渦戦士エディー

魔神の娘

()不可解な火事

十数分ほど前からだろうか、けたたましいサイレンと鐘の音が徳島市内に鳴り響いている。

火事だ。

徳島市内にある資材倉庫が燃えていた。

火の勢いがすごい。

「放水してもなかなか消火できないぞ」

炎に一番近い所で消火ホースを操っている消防隊員がつぶやいた。

まるで水に耐性のある炎のような。。。こんなことは初めてだ。

「ただ建物が燃えているというより、炎のほうで建物にしがみついているみたいだ」

「だめだ。これは全焼するぞ」

その時、倉庫の所有者から資材の管理担当者と連絡が取れないという報告が入った。

まさか、この中にいるのか。。。?

誰もが最悪の状態を想像した。

ヴォオン!

その時大型バイクの太い爆音とともにエディーとエリスが現着した。

「お手伝いできることはありますか!?」

不確定な情報ながら、中に人が取り残されているかもしれないと隊長から聞かされたエディーは躊躇なく炎に向かった。

渦のエナジーで形成したスーツなら、数百度の炎の中でも3分程度なら活動できるはずだ。

「気をつけてください。この炎、何か妙な感じがします。やけに粘り強いというか。。。放水してもなかなか消火できないのです」

隊長の注意を受けつつ、エディーは炎に飛び込んだ。

「無事でいてくれ!」

約1分後、青い光が炎を押しのけ、その中から倉庫の管理人を抱きかかえたエディーが走り出た。

「お願いします!」

エディーのもとへ救急隊が駆け寄る。

ひどいやけどを負っているが助かりそうだ。

半地下になっている部分に身を伏せていたのが幸いしたらしい。

だがその時エディーががくりと膝をつき、エリスが驚きの声を上げた。

「渦のスーツが燃えている!?」

そんなことって。。。

消防隊が勢いを弱めたホースの水をエディーにかけたが、炎はなかなか消えない。

「何なの、この炎は。。。?」

「まるで炎にしがみつかれているみたいだ」

ようやく火が消えたスーツで立ち上がったエディーは首を傾げた。

「やっぱりおかしいぜ。ただの炎じゃない」

消防隊員たちは燃え落ちる倉庫を見上げながら眉間のしわを深めた。

 

(一)狙われた女性

千畳敷に閃光が奔った。

バチッバチバチ!

突然のことにのんびり渦潮を眺めていた観光客たちは皆腰を抜かした。

見るとスキンヘッドの大男がひとりの女性を襲っている。

ブゥンと唸りを上げる太く長いムチを巧みに操って女性を攻撃する。

丈の長い黒いレザーコートを纏っている。

内に着込んでいるシャツもズボンも、頑丈そうなトレッキングシューズもみんな黒い。全身黒ずくめだ。

ブゥン。

バチッ!

ムチが当たったところからは鋭い火花が飛ぶ。

電磁ムチだ。

展望台に植えられた樹木が電磁ムチの一撃を受けて幹から真っ二つにへし折れた。

人間の体を直撃すれば命はあるまい。

明らかにその女性の命を奪おうとしている。

襲われているのは真っ赤な髪の毛の女性だ。

肌は透けるように白いのだが髪の毛だけが赤い。よく見れば瞳の色までが赤みを帯びている。

外国人のようだ。

どこから来たのかはわからぬが風光明媚な鳴門の観光スポットで、一体どういう事情でこのような目に遭っているのか?

赤い髪の女性は恐怖に眼を見開き、必死の形相で地面を転がりながら何とかムチの直撃を避けている。

ムチをかわすたびに赤い髪の毛が風に舞い顔を覆う。

だが、やられてしまうのは時間の問題のように思われた。

「警察に、警察に電話!」

「早く早く」

そうしている間にも男が揮う電磁ムチは周囲の木々や停車してあるバイクなどを破壊しながら標的を追い詰めていった。

わずか3〜4分の時間がとてつもなく長く感じられた。

崖の端に追い詰められた女性は身を固くして男を見つめていた。

スキンヘッドの男が右腕を大きく振って電磁ムチを振り上げた。

「やられる!」

成り行きを見つめていた人たちは皆目を閉じた。

ヒュン!

バチィィン!

だが、次の瞬間苦痛に顔をしかめたのは男の方だった。

青い光を発する鎌状の光弾が飛来して男の手に命中したのだ。電磁ムチを取り落とし、右手の甲を左手で押さえている。

鋭い視線で背後を見たその先に、渦戦士エディーとエリスが立っていた。

黒いスーツにシルバーのマスクとアーマをまとう戦士。額のクリスタルと同じ青いゴーグルアイが鋭い視線を送ってくる。

胸にきらめくコアが無限のエナジーを湛えて青く煌めいている。

徳島の守護神、渦戦士エディー!

傍らに立つ青い髪の戦士は全体のイメージはエディーと似ている。戦うためのスーツとアーマを身につけてはいるが、その佇まいからは包み込むような優しさも漂ってくる。

エディーの頼れるサイドキック、エリス。

エディーの目くばせに無言で頷いたエリスは後方に下がると物陰ですくんでいる観光客たちを庇いながら公園のエリアから退避させた。

スキンヘッドの男は突然現れた「邪魔者」をじっと睨んでいる。

エディーは男の気配に注意しながら襲われていた女性のようすを確認した。

―――怯えているが、大きな怪我はないようだ。だが、これ以上の手出しはさせん。

わずかに腰を低くし、攻撃態勢に入る。それは全方位からの攻撃に備える防御の態勢でもある。

―――相手はムチだ。間合いに入れば勝機があるが、腕の振りだけではどこから飛んでくるか判然としない。厄介だぞ。

「徳島が誇る観光名所で物騒なものを振り回すのはやめてくれないか?まず事情を聞かせてもらいたいものだが?」

構えたまま、エディーが問うた。

男は答えない。

「不意討ちで悪かったが、今の一撃は威力を落としてある。だがその女性をまだ襲うつもりなら、次はもっと辛い思いをさせることになるが」

男はエディーを凝視したまま足元の電磁ムチを拾い上げた。

それが答えだ。

凄まじい闘気がエディーの顔面に吹きつけてくる。

―――問答無用か。しかしこの男。。。?

ブゥン!

うなりを上げてムチが来た!

鎌首をもたげた巨大なコブラのように頭上に展開する。

が、真上から襲い来る電磁ムチの先端だけが突如横にスライドし、左にステップして攻撃を避けようとしたエディーの右肩にヒットした。

バチッ!

ぐぅ。

電撃の鋭い痛みとしばらくのこる右半身のしびれ。

これはキツイ。

エディーと違ってどうやら今の一撃は本気を出していたようだ。

じっとエディーを見ながら彼の戦闘力を値踏みしていたのだろう。

戦い慣れている。。。だが。

「この攻撃を当てようとしていたのか、あの女の人に」

エディーのみぞおちの辺りにふつふつと怒りが湧いた。

行きずりの凶行ではない。間違いなくあの女性を亡き者にしようとしている。

二撃目がくる。

今度はアンダースローで放った電磁ムチが地を這うように迫る。

「ホップするのか?」

地面すれすれから大きく上昇する動きを予測したエディーだが、驚いたことに斜めに上昇しながらエディーの胴体にクルリと素早く巻きつくや、一気に高圧の電流を放った。

バリバリバリ!

うわあ!

渦のエナジーで形成された堅固なスーツを着用しているとはいえ、この攻撃にエディーは苦鳴をあげた。

展望台全体を覆う眩い閃光に、エリスも思わず悲鳴を上げた。

「水属性の渦のエナジーは電気系の攻撃とは相性があまりよくないのかもしれないわ。エディー気をつけて」

スキンヘッドの男がムチを持つ手をクイクイと細かく動かすと、電磁ムチはそれに応じるようにクルリと円運動をして、絡め取ったエディーの体を地面に叩きつけた。

電磁ムチを生きた大蛇のように操る、恐るべき手練の技だ。

「放電だけが脅威じゃない。ムチ本来の攻撃だけでも十分戦えるというわけか。モンスターじゃない生身の人間と思って手加減していたが、もう少し本気モードにならなきゃいけないようだ」

ブゥン!

電磁ムチがまた振り上げられた。

今度は斜め上だ。だが軌道はわからない。

―――どう来る!?

すると今度はピュッと風切り音とともに電磁ムチの先端が槍のようにまっすぐ伸びてエディーのコアを狙ってきた。

本能的に敵の大切な部分を見抜いてそこを突いてきたか。

バシッ!バチッ!

エディーコアめがけて真っすぐに突き出された電磁ムチの先端をエディーの左手がガッシリと掴んでいる。

スキンヘッドの男は驚きに目を見開いていた。この電磁ムチを直接手で封じるとは。

「こいつは痛みを感じないのか?とでも思ったか?」

エディーは絞り出すような声で言った。

「安心しろ。ものすげぇ痛いよ」

ぴゅん!

言うなりエディーは電磁ムチの先端をグイと引っ張って相手の態勢をくずし、猛然とダッシュすると男の懐に飛び込んでいた。その速さに男は己の目を疑った。

「!?」

パシッ!

素早く手刀を右手首に叩き込み、思わず取り落としたムチの柄を奪ってエディーは再び男から距離を取った。

電磁ムチは丸く束ねられてエディーの手に移っている。

ギリリと歯噛みするスキンヘッド男の額に怒りの血管が浮き上がった。

しかし人間離れしたスピードによる今の攻撃を思い返したのか、丸腰となった男は小さく息を吐いた。同時に肩の力も抜けてゆく。

戦意が失せたのがエディーにも感じられた。

戦況を客観的に見極める能力も、戦い慣れている証のひとつと言えるかもしれない。

エディーはとにかくこの騒ぎのわけが知りたいと思った。男に歩み寄ろうとしたその時、パトカーのサイレンが聞えた。

ほんのわずかエディーの意識がそちらに向いた瞬間、男は隙をついて鳴門海峡に面した柵を飛び越え、遊歩道の更に向こうの雑木林の中へと身を躍らせた。

「あっ、おい!」

木々は崖の斜面から生えている。下手をすれば下まで転がり落ちて大けがを負う。

「なんだよ。。。無茶するなぁ」

「あなたもよ、エディー。電気は分が悪いって言ってるのに思いっきり掴んじゃうし。心配したわよ」

傍らに歩み寄ったエリスが文句を言うが、あの時活路を見出すにはとにかくムチの動きを止めるしかなかった。もちろんエリスにもわかっていることではあるが。

ともかく今は残されたあの女性をしっかり保護しなければいけない。

事情なら彼女に聞けばわかるだろう。

そう思い、エディーは被害者の身柄と男から奪い取った電磁ムチをパトカーの警官に引き渡した。

 

(二)追う者、追われる者

馴染みのカフェのお決まりの奥の席。

ヒロとドクは今朝の地元紙に眼を通しながら徳島に異変の兆しがないかチェックしていた。

幸い今朝の記事からはふたりの脳裏に黄色信号を点滅させるような出来事は無かった。

「ところで、あの女性ってやっぱり外国人だったんだって?」

ヒロがラテのカップを口に運びながら切り出した。

「ええ。パスポートで確認したそうよ。エキゾチックな顔つきだったものね。髪の毛と瞳は赤いけれど肌は透き通るように白かったわ。中央ヨーロッパから来日したそうよ。トルカっていうんだって。本当はもっとすごく長い名前で、一応聞いたけれど覚えきれなかったわ」

ドクが広げた新聞を折りたたみながら応じた。

日本人とはまるで違う、白い肌に赤い髪のロングヘア。特に赤い瞳は初めて見た。彼女の故郷ではよく見られるのだろうか?

「とてもきれいな人だったわ」

ドクが思い返してうっとりしている。本当に芸能界に入ればトップアイドルとして活躍できそうな美貌だった。

「それに僕たちの問いかけに何も答えなかったのは、日本語がわからなかったからなんだね」

「てことは、あのハゲのおっさんも外国人だったのかしら?」

ドクが気持ち悪そうに肩をすくめた。

「かもしれないね。でも結局彼女からは何も聞き出せなかったんだろう?なんだかなぁ」

ヒロは腕組みして天井を見上げた。眉間にしわを寄せている。

「英語はわかるみたいで、話を聞いた警官によると、空港でしつこくからんできて何か失礼なことを言ったから一発ビンタしたら、それを根に持ってずっと追いかけてきたって言ったらしいわ。変態オヤジね」

絡んできたオヤジにビンタか。結構気が強いのかもしれない。

「ビンタ一発の仕返しがあのビリビリのムチかい?割に合わないな。第一どうやって日本に持ち込んだんだよ、あんなもの」

ヒロの眉間のしわが深まった。

「あの電磁ムチ、半端なくヤバい代物らしいわよ。バラしてみないと仕組みはわからないそうだけど、あんな武器は見たことないって。今はバッテリーをはずして厳重に保管されているみたい」

「ああ。特別厳重に願いたいね。もう相手をしたくない」

「最近はインバウンド客も多くて、それは結構なことだけど、あんなヤバいヤツは勘弁してほしいわね」

「まったくだよ。だけど。。。」

「だけど何?何か気になることでも?」

ヒロは天井を見上げたまま千畳敷でのバトルを思い返していた。

「戦ってみて感じたんだけど。。。あの男からは犯罪者に特有のよこしまな感情は伝わってこなかったんだ。むしろ、何て言うか、真っすぐさとか必死さみたいな」

「それは例えば、使命感みたいな?」

ドクの言葉にヒロはポンと手を打った。

「そう!そんな感じ。だけどもしそうならトルカは嘘をついている可能性があるね。それにあの男がこれで襲撃を諦めるとは思えないよ。今彼女はどうしているの?」

「ホテルに戻っているらしいわ。調書も取ったし、彼女自身は格別悪いことをしたわけじゃないからこれ以上警察署に留めておく理由もないもの。大使館に連絡を取ろうかと聞いたら彼女がしなくていいって言ったそうよ」

「なるほど。でもそりゃマズイだろう?あれだけ執拗に攻撃していたんだ。必ず次があるぜ」

「同感。ホテルは聞いてあるから、パトロールの重点エリアに加えましょう」

「よし。じゃあ早速そこへ行ってみようか」

「ちょい待ち。その前に」

腹が減ってはいくさはできぬ。大事なことだ。

「マスター、フルーツサンドをセットでふたつ。生クリーム増し増しで!」

 

信号待ちをしているエディーとエリスの高機動バイク「ヴォルティカ」の前を2台の消防車が走り去った。

ふたりは視線で頷き合うと信号が変わるのを待って消防車の後を追った。

何か手伝えるかもしれない。

それにしても最近火事が多い。

 

その日の夜。

「今宵もよう燃えておるわ」

廃ビルの屋上で火事のようすを見物しているふたつの影、タレナガースとヨーゴス・クイーンだ。

今日これでなんと4件目の火事だ。

まさかこやつらが関わっているのか?

「人間どもが慌てふためいておるのを眺めるのはまことに愉快じゃ」

だがタレナガースが何かに気づいた。

「それにしてもこの炎。。。ただの火事ではないのう」

ボソリと呟く。

眼球の無い魔人の目が電柱の影に身を隠すようにして火事を見ている女性の姿を認めた。

「んん、あやつは。。。?」

「なんじゃあの野次馬娘は?髪を真っ赤に染めおって生意気な。どれ、ちと怖がらせてくれようか」

行こうとするクイーンの腕を掴んでぐいと引き留め、タレナガースは低くうなるように言った。

「あやつに関わるでない。放っておけ」

 

バリン!

ホテルの玄関ドアのガラスが粉々に砕けて中から人が飛び出した。

振り乱した赤い髪。トルカだ。

ガラスの破片をくぐったせいか顔や肩、腕から出血しているが、構わず駆けだした。

その直後、あのスキンヘッドの男がアルミ製の桟だけになったドアをくぐって表に走り出た。

黒いロングコートに付着したガラス片がキラキラと光っている。

せわしなく左右に視線を走らせ、トルカが駆けてゆく後姿を認めるや猛スピードで追跡を始めた。

日本人の中であの赤い髪の毛は格別よく目立ってしまう。

トルカは胸にピンクのうさぎのヌイグルミを抱えていた。そのせいで腕が振れず走りの妨げになっている。次第に男に距離を詰められてゆく。

逃げる赤い髪の娘に追う黒ずくめのスキンヘッド。

異様な白昼の逃走劇に町行く人たちは驚いて足を止めている。

騒ぎに気づかぬ初老の男性がひとり、わき道から出て男の目の前に現れた。

「Get out of my way!」

スキンヘッド男の怒鳴り声に飛びあがって壁際に貼りついた。

男がコートの懐に手を入れた。

電磁ムチはエディーに奪われたはずだが、何か他の得物を隠し持っているのか?

取り出したのは伸縮式の特殊バトンだ。

柄を握った右手を勢いよく振ると、チャキッと音がして本来の長さに伸びる。

通常のバトンよりもかなり長い。

よくある警棒なら30〜40センチ程度だろうが、これは1メートル近くありそうだ。そしてその太さからかなり重い代物だと想像できる。

まるでスキーのポールを連想させる黒いバトンを片手で構えながら、男は風を巻いて駆けた。

ついに逃げるトルカが男の間合いに入った。

容赦ない打撃が襲う。

バシュッ!

またも火花が散って陽光の中で一層まばゆい閃光に包まれた。

このバトンもまた電撃を放つらしい。スタンガンの応用か。

だが男の足元に転がったのはトルカが抱えていたうさぎのヌイグルミだった。

肌触りの良いピンクのソフトボアの生地が黒く焼け焦げている。

舌打ちをしたスキンヘッド男が目を上げると、トルカが路上を転がり、間一髪で電撃バトンの一撃をかわしたようだ。

思いのほか身が軽い。しかし次の攻撃はかわせそうにない。

スキンヘッド男は用心深くトルカに近づいた。

バトンの電圧は最高レベルだ。

It's over.

「よせ!」

その時、男の背後から鋭い声があがった。

この状況でこの男を制止しようとする者、そして制止できる者はただひとりだ。

振り返った男の目が「厄介な邪魔者」を捉えた。

トルカが抱えていたうさぎのヌイグルミは内部に緊急SOS発信機が仕込まれていて、鼻をつまむと現在位置がエディーたちに送られてくる仕組みになっていた。

いざという時のためにエリスがトルカに渡してあったものだ。

You again.

刺すような視線と共に電撃バトンの先端をエディーに向けて構えた。

「ちょっと待った。戦う前に話を聞かせて。。。わっ!」

制止しようとしたエディーめがけて真っすぐ突っ込んできた。電撃バトンをグイと突き出す。

頭を振って突きをかわしたエディーだったが、そのままバトンを横に振ってエディーの頬を痛打した。

バババ!

電気がはじける音がしてエディーの顔面を火花が包んだ。

「うっ、痛ぅ!」

マスクで守られていても何も感じないはずはない。

エディーは頬を押さえて後退したが、それでも攻撃に転じようとはしない。

「なぁ、待てってば。俺が言いたいこと、わかるよな」

エディーは右手を伸ばして制止のポーズを取っている。日本語が通じぬ外国人にも意図は伝わるはずだ。

だが、今度はその腕をバトンでパシッ!と払うと態勢を低くして再びエディーの懐に飛び込んできた。

あくまで邪魔者を排除してあのふたりの娘たちの息の根を止めるつもりらしい。

今のところエリスがトルカを庇っているが、エディーがやられてしまえばどうなるかは目に見えている。

男は懐からさらに別の武器を取り出してこぶしはめた。

ブラスナックルだ。

パシッ!

つま先で電撃バトンを蹴り飛ばすと同時に右手でブラスナックルをはめた相手の左手首を掴む。

パリッ。

眼前数センチのところで静止したブラスナックルの先端には小さな電極が付いていて、やはり小さな電光を放っている。

これで殴られれば直接のダメージに加えて電撃ショックを味わうことになるのだろう。

「ふぅ、とことんアブナイ奴だなぁ」

ほかにどんな暗器が出てくるかわかったものではない。

―――仕方がない。

己の左手を掴んでいるエディーの手首に手刀を入れて左腕を解放させるや、男は路上を転がって電撃バトンを拾いあげて再び構えた。

が、誰もいない。

さすがに慌てた男が電撃バトンを腰に構えたままぐるりと回転した。そして気づいた。

素早く見上げた頭上から神速のかかと落としが降ってきた。

バキッ!

電撃バトンは中ほどから真っ二つに叩き割られて逆流した電撃が男の体を奔った。

ぐわっ!

それでも苦痛に歪む顔で電撃ブラスナックルをエディーに叩き込もうとする。

路上に降り立つや、まるで羽根が舞い上がるようにふたたびジャンプしたエディーはくるりと体を回転させて芸術的なローリング・ソバットを男の胸板に決めた。

向かってきた分エディーのキックは威力を増し、スキンヘッドの男は無様に後方へひっくり返って呻いた。

戦いが終わったことを悟って近づこうとするエリスを片手で止めて、エディーは胸を押さえて路上に横たわる男に手を差し出した。

その手を取って痛そうに立ち上がったスキンヘッドの男は、降参した風に見せかけて、急に駆け出すと橋の上から眼下の川へ身を投げた。

「あ!おい。またかよ。。。」

ドボン!と上がった水しぶきのあたりに男が来ていた黒いコートだけがゆらゆらと浮いていた。

 

(三)追ってきた男

表通りから外れた細い路地にある整形外科医院。古い木の看板が歴史を感じさせる。

ガラガラと引き戸を開いて、大柄な男が身をかがめて出てきた。

きれいに剃りあげたスキンヘッドだ。

濃紺のブルゾンにジーンズを履いている。

あれからどこに潜伏していたものか。衣服が真新しいところを見ると、お金に窮してはいないようだ。

ブルゾンの襟元から包帯がのぞいている。やはりエディーの後ろ蹴りは男の肋骨あたりにダメージを与えていたようだ。

「すまなかったな」

背後から声をかけたのは、エディーだった。背後にはエリスもいる。

エディーは県警に依頼して市内の整形外科、特に比較的小さな町医者に網を張っていたのだ。

男は医院を振り返り、小声で「Big mouth」と文句を言った。

「頼むから今日はムチとか槍とか出さないでくれよ」そう言いながらエディーは少し男に近寄った。

今日は男は後ろへ下がらなかった。

「えっと、マイ ネーム イズ エディー。。。そんで、えっと」

「日本語で話せ」

口ごもるエディーに男は平然と言った。

「なんだ。日本語上手じゃないの。よかったねエディー」

「10ヶ国語くらいは話せる。俺の故郷ではみんなそうだ」

その言葉にエリスは首をすくめて「はぁ、恐れ入りました」と頭をかいた。

 

男はシモンと名乗った。中央ヨーロッパの小国からあのふたりの女性を追って来日したのだそうだ。

3人は近くの公園に立ち寄ってベンチに腰を下ろした。

「あの女は悪魔だ」

シモンは良く晴れた空を見上げながら絞り出すように言った。

「俺はあの悪魔を滅ぼすために故郷を捨てて仲間と共に世界中を飛び回ってきた。だが他の仲間は1人倒れ2人倒れて、俺が最後の一人だ」

「それであんなに強いのか」

エディーの言葉にシモンは少し苦笑いした。

「実を言えば、最初の時にお前たちが割って入らなければ結局やられていたのは俺の方だったかもしれない」

「ええ!?」

「ねぇ。あのトルカって人は何者なの?悪魔ってどういう意味?」

エリスの問いにシモンはふたたび眉間に深いしわを刻んだ。

「言葉通りの意味だ」

 

トルカの故郷はシモンの故郷と山をひとつ隔てた小さな山村だという。

同じ国に住んでいながらほとんどの者がその存在すら知らぬ小さな村なのだそうだ。

その地域にはいにしえより炎の魔人を崇める邪教が伝わっており、中央ヨーロッパ全域で無視できない被害を及ぼしていた。

「仏教徒が弘法大師に手を合わせるように、奴らは火を崇拝する。炎に祈りをささげるのだ。礼拝のためには火を必要とする。しかもその火は大きければ大きいほどよいとされている」

その言葉にふたりの渦戦士たちは驚いた。

「じゃあ、もしかして最近多い火事は?」

「あいつの仕業だ。あの女が放火しているのさ」

シモンはスマホを取り出すと、最近の徳島の火事に関する記事をいくつか見せた。

「これが全部あのふたりの放火によるものなのか?」

「こんなにたくさん。。。」

実際のところ、ふたりともタレナガース探索に気を取られて、火事は空気の乾燥のせいだろうくらいに考えていた。

思わぬ外敵がやってきたものだ。エディーは唇をかんだ。

だがそれからのシモンの話はさらに驚くべきものだった。

「やつらは火を崇拝し、炎の魔神イフリートをこの世に呼び寄せるためにできる限り大きな炎を起こそうとする」

「イフリート?」

「炎の中から現れる悪魔だ。炎より出でて万物を炎に包み、さらに大きな炎を巻き上げて己が身に取り込み成長する。ひとたび現世に出現すれば人間には手の施しようがない」

まるでダークファンタジーの世界だ。あまりにも突飛な話にエリスは息が詰まって胸を押さえた。

「イフリートは現世に出現するにあたって選ばれた魂を依り代とする。誰の魂でもよいわけではない。邪悪な魂でなければならない。あのトルカがそうだ。あの女の内にはイフリートが潜んでいる」

なんということか?

「あの人、炎の魔神なのか!?変身するのか!?」

エディーはあの美しい顔がグニャリと歪んで醜い悪魔に変じてゆくのを想像して背筋を凍らせた。

「厳密にいえばイフリートはまだ現出してはいない。わかり易く言えば、魔神の魂を身籠っているのだ。今後さらに大きな炎を得て彼女の体から高熱の炎と共に悪魔が現れる。だからこそ今のうちにトルカを斃さねばならぬのだ」

「。。。いまだに信じられないわ。だってそうでしょう?そんな話急に聞かされても。。。あの人を斃すだなんて。。。」

エリスは途方に暮れたように呟いた。

シモンは懐から1枚の写真を取り出した。

幼い女の子が笑っている。真っ白な髪の毛に澄んだ緑の瞳。肌は雪のように白い。3歳くらいだろうか、無邪気な笑顔が見る者をも笑顔にする。

「幼い頃のトルカだ」

「ええ?髪の毛、白いじゃないか。でもあの人。。。赤い髪の毛だぜ?」

エディーもエリスも驚いている。

「白い色素の子供はとても珍しく、彼女の村でも特別な子供と考えられたようだ。それはつまりイフリートの巫女として生まれたのだと」

「巫女、さん?」

「トルカの両親は特に熱心な邪教徒だった。秘密の儀式を何度も行い自分の娘の中にイフリートの邪悪な魂の種を植え付けたに違いない。そしてイフリートの方でも彼女を依り代として認めた。科学や医学では説明のしようがない、トルカの両親が作り上げた特殊な魂のせいだ。イフリートとの長い闘いの歴史を振り返っても、かつてなかったことだ」

そして彼女の白く美しい髪の毛は燃えるような赤に変わったのだそうだ。

「そんなことをして、イフリートが出現したらトルカは焼け死んでしまわないの?」

エリスの心配にシモンは首を横に振った。

「イフリートが現世に留まるための依り代が死んでしまえばヤツ自身もこの世にいられなくなる。だから依り代は死なない」

なんということだ。いたいけな娘が炎の邪教によって魔人と一体化させられるなんて。

「そんな。。。おかしいわ」

「ああ、狂っているのさ。位置的に近かった俺の村では早くからやつらの存在に気づき、少しずつその実態を掴んでいった。警察に訴え出てもそんな話に耳なんぞ貸しやしない。だから俺の村ではそいつらの放火を阻止するために独自の自警団を起ち上げた」

シモンが所属する秘密結社<反イフリート同盟>の誕生だ。

彼らの目的はひとつ。邪教徒を根絶やしにして炎の災厄から世界を救うことである。

「その当時、外国の戦闘から帰省していた傭兵経験者がいて、素人だった村人にさまざまな格闘術や武器の扱い方を教え始めたそうだ。だがあからさまに最新兵器を使えばこちらが追われる羽目になるから、隠し持ったりカムフラージュ出来るような独自の武器を使用するようになった」

それがあの電磁ムチであり電撃バトンなのか。長い歳月の中で、彼らは独自の戦闘技術も会得していったのだろう。

シモンは幼いころから戦闘技術を両親に叩き込まれたそうだ。おもちゃのかわりに武器を持たされて。。。

片や邪神の魂をその身の内に植え付けられ、もう一方はそれを葬るための戦術を身体に覚えこまされた。いずれも何という人生か。

「ところで今あの女はどうしている?動向は把握しているのだろうな?」

エリスはタブレットを取り出してシモンに見せた。

「今はこのホテルに滞在しているわ。でもいきなり襲っちゃだめよ。あなたの目的も事態の深刻さも了解したけれど、ホテルや街や徳島の人たちを巻き込むのはだめ!」

エリスのキツイ口調にシモンは素直に頭を下げた。

「すまない。入り口を壊したホテルにも賠償金を振り込んで和解した。もう着金しているはずだ。修理の実費に詫びの金額、日本人は慰謝料と言うのだろう」

長い闘いの歴史の中で、イフリートの被害に遭った人たちが密かに連絡を取り合って基金を設立し、彼らの活動を支えているのだそうだ。

「しっかり監視しておけ。早く手を打たないと徳島はいずれ焼け野原になるぞ」

―――手を打つと言ったって。。。

エリスは途方にくれた。結局あのトルカを斃さねばならないというのか。

「一応聞くけど、なんとか話し合いで決着はつけられないの?」

エリスの言葉にシモンは大きく首を左右に振った。

「話し合いの時期などもう終わっている。何世紀も前にな」

 

(四)魔神現わる!

今夜もまた消防車のサイレンが鳴り響く。

エディーとエリスも出動した。

火事現場にもしかしたらトルカがいるかもしれないからだ。

現場は貨物船が入港する商港の木材積み降し用埠頭の近く。

貯木場など燃えやすい資材が多くある場所だ。

木造の建屋が火に包まれていた。

果たしてトルカは火事現場にいた。

もはや身を隠そうともせず、炎のすぐ近くで天を焦がす炎を陶然と眺めていた。

エディーが背後から彼女に歩み寄った。

「火事場見物なんてよしたほうがいいぜ」

トルカは無言でエディーを振り返った。

「この火事は本当にあなたが起こしたの?」

エリスが問い詰めた。

違うと言って欲しい。

だがトルカはふたりの前で突然笑い始めた。

キャハハハハハハ。

嬉しくて笑っているわけでも楽しそうに笑っているわけでもない。

赤い両眼を見開き口を限界まで開けて喉の奥から大きな叫びと共に笑っている。

狂人の哄笑だ。

エディーとエリスはその場違いな大笑いに一瞬気圧された。

笑いながらさらに胸を反り、顔を夜空に向けて喉の奥から迸るような笑い声はいつしか獣の咆哮に変じた。

があああおおおおお!

「トルカ、どうしちゃったの?」

「これは。。。まさか?」

戸惑うエディーとエリスの肩を掴んで背後へ引き下がらせたのはシモンだった。

「イフリートが現れるぞ!下がるんだ」

トルカの赤い目が突如金色に輝き、その光が全身を包むとやがてその体から鋭い炎を発した。

「し、しかし。。。」

「もう遅い。あの炎に抱え込まれたら抜け出せなくなるぞ」

エリスは倉庫火事の炎の中から従業員を助け出したエディーの体に纏わりついた炎を思い出した。

やがてビルの3階分ほどの高さとなった炎は、トルカの体から離れて徳島の夜空に浮遊した。

巨大な炎は風を呼び己が体に巻き、やがて火炎竜巻と化して屹立した。

「炎の柱が浮かんでいる?」

しかしエリスの驚愕の声はごうごうという火炎旋風の音にかき消された。

そしてその中から。。。

!!!

ついに回転する炎の柱の中から一体の悪魔がその巨体を現した。

恨みの炎を放つがごとき吊り上がったまなこ。

怒りにひきつった頬。

冷え固まった溶岩石をも菓子の如く嚙み砕くであろう鋭いキバ。

額から突き出した一対のツノ。

そして究極のボディビルダーもかくやと思わせる筋肉隆々の体。

何百年もの間、邪教徒たちの経典の中にのみ存在していた炎の魔人が、今エディーたちの眼前でついにその姿を現したのだ。

もはや何人も我を止められぬ。イフリートは喜びに打ち震えて「ごお!」と吠えた。

その声は大気中で炎に変じて鉄筋コンクリートのビルを一瞬で吹き飛ばした。

「熱い!」

凄まじい温度だ。

「噴き出したばかりの溶岩に飛び込んだみたいだ」

エディーはエリスを下がらせた。

その時、火事現場に出動していた消防車がエリスの周囲に集結してきた。

「全車エディーを援護しろ!あの燃える化け物めがけて一斉放水開始!」

消防隊長の掛け声と同時に消防隊の一斉放水がイフリートを襲った。

大きなダメージにはいたらぬものの、それでもイフリートは少しずつ後退する。

うおおおおおん!

イフリートの苦し気な声が夜の街にこだました。

「消防隊の皆さん、有難うございます!」

エリスの声がはずんだ。

比熱の大きさでは水に勝るものはない。加えてイフリートの周囲で発生する水の蒸発熱は、イフリートの炎から盛大に温度を奪ってくれるはずだ。

当たり前だが、結局火から温度を奪うには水が一番だということだ。

思わぬ援軍でこちらが優勢とみるや、エディーは渦エナジーを両手に集めてエディーソードを錬成させ、手首のスナップでくるくると回転させ始めた。

青い光を放つエディーソードはやがてエディーの手を離れ、自らが意思を持っているかのように空中で高速回転した。

回るソードは青い光を放つ円盤状の盾となって、吹きつける炎の熱をはじき返した。

超高熱対渦エナジーのせめぎ合いだ。

凄まじい高熱の中、エディーは意識をソードに集中させてさらに回転速度を上げる。そして徐々にイフリートににじり寄ってゆく。

そのままエディー・コアを換装して赤いアルティメット・クロスに変身した。

同時にエディーの前面に展開する渦エナジーも青から赤へ変わる。

さらに巨大になったアルティメットソードによる円盤状のバリヤは、次第に中心が前へ突き出すように形を変えてゆく。

先端がツンと尖り、ついに赤い半透明の大きな円錐形のドリルに変じた。

アルティメット・クロスの大技、メイルストローム・クラッシャーだ。

その赤き光のドリルは後方から放たれた水を絡め取って一体となり、水と光の超硬質の渦となって魔人の体に突き刺さった。

ぎゃああああああん。

炎で形成されたイフリートの体が揺らぎ、渦のドリルが刺さったあたりの炎が消え始めた。

「あのイフリートを押している!?」

シモンは驚愕した。

あと少し。

だが水と渦エナジーのダブル攻撃を嫌ったイフリートはきいいい!と恨めしそうな声を上がるや、ひと筋の太い炎と化して天空へと逃げ去った。

「あっ、逃げたか」

「ああん、もう少しだったのに」

アルティメット・クロスとエリスが臍をかんだ。

近寄ったシモンが珍し気にアルティメット・クロスを眺めながら「惜しかった」と声をかけた。

「圧していたが油断するな。今夜のイフリートはいわば生まれたての赤子だ。時がたてばヤツは本来の力を徐々に取り戻すだろう。次はもっと苦戦するぞ」

ノーマルタイプに戻ったエディーはため息をついた。

「やれやれ、嘘でもいいから『次もイケそうだ』くらい言ってくれよ」

シモンは「ふん」とそっぽを向いている。気休めなど言う男ではないのだ。

「もっと効果的な手を考えなきゃね。それにしてもトルカもイフリートと一緒に飛んでっちゃったわね」

「ああ。ヤツの最大の弱点が依り代のトルカだとしても、彼女を攻撃するのは気が重いよ」

頷いたエリスがシモンの鋭い視線を察して首をすくめた。

 

「ほええええ。いつぞやの赤毛の小娘め、とんでもないものに変身しおったわえ」

素っ頓狂な声を上げたのはヨーゴス・クイーンだ。

「じゃから構うなと余が言うたであろう。とんでもないモノを身の内に潜ませておるのが余にはわかったからじゃ」

クイーンの隣でしたり顔のタレナガース。こちらもイフリートに負けぬ不気味な魔人である。

イフリート復活劇の一部始終を夜の暗闇の中から見物していたようだ。

「それにしてもよう燃やしおったわ。愉快愉快」

全焼して炭どころか一気に灰になってしまった建屋を見ながらタレナガースは笑った。

「けっ。しかし結局しっぽを巻いて逃げ失せたではないか。口ほどにもない」

もっともっとエディーを苦しめる場面を期待していたクイーンはご機嫌斜めである。

「まぁそう言うてやるな。特別な魂の持ち主とはいえ、あのひ弱な生身の娘を依り代にしておるのじゃ。じゃが次はもう少し強くなっておろう」

「ではあの小娘がやられたら負けてしまうのではないかえ?頼りないことじゃ」

「ふぇっ。あの甘ちゃんのエディーめにそれが出来ればの話じゃがな」

「まぁ何にしてもタレさまが新しいモンスターをこしらえぬのであれば、当分はあやつに期待するしかないのじゃ。はぁやれやれ」

「これ、ため息をつくでない!余のモンスターも間もなく完成するのじゃ。ロールアウトじゃ。て、これクイーン、聞いておるのか?これ!」

ふたつの不気味な気配は暗い夜の闇にかき消えた。

 

(六)イフリート撃滅作戦@

「というわけで、めでたくロールアウトじゃ」

山の斜面を掘りぬいただけの暗く湿った横穴の中で突然声がした。

聞かぬ方が良い。

聞けば当分悪夢にうなされる。

そんな不気味極まりない声であった。

当然タレナガースである。

ヨーゴス軍団の首領専用モンスター開発センター(と本人は呼んでいる)である。

頭上の土から伸びている植物の根っこを手で払いながら出口に向かう。

見上げる天空には鎌のような月が浮かんでいた。

「あの形を見るとエディーめの光弾を思い起こしてしまう。。。」

目をそらせてもう一度暗い穴の奥へと姿を消した。

 

「。。。こやつが新型モンスターじゃと?」

相棒ヨーゴス・クイーンの第一声はあからさまな失望の色で満ち溢れていた。

お披露目されたのはダンゴムシモンスターである。

「なんぞ問題でもあるかや?文句があるなら申してみよ」

「1、まずダンゴムシの攻撃力などたかがしれておろう。勝てる気がせぬ。2、地面を這っておるものを無理やり2本足で立たせておるからずっと背中を丸めて俯き加減じゃ。気の弱そうなヤツめ。勝てる気がせぬ。3、どうせ後ろから蹴っ飛ばしたらすぐにまん丸くなってコロコロ転がってしまうのじゃろう。勝てる気がせぬ。4、手がようけ付いておるが、ただブラブラしておるだけでこんなではパンチも当たるまい。勝てる気がせぬ。5。。。」

「もうよい、わかった。その口を閉じよ」

クイーンに悪口を言わせるとどうしてこうスラスラと次から次へと口を突いて出てくるのだろう。

「ついこの間、あのゴツイ炎の魔神を見ておるだけに余計に貧相じゃ。弱そうじゃ。すぐ負けそうじゃ」

―――そこまで言わんでもよかろうに。。。

ちぇっと舌打ちしてタレナガースはダンゴムシモンスターの上から3番目の左手を引いてアジトから出て行った。

 

その頃エリスはイフリート対策に腐心していた。

あの意思を持ったような強い炎を駆逐するには。。。

あの夜、一斉放水を確かに嫌っていたイフリートだが、最後はアルティメット・クロスの渦の攻撃を受けて逃走した。

渦のエナジーと水は相性が良い。

そこでエリスはひらめいた。

渦エナジーを高圧放水と一体化させられれば。

エリスは県警と協力して、警備車両に搭載してある放水銃にエディー・コアを合体させる作業に取り掛かった。フィルター状のアタッチメントにコアユニットを置き、渦エナジーを含んだ青い水の精製と発射を同時に行うための装置だ。

「この間の戦いから得たヒントをもとにこちらもなんとか応戦態勢は整ってきたけれど、シモンが言うようにイフリートがどこまで本来の力を取り戻しているか。。。」

完全復活すれば人間には歯が立たぬとシモンは言った。そうなれば唯一の弱点は依り代であるトルカだとも。。。

しかし何とか、何とかトルカを救い出しイフリートを斃すことはできないものか。

エリスはずっと頭を悩ましていた。

「絶対あきらめないわよ」

 

深夜。

新月。

徳島市のはずれにある工業団地の専用港湾施設前の広場に要塞が出現していた。

普段はたくさんのコンテナが積み上げられている場所だ。

そのコンテナが広場の周囲に壁のように積み上げられ、まるで野戦の要塞のようなのだ。

そのコンテナに囲まれた、あたかも鉄の四角いリングの中央に大きな木組みが置かれている。

高さは家屋の4階か5階ほどの高さがある。

これはイフリートをおびき出すためのトラップだ。

あたり構わず炎を撒き散らすイフリートをここにおびき出す。何としても市街地でのバトルは避けねばならない。

要塞というものは元来、外敵から内側を守るためのものだが、この要塞は内側で起こることの影響を外部に及ぼさぬためのものらしい。

広場の外周に沿って積み上げられたたくさんのコンテナは、堅固な鉄の防火壁なのだ。

ひと目で罠だとわかる露骨なセッティングだが、エディーたちは必ずイフリートはここにやって来ると考えていた。

確たる根拠は無いが、イフリートは己が炎の餌食となる可燃物のありかを察知する嗅覚のようなものを備えているとエリスは読んでいた。

完全復活を遂げれば市街地を狙ってくるかもしれないが、そうでなくまだ100%のパワーを発揮できないうちは人目の少ない郊外にあるこうした木組みを襲ってくる可能性は高いのではないか。

港湾事務所の陰にエリス苦心の作、渦エナジーの放水銃を備えた警備車両が3台、スタンバイしている。

もちろんその傍らにはエディーとエリスも待機している。

 

待つこと数十分。

はたしてトルカが姿を現した。

どこかで調達したのだろう。黒いキャップを目深にかぶり、淡いピンクのブルゾンにスリムなジーンズ姿だ。

目立つ赤い髪は束ねてキャップの中に隠しているようだ。

よく似合っている。

ショップで洋服を買う時は楽しかったのだろうか?

自分の好みの品を見つけて嬉しかったのだろうか?

―――やっぱりトルカだって本当はひとりの年頃の女の子なのよ。

エリスは胸が痛んだ。

彼女を助ける良い具体案は見つかっていない。

「イフリートの力は刻一刻と増しているはずだ。トルカを思う気持ちはわかるが、もう躊躇している場合ではないぞ」

思案顔のエリスにシモンが声をかけた。

「ねぇ、もしもこのままイフリートが本来の力を取り戻していったら最後はどうなるの?」

「依り代に頼らず独立した魔物としてこの世に居座ることになる」

「じゃあじゃあ、その時トルカはどうなるの?自由の身になるの?」

「灰になる」

エリスは絶句した。このまま放っておいても彼女を待ち受ける運命は悲劇でしかないなんて。

シオンは怒りを含んだ視線をエリスに向けた。

「だが、そうなれば灰になるのはトルカだけではない。情に流されてつまらぬことを考えるな」

炎の魔神と対決するために、シモンもまた人間らしい優しさなどとうの昔に灰にしてしまったのだろうか。。。

仮にエディーとイフリートがここで戦闘になれば、シモンは隙を見ていつでもトルカを亡き者にしようとするだろう。

徳島の平和を願う者として、それを阻止するべきなのかどうか?

だけどそれは。。。やはりそれだけは避けたい。

エリスはシモンとは逆にイフリートを斃してトルカを救い出そうと本気で考えているのだ。

全員が見守る中、トルカが突然苦しみだした。

よろけて片膝を地面に着く。

エディーたちは固唾をのんでそのようすを見ていた。

ううううう。。。ううううぐぐぐぐ。。。

彼女の唸り声が聞こえてきた。若い女性の声ではない。

「来るぞ」

シモンの乾いた声がした。

ああああああああああああ!

押さえていた何かが彼女の体内で弾けて、耐えきれぬような叫びが彼女の喉から発せられた。

月にまで届くかというような叫び声だ。

体の中から何かが出てこようとしている。

その恐怖と喜び。

体の内部にあふれる炎の衝動が高まり、ついにトルカは全身から炎を発した。

その炎は見上げるほどに大きくなり、その中から再び魔神の巨躯が姿を現した。

トルカの肉体とイフリートの下半身は1本の炎の尾で繋がっている。

赤子が母親のへその緒を通して栄養を得るように、イフリートはあの炎の尾からトルカの魂のパワーを得て現出しているのだ。

前回よりもひとまわり体が大きくなっている。

下あごから伸びるキバは耳の近くまで伸び、額のツノもねじくれながら伸びて天を脅かすようだ。

一見して前よりもパワーアップしているのがわかる。

「危ないぞ。みんな車に乗っていろ」

シモンが警官たちを放水車に押し込んで、自分も乗り込んだ。

車の内部は特別な耐熱仕様となっている。

ごおおおお!

イフリートが吠える。

その声と吐く息は炎の塊となって眼前の木組みの建物を真っ赤な炎で包み込んだ。

ボフゥ!

凄まじい熱と風圧が積み上げたコンテナを越えて建物の陰にいるエディーたちにまで届いた。

車内へ退避していなければこの一撃で生身の警官隊は全滅していたかもしれない。

「よし放水車、前へ!」

警官隊隊長の掛け声とともに待機していた放水車が港湾事務所の陰から飛び出し、コンテナの壁の前に出ると一斉にコックを開いた。

渦エナジーを内包する青く光る水が三方からイフリートめがけて奔る。

うおおおおおおん。

イフリートの苦悶の叫びが夜空に響いた。

「行くぜ」

魔神の叫びを合図に、放水車の車列の前へ赤い人影が飛び出した。

アルティメット・クロスだ。

両手で頭上に掲げた赤い光の大剣アルティメット・ソードをゆっくりと回転させる。

渦エナジーの光が尾を曳いて、赤い光の帯がアルティメット・クロスの周囲で次第に実体化してゆく。

必殺技メイルストローム・クラッシャーを撃ち出す予備動作だ。

赤い光の渦巻きがイフリートの斜め上の宙空に出現し、標的めがけて先端を徐々に尖らせながら回転し始める。巨大なドリルだ。

渦エナジーはエディーやエリスたち渦戦士の力の源にして、時に邪悪な力から味方を守る盾となり、時に敵を退ける鉾となる。

鉾たる攻撃の最強形態がメイルストローム・クラッシャー「破壊の大渦」である。

ギュルルルルルル!

イフリートを守るように取り囲む超高熱の炎が赤い光のドリルを押し返そうとするが、渦エナジーを内包する放水の援護もあって、じわじわとアルティメット・クロスの攻撃が押してゆくのがわかる。

「成長したイフリートを圧している」

シモンが信じられぬものを見るように呟いた。

人の力では決して屠ることなどできないと考えていたあの炎の魔神に対して優位を保っている。

―――もしかしたら勝てるかもしれない。

だがその時。

ボン!

何かが破裂するような音がして30mほど離れた所に建つ事務所が火を噴いた。コンテナの防火壁が破られた。

「いけない。こちらの攻撃を防ごうとするイフリートの熱量がすごいレベルになっている。周囲の建物から火が出始めたぞ」

こちらが攻撃力を上げれば相手も防御のための炎をより強くする。

十分な広さだと思われたこの戦闘フィールドでも周囲に被害が及び始めた。

このままでは一旦攻撃の手を緩めざるを得ない。

「しかし、あともう少しなのに。。。」

「任せてください!」

その時、赤い回転灯を煌めかせながら消防車の一群が現場に走り出た。

危険な戦いゆえに出動を依頼していなかったのだが、消防隊は独自の判断で待機してくれていたようだ。

10台以上の消防車が一斉に消火活動を開始した。

建物から上がり始めた炎がたちまち消えてゆく。

アルティメット・クロスは消防隊長に向けて親指を立てて突き出した。

「助かります!有難う皆さん」

警官隊からも歓声があがった。

「さぁこちらも総力戦だ。負けないぞ!」

エディーが繰り出す赤い光の大渦は益々その直径を伸ばしてゆく。

今や数メートル規模の逆三角錐のドリルが炎の魔人の額めがけて突き進もうとしている。

その時、暗闇から何かが飛来して猛烈な勢いでアルティメット・クロスに激突した。

 

(七)イフリート撃滅作戦A

ズガッ!

「ぐぁ!」

眼前のイフリート攻撃に意識を集中させていたため左右と背後がまったくの無防備だったアルティメット・クロスは、衝撃をもろに受けてまるで車に跳ね飛ばされたように数メートル以上吹っ飛ばされた。

飛来したものは夜の闇よりも色濃い漆黒の塊だ。かなりの重量がある。

空中で一瞬意識を失ってしまったため、イフリートを攻撃していたメイルストローム・クラッシャーも消滅してしまった。

「アルティメット・クロス!」

エリスが悲鳴をあげた。

シモンも警官隊も、地面に這いつくばっているアルティメット・クロスを呆然と見ている。

一体何が起こったのだ!?

「ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ」

聞えてきたのは例のあの笑い声だ。

「タレナガース!」

どこから聞こえてくる!?

「そんな、まさかこんな時に?」

どこにいる!?

皆愕然と周囲を見回した。

そしてそいつは積み上げたコンテナの上に立っていた。ケモノのマントの周囲をどす黒い瘴気が大蛇のようにまとわりついている。

徳島に仇なすヨーゴス軍団が首領。魔人タレナガース。

「こんな時だからこそまいったのじゃ。本来貴様たちの真の敵は誰であったか、忘れたわけではあるまいて」

なんということか。最恐の炎の魔神イフリートを前にして、アルティメット・クロスはヨーゴス軍団とも戦う羽目に陥ってしまった。

「くっ。だが今の衝撃の正体は?」

タレナガースは勝ち誇ったように熊のごとき鋭いツメの生えた人差し指で天空を指した。

「ここへ参れ。余の忠実なるモンスターよ」

ゴウゴウと燃える炎の音の向こうから、ブゥゥゥンという羽音が聞えてきた。

ズゥンとタレナガースの傍らに着地した重そうな2本脚のモンスターは。。。

「え?」

「ダンゴムシ?」

「クワガタ?」

背に丸い鎧戸状の甲羅を背負い、俯き加減で立っている大きな虫のモンスター。頭部の左右からは、大きなハサミ状の大顎が伸びている。

大顎の内側はギザギザの歯が並んでいて攻撃的なイメージを与えるが、ダラリと下げた6対12本の腕が何となくやる気無さそうだ。

「タレナガースのバカ!まったくもう!空気も読まずに変なモンスターを連れてきて。今はそれどころじゃないっていうのに」

エリスが地団駄を踏んでもどかしがった。

「ノコギリダンゴムシモンスターのギリダンくんじゃ!」

そんなエリスたちのことなどお構いなしで、いつもの通り意気揚々と己が作品を紹介するタレナガースだが、毎度毎度ネーミングセンスはゼロだ。

いつの間にか傍らに立つヨーゴス・クイーンは腕組みをしたまましかめ面をしている。

―――わらわがダンゴムシを罵ったからというて無理やりクワガタのツノをつけたしおって。短絡にして安直。見ておれぬわ。

そんな相棒を横目で見ながら、それでもタレナガースは何やら自信ありげだが。。。?

「ええい邪魔だ、タレナガース!ひっこんでいろ」

アルティメット・クロスがどけ!と腕を振る。

「お前たちは後で相手してやるからどっかで待っていろ」

「たわけ!スキー場のリフトじゃあるまいに。戦いに順番待ちなんぞあるものか!さぁギリダンくんと戦え、赤いエディー」

ちゅうううう!

モンスターが鳴いた。

「なんとまぁ、鳴き声まで間が抜けておるわ」

ヨーゴス・クイーンが吐き捨てるように言う。

ごおおおおお!

片やイフリートも再び怒りの声を上げた。こちらは迫力満点だ。

ノコギリダンゴムシモンスターが再び夜空に舞った。だがコイツは本来飛行タイプではない。ヨーゴス・クイーンが言った通り、一度完成していた陸戦型のダンゴムシモンスターをあしざまにけなされたタレナガースが、腹立ち紛れにノコギリクワガタの一部をくっつけたというわけだ。全体のバランスが取れていないため、飛行しても十分な機動力を発揮できない。不意さえつかれなければ、アルティメット・クロスは十分対応できる。

ブウン!

テヤッ!

ハイジャンプしてのキックやソードによる攻撃がノコギリダンゴムシモンスターを何度も襲う。

ガキッ!

ザシュッ!

ちゅちゅっちゅううう。

ダメージを受けるたびモンスターは地面に落下して体を丸めてコロコロと転がる。

だがしばらくするとまた2足歩行のモンスターに戻ってアルティメット・クロスに向かってくる。

これが思いのほかタフだ。

一方でイフリートは炎を増大させて周囲の建物や街路樹を次々と炎で包んでゆく。

放たれた炎は、それだけが意思を持っているかのように狙った獲物に取りつこうとしている。

それでも、ここを火の海にしてなるものかと消防隊の決死の消火作業が続く。

警官隊は青い渦エナジーの放水を続けてイフリートを弱らせようとする。

イフリートがアルティメット・クロスに向けて火炎を吐いた。

ごおぅ!

超高熱の火炎がアルティメット・クロスを包み、彼は一瞬行動不能に陥ったが、赤いソードを眼前にかざして渦エナジーを放射すると火炎がわずかに押し返された。

ブゥン。ガキッ!

だがその背後から再び黒い鉄球のごときノコギリダンゴムシモンスターが飛び掛かり、重量級のボディ・アタックを繰り出した。

再びアルティメット・クロスはソードを取り落として真っ赤な炎の中で昏倒した。

炎の中でアルティメット・クロスの苦鳴は聞こえない。

驚くべきことに球形に丸まったダンゴムシモンスターはイフリートの炎の中でも平気のようだ。

頭部の大顎でアルティメット・クロスをガッチリと挟むと炎の中で締め上げた。

アルティメット・クロスの胸のクロスガードが高熱で変形し始めている。万一このガードが破られればコアが剥き出しになってしまう。彼の力の源であるコアはこの超高熱には耐えられない。

「は、放せ」

苦し紛れに放ったパンチがノコギリダンゴムシモンスターの顔の中心にヒットし、モンスターは「ぐぎゃ」と鳴いてひっくり返った。

しかし体を丸めてコロコロと転がり炎の外へ出ると、またもや体を展開して2足歩行に戻っている。

ようよう炎の中から脱出し、全身から煙を噴いているアルティメット・クロスを警官隊の放水が冷却してくれた。

イフリートは目の前に現れたこの乱入者をも炎で包んで焼き殺そうとしたが、ノコギリダンゴムシモンスターはすぐまたクルリと体を丸めて耐熱防御にはいる。

「ふぇっ、イフリートめ、赤いエディーだけを攻撃すればよいものを。見境なく目に入った者すべてを標的にしておる。まったく頭の悪いヤツじゃ」

「もう、あのダンゴムシのせいで場が荒れちゃって作戦も何もあったもんじゃないわ。アルティメット・クロス、出来る限りイフリートに攻撃を集中して」

「いや待て」

エリスの指示をシモンが遮った。

「赤いエディーには、あのモンスターへの攻撃に集中させろ。なるべくイフリートの目の前でやるんだ。イフリートの攻撃に注意しながらだぞ。俺は今からトルカを攻撃する」

「そんな、シモン。。。」

だがシモンは「わかっている」と言って抗議しかかるエリスを押し止めた。

「攻撃は手加減する。考えがあるのだ。信じろ」

そう言うと懐から丸く束ねた電磁ムチを取り出した。以前エディーと戦った時の物より明らかに太くて長い。

ブゥン。

ムチをほどいてひと振りするや、シモンの頭上に鋭い火花を散らせる大蛇が出現した。シモンの腕の振り具合、指の力加減ひとつで自在にうごめく獰猛なムチのヘビだ。

ピシュッ!

鋭い音と共にムチが地表を這い、トルカを襲った。

トルカは炎の中にいて髪の毛1本燃えることなくトランス状態で立ち尽くしている。

ビシッ!

ムチの先端がトルカの左肩に命中し、まばゆい炎の中にあってひときわ明るい火花を散らせた。

がおおおああ!

その瞬間イフリートがシモンに向けて火炎を放つ。シモンは素早く身をひるがえして炎を避ける。

あたり構わず炎の海にしようとしているイフリートだが、やはり依り代への攻撃には敏感なようだ。

シモンはイフリートの炎ゆえにトルカに接近できないが、この長いムチはそれを想定しての武器なのだろう。

電磁ムチは超高熱の炎の中を、狙いたがわずトルカに向かって奔る。

シモンはまるで炎のステージで躍動する猛獣使いのようだ。

片やエリスの指示を受けたアルティメット・クロスは戸惑っていた。

イフリートよりもこの目障りなダンゴムシもどきのモンスターを先にやっつけろと言うのか。敵をひとつひとつ排除しろと言うことなのか?だが戦っていてよくわかるが、イフリートは刻々と巨大になり、それにつれて炎の勢い熱さも激しくなってゆく。いずれ消防隊の放水だけでは周囲の火事を消火できなくなるだろう。

それに何よりこのノコギリダンゴムシモンスターが。。。

「しぶとい!」

キックもソードによる斬撃も背を丸めてコロコロと転がりながら受け流す。炎にも耐性が強い。

苛立って攻撃が乱れると。。。

ガシッ!

むぅう。

今みたいに反転してノコギリクワガタの大顎で反撃してくる。

ギリリ。

間一髪で大顎の攻撃をソードで防いだものの、これがまた結構な怪力だ。アルティメット・クロスをグイグイと押し込んでくる。

アルティメット・クロスは次第に焦ってきた。

ごおう!

イフリートがアルティメット・クロスとノコギリダンゴムシモンスターを炎で包んだ。超高熱のオレンジ色の世界でそれでもモンスターの大顎のトゲはアルティメット・クロスのボディーに食い込んでくる。

信じられないことだが、モンスターによってダメージを受けたあたりのアーマが溶け始めてきた。

「こいつは。。。まずいな」

ビシッ!

こちらではシモンのムチがトルカの首に巻きついていた。

一種の入神状態にあるトルカも肉体へのダメージが少しずつ彼女の精神を現実に引き戻そうとしているようだ。

だが意識が戻ればイフリートの消滅と引き換えに彼女の肉体は一瞬で燃え尽きて灰になってしまうに違いない。

エリスはようすを見ながら気が気ではなかった。

―――信じていいのよね。いいのよね。

だがその時、イフリートに異変が起こっていた。

イフリートが眼前のアルティメット・クロスたちへの攻撃を止めている。

じっと何かを見ているのだ。

そして。。。

「む、イフリートめ何を考えておる!?まさか?」

「かかったか?」

タレナガースの目玉の無い目が驚きに見開かれ、シモンの鋭い視線に光が差した。

ごおおああああ。

「エリス、トルカをたのむ!」

魔神の叫びと共に、なんとトルカと繋がってい炎の尾がプッツリと途切れて、その切れた先端が今度はノコギリダンゴムシモンスターに巻きついたのだ。

既にダッシュしていたエリスは、トランス状態のまま支えを失って倒れようするトルカの体を間一髪で抱き留めた。

「トルカ!ねぇトルカ、大丈夫!?」

「ここから離れろ!ヤツの炎の届かぬ所までトルカを連れてさがるんだ!」

シモンの指示に頷くと、エリスは彼女の体を抱えたまま倉庫街の方へと駆けた。

一方思いがけず炎の魔神と繋がってしまったダンゴムシモンスターは完全に動きを止めていた。

「おのれぇイフリートめ。余の可愛いギリダンくんを勝手に依り代に使うとは無礼千万!」

タレナガースは白骨の顔を歪めているが、これにはアルティメット・クロスも言葉を失っていた。

「この期に及んで依り代をトルカからダンゴム野郎に鞍替えしたのか!?」

このモンスターが己が依り代として選ぶのは並の人間の魂ではない。邪悪な種を宿す、魔神に相応しい魂なのだ。

邪教徒の祈りによって異常な魂を持つことになったトルカと、生まれながらのモンスターの魂には「邪悪」という共通点があった。

「同じ闇の魂を持つ者同士でも、トルカより絶対防御力がはるかに上のモンスターを新たに依り代として選ぶかもしれないと思い、わずかだがその可能性に賭けてみたのだ。この賭け、こちらの勝ちだ!」

シモンが珍しく叫んだ。ここが勝負時だ!

「トルカは救ったぞ。さぁ赤いエディーよ、これで心置きなくイフリートに戦いを挑めるだろう」

―――やるなシモン。

アルティメット・クロスはシモンに「応!」と合図すると、みたび赤いアルティメット・ソードを振り上げた。

だが敵はより強力な依り代を手に入れて更にしぶとくなっている。

「今度こそ決めろ!こいつが依り代から独立して完全復活するのはもう秒読み段階だ」

そうなれば。。。

うおおおお!

今度こそ決めてやる!俺の必殺技、メイルストローム・クラッシャーで。

赤い大剣が煌めきながら光の帯を中空に作り、帯は輪となり、輪は円錐形のドリルへと変形してゆく。

「ここだ!」

気合一閃、アルティメット・クロスの赤い光のドリルが炎の魔神の胸を貫いた。

ギュウウウウウン!

ドリルは高速で回転しみるみる魔神の胸に深く食い込んでゆく。

ぎゃおおおお!

イフリートの苦悶の叫びが夜の港湾地区に響く。

光のドリルで穴を穿たれた胸の傷を中心に、イフリートの姿が夜の闇に洗い流されるように消えてゆく。

「いける!」

警官隊や消防隊が歓声を上げた。

だが2本足で突っ立っていた依り代の哀れなモンスターが突然クルリと丸まって球形に変じた。

途端、消えかかっていたイフリートの全身が輝きと赤みを取り戻し、穿たれた穴が塞がれてゆく。

「魔神の防御力が上がった?」

ダンゴムシモンスターは先のトルカ同様トランス状態に陥っているはずだが、強い防御本能がヤツを最強のディフェンス形態にさせたのだろう。

「くそ!依り代がモンスターに変わったら変わったで厄介だな」

しかしアルティメット・クロスよりもこの状況を忌々し気に見ている者がいた。

タレナガースだ。

「ふん、イフリートめ偉そうにふんぞり返りおって。貴様が強いわけではないぞ!ギリダンくんの防御力のお陰ではないか。勝手に余のモンスターを己が物にしおって。返せ!ギリダンくんを返せ!」

タレナガースは激怒していた。

こうなるとこちらも見境がない。

イフリートの騒動に乗じてエディーたちにひと泡ふかせてやろうと企んでいたものが、逆にイフリートに利用されている。

しかも虎の子のモンスターを依り代にして好き勝手に。。。!

「返さぬか。そっちがその気なら。。。こうしてくれる!」

タレナガースが何やら低い声で呪文を唱え始めた。

鋭いキバが並ぶ口の中から細く青いひと筋の煙が流れ出し、意思を持っているかのように炎の中で丸まっているノコギリダンゴムシモンスターへと移動してゆく。

細く頼りなげな煙だが、驚くべきことにイフリートの炎さえもものともせずユラユラと進んでゆき、ついにノコギリダンゴムシモンスターのクワガタのツノに絡みついた。そして染み込むようにその体内へと消えた。

数瞬。。。

丸まっていたノコギリダンゴムシモンスターが突然弾けたように2本足で直立して全身を硬直させた。

ちゅっ!

そして。。。

ドドーーーーン!

モンスターが爆発したではないか!?

ごおううううらららあああ!

盤石と思われた依り代が突如消滅してイフリートは天に向かって驚愕と怒りの入り混じった咆哮をあげた。

このまま己が力を注いだモンスターを利用され、縁の下の力持ちなんぞにされるくらいならと、タレナガースがモンスターの自爆モードを発動させたのだ。

ギュウウウウウン!

後ろ盾を失ったイフリートの胸板へ、アルティメット・クロスが放っていたメイルストローム・クラッシャーが食い込んだ。

あがががああああ。。。

高速で回転する赤い光のドリルはついに依り代を失った炎の魔神の巨体を貫き、清浄な渦のエナジーがおぞましきその姿をかき消した。

決着は驚くほどあっけなくついた。

「勝った。。。のか?」

急に静けさを取り戻した湾岸エリアでひとり立つアルティメット・クロスは周囲の気配を探った。

「俺は自分の目が信じられない。。。あのイフリートが斃されたなんて」

シオンが背後から歩み寄った。

アルティメット・クロスはノーマルモードのエディーに戻り無言でシモンと握手した。

「ところで、あのモンスターたちは我々の協力者だったのか?」

エディーは黙って首を左右に振った。

エディーやシモンはタレナガースが激高したことが原因だとは知らない。

だがノコギリダンゴムシモンスターが突然自爆したことで、結果的にイフリートを葬り去ることができたのは事実だ。

アルティメット・クロスの最終必殺技をもってしてもノコギリダンゴムシモンスターの防御力に裏付けされたイフリートを斃すのは困難だったかもしれない。本当の意味でイフリートとタレナガースが手を組んでいたら今ごろどうなっていただろう。。。

「君も見ただろう、あのタレナガースという魔物。たぶんヤツの気まぐれによるものだろうね。自分が造ったモンスターをイフリートに利用されたのが癪に障ったのだろう。この地に仇なす厄介な存在だが、今回ばかりはヤツの悋気に助けられたのかもしれないな」

フフ。とシモンは笑った。

邪神を葬ったのはやはり邪なる者であったか。

「エディー、シモン、こっちに来て。早く」

避難していた倉庫の陰からエリスが大声でふたりを呼んだ。両手を大きく振っている。

何事かと駆けつけたふたりはエリスの膝に頭を置いて横たわるトルカを見て驚いた。

「髪の毛がもとの白い色に戻っている」

「それにほら、瞳も緑色に変わっているのよ」

「イフリートが消滅したことで彼女の魂も幼い頃のように浄化されたのかもしれないな」

シモンがエリスの肩にやさしく手を置いた。

「絶対に助けると誓った君の思いが通じたんだろう」

エリスは満面の笑顔で「うん!」と頷いた。

 

(終)出発時間

いつものカフェはふたりの他にお客はいなかった。

「それにしても、湾岸湾岸エリアにも結構な被害を出しちゃったね」

「ええ。だけどもしあのバトルが市街地だったとしたら。。。考えただけでもぞっとするわ」

ドクがハニートーストをかじりながら眉間にしわを寄せる。

イフリートが怒りに任せて放った超高熱の炎に焼かれた周囲の建物も、消防隊の奮戦で全焼を免れた。

被害は最小限に抑えられたのだ。

エディーたちだけではない。警官隊も消防隊も邪教の魔神を相手に命がけで戦ってくれた。

そしてもうひとり。

「そろそろシモンたちの飛行機が出発する時間だね」

ドクは店の壁に駆けられた時計を見上げて「ああ、そうね」と呟いた。

シモンたち、とは彼とトルカのことだ。

あの壮絶なバトルから早や1週間経っていた。

トルカはあの後病院のICUに運び込まれ、2日後に意識を取り戻した。そして4日間にわたる精密検査を終えて昨日無事退院した。

白い真っ直ぐな髪をかき上げて、トルカは見舞いに来たエディーとエリスに無邪気な笑顔を見せてくれた。

彼らにとっては、厳しい闘いの苦労が報われた瞬間であった。

 

退院の手続きやら中央ヨーロッパへの帰国の段取りなどの一切はシモンが行なった。

幸せになってもらいたいと語っていた。使命とはいえ今まで追い回して命を彼は反イフリート同盟の刺客を引退して、これからトルカの親代わりとなって彼女を見守りながら暮らすつもりなのだそうだ。

トルカが普通の少女であるなら、狙ったことへの罪滅ぼしの気持ちもあるかもしれない。

 

間一髪のところで炎の魔神イフリートの現世完全復活は阻止された。だが炎の邪教集団が壊滅したわけではない。またいつか邪神の依り代となる第二第三のトルカが世界のどこかで生まれるかもしれない。それでも今回のトルカの1件は、そんな依り代たちを何とか救出する方法もあるのだという前例を作ったことになりはしないだろうか。

「そうあって欲しいね」

ヒロの言葉にドクも頷いた。

カフェの壁の時計がシモンとトルカが乗る国際便の出発予定時間をさしていた。

 

<完>