渦戦士エディー

地獄の大脱走

<一>けた外れの一撃!発射編

「激渦烈風脚!」

気合いと共に青い光が渦となって敵モンスターに襲いかかった。

ドガガガガ!

ぐええええ!

神速の連続回し蹴りがモンスターの側頭部をピンポイントでヒットし、この数日徳島県民が恐れたモンスターもついに最期の時を向かえた。

「やったわエディー。ヨーゴス・モンスター撃退ね」

エリスの快哉とともに今回の事件は決着した。

山深い廃寺の境内跡。

一面に生い茂る、膝を隠すほどの草の中に倒れこむと、モンスターは黄色い煙となって消滅した。

「さぁタレナガース、ヨーゴス・クイーン、今回もお前たちの企みは潰えたぞ。観念しろ」

迫るエディーにギリギリと歯噛みしながら後退するタレナガースと。。。

「あれ?ヨーゴス・クイーンはどこへ行った!?」

問い詰めるエディーにタレナガースは初めて相棒がいないことに気づいた。

「クイーンめ、一足先に逃げおったか。。。っておやおやおや?」

姿を消したのかと思われたヨーゴス・クイーンは、境内跡に残されている苔むした古井戸の上で鬼の形相で立っていた。

もはや水も枯れてしまっているのだろう。木製の丸い蓋が置かれている。なんとヨーゴス・クイーンは超巨大バズーカ砲を肩に担いでそこに仁王立ちしている。

「そのほう、それは!?それを一体どこから!?」

「タレ様の隠し武器庫から頂戴したのじゃ。一番デカくてゴツいのを持ってきてやったわ」

たしかにゴツイ。

砲の口径は3mほどもあろうか?まるで天文台に据えられた大型天体望遠鏡を担ぎ上げているようだ。

これでもしロケット砲でも発射されようものなら、山のひとつやふたつは消し飛んでしまうだろう。

「毎度毎度ようもようも我らの計画を邪魔してくれおるのう!もはや辛抱できぬ。もはや許さぬ。今日こそは生かして返さぬ!」

完全にブチ切れている。

エディーは身構えながら周囲のようすを再確認した。

数メートル背後にエリス。

さらに30mほど離れてこの村に住む人たち十数名が遠巻きに戦況を眺めている。

まずい。今あれを発射されたら、エリスに村人達を避難させても間に合わぬだろう。この辺一帯は月面のクレーターのようになるのではないか。

だが、どうやら焦っているのはエディーだけではないようだ。

「まずいまずいまずいぞよ。あれは超長距離から標的を攻撃するための衝撃砲。。。これほど近くで放たれては余もただでは済まぬ」

両腕を振ってヨーゴス・クイーンを制止した。

「よさぬか、クイーンよ。それをここで使うてはならぬ」

同時にエディーがエディー・ソードを一閃させた。

「タイダル・ストーム!」

青い光の剣は一条の光と化して、そこからさらに鎌状の光の弾丸を撃ち出した。

ビュウウン!

青い光弾は狙いたがわず超巨大バズーカ砲を構えたヨーゴス・クイーンに飛んだ。

あまりに大きな砲ゆえにクイーン自身も扱いかねており古井戸の上でヨタヨタしている。

「む、いかん」

タレナガースが咄嗟に自身のドクロの胸当てを引きむしるとフリスビーよろしく、これもヨーゴス・クイーンめがけて投擲した。

ヒュン!

ブウン!

バチイイイイン!

光の弾とドクロの胸当てはヨーゴス・クイーンの目の前で激突し、まばゆい火花を散らせて双方はじけ飛んだ。

「ひょええええ」

ドゥゥゥゥン!

あおりを食らったヨーゴス・クイーンは仰向けに古井戸からひっくり返り、無意識にバズーカ砲のトリガーを引いてしまった。

目がくらむような閃光と共に巨大な丸い火の玉が真上に撃ち出されて天空に消えた。上空を覆っていた雲が引き裂かれてゆく。

発射しただけで足元をすくわれるような音と衝撃にみまわれてエリスは悲鳴と共に膝をつき、後方の村人たちは全員倒れこんだ。

「ぬう、くそ。なんて衝撃だ。ものすごいボディーブローを食らったみたいだぜ」

村の人たちは!?と振り返った。まだみんな立ち上がれずにいる。エリスがふらつきながら駆け寄っている。

今はとりあえずエリスに任せておくしかない。

「タレナガース、馬鹿野郎!武器を作るにも限度ってモンがあるだろう」

「やかましい。いちいち敵に注文をつけるでない。余もまさかこのような近距離でアレを食らうとは思わなんだわ」

だがまぁ、水平に撃たれなくてよかった。

エディーとタレナガースは共に胸をなでおろした。が、水平でないのなら。。。?

ふたりは砲弾が消えた空を見上げた。

「あ。。。?」

「い。。。?」

雲が払われ真っ青な空から赤い火の玉が落ちてくる。

数秒それを見ていたエディーとタレナガースは顔を見合わせた。

「まずいぞ!」

垂直に発射された巨大な砲弾は炎を引きながらそのままここへ落下してくる。

「みんな逃げろおおお!窪みか何かに隠れて身を伏せるんだ!」

エディーは村の人たちの方へ猛然とダッシュした。

タレナガースはヨーゴス・クイーンの姿を探した。

クイーンは発射の衝撃で後方へ吹っ飛ばされ、高く伸びた草の中で砲を抱えて仰向けに倒れていた。

「クイーン、これクイーン。逃げるぞよ!」

駆け寄って体を揺さぶるタレナガースと、ようよう気づいたクイーンが空を見上げた時、巨大な炎の弾がスグそこにあった。

どしえええええええ!

ズポンッッッ!

。。。。。。。。。。。。

いち、にぃ、さん。。。そこにいた全員が閉じていた目を恐る恐る開き、伏せて抱えた頭をそろそろと起こした。

「俺、死んだ?」

「生きてるっぽいわよ」

「またもや冥界に逆戻りかえ?」

「いや、現世のようじゃぞ」

村人に手を貸して立たせているエリスを残し、エディーはふたたび廃寺の境内跡へやって来た。

「おいタレナガース、どうなったんだ?」

「ううむ、ようわからぬが。。。たぶん。。。」

「この井戸じゃな」

ヨーゴス・クイーンが指さしたのは、ついさっきまで彼女自身が立っていた古井戸の中だ。

上に置かれた木製の蓋は跡形もなく吹き飛んでいるが、井戸自体は内側が黒く焼け焦げているもののその形は保っている。

エリスもやってきて、4人は顔を少しずつ井戸の中に出して底を覗き込んだ。

「真っ暗ね」

エリスがつぶやいた瞬間。

ぐおおおおおおおおおおおおおおおおん。

とてつもない大きくて長い地鳴りが起こり、4人は再び足をすくわれて座り込んだ。

周囲の山々から鳥たちが一斉に飛び立ち、目の前の森の中からはシカが3頭飛び出してきた。

山から土砂や石が転がり落ちる音がする。

「地震!?」

「な、なんだ!?タレナガース、これは一体どうなっている?」

エディーの問いかけにはじめは首をひねっていたタレナガースであったが、突然はっとしたようにあたりを見渡した。

「ここは、もしかして?」

「どうなされたタレ様?今の地鳴りは一体。。。」

「一度ひくぞよ」

エディーと同じことを訊くクイーンの腕を掴むと、タレナガースは盛大に瘴気を吐き、その闇の中へ相棒と共に姿を消した。

「あ、待てタレナガース。これを説明しろ」

ゆらゆらとゆらめく漆黒の気配に向かって発せられたエディーの叫び声もむなしく、そこに魔人どもの姿は既に無かった。

朽ち果てた古い古い寺の跡地で、エディーとエリスはあたりの気配を伺いながらしばし立ち尽くしていた。

 

<二>けた外れの一撃!着弾編

生前悪事を働けば地獄に落ちると言われている。

誰もがそれを知っていながら、それでも悪事を働く者は少なくない。

「オレはくたばれば地獄に堕ちるんだろうさ」

などとうそぶきながら、どこか他人事のように考えているものだ。

自分の死というものに今一つ現実味を持てないからかもしれない。

しかし誰しもやがて死ぬ。

死は必ず訪れる。

そして初めて心の底から思うのだ。

地獄に行くのはいやだ!と。

地獄に落とされてからというもの、耐え難い責め苦の日々が始まる。

悔いても悔いても決して許されることのない世界。

たとえば業火に包まれた山を登れと命ぜられる。だが、山全体を包む岩をも溶かす超高熱の炎は人間の肉体など瞬時に焼き尽くし、炭に変えてしまう。亡者のやせ衰えた体はたちまちにして崩れ落ちてしまうのだ。

だからといって登ることを拒否すれば獄卒の鬼どもが巨大な鉄の棒で殴りつけてくる。1トンもあるような重く硬い金棒で何度も何度も叩かれようものならば、肉はちぎれて骨も砕かれ、たちまち人の形など失ってしまう。それでも鬼は殴り続けるのだ。

山に登れば炎に焼かれて黒コゲになる。

登らねば体を粉々に砕かれる。

どちらを選んでも惨たらしく体を破壊され激しい苦痛と共に絶命するのだ。

だが瞬時に生き返る。新しい肉体を得る。なぜなら彼らは既に死んでいるからだ。

不死身の肉体だからといって羨ましがっている場合ではない。

生き返ればまた炎の山へ登らねばならぬ。

そしてすぐまた炭にされ、もしくは砕かれる。

それだけの繰り返しが何億年も続くのだ。

山の頂ははてしなく遠く、1歩進むのに何回も焼け死んでそのたび生まれ変わる。

いつになったら頂に着くのか?

この山を征服すれば許されるのか?

いや、そもそも頂上というものが本当に存在するのか?

罪人は次々と送られてくる。許される者とておらぬ世界に罪人は増える一方だ。

炎の山は亡者でひしめいている。

苦痛にうめく声、許してくれ、助けてくれと叫ぶ声、絶望の泣き声、鬼に叩かれる断末魔の悲鳴。

そうしたものが渾然一体となって、地獄はいつも「おおおおお」という地鳴りの如き音で満ちている。

その世界に空は無い。

地の底だからであろうか?足元と同じ赤茶けた地面が頭上を覆っている。

と、その時!

その頭上の地面が突如大音響と共に破裂した!?

ぐおおおおおおおおおおおおおおおおん!

木っ端みじんに吹き飛んだ「頭上の大地」は盛大に砂塵を叩きつけてきて、あたりは何も見えなくなった。

と、その砂塵を割いて中から巨大な火の玉が飛来した。

ズズウウウウウウウウウウウウン。

ドガガガアアアアアアアアアアン。

巨大な火球は無数にある炎の山の一つに激突して大音響と共に炸裂した。

まばゆい閃光と衝撃波が炎の山地獄を襲い、亡者もろとも鬼たちも重い金棒を持ったままなぎ倒されてしまった。

ゴオオオオオオ!

凄まじい熱風が炎の竜巻となって荒れ狂い、着弾の衝撃は山ひとつきれいに消し去ってしまったではないか。

爆風に煽られて倒れたおびただしい数の亡者や鬼どもが目を回して倒れている。

シュウウウウウウ。。。。

見上げると、地獄の宙空にモクモクとどす黒い煙のようなものが漂っている。広範囲に広がって、もとあった炎の山ひとつを覆い隠してしまえるほどになっている。

それは煙というには見るからに重量があり、手で掴めそうな存在感を伴っている。

ここで吹き飛ばされた鬼や亡者たちは知る由も無いが、この火球こそ、あの古寺でエディーとエリスにぶちキレたヨーゴス・クイーンが後先考えずぶっ放した大口径バズーカ砲の砲弾だったのだ。

その砲弾に仕込まれていたのは大量の瘴気であった。

瘴気とは古来、病を引き起こす悪い空気のようなものとされている。

だがこれはただの瘴気ではない。

タレナガースによって特別に調合された人造瘴気。

悪意増幅型強拡散瘴気だ。

ひとたび吸い込めば、人であれ動物であれ内に潜む凶暴性を何倍にも膨れ上がらせる効果を発揮する。

しかもこちらが口や鼻を塞いでも、瘴気の方で手や指の隙間から勝手に獲物の体内へと侵入するという恐ろしいものだ。

やがて爆発の衝撃と爆風のために目を回して倒れていた亡者たちの肉体が地獄の理によって再生され、皆次々と体を起こし始めた。

彼らの頭上をユラユラと漂っていたどす黒い人造瘴気は眼下に獲物の群れを発見するや、まるで意思を持った生き物のようにススーと近づくや、呼吸などしていない亡者どもの鼻腔や口や耳の穴から体内へ易々と入り込んだ。

よろよろと立ち上がった亡者たちはきょろきょろと辺りを見回していたが、次第に気がつき始めた。

―――炎の山がない。。。ということは?

もう焼かれないのか!?

許されたわけではなかろうが、とにもかくにも山が無い。炎が消えている。

金棒をふりかざして自分たちを炎の中へと追い立てた鬼たちもいない。

どうなっているのだ!?

皆わけがわからず立ち尽くしている。

その時―――。

ドクン!

亡者どもの体内で何かがはじけた。

肉体が滅び、もはや内臓も働いていないはずだ。

なのに、この沸き上がるどす黒い欲望はなんだ?

ドクン!

何度も何度も繰り返し突き上げてくるこの衝動はなんだ?

が。。。あああ。。。がああ。。。

ドクン!

己の体が己以外の何かに支配されてゆく感覚。

この炎の山で我が身を焼かれながら、それでもいつか必ずやって来るであろう許しの日を待ち続けていた。

だが、そんな願いが。。。そんな忍耐が。。。そんな悪事への悔恨が。。。

馬鹿馬鹿しい!

ぐおおおおおお!

全部全部全部全部馬鹿馬鹿しいいいい!

虐げられていた亡者達の目からおどおどした怯えの色は消え、怖いものなど何も無かった生前の凶悪さが蘇ってきた。

今ならここを抜け出せる。あの火の玉が突き破って出来た空の穴を通って逃げてやろう。

悪人の性根が体を突き動かし始めた。

いや、以前にも増して激しく深い憎悪の炎が胸に宿っている。

あの穴の向こうがどこに通じているかは知らない。

天上界なら天上界で。

人間界なら人間界で。。。

暴れまくってやる!

ごああああああ!

人造瘴気によって凶暴な暴徒と化した亡者たちの咆哮が渦巻いた。

亡者たちは我先に駆けた。

逃げに逃げた。

巨大な火球によって穿たれた頭上の穴のもとへと皆集結してきた。

無数のギラギラした目が穴を見上げている。

一方、獄卒の鬼とて指をくわえてそれを見ているわけではない。

ごぉららああ!(待てぇ)

体が大きい分、亡者たちよりも受けたダメージは大きかったかもしれない。

それでも火球着弾の衝撃からようよう立ち直るや、すぐさま態勢を整えて文字通り鬼の形相で追撃を開始した。

人間一人では地面から浮かせることも出来ないであろう重い鉄の金棒を片手にひっさげ、風のような速さで亡者たちに追いすがると、手にした金棒を振り回して逃げる亡者たちの頭部を粉砕し、わき腹をえぐり、両足を削り取った。

それでもあまりに大量の逃亡者ゆえ、すべての動きを封じることは叶わない。

地獄の規律は既に崩壊している。タレナガースが撒いた人造瘴気がそうさせたのだ。

果たして先頭を走る亡者の一団の体が、まるで天に願いが聞き届けられたかのようにすううと浮き上がったではないか!?

後に続く大勢の亡者たちの体も、次々と頭上の大穴の中へと吸い込まれてゆく。

がおおおおらあああ!(おのれぇ亡者ども!)

悔し気な鬼の叫びを下方に聞きながら、亡者たちはついに地獄の天井の外へと運ばれていった。

しばらく上昇を続けていると、はるかな頭上に光が見え始めた。

あれは天界か!?

いや、何か違う。この風は?この香りは。。。?

現世だ!

この穴は現世とつながっているのか!?

現世へ!地上へ!

地上へ出られるぞ!

頬の肉も鼻もそげ落ちてなくなった顔で、彼らは皆「にやぁり」と笑った。それは千数百年ぶりの残忍な笑顔であった。

 

「なんだか釈然としないんだよなぁ」

ヒロはコーヒーカップを口に運びながらひとりごちた。

お昼時、いつものカフェはほぼ満席だ。

最近はSNSで「おしゃれなカフェめし」などというハッシュタグを付けていろんなお店のランチが紹介されており、この店もバゲットをバスケットに盛ったボリュームたっぷりのハンバーグランチがタウン誌のSNSに紹介されて以来、お客が増えてきた。

おかげで常連のヒロとドクはいつもの奥の4人掛けテーブルを確保できないことがある。

今日も店の入り口近くのふたり掛けテーブルに座る羽目になった。いきおい声も小さくなる。

ヒロのつぶやきを聞いて、向かいに座るドクが無言で頷く。

「あの時ヨーゴス・クイーンがぶっ放したデカい一撃でしょう?」

テーブルの上に上体を乗り出して小声で返す。

昨日、県西部の山の中にある廃寺にヨーゴス軍団のモンスターを追い詰めて斃したまではよかったが、毎度毎度の敗戦にブチ切れたヨーゴス・クイーンがおそろしく大きなバズーカ砲を、文字通りぶっ放したのだ。

エディーたちはもちろんタレナガースまでもが「もはやこれまでか」と観念したのだが、おそろしく大きな砲から撃ち出されたおそろしく大きな砲弾は、なんと廃寺の境内にある枯れた古井戸に飛び込んでそれっきりとなった。

「あんなことってあるのかなぁ?」

実際に目の前で起こったことだが、いまだに信じられない。

「実はそれについて、私、ここに来る前にうずしお大学のイトイガワ先生を訪ねてみたの」

「あ、そうか。その手があったね。ナイスだよドク。それで?」

「出張で留守だった。。。」

カクッ。。。

なんだよという失望の色がヒロの顔にモロに出た。

「まったく肝心な時に。。。いつ帰って来るの?」

「来週ですって。ヨーロッパに行っているらしいわ。なんだかっていう学会があって、招待されたらしいのよ」

現在イトイガワはうずしお大学の民俗学助教授として勤務している。

何冊かの書物も出版し、その筋では有名になっていた。

「すごいな。あのイトイガワさんがねぇ。龍脈の一件で初めて会った時は好事家というか、はっきり言ってただのオタクだったのに」

「あれよあれよという間に大学の先生になってヨーロッパに招かれているんだから。驚きよね」

「でもそれだけの知識は持っている人だから、今回も意見を聞かせてもらいたかったなぁ」

ヒロがため息をつく。

「同感。だから状況をまとめて取り急ぎメールを送っておいたの。何かの役に立つかもしれないからあのお寺の画像や位置データも添えてね。こういうお話、あの人の大好物のはずだからそのうち回答が来るんじゃないかしら」

「とにかくあれだけのデカい弾を撃っておいて、とりあえず何も起きなかったからめでたしめでたしって放っといていいとはどうしても思えないんだよ」

「もしかしたらあそこはものすごい霊験あらたかなお寺で、あの古井戸は邪悪なものを吸い込んでくれる不思議な井戸だったりして?」

「まさか。そんな好都合な井戸なんてないよ。今に何か嫌なことが起こるんじゃないかな?とんでもなく不吉な予感がするぜ」

「大丈夫よ。なにか起こったらまたエディーが鎮めるだけだわ」

ね、と小首をかしげて笑うドクにヒロは眉間のしわで応えた。

そしてこの後、ヒロのとんでもなく不吉な予感とやらはドンピシャの大当たりとなるのであった。

 

<三>出てきたぞ!

「下がって。下がってください」

雑草が生い茂る古い境内には警察による黄色い立ち入り禁止のテープが張り巡らされていた。

先日エディーたちとヨーゴス軍団が戦ったあの廃寺だ。

タレナガースたちの姿は見えないが、異様な光景がそこにあった。

例の古井戸から無数の腕が天に向かって伸びているのだ。

数えてみると全部で48本。

どれもこれもミイラのように干からびた腕だ。井戸の入り口いっぱいにぎゅうぎゅうに詰め込まれたように伸びていて、離れて眺めるとまるで枯れ枝を使った悪趣味な生け花のようにも見える。

途中から妙な方向に曲がっているものや他の腕を力いっぱい掴んでいるもの、肘から先が折れてぷらんぷらんしているものなどさまざまだが、唯一共通しているのはどれも「上」を目指していることだ。虚空を掴んで、少しでも上へ行こうとしているふうに見える。

とにかくこの奇妙な現象に、静かな里山はにわかに賑わしくなった。かなりの村人たちがぞろぞろと集まって人だかりができている。

 

今朝早く野良仕事に出かけてきた村人が通りかかってこれを目にとめて「何だ?」と近寄ってみた。よく見るとどうやら人の腕のようだ。

作り物かと思って木の枝でそのうちの1本をつついてみたら、グワッとつかもうとしてきたので腰を抜かしてしまった。

震える手でスマホを取り出して110番したのがこの騒ぎの発端だ。

地元の放送局も中継車を繰り出し、この珍現象を取材している。

到着した警官たちもしばらく眺めていたがまったく動く気配がない。しかし第一発見者の言うように警棒で突いてみたら突然その警棒をひったくられて振り回し始めた。

すると他の腕も一斉に蠢き始めて、気味悪いことこの上ない。

ただちに署に連絡して応援を送ってもらい、最終的にこのありさまとなった。

「生きているのか?」

動くからにはそうなのだろうと、石造りの井戸のふちですりむけた皮膚を採取して鑑識に検査させたがすぐに死体だとわかった。

死んでいるのならなぜ動くのだ?

わけがわからない。

生きているなら問題だが、死体なら死体でやっぱり問題である。

「こんな古寺で怪異現象だなんて、雰囲気あり過ぎだ。勘弁してほしいぜ」

その時、古井戸のふちの石がひとつ、ふたつ、カラカラカラと割れて落ちた。

だが警官たちはこの小さな異変に誰も気づいていなかった。

 

異様な古井戸の警戒は夜を通して続いていた。

深夜2時をまわった頃。草木も眠る丑三つ時。

カツッ。

古井戸の周囲を警備していた当直警官の革靴が小さな石を蹴った。

―――うん?

足元を見下ろした当番の警官は井戸の周りに転がるおびただしい石ころに初めて気がついた。大きいものは女性のハンドバッグくらいもある。

それらの石は、はじめきれいな円を描いていた古井戸のふちから転がり落ちており、見ると残りの石もグラグラと揺れているようだ。

「なんだこの井戸、壊れかけているのか?」

懐中電灯で照らしながら覗き込んだ。

「かなり古い井戸みたいだからなぁ」

規制線を張り巡らせたままの深夜の荒れ寺を見渡した。

「こんな古い廃寺なんか、さっさと取り壊してしまえばいいものを。。。」

独り言を言いながら暗闇に浮かぶ崩れかけた本堂を見た。

朽ちかけた本堂の奥から何かがじっとこちらを見ているような気がして背筋がぶるっと震えた。

―――祟りとかあるのかなぁ?

「まさかぁ。ないないない」

ははは。。。とわざと声に出して笑ってみたその途端!

ドガガーーーン!

ガラガラガラ!

音を立てて井戸が「破裂」した。

古井戸を形作っていたたくさんの石が四方に飛んで、至近距離にいた警官も全身に石つぶてを浴びて倒れた。

あたりにはもうもうと土煙が舞っている。

「う。。。ううう。やっぱり祟りが?」

幸い意識はあるようだが、頭から血を流している。

全身の痛みに耐えながら、何とか立ち上がろうと地面に両手をついたその時!

あああああああああ!

あああああああああ!

あああああああああ!

突然土煙の中から大勢の「死体」が現われた。

どの死体も、赤黒くただれた全身はやせこけて骨が浮き、枯れ枝のような両腕を前へ突き出している。

見開いたまぶたの無い目玉!目玉!目玉!大きく開いた黄色い歯の並ぶ口!口!口!

これはまるで映画でよく見る。。。

「ゾンビだぁああ!」

何とか立ち上がろうと四つん這いになっていた警官は悲鳴を上げて今度こそ気を失った。

 

<四>冥道さん

朝4時頃。

東の山々が赤みを増してきた。

早朝の商店街は人通りも無く、動くものといえばゴミ箱を漁る野良犬くらいだ。が、今朝はそれも無い。

トトトトトト。

そこへ新聞配達のバイクがやって来た。

ドラマに出てきそうなオシャレな家が建ち並ぶ団地の一角にバイクを停めると、新聞の束を抱えて小走りで住宅の新聞受けに届けて回る。

その一角に配り終えたらまたバイクで少し移動して同じようにする。

毎朝の繰り返しで慣れた作業だ。

「うん?」

ある家の新聞受けに朝刊を差し込んだ時、妙な気配を感じた。

家と家とのわずかな隙間の暗がりに、何かいる?

背筋がぞくっとしたが、何故だかそれを見届けずにはいられなかった。

そろりそろりと近づいて覗きこむ。。。

眼前にそいつの顔があった。

目が合った。

暗がりの中で体を丸めて潜んでいたのは、頭髪も皮膚も何も無い全身焼け爛れた見るも無残な姿の。。。人?猿?のようなものだ。

何故だか目玉と歯だけは瑞々しく光っている。そいつは「生きて」いた。

―――はて、どこかで。。。?

そうだ。思い出した。小さい頃「妖怪百科」で見た地獄の亡者そっくりだった。

そう思った途端、そいつが「にいいい」とひきつった笑いを浮かべて覆いかぶさってきた。

「うわぁ」

肉の付いていない細い腕からは想像できない強い力で一気に押し倒されてしまった。

 

少しさかのぼって午前3時半ころ。

例の廃寺の荒れた境内でのこと。

警備の交代要員が到着し、井戸の脇で倒れている同僚を見つけて慌てて署へ連絡したのが数十分前。

エディーたちにも緊急出動要請が来た。

エディーとエリスはそれぞれの新型ヴォルティカに分乗して再びこの廃寺に急行したのだ。

あの時、エディーがヨーゴス軍団の最新モンスターを撃破し、激怒したヨーゴス・クイーンが超ド級のバズーカ砲をぶっ放した山間の廃寺。

咄嗟にエディーが放ったタイダル・ストームに砲身が弾かれ、天空に向って発射された巨大砲弾は真っ直ぐ落下してこの境内にある古井戸の中に消えた。

そして、そこから奇妙な腕が飛び出した。まるで井戸が嘔吐しているような景色であった。

その何十本もの腕がきれいさっぱり消えている。井戸を破壊して。。。

一体どこへ行ったのだ?

一体何がここから出てきたのだ?

丁度その頃、ヨーロッパで学会の初日を終えたイトイガワからメールの返信がエリス宛に届いていた。

<実際にその場に立ってみないとわかりませんが、もしかしたらそのお寺はいわゆる「冥道さん」と呼ばれていたお寺ではないでしょうか?全国にそうしたお寺はいくつかあって、まぁ要するに『あの世とつながっているお寺』ということです。徳島に存在していたとは驚きですが、おそらく間違いないでしょうね。お盆に冥道参りをして亡くなった先祖の霊をあの世から呼び戻し、懐かしい家まで連れ帰るのです。お盆になるとお墓参りをして迎え火を焚き、先祖の霊を煙に乗せて家まで連れ帰るという習わしが一般的ですが、この世とあの世がダイレクトにつながっているという設定はちょっと珍しいですね。でも全国には結構あったみたいです。ヨーゴス・クイーンのけた外れの一撃がこの世とあの世の閉ざされた壁のようなものを破壊して、亡者たちをこの世へ引き上げてしまったということかもしれませんね>

 

砕けそうな木の階段をギィギィ言わせながらエディーが傾いた廃寺の本堂に入ってゆく。

「あの世とつながる。。。か」

お盆に先祖の霊を家まで連れ帰るについては、誰しも生前のなつかしい姿を思い描くだろう。

それなら良いのだが、この古井戸から突き出されていたたくさんの腕は肉が削げ落ち、赤黒くただれたものだったと聞く。

ならばその全身も。。。?

地獄では熱湯釜ゆでやら針の山やら炎の山やら、想像するだに恐ろしい責め苦の世界が繰り広げられているのだそうだ。

ならば、その文字通り地獄の責め苦に苛まれ続けたおぞましい亡者の姿のままで現世に復帰してしまったのではないか。

気の遠くなるような長い長い歳月をかけて償いを重ね、ようよう許されてこの世に再び生まれてくる、まだその途中なのではないのか。

「だけど、かつて悪人だったとはいえ、元は人間なんだよな」

エディーはぽつりとつぶやいた。

戦って敵を倒すだけが渦戦士の使命ではない。

もちろん県民に危害を加えるなら話は別だが。

しかし、イトイガワの推察通りクイーンのあの一撃が原因なのであれば、亡者たちに果たして責任があるといえるのか?

本堂の外ではエリスが例の古井戸を覗き込んでいる。

「おっこちるなよエリス。あの世まで真っ逆さまだぜ」

警備の警官ふたりが境内の外から興味深げにこちらを見ている。興味はあるができればあまり近寄りたくはないといったところか。

「あの時ヨーゴス・クイーンがぶっ放したあのでっかいバズーカの弾はここを通ってあの世にまで飛んでったってことなのね」

「そうみたいだね」

エリスは大きくため息をついた。

「やっぱりただじゃ済まなかったってことか。。。」

「ヨーゴス軍団の兵器ならあの世でも効果を発揮するのかな?」

「たぶん発揮しちゃったのよ。どうせ地獄の天井にでもでっかい穴を開けたんじゃない?」

正解。

「で、おびただしい数の亡者が、お盆でもないのに繋がってしまったこの世とのルートをたどってこの古井戸にやって来た。そして一旦つっかえた」

渦戦士たちは目にしていないが、古井戸に突然現れた何十本もの枯れ枝のような腕の話は警察から聞いている。

「そもそも譲り合うなんて考えはこれっぽっちもない人たちでしょうから、一斉にこの世の出口であるこの狭い井戸に殺到して文字通りつっかえたのよ、きっと」

大正解。

「そしてみんなでウンウン押し続けた結果、ついに井戸の方が壊れてしまった、か」

エディーは古井戸の残骸を見た。

「いきさつの推測はそれくらいにして、私たちが今考えなきゃいけないのはこれからどうするか、ってことよ」

エリスが話を先へ進める。

古井戸を破壊してこの世に舞い戻った亡者たちは数えきれないほどいるようだ。まったく見当もついていない。それらをどうやって見つけ出し、どう対処するのか?

「死んでいるんだよね」

「死んでいるのよ、亡者ですもの。あれ、それじゃ倒せないんじゃない?」

「そもそも倒しちゃっていいのかなぁ。もとは人間だろう?」

「地獄にいたんだから悪人なんじゃないの?」

「でも人間だぜ、ヨーゴス軍団のモンスターたちとは違う」

ふたりは考え込んでしまった。

「一体何人の亡者がやって来たんだろう?数え切れないほどの亡者が散り散りになっちゃって、どう対処したらいいのかさっぱりわかんないよ。。。」

エディーの言葉にエリスも天を仰いだ。

その時、県警本部から連絡が入った。

<H坂団地で被害者が出ました>

 

<五>増え続ける犠牲者

県西部のH坂団地は騒然としていた。

山を切り崩して拓いたH坂団地は例の廃寺がある山からそう遠くない。

「ゾンビですって?」

警官の説明に驚いたエリスはエディーと顔を見合わせた。

「亡者だ。亡者がここに来たんだ」

倒れている被害者を見下ろしてエディーが呟いた。

被害に遭ったのは新聞配達のアルバイトの青年と喫茶店のマスターだ。

ふたりとも体の中身を強力な掃除機で吸い出されたかのように痩せ衰えている。しぼんでいると言ってもよいようなありさまだ。

これで生きているものか!

無理やり引っ張り出さた近くの町医者はそう思いながらも手首にそっと触れた。

「亡くなっています」

その言葉を合図に、周囲にいた人たちは両手を合わせて頭を垂れた。

ふたりとも早朝に襲われたのだろう。

喫茶店のマスターは開店前に近くから湧き出る「銘水」を汲みに出たところ運悪く亡者に出くわしたようだ。

悲鳴を聞いて何人かが通りに出てきたところ、路上に仰向けに倒れたマスターに覆いかぶさっていた人影を認め、数を頼みに止めに入ったという。

しかし振り返った賊の顔と姿を見て、皆腰を抜かした。

「ゾ、ゾ、ゾ。。。」

映画で見た、腐乱した化け物にそっくりだったという。

彼らが騒ぎ始めたため、そいつは西の山へ向かって逃げ去ったのだそうだ。

「とうとう犠牲者が出てしまったか。。。」

「お気の毒に。悔しいわ。。。」

エディーとエリスは哀れな姿になった犠牲者を見て小声で話し合った。

もうひとりの犠牲者の身元は「配達のアルバイトがいつまでたっても帰ってこない」と新聞販売店の店主から警察署に届け出があったことで判明した。

慌てて現場へやって来た店主が身元を確認した。

あまりに変わり果ててしまったその姿に絶句したが、服装や倒された配達用の原付バイクなどから間違いないと認めた。

「それにしてもご遺体のこのありさまはいったい。。。?」

エリスのタブレットにイトイガワからのメールが届いていた。

<亡者は常に飢えています。決して満たされることのない激しい飢えにさいなまれているのです。しかし、内臓も朽ちていますから私たち人間のように物を食することができない。だからそのかわりに口から生者の精気を吸うのです>

「精気を。。。その結果がこれなのか」

新聞販売店の店主がエディーに近寄った。

「ねぇあんた。仇をうってくれよ。この人たちの無念を晴らしてやってくれ。な、このとおりだから」

泣きながら何度も頭を下げる店主を、警官が「まぁまぁ」と引きはがす。

エディーもエリスも沈鬱な面持ちだ。

「今回は救えなかった。無力な自分が腹立たしいよ」

「私もよ。でも、これ以上可哀相な犠牲者を出さないようにしなければ」

「そうだな。一刻も早く対策を考えなければ」

到着した救急車で搬送される犠牲者を見送って渦戦士たちは拳を握り締めていた。

しかし、その切なる願いはほどなく打ち砕かれることになる。

 

真っ赤な視界の中に獲物がいる。

もぞもぞ動いている。

この音はなんだ?

うううううう。。。

どこから聞こえるのだ?

ぐううぐるるる。。。

周囲に同じ奴らがたくさんいる。

皆、あの獲物を狙っているのだろう。

奪われてなるものか。

ぐうううううう。。。

そうか、これは自分の声だ。自分自身の喉の奥から漏れる唸り声だ。

あの獲物を食らいたくてうずうずしている。

だが、どうやって食えばよいのだろう?

ものを食らうとはどうするのだったか。。。忘れてしまった。

わからない。

わからない。

だが腹がすいている。

すいているはずだ。

だから食らいたくて我慢が出来ぬ。

背後からそっと近寄ってみる。

まだ気づいていない。

いけるぞ。

食えるぞ。

食えるぞ。食えるぞ。食えるぞ。

 

夏の渓流釣りは気持ちがいい。

ウシオは視線を天に向けた。

緑の枝が頭上に張り出し、その向こうに真っ青な空がある。

「最高だ」

いろいろ煩わしいことが多すぎる街中の暮らしから逃れて山へ分け入り、森の緑を愛で水の流れる音に耳を澄ませているとなんだか体の中が浄化されてゆくようだ。

ウェットゲーターを履いて川の中へ入ると、水の冷たさが心地よく伝わってくる。

生き餌を針に付けて流れが遅い淵を狙って上流へキャストする。

狙いはヤマメだが、釣れようが釣れまいが構わない。こうして自然に身を置いているだけで楽しい。

頭上の枝を避けるためにサイドスローでキャストした。

―――来た!

ヤマメが餌を吐き出す前に合わせる。

いい感触だ。

釣り上げたヤマメは20p以上ありそうだ。

我ながら小さいと思うが、こういう時は誰かに見ていて欲しい気がして周囲を見た。

いた。

目が。。。合った。

ぞくりとした。

山を吹き渡る冷風のせいでもなく、川の流れのせいでもない。

異質の冷やかさが背筋を逆なでた。

背後の大きな岩の上に人が立ってじっとこちらを見ている。

木陰になっていて風貌はよくわからないが、なぜだか目だけが異様にはっきりと見えている。そしてじっと自分を見ているのがわかる。

―――誰だ?おかしなやつだな。

釣りに戻ろうとした時ウシオは気づいた。

もうひとりいる。

いや、3人。。。4、5。

「うわ、なんなんだこいつら?」

対岸の大きな岩の上にもいる。いつの間にか十数人にとり囲まれていた。

少しずつ少しずつ近づいてくるではないか。ウシオを取り囲む輪が次第に縮まってゆく。

やがてそいつらの姿がはっきりと見えてきた。

ひっ!?

みんな服を着ていない。全身焼けただれたような赤黒い肌がむき出しになっている。

瞼が無いせいでまばたきができない大きな眼球が自分を見ている。

みんなが自分を見ている。

―――ゾンビだ!

仏教画でよく見る青白い肌の亡者とはかなり容貌が異なるため、その姿を見た者はまずゾンビだと思ってしまうようだ。

―――噛まれると自分もゾンビになるのか?いやだいやだ、こっちへ来るな。来ないでください。

映画の知識はかなり浸透しているようだ。

うろたえたウシオは川の中を後ずさろうとして川底の石につまづいた。

ザバン!しぶきをあげて無様にしりもちをついた瞬間。。。

ああああああああああああああああ!

亡者たちは一斉に口を開けると黄色く光る歯をむいてウシオにとびかかってきた。

「わわわわ、たす、助けて!」

ザザ。

頭上の木々が不自然に揺れる音がして見上げると、別の亡者が張り出した枝から自分めがけて飛び降りてきた。

ドサリ!

なぜかあまり重さは感じなかったが、大勢の亡者にのしかかられたウシオは視界と共に意識も失った。

水際の石の上では釣り上げられたヤマメがビチビチと跳ねていた。

 

今年は台風が多かった。

直撃は避けられたものの、6号、7号と連続して徳島の近くを通過した。

南太平洋では早くも8号が発生したらしい。

「難儀なこっちゃ」

山の斜面にこしらえた棚田の畔の雑草を抜きながらショウスケは腰の手ぬぐいで汗をぬぐった。

稲穂はこうべを垂れて田は黄金色に輝いている。

早稲の刈り取りはもうすぐだ。

ここまで守り抜いた稲を刈り取り目前で台風に駄目にされてはかなわない。

目を細めて空を見ると、薄くちぎった綿のような雲が流れてゆく。

「何とかいけそうやな」

わずかな面積だが、大切に育てた稲である。1本残らず無事に刈り入れたいものだ。

「ん?」

ショウスケは風に揺れる稲穂を見つめた。

今なにやら不自然な動きをしたように思ったからだ。

ファサファサ。。。

まただ。やはりなにかいる。

こちらへ近寄ってくる。

「サルか?まさかイノシシか?」

稲穂に隠れて何かがいるしかも1匹や2匹ではない。

害獣ならばすぐに追い払わねばならぬが、うかつなことをすればこちらの身が危うい。

そろりそろりと身をかがめ、稲穂の間で蠢くモノの正体を確かめようとした時、不意にそいつと目が合った。

―――やっぱりサルか。

だが、何か変だ。

全身に毛が生えていない。まるで、丸焼きにされたような。。。こんなサルはいない。

その時、稲穂のあちこちから同じような顔がひょこひょこと現れた。

稲穂の中を四つん這いになって這って来たのだ。まるで日の光を嫌うかのように?

「な、なんだお前らは!?」

ショウスケは立ち上がって後ずさった。

突然背後から肩を掴まれた。

驚いて振り返ると目の前に同じ顔があった。

にまあ、と焼けただれたサルの顔が笑った。

あああああああああああ!

周囲の棚田から一斉にあがった奇怪な声に「ひゃあああああ!」というショウスケの悲鳴が混じっていた。

 

<六>渦のハリセン

「あちこちで騒ぎになっておるのう」

暗くてじめじめした洞窟の中から良からぬ呪文のような声があがった。

「うむ。なかなか活躍しておるようじゃ。クイーンのヤケクソの一発も今回ばかりは良い方向に転んだようじゃ。ふぇっふぇっふぇ」

ヨーゴス軍団の首領タレナガースだ。ヒグマを思わせる茶色の頭髪に、いかり肩から垂らされた同色のケモノのマント。迷彩色のコンバットスーツに身を包んだシャレコウベヅラの魔人。

そのシャレコウベは人のものでも何かの動物のものでもない。ただ恨みに歪み憎しみにねじくれた化け物のものだ。額からは悶えるような2本のツノが生えている。

「ヤケクソとは何じゃ!今回ばかりはとはどういう意味じゃ!わらわの計画がすべて順調に進んでおる、ただそれだけのことではないか。タレ様はちと無礼であろう」

応じるは同じく大幹部のヨーゴス・クイーン。毒々しい紫の頭髪と体毛がわさわさと揺れている。吊り上がった昆虫の目が攻撃的な性格をよく表している。残忍さでは首領タレナガースに引けは取らない。

「フン。まぁ何とでも言うておれ。それにしても余が調整した人造瘴気の効果がここまでとは思わなんだ。地獄では気弱でやられっぱなしの亡者どもも余の瘴気によって生前の悪人の気性を取り戻したようじゃ。いや、それ以上かのう」

「まことに。徒党を組んで人を襲うシーンは見応え抜群であったわ。とにかく勢いが良い!タレ様のモンスターとはひと味違いまするなぁ」

「ケェッ!何百年も何千年も何も食うておらぬゆえ腹が減っておるだけではないか」

「しかし彼奴らは何も食えませぬぞえ」

「内臓も何もかも焼け焦げておるからのう」

「哀れよのう」

ふぇ〜っふぇっふぇっふぇっふぇ!

ひょ〜っひょっひょっひょっひょ!

生きておろうが死んでおろうが、人間の不幸ほど面白いものはない。

やれやれ。。。

「じゃが、亡者どもがこの世に舞い戻って3日。そろそろ瘴気の効き目も薄れてくる頃ではないかえ?」

「うむ。体内の悪意増幅型瘴気が消費し尽されてしまえば、鬼に虐げられておった時の、もとの気弱な亡者に戻ってしまうからのう。いち早く効力が切れたヤツから、この世のようすに戸惑い始めるじゃろう。彼奴等が生きておった時代に比べて日の光が格段に強いことも災いするであろうよ」

「そもそもこの『明るさ』が、我ら闇の者どもを衰退させた要因のひとつじゃからしてのう。まったく忌々しい」

「どれ、ここいらで彼奴等のお尻を叩いてやるとするか。もう少し辛口の瘴気を調合するゆえ手伝え、クイーンよ」

そう言うと、タレナガースとヨーゴス・クイーンは薄暗いアジトの更に奥の深い闇の中へと姿を消した。

後には不気味な静けさと、底抜けに嫌な予感だけが残されていた。

 

『謎の犠牲者続出 原因不明』

『県警になすすべなし』

『犠牲者はついに8人』

『またしてもヨーゴス軍団のしわざか?』

地元紙を広げたヒロが沈鬱な声で呟いた。

タブレットで電子版を読んでいたドクも無言で頷く。

8人もの県民が命を落としたのだ。当然各メディアでも既に大きく取り上げられている。

徳島県内は恐怖の渦中にあった。

学校の集団登下校には警備会社のガードマンが同行し、夜遅くの公共交通機関の利用者は激減して自家用車での送迎が増えた。

おかげで夕方の交通渋滞は凄まじいものになり、目的地までの所要時間は従来の2倍以上になっている。

県下は異常事態にあるといってよかった。

はあああ。

ふたりのため息がいつものカフェを漂う。

人が多い昼間の市街地は襲われないだろうという安心感があるためか、週末の人出はやはり平日より多い。インバウンド客なのか、外国人の姿もちらほら見える。

カフェの席もすべて埋まっていた。

こうなるといくら常連とはいえ、新聞を広げて長々とコーヒーを飲んでいるヒロとドクは効率の悪い客に成り下がってしまう。

奥の席に陣取ってかれこれ2時間。目の前のカフェラテは3杯目だ。

今回は問題が多すぎる。

敵の姿がわからない。その数もわからない。どこに潜んでいるのかわからない。どう戦ってよいのかわからない。

わからないことだらけだ。

今のところ亡者の行動範囲が限られているためか犠牲者は山間部に集中しているが、人口密集地へ出てこられたら大パニックになってしまう。

一刻も早くすべての亡者をなんとかしなくてはならないところだが、何をどうすればよいのか。。。?

「あ、いけない。ヒロ、ショーの準備をしなくっちゃ」

「あ、そうだった。今日はダブルヘッダーだったね」

秋のお祭りに華を添える形で、ヒーローショーは大忙しだ。

特に今日は「お月見フェスティバル」と銘打ったショッピングモールのイベント広場と水際公園でのショーが立て続けに決まっている。

「気分を変えてショーに全力投入だ!」

目の前のカフェラテを一気に飲み干すとふたりは新聞をたたみながら足早に店を後にした。

 

ガンバレー!

負けるな!!

イベント会場は大盛況だ。

今日も子供たちの声援はものすごい。

魂から絞り出す応援の叫びは実際のヒーローでなくとも演者たちにとって大きな励みとなる。

「さぁ、とどめの一撃よ!」

おおおおお!

「アワレッド。この武器を使って!」

おおおおお!

「オッケーピンク。さぁおサルモンスター、俺のソー。。。ド、あれ?」

アワピンクから手渡された武器はいつもの両刃のソードではなく、厚紙を折って造られたハリセンではないか!?

アワレッドは面食らった。

「そのハリセンには中秋の名月から降り注ぐ聖なるパワーが宿っているのよ」

―――せ、聖なるパワー?そんなの打ち合わせにあったか?

「いけーレッド!」

「お、おう。。。くらえモンスタぁぁ!」

こうなりゃ勢い任せだ。

アワレッドはハリセンをおサルのモンスターの脳天に振り下ろした。

パアン!

気持ちの良い音と共におサルモンスターが頭を抱えてひっくり返る。

子供たちは大喜びだ。

―――なんか、気持ちいいな。

アワレッドは丁寧に折りたたんで作られたハリセンをしげしげと眺めた。

「それ、戦闘員どもにもお見舞いだ」

なんだかノッてきた。

パン!

パパン!

パシィィン!

ソードで戦っていた時は斬ったふり、斬られたふりをしていたため、実際に相手を叩くハリセンは大きな音も出て迫力がある。

やられる方もリアクションが取りやすいせいかアクションの流れが良い。

「それそれそれ!」

パンパンパパアン!

「いいぞーーー!」

「きゃははは!」

一撃ごとにひっくり返る戦闘員たちのひょうきんなアクションが子供たちの爆笑を誘う。

「とどめだ!」

クルクルと回転しながら繰り出したハリセンが、おサルモンスターの顔面にヒットし、ついにアワレッドは勝利を手にした。

ショーの後の握手会も大盛況だ。

「お友達を叩いちゃダメよ」

アワピンクのやさしい言葉に何度も頷きながら、子供たちははじけるような笑顔でイベント会場を去っていった。

「ところで、これはいったい。。。?」

誰もいなくなった控室でヒロはドクに尋ねた。

打ち合せにもなかったソードからハリセンへの急な変更はどういうわけか?

「ソードが壊れちゃったのかい?」

「ううん。そうじゃないけれど、まぁ訳はおいおい。とにかくウケたからいいじゃない。結果オーライよ」

なんだかはぐらかされてしまったが、確かに大ウケだった。

「さ、次は水際公園よ。今度もハリセンでドッカンドッカンいっちゃいましょう」

 

<七>K通り商店街の幸運

野良犬が1匹ゴミ箱をあさっている。

K通り商店街は夕餉の食材を求める買い物客で賑わっていた。

全長50mほどの通りの両側には昔ながらの肉屋、八百屋、魚屋をはじめ、揚げたてのコロッケを売る店、総菜を売る店、パン屋、角打ちのできる酒屋などが立ち並ぶ。

なんでも揃う大型スーパーなど無縁のこの町にとってはこの商店街は食卓を支える頼もしい存在である。

「メンチカツとたまごコロッケ5つずつちょうだい」

「へい、まいど」

注文の品を紙製の袋に詰めていた店の大将は「ん?」と顔を上げた。

何か聞こえたか?

初めは空耳かと思ったが、ショーケースの向こうにいるお客も財布を持ったままあらぬ方向をじっと見ている。

「何か聞こえましたか?」

「ええ、なんだか変な。。。声のような。。。地鳴りのような。。。?」

その音は次第に大きくなってくる。

そのうち商店街の買い物客や店の人たちも全員動きを止めてその音がする方向を見はじめた。

「山の方から。。。だよな?」

西日がまぶしい方を見ていると、何かの大群がやってくる。

何だ!?

その音は、いやその声は次第に大きくはっきりと耳に届いた。

あああああああああ!

あああああああああ!

あああああああああ!

道路の上に薄く積もった砂を盛大に巻き上げて赤黒い一群がK通り商店街をめざして走ってくる。

これはただごとではない。

ニュースでやっていたヤツだ!?

「み、みんな逃げろ!逃げるんだ」

「亡者が来るぞ!」

だが、平和な毎日に慣れている人たちはその警告だけではすぐに動かない。

「え?なに?」

「どういうこと?」

「何を怒鳴っているの?」

とあたりをきょろきょろと見まわすだけだ。

そのうちに亡者の一団は商店街の目前にまで迫った。

 

「え?被害者ゼロ?」

「誰も襲われなかったのですか?」

エディーとエリスは報告する警官に問いただした。

それは嬉しい報告だったが、しかしどうして?

「は、はぁ。。。何度聞いても全員無事です、としか。。。?」

渦戦士たちは視線をK通り商店街の奥へ向けた。

数えきれない亡者の群れが襲撃してきたと聞いて大惨事を予見したのだが、今の商店街は平穏そのものだ。

道路には大勢の店の人や買い物客たちが出ていて、それぞれ警官と話したりメディアの腕章を付けた人たちのインタビューを受けたりしている。

どうやら本当に犠牲者は出ていないようだ。

エリスが商店街の入り口にある惣菜屋に入っていって店主に声をかけた。

「こんにちは。とにかく被害が無くてよかったですね、ご主人」

店主はエリスを見て少し驚いたようだが、彼女のことはニュースで何度も見て知っている。

「ええ。おかげさまでね」

「でも、かなりな大群が押し寄せたと聞きましたが、よくご無事でしたね。急いでシャッターを閉められたのですか?」

「いやいや、そんなんじゃありません。。。なんかよくわからないんですが、亡者の方で引き返していったんですよ」

「引き返した?」

エリスは身を乗り出した。

「はい。あいつらぁ、もうすぐそこまで来てたんですが、急にみんな足を止めて。。。何人かは商店街の中にまで走りこんだんですが、それでもやっぱり最後は立ち止まってね」

「自分たちでですか?こちらからはなんにもしていないのに?」

「そう。で、あたりをきょろきょろ見まわし始めて、最後はとぼとぼとやって来た道を引き返していきました」

「やって来た方。。。西へ。山へ入ったのかしら?でもいったい何がどうなって?亡者に何がおこったの?」

 

<八>叩いて祓え!

うわああああああああ!

あたりにこだまするけたたましい悲鳴と共に山から3人の男女が飛び出してきた。

路肩に停車した軽自動車など見向きもせず、一目散に駆ける。駆ける。駆ける。

目も口も鼻の穴もこれ以上ないほどに広げている。

まぶしい陽光の元、まさかお化けを見たというわけでもなかろうに。。。だが、どうやら見たらしい。

「出た!出た!出た!」

「でぇでぇたぁぁぁ。出たぁぁぁ」

口々に出た出たと口走りながら駆ける。

やがてそのうちの1人がスマホを取り出して画面を操作し始めた。

走りながらなのでなかなかうまくゆかない。

それでもなんとか思う相手を呼び出したようだ。

「けけ、警察か?はよ来てくれ。亡者がおった。山ん中じゃ。ごっついようけおったわ!」

 

キノコ狩りのため馴染みの山にわけ行った仲良し4人組は山中で不意に大勢の亡者に取り囲まれてしまった。

下ばかり向いて歩いていたら、知らぬ間にぐるりを取り囲まれていた。

暗い森の中でまぶたの無い大きな目玉だけが印象に残っていたそうだ。

地元の警察署から最初のパトカーが到着したのがそれから12分後。さらにその20分後には県警本部からありったけのパトカーが到着して件の山を取り囲んだ。

我らが渦戦士も既に到着していた、

「さぁ、行こうかエリス」

「オッケー、エディー」

新型ヴォルティカを降りた二人は用心しながら山の中へ分け入った。

県道から山の中へ入って数分で亡者たちと遭遇した。

ふたりにとっては初めての対面だ。

なるほど。仏教画などで見る青白い亡者と違ってこちらは凄味がある。

イメージとしてはやはりゾンビに近い。

「いた。。。ものすごくたくさんいるわね」

エリスがエディーの耳元で囁いた。

「ああ。こりゃ何人いるかなんて数えられないね。。。」

エディーも蚊の鳴くような声で応えた。

うっそうとした森の木々に隠れるようにして、あるいは枝の上で幹にしがみついたりしてこちらを見ている。

やって来たふたりに、とてつもないパワーが内包されているのを感じ取って怯えているのかもしれない。

強い力とは彼らにとって鬼そのものなのだろう。

しかしいつまでもにらめっこをしていても埒があかぬ。エリスが意を決して前へ出た。

「こんにちは皆さん」

明るく言ってみた。

ザザっと一斉に木陰に身を隠した。突っついたイソギンチャクのようだ。

―――えええ?何この引っ込み思案な感じ。。。

とても今まで人を襲って精気を吸い取り命を奪った者たちとは思えない。

「このようすだと一度は散り散りになっていた亡者たちも全員ここに集まっていそうだよ」

「そうね、一人でいると心細いから寄り集まっているって感じだもの」

地獄の亡者とはいえ、長い長い歳月をかけて生前の罪の償いをしている彼らだ。このうえ現世で罪を重ねても良いことなどあるまいと悟ったのだろうか?

とんでもなく場違いな所に来てしまったという自覚が芽生え始めているのだろうか?

だとすれば何か解決の糸口が見つかるかもしれない。

ならば、やはりこれまでの被害者たちとは不幸な遭遇であったのかもしれない。

県警からはいったい何人いるのか見てきてもらいたいと依頼されているのだが、これでは無理だ。

「あの、皆さんはあの世で。。。その、罪を償っていらっしゃるのでしょう?まだ途中ですよね。一回戻られてはいかがでしょう?」

「今回のことは不幸なできごと、というかこちらにいる悪い魔物の悪さで引き起こされたんです。言わば皆さんも被害者ですよね。。。」

エディーも恐る恐る話しかけてみた。

「よかったら、もう一度あの古井戸から元のじご。。。いえ、元の世界へ戻ってみたり、しませんか?」

「残りの修行を終えて何の憂いもなくもう一度生まれ変わった方が、きっと気持ちいいというか、楽しいというか。。。ね」

一歩ずつゆっくりと亡者たちに近づきながら二人は語りかけた。

慎重に、言葉を選びながら。

すると、太い木の幹の陰から何人かの亡者が姿を現した。

不安げな視線だが、エディーとエリスの呼びかけに応じたことは明らかだ。

―――よかった。私たちの言葉がわかるのね。

さらに望みが湧いてきた。

「そう。ほかの皆さんも出ていらっしゃい。誰も皆さんに危害を加えたりはしないわ。一緒にあのお寺へ戻りましょう」

エリスが前方に右手を差し出してさらに語りかけた。

すると、あらゆる木という木から何十人、何百人という亡者が姿を見せた。

本当にものすごい数だ。森全体がぞわりと動いたように思われた。

「エディー、少し遠いけれどこのまま徒歩でこの人たちを先導してあのお寺まで行きましょう」

「了解した。警官隊には少し後退してもらうよう連絡するよ」

戦わずに済みそうだ。ふたりにはそれが何より嬉しかった。

だがその時、今一番聞きたくない声が森の中をこだました。

 

「これこれ、せっかくこの世に戻ったお客様を何のおもてなしもせずにお返しするつもりかや?気の利かぬ渦戦士どもじゃて」

「タレナガース!」

―――やめろ、今は出てくるな!

エディーは祈るような気持ちで周囲の気配を探った。

だが、祈りを踏みにじるのがヨーゴス軍団である。

タレナガースはエディーたちの背後で、行く手を阻むように立ちはだかっていた。

「そりゃ戦闘員ども。ヨーゴス軍団式のおもてなしをいたせ!」

キィキキキィー!

タレナガースの号令で何やら大きなタンクを背負った十数人の戦闘員たちが森のあちこちから走り出て亡者たちの群れへと飛び込んでいった。

野球場の売り子さんが担ぐビールサーバーよりも大きなタンクからは蛇腹のホースが伸びていて、先端には小銃型のノズルが付いている。

タンクには『タレ様印の辛口瘴気』と書かれている。

「まずい!」

焦るエディーをしり目に戦闘員たちは小銃型ノズルを構えると、先端から真っ黒な瘴気を噴出させて亡者たちにシュウシュウと浴びせかけた。

「ふぇっふぇっふぇ。亡者どもを狂わせる特製人造瘴気じゃ。先に地獄で吸い込んだものよりも辛口に味付けしてあるゆえに凶暴化も一段とハイパワーぞ!」

「読めたぞ。やはり亡者を凶暴な暴徒と化したのはあの時のデッカい砲弾のせいだな。中に何か仕込んでいたんだろう」

「ふぇっふぇっふぇ、ピンポ〜ン。悪意増幅型人造瘴気よ。まことに天才じゃのう、余は」

シュウウウウウ。

ぐおおおおお。

ブシューーー。

があああああ。

シュコシュコシュコ。

ああああああぅぅぅ!

真っ黒な人造瘴気を浴びた途端、亡者たちは苦しみ始めた。顔を両手で覆い、喉をかきむしった。

「よさないかタレナガース。苦しんでいるじゃないか!」

「もう亡くなった人たちにまでこんなひどいことをする必要はないはずよ!」

ふたりの悲痛な訴えもヨーギス軍団は聞く耳を持たぬ。

意を決したエディーは猛ダッシュし、片っ端から戦闘員たちを引っ捕まえるとタンクを奪い取って投げ捨てた。

「ええい、やめろぉ!」

パシッ!

ズガン!

亡者達に向けられたノズルを蹴り上げて戦闘員に痛烈なフックをお見舞いする。

きゅうううう〜

だがタンクを投げ捨てても戦闘員を倒しても、森の奥から新手が現われて、転がったタンクを担ぐと再びその中身を撒き散らし始めた。

 

一方、タレナガースの辛口人造瘴気を浴びて苦しむ亡者たちのむき出しの目玉が次第に赤く染まり、大人しくエディーたちに従おうとしていた顔に再び狂暴の色が濃く浮かび上がった。

ぐるるるるるるるあああああああ!

瘴気の中で、亡者たちが一斉に胸をそらせ、天に向かって吠えはじめた。

「そぉれそぉれ。亡者どもの凶暴性は一気に増しておる。こやつらは今やただの亡者にあらず。暴走亡者となったのよ。もはやあの寺までおとなしゅうついてなど行かぬぞ!どうするどうする?」

タレナガースが面白そうにはやしたてる。

エディーとエリスが亡者たちを攻撃せずにもとの廃寺の古井戸まで誘導しようとしているのを知ってのことなのだ。

暴走亡者たちの何百という赤い視線がエディーとエリスに集まった。

「エリス逃げろ」

「エディー、それでもこの人たちを倒してしまいたくないわ」

「俺もだ。だがどうすれば。。。?」

「これよ。ショーを思い出してやってみて」

エリスから手渡されたのは厚紙を丁寧に折りたたんで作られたハリセンだ。

「え。。。ハリセン?これはショーじゃないんだぜ」

「いいから。そのハリセンに渦のエナジーを乗せてみて。ソードを錬成する要領でね」

しかたない。とにかくエリスの言う通り戦ってみよう。

ふたりの間の信頼関係はもはや鉄壁だ。

エディーは渦のエナジーを左右の手の平に集めた。いつもならここから両刃のソードをイメージしてエディー・ソードを出現させるのだが、今回はこのハリセンを依り代にする。

意識を集中してハリセンを目の前にかざし、左の手の平で渦のエナジーをまとわせながら根元から先端へとゆっくりとなぞる。

左手の動きに連動して、白い厚紙製のハリセンが青い光に包まれてゆく。

「よし、渦のハリセン完成だ」

同時に眼前に迫った亡者の横っ面をパァン!と勢いよく張り飛ばした。

ハリセンで叩かれた瞬間渦のエナジーが亡者の体内に注ぎ込まれ、タレナガースの辛口瘴気とせめぎあって浄化させる。

それだけのプロセスが人の瞬きよりも短い時間の中で行なわれた。

ヒッ!

叩かれた亡者は打撃の衝撃で仰向けにひっくり返ったが、一瞬にして瘴気の毒が抜け、元の表情に戻ってキョトンとした顔で全く動かなくなった。

「お、効いてるんじゃないか?」

エディーはソードを振るうかのごとく青く光るハリセンを操り、襲い来る狂気の亡者たちを次々に張り飛ばしていった。

「叩いてすまないが辛抱してくれ。このハリセンで君たちの体の中をきれいにしてあげるからね」

パン!パパン!パァン!パシィィン!!

薄暗い森の中で、青い光が尾を引きながら木々の間を走り抜ける。

そこにいた亡者たちはハリセンを通して渦の清浄なるエナジーを体内に送り込まれ、凶暴さを洗い流されてゆく。

それでも亡者の数は圧倒的である。

前後左右からエディーに襲い掛かり渦のアーマに歯を立て爪を立てた。

「くそぉ。負けないぜ!みんな頼むから元に戻ってくれ」

エディーは気合とともに全身から渦のエナジーを放出した。

青い輝きがハリセンのみならずエディーそのものを包み、しがみついていた亡者たちは思わずエディーの体から離れた。

そこをすかさず青いハリセンがパン!と気持の良い音を立てて瘴気と邪気を打ち祓ってゆく。

たちまち暴走亡者たちは目を回して地面にひっくり返った。

 

<九>ブッ叩いて祓え!

「タレ様や、押されておるのではないかえ?」

「ううむ。しかたない。唐辛子増し増し作戦を発動させるとするか」

タレナガースは懐から何やらドリンクの小瓶を取り出すと、グイとひと息に飲んだ。

「ぷふぁ〜。ゲプッ、かああ効くわい」

タレナガースは森の奥、エディーが亡者たちと戦っているすぐ近くまで進むと、グイと上体を反らせた。

きええええええええええい!

タレナガースの全身から気合いと共に赤いオーラが放たれ、さらにもの凄い勢いで瘴気が噴出した。

「うわ!?何だ?」

「赤い瘴気だわ」

今タレナガースが全身から放出しているのはやはり瘴気だ。しかも赤い。さわやかな赤ではなく黒が混じった不吉な赤だ。

赤い瘴気はまるで誘導弾の如く亡者ひとりひとりめがけて飛び、その体内へスルスルと入ってゆく。エディーをめがけて襲いかかろうとする者にも、ハリセンの一撃で昏倒している者にもだ。

「今度は何をした、タレナガース!?」

エディーが鋭い視線を送る。

「ふぇっ、しれたこと。先ほどよりも更に強烈なタレ様印の激辛瘴気を送ってやったのよ。辛いぞよ、ホレホレ」

「激辛だと?」

「せっかくみんな元に戻りかけていたのに」

うううがああああ!

げえええええええ!

ぐえええええええ!

暴走亡者たちは前よりも一層苦しみ始めた。

全身をビクンビクンと激しく痙攣させている。

やがてその体から激辛瘴気と同じ色のオーラがゆらゆらと立ち昇り始めた。

カッ!

またしても狂った亡者の群れは一斉にエディーに視線を集中させると一気に襲いかかった。

もの凄いジャンプ力だ。

激辛瘴気は暴走亡者の身体能力をも格段にレベルアップさせているようだ。

エディーは体をクルクルと回転させながら跳びかかる暴走亡者達をかわしながら渦エナジーをまとわせた青いハリセンで頭部を再び打ち据えた。

パパアアン!

立て続けに小気味よい音がするが、今度は亡者の動きが止まらない。

パン!

パパパン!

2発、3発、4発。

「くそ、渦のハリセンが効かなくなっている」

1人の亡者を行動不能にするまでに数発叩き込まなければならなくなっている。

目前に迫る亡者から順にパンパンとハリセンを振るうが、背後から抱えつかれ、下半身に抱きつかれ、正面から跳びかかられ、頭上から覆いかぶされた。

「だ、ダメだ数が多すぎる。。。」

「ふぇっふぇっふぇ。余が特製の激辛瘴気を味わった者は生者であれ死者であれ怒りと憎しみの感情をマックスにまで増幅させる。それによってこやつらが得る力は黒い瘴気のそれなど比較にならぬ」

エディーの苦戦を涼しい顔で眺めていたタレナガースが胸を反らせて語った。

「どれほどの修羅を潜り抜けたとて、人間の憎悪などたかが知れておるからのう。ああして地獄で焼かれておる亡者どもとて、所詮は普通に生きて普通に死んでおるだけよ。とてもとても余やクイーンのごとき魔物に昇華できるほどの凄まじき怨念など持ち合わせてはおらぬもの。じゃからこうしてカンフル剤を与えてやっておるのよ。悪人ならば、まことの罪人ならば、それらしき暴れっぷりを見せてみよ!」

笑うタレナガースの背後にはヨーゴス・クイーンが隠れている。目の前に展開するバトルが愉快でたまらぬといった風情だ。

「まぁ生きておる人間どもならそのエナジーの大きさに精神が耐えられず悶絶死するであろう。じゃが亡者の肉体は既に滅びておるからのう。そして、たとえ滅びても許されるまではまたすぐ蘇る。まこと因果よのう、地獄の理は。のうタレ様や」

ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。

ひょっひょっひょっひょっひょ。

エディーの体から青い湯気のようなオーラが立ち昇りはじめた。

「渦のエナジーを。。。吸い取られる。。。くっ、離せ」

何十体という暴走亡者に取り囲まれてエディーの姿は見えなくなってしまった。

「激辛瘴気のせいで抵抗力が格段に強化されているんだわ。エディー、あなたも強化変身して!」

「ふぇっ無駄じゃエリスよ。暴走亡者どもに覆われて、もはやエディーめは身動きならぬはずじゃ」

タレナガースとヨーゴス・クイーンは勝ちを確信しているようだ。

地面の上にこんもりと盛り上がるように出来ている半径3メートルほどの亡者のカタマリ。その中心にエディーがいた。

だが、自分の体の上に幾重にも折り重なっている暴走亡者のその体の僅かな隙間から、渦の戦士は宿敵タレナガースに鋭い視線を送っていた。

決してくじけることのない闘志のこもった視線だ。

幾重にも折り重なったドーム状の暴走亡者の塊がゆっくりと宙に浮き上がった。いや、何者かに持ち上げられている。

ゆらゆらと揺れながら地上数十センチにまで持ち上がった赤い暴走亡者の「団子」は、さらに赤みを増した。

「む?」

タレナガースの目玉の無い眼窩に警戒の色が浮かんだ。

―――まさか。。。?

激辛瘴気で体全体を赤く染めた怒りの化身たちの内側から更に赤い光が漏れ始めた。

「あの光は!?」

それはタレナガースとエリスが同時にもらした同じ言葉だ。だがそこに込められた思いは真逆!

内側から放たれる赤い光は明るく澄んだ光の帯となって亡者どもの体の隙間から漏れる。

次第に強く。

次第に鋭く。

「来て!アルティメット・クロス!」

エリスの叫びに応じてクリアレッドの閃光はついに周囲を満たし、暴走亡者の体はまるで見えない巨大な手に引き剥がされるように次々と後方へ弾け跳んだ。

湧き上がる光が収まった時、そこに立っているのは真紅の渦エナジーを全身に満たした渦戦士エディー最終強化形態アルティメット・クロス。

鋭い黒のゴーグル・アイは悪には脅威となるが守られるべき県民達には不思議と優しい印象を与える。

胸のアルティメット・コアは堅固なクロスガードに守られている。

驚くべきことにアルティメット・クロスは両手に渦のハリセンを握っている。いずれも赤く輝いている。

右手のハリセンはノーマルモードでも使っていた、エリスが厚紙で作ったハリセンに赤いエナジーをまとわせたものだ。

だが左手のものは、アルティメット・クロスがみずからエナジーを練成させて創り出したものだ。

エディー・ソード同様、何も無い空間に武器を創出させる。アルティメット・クロスはそれを行なったのだ。

―――そうか、オレにこれをさせるためにエリスはヒーローショーの時からハリセンを使わせて、イメージし易くしてくれたんだな。

エリスは親指を立ててこちらにさし出している。

「グッジョブ!アルティメット・クロス」

―――まったく、キミってやつは何手先を読んでいるんだ。

アルティメット・クロスはエリスに頷いた。

片や、突然赤い光を帯びた眼前の敵にはじめは警戒していた暴走亡者たちも再びキバをむいた。こちらも増幅された狂気に裏づけられた攻撃本能はただならぬ強さだ。

があああ!

ぐらああ!

バトルが再会された。

タレナガースの激辛瘴気で全身を赤く染めたおびただしい数の暴走亡者が再びアルティメット・クロスひとりに押し寄せた。

とおおりゃああ!

パパアアン!

気合と共に両手の赤いハリセンが舞ってアルティメット・クロスに一番近かった5体の亡者達が、さらにその背後に続いていた亡者の体もろとも、まるでパチンコで飛ばされた石ツブテのような勢いで四方に吹っ飛んだ。

一瞬でアルティメット・クロスの周囲に空白地帯が生まれた。

吹っ飛ばされて昏倒した亡者たちは衝撃で行動不能に陥っていたようだが、何より体の赤みがみるみる消えてゆく。

「むむむ、余の激辛瘴気が一撃で浄化されておる。。。そんな馬鹿な。。。」

ふううう。

空白地帯の真ん中にひとり立つ赤き渦戦士は、全身から湯気の如き赤い闘気を立ち昇らせている。

「すまないがこちらのエナジーも無尽蔵じゃないんだ。一気にいかせてもらうぜ」

アルティメット・クロスが僅かに腰を落として両手のハリセンを構えた。

ダッ!

力を込めて地面を蹴ると、体を回転させて暴走亡者の群れの間をすり抜けながら、的確にハリセンでこめかみや脳天を打ちすえてゆく。

パン!パン!パン!パン!一撃一撃が連なって打撃音がまるでブザーのようだ。

暴走亡者で埋め尽くされた赤い海の中をひと際赤く煌く一条の光が高速で駆け抜けてゆく。

その光が通った後には、赤みが薄れた亡者が折り重なるように倒れている。

スパン!

パパパパパン!

スロー再生してもブレてしまうほどの超スピードでハリセンの一撃を受けた瞬間、その破壊力で吹っ飛ばされながらも、暴走亡者の赤い目玉はグルンと裏返り、それが戻ったときにはもとの白目になっていた。

体内で悪さをしていたタレナガースの激辛瘴気が瞬時に浄化蒸発してしまい、かつて地獄の規律に従って炎の山に挑んでいた従順な亡者に戻っていたのだ。

何度肉体が滅んでもすぐまた蘇る。ある意味究極の防御力を身につけた亡者である。倒されて数瞬で目を覚まし、再びヨロヨロと立ち上がった。そしてその時にはもう闇雲に人間に襲いかかるような凶暴性は失せていた。

シュンシュウウウン。

高速で移動しながら的確にハリセンで的を捉えてゆく。

最強形態アルティメット・クロスならではの離れ業だ。

森に沈殿していた赤く凶暴な光は次第に消えてゆき、次第にもとの静けさを取り戻していった。

「むうう、忌々しき赤のエディーめ」

タレナガースは形勢不利と見たか、クイーンの腕を掴んでそのまま森の闇へと姿を消した。

清浄なるアルティメット・クロスのクリアレッドの光が超高速で駆け巡り、数え切れない暴走亡者のすべてを浄化していった。

はぁはぁはぁ。

アルティメット・クロスが動きを止めた時、彼の周囲には大勢の亡者がいた。

ただ所在無く立っている。

 

<十>冥界の王現る

「ようやく着いたわ」

エディーとエリスに先導された亡者たち、その数じつに1844体。彼らはかの廃寺の境内に来ていた。

警官隊は息をのんで遠巻きにそのようすを見ている。

「さて、問題はここからだね」

ノーマルモードに戻っているエディーとエリスは少なからず途方に暮れていた。

イトイガワが教えてくれた、あの世とつながっている「冥道さん」の寺であろうことは見当がついているが、この寺からどうやって亡者たちをあの世へ送り返せばよいのか?

その具体策は何もない。

イトイガワからも「まったくわからない」というメールが届いている。

「はぁ」

エリスは境内の脇に並んでいる6体の地蔵に目をやった。

「六地蔵様、どうしたらよいですか?なんとか元のお寺まで亡者の皆さんをお連れしたのだけれど、ここから先がわかりません」

両手を合わせてそっと呟いた。

―――なんと、皆を連れ帰ったと申すか?

突然エリスの脳内で声がした。

「え?ど、どなたですか?」

キョロキョロとあたりを見回すがエディーの他は誰もいない。声の感じからエディーではないことははっきりしている。

と、突然、あの古井戸から強烈な光が迸り、境内を光で包み込んだではないか。

まるで光の風呂敷に包みこまれたようだ。

「こ、これは一体?」

「なんだ?今度は何が起こっているんだ?」

エディーは一瞬身構えたが、タレナガースの瘴気から感じる邪悪な気配がまったくないことはすぐにわかった。

その時廃寺の朽ちかけた本堂から光の塊が現れて二人の前までゆらゆらとやってくると、次第に人の形を作り始めた。

「えええ?まさか!?」

「あ、あなたは?」

それはふたりがよく知っているあの姿を現した。

「閻魔大王様!!!」

そうだ。唐の官人の道服をまとい、頭には王と書かれた帽子を被っている。右手に笏を持ち、憤怒の表情で渦戦士たちを見下ろしていた。

そういえば閻魔大王は地蔵菩薩と同一の存在であるとも言われている。困り果てたエリスの言葉が冥界の王に届いたのだろうか?

「今、余に語りかけたるは誰ぞ」

最初ににらみつけられたエディーは黙って首を左右に振った。

「私です。エリスといいます」

エリスが閻魔大王の前へ歩み出た。

「亡者の皆さんはここにいます。おそらくこれで全員だと思います。確認できますか?」

閻魔大王は黙って背後に集まっている亡者たちを見渡した。

頭の中で瞬時にデータ照合できたのか「うむ」と頷いた。

「これよりこの者たちを冥界に連れ帰る。余と会うたことは他言無用である。さらば」

「待ってください!」

立ち去ろうとする閻魔大王をエリスが呼び止めた。

「余に何か申したき儀があるか?」

閻魔大王の怒りに満ちた目がエリスを睨んだ。

「あります。まず、亡者の皆さんを連れ帰りに来るのにこんなに時間を要したわけが知りたいわ。遅すぎると思いませんか?」

「地獄は広い。貴様たち人間の想像をはるかに超えてな。亡者どもが何人か失せたところで大したことはない。亡者どもを引き連れてさらに刑罰を与えるのみ」

「何ですって?」

エリスのこめかみがピクリと動いた。

閻魔大王は4mを越える巨漢だ。暴風の如く吹きつけてくるような圧をものともせず、エリスはその足元へ進んだ。

「亡者の皆さんは逃亡する意思なんてなかったのよ。それをタレナガースが。。。この世にはびこる悪の化身のような魔物が余計なことをして図らずもこの世へ来てしまっただけだわ。罪を上乗せなんて絶対にやめてください!こうしておとなしくあの世へ戻ろうとおとなしく待っているじゃありませんか。それを。。。無慈悲だわ!」

これほど歯に衣着せぬ物言いをされたのはいつ以来であったか?閻魔大王は少なからずこのかよわき人間に気おされている自分に驚いた。

「むしろ災難に遭ったのは亡者の皆さんよ。刑を軽くしてあげたっていいじゃないですか。ねぇ、閻魔さん」

―――え、閻魔。。。さん。。。だと?

「冥界の王に対して何という口の利き方じゃ」

「ここは生きている者たちの世界です!そちらこそもう少し場の空気を読んだらどうなんです!?」

―――む。。。むううう。

「考慮致す」

何ということだ。冥界を束ねる裁判官たる余が、人間の娘の言うことをきくなど、あり得ぬ。だが、なぜだ?この娘の言うことには逆らえぬ。

「あとひとつ!」

「まだあるか?」

「もちろんです。亡者さんたちに命を奪われた人たちを全員生き返らせてください」

「ば、馬鹿な!死んだ者を生き返らせるなどという無法がまかり通ると思うてか!」

黙って聞いておれば図に乗りおって。なんということを言い出すのじゃ。

「ふうん。じゃあみんなに言いふらしてやろう。地獄の閻魔大王はマニュアル至上主義でアタマのお堅い無慈悲なヤツだって。あ、写メ撮ってやろうかな」

「これ、やめぬか」

「じゃあ生き返らせてくれる?そもそも亡者の皆さんがこの世に舞い戻ってきたこと自体マニュアル違反もいいとこでしょうに。それを何日もほったらかした挙句、地獄は広いとかなんとか言い訳しちゃって。無責任極まりないわ!この世にもいるのよね、そういうプライドばっかり高くて管理能力の低い上司って」

「え、エリスさん。。。ちょっと言い方抑えた方が、ね」

肘を突っつくエディーの手を振り払いエリスは腕組みをすると閻魔大王に負けじと胸をそらせた。

「この落とし前、どうつけてくれるっていうのよ!」

「閻魔様、あの、すみません。相棒が偉そうな言いかたをして」

エディーがエリスの脇に並んだ。

「ですが、どうかお願いします。亡者の皆さんを一人残らずそちらにお返しできるよう僕らも必死でがんばったんです。どうか、亡者の皆さんも、不幸にして命を落としてしまった人たちも、すべて元通りにしていただけませんか?出来ますよね?出来るんでしょう?」

閻魔大王はふたりの渦戦士の背後に、今回の彼らの奮闘ぶりを見ていた。

まるで映写機で投影するかのようにつぶさに見ていた。

―――なるほど、よう戦ったものよ。

閻魔大王はしばし目を閉じて「ふん」と鼻息を漏らした。

そしてふたりの背後で身を寄せ合って立っている亡者の群れを指で指すと、ヒョイと井戸の方へドラッグした。

途端、1844体の亡者たちはアニメのようにぐにゃりと歪んで全員古井戸の中へスポンと吸い込まれて消えた。

あまりの簡単な作業にエディーもエリスも呆気にとられている。

そして閻魔大王の姿はもとの光の塊に変わり、本堂の中へと消えた。

続いて廃寺を包み込んでいた光の風呂敷がはらはらと解かれ、そこはもとの静かな山の中に戻っていた。

警官隊が真ん丸な目でこちらを見ている。

エディーとエリスは彼らの元へ歩み寄って、静かに状況の終了を伝えた。

亡者たちは皆「自分たちで」あの井戸の中へ帰っていったと。

「そうだわ、今回の事件で犠牲になられた方々の安否を確認してください。お願いします」

エリスが傍らに立つ警官のひとりに頭を下げた。

「ぎ、犠牲者の。。。安否、ですか?」

言われていることの意味がよくわからず、その警官は同僚と顔を見合わせていたが、「早く」とエリスに急かされて仕方なく無線のスイッチを入れた。

数分後、第一報が返ってきた。

報告を受けた警官は状況がわからないまま、報告した。

「H坂団地で亡くなっていた新聞配達の少年が生き返ったそうです?」

よしっ!

エディーとエリスがガッツポーズを決めた。

続いて渓流釣りをしていて襲われた会社員も、田んぼで倒れていた農夫も、犠牲者たちは全員蘇生していたことが次々と告げられてきた。

おお!

警官隊から期せずして歓声があがった。

なんだかわからんが、死者ゼロみたいだぞ。

「やるじゃない、閻ちゃん」

互いに握手したり肩をたたき合う警官たちを見ながら、エリスが小声でエディーに言った。

「駄目だよ、そういう口きいちゃ。全部筒抜けかもしれないぜ。とにかくここは閻魔様のお骨折りに素直に感謝しようよ」

そして、境内の六地蔵の前に立ったふたりは両手を合わせて感謝の気持ちを伝えた。

<完>