渦戦士エディー
地獄の食肉植物を殲滅せよ
<侵略を止めろ! 増殖編>
(序の一)悪魔の球根
月の無い深夜。
「イタタタタタタ!イタイイタイ!タレ様やこやつをなんとかしてくだされ」
耳障りな悲鳴とともに森の木々を縫って走ってくるのは、ヨーゴス軍団の大幹部ヨーゴス・クイーンである。
獰猛なハチの面相をした鬼女がピョンピョンと飛び跳ねるたびに、紫の頭髪も同じリズムで舞っている。
「なんじゃ騒々しい」
灌木の中から姿を現したのは。。。長身の鬼人であった。
ヨーゴス軍団首領タレナガース。徳島に仇なす闇の秘密結社の頭目だ。
肉のない、青白いシャレコウベの顔面が迷惑そうな視線を声の主に送った。
人間よりも大きなツキノワグマの死骸を片手で引き摺っている。これでまた良からぬ改造モンスターでもこしらえようというのであろう。
死んだ者の魂をも冒涜する不届きな輩である。
だが駆け寄ったヨーゴス・クイーンはそんなタレナガースの事情など構っている場合ではなさそうだ。
「噛みつかれたのじゃ。取ってくだされ、これを!早う!イタタタ!」
ヨーゴス・クイーンは右手の人差し指をタレナガースの眼前に突き出した。
「余は今新しい思いつきを試さんと苦心しておるのじゃ。邪魔をするでない。。。うん?」
ヨーゴス・クイーンの指の先には濃い緑色をしたテニスボールのようなモノがくっついている。見たところ植物の球根のようだが、そいつはフィールド上のあらゆる物を食べつくす悪趣味なゲームキャラのように大きな口をパックリと開いて鋭いキバをヨーゴス・クイーンの人差し指に深々と突き立てている。
球面のあちこちがただれたように表皮がめくれ、まるで球根のゾンビだ。
「そのほう、それをどこで捕まえた?」
「捕まえたのではないわ。こやつのほうからわらわの指に噛みついてきたのじゃ」
タレナガースは「早う取ってくれ」とわめくヨーゴス・クイーンを尻目にその凶暴な球根をしげしげと眺めると、やおら鋭いツメでつまむとグイッと引きはがした。
ベリリッ!
ぎょえええ!
鋭いキバは咥えた獲物を放さなかったためヨーゴス・クイーンの指の肉が一緒にもげて紫色の体液が周囲に飛び散った。
ひいいいい!
人差し指を押さえて跳ね回るヨーゴス・クイーンを横へ押しやって、シャレコウベの魔人は不思議なキバを持つ球根の口元へ指のツメを近づけた。
球根はガチガチとキバを嚙み合わせてその指を食おうとした。
「間違いない。これは『アギト草』の球根じゃ。地獄の辺境で、逃亡を図った亡者どもを片っ端からむさぼり食うたあの凶暴な草。。。しかしその球根がなにゆえこのような所に?」
首をかしげていたタレナガースは「おお、そうか」とポンと膝を叩いた。
「おそらく先の亡者騒ぎの折であろう。亡者のひとりが体にこの球根をくっつけたまま現世に迷い込んだのじゃ。そうに違いない」
うむ、うむと一人で頷くタレナガースにヨーゴス・クイーンが近寄って手元をのぞき込む。
「森で小さな動物の死骸を見つけたゆえ持ち帰ろうと手を伸ばしたら、死骸の体内からそれが飛び出してきてわらわの指に食いついたのじゃ。無礼者め」
驚いたことに、アギト草とやらの球根に食いちぎられた指はもうあらかた元に戻っている。
「わらわもアギト草が亡者を食うのを見たことがある。まことに恐ろしいヤツらじゃ。これがその球根かや。わらわの指に食いついた重罪もある。この場で焼き捨ててくれようぞ」
ヨーゴス・クイーンの鋭いハチの目が怒りで更に吊り上がった。
「まぁ待て。せっかく地獄からはるばるこの世に迷い込んだのじゃ。なんぞ面白いことに使わせてもらおうではないか」
タレナガースのツメにつままれた悪魔の球根は、獲物を求めてガチガチとキバを鳴らし続けている。
「クイーンよ、こやつを町のどこぞに植えてくるのじゃ。あまり目立たぬ場所がよかろう。恐怖は知らぬ間にじわじわと忍び寄るのが良い」
「なるほど。こやつの繁殖力は凄まじいと聞いたことがある。面白いことになりそうじゃのう」
タレナガースとヨーゴス・クイーンは顔を見合わせてにんまりと笑った。
ふぇ〜っふぇっふぇっふぇっふぇ。
ひょ〜っひょっひょっひょっひょ。
ふたりの魔人の笑い声は風に乗って近隣の村まで届き、その夜は多くの人たちが悪夢にうなされた。
(序の二)兆候
「オーライ、オーライ」
クラフト紙袋に詰め込まれた小麦粉がフォークリフトで次々と出荷されてゆく。
約30後、今日の出荷分はすべてトラックに積み込まれた。
穀物倉庫で、搬出担当のふたりは図らずも同時に「ううん」と上体を反らせて伸びをした。
「よし、戸締りして出るぞ」
お腹が出っ張っている先輩が若い後輩に声をかけた。
「はぁい。。。」
後輩の返事はどこかうわの空だ。
「なんだ、どうかしたか?」
出口へ歩きかけた先輩が振り返った。何か気になることがあるのならどんな小さなことでも確かめておかねばならない。
「あ、いや。最近ネズミの痕跡が無いなぁと思って」
こうした穀物倉庫にはどうしてもネズミが集まってくる。侵入経路を探して塞いだり、忌避剤を撒いたりして対策はとるのだが、それでもヤツらはどこからか侵入してくる。
倉庫の隅にはフンが落ちていたり保管してある穀物に被害が出る時もある。
室温調整のためのエアコンの電源ケーブルをかじられたこともあり、危うく漏電をおこしかけたこともあった。
こうして倉庫に足を踏み入れる機会ごとにそうした被害が出ていないかを確かめるのも彼らの仕事のひとつだ。
しかし幸いここ何日か、ネズミが侵入した痕跡がない。
「有難いことじゃないか。そういや忌避剤をちょっと高いヤツに変えたんじゃなかったか?それが効いているんだよ」
「はぁ、そうっスかね」
後輩のほうは頷きながらも今ひとつ釈然としない表情をしている。
効果は上がっても、あのしたたかなネズミどもが薬剤だけで侵入を諦めるとは思えなかったからだ。
しゃがんで倉庫の隅に視線を巡らせる若者に、体半分既に外へ出している先輩が声をかけた。
「おおい、早く来い。昼メシ行くぞ」
「徳島市の街も衛生的になってきたみたいだよ」
ヒロが今日の朝刊を広げながら言った。
テーブルの上のホットコーヒーのカップを倒さぬように注意している。
いつものカフェのモーニングタイム、常連のヒロとドクは彼らの定位置(もちろん非公式だが)となっている一番奥の壁際シートに陣取って今日も朝刊を隅から隅まで読んでいた。
「へぇ、それは結構なことじゃないの」
ドクはドクで違う記事を読んでいる。
県民の日々の暮らしの中にヨーゴス軍団の影がさしていないかを検証するため、まずは朝刊をじっくり読み込むことから彼らの1日は始まるのだ。
「ネズミの被害が目に見えて減っているらしいんだよ。記者さんがあちこちの倉庫を回って証言をとってきたらしい。明らかにネズミの被害が減っているんだってさ」
「ふぅん。何か強い薬を撒いて寄せつけないようにしたのかしら?それって人体には大丈夫なのかしらね」
記事を読みながらもドクはヒロの話にもしっかり対応している。目と耳、どちらかの情報もうっかりスルーすれば後々大変な事態を招くことになりかねないからだ。
ふと顔を上げたドクが、あらためてヒロを見た。
「そういえば最近野良猫も減ったと思わない?」
「え、そうなのかい?僕は気づかなかったけど。。。」
動物好きのドクは道を歩いている野良猫たちにも優しい視線を送っている。だからこそ気づけることなのかもしれない。
「野良猫が増えたからネズミが減ったというのならなんとなく頷ける話だけれど、猫もネズミも減っているとなると、やっぱり殺鼠剤のような劇薬が効いているのかもしれないね」
殺鼠剤とはいえ、猫も口にしてしまう可能性は低くないし、飲み込んでしまえばただでは済むまい。
「猫やネズミの死骸使ってキメラモンスターに改造する可能性は?」
「ないとは言えないね」
「さしあたってほかに気になることもないし、今日はその辺を調べてみましょうよ」
「オッケー。方向性は決まったね」
ふたりは頷きあった。
ということで。。。
「マスター、厚切り玉子マヨトーストふたつ!」
「お仕事中にお邪魔してすみませんでした」
エディーとエリスは食品倉庫で作業をしている職員にお礼を言うと来客用駐車場に停めてあるマシン・ヴォルティカに跨った。
「この倉庫もご多聞にもれず、ネズミや猫、それに野良犬まで減ったって言ってたね」
「ええ。薬をより強いものに変えたり嫌がる音波を流したり、格別新しい対策を講じた倉庫はひとつもなかったのにね」
ヴォルティカに跨ったままふたりは腕を組んで考え込んだ。
「これで朝のうちに4か所の食品倉庫を回ったけれど、これといって変わったことはなかったね」
結局ネズミや猫が減った明確な理由は見当たらなかった。
ただの成り行きなのか?
ほかにもっと良い餌場を見つけたのか?
いずれにしても現段階ではヨーゴス軍団が一枚かんでいるという確証は何も得られなかった。
しかしこの時、彼らは目の前に迫っている危機に気づかずにいた。
(一)出くわした男
「クイーン、クイーンはおらぬか?」
山の斜面を遮二無二掘ってこしらえた、暗くジメジメした横穴に突如降ってわいたこの耳障りなダミ声は。。。
「なんじゃタレ様。わらわならここにおるわえ」
そして現れたこの奇怪な容姿の鬼女は。。。
「クイーンよ。先日のアギト草の球根、しかと植えてまいったであろうな?」
「もちろんじゃ。タレ様の言いつけ通り埋めてまいった」
「どこに埋めたのじゃ?」
「どこ。。。どこと申して。。。まぁ、あれじゃ」
植えようとした時にあの球根がまた噛みつこうとしたためについ手放してしまい、コロコロと側溝の中に転がり落ちてしまった。。。とは言えない。
「しっかりと根を張るのに少々時間がかかるゆえ、はじめはあまり人目につかぬ土に埋めよ、と申しつけたはずじゃの」
「そ、そうじゃ。その通りじゃ。あそこなら絶対に人目につかぬ」
「あそこがどこかは知らぬが、あれから5日経つ。そろそろ人間どもが騒ぎ始めてもよい頃じゃが、一向にその気配がないのが腑に落ちぬ」
タレナガースの眼球の無い暗い目がヨーゴス・クイーンをジロリと睨んだ。
「ま、まぁ今しばらく待たれよ。間もなく面白き騒ぎになるであろうよ。ひょっひょっひょ」
夜10時。
その日は朝から雨模様で、夕方から回復してきたとはいえ雲は厚く、今も月は見えない。
夜の闇の中を何かが移動している気配がある。
男だ。サラリーマンであろうか、スーツを着ている。
しかしワイシャツの襟はだらしなく開き、ネクタイは緩んでかろうじて首に抱きついているありさまである。
足元もおぼつかない。どうやら酩酊しているようだ。
しきりに何やらブツブツしゃべっている。
「ケッ!〇×△ってなんだよ!俺がちゃんと□◇〇〇◇×ったじゃねぇか。お前が。。。うう。。。おぇ。。。だろうよ」
ジグザグに進みながら誰に何の文句を言っているのやら。
あまり関わりたくないたぐいの人種ではある。
「おい、おっさん」
そんな男に、背後から声をかけた者がいる。男は動きを止めた。
「ああん?」
柳の枝のように揺らめきながら体ごと振り返った男の前には、全身緑色の奇怪な風体の人物が立っていた。
「あんだおまえ、誰だ?」
マスクの赤いゴーグルに顔を近づけて酒臭い声で尋ねた。
「悪いことは言わないから、この先へは行くな。引き返せ」
緑の男は腕組みをしたまま感情を抑えた声で言った。
「この先にはとてつもなくヤバいヤツがいる。俺の勘がそう言っているんだ。間違いない、やめておけ」
男は「ああ?」と首だけを動かしてこの道の先を見た。闇に覆い隠されて見通しが効かない。確かに何か悪しきものが潜んでいてもおかしくはない。
男の背が一瞬ぞくりとしたが、酒の勢いがすぐそれを抑え込んだ。
「うっさいな。。。帰れっつうのかよ」
男の酒焼けした赤い顔が更に赤みを増した。
「おま。。。えにさしずぅされる覚えは。。。なぁい!」
ひときわ大きな声で反論すると、肩で息をし始めた。
「この先の焼き鳥屋でもういっぱいやるんだ。。。悪ぃか?ばかやろ。。。うう」
伝法な口調でそう言うと、男は再び前へ向き直って斜めに歩き出した。
「なるほど、おっさんにはこの臭いが焼き鳥の匂いに感じられるってわけか」
後ろ姿を見送る赤いゴーグルがいたずらっぽく光っている。
緑の超人スダッチャー。
頭部の黒いマスクに赤いゴーグル・アイ、緑のバトルスーツ。胸とベルトには緑と黒のコアが埋め込まれている。この2色が意味するものとは一体?
この男には正義も悪もない。気まぐれなバトルフリークなのである。
「まぁ無理にとは言わないけどね」
―――この先には工場と倉庫しかない。飲み屋も焼き鳥屋もあるもんか。しかもこの『いい匂い』は、俺には甘い樹液のミックスジュースに思える。嗅いだヤツが一番好きな匂いに思わせているってことか。こりゃ益々ヤバい感じしかしないぜ。まぁこの俺もその匂いに惹かれてここまで来ちまったんだが。。。さすがにここから先は危険すぎる。
制止を振り切って行ってしまったあの男の命運は尽きたも同然だ。
―――知ったことかよ
スダッチャーは立ち去ろうとしたが、ふとある人の声が聞こえたような気がした。
《コラ!スダッチャー。困っている人がいたら助けてあげなさいよ。このオタンコナス!》
耳元で本当に怒鳴られたような気がしてスダッチャーは肩をすくめた。
しばらくその場で考えていたが「はぁ、しゃあねぇな」と言うと闇に消えた男の後を追った。
「ひゃあああああ!」
力のない悲鳴が湧いたのはその直後だった。
―――もらしちゃった。
命の危機に直面しながら、男は濡れたズボンを気にしていた。
コンビニへ行って下着を買おう。
だが目の前には見たこともない背の高い草が自分をじっと見降ろしている。
なんだこれは?
真っすぐに伸びた太く肉づきの良い茎から無数に伸びたムチの如き触手。茎の頂上にはバスケットボール大の重そうな頭が乗っている。
その頭部の中央が横一文字に裂けて開き丸い頭部がゆっくりと上下に広がった。
口だ。
カアアアアアア。
ゆっくりと限界まで開いた口の上下には、サメを思わせる三角形のキバが並んでいる。
植物には違いあるまい。だが、ひとつ明らかに違う。それは。。。
「この世ものじゃねぇぇぇ!」
その植物は側溝から金属製の蓋を跳ね飛ばして真っすぐ生えていた。おもちゃ屋で見た、音に反応して体を揺らせる植物に似ているが、こちらは優に2m以上の背丈がある。あの鋭い三角形のキバに噛みつかれたら最後、もう二度と焼き鳥屋へは行けっこない。
「か、帰ります」
あの緑色のヤツに「行くな」と言われたところからもう一度やり直したい。
だがもう遅い。
バスケットボールがカッ!キバをむいて襲いかかろうとした瞬間、轟音と閃光が闇を駆逐した。
ズガガーーン!
現場に到着したスダッチャーがスダチ・ソードを振るったのだ。
斬る、ではなく叩いて破裂させる爆裂剣スダチ・ソード。相変わらず凄まじい威力である。
男に食いつこうとしていたバスケットボールの化け物頭が爆風で吹っ飛んだ。
頭を失った茎は力なくバタリと路上に倒れた。
その時、側溝から第二第三の化け物植物が音もなく立ち上がった。
全部で4本いる。
「ちぇっ、まだ潜んでいやがったか」
化け物植物の真正面に走りこんだスダッチャーはスダチ・ソードを構えて男を守る態勢をとった。
「生きてるか、おっさん?」
だが返事がない。
「ありゃりゃ、気を失ってやがる。まったく世話が焼けるぜ」
チラリと背後を見た瞬間、化け物植物たちが襲い掛かった。
あるものは正面から、あるものは上から、そして左右から。
別々の茎なのに見事な連携プレーだ。
「うおっ!おりゃあ!」
スダッチャーは四方から襲い来る敵を巧みに避けてソードを振るう。だが茎のほうでもゆらゆらとスダッチャーの攻撃をかわす。
「こいつ、どこに目がついてるんだ!?」
とにかく相手はスダッチャーよりも背が高い。
―――地面に立っていたんじゃこっちが不利だぜ。
スダッチャーは強く地面を蹴って化け物植物の頭上へ跳んだ。
化け物植物の頭が一斉に上を向いて一列に並んだ。
「今だ!」
スダチ・ソードを一気に叩きつけようとしたその時、スダッチャーは空中でバランスを崩した。
「ナニ!?」
茎から伸びた無数の触手が足に絡みついて動きを封じていたのだ。
グイと下へ引き下ろされ、無防備になったスダッチャーの体に複数の頭が襲いかかった。
「ぐわああ!」
夜の闇にスダッチャーの苦悶の叫びがこだました。
「さがって。さがってください。この先は危険です」
3台のパトカーと救急車、それに大勢の警官がその通りを封鎖していた。
黄色と黒の規制線が張り巡らされ、猫の子1匹通さぬ構えとなっている。
夜勤を終えて帰ろうとした工場の職員たちが見たものは路上に散乱した背の高い草の残骸と気を失って大の字に倒れているスーツ姿の男だった。
そしてもう一人倉庫の壁を背にして路上に座り込んでいるの緑色の変な奴。
その緑人間に「エディーとエリスを呼べ」と言われた職員は、取り急ぎ最寄りの警察署に一報を入れたのだ。
県警から出動要請を受けたエディーとエリスが現着した時、スーツの男は既に救急車に搬送されていた。
周囲にはまるで草藪の中で電動草刈り機を滅茶苦茶に振り回したかのように草が散乱している。
その真ん中でスダッチャーが倉庫を背にして座り込んでいる。
エディーとエリスを見て「よう」と弱弱しく片手をあげてあいさつした。
真っ先に救急車を覗いてきたエリスがエディーの傍らに戻ってきた。
「男性の具合は?」
「大丈夫、肘をすりむいてるのと足首をひねっている程度よ。転んだ時に痛めたのね」
「何か話は聞けたかい?」
「それが、かなり酔っていたみたいではっきりしないそうなんだけど、しきりに『草に食べられる』って。。。」
「草に。。。食べられるだって?」
―――よしスダッチャーに話を聞いてみよう。
ふたりの渦戦士はなぜか先刻よりまったく動こうとしない緑の超人に近づいていった。
動こうとしないはずだ。スダッチャーは重傷を負っていた。
動けないのだ。
スダッチャーはタレナガースのように悪人というわけではないが、バトルが大好きで時として見境なく暴れるため周囲に少なからぬ迷惑をかけることがある。
そうした過去を持つせいで警官も救急隊員も近寄ろうとせず、放置されていたようだ。
「まぁスダッチャー。ひどくやられているじゃないの」
「お前、大丈夫か?」
「見りゃわかるだろう。死にかけてるんだよ。いてて」
確かに常人なら命を失っていてもおかしくない深手だ。
スダッチャーの右わき腹は大きく肉をえぐられているし腕にも足にも咬み切られたような傷がいくつもある。いずれも深手だ。
傷口からすだちエナジーが流出しているせいで体色の緑がかなり失われている。
以前瀕死の重傷を負ったときに、肉体を維持できず、声だけになってしまったことがあった。
「良い木がたくさんある所へ連れて行ってくれないか。もう自分じゃ動けないんだ」
「オッケー。ねぇスダッチャー。あなた、あの男の人を庇って戦ってくれたんでしょう?お礼を言うわ」
エリスの言葉にスダッチャーは「えへへ」と力なく笑った。
「これでよし、と」
エディーたちは動けないスダッチャーを救急車に乗せて鳴門市の大麻山に搬送し、とある大きな杉の巨木に「収容」した。
移動に少し時間はかかったが、今のスダッチャーに一番必要な清らかな樹木の精気をふんだんに得られるのはここしかないと判断したのだ。
すぐにとは言えないが、スダッチャーのことだ。遠からず元気な姿を見せてくれるだろう。
「それにしてもあのスダッチャーをここまで追い詰めた相手っていったい。。。?」
「スダッチャーは『人を喰う植物』って言ってたわね」
「ああ。その点においてはあの男性の証言と一致している」
大麻山へ移動する間にエディーたちはスダッチャーから可能な限りの情報を聞き出していた。
人を惹きつける甘い香り。
その香りは人によってまるで違う。
全長2m以上の背の高い草。
獲物を絡めとる触手。
肉を引き裂く鋭いキバを持つ頭。
側溝には太い根が横たわっており、そこからその化け物の草が一列に生えていた。
ということである。
実際あの現場には植物の残骸が飛び散っていた。
側溝には太い根のような物体が詰まっており、あちこち破壊されていた。
いずれもスダチ・ソードの爆裂によるものだろう。
ふたりの証言通り、人間を襲う背の高い植物がいたとして、その正体は何なのだろう?
ヨーゴス軍団の新しいタイプのモンスターなのか?
「何を考えているんだい?」
先ほどからエリスは黙り込んでいる。
「ねぇエディー、ここ数日の私たちの行動指針を思い出してみて」
エディーは言われた通りにした。
「あっ。。。そうか、獲物を惹きつけるいい匂い」
「そうよ。ネズミも野良猫も。。。もしかしたら他にももっといろんな動物が餌食になっていたのかもしれないわ」
「そして遂に人間を襲うほどに成長した。え?俺たちが調べた食品倉庫の分布。。。!」
ここまで言ってエディーはエリスを見た。
「私たちが考えていることが正解だったとしたら、その植物は少なくともかなりの広範囲にまで繁殖しているっていうことになるわね」
えらいことだ。
まだ見ぬ謎の食肉植物モンスターは、ほぼ徳島市全体に根を張っている可能性が高い。
「これは。。。緊急事態だ」
エディーは渦のスーツの背を冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。
(二)緒戦
スダッチャーの一件を受けて、県警による特別警戒が始まった。
県警本部では緊急会見が開かれ、謎の食肉植物の存在を県民に向けて報告した。
「丈の高い不審な植物を見かけたら、決して近づかず直ちに最寄りの警察までご連絡ください」
当然各メディアもこれを大きく取り上げて注意を促した。
しかし、まだ見ぬ敵の存在を聞かされても、どう対処してよいかわからず住民たちの間には困惑だけが広がった。
ヒロとドクは馴染みのカフェがオープンすると同時に顔を見せた。
ドクが持参した新聞を広げる間もなくヒロが切り出した。
「あれからすごい量の通報が警察に寄せられたようだね」
「ええ。お店に飾ってある造花から花壇の雑草まで、ものすごい件数の通報があったらしいわ。だけどさすがにその中の何件かはアタリだったみたいで、県警もその姿を写真に撮ってすぐ周知したそうよ」
その画像はエディーとエリスにも届いている。
しかし、やはり実際に敵と対峙してみなければ実感が湧かないというのが正直なところだ。
「こういう妙なヤツが現れた場合、真っ先に疑うのがヨーゴス軍団の仕業かもしれないということなんだけど。。。」
ふたりともスダッチャーを苦しめた怪異な植物の本当の恐ろしさを諮りかねている。
「なんか違う気がするんだよ」
オーダーを取りに近づいてきたマスターの気配を感じて声を潜める。
「同感だわ。今回の敵は何というか。。。油断ならない気がするの。きっと強敵よ」
「これほどのモンスターを送り込んだなら、あのタレナガースが姿を現さないはずはないよ」
「そうそう。あの目立ちたがりで威張りたがりで不細工なタレナガースがね!」
―――この際不細工は関係ないと思うけど。。。
「ねっ!!!」
「あ、はい」
ドクは口をへの字にしてフンッ!と鼻息を荒くした。
へーっくしょい!
「ん?タレ様、風邪でも召されたのかえ?」
魔物であるタレナガースが風邪などひくはずもない。ヨーゴス・クイーンが訝し気な顔で首領のシャレコウベヅラをのぞき込んだ。
「いや。誰ぞが余を褒めておるような気がしての」
「ほほ、我ら以外の誰がタレ様を褒めるのじゃ。今日はもう毒でも飲んでお休みなされ」
クイーンにそう言われて、タレナガースは暗いアジトの奥へすごすごと姿を消した。
敵は側溝などから出現する可能性が大きいため、特別警戒にあたる警官たちには側溝を見かけたらライトを当ててよくチェックして回るよう指示されていた。
「側溝が無い道なんてあるんですかねぇ」
若い巡査が愚痴をこぼす。今どきの若者らしく長身でスリムだ。
相棒は40代のベテラン巡査部長だ。後輩の愚痴をたしなめるでもなく笑って聞いている。
「で、側溝から何が出てくるんですって?」
「よくわからんが、とにかく異常を感じたら直ちに報告せよってことだ」
おおよその情報は共有しているが、植物らしき化け物を実際に見ているのはスダッチャーとかいう謎の超人と、泥酔していて記憶が定かでない男のふたりだけだ。
実際にその化け物と遭遇したら具体的にどう対処するべきなのか、今ひとつはっきりしない。
「いい匂いがしたら要注意ってなんなんスか」
それでも今朝署を出てから、側溝を見かけたら必ず中を覗くようにしている。
きれいな側溝ばかりではなく、溜まったゴミに不審なものが混じっていないかまで確認しなければならぬ。
おかげで腰が痛い。巡査部長の方は後輩に気づかれぬよう何度も「ううん」と腰を反らせていた。
「そこまで律儀に確認しますかね?いったいどれだけの側溝があると思ってんだよ、まったく」
「まぁそう言わずに見ておこう。一度見ておけばいいわけだから」
そう言いながら側溝に懐中電灯の光を当てて蓋の奥に視線を送る。
「うわぁなんだこれ、中華そばのいい匂いがするなぁ。食いに行きてぇなぁ」
若い巡査が鼻の穴を上に向けて盛大に空気を吸い込んでいる。
「何を言ってる。この辺に中華そば屋なんてないぞ。職務に集中しなさい」
言いながら次の側溝に光を当てる。
―――おや?溝に太い木が詰まっている?
「なんだ、コレ?」
先輩の巡査部長が顔を近づけてみると材木のようだ。表面が何やらうねっているようにも見える。
首をひねりながら懐中電灯の光を当てながら側溝に沿って移動する。
「この先はどうなっているんだ?」
住宅の角を左に曲がった所でその答えは出た。
背丈が2m以上ある奇怪な植物が側溝から真っすぐ伸びてふたりの警官を出迎えた。
その茎のてっぺんには丸いボール状の頭が乗っており、鋭いキバを光らせてこちらを向いている。
ガチガチと刃物をかみ合わせる音が夜の住宅街に響いた。
かつてない命の危険が自分たちを包み込んでいることをふたりは理解した。
「ででで出たぞ!」
「危ない!先輩下がって!早くっ!」
恐怖から眼前の怪植物から視線を外せない。ふたりはよろめきながら背走した。
「当たりくじだ。すぐ本部へ連絡しろ。それとEボタンを!」
「了解」
グワッと大口を開いて茎がこちらへ大きくかしぎ、肉を食らわんとかみ合わせたキバがガチリと巡査部長の鼻先で音を立てた。
「ひえっ」
仰向けにひっくり返る。無様と言われようが知ったことではない。巡査部長は目を見開いて逆四つん這いの態勢で後ずさりした。
長い触手が何本も地を這うように伸びてきて巡査部長の足に絡みつこうとする。
左右の足を交互にピストンのように伸縮させてそれを蹴り飛ばそうともがく。
その時、若い巡査が背後から両脇を抱えて一気に引きずってくれた。
ようやく茎や触手の危険ゾーンから脱した二人は警察無線機に新しく設置されたEボタンを押した。
エマージェンシーのE。
そしてエディー&エリスのEだ。
3分後、市内をパトロール中だったエディーとエリスが現場に到着した。
ふたりの警官たちに周囲の家々の住民が外に出てこないよう見回ってくれと依頼し、エディーはあらためてその怪植物に相対した。
「こいつが。。。」
まるでB級のホラーコメディーに出てきそうな植物の化け物だ。
根から生えていて茎があるから植物だろうが、口とキバがあって獲物を喰うところは動物のようだ。
「何なのコイツ、得体が知れないわ。気をつけてエディー」
エリスもこの怪植物の生態を判じかねているようだ。
側溝から真っすぐ生えている背の高い怪植物は、まるで大蛇のように茎をうねうねとくねらせていろいろな角度からエディーを狙っている。
どこから来ようが攻撃範囲は茎の長さだろうと踏んだエディーは、敵の間合いぎりぎりの所に立つと軽やかにステップを踏みながら拳を構えた。
―――どのみちこいつは前に出てくるしかないんだよな。
案の定怪植物は大きな口を開いてキバを前面にむき出すとエディーに襲いかかってきた。
クワッ!ガチガチガチ。
高速で襲い来る怪植物の頭部は獲物を咬み損なうと知るやすぐさま違う方向へ移動し、角度を変えて攻撃を繰り返した。
しかしその都度エディーは前後左右にかわしながら左ジャブから右ストレートを頭部に叩き込む。
パン!パシッ!パパパン!
まるで生きているパンチングボールを叩いているようだ。
エディーが繰り出すパンチはコンクリートブロックくらい木っ端微塵にするほどの威力を秘めている。
だが怪植物の頭部はさしたるダメージも受けていそうにない。
固定されず自在に動いている頭部を拳で破壊するのは容易ではなさそうだ。
「これじゃ埒があかないぞ。もう少し間合いを詰めて打ち込んでみよう」
とエディーがわずかに前へ出たとき、茎から伸びた無数の触手がエディーの軸足を絡めとった。
「うわっ、しまった!」
片足をすくい上げられ、エディーは仰向けに倒れた。
真上からキバをむいた頭部が降下してくる。
残った片足を蹴りだしながら抵抗するが、こちらも触手に絡みつかれてあっけなく自由を奪われてしまった。
「くそ、こいつは厄介なことになったぞ」
スダッチャーの苦戦の原因がわかった気がした。
「なんとかしなきゃならないのはキバよりもこの触手のほうだ」
怪植物の頭部はエディーの頭上をまるでドローンのようにゆらゆらと揺れて捕らえた獲物を見下ろしている。
どう料理するか楽しげに思案しているようだ。
「植物のくせに結構悪趣味なヤツだな。だが。。。」
とどめの一撃とばかりに垂直に降下してきた怪植物の頭がスパン!と真っ二つに裂けて左右に跳んだ。
キバが身動き取れない獲物に食いつく寸前、全身を流れる渦のエナジーを両手に集めたエディーがソードを錬成し、敵を切り裂いたのだった。
頭を失った茎がドサリと地に落ち、うねっていた無数の触手もまた力を失った。
「その悪趣味が命とりになったな。おかげでソードを作る時間をもらえたぜ」
両足に絡まった触手をほどいてはずし、立ち上がったエディーにエリスが駆け寄った。
「エディー、苦戦だったわね」
「ああ。動かない植物と侮っていたよ。獲物を捕食する術にこれほど長けているとは思わなかった」
「本当に。それにとても貪欲というか好戦的なヤツだわ。こんなヤツが市内のあちらこちらに出現する前に対策をたてなくては」
その時、マシン・ヴォルティカに搭載した警察無線から非常事態を告げる声があがった。
「こちらA-11地区、例の化け物植物が現れました」
「こちらはC-8地区です。お化け植物が側溝に沿って3体並んで出現しています」
「E-9地区にも2体」
「A-5地区です。応援を要請します」
「こちらC-7地区です!」
「D-15地区に。。。」
次々と怪植物発見の報告が飛び込んでくる。どの声も切迫した状況を思わせる。
「エディー、早く!早く来てください!」
その無線を聞きながらエディーとエリスは顔を見合わせて立ち尽くした。
―――遅かった!
まだ敵の生態すら解明できていないというのに。。。
徳島市は謎の怪植物に侵略を許してしまった。
(三)敵を知れ
徳島市内に出現した怪植物は昨日の時点で118本にのぼった。
しかし集計後、新たな場所から出現している報告も寄せられており、怪植物の勢力範囲はこうしている間にも広がっていた。
場所によっては十数本が密集して生えているケースもあり、近隣の住民は依然として外出すらままならない状況が続いている。
2台のマシン・ヴォルティカを連ねてエディーとエリスは市内を巡回していた。
怪植物を見つけては片っ端から駆除するための巡回だ。
今までの対応で、怪植物は頭部を破壊、もしくは茎から切り落としてしまえばその個体は駆除できるということはわかっていた。
しかしどうしても知っておきたいことがあった。
「これだけの広範囲に繁殖しているってことは、ひとつの種。。。まぁ種みたいなものがあると仮定してだけど。。。から根が張っているとは考えにくいと思わない?」
インカムを通してエリスの声がエディーに届いた。
「確かにね。だけどそうなるとヤツらの繁殖方法っていったいどうなっているんだろう?」
「そこなのよ。それがわからなければ駆除しても駆除しても増殖するばかり。穴の開いたバケツに水を入れているようなものだわ」
繁殖を止めなければならない。この対策を練ることが喫緊の課題である。
鮎喰川沿いに走行していた時、橋のたもとに怪植物が1本屹立しているのが見えた。
「いたわよエディー。お願い」
「了解」
道路わきの畑から怪植物が1体伸びていた。
「見ろエリス、もう側溝だけをチェックしていたんじゃ追いつかなくなっている。こいつは地面を割って伸びているぞ。こいつらのテリトリーはかなり広がっているようだ」
見つけ次第駆除してゆくにしても限界がある。
この大地の下で、人間たちは密かに、だが着実にこの怪植物に侵略されている。
こうして最前線で戦うエディーたちには特にその実感があった。
「それでも立ち止まるわけにはいかないんだ」
厳しい表情のエディーはバイクを降りてエディー・ソードを錬成した。
怪植物の正面に立つとソードを脇に構えてじりじりと間合いを詰める。
探知範囲に踏み入ると同時に茎から伸びている触手がにわかにうごめき始めた。
音もなくエディーの足を絡め取ろうと伸びてくる。
だがエディーは大きくジャンプして一気に間合いを詰めるとソードを斜め上へ振り上げた。
触手が追いつかないと悟ったためか怪植物の頭部がキバをむいて飛びかかるエディーを迎え撃った。
グワッ!
ザシュッ!
確かな手ごたえと共に、一瞬早くエディー・ソードが凶悪な頭部を跳ね上げた。
茎の途中から切断されて頭部を失った途端、糸の切れたマリオネットのように茎も触手もバタバタと地面に落ちた。
だが破壊されずに茎から切り落とされた頭部はキバをガチガチ鳴らしながら釣り上げられた魚のようにビクンビクンと跳ねている。
ふたりは用心しいしい持参していた特殊ケースにそれを詰めた。
「これでよし、と。さぁエリスここからは君の出番だ。ヤツらの生態を丸裸にしちゃってくれよ」
とにかく一刻も早くヤツらの侵略を止めて反撃に転じなければ。
「そうね。これは殲滅戦よ。怪植物を跡形もなく駆除しなければいつまた芽を出すかわからないものね」
エリスは両腕で特殊ケースを抱えた。
「徹底的に調べてやるわ」
ボン!
「ひっ」
家の裏で何かが破裂したような音がした。
「お父さん、今の音は。。。?」
小学生の息子が怯えた声をあげた。
「何でしょう?」
勝手口へ向かう母親を父親が慌てて引き留めた。
「よせ!開けちゃいかん!裏にはあの植物が生えてるんだぞ」
はっとして母親も立ち止まった。
この家は三方を怪植物に囲まれていて、家族はここ3日間外出も控えている。
幸い父親の会社が在宅ワークを認めてくれ、小学校はオンラインの授業にシフトしたため、仕事や授業に大きな支障は出ていないし、必要最低限の生活物資は民間の高所作業車などを使って家の2階の窓から何とか受け渡しをしている。
だがこれでは息が詰まってしかたがない。遠からず精神的に限界を迎えることは明らかだ。
家族は居間に集まり、体を寄せ合って暮らしている。
「早く何とかしてくれ!」
父親が天を仰いだ。
新月の夜だ。
「見よクイーン。アギト草の効果は思いのほか絶大じゃ」
シャレコウベヅラの魔人が怪植物、こやつの言う「アギト草」の周りを歩きながら嬉しそうに笑った。夜風が銀色の長い獣の頭髪を揺らす。
相手が何者であろうと食らいつくのがアギト草の本能であるがゆえに、当然タレナガースにもキバを向いて襲いかかろうとしている。
だがタレナガースは本能的にヤツの攻撃範囲を認知しているのか、あと数センチというところでアギト草のキバは空を咬んでガチガチという音だけがせわしなく響いた。
「ほんに。わらわがあの球根を絶妙の場所に植えたおかげじゃ。しかしタレ様や、わらわの知っておるアギト草よりもかなりデカいような気もするのじゃが。。。?」
傍らのヨーゴス・クイーンが紫の頭髪をなでながらアギト草のおぞましい頭部を見上げている。
「倍ちかくあるぞよ」
地獄で逃亡亡者どもを食らっていたアギト草は自分の胸のあたりまでしかなかったはずだ。
だからこそ亡者どもも油断してこのアギト草を蹴散らして逃げようとし、残らず餌食にされてしまうのだった。
「ふむ。まぁ気候が適しておるというのもあろうが、何よりここには生きたエサがあるからのう。ホレ」
1羽のカラスが怪植物のアタマめがけて飛来し、一瞬でバクッと食べられてしまった。
ムシャムシャムシャ。
ゴクン。
アタマの下の茎がプクリと膨れてすぐに元の太さに戻った。
「こやつは獲物が好む臭いを発して引き寄せて食らう。あの世ではその能力を発揮することもなかったであろうが、今のカラスのように嗅覚が鈍い生き物ですら引き寄せることができるのじゃ。より臭いに敏感なハトなんぞチョロいものであろうよ。地獄で亡者なんぞ食ろうたところで身にもならぬ。じゃが餌に不自由せぬこの世界なら、これほどまでに大きく成長しても不思議はあるまい。ふぇっふぇっふぇ」
「なるほどのう。ならば人間を食らえばもっともっと大きゅう育つかもしれぬな。ひょっひょっひょ」
嬉しそうなヨーゴス・クイーンの鼻先でアギト草のキバがガチリと音を立てた。
「あぎと。。。くさ?」
いつものカフェの奥の席でヒロは身を乗り出した。
「それがあの草の化け物の名前なのかい?」
カフェオレの大ぶりなマグカップを口に運びながらドクは無言で頷いた。
「ネットにもどこにもあんな植物の記載はなかったんだけど。。。」
言いながらドクは愛用のタブレットを取り出した。
「昨日、県立古文書館に1日こもって調べていたんだけど『冥界回帰』という江戸時代の中頃に出された絵草子があって。。。」
絵草子というのは江戸時代の娯楽本の一種である。
ドクが目を止めたのは、誤ってあの世へ行ってしまった男が冥界を冒険して命からがらこの世に帰ってきたという荒唐無稽なお話である。
その話の中のある記述にドクは目を奪われた。
「全身を針で貫かれたり、炎で焼かれたり、窯ゆでにされたり、舌を引き抜かれたり、とまあ地獄の責め苦は大変らしいのだけれど」
「ああ。この間の亡者の大脱走事件の時に聞かされたやつだね」
ヒロの相槌にドクは大きく頷いた。
「で、あまりの苦痛に耐えかねて中には逃げ出す亡者も少なくない、と。この間はヨーゴス・クイーンがぶっ放した超ド級の砲弾によって地獄の天井に大穴が開いちゃったわけだけど普段はそんなことは起こり得ない。で、ご多聞に漏れず亡者も走って逃げるわけよ」
「なるほど」
「で、亡者を監視している鬼たちも当然逃亡者を捕まえようとするのだけれど、首尾よく逃げおおせた亡者を待ち構えているのが不思議な草が一面に生えた広い野原なのだそうよ」
「不思議な草。。。だって?」
ヒロが身を乗り出した。
「絵草子って、その名の通り挿絵が描かれているのよ。ホラこれ」
ドクがタブレットをヒロに手渡した。
「こ、これは!」
ヒロの両目が大きく開かれた。
「当時のB級娯楽本とはいえ、古くて貴重な資料だから貸し出しもコピーもできなかったから許可をもらって写真を撮ったの」
そこにはページ一面にたくさんの植物が描かれていた。一見ひまわりのような背の高い植物だが、大きく明るい大輪の花のかわりに、丸い頭と大きな口が描かれている。そのすべてに鋭く尖った歯があった。
紛れもなく、今徳島市内を席捲しているあの怪植物だ。
「目の前に広がる野原一面に背の高い草がゆらゆらと揺れている。一見のどかに見える風景に安堵した亡者がその野原に足を踏み入れた途端、草の実が横に裂け、鋭い歯がむき出され、哀れなる亡者どもを遠慮なく食い漁った。。。と綴られているわ」
挿絵は、鬼たちから逃げてきてその植物の群れに飛び込んだ亡者たちの体が食いちぎられているようすを描いている。天を仰いで救いを求める亡者たちの体はどれも大きく欠損していた。
あまりに凄惨な表現にヒロはゴクリとつばを飲み込んだ。
そのようすに追い討ちをかけるようにドクが話を続ける。
「その草アギト草と呼ばれ、恐ろしきことこの上なし」
ふたりはしばらく黙ったままであったが、ヒロが会話を再開させた。
「それ、おとぎ話なんだよね」
「ええ。たぶんね」
「まるで地獄に行ってようすを見てきたみたいにリアルだね」
これを読んだ時同じことを思ったドクが大きく頷いてヒロを少し上目遣いに見た。
「ひょっとするとこの作者は本当に行ってきたのかもしれないわね、地獄に。私もこのリアルな表現はただごとではない気がするの。この世とあの世の境目が何かのはずみで破れてしまうことは私たちも目撃しているわけだし」
そうだ。その事件でふたりは亡者の大群と戦う羽目になったのだから。
「とにかく名前はアギト草ってことで。名前が決まっただけでもなんだか前進した気持ちになるじゃない?」
「そうだね。しかしドク、そんな文献よく見つけたもんだ」
「えへへ」
ドクは得意げにほほ笑むとカフェオレを飲んだ。
ドク自身も時々感じるが、どうしてよいかわからぬ時、何かしら天啓を授かったかのように糸口へ導かれる時がある。勘というか鼻が利くというか、そういう能力が備わっているのかもしれない。
「報告したいことがもうひとつあるの。ヤツらの繁殖方法についてよ」
「おう、こないだのサンプルを解剖してみたんだね」
「そうよ。これを見て」
ドクはタブレットの画面を指ではじいて絵草子の次の画像を表示させた。
日付は今朝の9時25分となっている。
薄い緑色をしたバスケットボール大の頭が切り開かれて内部が露出している。
「ここよ。これ」
人差し指と中指で画面を拡大させて頭頂部の中を見せた。
「うん?」
ヒロはあるものに目を止めた。
「なんだ、卵みたいだね?」
「惜しい。植物なんだから種子、もしくは球根というべきかしら」
ドクは自身の推測も交えながら解説した。
「結論から言えば、こいつは頭のてっぺんから球根を撃ち出して繁殖してゆくんだと思うの。現にこの球根らしきものには既に口とキバらしきものが出来始めているし、こいつの頭部にはまるで銃身のような筒状の器官があるのよ。アギト草の近くに住む人たちが夜中に「ボン!」という破裂音を聞いたと証言しているわ」
「なるほど、そういうことか。で、解剖した限りでは1度に1個の球根を発射するってことかな?」
「ええ。でも今生えている百数十本のアギト草が1個ずつ子を産んだら最終的に倍になるのよ。とんでもない話だわ」
「それと問題は球根発射までのスパンとその勢い、つまり繁殖範囲だね」
スダッチャーが最初にこの怪植物と戦って1週間が経とうとしている。放っておけば2度3度と球根を撒き散らすことになるのだろう。
何にしても一刻も早く対策を立てねばならない。
「だけどそうなるとやっぱり、ヨーゴス軍団の関与はほぼ無さそうだね」
「まぁね。でもどこかでこの状況を楽しんでいるのよ。そうに決まっているわ。あの目立ちたがりで威張りたがりで不細工で気色の悪いタレナガースのヤツは」
―――なんか悪口増えてるし。
「でしょっ!!!」
「あ、はい」
ぶぅえええっくしょい!こらあ。
アジトの奥の闇から盛大なくしゃみが聞こえた。
(四)新たなる敵
エディー&エリスをはじめとする対策メンバーの活動で、怪植物アギト草の特性が次第に明らかになってきた。
だが未だに起死回生の反撃プランは無い。
こうしている間にもじりじりとアギト草の増殖は続き、いずれは徳島市内のみならず全県下への繁殖も危惧されていた。
エディーたちはパトロール中に出くわしたアギト草を1本1本切り倒す。
だがその結果、同一エリアから一歩も進めない日もあった。
片や県警では電動カッターによる地道な「草刈り作戦」が実施されようとしていた。
バッテリー駆動で長い柄の先にチップソーを取り付けた電動草刈り機を使って茎を切り倒そうというシンプルな作戦である。
茎さえ切ってしまえば、頭部は生きているものの、茎も触手も動きを止めるため少なくとも至近距離に近づかなければ襲いかかられる心配はない。
エディーたちにばかり任せてはおけないと、県警も特別作業班を結成して駆除に乗り出したというわけだ。
ただし市販されている電動草刈り機は柄の長さが通常1m50cm程度だが、この怪植物の攻撃半径が3m近くあるため、特別に5mの柄を採用し、更に触手の危険から作業者を守るため柄の途中にポリカーボネート製の透明シールドを取り付けてある。かなりの重量になるため、柄の先端付近にはキャスターが設置されている。
見た目は地味だが、今最も有効と思われる特注の対アギト草兵器だ。
これを1基ずつ装備する駆除作業班は3人1組で全10組。危険度が増す夜間は避け、日の出から日没までの間、発見次第アギト草の駆除に従事した。
「さあ、やろう」
班長の掛け声に「おう」と声を合わせたふたりは特製電動草刈り機のスイッチを入れた。
ウィィィィィン。
モーターの音とともに丸い刃が回転する。
「気をつけろ。触手の届く範囲には踏み込むな」
班長の指示に頷きながらも作業担当員は特製電動草刈り機を構えてじりじりと怪植物との距離をつめる。
チップソーが茎の到達範囲に入った時、音もなく触手が伸びてきた。
チッチチチッ!
触手の先端がノコギリの刃に触れて粉々になった。
ピクリと一瞬引いたが今度は刃を避けるように伸びてくる。
「こいつ、まるで目がついているみたいだ」
アギト草が獲物を見つける手段についてはまだ判明していない。
だが確実に獲物の在り処を把握している。
「触手に気を取られるな。狙いはあくまでも茎だ」
作業係員が力を込めて特製電動草刈り機の先端を持ち上げる。
柄が格別長いうえに防護盾を取り付けているため異様に重くてうまく狙いを定められない。
もう一人の補助員が可能な限り前に出てチップソーを茎の方へ誘導する。
無数の触手が体のすぐ近くまで伸びてきて防護盾にまとわりつく。当分悪夢に出そうな光景だ。
「ひるまず行くぞ」
補助員が作業員に声をかけて前進する。
やがて回転するチップソーがアギト草の茎に達した。
ギリギリギリィィィ!
擦れるような乾いた音がして茎に傷が付いたが切り倒すほどの傷はなかなか付けられない。
キイイイイイ。
普通の草花よりも太いとはいえ、一見すれば直径10cmほどの茎だ。それなのにまるで杉の巨木に刃を当てているような錯覚を覚える。
刃が茎に食い込んで何度も回転を止め、そのたびに悲鳴のような音に変わる。
はたして悲鳴を上げているのは茎なのか、回転するチップソーのほうなのか。
今さらながらこいつを一刀両断するエディー・ソードの威力を思い知らされる。
「くそ。諦めるな」
奮闘すること約20分。
アギト草の茎はようやく切り倒されてドサリと路上に倒れた。
切断されたアタマはそれでもガチガチとキバを鳴らしている。
その頭部にチップソーを当てて静かにさせた。
「ふう」
ようやく1体駆除できたが、3人とも肩で息をしている。
数メートル先には別の個体が数体ゆらゆらと揺れているのが見える。
息を整え、気持ちを奮い立たせて3人は次なる目標に向かっていった。
「第6班が6体目のアギト草を切り倒したそうだぞ」
第9班の班長が悔しそうにふたりの部下を見た。
「すごいですね」
「感心している場合か。俺たちはまだ4体しかやっつけていないぞ」
「がんばっている方じゃないですか?もっと少ない班もいますよ」
班長は部下のふたりとの温度差に苛立ちを隠せなかった。
自分の家の真正面にもアギト草が生えていて、家族はみんな怯えていた。
真っ先に自宅前のヤツをぶっ倒してやりたいがそうもいかない。だからこそ1体でも多くこいつらを駆除して市民を安心させてやりたいと思う。
「班長、いました。ホラ、信号の向こうに数本並んでいます」
両腕で特製電動草刈り機を抱えた警官がチップソーを取り付けた先端を目標の方に向けている。
草刈り機の操作、補助、指示は3人の持ち回りだ。
「次は俺だ」
班長が特製電動草刈り機を受け取った。
バッテリーパックは新しいものに取り換えてある。
「やってやる」
班長が小走りになり、他のふたりもそれに続いた。
その時―――
ドガン!
何かが真横から体当たりしてきた。凄い衝撃だ。
突然のことに班長は受け身も取れず路面に突っ伏して呻いた。
「班長」
「大丈夫ですか?」
ふたりの部下が駆け寄る。
「な、なにが起こった?今のはなんだ?」
軽い脳震盪を起こしたようだ。班長は頭を振りながら顔を上げた。
「うわ!」
「なんだ、こいつ!?」
ふたりの部下が身構えた。
そこに立っていたのは?
「ク、クマだ!」
徳島県山間部の生態系の高次に君臨するツキノワグマが直立して警官たちを睨みつけている。
体長3m近い巨体だ。
「さ、さがれ!離れろ!逃げるんだ!」
路上に尻もちをつきながらも班長は若いふたりの警官を逃がそうとした。
「くらえ!」
特製電動草刈り機のスイッチを入れると、重い草刈り機の先端を持ち上げてクマに向けた。
ウィィィィィン!
パシュッ!
回転するチップソーがクマの腹部に接触し、体毛とともに鮮血が。。。いや、飛び散ったのはどす黒い液体だった。
ガオオオラアアア!
痛みと怒りでクマが天に向かって咆哮する。
眼下の警官を睨む双眸は真っ赤に発光していて、大きく開かれた口元からは古代のサーベルタイガーを思わせる太く長いキバが光っている。
首の後ろから背中にかけて大きく膨れあがり、太い腕の筋肉をバックアップしているのが伺える。
体のいくつかの部分がパイプで繋がれている。恐らくエナジー循環を活発にするものなのだろう。
それだけではない。肩、肘、拳、膝、そして胸の月形のマークの部分には金属製のアーマが取り付けられており、明らかに人工的な強化改造が施されているのがわかる。
「こいつ、ただのツキノワグマじゃないぞ。モンスターだ!」
部下のひとりが拳銃を抜き、もうひとりが無線機のEボタンを押した。
「くそっ!」
まだ立ち上がれずにいる班長は死に物狂いで10kg以上ある特製電動草刈り機を抱え上げると、クマモンスターの鼻先に向けてけん制した。
「班長を援護だ」
ふたりは拳銃を構えて班長の前に立つと「立てますか!?」と声をかけた。
「俺は大丈夫だ。構わん、発砲しろ」
一撃目の体当たりで何か所かを痛めたようだが、そんなことは言っていられない。自分がしっかりしなければ部下ふたりも危ない目に遭うことになる。
パン!
パン!パン!
住宅が近くにあるが、この至近距離ならはずすことはない。
銃弾は狙い違わずクマモンスターの胸部に命中した。
グワアアアアン!
拳銃弾では野生のクマを屠ることは困難だろう。
ましてこいつは改造され増強されたモンスターだ。
「こいつ、ツキノワグマというよりはヒグマみたいだ」
ガウウガウッ!
最先端のパワードスーツを凌駕する破壊力を秘めた太い腕を振り回して警官たちに襲いかかる。
「俺に構わず早くさがれ!エディーが来るまでやられるんじゃないぞ」
クマモンスターの至近距離にいる班長が特製電動草刈り機を左右に振りながら部下に命じるが、部下の方も班長を助けようと必死だ。
バキッ!グアシャ!
クマのパンチで草刈り機の柄がへし折れて飛んだ。
バリバリバリ!
触手を阻むために取り付けたポリカーボネート製の防盾が鋭いキバで噛み砕かれた。
クマモンスターは、班長の体に覆いかぶさるように見下ろしている。
―――ここまでか。。。
班長は堅く瞼を閉じた。
ドドーーーン!
ゴワアアアア!
頭か肩か腹か。。。致命的な一撃が来る!
だが、防刃ベストの両肩を掴まれてすごい勢いで引っ張られ、班長は恐る恐る目を開いた。
自分の体はふたりの部下によって背後へと引き摺られている。
そしてクマモンスターは、なぜか仰向けにひっくり返って手足をばたつかせていた。
「なんだ?何が起こったんだ」
「来てくれたんですよ、ホラ」
十分な距離を取って部下ふたりに助け起こされながら班長は死地から抜け出せたことを悟った。
クマモンスターの前に誰か立っている。
黒いボディーに銀色のアーマをまとい、クマモンスターに向かって身構えるその後ろ姿に見覚えがあった。
「渦戦士エディー。そうか、有難う」
その声に応じて、エディーは僅かに顔を後ろへ向けた。
「よく持ち堪えてくれました」
助けても、助けられても互いに感謝の気持ちを忘れない。
正義の戦いがここにある。
「よし、俺たちは俺たちの仕事をするぞ。応援が到着したらこのエリア一帯の封鎖とエリア内の住民の安全の確保だ。それからもうすぐ日が落ちるから、蛍光塗料弾をアギト草に撃っておけ」
「了解」
警官たちが駆け出してゆく間にクマモンスターは起き上がっていた。
お前の攻撃など効かぬと言いたげだ。
「エディー。悪意の塊みたいな改造。おなじみの毒の悪臭。こいつはまちがいなくヨーゴス軍団のモンスターだわ。用心して」
異なるエリアをパトロール中だったエリスも現着した。
「ああ。邪悪なオーラを盛大に立ち昇らせていやがる」
「ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ〜。ふたりしてそのように褒めちぎられてはお尻がこそばゆいぞよ」
日中でも影は必ずある。
どんなに快晴であっても闇はどこかに生まれるものなのだ。
そのわずかな影の中から地を這うような笑い声がエディーたちの耳に届いた。
「タレナガース!」
エディーとエリスが同時にその名を、絶対に口にしたくないその名を呼んだ。
恨みと共に絶命した何かの動物のシャレコウベの顔。
その額から伸びる2本のねじくれたツノ。
上半身を覆う大きなドクロの胸当て。
双眸は決して消えない地獄の炎を宿して赤く鈍く光っている。
「待っておったぞエディー。地獄の草に食われたかと案じておったが、無事で何よりじゃ」
「この化け物オヤジ。この大変な状況でモンスターなんか登場させて。いつもいつもうっとうしいの最上級だわ。何なのよ一体!?」
エリスの罵声が浴びせられるが、タレナガースはむしろ心地よさそうにそれを聞いている。
「このような時じゃからこそ暗躍するヨーゴス軍団と知れ。幸い真新しいクマの死骸が手に入ったゆえ、いつになく強力なモンスターが完成いたした。ツキノワグマのツキちゃんじゃ。相手してやってくれい」
「何がツキちゃんだこの野郎。こっちも久々に戦えて嬉しいぜ。今日こそその悪だくみを終わらせる」
「あらら〜。久々のご対面でエディーにスイッチが入っちゃったわ。無茶しなければいいんだけれど」
エリスの心配をよそに、エディーの全身からメラメラと青い闘気が盛大に立ち昇った。
数瞬対峙する青と黒のオーラ。
次の瞬間、クマモンスターが両腕を振り上げてエディーに突進してきた。
まるでグリズリーだ。
エディーも地を蹴ってダッシュするとクマモンスターの間合いへ一気に飛び込んだ。
ぶうん!
風を斬る音とともに飛来する太く毛むくじゃらの腕を素早くかいくぐり、拳をクマの顎へ叩き込んだ。
ガキン!
鉄骨を殴ったような堅い手応えにエディーは驚いたが、クマモンスターの方も再び天を仰いで3歩よろめき片膝をついた。
グルルルルル。
怒りに燃える目がさらに赤い光を放つ。
ジャキッ!
金属的な仕掛けがはじける音がして、胸の月の輪型アーマから一列に6本の鋭いトゲが飛び出した。
サーベルタイガーを凌ぐキバ、ヒグマに勝るツメ、そして胸のトゲ。どれをとっても近接戦闘に特化したモンスターだ。
大きさから言えばエディーをすっぽり抱え込めるほどの巨体である。捕まると厄介なことになるだろう。
エディーは身を低くして拳を構えると左右に小刻みにステップを踏みながらがら無防備な顔面にワンツーを叩き込む。
ガアアア!
だがクマモンスターは意に介さず、それどころかダメージをくらった頭部を突き出してヘッドバットをくりだした。
ガツン!
互いの額が激突し、エディーは一瞬膝の力が抜けたようにふらついた。
そこへ間髪入れず左右のフックが襲い掛かる。
ガキッ!バキッ!
ただのパンチではない。鋭い鉤ツメがエディーの渦アーマを深々とえぐる。
グワアア!
さらに両腕でエディーの頭を抑え込み、大口を開けてむき出しになったキバがエディーの首筋を狙ってくる。
エディーは渾身の力を振り絞り、抑えつけた腕を払いのけると、堪らず一旦大きく後ろへ跳んだ。
「エディー、懐に入るとスピードが活かせないから力勝負になっちゃうわよ。大丈夫?」
エリスが大声で注意した。
「タレナガースの挑発に乗っちゃダメよ」
―――確かにそうだ。俺本来の戦い方に修正しなくちゃ。
クマモンスターが再びダッシュした。
敵は至近距離まで接近して戦おうということか。まるで巨岩が転がり落ちてくるような迫力だ。
太い腕で抱え込もうとするのを大きくジャンプしてかわし、空中でクマモンスターの頭頂部を力いっぱい踏んづけてクマモンスターの背後へ跳んだ。
左右の腰のあたりに強烈なパンチを連続で叩き込む。
「けっ。エリスめのアドバイスで頭を冷やしおったか。じゃがツキちゃんはものすごぉく強いぞえ。勝てるかのう?」
クマモスターはエディーの攻撃をものともしていないせいか無防備に突っ込んでくる。それがエディーにかえってプレッシャーとなってのしかかる。
再びじりりと後退するエディーの脳裏に赤信号が灯った。
シャッ!
「おっと危ない」
背後からアギト草が伸びてキバがエディーの肩アーマをかすめた。
「前からは怪力クマモンスター、周囲には地獄から来た大食い植物。。。こりゃまるで有刺鉄線デスマッチだな」
グラアア!
クマモンスターは今度は両腕をブンブン振り回しながらツメによる引き裂き攻撃に転じた。
「やっぱり前へ来るしか能がないか。それじゃアギト草とおんなじだぜ」
エディーは一計を案じた。
じりじりと後退する。再び背後でアギト草が蠢く気配がする。
クマモンスターのツメがエディー・コアに届きかけた瞬間。
パシュッ!
コアから渦エナジーが迸り、眩い閃光がクマモンスターの視力を奪った。
「今だ」
エディーは素早くクマモンスターの股の間をかいくぐると、その背中に渾身のローリングソバットを叩き込んだ。
ギャギャアアン!
悲鳴と共にクマモンスターは居並ぶアギト草の列の中へと倒れこんだ。
クマモンスターの巨体が飛び込んできてはさしものアギト草も大きく傾いだが、すぐに数本のアギト草がその巨体に絡まりついた。
「うまい。エディー、考えたわね」
エリスが歓声を上げた。
アギト草はヨーゴス軍団のモンスターではない。やつらにとっては善も悪もないのだ。
茎の攻撃圏内に入ったものは何者であっても食らいつく。。。はずなのだが?
アギト草はクマモンスターに一向に興味を示さない。
「おや、どうして?」
エディーは期待が外れて悔しがったが、一方のタレナガースは涼しい顔で笑っている。
「ふぇっふぇっふぇ。我がモンスターをアギト草に食わせて共倒れを狙ったか。よい考えであったが、残念じゃったのう」
「アギト草はなぜクマモンスターを襲わない?」
「あのふたつの怪物には何か繋がりがあるのかしら?」
エリスも不思議がったが、その答えは見つかりそうになかった。
「今日のところは初お目見えじゃで、これくらいにしておこうか。恐怖は長引かせるに限るからのう。さ、帰るぞよツキちゃん」
暮色の中、立ち上がってアギト草から離れたクマモンスターの傍らに歩み寄り、タレナガースは瘴気を吐き出してひと足早く闇夜のゾーンを作り出すと、モンスターもろともその中に姿を消した。
「アギト草に加えてヨーゴス軍団のクマモンスター。。。難儀なことだぜ」
ゆらゆらと風に漂う瘴気の残りを睨みながらエディーはこぶしを握り締めた。
(五)殲滅せよ!
アギト草騒動に加えてヨーゴス軍団のクマモンスター出現の報は徳島市民に大きな衝撃を与えた。
夜間に球根を発射して徐々に個体数を増やし、同時に領域を広げてゆくアギト草は大きな脅威だが、最強にして最凶のツキノワグマを改造強化したモンスターは恐怖をより身近なものにした。
その気になればクマモンスターはガラス戸や壁を突き破って屋内に侵入してくるかもしれない。
皆、家の中で家族同士肩を寄せ合って震えていた。まるで屋外に放り出されたかのような心細さだ。
「貴様らに逃げる場所など無いのじゃ。どこにいても、誰といても、余のクマモンスターツキちゃんが現れる。あらわれるのじゃあああ。ふぇ〜っふぇっふぇっふぇっふぇ」
月の無い夜空にタレナガースの不気味な声がこだました。
「負けないぞ」
「負けるもんですか」
テーブルをドン!と叩く音がして店内の客たちはビクッとして隅の二人を見た。
いつものカフェのいつもの席。
ヒロとドクは入店した時からようすがいつもと違っていた。
目が吊り上がっている。
大ぶりなマグカップのカフェラテがこぼれそうに揺れているのをじっと睨んでいる。
「やっぱり出てきやがった」
「やっぱりブサイクだった」
「草刈り作戦でこれから地道にアギト草を駆除しようって時に」
「やっぱり耳障りな声にうっとうしい自慢話」
「だけどここでやめるわけにはいかないぞ」
「何回見ても何十回見ても慣れないあの不気味なシャレコウベの顔」
ふたりは数分ほど腕を組んでしばらく物思いにふけった。
ヒロが顔を上げた。
「特製の電動草刈り機は増産できたのかい?」
「ええ。今日から新たに10台、明後日には更に7台。現場に投入される予定よ。長い柄はより軽くて丈夫な材質に変えてあるし、チップソーも強度を上げてあるわ」
アギト草駆除用の特製電動草刈り機の開発についてはドクもエリスとして一枚加わっている。
「クマモンスターの危険が加わったから、班の編成も増員したらしいね」
「ええ。1班3人から5人に増やすって聞いてるわ。従来の3人の他にふたりはさす又やら特殊鋼で作成した長尺の警棒を携帯して、作業中や移動中にもクマモンスターに不意を突かれないように背後や側面の警戒にあたるよう指示が出ているんだって」
「なるほどね。で、ヤツが現れたらすぐに俺たちに連絡が来るって寸法か」
「ええ。アギト草の繁殖スピードに追いつかなくちゃいけないからこれからは日没後も頑張るんだって。私たちも一層気合を入れなきゃね」
「いつまでもタレナガースをいい気にさせちゃおけないからね」
「オッケー。そうと決まれば。。。」
「マスター、あんバタートーストセットとオムレツをふたつずつね」
グアアアア!
「うわわっ!モンスターだ」
「出たぞ!気をつけろ」
河原の土手に並んだアギト草を駆除していると土手の下にどす黒い煙が沸き上がり、その中からクマモンスターが躍り出た。
周囲を警戒していたおかげで不意は突かれなかったものの、エディーも苦戦した強力モンスターの出現に駆除班は浮足立った。
「エディーに連絡だ!」
約8分後、エディーが到着した時には既にクマモンスターの姿はなかった。
駆除班の警官たちにケガはなかったものの、特殊電動草刈り機は無残に破壊されていた。
「結局午前中だけで2班襲われたか。。。」
「再開初日に特製電動草刈り機2台壊されちゃったのは痛いわね」
クマモンスターは明らかにアギト草駆除の作業を妨害するために出現している。特製電動草刈り機を破壊したらエディーが到着する前にさっさと姿を消しているのがその証しと言える。
「まるで嫌がらせだな。タレナガースらしいぜ、まったく」
だが対策は必要だ。
エリスの発案で、午後からは駆除作業を1か所に集中させることにした。
稼働できる12の班を同一エリア内に展開させることで、クマモンスター出現時のエディーの到着を早めることができる。
警官たちの安全確保はもちろんだが、虎の子の特製電動草刈り機も守らなければならない。
だがその日の午後、クマモンスターはなぜか姿を現さなかった。
こちらの手の内を読んでいるのか?
それとも他に何かあるのか。。。?
なんにせよ邪魔が入らぬうちにエディーら駆除班はフル稼働でアギト草を刈り続けた。
一番恐れているのは球根が吉野川、鮎喰川、勝浦川を越えることだが、幸い今のところ対岸でアギト草の発見報告はあがっていない。
今のうちに撲滅させなければと、みな必死だった。
その日の午後2時すぎ。
エリスは徳島市内のゴルフ場に来ていた。
アギト草の件以外に何も事件や事故が無いわけではない。
住宅地を警戒するだけでも手一杯なのだ。まして特製電動草刈り機の作業に何十人とシフトせねばならない。
こうした人の少ないエリアはどうしても手薄にならざるを得ない。
駆除班は現在も作業の真っ最中だ。クマモンスターの襲撃に備えてエディーも随行している。
あちらは彼に任せてエリスは単独でここに来ていた。
「クラブハウス周辺とかコース周辺は一度確認したって言っていたけど、一度っきりじゃ怪しいものね」
エリスは休日で無人のコースを眺めた。
「それに。。。」
『フェアウェイで悪さをするカラスがここのところめっきり現れなくなった』
聞き込みをした時のグリーンキーパーさんの話だ。
エリスはコースをはずれて林の中へ入っていった。
この奥まではたぶん誰も足を踏み入れていないだろう。
初めのうちこそ木々は手入れされ、足元にはロストボールが転がっていたりしたが、さらに進んでゆくと人の手が入っていない自然のままの林に変わっていった。
顔の前を遮る枝を手で払いながらエリスは林の奥へ奥へと進んだ。
「はぁ、お腹がすいたなあ。そういえば今日食べようと思っていた餃子、食べそこなっちゃったなぁ」
餃子の香ばしい香りがしてくる。
「気のせいだとしてもいい香りだわ。。。ハッ!」
エリスは思い出した。アギト草が獲物を招き寄せる術を。
鳥のさえずりが、虫の声が、小動物の気配が、途絶えている。
―――私のせいかしら?
いや違う。このあたりの生きとし生けるものすべてが息を殺してすくんでいる。
―――近くにいるんだわ。
エリスは身構えながら少しずつ前へ出た。
「うっ!?」
突如エリスは氷ついた。
「やはり!」
急に開けた野原。。。だった所に、アギト草が生えている。エリスの予想通りだ。
しかし!
「一体何本あるのよ?」
100、いや300本?
林立するアギト草で向こう側は見えないが、反対側の樹木の大きさから測ると、ここは恐らくテニスコートくらいの広さはあるだろう。
そこにぎっしりと隙間なくアギト草が生えているのだ。
「野生?いえ、これはまるで。。。」
「アギト草畑にようこそ」
はっとしてエリスは声の方を見た。
声の主はわかっている。
「タレナガース!」
この野原を見下ろせる太い木の枝に立つ青白いシャレコウベヅラの魔人が腕組みをしてエリスを見ている。
「畑ですって?こんな物騒なものを育ててどうするつもりなのよ」
エリスの鼻息が荒い。今にもタレナガースに駆け寄って殴りかかりそうな勢いだが、こうしている間にもアギト草の触手が彼女を絡めとろうと伸びてくる。
「ふぇっふぇっふぇ。畑と申すからには出荷するに決まっておろう」
「出荷?馬鹿な!いったいどこへ?いえ、それよりもどうやって植え替えるつもりよ。近づけばあなただって餌食になってしまうわよ」
現にタレナガースが立つ木の枝の近くにもアギト草の触手が伸びてきている。エリスもタレナガースも死地の際に立っている状態だ。
「ふぇっ。忘れたかや?アギト草が唯一襲わぬ者の存在を」
「はっ。クマモンスター!?」
そうだった。ヨーゴス軍団のクマモンスターはなぜだかアギト草が襲おうとしなかったのだ。
切り札は向こうが持っている。
エリスは歯噛みした。
「見たところ、そろそろよい塩梅に成長してきたゆえ出荷の頃合いじゃ。ツキちゃんにひと株ずつ持たせて人知れず植え替えてゆけば、ほどなく全県下でアギト草が繁殖するであろう。楽しみなことじゃ」
ふぇ〜っふぇっふぇっふぇっふぇ。
タレナガースは胸を反らせて高笑いした。
「させるものですかっ!」
エリスの言葉にタレナガースが歯をむいた。
「ふん!貴様なんぞに何ができる。止められるものなら止めてみよ。第一この場所から無事に帰れると思うておるのか?」
ここであのシャレコウベをサンドバッグにしてやりたいが、確かに戦闘力ではこちらが劣る。
場所は確認したのだ。エリスは一旦引こうと踵を返した。
「あっ!」
だが、いつの間にか背後にはあのクマモンスターが立っていた。
怒りをたたえた赤い目がじっとエリスを睨んでいる。
「しまった」
思わず後ずさりする。
だが今度は首筋にアギト草の触手の先端がかすかに触れた気がしてまた前に出た。
進退窮まった。
エリスの脳裏にいつか県立古文書館で閲覧した江戸時代の絵草子の挿絵が浮かんだ。
アギト草に絡めとられて頭からムシャムシャ食われている亡者の絵だ。
ぶるぶる。エリスは頭を振ってそのイメージを打ち消すと、改めて拳を固めてクマモンスターと対峙した。
「ふ。ツキちゃんに切り裂かれる道を選んだか。まぁそれもよかろう」
タレナガースがクイと顎を振って合図した瞬間、クマモンスターがゴオオと吠えながらエリスめがけて突進した。
―――ダメ。やっぱり勝てない!
エリスが目を閉じてた時。
「シャアアア!」
気合の声と共に緑の風が横合いから吹きつけた。
ガツン!
ゴラアア!
クマモンスターはその突風に吹かれて飛ばされ、林の中へひっくり返った。
「へへ。間に合ったね、エリスちゃん」
「スダッチャー」
猛烈な勢いで飛来した緑色の風、スダッチャーのキックはクマモンスターのこめかみをとらえて重量級の相手を跳ね飛ばした。
巨木をも一撃で砕く強烈なキックだが、それでもクマモンスターはすぐ立ち上がってくる。
「どうしてここに?もう体は大丈夫なの?」
エリスは自分を庇ってクマモンスターの前に立ちはだかる緑の超人に背後から尋ねた。
「ううん、まだ本調子じゃないなあ。だけど、この林に変な奴らがいっぱいやって来て昔から暮らしている木々がひどく迷惑しているから何とかしてくれって言われて来てみたんだよ」
「誰に言われたのよ」
「エリスちゃんたちが運んでくれた杉の木のじいさんに言われたのさ。木のネットワークってすごいんだぜ」
ゴラアアアア!
不意打ちを食らって怒り心頭のクマモンスターが再び飛びかかってきた。
「やれぃツキちゃん。そんな死にぞこないなどひと捻りじゃ!」
樹上のタレナガースが檄を飛ばす。
「おっと、エリスちゃん下がって」
スダッチャーがクマモンスターが振り下ろしたツメをかいくぐって肩に回し蹴りを叩き込む。
エリスの目にもいつものキレがないのがわかる。
ましてエリスを庇いながらの戦闘は圧倒的に不利だ。
クマモンスターがキックを受けた肩を突き出してショルダータックルを繰り出した。
ドガッ!
今度はスダッチャーがガードの態勢のまま跳ね飛ばされ、数メートル離れた巨木の幹に叩きつけられて呻いた。
苦悶の表情を浮かべながら傍らの木から枝を1本手折ると、呪文でソードに変えた。
ソフトボール大の丸い緑の球が縦に並んだ奇妙な剣。相手に叩きつけて爆裂させるスダチ・ソードだ。
「うおおおお!」
団子の串状のソードをクマモンスターの顔面めがけて振るう。
ガガーン!
だがクマモンスターは片方の掌でその爆発を軽々と遮った。
「くそ。いまいち力が入らないぜ」
それでもスダッチャーは怪力のクマモンスターを相手に果敢に戦った。
だが次第に息が上がってきた。バトルフィールドの後ろ半分をアギト草に占められていて、思うような戦い方ができないことも響いている。
クマモンスターの腕が振り下ろされて、スダッチャーのバトルスーツに何本目かの爪痕が深々と刻まれ、緑の超人はついにその場にガクリと膝を折った。
タレナガースが面白そうにはしゃいでいる。
「スダッチャーもういいわ。これ以上は無理よ」
「エリスちゃん、やっぱり今の俺じゃこのモンスターには敵わない。すまないがエディーを呼んでくれないか。あいつのバイクならここまで5分とかからない。それまでは俺が絶対踏ん張るから」
エリスは苦しそうなスダッチャーの背をやさしく撫でながら言った。
「だからもういいのよ」
「え?」
その時二人の前に歩み出た人影は。。。?
しっかりとした足取りの背中からは真紅の闘気が立ち昇っている。
赤いゴーグル・アイに同色のバトルスーツ。胸にはコアを守る堅固なゴールドのクロスマーク。
渦戦士エディー最強形態アルティメット・クロスだ。
「。。。赤いエディー。もう来たのか」
「タレナガースが現れた時にすぐエディーを呼んだのよ。このEボタンで」
エリスの腰にキーホルダーでぶら下げられているのは、警官たちも使っている「Eボタン」である。
特殊な電波でエディーに危機を知らせる。エリス自身が開発した緊急用ツールだ。
スダッチャーが言った通りエディーは4分ほどでここに到着した。
アルティメット・クロスの出現に、今の今まで余裕の高笑いをしていたタレナガースも眉をひそめた。
「スダッチャー、エリスを助けてくれて有難う。感謝する」
「本当よスダッチャー。おかげで助かったわ」
「へへ。今回は先にこっちが世話になったからな。これで貸し借りなしだ」
アルティメット・クロスはスダッチャーの傷ついた肩に優しく手を置くと立ち上がってクマモンスターに対峙した。
「今まではアギト草の駆除作業を考えてエナジー消費を抑えていたが、もう遠慮も容赦もしない。覚悟しろヨーゴス軍団」
クマモンスターがキバをむき出して突進しようと身構えた時、アルティメット・クロスは既に目の前にいた。
ズガッ!ドガッ!バシッ!
クマの顔面に強烈な連続パンチがさく裂した。
グワワワ。
クマモンスターも遮二無二腕を振り回して鋭いツメを敵に当てようとする。
しかしやみくもに繰り出される攻撃がアルティメット・クロスに通用するはずもない。
空を切るツメやキバをかいくぐってアルティメット・クロスの攻撃が次々とさく裂する。
「うわっ。アルティメット・クロス、メッチャ起こってる」
バシッ!ドン!ビシッ!
そして、スッと腰を落とすと全身に貯めたパワーを一気に解放した。
激渦烈風脚!
ぶぅん!
ドガガガガガガ!
アルティメット・クロスの体が高速で回転し、連続回し蹴りがクマモンスターの首にさく裂した。
さしものクマモンスターも動きが完全に止まっている。白目をむき、口からは泡が噴き出している。
「い、いかん。いかに自己修復型の活性毒素で構成された肉体といえども、あそこまで打ち込まれては体内の組織形成そのものが破壊されてしまう」
樹上のタレナガースもかわいいモンスターの危機に手を差し伸べたいのだが、うかうか地上に降りれば自らもアギト草の標的になってしまう。
うぬぬぬ。。。と唸りながら枝の上でじりじりとしている。
「さあ、終わらせよう」
アルティメット・クロスは回転蹴りの軸足でポンとジャンプすると、神速のローリング・ソバットをクマモンスターの胸板に叩き込んだ。
ぐしゃ!
何かが潰れる妙な音がして、クマモンスターは群生するアギト草の中へ仰向けに倒れこんだ。
ピクリとも動かぬクマモンスターを冷ややかに見降ろしていたアルティメット・クロスは、樹上のタレナガースを睨んだ。
赤いゴーグル・アイの視線は県民には優しく、悪党にはこの上なく冷たく光る。
「どうするタレナガース、クマモンスターは倒したぞ。この後ここのアギト草もすべて駆除する。降りてきて俺と一戦交えるか?それともいつものように黒い霧の中へ尻尾を撒いて逃げ込むか?」
青白いシャレコウベづらの魔人は無言で仇敵を見下ろしている。
その堅い骨の顔がかすかにグニャリと歪んで見えた。
それは悔しさの表情であったのか、それとも。。。
「エリス、ここに群生しているアギト草を一掃する。住宅地に生えている奴らは爆破も炎も渦エナジーの全開放もできなかったが、ここなら問題ないだろう。一気に決めるから。。。なに!?」
その時、たった今斃したはずのクマモンスターが幽霊のようにユラリと立ち上がった。
「え。。。やっつけたんじゃなかったの?」
「こいつ、不死身か?」
エディーもエリスもうんざりだな、という風情だ。
「いや、モンスターの生体反応は止まってる。コイツなんか変だぞ、気持ち悪りぃ」
珍しくスダッチャーがビビっている?
クマモンスターは口を半開きにして白目をむいたままユラリユラリと左右に揺れながらアルティメット・クロスに近づいてくる。
「たとえ幽霊だとしても、100回立ち上がるなら100回斃す!」
エディーがファイティングポーズをとる。
―――さぁ、キバか?ツメか?
だがその時、クマモンスターの白く濁った眼球がポロリと地に落ちた。
は?
一瞬アルティメット・クロスの視線が地面に落ちた眼球に向けられた。
シュルルル。
と、暗い眼窩からあの触手が伸びてアルティメット・クロスの首に巻きついた。
「な!?触手が?」
続いて鼻腔からも!口からも!耳の穴からも!
無数の触手がアルティメット・クロスの胴体や腕に絡みついて彼の動きを封じてしまった。
「うわっ。しまった」
「やだぁ!気持ち悪い」
エリスがスダッチャーの背後に後ずさった。
そしてクマモンスターの膨れ上がった背中のこぶがぱっくりと割れて、中からひときわ大きなアギト草が姿を現した。
「こいつ、アギト草に体を支配されているのか?」
背中から現れたアギト草はクマモンスターの頭越しにアルティメット・クロスを見下ろしている。
まるで獲物を前にして鎌首をもたげた大蛇のようだ。
「まずい。この至近距離で動きを封じられては。。。」
このようすを樹上で眺めていたタレナガースが手を叩いて喜んだ。
「ふぇっふぇっふぇ。はぁい、ツキちゃんの背中から奥の手が飛び出しましたぁ」
腕組みをし、胸を反らして笑っている。
「そのクマの背中にはアギト草の球根を埋め込んであってのう。ツキちゃんの生命反応が途絶えたらアギト草が自動的に発芽してその体を支配するという寸法じゃ。よく出来ておるじゃろう?褒めてもよいぞ」
「くっ、貴様。。。タレナガースめ!」
赤いゴーグル・アイが怒りに満ちた視線を向けた。
「わかったわ。それでアギト草はこのクマモンスターを襲わなかったのね。体内に同族が潜んでいることを察知していたんだわ」
その言葉に、タレナガースはエリスを指さして「ピンポーン」とうそぶいた。
「さぁ、タレナガース様の解説コーナーはここまでじゃ。アギト草よ。さっさとその赤い邪魔者を喰ってしまえ」
その言葉に、そびえ立つアギト草はシャッとキバをむいてアルティメット・クロスに襲いかかった。
ガブッ!
ガキィン!ギリリリ。
「ああ、アルティメット・クロス!」
「赤いエディー!」
金属と金属がぶつかり合い、こすれ合うような嫌な音がして、エリスとスダッチャーの悲鳴がそれに続いた。
触手によって抱え込まれたアルティメット・クロスの頭部にアギト草が食らいついている。
鋭いキバが堅固な赤いマスクに食い込んでひび割れが頭全体に走っている。
このままでは噛み砕かれてしまうのは時間の問題のように思われた。
「ほほう。さすがに堅いのう。じゃが、ホレホレ、アギト草は決して諦めぬぞよ。少しずつ少しずつキバが食い込んでゆく。そして最後には。。。こりゃ愉快じゃ!ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ」
アルティメット・クロスの耳に、パキ、パキキというマスクの悲鳴が届いていた。
―――負けるか。ソードで突破してやる。
アルティメット・クロスは不自由な両手に赤い渦エナジーを集中させた。
左右の掌が赤い光を帯び、それぞれの手の中に両刃の剣が錬成された。
両手を向かい合わせてこしらえるアルティメット・ソードほどの大きさはないが、刃渡り約40cm、脇差ほどのソードである。
アルティメット・クロスはそのソードの刃を体に巻きついている触手に押し当ててさらにエナジーを解放した。
2本のソードが光を強め、光は熱を帯び、じりじりと触手を焼き始めた。
ジュウウウウ。
ブツリ。。。ブツリ。。。
触手が1本、また1本と焼き切られてゆく。
そしてついにアルティメット・クロスの両腕が自由を取り戻した。
「よし。これでどうだ!」
バシュッ!
アルティメット・クロスは左右のソードを交差させるように振るって自分の頭に食らいついているアギト草の茎をスパンッと切断した。
ポーンと宙に舞ったアギト草の頭部を更に縦に切り裂く。
その瞬間、アルティメット・クロスを縛り上げているすべての触手が力を失ってダラリと地面に垂れ、ボトボトッと真半分になったアギト草の頭が落ちた。
「やったわ」
エリスが快哉を上げた。
すべての自由を取り戻したアルティメット・クロスは棒立ちになっているクマモンスターをアギト草の畑の中へ蹴り込んだ。
仰向けにドサリと倒れたモンスターの体を見下ろすアギト草たちは、一斉にその巨体に食らいついた。
体内のアギト草を失った今のクマモンスターの体は、格好の獲物以外の何物でもない。
ガツガツ。ムシャムシャ。という咀嚼音とともに肉片ひとつも残さず消滅してしまった。
ふぅ。
ふと樹上を見上げるとそこにはもうタレナガースの姿はなかった。
アルティメット・クロスは群れるアギト草を見渡した。
手前の草は今も触手をうねうねと伸ばしてアルティメット・クロスを絡めとろうとしている。
この群生するアギト草を1本残らず駆除しておかなければ、この後2倍4倍8倍と増殖してしまう。
「本来この世界には存在しないお前たちに罪はない。ただ生きようとしているだけのお前たちには申し訳ない気もするし、ヨーゴス軍団に弄ばれて気の毒な気もするが、この世界では俺たち人間とお前たちは互いに相容れない存在なんだよ」
アルティメット・クロスは2本のアルティメット・ソードを1本に融合させ、本来の大剣に戻すと大上段に振り上げて光弾を撃つ構えに入った。
「おい、赤いエディー」
ずっと地面に片膝をついたままのスダッチャーがアルティメット・クロスを手招きした。
「ヤツらを一掃するんだろ。だったら俺のソードを使ってくれないか」
「え、スダチ・ソードをかい?」
アルティメット・クロスもエリスも驚いた。元来戦士は自分の得物を他人の手に委ねたりはしないものだ。
しかしスダッチャーは本気のようだ。
「そもそもあの草に最初にやられたのはこの俺だしな。奴らには貸しがある」
「だけど俺に使えるのかなあ?」
「大丈夫さ。ちょっと手を出してくれ」
スダッチャーはそばに落ちている木の枝を拾うと己が手のひらに乗せ、その上にアルティメット・クロスの手を重ねた。
そして小さな声で呪文を唱え始めた。
「何て言ってるの?」
エリスの問いにスダッチャーは人差し指を口の前に当てて「シー」と注意した。
「『俺の友達の木の精霊にお願いします。あなたの力で小枝を剣に変えたいんです。この人はやっぱり僕の友達でいい人だからあなたの力をこの人にも貸してあげてください。俺の剣を使えるようにしてください』ってとこかな」
「説明はいいから早くしてくれよ」
アルティメット・クロスに急かされて、スダッチャーは「いけねぇ」と頭をかくと、もう一度初めから呪文を唱え始めた。
すると二人の掌に挟まれた枝はみるみる太く大きく長くなり、丸い球を団子の串状に並べたソードに変じた。
「さぁ、赤いエディー。コイツを使ってくれ」
「借りるぜ」
スダッチャーに頷いてスダチ・ソードをひと振り、ふた振りしたアルティメット・クロスは、群生するアギト草にあらためて向き直った。
ソードからスダッチャーのスダチパワーが体内に流れ込んでくるのがわかる。自らの赤い渦エナジーがソードに流れ込んでゆくのも感じる。
―――よし。
触手が自分の足に絡みつくのも構わず、アルティメット・クロスはスダチ・ソードを振りかぶると眼前の個体の頭部めがけて振り下ろした。
ズガガーーーーン!
「うおっ!?」
眼前の1本のみを攻撃したつもりだったが、爆発の破壊力は扇状に20本以上のアギト草を一気に吹き飛ばした。
「すご。。。」
エリスも、ソードを振るったアルティメット・クロス自身も、想像以上の威力に驚きを隠せない。
「へへへ。なかなかいいだろう俺のソード。赤いエディーのパワーに共鳴して破壊力も格段に上がったみたいだな」
「なるほどね。持つ者の闘気に反応する、魂を持ったソードなのね。持つたびにスダッチャーが呪文で一緒に戦おうって言っている意味がよくわかったわ」
そのままスダチ・ソードを振るうこと12回。
タレナガースが爆発的増殖を狙って密かに繁殖させていたアギト草はアルティメット・クロスとスダチ・ソードによって完全に駆除された。
そしてこのフィールドはもとの静かな野原に戻った。
戦いを終え、アルティメット・クロスはノーマルモードに戻っている。
「ごめんねエディー。私ひとりで動くべきじゃなかったわ」
「いや、君が気づかなければ取り返しのつかないことになっていただろう。お手柄だよエリス。スダッチャーもね」
エディーはスダチ・ソードをスダッチャーに返すと改めて礼を言った。
アギト草にえぐられた部分はまだ完治していない。この状態でエリスを庇って戦うのはしんどかっただろう。
思えば今回、スダッチャーはいつも誰かを庇って戦ってくれた。
「いいよ」と手をひらひら振りながら、スダッチャーは太い杉の木の中へと姿を消した。
(六)ケリをつけろ!
アルティメット・クロスがクマモンスターを倒したという報告にアギト草駆除作業班は沸き立った。
これでアギト草の茎の切除作業に専念できる。
これまでの地道な活動でアギト草の数は着実に減っている。
徳島市民も少しずつ日常を取り戻していた。
「このペースでゆけば遠からずこの事件も落着しそうだね」
「ええ。特製電動草刈り機もだいぶ増産されて、ようやく駆除数がアギト草の繁殖数を追い越したようだから、これからは加速的に数を減らしてゆけるはずよ」
最前線で駆除する作業班もかなり手際が良くなり、1本の茎を切断させる所要時間も格段に短縮されている。
エディーとエリスは自分たちめがけて伸びる触手のギリギリの距離を保ちながら長く重い草刈り機を操る警官たちの姿を頼もしげに眺めた。
「ところでエディー、体の方は大丈夫なの?」
エリスは傍らの相棒の顔をのぞき込んだ。
強敵クマモンスターを斃すのにアルティメット・クロスとしてかなりの渦エナジーを消費した。
ノーマルモードであってもその後遺症は残っていて、今もエディー・ソードによる駆除作業は休止させてもらっている。
「うん、かなり回復したよ。おそらくアルティメット・クロスに強化変身することもないだろうし、このぶんなら今日の午後にはソードを扱えると思う」
「だめだめ。油断は大敵よ。大事を取って、作業は明日からにしましょう」
渦エナジー開発者たるエリスはエディーの戦いにおける消耗度をよく理解している。彼女のこうした指示にエディーは決して逆らわない。
ギュイイイイイン。
ドサリ。
チップソーの音がやんで「駆除完了!」の声が二人の耳に届いた。
土曜日の午後。
徳島駅前はけっこうな人出で賑わっている。
昼ご飯を食べ終えた人々が、食後のスイーツや買い物にと出歩いている。
だが突然、そんな楽し気な雰囲気を凍りつかせる声が響いた。
「聞け、愚かなる人間どもよ」
決して大きな声ではない。
だが街を行く人々は皆瞬時に足を止めた。いや、動きを封じられた。
まるで背後から耳元に口を寄せて囁きかけられたような、耳の穴に直接「声」を流し込まれたような。。。そんな風に聞こえたからだ。
「え?」
「誰だ?」
「この声って。。。」
「まさか、まさか」
ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。
不気味な笑い声は上から聞こえてきた。
フリーズしていた人々は、今度は一斉に上を見た。
どこだ!?
「あそこだ!あれ!」
大きな紙袋を下げた男性が徳島駅ビルを指さした。
JR徳島駅の看板の上に人影あり。
青白いシャレコウベの顔に光る赤い目。
額から伸びるねじくれたツノ。
口元から伸びる鋭いキバ。
体の前面を覆う大きなドクロの胸当て。
風にひるがえるケモノのマント。
徳島の人々に苦痛と絶望をもたらさんと画策する秘密結社ヨーゴス軍団の首領、魔人タレナガース。
その隣で紫の体毛を風に揺らせているのは、きつく吊り上がった目に深く執拗な恨みの念を浮かべた鬼女。
タレナガースにも劣らぬ残虐な大幹部、その名もヨーゴス・クイーン。
「い、いかん!」
「皆さん、すぐ避難して!駅から離れてください」
交番の警官が飛び出してきて大声で警告した。
「くそ、人が多すぎる」
駅前を狙ってくるとは。
警官は絶望しかける気持ちを奮い立たせた。
「早く駅前から退去してください。バスは今すぐ発車させてください。早く」
駅前はパニックに陥った。
人々は蜘蛛の子を散らしたように思い思いの方向へ駆け出した。
右と左に駆け出してぶつかる人。
つまづいて転ぶ人。
しゃがみこんでしまう人。
それらを見下ろしながらヨーゴス・クイーンが指をさして大笑いしている。
「ひょっひょっひょっひょっひょ。見られよタレ様、人間どもが慌てふためいて駆け回っておる。ああ愉快愉快」
「ふぇっふぇっふぇ。おぬしはこういうのが一番好きじゃったな。ホレ、あそこを見よ。また人間が転んだぞよ」
「おお、ほんに。そしてそやつが後生大事に抱えておった買い物袋を逃げる者どもが次々と踏んでゆくわえ。踏め踏め。もっと踏め」
「ふぇっ。偉そうなツラをしておってもこうなってしまえば他人のことなんぞどうでもよい。己が助かれば隣のヤツがどうなろうが平気の平左じゃ」
警官が大声を出して指示するが、慌てる市民やスケジュールが決められている路線バスなどは即応できずにいる。
だがその時、転んだ人に複数の手が差し伸べられた。
3人の高校生が両側から腕を取って抱き起し、ひとりが買い物袋を持ち、横断歩道目指して歩き出した。
「なんじゃ、あやつら」
ああいう風景がヨーゴス軍団の残虐性を逆なでする。
タレナガースは看板の上からその一行を指さした。
「キキキ」
「ギイイイ」
どこに潜んでいたものか、数人の戦闘員が駆け出して高校生めがけて走った。
「うわっ」
高校生たちの表情が恐怖に歪んだ。
「これこれ。この顔じゃ。よいのう」
ヨーゴス・クイーンがはしゃいだその時。
ドガッ!バキッ!ズガン!
ギョエエ。
ギィエエエ。
青い閃光が飛来して瞬時に戦闘員どもを四方へ蹴散らした。
「む」
4人を庇うように立つ青い光は人の姿を形成した。
「ふぇっ、存外早かったのう」
タレナガースがキバをむいた。
黒いバトルスーツに金色の縁取りがされた銀のアーマ。
深い海を思わせる、煌めく青のゴーグル・アイ。胸には同色のコアがある。
「君たち、その方を助けてくれて有難う。後は任せてくれ、この。。。」
キッと鋭い視線を駅ビルの情報に向ける。
「渦戦士エディーに!」
もうひとり、エディーと同色のバトルスーツをまとう青く澄んだショートヘアの戦士が彼らに寄り添って駅ビルの反対側へと渡っていった。
「周辺の避難状況を見ていてくれ。頼んだぞエリス」
渦戦士の力の源、渦エナジーの開発者にして、時としてヨーゴス軍団を翻弄する作戦参謀のエリスである。
「タレ様や、またもや渦戦士どもが邪魔しにまいったわ。いかがなさるのじゃ?」
「ふん、想定内。。。というよりも余はきゃつらを待っておったのじゃ」
そう言うとタレナガースは懐から何やら取り出した。
「おや、それは」
ヨーゴス・クイーンが手元をのぞき込んだ。少々がっかりしたようすだ。
「なんじゃタレ様、アギト草の球根ではないか」
そうだ。ソフトボール大の丸い緑の球根にはパックリと開いた口があり、内側には三角形のキバがびっしりと並んでいる。
タレナガースは球根を掴んでいるツメをザクザクと球根にめり込ませた。
すると球根は己が傷つけられている怒りからか口をバクバクと開閉させてしきりに空を咬んでいる。
「おうおう怒っておるわ。見よエディー」
その球根を地上にいるエディーに突き出して見せる。
「タレナガース、今さらそんな物を持ち出しても、俺たちは駆除方法を既に確立している。怖くはないぞ」
エディーも胸を張った。自分が大きな声で怖くはないと言えば、逃げ惑う人たちも少しは落ち着きを取り戻すだろう。
「フン。わかっておるわい。じゃがこれならどうじゃ?」
タレナガースはケモノのマントからまるで手品師のように瓶をひとつ取り出した。
その中身は何やら濃い緑色のどろりとした液体だ。
「余がアギト草のために開発した劇性凶変毒素『ソダチナ・ハーレX 』じゃ」
エディーとエリスが身構えた。またぞろ何かうさんくさい薬剤をこしらえてアギト草をさらに凶悪に生まれ変わらせようというのか。
タレナガースはその劇薬を瓶ごとアギト草の球根の口の中に放り込んだ。
バリリ。
ガラスが砕ける音を確かめるや、タレナガースはその球根をエディーのいる方へポイと投げ捨てた。
ゴロンゴロンと路線バスターミナル付近に転がった球根をエディーとエリスも凝視した。
シュウウウウ。
半開きになった球根の口から緑色の煙がひと筋立ち昇るや、ビビビビと球根の表面全体に青い筋が浮かび上がった。
「これは!?」
だが球根の変貌はそれでは終わらなかった。
毒の作用か、ビクビクと細かく痙攣しながら球根は次第に大きくなってゆく。ものすごい勢いで空気を入れられたボールがグングンと大きくなるように。。。
しかし球根の表面は弾力性が無いため巨大化につれて表皮がビリビリと裂けてゆく。
ソフトボール大の球根はバスケットボール大になり、ついに球根の直径は大人の背丈を追い越した。
「どんどん大きくなってゆくわ。エディー、めちゃめちゃヤバそうよ」
「ああ。それもこれもあのうさんくさい薬剤のせいだろう?ええと、何て言ったっけ?」
「たしか。。。そう『ウサンク・サーイX』じゃなかった?」
「それだ。そのウサンク・サーイのせいで。。。」
「こりゃこりゃ、あの薬剤はそのような名前ではない。ソダ。。。」
「ああああまったく胡散臭い!」
「いや、じゃからこの毒素の名はソダ。。。」
「ウサンク・サーイXとはよく名付けたもんだ」
「悔しいけれど今回ばかりは鋭いネーミングよね」
「。。。もうよいわ。好きに呼ぶがよい。フン!」
そんなことを言っているうちに球根はとうとう直径4mになった。
そして球根の下部から表皮を突き破ってカニを思わせる赤黒い足がニョキニョキと伸びた。
全部で6本。
カニの足は球根の周囲のアスファルトの路面にガッチリと食い込むと巨体を持ち上げた。
と同時に球形であった球根が縦に長く伸び始め、従来のアギト草のような茎と頭を形成していった。
茎の周囲からはやはりあの触手がニョキニョキと伸び始めた。数十本はあるだろう。
エディーとエリスはその急速かつ劇的な変貌を呆気に取られて眺めていたが、すぐ事態の深刻さに気づいた。
「これは。。。もはや怪獣だぞ」
「あの足で移動できるってこと?それはヤバいわ」
茎の長さは恐らく5mはあるだろう。地面から頭頂部までの高さは10m近い。ビルの3〜4階に匹敵する高さだ。当然触手も等身大のアギト草の何倍も長い。
その触手がシュルシュルと伸びて、ターミナルに停車したまま放置されている無人の路線バスの車体を絡めとった。
わずか数本の触手だけで路線バスを軽々と持ち上げると大きく開かれた口に運んだ。
バリバリバリ!ガキキ!
巨大アギト草はそのままムシャムシャとバスの車体を噛み砕いて飲み込んでしまった。
「いやだ。バスを食べちゃったわ」
「なんてヤツだ」
エリスが口元を押さえた。エディーの言う通り、この暴れっぷりはモンスターというよりは怪獣と言った方があてはまる。
「ちょっとちょっと。この大きさならバスどころかビルの中にいても安心できない」
「エリス、避難誘導の範囲を広げるんだ。この駅前広場一帯を無人にしなきゃ」
「オッケー。皆さん、ここから離れてください。タクシーの運転手さんも、お店の人たちも今すぐ逃げるのよ!」
エリスが周囲を見回して叫んだ。
巨大アギト草が駅前ビルに近づく。
触手がグングン伸びてビルの入り口から中へ侵入した。
「ひゃああああ」
触手がふたたび屋外に出てきたとき、ひとりの男性が絡めとられていた。
「助けてぇぇぇ」
その時、近くにいたエリスが駆け寄って引きずり出されて持ち上げられようとする男の腰にしがみついた。
「エリス!」
「ううう絶対に放さないわよぉ」
エリスは両足を踏ん張ったが、触手の力には抗えない。ふたりとも強引に持ち上げられてしまった。
「そ、そうだ。。。もしかしたら」
エリスは男性の腰から伸びている触手へと手を移した。
そして自分の両手に意識を集中させて渦のエナジーをそこに集めた。ちょうどエディーがソードを錬成させるように。
エリスの両手が青く光り巨大アギト草の触手がその光に触れた瞬間、触手はブルルと痙攣してまるで臆病なイソギンチャクのように触手を引っ込めた。
「うわあ」「きゃあ」
絡めとられていた男とエリスの悲鳴が重なって、解放されたふたりは路上にドスンと尻もちをついた。
「あいたたた」
「大丈夫ですか?どこか痛くしました?」
エリスは自分の上に乗っかったまま首を横に振る男をゆっくり立たせると、できる限り駅前エリアから遠ざかるよう指示した。
何とか助けられてよかった。
「思った通りよ。本来のアギト草ならともかく、今のコイツの中にはタレナガースの作った劇薬が流れているから渦のエナジーを嫌うと思ったの」
安心したのも束の間、駅前ビルの3階の大窓に人の姿がある。屋内なら大丈夫だと思ったのだろう。
ところがその窓めがけて巨大アギト草の頭部が迫った。
あの質量で突っ込まれたらガラス窓など無いに等しいだろう。
巨大アギト草がキバをむいた。
「いけない!」
咄嗟にエディーが大きくジャンプして巨大アギト草の横っ面に神速のパンチを叩き込んだ。
ドゴッ!
殴られたところがベコリとへこんで巨大アギト草がグラリと大きく揺らいだ。
しかししっかりと踏ん張った足のおかげで殴りつけただけでは倒せそうもない。
だがそんなことはエディーも承知している。エディーは注意をビルの窓から自分に向けさせたのだ。
着地するや両手を青く光らせてその中央に青い光を放つ両刃の剣を錬成させた。
「切り刻んでやるぜ」
グワッと大口を開け、鋭い三角のキバを前面に押し出して正面から迫り来るさまはまるでジョーズのようだ。
エディーは軽快なステップで襲い来る巨大な頭を避けてエディー・ソードをふるった。
ザクッ!
ザシュッ!
ズバッ!
同じような攻撃を繰り返したため、巨大アギト草の頭部にはエディー・ソードによる幾筋もの切り傷がつけられた。
だが巨大アギト草は斬られることを一向に気にしていないようだ。そもそもパックリと開いた切り傷は十数秒もすれば次々に塞がってゆく。
タレナガースのソダチナ。。。いや、ウサンク・サーイXに含まれた活性毒素の効果だろう。
「やはり茎を切断しなければだめか」
しかしエディーの前には巨大な口を開いた頭部と左右に展開している無数の触手が行く手を阻んでいる。
エディーはソードを脇に構えたまま巨大な敵の隙を窺った。
「先ほどからあのエディーめが攻めあぐねておるぞよ。面白きかな」
「ふぇ。余が手をかければ、ボサーッとはえておるだけのアギト草もこのように立派なモンスターに変じるのじゃ」
「さすがじゃ。あのウサン・クサーイXとか申す劇薬は久々のヒットよのう。ネーミングもズバリじゃ。おお、エディーめは茎を狙っておるようじゃがなかなか懐に飛び込めずに往生しておるわ」
「あのなクイーンよ、あの薬物の名は。。。」
「どうじゃエディーよ、タレ様自慢のウサン・クサーイXの効き目は!大きゅうなっただけではのうて凶暴さも増しておるぞ。その辺に隠れておる人間どもなどひと口じゃ。ひょっひょっひょ。。。あれタレ様?」
大喜びのヨーゴス・クイーンとは違い、タレナガースはエディー対巨大アギト草のバトルに背を向けてどこかへ行こうとしている。
「これ、いずこへ行かれるのじゃ?ウサンク・サーイXの威力のほどをしかと見届けられよ」
手首をグイと掴んだヨーゴス・クイーンの手をパシッと振り払って、タレナガースはスタスタと建物の中へ姿を消した。
「なんじゃ。。。タレ様。。。何をふてくされておられる?」
ボソリと漏らしたタレナガースのつぶやきは誰の耳にも届いていなかった。
「ソダチナ・ハーレXじゃ」
「くそ、なかなかヤツの懐に飛び込めないぞ」
触手と自在に動く頭は万能ゴールキーパーのようにエディー・ソードの刃を茎に届かせない。
「これならどうだ」
エディーはソードを頭上に振りかぶるとエナジーを刀身に集めて一気に振り下ろした。
「タイダル・ストーム!」
青く光る刀身からもうひとつの刃が分離し、光の鎌と化して飛んだ。
青い光弾は巨大アギト草の茎めがけて飛んだが、触手が己が茎に幾重にも巻きついて光弾の直撃を防いだ。
まるで生体シールドだ。
ザクッと鈍い音がして光弾を受けた触手が切り裂かれて散った。
「よし、もう一度だ」
エディーは次弾のエナジーをソードに充填し始めたが、その間にも切り裂かれた触手は再生して茎の周囲を覆い包んだ。
「なんて奴だ。これじゃ埒が明かない」
エディーの攻撃がやんだとみるや、巨大アギト草は次なる標的を探し始めた。
ガシュッガシュッとアスファルトを砕きながらバスターミナルを移動すると停車しているバスを蹴散らしながら百貨店ビルに近づいた。
メリメリ、グァシャアアン!
障害物となった信号機が触手に絡めとられて引き倒されてしまった。
そして歩道橋も。
「何とかしなきゃ、このままじゃ街が破壊されてしまうぞ」
その時、エディーの耳に小さな音が届いた。
「?」
声だ。
女の子の泣き声。
まだ小さな子だ。
「どこだ!」
小さな子供が逃げ遅れて近くにいる。
エディーは耳を澄ませた。
エリスも気づいたらしい。危険を顧みず、周囲の物陰をのぞき込みながら巨大アギト草の近くまでやってきた。
「!」
エディーとエリスは同時に気がついた。
歩道橋の近くに停車した乗用車に人の頭が見える。
ふたりだ。お母さんも一緒なのだろう。
恐怖で外に出られなかったに違いない。車内でふたり、抱き合って息を殺していたのだろう。しかし女の子の我慢が限界に来たようだ。
巨大アギト草の進行ルート上だ。
メキメキメキ。
巨大アギト草の触手が並んで停めてある自転車を跳ね飛ばした。
ガシャガシャーン。
鋭い金属音がしてたくさんの自転車が女の子の乗る車の周囲に落下した。
「きゃああああ!怖いよお」
女の子の泣き声が一段と大きくなった。
「いかん。巨大アギト草め、女の子に気づいたぞ」
「ああ、間に合わないわ」
バスでさえあっという間に食ってしまう巨大な怪獣だ。乗用車などひとたまりもないだろう。
触手がその乗用車に伸びた。
「させるか!」
エディーは手にしているエディー・ソードを投げつけた。
ソードはクルクルと風車のように回転しながら飛び、乗用車へ伸ばされた触手をスパッと切り裂いて乗用車の手前の路面にザクッと斜めに突き刺さった。
突然己が手を斬られて一瞬ひるんだ巨大アギト草は、再びエディーに向き直った。
「そうだ。お前の相手はこの俺だぞ」
エディーは再びエディー・ソードを錬成させると巨大アギト草へその切っ先を向けた。
触手が傍らのビルに取り付けられた看板をむしり取るとエディーめがけて投げつけた。
ガラアアンガシャーン。
それは驚くべきコントロールで狙い違わずエディーのいた所に転がったが、エディーは既に猛ダッシュして巨大アギト草の間合いに飛び込んでいた。
ザシュッ!バサッ!
眼前の獲物を捕えようと触手が襲い掛かり、頭上から鋭いキバが飛来するが、エディーは神速のフットワークでそれらをかわし、かいくぐって進む。
しかし敵の方でも自分の弱点はよくわかっているとみえて、茎への一撃だけはどうしても届かない。
「あと一歩踏み込めさえすれば」
だが攻撃に決め手を欠いているのは敵も同様だ。巨大アギト草はエディーに投げつける物を求めて、先ほどの母娘が乗る乗用車に再び触手を伸ばした。
だが―――。
「そうはさせないぜ」
乗用車の前の路面に深々と突き刺さっているエディー・ソードが輝きを増して触手の進行を阻んだ。
先刻エリスが渦エナジーで触手を退けたことがヒントになっている。タレナガースの活性毒素を応用した劇薬でパワーアップした巨大アギト草にとって渦のエナジーは忌むべき光なのだ。
「そうか。本来エディーの手を離れたソードは自然に消滅するのだけれど、エディーはあの母娘を守るために戦いながらソードに力を送り続けていたのね」
だが、ならばエディーのエナジー消費量は大丈夫なのか?
「エディー。。。」
エリスの不安は増すばかりだった。
「大丈夫さ。なんてことはない」
エディーはさらに渦エナジーを体内で高速循環させると手に持ったエディー・ソードにパワーを集めてかつてない大きさのソードに練り上げた。
「エディー、無茶よ!」
エリスの悲鳴が飛ぶ。
「わかっているさ。だが、さっきみたいな短いソードじゃあの茎は斬れないんだ。一瞬、ほんの一瞬のチャンスがあれば」
エディーはチラリと乗用車を見た。車内では母親と女の子が抱き合ってこちらを見ている。
―――もうすぐそこから出してあげるからね。
ふとその前にあるソードを見た。
ソードが2本。。。はっ!
「イチかバチかやってみるか」
―――今のエナジー残量では光弾は撃てそうにないな。ならばこいつを。。。
エディーはまたもソードをふりかざして巨大アギト草の茎めがけて斬り込んだ。
阻止せんと迫る無数の触手を斬り伏せる。
触手はすぐに再生する。
斬る。
元に戻る。
そこへ頭上からキバが落ちてくる。
間一髪でかわしてまた斬りつける。
先ほどまで何度も何度も繰り返した突入戦の限界線は同じだ。
それでも今回は引かない。
斬る。
まだ斬る。
触手が、キバが、エディーひとりに襲いかかる。
「今だ!」
エディーは手にしたエディー・ソードを思い切り投げた。
ヒュン!
サッと伸ばされた触手はその勢いと切れ味の前に蹴散らされたが、肝心の茎はヒョイと曲がってその刃をかわした。
「ああ、だめだわ」
エリスが絶望した、その時。
ガキィン!ヒュン!ザシュッ!
茎にエディー・ソードが深々と突き刺さった!
ギイイイイアアアア。
巨大アギト草が茎を反らせて天に向かって吠えた。
エディーが投げたソードは巨大アギト草の茎を素通りして乗用車を守るために路上に突き刺されていたもう1本のソードに命中し、跳ね返って背後から巨大アギト草の茎を捕えたのだ。
「跳弾!」
エリスが快哉をあげた。
だが茎はまだ切り落とされてはいない。
触手はソードを抜こうともがいているが刀身から放たれる渦エナジーを嫌ってうまくゆかないようだ。
その時、破壊を免れた歩道橋に駆け上がったエディーがジャンプし、巨大アギト草の頭頂部に渾身のかかと落としを決めると、そのまま背後へ落下して茎に刺さったソードの柄を空中で掴み、そのまま自重で茎をザックリと斬り落とした。
切り口から濃緑色の体液をゴブリと溢れさせて大きな頭部がボトリと地面に落ちた。
何でも食らう大きな口が力なくパクパクと開閉している。
「よっしゃー」
万歳しながら駆け寄るエリスをエディーは片手で制した。
見ると、斬られた茎の断面が互いを求めあって細い細胞繊維を伸ばそうとしている。
恐るべき再生力だ。
「悪いな。もうこれで本当に終わりだ」
そう言うとエディーはソードを逆手に持つと巨大アギト草の頭部に鍔まで差し込んだ。
そして刺されたソードを電極に見立てて、体内の渦エナジーを大きな頭部に一気に流し込んだ。
しばらく細かく痙攣していた巨大アギト草の頭部は、やがて動かなくなり、瑞々しさを失うと、カサカサに乾燥してバラバラと崩れ落ちてしまった。
そして、いまだかつてない静寂が徳島駅前を包み込んだ。
(終章)日常の平穏
いつものカフェの奥の席。
開店と同時に入店したヒロとドクが地元紙の朝刊を広げて県内の出来事を隅から隅までチェックしている。
<アギト草注意報解除>
という記事が社会面に載っていた。
エディーが巨大アギト草を斃したあの日から4日間で、発見報告されているすべてのアギト草が駆除された。
しかしアギト草に対する警報はその後14日間、同注意報はさらに30日間継続された。
そして今日、その注意報も解除されたのだ。
その後、アギト草に関わる報告は何ひとつあがっていない。
「この騒動も何とかカタがついたね」
「ええ。徳島市は完全に日常を取り戻したってことだわ」
記事には徳島駅前一帯の復興が急ピッチで進んでいると書き添えられている。
それにしても多くの市民が外出を妨げられ、経済活動が滞り、徳島駅前をはじめとしてたくさんのインフラが破壊されてしまった。
アギト草そのものは亡者の一件で図らずもこの世界に紛れ込んでしまったものだろう。
だがそれを悪用し、安らかな眠りと共に土へ還らんとしていた動物の肉体を悪意を持って改造し、あまつさえアギト草までモンスターに変えてしまった。
その悪意の源たるヨーゴス軍団を許すことはできない。
首領タレナガースを許すことはできない。
一度は壊された日常を人々は取り戻した。
そしてもう二度と同じことはさせない。
絶対に。
モーニングセットを食べたら今日もふたりはパトロールに出発する。
ヨーゴス軍団の企みを挫くために。
そう。
彼らは渦の戦士なのだから。
<完>