ放てるみたい」
「なるほどね」
エディーはエリスの観察眼に舌を巻いた。相変わらず頼りになる。
落ちてゆくイカヅチは、飛来した雲がすかさず受け止めて再び雲の上に立っていた。
「ふう、さすがにあの雷を受けては儂といえどもたまらぬわ」
イカヅチは一旦すううと高度を取り、ショッピングモールよりかなり高い空中から屋上のエディーたちを見下ろした。
「なるほどさきほどのタレナガースとやらが目の敵にするのももっともな強さじゃ。それよりも。。。」
イカヅチの赤い視線がわずかに動いた。
「あの後方の者、おなごのようじゃが。。。あやつがエディーとやらになにかと策を授けておる。それがことごとく的を射た策。。。となれば」
イカヅチがニヤリと凄みのある笑みを浮かべた。
「次はひと味違うぞ」
すうううと高度を下げるとイカヅチは両手の指を絡めて複雑な印を結び始めた。
「また来るか」
ソードを構えるエディーに、エリスがパウチから赤い三角のコアを取り出して手渡した。
そしてなにか耳打ちをする。
「。。。。。。わかった?いいわね」
頷いたエディーは赤いエディー・コアを胸の青いコアにあてる。ふたつのコアは融合し、赤い渦エナジーがエディーの全身にみなぎってその体色をみるみる紅に変えてゆく。
エディー・アルティメットクロス。
「むん?変わりおった」
一瞬イカヅチの赤い目に警戒の色が浮かんだが、それでも印は結び終えていた。先刻よりも少々複雑な印と長い呪であったが?
アルティメットクロスは体内の渦エナジーを両手に集めて錬成し、赤く光るアルティメット・ソードを出現させた。ノーマルモードの青いソードよりも長くて大きな大剣だ。
アルティメットクロスはソードを頭上にかざして雷撃に備えた。
「今度こそお前が放った雷をお前自身にくらわせてやるぜ」
だが。。。
「おかしい、雲が沸き上がって来な。。。!」
頭上を警戒していたアルティメットクロスは驚愕した。
「しまった」
ヴォルティカのサイドカーに座って戦況を見守るエリスの頭上で大気が音もなく渦を巻き始めている。そして彼女は気づいていない!
「エリス危ない!」
バリバリバリ!
ガガーーーン!
エリスがいたあたりに閃光と共に黒煙が上がり、炎と共にヴォルティカが宙に跳んだ。
「やったか?」
イカヅチが体を乗り出した。
しかし、黒煙の数メートル背後にアルティメットクロスに守られたエリスはいた。
アルティメットクロスはイカヅチの狙いを察知した瞬間猛ダッシュしてエリスに飛びつき、さらに背後へ飛んだ。ノーマルモードなら間に合わなかったかもしれぬ神速の業だ。
「あ〜びっくりした。ありがとうアルティメットクロス」
「いいさ。しかしこっちの司令塔を狙ってくるとは。油断ならないな」
「アルティメットクロス、上!」
今度はエリスが先に気づいた。
ふたりの頭上にいくつもの雷雲が現れようとしている。みっつ、いつつ、いやもっとだ。
「ふはははは。動きはより早くなったようだが、それだけの雷を受けきれるかな?赤いエディーよ」
すべての雷雲が限界まで膨れ上がり、一斉に稲妻を奔らせた。
バババババババババ!
グワアアアアアアン!
次の瞬間、イカヅチは驚愕に赤い目を見開いた。
「うおおおおおお!」
アルティメットクロスが赤い大剣を頭上でブンブンと振り回している。
その回転速度は次第に上がり、遠目には赤く丸い屋根に覆われているようだ。
「な、なんと!?」
「いいか、お返しだ。それ!」
高速で回転していたアルティメット・ソードの切っ先がピタリとイカヅチに向けて止まるや、バシュ!と鋭い音と共に刀身にため込まれた凄まじい破壊力の雷がイカヅチめがけて奔った。
「今よ!」
エリスの声と共にアルティメットクロスは再びソードを頭上に振りかぶって気合と共に振り下ろした。そして今度は左右に!
「タイダルストーム十字撃ちだ!」
縦と横、十字に撃ち出された鎌状の光弾が先に発射された雷を追う。
「おおう」
正面から雷、左右と上下に光の鎌。
イカヅチは逃げ場を失って後方へ逃げた。
しかし圧倒的に速度が違う。
バアアン!
逃げきれぬイカヅチはアルティメットクロスの3段攻撃を受けて声もなくのけぞって川に落下した。
「やったか?」
屋上の端に立ったふたりはイカヅチが落下したあたりを見つめていた。
エディーはノーマルモードに戻っている。
「手ごたえはあったぜ」
「いいえ、まだわからないわ。しばらくはパトロールを強化しなくちゃ」
「だけど。。。」
ふたりは背後を振り返った。そこには近距離から雷の直撃を受けて吹き飛ばされたヴォルティカが、サイドカーを上にして横倒しになって炎を上げていた。
「ヴォルティカ壊れちゃったね」
「ああ。何とかしなくちゃな」
「そういえば県警の科学チームが新しい高機動バイクをもうすぐロールアウトするって言ってなかった?」
「新型ヴォルティカのことだろ?どれくらいまで進んでいるのかな?壊れたヴォルティカの回収もお願いしなきゃいけないから、ちょっと訪ねてみよう」
「そうね」
ふたりは屋上の出入り口へと歩き出した。
<五>手を組んだ魔人
漆黒の闇。
うごめくふたつの気配。
「で、タレ様はスタコラサッサと逃げてこられたのかや?」
冷たい刃物のような気配を乗せた声があがった。
「スタコラサッサって。。。まあよい。じゃが余は逃げてなぞおらぬ。ひとまず退散したのじゃ。イカヅチに加えてエディーも現れおって、場が荒れてしまうでの」
そう。ここはヨーゴス軍団のアジトである。
当然声の主はタレナガースとヨーゴス・クイーンだ。
「ふん。怪しいものじゃ。その後そのイカヅチとやらがどうなったかも確かめておらぬのであろうが」
「ヤツか。心配せんでもそのうちまた顔を合わすであろうよ。そう遠くないうちにのう。。。む!?」
闇の中の気配に突如剣呑なものが混じった。
「誰じゃ!」
次の瞬間、暗闇のアジトからタレナガースが飛び出してきた。ヨーゴス・クイーンも後に続く。
入り口の前に立っていたのは、イカヅチであった。
無言でタレナガースを睨んでいる。
「な、またすぐ顔を合わすと言うたであろう」
タレナガースはヨーゴス・クイーンに囁いた。
イカヅチは顔に大きなやけどを負っていた。丈夫な忍者装束はあちこち破けて血がにじんでいる。かなりのダメージを負っているようだ。正直、立っているのも辛かろう。
「ようこの場所がわかったのう」
言いながらタレナガースは背後を確認した。県西部の山中。欝蒼とした森だ。今出てきたアッジトの入り口は結界によって巨木にしか見えない。だがイカヅチはここにたどり着いた。
「貴様の気配は覚えておる。それをたどれば容易く来られた」
「けっ!犬のようなやつめ」
タレナガースの背後からヨーゴス・クイーンが毒づいた。
「ふふん、どうやらエディーにこっぴどくやられたようじゃの」
「弱いヤツに用はない。タレ様、さっさと片づけてくだされや」
「応!」
ヨーゴス軍団の前に現れて弱みを見せた者がどうなるか。。。シャレコウベ魔人の体からぶわっと殺気が放たれた。
「力を貸せ!タレナガース」
吹きつける殺気をものともせずイカヅチが吠えた。
「あやつの両刃の剣は儂の雷撃を受け止めて撃ち返した。あの清々しくも忌々しき力に対抗するには貴様の力を得る以外にない」
よこせと言わんばかりに、イカヅチは右手をタレナガースに差し出した。
「ふん、わかったようだの」
タレナガースから殺気が嘘のように消えた。
「ちょんまげの時代とは違うということを思い知ったか?今の世には、そちが生涯かけて会得した妖術を凌ぐ科学というものがある。エディーめはその申し子のような奴じゃ。はなからそちに勝ち目はなかったのよ」
ギリリとイカヅチの奥歯が鳴った。
「よかろう。余がそちのスーパーバイザーとなってやろう」
「スッパパバー?」
「コホン、早い話が後ろ盾のようなものじゃ。そのかわりエディーめを倒したら余のためにそちの妖術を無条件で1度使ってもらうがよいか?」
「承知」
その時ヨーゴス・クイーンがタレナガースの肩のあたりから顔をのぞかせた。
「わらわにも1度じゃ。スッパパバーじゃからな」
「承知」
イカヅチは無表情で2度頷いた。
そんなイカヅチのようすをじぃっと、値踏みするかのように見ていたタレナガースは、すぃと一歩脇へ下がってイカヅチに道を開けた。
「入れ」
その言葉に応じて、イカヅチは少し片足を引きずりながら巨木の中へと姿を消した。
「ううむ、2度使わせろと言えばよかったかのう。。。?」
妖術の使用をイカヅチがあまりにあっさりと承諾したため、ヨーゴス・クイーンはなにやら損をしたような気分になっていた。
「ふん、仮に100回と言うてもヤツは承知と言うたであろう」
「なんと!今からでも言い直さねば」
「たわけ。ヤツには端からそんな気はない。エディーを倒せるほど強くなったら最後、ヨーゴス軍団にも牙をむいてくるわさ」
「ほへ?!」
ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。
タレナガースは笑いながらイカヅチの後を追って巨木の中へと姿を消した。
「はぁ〜」
「ううん」
―――まただ。。。
今日は席に座ってからずっとああやって頬杖をついてため息ばかりついている。
いつものカフェのマスターは、今日もやってきたアノ常連ふたりのようすを上目遣いに見つめていた。
ふたりが入店して口を開いたのはコーヒーをオーダーした時だけだ。その後はずっとあの調子で、まるでため息をつくロボットのようだと思った。
いつものように新聞をテーブルの上に広げなくなったのも気になる。新聞記事から何か情報を得て仕事をしている人たちなのかと思っていたが、違うのだろうか?
「はぁ〜」
「ううん」
マスターの手元の紙ナプキンに書かれた「正」の文字が4つ目に突入した時、男性が口を開いた。
「どの程度のダメージを与えられたんだろう?」
「アルティメットクロスのタイダルストームをまともに食らって軽症で済むはずはないと思うけれど、相手は恐るべき妖術の使い手だもの。まだ安心はできないわよね」
ドクの言葉にヒロは無言で頷いた。
警戒を怠るわけにはゆかない。だが今の彼らはヴォルティカを失い、パトロールは知り合いのバイクショップから借りた市販のバイクを使っている。機動力は格段に落ちている。
「でね、ヒロ。私が今一番心配なのは、あのイカヅチが仮に生きているとして次にどう出るか?なのよ」
「そうだね。だけど戦い方はもうわかっているんだ。次こそキッチリ倒して見せるさ」
「そこよ!」
ドクが身を乗り出して、ヒロは後ろへのけぞった。
「そうなることは当のイカヅチが一番よくわかっているはずじゃない?」
「ああ、うん、まぁそだね」
「だったら何の策も講じないでノコノコ私たちの前に現れると思う?」
「なるほど。俺たちもそうだし、タレナガースにだって。。。あ!」
「それよ!」
ゴン!
ドクが更に身を乗り出して、ヒロは後頭部を背後の壁にぶつけた。
頭をさすりながらヒロは眉間にしわを寄せている。
頭が痛いからではなさそうだ。
困ったヤツが困った連中と結びついたとしたら。。。?
あの気位の高そうなイカヅチがはたしてタレナガースに頭を下げるだろうか。。。?
だが考えられないことではない。エディーを倒すためなら手段を選ばないと腹をくくったらヨーゴス軍団の傘下に入るふりくらいはするだろう。
「とてつもないモンスターが現れるかもしれないわね」
<六>最終決戦
エリスのその嫌な予感は、翌日現実のものになった。
「市の中心部が雷撃を受けています。エディー、力を貸してください」
襲撃されたのは国道が通る徳島市でも交通量が多い交差点だ。
パリッ!
ドシャーン!
国道の上空を黒い雷雲がいくつも浮かんでいる。雲の内部では無数の赤い火花が飛び交っている。
走る車に向けて次々と雷を落としてゆく。
バリバリ!
ドカーーン!
超低空から放たれた雷撃はすさまじい破壊力を発揮している。
赤信号で停止していた車も次々と急発進したものだから青信号で走行してきた車と衝突、接触して交差点をせき止めてしまった。
特に雷の直撃を受けた車の運転手たちは激しい衝撃を受けて悲鳴を上げた。
被害を受けていない車からは慌ててドアを開けて外へ転がり出る人もあったが、他の車の運転手たちが「車へ戻れ!」と叫んでいる。
しかし恐怖に支配された人々は我先に車を飛び出すと沿道のビルへと駆け出した。ところが度を越えた恐怖が脳からの指示を狂わせているためか、多くの人が足をもつらせて転んでしまう。
立ち上がることさえままならないそんな人々の頭上にあの黒い雲が音もなく移動してきた。
「危ない!」
「逃げて、早く」
「あああ、間に合わない!」
パリリ!
人々の悲鳴と雷雲の轟きが重なった。
バシュッ!
ガキイイン!
稲妻が迸って路面に伏せる人々の体を引き裂こうとしたその時、青き光の剣が立ちはだかった。
ここに住む人たちを守る!その1点において決して揺らぐことのない決意に満ちた剛剣だ。
放たれた稲妻は弾かれて天空へ消えた。
明日の予定も将来のこともすべて諦めて地に伏していた人々は、傍らに立つ人を見上げた。
額と胸の中心にある青きシンボルが目に焼きついた。黒いスーツと銀色のアーマをまとい、黒いゴーグルアイが鋭いまなざしを空に向けている。その厳しい視線が、なぜか地に伏せる人人には深い安堵感を与えてくれた。
「逃げてください」
そっと肩に手を置いてその人は言った。
そしてその声に人人は気づいた。
―――また明日が来る。
「エディー!」
たくさんの人たちの声が重なってその人の名を呼んだ。
渦戦士エディーの名を。
「姿を見せろ、イカヅチ!」
エディーは空に向って叫んだ。
「タレナガースに力を借りて更に醜くなった姿を見せたくないというわけか?」
その声に応じて、ひとつの影が通りに現れた。
すべてが止まった街にただひとつ動く影。
その姿は。。。
「どうやら図星だったみたいね」
傍らに歩み寄ったエリスがその姿を見て呟いた。
かつての修験者姿は見る影もない。
顔の大半はいくつものケモノの皮を張り合わせたような無気味なもので、人であったことを窺わせるのは左目のあたりと口の右半分くらいか。口元からは山犬のキバがのぞいている。
体は顔の大きさに不釣合いなほど大きくてまるでクマのようだ。右の肩がまるで岩を担いでいるかのように膨れ上がっていた。
「お前、そんな姿に身をやつしてまで一体何がしたいのだ?転生したとはいえ、お前は人だったはずだ」
「忌伝の妖術を身につけた時に儂は人を捨てたのだ。妖術師の血筋をひとつにするため、儂らの村を無慈悲に滅ぼした朝廷に同じ恐怖を味わってもらう為に儂は復讐の悪鬼と化したのだ」
「それでも」
エリスが割って入った。
「憎しみはれっきとした人間の感情よ。あなたが人であった何よりの証だわ」
「憎しみなら今もこの胸に渦巻いておるわ」
イカヅチが吼えた。己の胸を己の手でかきむしりながら。
「でもその憎しみのおおもとをあなたは既に見失っている」
エリスの指摘にイカヅチは言葉を失った。
「その昔あなたのふるさとを滅ぼされたというのは単なる記憶だわ。今のあなたはただの破壊衝動に突き動かされているだけよ。ましてタレナガースを人外の魔物と承知していて力を借りるなんて!間違っているわ!」
「黙れ!余興はここまでじゃ。これよりは儂の本気を見せてくれようぞ」
ごおおおあああ!
イカヅチは両腕をいっぱいに広げると天に向かって吼えた。
―――こいつの雷はエディー・ソードで弾き返すことができる。
エディーはソードを両手で捧げるように頭上で構えた。
イカヅチは大きく膨れ上がった右の腕でそんなエディーを指さした。
エディーの頭上に雷雲が湧く。まるで闇の塊のようにどす黒い雲だ。
―――印を結ばない!?
エリスは胸中に暗雲が湧き上がるのを感じた。
「エディー、よけて!よけるのよ!」
篤い信頼と反射神経のなせる業か、エリスの叫びにエディーの体が無意識に反応した。
間一髪、凄まじい轟音とともに落雷がエディーの残像を打ち砕いた。
飛び散るアスファルト片を浴びながら、エディーもエリスも驚きを隠せなかった。
「何なの、この破壊力?」
「こいつは。。。前に遭った時とはけた違いだ。ソードで弾き返すなんて無理だぞ」
直前のエリスの指示がなければ今の一撃で勝負がついていたかもしれない。
「エディー、悔しいけれどやっぱりノーマルモードじゃ。。。」
「ああ。太刀打ちできないって言うんだろ。俺も同感だ」
エディーは腰のパウチから赤いコアを取り出すと、胸の青いコアの上に重ねた。
ブゥゥゥゥン。
シュウウウウ。
エディーの全身から一瞬放たれた青いオーラが瞬時に赤いオーラに変わり、眩い閃光とともにエディーの全身に蒸着した。
エディー・アルティメット・クロス。
胸のコアを超硬質の銀色のクロスががっちりと守っている。
「赤い姿に変化しおったか。だがその力、儂はすでに知っておる」
エディーの最強フォームを前にして不敵に笑みを浮かべるイカヅチに向けてアルティメット・クロスは赤いエディーソードを振って光の鎌タイダルストームを発射した。
ノーマルモードのそれよりもはるかに大きさも、早さも、破壊力も段違いだ。
だがイカヅチの足元からブヮっと雲が沸き上がり、あるじを空中へ舞い上げてその一撃を避けた。
「あらゆる妖術を印を結ばずして使いこなしている。タレナガースの強化改造はかなりの威力を発揮しているようだな」
「ふはははは。そもそも印を結ぶというのは術の発動に対して己の意識を集中させるためのもの。全身にどす黒き力がみなぎっておる今の儂には無用よ」
忌伝招雲の術によって召喚される雲も以前より大きく機動力も増しているようだ。頭上約20m。この距離なら地上にいるアルティメット・クロスは上空から格好の的になってしまう。
バリン!
ドガーーーン!
「くそ、まるでロケット砲なみの威力だ」
いかなアルティメット・クロスの大剣といえどもこの雷撃を完全に防ぎきるのは無理だろう。
「ふぇっふぇっふぇ。見よ。イカヅチめ、なかなか張り切っておるわ」
「赤いエディーめが逃げ回っておるのう。愉快じゃ愉快じゃ」
ひときわ高いビルの屋上でふたりの戦いを眺めているのはタレナガースとヨーゴス・クイーンだ。
それこそビールでも片手に花火見物でもしているかのようなのん気さ加減である。
「あやつの脳をいじくって脳波を限界まで強めてある。もはや妖術の発動なんぞ鼻歌交じりでもできるはずじゃ。エディーに対してはとにかく速攻あるのみ!」
「ひょひょー」
イカヅチの落雷が足元に着弾してアルティメット・クロスが車道から歩道まで吹っ飛ばされたのを見て、ヨーゴス・クイーンは手を叩いて喜んだ。
「そうじゃその調子。これイカヅチ!ソッキョーじゃぞ!」
「ソッコーな。。。むむ?。。。」
その時タレナガースの視線が国道を北上してくる1台の大型トレーラーを捉えた。
―――わざわざ危険なこの現場へ向かってくるとは、あの車いったい。。。?
黒雲の動きを確かめながら間一髪で落雷をよけ続けてはいるが、アルティメット・クロスは攻撃に転ずることが叶わず防戦一方だった。
―――機動力が欲しい。ヴォルティカが無いのが痛いな。
だがその時、エリスが叫んだ。
「来てくれたわ!」
その声に振り返ると、1台の小型バスがバックで近づいてくる。県警が使用するヴォルティカの専用トランスポーターだ。
―――間に合ったのか!?
しかし、これではあの車までイカヅチの標的にされてしまう。
「危ない!それ以上近寄らないでください!」
アルティメット・クロスはソードで援護射撃のタイダル・ストームをイカヅチに向けてやみくもに放ちながらトランスポーターへと走った。
「遅くなりました」
運転しているのは新型ヴォルティカの開発主任だった。この凄惨なバトルフィールドに足を踏み入れながら平然としている。
彼もまたヒーローのひとりだ。
「本当ならテスト走行を終えた後でお渡ししたかったのですが、ぶっつけ本番となりました」
「上等です。新型ヴォルティカ、間に合わせてくださって感謝です」
そう言うとアルティメット・クロスは後部ハッチを開き中に乗り込んだ。
数瞬後。。。
ヴォオオオオン!
大型の肉食獣の咆哮に似た、太い雄たけびがトランスポーターから響くと、一筋の赤い光が射出された。
「む?」
一瞬イカヅチまでもがその美しい光跡に目を奪われた。
ヴォヴォオオ!
「ヤツのカラクリ牛車か」
アルティメット・クロスの呼びかけに応えた赤いボディーの大型マシンが雷撃で穴だらけとなった国道を高速で走ってくる。
イカヅチの雷雲がヴォルティカの上にも巻き上がる。
バリリ!
ウォオン!
「なんと!?」
イカヅチの雷撃が当たらない。
アルティメット・クロスは頭上の雷雲が雷を発射する寸前アクセルをふかして猛烈な加速で落雷をやり過ごしているのだ。
「すごい!すごい加速だわ。イカヅチの稲妻が追いつかないなんて。なんだか変わったフォルムだし、アルティメット・クロスのパワーアップ間違いなしって感じね」
エリスが快哉を叫んだ。
「赤いエディーめ」
イカヅチのイナヅマは彼自身の視覚によって狙いがつけられているのだろう。ヴォルティカの機動性に翻弄されている。
苛立つイカヅチは遮二無二雷撃を繰り出す。
稲妻がまるで雨のように降り注ぐ中を新型ヴォルティカを駆るアルティメット・クロスは右に左にかわしながら駆け抜けてゆく。
燃料タンクの上部には三角形のコアが埋め込まれていてアルティメット・クロスが放つ渦のオーラに呼応して赤く光っている。真紅の車体カラーも渦パワーの影響なのだろう。
―――前2輪の逆トライクか。前輪のグリップが特にいい。深くリーンさせても安定している。いける!
「イカヅチの狙いが追いつかないのね」
ヴォルティカを駆るアルティメット・クロスは見る見る遠くへ走り去り、雷の射程圏外まで到達した。
キキッ!
素早くターンすると、アルティメット・クロスは小さくなったイカヅチを睨んだ。
不思議な雲に乗りゆらゆらと空中を浮遊するイカヅチ。
新しいモンスターバイクに跨るアルティメット・クロス。
「あの日、儂は朝廷の犬になり下がった若き妖術使いに敗れた。遠い過去から蘇りし今、再びこの世に仇をなさんとする儂の執念が必ずや貴様の体を引き裂くであろうよ」
地上約20mでイカヅチがゴオオと吠えた。
「さぁ、勝負だイカヅチ。昔お前に何があったかはしらないが、この街をこんな風に滅茶苦茶にしたツケはキッチリ払ってもらうぜ」
ヴォオオン!
こちらの咆哮はヴォルティカのエンジンから沸き上がった。
アルティメット・クロスがアクセルをふかし、イカヅチめがけてヴォルティカを発進させる。
呼吸を整えて両手をハンドルから離し静かに立ち上がると、アルティメット・クロスは爆走するヴォルティカを全身のバランスで操作しながら赤いアルティメット・ソードを大上段に構えた。
高速で走るヴォルティカが再びイカヅチの攻撃の間合いに入り、アルティメット・クロスの周囲に閃光と轟音が渦巻いた。
ガガーン!
バリバリ!
ズガーン!
静寂から一転、街中に轟音が渦巻いてエリスは耳を塞いだ。
「やはり当たらぬか儂の雷撃が。。。ならば」
イカヅチは雲の高度をすううと下げた。
下に見ていたアルティメット・クロスが正面に来る。
左右の掌を正面に向けると、そこに新たな黒い雲が発生した。
「これならはずれまい」
イカヅチはニヤリと笑うとそのまま雲を前へ飛ばした。
「む、いよいよ勝負が決するか!?」
高みで見物していたタレナガースが身を乗り出した。
「ソッキョーかや!?」
ヨーゴス・クイーンがタレナガースの背後から首を伸ばした。
「ふふん、イカヅチめ。最悪でも相討ちに持ち込める戦法を選んだか」
タレナガースは冷たいシャレコウベの顔を歪めておぞましい笑みを浮かべた。
―――じゃが相討ちならばイカヅチに分がある。思い知るがよいわ赤いエディーめ。ふぇっふぇっふぇ。
高速で距離を詰めるアルティメット・クロスとイカヅチ。
イカヅチは雲を路面近くにまで降ろしている。目線の位置はほぼアルティメット・クロスと同じだ。
「正面から雷を水平に撃つつもりか」
それはまるで、槍を構えて互いに馬を走らせる侍同士の一騎打ちだ。
イカヅチの正面にある黒い雷雲が無数の火花を放つ!
アルティメット・クロスの闘気に反応したソードが赤い光を放つ!
ごおおおおおおおおお!
国道の北と南から接近する両者の距離がみるみる縮まる!圧縮された闘気が一気に膨れ上がる!
「おおおおおお!」
「とりゃあああ!」
ズガガッ!
ザシュッ!
交差したふたりはそのまま位置を変えて走り去り、数瞬の後、両者は動きを止めて振り返った。
イカヅチの体の正面にアルティメット・クロスが放った大きな光の鎌が斜めに食い込んでいた。
「やった。タイダルストームが命中し。。。た。。。え?」
エリスは我が目を疑った。
そこにはイカヅチが3人並んで立っていた。
必殺のタイダルストームが命中したのはそのうちの真ん中のひとりであった。
しゅううううう。。。。
やがて2体のイカヅチの姿が消え、無傷の1体が残った。
クマとも山犬ともつかぬ無気味な顔がニヤリと嗤った。
「貴様らには見せておらなんだか。忌伝逢魔分身の術よ。見事な攻撃であったが、惜しかったのう」
唇を噛んだエリスは背後へ走り抜けたアルティメット・クロスを振り返った。そして「ああ。。。」と悲嘆の声を上げた。
ヴォルティカに跨ったままのアルティメット・クロスの体がぐらりと傾き、愛車ごと横倒しに倒れたのだ。
グァシャン!
「アルティメット・クロス!」
無敗のヒーローのもとに駆け寄ったエリスはその無残な姿を見て立ちすくんだ。
赤い渦戦士の正面には、額から右目を通って胸に至る深い傷が刻まれていた。イカヅチの雷撃がもろに命中していたのだ。
胸のコアを守る金色のクロスガードが割れて、赤いアルティメット・コアが露出している。
「あの硬いクロスガードが破壊されるなんて。。。」
信じられない。
「大丈夫なの?」
アルティメット・クロスは意識を保っており、エリスの問いかけに応じた。
「めっちゃ痛かった。。。」
「そりゃ痛いでしょうよ。だから大丈夫なの?」
「ああ。。。右目がよく見えないけれど、まだ戦えそうだ。ヤツは?」
「見よクイーン。イカヅチは正面からの一騎討ちで赤いエディーめに相当なダメージを与えたようじゃ。さまざまな野生動物の力を移植した成果じゃ。しかもヤツめは余の活性毒素ですぐに復活できる。喜べ。この勝負イカヅチめの勝ちぞ!」
手を叩いてはしゃぐタレナガースの傍らでヨーゴス・クイーンは「うん?」と首をひねった。
「じゃがのうタレ様や。あやつが赤いエディーめを倒したら今度は我らの敵になるのであろう?赤いエディーよりも強いヤツが敵になってもよいのかや?」
「ふぇっふぇっふぇ。心配無用、余にぬかりはないわ。まぁのんびりと見ておれ。まずは赤いエディーじゃ」
「まだ戦えるって言ったわね、アルティメット・クロス」
休ませてあげられる状況ではない。エリスは相棒の上半身をグイと持ち上げてイカヅチの様子を見せた。アルティメット・クロスはすぐに状況を飲み込んだようだ。
「あいつ、分身の術を使ったのよ。私も本物を見分ける方法がわかんない。だからもう無理して真っ向勝負しちゃだめよ。今の一撃でクロスガードも破壊されてコアが露出しているわ。防御力はノーマルモードに近いんだから」
「オッケー。だけど少しは無理もしないとね」
〜分身と雲は儂がなんとかしよう〜
「え?」
アルティメット・クロスとエリスが同時に声を上げて周囲を見回した。
互いの目を見た。
―――空耳ではない。
〜恐れず立ち向かうのじゃ〜
年齢を重ねた男性の落ち着いた声だ。誰かは知らぬがなにやら心強い声であった。
アルティメット・クロスは立ち上がると横倒しになったヴォルティカを起こして跨った。
もとより恐れはしない。
再びエンジンをかける。
ヴォン!
太いエキゾーストノートもあるじを鼓舞しているようだ。
「だけど、仮にイカヅチの本体に命中させてもタイダルストームで倒せる保証は無いかも。。。もしもタレナガースの活性毒素を体内に取り込んでいたら、どんなに深手を負わせてもあいつはまた蘇る。移植された野生の肉食獣の生命力が活性毒素にさらなる活力を与えているとしたら」
〜案ずるでない〜
またあの声だ。
その時エリスは自分の背後に人の気配を感じた。まるで自分に覆いかぶさって重なってくるような気配だ。
その気配と声にエリスは心当たりがあった。
〜気を散らすでない。あやつを見ておれ〜
「わかりました」
もうこうなればふたりともこの謎の声に従うほかはなかった。
アルティメット・クロスがヴォルティカを発進させた。
イカヅチも再び雲に乗ってこちらへ向った。
今度は左右にジグザグ移動をしながら向って来る。
それを見たアルティメット・クロスもヴォルティカを右に左にリーンさせながらスラローム走行をはじめた。
〜光の鎌は使うでないぞ。あの赤い剣で突くのじゃ〜
「突くのだな。。。よし!」
アルティメット・クロスはスラロームをやめて再び赤いアルティメット・ソードを構えた。
切先を前に向けてライフル銃で狙うようにイカヅチを見据えた。
「ふふ。。。自在に動くこの雲と分身の術がある限り、狙いなど定められるものか。。。うぬ?」
イカヅチの動きが急にぎこちなくなった。
「く、雲が。儂の雲が言うことを聞かぬ?」
やがてイカヅチの機動力を支える妖術の雲はピタリと止まってしまった。
「やや、分身の術も発動できぬ。誰ぞが儂の妖術を封印しておる!?」
その醜い額に汗が浮かんだ。
「はっ!これはまさか!?」
イカヅチは両目を見開いてあたりを見回した。
「あの時と同じじゃ。まさかあやつが、あやつが来ておるのか、この時代に!?」
そのうち雲は文字通り雲散した。
ストンと路上に落ちたイカヅチは怒りにキバをむきながら、近づいてくるアルティメット・クロスに向けて雷雲をこしらえる。
だがイカヅチは気づいていなかった。己の体のある部分に赤い点が浮かび上がっていることに。
〜あそこを突くのじゃ〜
「了解!」
再び両者が交差する!
バリリ!バシューン!
雷撃と剣が交差した。
イカヅチが放った雷は真っ直ぐに国道に沿って奔って消えた。
そしてアルティメット・クロスのソードは、イカヅチの赤い点が浮かんでいた部分を狙いたがわず貫いていた。
アルティメット・クロスは眼前の黒雲から閃光が発せられた瞬間、ヴォルティカのサイドに体を落とし込み、すれ違いざま片手でソードを突き出したのだ。
無言で天を仰ぐイカヅチの視界が赤く染まってゆく。
ふるさとの隠れ里が朝廷の軍勢に滅ぼされて以来、長い長い復讐の戦いであった。
〜もうよかろう。充分暴れたであろうに〜
「やはり貴様か。。。ふん、あの世で逢うたらおぼえておれよ」
天を向いていたイカヅチの頭がカクンと真下に落ちるや、その体は足元から霧が晴れてゆくように消えた。
「あややや、結局負けてしもうたぞよタレ様」
「ふん、劣勢に立たされておってもなぜか最後には勝ちを収めるのがエディーなのじゃ。まったく忌々しい」
―――それにしても、イカヅチが敵に回った時のために余が密かに仕込んでおいた弱点をなぜピンポイントで刺し貫く事が出来たのじゃろう。偶然か。。。?
「まぁよい。さて帰るぞよクイーン。次なるたくらみを練ろうぞ」
タレナガースは周囲に瘴気を吐くと、アルティメット・クロスに向ってアッカンベーをするヨーゴス・クイーンの襟首を掴んで漆黒の異空間に姿を消した。
<七>死闘の果てに
イカヅチの体が消滅し路上に落ちたアルティメット・ソードもやがて蒸発した。
アルティメット・クロスはノーマルモードに戻っていた。
「終わったわね」
「ああ。それにしてもあの声の主は誰なのだろう?」
エディーにはわからないだろうが、エリスは確信していた。いつぞやイカヅチの雷撃で破壊された繁華街で声をかけたあの老人だ。この気配と声、間違いない。
「あの時のおじいさんでしょう?おじいさぁん」
その呼びかけに応じてひとりの老人がビルの陰から姿を現した。
手入れされていない白い長髪、色あせたトレーナーとよれよれのジーンズを着用し、ボロボロのスニーカーを履いている。
「やっぱり。力を貸してくださって有難うございました。でもあなたは一体。。。?」
老人は皺だらけの顔で恥ずかしそうに笑って手を左右にひらひらと振った。
「あなたはあのイカヅチという男をご存じなのですか?」
歩み寄るエディーを老人はしげしげと見つめた。先ほどとは違う姿になっているのが珍しかったのだろう。
「昔、あやつが同じように悪さをしたゆえ懲らしめたことがある。本来なら死罪になるところであったが、あやつを怒らせたのはこちらに原因があった故、儂が仏心を起こしたのがまずかった。この時代の皆皆に迷惑をかけてしもうた。すまんことであった」
老人はふたりに頭を下げた。
「昔。。。昔っていつのことですか?おじいさんはいったいどこから来たの?」
「京都じゃ。ただし今よりも、もっともっと雅で尊くて貧しくて物騒な時代の京都じゃよ」
老人はイカヅチが消えたあたりをじっと見つめながら語った。
「儂が務めておった京都の事務所には徳島からも頻繁に報告書が届けられておっての。その中にイカヅチと思しき流人のことが記されておった。その顛末から、儂はあやつが最期に転生の術を使ったと悟ったのじゃ。ゆえに儂も同じ術を用い、あやつを追ってこの時代に来た。じゃが20年ばかり早く来てしもうての、この通りのおいぼれじゃ。ほっほっほ」
「つまり京都に都があった頃から現代へ。。。生まれ変わってやって来たというの?信じられないお話だわ。。。」
「それが本当なら、あなたは徳島を守るために20年も、いや前世から数えれば1千年ほどもあのイカヅチを追ってこられたのですね」
老人はまた手のひらを顔の前でひらひらと左右に振って微笑んだ。
「これからどうなさるのですか?」
「今、どちらにお住まいですか?」
エディーもエリスもこの老人の行く末が気になった。
身寄りもなかろう。年金も受けていないだろう。この20年どうやって暮らしてきたのか?
「大事ない。大事ない。ただ、できたら頼みごとがひとつあってのう」
「はい、何なりと」
エディーとエリスは老人の前に身を乗り出した。
<終章>牛丼店の別れ
「おじいさん、どうしてるかしら?」
ドクはおおぶりのマグカップに注がれたアメリカンコーヒーをすすりながらひとりごちた。
平日の午前中のせいか、いつものカフェに客は彼らを含めて4人だけだ。
マスターもカウンターの奥でのんびりしているようだ。
ヒロは黙って新聞を読んでいる。
「きっと名のある妖術師なのよ。妖術師っていうより陰陽師って感じ?都にいたってことは官位なんかも授かっていたのかも。ね、ヒロ聞いてる?」
ドクはテーブルの向こう側で下を向いて新聞記事に目を通しているヒロのおでこを人差し指で突っついた。
「うるさいなぁ、何か異変の兆候がないか新聞を読んでるんですけど」
その指をはらうしぐさをしながらヒロは顔を上げた。眉間にしわが寄っている。
「もうイカヅチの一件は終わったんだからいいじゃないか」
「なにそのご機嫌真横な雰囲気は?ははーん、まだ根に持っているのね、洋服の件」
あの戦いの後、老人がふたりにした頼み事というのは、古着でもよいから着るものと履くものを揃えてくれぬか、というものだった。
三人で古着屋や洋服店をまわって下着から靴下、トレーナーにジーンズ。新しいスニーカーとキャップ。はてはどうしても欲しいというミリタリージャケットにいたるまでしめて29,870円。バイト代が入ったばかりのヒロがすべて支払ったのだ。
「いや。。。だってミリタリージャケットは余計だったんじゃ。。。」
「セコい!」
ドクの声にマスターがカウンターからひょっこり顔を出したが、ああ、あのふたりか。という表情でまた奥へ引っ込んだ。
「いくら妖術師って言ってもさ、自分の行いの責任を取るために生まれ変わってまでこの徳島を守ってくれたのよ。あなただってあのおじいさんの助言があってこそ勝てたんじゃない。それを。。。」
「わかった。いや、ちゃんとわかっていますとも。ただちょっと懐にイキナリ寒波が吹いたものだからつい愚痴っただけだよ」
「安心しなさい、ここのコーヒー代はこのドクさんが払って差し上げるから」
ヒロはテーブルの端に置かれたレシートをチラリと見た。
―――460円。。。
はぁ。とため息をついて、ヒロはまた新聞記事に目を落としたが、あの老人との最後のひとときを思い出していた。
ひととおり買い物を済ませた後、新しい洋服に身を包んだ老人と3人で牛丼店に入り、カウンターで並んで牛丼を食べた。
おいしそうに頬張る老人を見てヒロも嬉しかった。
何もなかったように箸を動かすこの老人の苛烈な人生を、このひとときがどれほど癒してやれるものなのか?
「おじいさん、名前、なんていうんですか?」
ドクの問いに老人はまた手のひらをひらひらと左右に振って笑っていた。
店を出て、どちらへ行くのかと尋ねる二人に老人は黙っていた。
「僕たちはこちらへ行きます。よければ送りますよ」
とヒロが行ったとき、はじめて老人はそれとは逆の方を指さした。
そしてふたりが乗った車が動き出すまで、じっとそこに立っていた。
それからの音沙汰は、ない。
(完)