渦戦士エディー

スパイダー・パニック

〜クモを操る者〜

 

<序章>予感

木がうっそうと茂る山腹に大きな洞穴がひとつある。

大人が頭上を気にせずそのまま行き来できるほどの大きな洞穴なのだが、誰もその存在を知らない。

外から見ると山の岩肌が露出しているように見えるからだ。

何か特殊な術でもってカモフラージュされているに違いない。

それでも洞穴の中には満月の灯りがかすかに届いている。

誰かいる。

こんな時間、こんな所にいる者はろくなヤツではないと断言できる。

紫の体毛が頭から首、背中にかけて覆っている。

怒りと恨みに凝り固まった顔は醜く歪み、目はひきつったように吊り上がっている。

毒虫を思わせる魔女はヨーゴス・クイーンである。

徳島に仇為すヨーゴス軍団の大幹部だ。

何をしているかと思えば、以前タレナガースがこしらえたモンスター自動製造マシンを性懲りもなくいじくりまわしているようだ。

おおよその使い方は前にオオカマキリモンスターを生み出した時に覚えた。

もっとも覚えたというよりは結果オーライであったのだが。

今回もそんな感じで起動させようとしたのだが、ブブーッという耳障りな電子音と共に「パスワードを入力してください」という文字がモニターに表示された。

「パスワード?」

「シラン」と入力したがまたもやブブーというブザーが鳴ってはじかれる。

もう一度。

ダメだ。

もう一度。

またダメだ。

「おのれ愚弄しおって!」

業を煮やしたクイーンは腹立ちまぎれにコントロールパネルに鋭い爪を立ててそのままギリギリギリと嫌な音を立ててひっかいた。

と、小指のツメが何かにひっかかった。

爪楊枝の先が辛うじて入りそうな小さな穴に小指の爪の先が偶然はいってしまったようだ。

「うん?」

クイーンは小指をグリグリとねじってみた。

ポポーン。

すると何やら軽快な音がして、今度は「パスワードを設定してください」という表示に変わったではないか。

「設定。。。ふむ」

クイーンはニヤリと笑った。

 

巨大なジョロウグモの死骸が発見された。

体長は約3m。

かつて大暴れしたオオスズメバチモンスターなどよりはかなり小型だが、それでも人を襲う可能性のある大きさだ。毒も持っている。

エリスの依頼で科警研において巨大グモの体組織を詳しく調べてもらったところ、細胞レベルで非常に不自然な改変がほどこされており、もはや自然界に存在する生物とは言い難いという結論であった。

「つまり、モンスターってことよね」

エディーたちはヨーゴス軍団の暗躍を念頭に置いてパトロールを強化することにした。

 

タレナガースは怒っていた。

モンスター製造ラインが起動しない。

パスワードが書き換えられているのだ。

「どうなっておるのじゃ!」

轟!

地鳴りの如き咆哮をあげた。

2mを優に超える長身。茶色の頭髪の下には肉のついていない青白いシャレコウベの顔がある。

額からはねじくれた一対の太いツノが伸びて、あたかも魔導書に描かれた悪魔のようだ。

迷彩色のコンバットスーツに美しい毛並みのケモノのマントを羽織っている。

邪悪なる秘密結社ヨーゴス軍団の首領にして魔界にもその名を知られた魔人である。

「おや?」

製造カウンターの数が48で止まっている。

48?

何がどうなっておるのじゃ?

見るとコントロールパネルに4本の傷が長々とつけられている。

クイーンの爪痕じゃな。あやつめ、パスワードを開けなくて癇癪を起こしたにちがいない。

じゃが、それならなぜ。。。?

うん?

傷の一本がリセットボタンに続いている。

あちゃー。

クイーンのこういう所はまさに悪魔的にツイていると言わざるを得ない。

このモンスター製造マシンをこしらえてこちら、余の思い通りに動かせるモンスターがまったく産み出されておらぬ。

それもこれもクイーンめが余計な手出しをするからじゃ。じゃがどれだけ言い聞かせても叱っても、あやつには地獄の業火に小便じゃからのう。

はぁ。。。

ため息をついたタレナガースは同時にニヤリと笑った。

クイーンの悪戯は時として思わぬ見ものになるからだ。

今回もなにやら面白き騒動の予感がする。

だがヨーゴス軍団の襲撃は計画性のない無秩序なものだと思われては余の沽券にかかわる。

やはり腹が立ってきた。

タレナガースは赤い目に炎を宿らせて、ぐるるううと唸り声をあげながらアジトを出て夜の闇に紛れた。

 

<一>始まり

昼過ぎ。県西部の田園地帯。

ひとりの農夫が運転する軽トラックが里山をぐるりと囲む周回道路を走っていた。

野良仕事の帰りであろう。腹も減っていた。

早く帰って昼飯にありつこう。

その時。

ドシャッ!

もの凄い音がして軽トラックが激しく揺れた。

驚いて外に出た農夫は腰を抜かしてその場にへたり込んだ。

軽トラックを抱え込むように巨大なクモが死んでいた。

農夫は恐る恐る上を見た。

道路を覆うように太い木の枝が張り出している。

―――あの木から落ちたのか?それにしてもこの大きさは?

ガサガサ。

里山の奥で木々が揺れて葉擦れの音がした。

農夫はビクッとしてそちらを見た。

何かいる?

はっきりとは見えないが、わかる。

こちらをじぃっと見ている。

急に怖くなった。

いつも鼻歌まじりに行き来しているこの道が、何やら全く別の、とてもおぞましい世界に続いているような気がした。

「う、うううえええあああ」

農夫は意味をなさない言葉を発しながらもと来た方へ駆け出した。

巨大なクモが乗っかっている軽トラックもそれに積んである農具もスマホも何もかもほったらかして駆けた。

そしてそれは、正解だった。

 

「いるぞ!クモだ!」

「デカいぞ、気をつけろ」

「襲ってくるかもしれん。近づきすぎるな」

樹上にいる巨大なジョロウグモを見上げながら4人の警官たちは横一列に並んで態勢を整えた。

二人は警棒を、他の二人はさす又を構えている。

飛びかかって来るか?糸を吐くのか?

隙あらばさす又で枝から叩き落してやる。

だが、近づきすぎるというのはどれくらいの距離なのか?

そいつを見誤ると大変なことになる。

足場の悪い土の斜面をそろりそろりとにじり寄って包囲網を縮めてゆく。

しかし!

ジャッ!

思わぬ方向から来た。

3mほど離れた木から黒い影が飛びかかった。

ドサッ!

「うわあああ!」

「なんだ?」

「ひいい、クモだ」

他にもいたのか。

ギリギリまで張り詰めた緊迫の中で、不意打ちを食らった警官隊は一瞬パニックに陥った。

クモに飛びかかられた警官が振り回したさす又が警棒を持つ同僚の手首を打ち据え警棒を叩き落とした。

もう一人は斜面をゴロゴロと転がり落ちてゆく。

残ったひとりに、囲んでいた樹上の巨大クモが襲いかかった。

「うわあああ、助てくれ!こいつをどけてくれ、早く!」

手首を負傷した警官が痛む右手で拳銃を抜き、左手に持ち替えて構えた。

はずせば同僚を傷つける可能性もある。

ギリギリまで銃口を近づけて引き金にかけた人差し指に力を加えた。

「待ってください!」

その時、風のように駆けつけた誰かの声が発砲を寸前で押しとどめた。

思わず振り返った彼の目が青い超人を捉えた。

「エディーぃぃぃ」

その声には深い安堵の思いが込められていた。

てぃや!

気合と共に鋭い蹴りを繰り出して、警官たちに覆いかぶさっている巨大グモを続けざまに吹っ飛ばした。

巨大グモたちは口からどす黒い液体を吐き出して樹木に激突して動かなくなった。

「よし」

手ごたえを感じたエディーは仰向けに倒れて動かない巨大グモたちを用心深く見降ろした。

「倒したか。個別には大して強敵とは言えないが。。。」

エディーは森の奥を眺めて呟いた。

「一体何体いるんだ?」

 

<二>クモ使いの魔人

里山の斜面を駆け下りてきた風がタレナガースのケモノの頭髪を揺らした。

「うん?」

その風に微かな違和感を覚えたタレナガースは、背後の里山を振り仰いだ。

「この風の手触り。。。もしかしてあやつが来ておるのか?」

タレナガースは里山の林の中へ姿を消した。

「タレナガースではないか」

杉の巨木がしゃがれた声を発した。

タレナガースは声がした巨木を睨みつけながらその周囲を回り込んだ。

その木の奥の、さらに太い巨木の枝にまるで大きく広げられた投網の如き見事な蜘蛛の巣が張られており、その中央にひとりのみすぼらしい老人が目を閉じて逆さにひっかかっていた。

黒ずんで所々ほころびた布をまとって肩から膝のあたりまでを覆っている。靴は履いていない。

蜘蛛の巣に捕らえられた獲物なのか。。。いや、それにしては何やら心地よさそうな表情だ。

「久しいのう、黒陰居士よ」

帰省して参加した同窓会でかわすあいさつのようだが、そのような生易しい間柄でもあるまい。

「相変わらず蜘蛛の巣で昼寝かや。じじぃ、結構なご身分じゃのう」

「フン、何がじじぃじゃ。わしはおぬしよりふたつ年上なだけではないか」

タレナガースよりも。。。年上?

「それにしてもわしがここにおるとようわかったのう」

「風が匂ったのよ。200年も風呂に入らぬ人間の体臭など滅多に嗅げぬからのう。で、じじぃは何しに徳島へ来た?」

ここで黒陰居士と呼ばれたみすぼらしくも臭いじじぃは初めて片方の目を開けた。

「けっ、知れたこと。おぬし、えらく出来損ないのモンスターをこしらえたようじゃのう。しかもよりにもよってクモのモンスターを」

開いた片方の目にゆらりと怒りの色が湧いたのをタレナガースは見逃さなかった。

「早耳じゃのう」

「わしの眷属は世界中いたるところに潜んでおるでのう。いろんな話を逐一聞かせてくれるのよ」

そう言う黒陰居士の耳の中からモゾモゾと1匹の小さなクモがはい出した。

「律儀さなどわしの耳垢ほども無いタレナガースがわざわざ来客を出迎えるはずもあるまい。さっさと要件を言え」

タレナガースはしばらく樹上の老人を睨みあげていたが、意を決したようにキバの間から声を絞り出した。

「力を貸せ」

黒陰居士は開けていた方の目を再び閉じると「フン」と鼻息を吐いた。

「あの出来損ないのクモモンスターどもを何とかせよとの仰せか」

黒陰居士は右の脇腹をボリボリと掻いた。

「面倒くさいのう。じゃがまぁ長いつき合いじゃによって少し手伝って進ぜよう。そのかわりに何をよこす?」

どうやら親切心などでは動かぬ御仁のようだ。

「余の戦闘員30体でどうじゃ」

「けっ、100体よこせ」

「50体!」

「80体じゃ」

「52体!」

「帰れ!」

「わかったわかった。ならば80体じゃ」

 

タレナガースは黒陰居士をアジトへ連れ帰った。

黒陰居士は原木を粗く削った杖をついている。

「今戻った」

その声に応じて、奥の暗闇からひきつった毒バチのごとき顔がぬぅと現れた。

タレナガースの片腕、大幹部ヨーゴス・クイーンだ。

首領の背後にいる黒陰居士を見とがめると、その顔に残忍な笑みが浮かび上がった。

「人ではないか。さっそく大釜に湯を沸かそうぞ」

舌なめずりしてアジト奥の道具置き場へ向かおうとするヨーゴス・クイーンをタレナガースが慌てて制止した。

「これこれ、この御仁は余の客じゃ。食うてはならぬ」

「なに客とな?この汚いじじぃがかえ?」

ヨーゴス・クイーンはあらためて黒陰居士の全身に無遠慮な視線を送って値踏みした。

黒陰居士の方はやはり両目を閉じて薄笑いを浮かべている。この世の魔界とも言うべきヨーゴス軍団のアジトにて、しかもあわや大鍋で料理されようかという状況で、なんとまあ豪胆なことか。

「まぁこれでは食らうところもなさそうじゃ。。。」

「これなるは黒陰居士と申して、余の昔馴染みじゃ」

「インコじじぃ?変わった名じゃ」

「黒陰居士じゃ。こく、いん、こじ。よいか?クイーンが不用意に放ったクモのモンスターどもの始末をつけてくれることになった」

「始末じゃと?フン、偉そうに。この腐れじじぃに出来るのかや?」

「この御仁、黒陰居士は、クモを自在にあやつる術を会得しておるのじゃ」

「いかにも。我が名黒陰の黒も陰も、クモに通ずる意味を持つ文字なのじゃ。まぁ見ておれ、蜂のねぇちゃんよ」

両目を閉じたままの黒陰居士は、そう言うとひぃやっ、ひぃやっ、ひぃやっと枯れた笑い声をあげた。

 

「あのような小さきジョロウグモから40体以上ものモンスターをこしらえるから大きさも戦闘力も中途半端なヤツが生まれたのじゃ。馬鹿者めが」

タレナガースは「ぐぅ」と唸ると傍らのヨーゴス・クイーンを睨みつけた。もっとも当のヨーゴス・クイーンは涼しい顔をしているが。

「見たところ既に何体かは滅ぼされ、残りは36体。これよりそのすべてを呼び集めてひとつとする」

黒陰居士は手にした杖を空に突き上げて円を描くように振り始めた。

待つこと約5分。

最初の大きなクモモンスターが里山の林の中から姿を現し、その後次々と大きなクモが黒陰居士のもとへ集まってきた。

やがて黒陰居士が「オン・ウィユ・アスラ・タァァァ!」と天に向かって叫ぶや、クモモンスターたちの上に濃い紫色の雲が湧き、黒い雪が降り始めた。

その黒い雪はクモモンスターたちの大きな体に染みこんでゆく。

するとどういうわけか、あるじたる黒陰居士の周りに集まった大きなクモたちは一斉に共食いを始めたではないか。

間近にいる同族めがけて襲い掛かり食らいつく。

黒と黄色の長い足の模様が入り乱れ、辺り構わず黒い体液がしぶきを上げた。

「な、何が起こっておるのじゃ?」

さすがのヨーゴス・クイーンも眼前の凄惨な殺し合いに驚きを隠せない。

「こやつらをひとつの完成されたモンスターにするのよ」

「しかし、じゃからというて食い合いをさせずとも」

「フン、何十体もの出来損ないをひとつの完成形にするには、全部をバラバラにしてひとつに組み上げるしかあるまいよ。わしがやっても良いのじゃが、手間と時間がかかりすぎるからのう。こやつら自身にやらせるのじゃ。ほぉれ、見てみよ」

1体を食らえば、また他の1体と死闘を始める。

クモモンスターのトーナメント戦だ。

しかも、ひとつ勝つごとに生き残ったクモモンスターの体は大きくなってゆくではないか。

ひと回り、ふた回りと巨大化してゆく。

生き残ったより強いクモモンスターは同じく大きくなった新しい相手に襲いかかる。

そしてついに。。。

凄惨な共食いが始まって約1時間。

そこには体長10mを超える1匹の巨大なクモモンスターが誕生していた。

黒光りする逞しい体からは剛毛が生えている。

脚は黒と黄色のまだら模様が浮かんでいる。

顔の正面に並んだ4つの丸い目があるじの黒陰居士を見つめている。

「うむ。美しい。これぞまことのジョロウグモであるな」

目を閉じたままだが黒陰居士は巨大ジョロウグモモンスターを愛おしそうに撫でた。

「これじゃ。余が作りたかったのは、まさにこのようなモンスターであったのじゃ」

タレナガースも満悦至極といった風情である。

「思いのほか良き子が生まれたものじゃ。よし、そなたに名を与える」

あるじの言葉がわかるのか、クモモンスターは長い脚を折り曲げると黒陰居士の前で額づいた。

黒陰居士がクモモンスターの頭部に杖をかざしたその時、タレナガースが慌てて声を上げた。

「名前なら余が、余がつけてしんぜよう」

「ならぬ!」

黒陰居士が手に持った杖をタレナガースの顔前に突き出して制止した。

「おぬしのネーミングセンスの悪さは魔界中の知るところじゃ。引っ込んどれ」

「う、ぐぅ」

そう言うと黒陰居士は気を取り直して再びこうべを垂れたクモモンスターの頭上に杖を置いた。

「汝の名は八郎丸とせよ」

それらを少し離れたところで見ていたヨーゴス・クイーンが「かっこいい」とため息を漏らした。

 

<三>初戦

「クモです!クモのモンスターが現れました!」

緊急通報に即応して渦戦士たちは出動した。

「クモのモンスターって言っていたわね。まだ残っていたのかしら」

「ああ。タレナガースのヤツめ。一体どれだけの巨大グモを放ったんだ?」

「まぁいいわ。数が多い分、今回のモンスターは脆いみたいだから、チャチャッとやっつけちゃって」

「オッケー!」

 

ブロロロロロロ。

騒然とした現場にエディーとエリスが駆る2台の高機動スーパーバイクが到着した。

避難する人たちを避けて前へ出る。

巨大なクモのモンスターが12階建てのビジネスビルの最上部に取りついていた。

「あいつか。。。」

「あいつね。。。」

ふたりは白いベールを被ったビル群の頂上に陣取るそのモンスターを見上げた。

ビルの周囲はかなり荒らされている。

車は車道歩道を問わず転がっていてまるでひっくり返された亀みたいだし、窓ガラスはあちこち割れて破片が散乱している。

交差点の信号機はポールがぐにゃりと曲がって溶けた飴のようだ。

巨人族の幼子が町中で無邪気に遊んだらこんなふうになるのかもしれない。

「この辺をさんざん這い回って車ひっくり返したり事務所の中に頭突っ込んだり。で、警官隊に包囲されてようやくあそこに登って動きを止めたんです。まぁ、何にも解決しちゃいないんですけど。。。はぁ」

エディーを出迎えた担当警官の説明はため息で終わった。

クモが君臨するビルとその周囲には白いクモの巣がまるで綿あめのように張り巡らされている。

幸い地上に近い階にまでクモの糸は届いておらず壁面が露出しているため正面や裏の出入り口から人々が走り出て来る。

警官たちが赤い誘導棒を振って避難を促している。

「デカいね。。。」

エリスはエディーの言葉に無言で頷いた。

つい先日まで県内のあちこちに出没していたクモのモンスターは巨大とはいえ体長3mほどであった。

が、今あそこにいるヤツは。。。

「10mくらいあるね」

「ええ。この前のオオカマキリモンスターよりまだ大きいわ」

黒く長い脚には黄色い縞模様がはいっている。種で言えばジョロウグモだろう。

「やれやれまた虫か。。。もううんざりだよ」

「私もよ。虫じゃないけどクモは大の苦手。そんな訳で、私はあんまり近づきたくないからあとはよろしく」

エリスに背を押されたエディーは大きなため息をひとつつくと「はいはい」と気乗りのしない返事をした。

しかし、本当にしっかり退治せねばならないことは言われなくてもわかっている。

「ところでエディー、今度こそ例の新兵器を使ってみない?」

エリスがエディーの腰のパウチを指さして言った。

「あ、そうだ。ナックル・コアか。今までのクモはパンチやキックの2〜3発で倒せたから出番がなかったからね。確かにあいつなら使い甲斐がありそうだ」

エディーはパウチから取り出したアイテムを右手に装着しながらビルの上のバカでかいクモを見上げた。

手の甲に青い六角形のコアが取り付けられている。エリスが新しく開発したものだ。

使い方は頭に入っている。

「ぶっつけ本番だけど、私を信じて使ってみて」

「言うまでもないさ」

クモの巣をかけられたビル群にはもう誰もいないと報告が入った。

「よし」

エディーは無人のビル内へ駆け込んだ。

 

4階の窓からは既に巨大クモモンスターの太い足が見えていた。

「クモや虫のモンスターなら、やはり頭を叩くしかないだろう。屋上へ出よう」

さらに階段を駆け上がろうとした時。

階段の上方から何かが飛びかかってきた。

咄嗟に3階の踊り場へ飛び降りたエディーの眼前に数人の異様な人影が立ちはだかった。

金属製の仮面には丸い目が4つ真横に並んでいて、口のあたりには鋭いナイフの切っ先のような鋏角が左右に開いている。

不気味だが、迷彩色の戦闘服には覚えがある。

「ヨーゴス軍団の戦闘員か。しかし、その姿はいったい?」

エディーの目をひいたものは腕だ。左右に3本ずつ、足まで加えると合わせて8本もある。

肩から1本、脇腹に2本伸びている。

肩から伸びた腕には人間同様の五指があり、指の付け根のナックルパートから地獄の責め具のような三角錐のトゲが4本伸びている。

「全部で8本。。。なるほど、クモ軍団というわけか」

全部で6人。エディーは全員の動きを気で捉えて構えた。

―――よし、どいつがどう動いても即応できる。

切れ味のよい包丁の如き鋏角と拳の鋭いトゲが奴らの得物らしい。

敵は4階の踊り場に殺到したが、狭い階段では大勢いても動きがとれまい。

キィィィ!

一番前にいた戦闘員が眼下のエディーめがけてジャンプし、少し遅れて2体目が続いた。

トゲを突き出し、キバをむき出して降って来る。

エディーはわずかに腰を落として階段の2段目に左足をかけると、勢いをつけて右の拳を突き出した。

シュッ!

バァン!

空気を引き裂く音と何かが破裂したような音があがり、固く握ったエディーの拳から迸った青い光が戦闘員2体の体を突き抜けて背後へ抜けた。

縦一列になって飛来した2体の戦闘員がまるで動画の逆回転を見ているように後方へそのまま吹っ飛んだ。

その2体は踊り場の仲間たちの頭上を飛び越えてさらに後方へ飛ばされ、廊下の壁に激突して真下へ落ちた。

シュウウウウ。

青い光が入った鳩尾と飛び出した背中からひと筋の煙が立ち、倒れた戦闘員はピクリともしなかった。

「ひゅうう。ナックル・コアの威力、すごいぜエリス」

エディーは青く煌めく手の甲のコアを眺めて呟いた。

手の甲に装着されたナックル用エディー・コアはエディーの闘気に反応して渦のエナジーを実体化させるものだ。

戦闘において、エディーがエディー・ソードを錬成する際に両の掌に渦エナジーを集中させるのを何度も見ていたエリスが、ソードよりももっと素早く渦エナジーを武器転用する方法はないかと研究を重ねて開発したものである。

エリスの想定では拳の前面に渦エナジーをバリア状に展開させてエディーの拳を守ると同時に反発力でパンチの威力を倍増させるというものであった。

だが今の効果を見ると、エディーの気合いとパンチの威力に応じて渦エナジーが拳から前へ撃ち出され、破壊力は倍増どころか数倍にアップしている。

「これは楽しくなってきたぜ」

エディーは上階に残っている4体の戦闘員たちをジロリと見上げて不敵に笑った。

 

5階、6階と駆け上がった時。

「なかなかやるもんじゃ」

建物の内部に突然しゃがれた声が響いた。

エディーは驚いて足を止めた。

「タレナガースから聞いておる。お前さんがエディーか」

あたりを窺うが、近くに誰かがいる気配はない。

館内放送のスピーカーから流れているわけでもない。

「誰だ!?どこにいる!?」

エディーは7階へ向かう階段の途中で身構えた。

上か?下か?それともこの階にいるのか?

ひぃやっひぃやっひぃや。

乾いた笑い声が聞こえた。

―――なんだ?周囲のあらゆるところから聞こえてくる。まるでビルが話しているようだ。

そこでエディーははっと気づいた。

「まさか。いや、そんなことはあり得ない」

ひぃやっひぃやっひぃや。

「ようやく気づいたか。その通り、わしはこのクモじゃよ」

エディーは愕然とした。

モンスターが人語を話している?

少し癖のあるしゃべり方だが、しかしこれほど流ちょうな人語を操ったモンスターはいない。

―――ただごとではない。。。

「くそ!」

エディーはふたたび階段を駆け上がった。

屋上に出てクモの頭を潰す。

一刻も早くケリをつけたいと強く思った。

 

ひぃやっひぃやっひぃや。

「驚いておるぞ。彼奴の戸惑う心が手に取るようにわかる。渦の戦士とやら、まだまだ未熟なり」

ヨーゴス軍団の薄暗いアジトの中で黒陰居士は目を閉じたまま口の端を歪めて笑った。

「誠に面白き術よのう。アジトにおりながら八郎丸の耳目を操り言葉を届けることができるとは。余もやってみたいものじゃ」

傍らにいるタレナガースもヨーゴス・クイーンも、黒陰居士から送られてくる情報を間接的に共有することができる。

まるでゴーグルもヘッドセットもいらない3DVRシステムだ。

これにはさすがの自信家タレナガースも瞠目させられたようである。

「よいとも。いずれタレナガースも八郎丸の目と直接繋いでやる。その場におるくらい鮮明じゃぞ」

「まことか!?楽しみなことじゃ」

喜色満面のタレナガースを押しのけて今度はヨーゴス・クイーンが前へしゃしゃり出た。

「わらわも、わらわもやってくれぃ」

「だめじゃ」

だがヨーゴス・クイーンにだけはそっけない答えだ。

「なぜじゃ。えこひいきはいかんのじゃぞ」

「お前、頭悪いじゃろう。頭の悪い奴が繋がると八郎丸の動きが鈍くなる」

ストレートに言い放たれ、ヨーゴス・クイーンは目を剝いた。

「な!な!」

全身の紫の体毛がみるみる逆立ち、毒バチの目が不気味に光った。

「なんでわらわの秘密を知っておる!?」

―――そんなもの、皆が知っておるわ。

タレナガースが鼻で笑った。

火を噴かんばかりのヨーゴス・クイーンの眼前に杖を突き出した黒陰居士は「始まるぞ、黙ってみていろ」と低い声で言った。

みすぼらしい年寄りながら、こういう時のこの男の声は、なぜか逆らいがたいものを含んでいた。

黒陰居士は再び意識を巨大ジョロウグモの八郎丸に戻し、タレナガースも、怒り心頭に発していたヨーゴス・クイーンも黒陰居士から送られてくる映像に集中し始めた。

 

バァン!

屋上に出る金属製の重いドアを勢いよく開け放つとエディーが飛び出してきた。

そのエディーを巨大グモモンスターの丸い4つの目が迎えた。

横一列に並んだ車のタイヤほどもある目だ。

「来たかエディーよ」

確かにクモモンスターが話している。

「貴様、何者だ?ただのモンスターではないな。ヨーゴス軍団の、タレナガースがこしらえたモンスターなのか?なぜ言葉を操ることができるんだ?」

「モンスターなどと味気の無い呼び方をするな。こやつは八郎丸と申す。ちなみにヨーゴス軍団のモンスターではあるが、タレナガースがこしらえたモンスターではない。八郎丸は儂がこしらえた」

そう言うと八郎丸の目の上、頭頂部に近い辺りからボォと何かが浮かび上がった。

原木を粗削りした節だらけの杖をついた老人の姿だ。

投影されたものだろうが、その姿はそこに実在しているかのようにはっきりとしている。

フケが浮いた灰色の長い髪。赤黒い顔は日焼けか?酒焼けか?それともあかぎれか?

ほころびだらけの薄汚れた布をまとって真っすぐに立っている。

ただ、にんまりと笑いながらその両目は閉ざされていた。

「黒陰居士と申す。これなる八郎丸は儂に操られておる。お前さんのことはタレナガースより聞いておるよ」

「フン、だったら聞いているよな。ヨーゴス軍団は俺には勝てないってことも」

ひぃやっひぃやっひぃや。

黒陰居士はわずかに肩を上下させて笑った。

「まぁそう粋がるな。99回勝ったとて100回目も勝てるとは限らぬよ。ホレ、まずはこやつらと戦ってみよ」

黒陰居士が手にした杖をヒョイと横に振った。

すると、周囲に異様な気配が湧いた。

ひとつやふたつではない。沢山だ。

何かがビルにかけられたクモの巣を伝って上がって来る。

エディーは前後左右どちらへでも即応できる構えを取った。

やがて屋上に現れたのは先ほどのクモ戦闘員であった。

30体はいそうだ。

「ははは、何が来るのかと思えばさっきの戦闘員じゃないか。お前、こいつらが俺に一撃で倒されたのを見ていたんじゃないのか?」

「四の五の言わずに戦ってみよ。ヨーゴス軍団の戦闘員に儂が手を加えたクモ型改造戦闘員じゃ。少しは楽しめること請け合いじゃよ」

そう言うと黒陰居士の姿は八郎丸の頭部に吸い込まれるように消えた。

同時に屋上の手すりを越えてエディーの周囲をぐるりと取り囲んだクモ型戦闘員たちが一斉に大きく反り返った。

メリメリと肉が千切れる音がして戦闘員どもの腕や足が伸びる。

その伸びた長い腕や足で仰向けに反り返った体を支えてブリッジの態勢をとった。

皆、人間大のクモのようだ。腹を上にして、顎の先が空を向いている。

最後にその首がボキボキゴキゴキと音を立ててグルリと180度回転し、正しい顔の向きになった。

いったいどのような骨格の構造になっているのか?

「なるほど、それが本来の姿ってわけか。いいぜ、かかって来いよ」

エディーが拳を固めて構えるや、クモ型戦闘員たちが一斉に動いた。

カサカサカサカサ。

ギィィィィ。

黒陰居士が操っているためか、でたらめに動いているようで実は統制がとれている。

上から見るとエディーを中心にクモ型戦闘員は大きく円を描くように取り囲んで同じ方向へ動いている。

「まるでクモの渦に巻き込まれたみたいだな」

突然、渦の中から1体のクモ型戦闘員がエディーの左斜め後方から飛びかかってきた。

ギィヤッ!

その瞬間首がグィと伸びてさらに鎌のように鋭い鋏角を突き出している。

しかしエディーは構わず突き出された敵の額のど真ん中に拳を叩き込んだ。

手の甲のナックル・コアが輝いて、打撃と共に渦エナジーを射出する。

放たれた青い破壊のエナジーは戦闘員の前頭部から入り全身を貫いてお尻から突き抜けた。

やられたクモ型戦闘員はべちゃッと力なく体を落として動かなくなった。

続けてエディーの背後から。

ひと呼吸おいて左右から。

そして正面から。

クモ型戦闘員があらゆる方向からランダムに次々と飛びかかって来る。

ズパァン!

ドガッ!

バチィン!

ガガッ!

しかしエディーも、飛びかかって来る敵の方向と角度によって巧みにパンチやキックを使い分けて迎撃する。

正面の敵に正拳を、大きくジャンプして上からくる敵にハイキックを、背後の敵には体を回転させて裏拳を、同時に襲いかかってきたら空中での二段蹴りを、流れるような動きで叩き込んだ。

黒陰居士が操っているだけあっていずれもエディーの死角を突いた見事な連携攻撃だが、端から視覚よりも気配で相手の動きを捉えているエディーは落ち着いて応戦している。

だが打ち倒される直前クモ型戦闘員のツメが、鋏角が、わずかにエディーのアーマに届いていた。

「ひぃやっひぃやっひぃや。エディーが纏う鎧はまことに堅固じゃ。じゃが堅固ゆえに気づかぬこともある。既にじわじわと効果が出始めておるぞ」

「ええい!激渦烈風脚!」

大気を切り裂くような回転連続蹴りが三方から飛びかかって来るクモ型戦闘員を瞬時に叩き落とした。

げぇぇぇ。

エディーの周囲には体を破壊されたクモ型戦闘員の死骸が山積みになってゆく。

「さあ、どんどんかかって来い。片っ端からスクラップにしてやるぜ」

だがこの時エディーは自分の動きにわずかな違和感を感じていた。

自分が思うタイミングと実際の動きにほんの少しだがズレが生じている。

―――おかしいぞ。攻撃のスピードが落ちている。疲れが出たのか?ナックル・コアを使いすぎた副反応か?

キキィ!

その時エディーを取り囲むクモ型戦闘員たちが渦巻きの回転を止めた。

全員がエディーを取り囲んだまま、じっと4つの目で見つめている。

「?」

戦法を変えるつもりか?

エディーを取り囲む円の中の1体が大きくジャンプした。

ツメをたてるでもなくキバをむくでもなく、空中で8本の足を大きく広げて円盤のようにエディーの頭上へ落ちて来る。

エディーは拳を突き上げて落下してきたクモ型戦闘員の胸の真ん中にナックル・コア・パンチを打ち込んだ。

ボム!

体の中心部に打撃と共に渦エナジーをぶち込まれ、クモ型戦闘員は声もなく爆散した。

「くっ」

会心の一撃を放ったにもかかわらず、エディーは不覚にも片膝をついた。

「なんだ、うまくバランスを取れない?」

そして初めて気がついた。

「煙?」

アーマの何カ所かに細いひっかき傷がつけられており、そこから細い白煙があがっているではないか。

今まで倒したクモ型戦闘員がエディーに一矢報いんと残した爪痕か。

「クモの毒か。どうせこれも黒陰居士が厄介な毒にアレンジしたんだろう」

「その通りじゃ、ようやくわかったようじゃのう。傷は大したことなかろうが、その毒液はお前さんの鎧にまとわりついて長く苦しめるぞ。ご用心ご用心」

いつの間にか黒陰居士が再び八郎丸の頭頂に姿を現している。

それにしてもその閉じた両目で何を見ているのか?

黒陰居士の人差し指がひょいと小さな円を描いた。

途端、残りの全クモ型戦闘員が一斉に体を沈めるや大きくジャンプした。

さきほどのクモ型戦闘員と同様、空中ですべての脚を広げてのしかかるようにエディーの上へ落ちて来る。

「なんだ!?」

初めの何体かはよろけながらもパンチやキックで応じたが、エディーの体はみるみる後続の十数体のクモ型戦闘員たちに押し倒されてしまった。

「わわ、コラ。どけよ。こんなのバトルじゃない。遊んでいるのか。ふざけるな!」

クモ型戦闘員たちは本当にただ圧し掛かってくるだけで、まったく攻撃してこない。

たくさんの腕でエディーをただ押さえつけているだけだ。

黒陰居士の姿は再び八郎丸の中へと消えている。そしてその巨大な目に赤い攻撃色が浮き上がっていることにエディーは気づいていない。

―――くそ、重くて動きがとれない。

エディーの顔の上にも乗っかかっているので視界も遮られてしまった。

そう考えた時、エディーはハッと気づいた。

毒と戦闘員で動きも視界も封じられたとなれば。。。

デカいクモが来る!

予想通り、ビルの屋上で身を伏せていた八郎丸がその巨体を持ち上げた。

八郎丸の眼前にはエディーの上に覆いかぶさっているクモ型戦闘員の山がある。

ギリギリリ。

「そのまま押さえておれよ」

八郎丸はそう言うと右の前脚を持ち上げて、槍のように尖ったその先端を無造作にクモ型戦闘員の山にぶっ刺した。

ザシュッ!

ギイイイイエェ。

肉を幾重にも貫く嫌な音がして体を刺し貫かれたクモ型戦闘員が断末魔を上げて脚をヒクヒクと痙攣させている。

これは、味方の戦闘員もろともエディーの体を鋭利な前足のツメで刺してやろうという戦法か?

彼らヨーゴス軍団の上層部にとってはエディーさえ倒すことが出来れば下位の戦闘員などいくら失っても知ったことではないのだろう。

太くて鋭いこのツメなら、もしかしたら戦闘員やエディーの体を貫いて屋上のコンクリートにまで食い込んでいるやもしれぬ。

 

「ふぇっふぇっふぇっふぇ!やったぞ黒陰居士。見事にエディーめを仕留めたのう」

「見事じゃ、見事じゃ」

黒陰居士の目を通して戦いのようすを見ていたタレナガースとヨーゴス・クイーンは歓声を上げた。

「いや、まだじゃ」

だがひとり黒陰居士だけは厳しい表情を崩してはいなかった。

「それ、畳みかけるのじゃ八郎丸」

 

顔の前面に4つ並んだ丸い目の赤い光が輝きを増すと、クモ型戦闘員たちを串刺しにした大きな前脚がパリパリとショートしたような火花を散らした。

ボゥ!

その瞬間、折り重なって死んでいるクモ型戦闘員たちの体から炎があがった。

赤ではない。青い炎だ。

爪の先から流れ出た毒液が八郎丸からの放電を受けて発火したのだろう。

「おおおおお。戦闘員どもが燃えておる。もったいないのう」

「たわけ。くれてやった戦闘員などどうでもよいわ。それよりもエディーじゃ。あれだけの戦闘員どもに圧し掛かられて超高熱の炎に蒸し焼きにされたとあれば、あやつとて助かるまいよ」

宿敵の死を予感してタレナガースは喜びに打ち震えている。

一番上に覆いかぶさっていたクモ型戦闘員の体が炭化してボロボロと崩れ落ちた。

「ひぃやっひぃやっひぃやっ。これでエディーも炭になったじゃろう。。。むむむ?」

黒陰居士の笑顔が曇った。

幾重にも折り重なっているクモ型戦闘員の死体の下からかすかに青い光が洩れている。

まるでタケノコの皮をむくように次々と炭化して崩れ落ちるクモ型戦闘員の一番下に、仰向けのエディーがいた。

八郎丸の凶悪なツメはエディーの胸の前に展開された青い光の盾に阻まれていた。

ナックル・コアから発せられた渦の青いエナジーが、コアと同じ六角形の光の盾を形成していたのだ。

八郎丸はツメをそろそろと下げるとじりりと後ずさりした。

「むむむ、これはさきほどから戦闘員どもを毬のように弾き飛ばしておった光と同じものか。実際に触れてみると思いのほか堅固なうえに気色の悪い力よ」

エディーはゆっくりと体を起こすと光のバリアを消滅させて両腕を体の前へ真っすぐ突き出して左右の掌を向かい合わせた。

シュウウウウウウ。

掌の間に小さな光の球が現れると、それはみるみる長く伸びて1本の両刃の剣を形づくった。

「エディー・ソード」

岩をも断ち斬る光の剣だ。

八郎丸が左右の前足を振り上げて襲い来た。

先の尖ったクモの足がせわしなく動く。まるで宙に浮いているような滑らかな動きだ。

ジャッジャッ!

高速で餅をつく杵のように左右のツメがエディーを襲う。

キン。

ガキン。

ギギン。

まだクモ型戦闘員たちの毒の影響は残っているが、自分の胴体ほどもある大きなツルハシのようなツメをソードで弾きながらエディーはじっとタイミングを待った。

自分では無作為に攻撃しているようで、実はどうしても一定のパターンやリズムが出来てしまう。それは人もクモも似たり寄ったりだ。

そして―――

エディーの予測通り左側のツメが振り下ろされた後、右側のツメが大きく振り上げられた。

本体がガラ空きだ!

エディーは思い切って八郎丸の頭の下へ飛び込むとエディー・ソードを横真一文字に振るった。

足の1本も失えばクモの機動力はガクンと落ちるはずだ。

ガシッ!

ソードの刃が八郎丸の左の足を捉えた、が。

刃は太い足に浅い傷をひと筋残しただけだ。エディーの思惑ははずれてしまった。

八郎丸の巨体の下で、それでもエディーは足への斬撃をやめなかった。

ザン!

ズム!

やはり必殺のエディー・ソードは八郎丸の足を切り裂くことができない。

「堅い。太い筋肉組織がガッチリとスクラムを組んでいるって感じだ」

斬れないわけではない。エディーは刃が弾かれた時の感触からある程度の手ごたえは感じていた。

「だがどうすれば。。。」

その時、クモの口から細いノズルが突き出されて、黄色い液体がシャワーのように降り注いだ。

「うお!?」

避ける間もなく液体を全身に浴びたエディーは全身が黄色に染まった。

ジョオオオウウウ。

炭酸飲料を盛大にグラスに注いだ時のような音が体中からした。

「くうう、これは。。。戦闘員が使った毒液か」

エディーの足がふらついた。

浴びた黄色い液体は強力な毒性物質だ。しかもクモ型戦闘員たちが使ったものよりも格段に毒性が強いに違いない。

ヨーゴス軍団の毒液は基本的に渦のアーマを透過できない。

従ってこの液体もエディー自身の肉体に苦痛を与えるものではなかったが、何かがおかしい。

まるで三半規管をやられたように体が左右にブレる。

手足が言うことを聞かぬ。

「ええい、負けるか!」

幸い視界はしっかりしている。

八郎丸の攻撃は見えている。

大きく鋭い三角錐のツメが飛来するのをソードの刀身で受けた。。。つもりだった。

ドグァッ!

鈍い音がして八郎丸のツメがエディーの鳩尾に食い込んだ。

「ぐうぅ」

うめき声を残してエディーの体は吹っ飛ばされ、屋上の手すりを越えて八郎丸が張ったクモの巣に引っかかった。

 

「ああっ」

地上でずっとビルの屋上を見上げていたエリスの目が、飛び出してきたエディーの姿を捉えた。

張り巡らされたクモの巣が幸いして落下を免れている。

「エディー!大丈夫?しっかりぃ」

思いのほか苦戦している相棒の姿にエリスは驚いた。

「戦況が見える所へ行かなきゃ」

しばし思案したエリスはエディーたちが戦っているビルと接している隣のビルへ走った。

 

「くそ、体が思うように動かない」

粘着性の強いクモの巣のおかげでビルからの転落は免れたが、身動きが取れない。

薄いクモの巣は地上30m以上の高さに張られている。いくらエディーでも飛び降りる気にはなれない。

今のエディーはクモの巣に捕らえられた獲物だ。

毒でふらつかされ、巣に絡めとられ、鋭いツメの攻撃を受けようとしている。

「くそ。いいとこ無しだ。しっかりしろ俺」

エディーは苛ついた。

八郎丸は勝利を確信したのか、獲物を食らうジョロウグモの如く左右の前脚を振り上げてゆっくりと近づいてくる。

先端の鋭いツメのみならず、脚には釣り針の如き鉤爪がびっしりと並んで生えている。抱え込んだ獲物を逃がさぬためのものだろう。

エディー・ソードは吹っ飛ばされた時屋上に落としてしまった。

どうする!?

―――そうだ。さっきはナックル・コアの渦エナジーがバリアのようにヤツの突き刺す攻撃を防いでくれた。

ならば。。。

八郎丸が無慈悲にツメを繰り出した。

シュッ。

ガキッ!

ガキッ!

エディーはナックル・コアの渦エナジーを再び放出して光のバリヤーで左右の前腕部を覆い、クロスさせて咄嗟にそのツメを止めた。

やはり八郎丸の打撃は渦エナジーを突破できない。

それでも八郎丸は執拗に攻撃を続ける。

その攻撃が単調になった瞬間、エディーは突き出されたツメを両腕で抱え込んだ。

驚いた八郎丸は体を引くと、エディーを振り払おうと遮二無二前脚を振った。その力を利用して、エディーは粘りつく巣から離脱し、まんまとビルの屋上に飛び移った。

危機は脱したが、戦況は依然として不利だ。

体が揺れるせいか視界がフラフラしていて狙いが定まらない。

エディーは片膝をついた。

八郎丸はじっと獲物を見据えて食らいつくタイミングをはかっている。

「もう一度気配で戦おう」

さっきクモ型戦闘員に囲まれた時は気配をたよりに戦ったではないか。

エディーは揺れる視界を捨てて半眼になると敵の気配を探った。

―――いる。

大きくて異様な気配ゆえにそれはすぐに掴めた。

輪郭があいまいで形がはっきりとしないのは毒の作用であろう。

まるで水中を揺蕩う半透明のクラゲのような気配だ。

数匹のクラゲが重なったり分裂したりしているイメージ。。。しかしはっきりとそこにいる。

イメージの大きなクラゲが接近してきた。

8本の足を巧みに動かしてホバークラフトのように移動する。

急接近する大きなクラゲのイメージを心眼で凝視していたエディーは背筋に氷柱を押し付けられたような恐怖を感じた。

それはエディーの体を真上から見下ろした八郎丸が先端の尖ったくい打ち機のごとく左右の爪を振り下ろそうとする直前であった。

刹那、エディーの右手がパパッ!と煌めき、突き上げられたエディー・ソードが八郎丸のノドを切り裂いた。

先刻不覚にも手放してしまったエディー・ソードは、実はエディーの体の下にあった。

エディーの手を離れて渦エナジーの供給が途切れていたため少々小ぶりな剣になっていたが、その切れ味は衰えてはいない。

げえええええ!

それは八郎丸の悲鳴だったのか、それともあの黒陰居士の。。。?

飛び散った八郎丸の体液が屋上に溜まりを作る。

黒い体液と黄色い毒液が入り混じって不気味この上ない色になっている。

八郎丸は一瞬ガクッとよろめいたが、すぐ体勢を立て直すと8本の脚でピョーンと大きくジャンプして近隣のビルへ飛び移ると、それを繰り返して逃走した。

「ま、待て」

エディーは立ち上がって後を追おうとしたが足がふらついて走ることはおろか歩くこともおぼつかない。

バシャリとしぶきを上げて八郎丸の体液の溜まりの中でよろめいた。

「エディー、大丈夫ぅ?」

その時、隣のビルの最上階の窓からエリスの声がした。体を乗り出して手を振っている。

ついさっき。

八郎丸が襲い掛かる寸前、稼働していたエレベーターで最上階に到着したエリスは眼前で繰り広げられている状況を即座に分析し、考え得る最良の答えを導きだしたのだった。

「斬る瞬間、ナックル・コアの残存エナジーをすべてソードに注ぎ込んで斬撃の力をアップさせるのよ!」

すべてが数秒の間の出来事だった。

そして彼女のアドバイスを受けたエディーは乾坤一擲の一撃を繰り出して、八郎丸から辛うじて勝利をもぎ取った。

 

<四>再戦

ふたりがいつものカフェに姿を現したのはサービスランチの時間を過ぎた頃だった。

「ああ、お腹すいた」

ドクは奥のテーブルに勢いよくお尻を落とすと同時にメニューを開いた。

ヒロのほうはゆっくりと椅子を引いて「はぁ」というため息と共に腰を下ろした。

「疲れたぁ」

ヒロはそのままテーブルに両腕を置いて顔をうずめた。

昨日。

ビルの屋上に巣を張って下界を睥睨していた大グモのモンスター八郎丸の毒液を全身に浴びたエディーは、自慢の高速攻撃はおろかまっすぐ歩くことさえままならぬありさまだった。

ヒロは大丈夫だと言い張ったが、ドクは念のため朝一番でヒロを知り合いの病院へ引っ張ってゆき精密検査を受けさせたのだった。

それがすべて終わったのがついさっき。

もし今緊急の呼び出しがあっても、朝食、昼食抜きでは役に立たない。

「検査、けっこう時間かかったもんね。けど何も異常が認められなくてよかったわ」

「異常なんてあるわけないさ。渦のアーマはあいつらの毒を完全シャットアウトするからね。いくらフラフラしていても変身を解除したら問題なんてないんだよ。それよりあの毒、分析したんだろう?何かわかったことはあるかい?」

ヒロが言うようにドクはエディーの体から採取した毒のサンプルを徹夜で分析していた。

「クモの毒。おそらく神経毒のたぐいに違いないわ。それをその、黒陰居士だっけ?そいつがとんでもなく複雑怪奇な強毒に改悪したってことね」

ドクはメニューから目を離さぬまましゃべっている。

「神経毒?」

ヒロも空いている隣のテーブルからメニューを手に取って見始めた。

「そう。本来の神経毒は神経細胞に作用して体のしびれや痙攣、呼吸困難を引き起こす。精神的にもダメージを与えることがあって、やられた相手は混乱状態に陥ることがあるのよ。私たち渦戦士のアーマは一見して渦エナジーが堅く固まって出来ているように思うかもしれないけれど、実のところは目に見えない流れがあってエナジーは常に対流しているの。あの神経毒は渦エナジーの流れを乱してアーマの動きを狂わせるのよ」

「なるほどね。俺の意識は渦のエナジーを介して常にアーマやソードと連動している。だからこそ自在に操れるしその速さでは誰にも引けをとらないんだ。ところがあの毒は直接俺自身の体に作用するんじゃなくて俺と渦のエナジーとのつながりを狂わせたってわけか」

ヒロはメニューから顔をあげて悔し気な視線を宙に泳がせた。

「それにしてもあの大グモ、でかい図体の割に身軽だったなあ。ピョンピョン跳んであっという間に逃げやがった」

「今回はたまたまバトルフィールドがビルの屋上だったから敵もあの身軽さを活かせきれていなかったんじゃないかしら」

注文するものが決まったのか、ドクはメニューをパタンと閉じてヒロを正面から見据えた。

「強敵よ、ヒロ。タレナガースと同じか、ひょっとするともっと恐ろしい。。。」

黒陰居士のことはドクに伝えてある。

だがヒロが知っていることはほんのわずかだ。まだまだ謎が多い。

―――次はもっとタフな戦いになる。。。

 

「ほほう、これはこれは」

黒陰居士は八郎丸のノドの傷口を手でなぞりながら感嘆の声を上げた。

巨大なクモのモンスターは転んで作った傷を母親に見せて甘える子供のように黒い巨体をクネクネと振った。

アジトに戻ってかれこれ30分。

エディー・ソードで切り裂かれたノドの深手は次第に塞がってゆく。

「これがタレナガースご自慢の活性毒素による復元能力かい。確かに便利なものよ」

「ふぇっふぇっふぇ。元のモンスターがこの活性毒素をベースに造られておるゆえ、八郎丸にもそのご利益があるというわけじゃ」

「なるほどなあ。これなら負けるはずもなかろうよ」

「じゃが気をつけよ。深手を受ければ完治には長い時間を要する。ましてや致命傷を受ければさすがにアウトじゃ。この傷とて危うかったではないか。あの時エディーめの斬撃がクリーンヒットしておったら八郎丸はアタマを落とされておったであろうに。あやつの足がふらついておったゆえ命拾いしたのじゃ」

「ひぃやひぃや。儂の調合したクモ毒によってエディーめは気の流れを乱されておったからの。思うように体が動かなかったはずじゃよ」

「つまりは余の活性毒素と。。。」

「儂の毒のコラボの勝利というわけよ」

ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。

ひぃやっひぃやっひぃやっひぃや。

「何が勝利じゃ。やられかけておったではないか」

ヨーゴス・クイーンが横合いから割り込んだ。

せっかくいい気分で会話していたところに水を差されたタレナガースは、ヨーゴス・クイーンをじろりと睨むと「わかっとるわい」と捨て台詞を吐くと黒陰居士を引き連れて森の奥へと姿を消した。

人の手がまったく入っていない鬱蒼とした木々の只中でふたりはふと足を止めた。

黒陰居士は傍らの木の太い幹をカサカサと這いあがると首を後方に180度回してタレナガースを見下ろした。

それを見ていたタレナガースは「人間のくせにけったいなヤツじゃ」と苦笑いした。

人間を心底嫌うこの魔人が唯一対等に付き合っている人間がこの黒陰居士だが、どう見ても人間とは思えない動きである。

「あの時、エディーの手に剣があったのは気づいておった。だがヤツの剣では八郎丸の堅固な肉体は斬り裂けぬはずじゃった」

黒陰居士の閉じた瞼の奥で目玉がグリグリとせわしなく動いているのがわかる。

「エディーめ。最後の最後で剣に予想外の力を注ぎこみおった。それで瞬間的に剣の切れ味が飛躍的にあがったのじゃ。ああ忌々しい」

黒陰居士の首が今度はグリンと360度回転した。

「八郎丸の傷が完全に塞がるまであと2時間ほどか。。。」

「で、傷が塞がったらなんとする?」

「考えるのさ」

「何をじゃ?」

「戦い方をさ。こちらには毒と鋭い槍ツメと鋏角があるが、あの青い剣はいかん。どうも接近戦では分が悪そうじゃ」

「我らヨーゴス軍団にとって彼奴等の青き光は天敵じゃからのう」

黒陰居士の言葉にタレナガースも大きく頷いている。渦のエナジーによる青い光には何度煮え湯を飲まされたかわからぬ。

つまりはタレナガースの活性毒素は致命傷さえ負わねば放っておいても傷が塞がり何度でも復活するが、一方で渦戦士たちの渦エナジーには太刀打ちできぬということだ。

「タレナガースにはあらかじめエディーの話を聞かされていたが、あれほどとは思わなんだ」

やせ細ったか弱い老人にしか見えぬ黒陰居士の目がくわっと開かれた。その双眸に赤い炎がボォと浮かんだ。

「どうしてくれようかのう」

 

朝6時40分。

そろそろ朝日が顔を出す時間か。

山から切り出した木材を満載した1台のトレーラーが国道を走っている。

このまま高速道路のインターチェンジを経由し、京阪神方面へと向かう。

朝一番でトレーラーを発進させた運転手の熊やんは十八番の鼻歌を歌いながらハンドルを握っていた。

「大阪まで休憩込みで2時間半。積荷を降ろしてサービスエリアで遅い朝メシ食って仮眠して、帰ってきたら昼過ぎにはあがって一杯やれるな」

そんなことを考えながら走り慣れたルートを順調に進んでいった。

だが。。。

ズガァン!

「うぅわっ!なんだ?」

もの凄い衝撃と共に巨大なトレーラーが突然止まってしまった。

「じ、事故?」

トレーラーは何かに乗り上げたみたいに斜め上を向いている。

落石にでも乗り上げたか?

今日一日のスケジュールが狂ってしまう。。。

熊やんは恐る恐る窓から外を見て言葉を失った。

「ク、クモの巣?」

道路の左右の建物から張り巡らされた白いベールのようなクモの巣が全長12mのトレーラーを絡めとっている。

「な、なんでこんな所にこんなデカいクモの巣が?」

あたりを見渡しても通行人はいない。誰かの悪戯にしては大がかりすぎる気がした。

幸い積荷の木材は崩れていない。

周囲に被害を与えているわけじゃなさそうなので少し安心した。

運転席は走ってきた勢いでクモの巣に絡まりながら斜め上を向いてしまっているが、よく見るとトレーラーの最後部は路面に接している。運転席を出て落ちないように注意しながら荷台を伝ってゆけば路上に降りられそうだ。

熊やんはドアを開けると足元を確かめながらそろりそろりと後部へ、下へと移動していった。

斜めに傾いているとはいえこのトレーラーは長年の相棒だ。どこを掴んでどこに足を置けばよいかは百も承知の助だ。

ところが!?

ギ、ギギギィ、ギギ。

どこから湧いて出たか、クモみたいに腕がたくさんはえた妙な人間があちらこちらから大勢現れて、クモの巣を伝って熊やんに迫って来るではないか。

熊やんは知る由もないが、先日エディーと一戦交えた黒陰居士が操るクモ型戦闘員だ。

「う、うわ。何だお前ら?何の用だ?何する気だ!?」

聞いたところで答える相手ではない。

それに、自分を助けようとしてくれている風には見えない。どう見てもその逆だ。

四方から迫りくる連中の不気味さに恐れをなした熊やんは路上へ下りるのをやめてまた元の運転席へ戻るとドアを勢いよく閉めてロックした。

こういう連中には覚えがある。前にニュースで見たことがある。

「こいつらあのヨーゴス軍団って奴らだろう。きっとひどい目に遭わされるぞ」

ギギギギ。

ギィギリギリギリ。

ギギギガギギ。

クモ型戦闘員たちはトレーラーの周囲に取りついて這い回っている。

フロントガラスにも取りついて中の熊やんをシャーシャーと威嚇してくる。

熊やんは助けを呼ぼうと思い立ち、震える手でスマホを取り出した。

トゥルルルル。

「はい、消防署です。火事ですか?救急ですか?」

―――アチャー。警察を呼ぼうとして消防署にかけちまった。

「す、すみません。押し間違いましたぁぁ」

こんな時でも熊やんは礼儀正しい。

ガクン!

トレーラーが更に傾いた。

クモ型戦闘員たちが動き回るせいでバランスを崩しかけている。

熊やんは「ひぃぃぃ」と悲鳴を上げた。

切羽詰まったその声に何か異変を感じたのか、オペレーターは質問を重ねた。

「何かお困りですか?お怪我をしていませんか?体調がすぐれないのですか?」

「よ、呼んでくださぁい〜」

もう誰でもいいから助けてくれぇ。

「呼ぶ?誰をですか?」

「ええええ、エディィィィー」

 

「道の真ん中にこんなモノ張りやがって。迷惑千万だ!」

エディーはブツブツ文句を言いながら道いっぱいに張り巡らされたクモの巣をソードで切り落とした。

いや強い粘度を持つクモの糸は容易には切れない。正確にはソードから放たれる渦のエナジーで焼き切ったと言うべきだろう。

トレーラーに巻きついていた最後のクモの糸を焼き切ると、解き放たれたトレーラーはレスキュー隊によってあらかじめ繋がれていたクレーンでそっと地面に降ろされた。

目を凝らすとトレーラーの周囲の路面には焦げたような黒ずみがいくつも付いているのがわかる。エディーに瞬殺されたクモ型戦闘員どもが倒れていた痕だ。

到着したエディーの姿を認めるや、トレーラーに取りついていたクモ型戦闘員どもは次々と襲いかかってきた。

しかしナックル・コアでパワーアップしたエディーの拳の前に全員瞬殺されて路上に転がり、黒ずんだ痕だけを残して蒸発してしまったのだ。

レスキュー隊によって運転手の熊やんも無事救出された。

「さぁ出て来いよ八郎丸。黒陰居士。ここまで露骨に悪さしておいて隠れている手はないだろう」

「ほいよ」

エディーの呼びかけに応えて平たいコンビニの屋上にぬぅと姿を現したのは見覚えのあるバカでかいクモだ。その頭部から不敵な笑みを浮かべたじいさんが立ち上がっている。相変わらず汚いボロ布を体に纏って目を閉じている。

―――黒陰居士。

エディーは腰を落としてソードを下段に構えた。ナックル・コアからも潤沢な渦エナジーがソードに流れ込んでいる。

「さぁかかって来い」

「ヤなこった」

そう言うと八郎丸はクルリとお尻を向けると、腹のあたりからブシュゥと勢いよく糸を噴き出した。

ひと筋の糸は空中で投網のように広がるとエディーの真上から落ちて来る。

乗用車くらいならすっぽりと包み込むほどの大きな網だ。

「おっと」

うかうかしていると粘度の高いあの網に捕らえらてまた身動きが取れなくなってしまう。

ブシュゥ。

ブシュゥ。

八郎丸は立て続けに糸の網を噴き出してくる。

幾重にも重なるように展開し落下してくるクモの巣によってエディーの視界はかなり遮られている。

その時エディーの脳内にアラームが鳴り響いた。

ヤバい気配だ。。。

頭上を覆うクモの巣の向こうから八郎丸が来る!

エディーは反射的に後方へ大きく飛びすさった。

ズゥゥゥン。

案の定糸の網を飛び越えて真っ黒い巨体が今の今までエディーがいた所に落下してきた。

前脚の先端の鋭いツメが路面に突き刺さる。

抉られた路面が黒く変色している。クモの毒がツメの先から出ているのだろう。

渦のアーマの滑らかな動きをも妨げる恐るべき毒だ。

だが、モンスターの体がタレナガースお得意の活性毒素で構成されている以上、ソードやナックル・コアなど渦のエナジーを介した攻撃は有効のはずだ。

五分と五分。

「油断せず、恐れもせず、戦えばいいってことだ」

一旦後退したエディーは、態勢を低くして足に力を込めると、そのバネを活かして八郎丸に飛びかかった。

「てぇぇぇい!」

気合と共にナックル・コアを巻いた右のこぶしを八郎丸の右前脚に叩き込んだ。

ゴギッ。

生木をへし折ったような音がして八郎丸の剛毛に包まれた黒い脚が中ほどからくの字に曲がった。

エディーは更に高く跳ぶと水平に四つ並んだ紫色の目のひとつに手刀を撃ちこんだ。

ギィィィエエエエ。

エディーの速攻に抗しきれず、今度は八郎丸が大きく宙に跳んだ。

「うおっ!?」

大型バスほどもある巨体が一気に10m近くジャンプした。

改めて間近で見ると信じられない光景だ。エディーも呆気に取られてその姿を目で追った。

まるでUFOだ。

やはり接近戦では不利とみたか、八郎丸は急にピョンピョンと跳ねながら周囲の建物の影に回って身を隠した。

「隠れたって、攻撃する時は姿を見せなきゃならないだろう」

エディーは八郎丸の真意を計りかねた。まさか今の一撃でもう逃げに回ったわけでもあるまい。

すると。

ブシュウ。

ブシュウ。

建物の向こうで微かな噴出音がして先刻のクモの糸がビルの屋上を越えて飛来した。

しかも同じ位置からではなく、異なったビルの向こう側から次々とクモの糸で出来た投網が飛来する。

「目標を定めず闇雲に撃ってくる戦法か。それじゃあ当たらないぜ」

エディーは上を見ながら軽快なステップで落下するクモの網をかわした。

恐らく八郎丸はエディーが立つ道路に面した建物の裏側の壁面を高速で移動しながら「長距離攻撃」を繰り返しているのだ。

―――それにしても正確だな?

放たれたクモの糸はどれも正確にエディーの真上で網上に展開し頭上に落ちてくる。

エディーの位置を確認しないでこんな攻撃が可能なのだろうか?

その時、ビルとビルのわずかな隙間から八郎丸がエディーを狙っていることにエディーは気づいていなかった。

ビュビュッ。

暗く細い建物の間から黄色い液体が一直線に勢いよく噴出してエディーを直撃した。

ビシャッ。

うわっ!?

側頭部に黄色い毒液を浴びてしまった。体の右半分が黄色く染まる。

この攻撃があった!

「くそ、上に気を取られすぎていると真横からこれか」

注意しなければと思っていたのに、またしてもこの毒液を浴びてしまった。

それにしても八郎丸はどこからエディーの動きを見ているのだろう?

見ていないとしたらどうやって位置や状況を把握しているのだろう?レーダーか何かがついているのだろうか?

それともエディー自身の動きに何かのヒントがあるのだろうか?

「いや、少なくともヤツの攻撃が来るまで俺は動いていない」

ここで初めてエディーは自分の周囲に気を巡らせた。

「む?」

たちまちいくつかの負の気配を察知した。

クモ型戦闘員だ。

エディーを取り囲むように、ビルの壁面やら駐車している車の陰やら、いろいろな所に潜んでこちらを見ている。

―――1、2、3、4、5。。。今見えている場所だけで12体か。隙を見て襲いかかろうって寸法だな。フン、無駄なことを。

エディーは再び八郎丸との戦闘に備えた。

この状況になってどのくらい時間が経った?

その間、実にエディーはまったく攻撃のチャンスを得ていない。

エディーは苛立っていた。

何とか敵の気配を探ろうとするが、不思議なことに八郎丸の気配は感じられない。

そのことにもエディーは焦りを感じていた。

相手がこちらを探る時、こちらも相手を感知する。

その気のつながりに敏感かどうかが戦いにおいてものを言う。

してみると、八郎丸はエディーを探ろうとしていないことになる?

真上でまたクモの投網が展開した。

「うっ」

避けるタイミングが狂っている?

さっき浴びた毒液の効果が表れ始めているに違いない。

その時、すぐ右側にあるビルの窓ガラスを突き破って毒液が迸った。

「くっ」

今度はガラスの割れる音に反応したおかげで間一髪毒液の直撃は回避できた。

だが。。。

「こいつは、じり貧だ」

ふと視線を感じて顔を上げると、ほんの数メートル先の道路標識にしがみついているクモ型戦闘員と目が合った。

「む、来るか」

エディーは拳を固めたが、そいつはそこから動こうとはしない。

「何だ?そこでじっと見ているだけか?」

馬鹿にされているような気がしてムッとしたが、エディーは「はっ」と気づいた。

黒陰居士はここにはいなくて、八郎丸の目を通してこちらを見ている。

VRゴーグルみたいな術を使うのだろう。

だったら。。。

あのクモ型戦闘員の目を使って自分を見ているのではないか?

―――そうだ。あいつらが俺の場所や状況を黒陰居士に見せていて、その情報で八郎丸は攻撃を仕掛けてきているんだ。

エディーのようすや視線の向きを分析して、何を考えているかまで把握しているのだろう。

「ひぃやっひぃやっひぃや。ようやく気づいたようじゃのう。しかしからくりがわかったところで俄かに対策はたてられぬじゃろ」

離れたヨーゴス軍団のアジトで黒陰居士はニヤリと笑った。

その言葉どおり、エディーは困惑していた。

「どうすれば攻撃に転じられる?」

目となっているクモ型戦闘員を片っ端からやっつけるか?

いや、何体いるかわからぬ戦闘員を攻撃したところで、肝心の八郎丸は痛くもかゆくもない。渦エナジーを浪費するだけだ。

高い所に上がるか。

しかし八郎丸はさらに離れたところへ身を隠し、長距離攻撃を仕掛けてくるだろう。

その時。

「エディー、敵はあなたの右後ろのビルの陰にいるわ。糸が来るわよ」

エリスだ。

エディーは空を見上げた。

警察ヘリがこちらへ向かってくる。

「エリス、そのヘリに乗っているのか?」

その時、エリスの言う通り背後のビルの向こうから屋上越しにクモの糸の網が襲ってきた。

「そうよ。お願いして乗せてもらったの。私がここからナビするから頑張って!」

有難い。

「毒の影響はどう?動けそう?」

「まだ大丈夫だ。君がエディー・コアの濃度を目一杯上げておいてくれたおかげだ」

「よかった。八郎丸は糸を上空に発射するときはお尻を上に向けるからここから見ていて教えてあげる。そしてその時が攻撃のチャンスよ!」

「オッケーだ」

上空から見ると、八郎丸は驚くべき速度で移動している。

「そうなのよねぇ。クモって素早いのよねぇ」

どんな地形でも、たとえ水の上であっても平気で駆け抜ける。スピードをまったく落とさずにだ。

これを闇雲に追いかけようとすれば力を消耗するだけだ。

「チャンスを掴んで一撃で倒すしかない。タイミングを逃さぬことだわ」

エリスはそう考えた。

八郎丸がビルの壁面で止まるとクルリとお尻を天に向けた。

「左前方のビル。反対側の壁面。糸を出すわ。今よ!」

聞くと同時にエディーはジャンプした。

店の看板から道路標識、信号機を足場に次々とジャンプすると一気にビルの屋上へ飛び上がり、そのまま頭から反対側へとダイブした。

「見つけたぞ。エディー・ソードォォォ!」

そこに八郎丸の姿を認めるや、落下する空中で青く煌めくソードを錬成し、そのまま切っ先を下に向けてモンスターに体当たりした。

「ひょええええ!」

黒陰居士の驚愕の声があがった。

ザクッ!

突然ビルの向こうから飛び出してきた敵の姿に慌てた黒陰居士=八郎丸は、八本の脚でビルの壁面を蹴って襲撃から逃れようとしたが、僅かに遅かった。

素早く逃げようとする空中の八郎丸に、エディー・ソードの刃が辛うじて届いたのだ。

糸を出そうとお尻を上にしていたことも災いした。

エディー・ソードは、態勢を崩しながら斜めに飛び去ろうとする八郎丸の体を斜めに切り裂いた。

パパパッと黒い体液が周囲に飛び散り、八郎丸は腹を上に向けてビル裏の駐車場に落下した。

「うぬっ!何たる。。。」

黒陰居士のうめき声があがった。

「おのれ。エディーの突然の動きが速すぎてクモ型戦闘員どもの視線が追いつけなかったか」

エディーはさっきまで八郎丸が取り付いていたビルの壁面を蹴って空中で態勢を整えるとソードを振り上げて八郎丸の上へダイブした。

狙うは頭!

まずは目を潰して視力を奪い頭部を切り落とす。

「もらった!」

「うひぇえええ!」

エディーの気合と黒陰居士の悲鳴が重なった時、エディーの体がズンと重くなった。

「!?」

ギッギギギ。

ギリギリギィ。

クモ型戦闘員がダイブするエディーに背後から飛びかかって抱きついた。

腰にも。

頭にも。

ソードを振り上げた腕にも。

次から次へと飛びかかって来る。

周囲から飛びついたクモ型戦闘員でエディーは身動き取れなくなった。

「またかよ。邪魔だ、どけぇ!」

片や駐車場に落下してもがいている八郎丸の上にもクモ型戦闘員がわらわらと覆いかぶさった。

「こいつら、数にものを言わせていつも俺の動きを封じようとしてくる。。。ええい鬱陶しい!」

エディーのソードから己があるじを命がけで守らんとしているのだ。いや実際は黒陰居士によってそうするよう操られているのだろうが。

クモ型戦闘員に寄ってたかってしがみつかれてバランスを崩したエディーは、八郎丸の数メートル手前に落ちた。幾重にも抱えついているクモ型戦闘員がクッションとなって大したダメージは受けていない。バウンドして駐車場に転がった。

「むうう、放せ。いつもいつもくっつきやがって気持ち悪いな。コラ放せってば」

だが8本の脚でガッチリとしがみつくクモ型戦闘員たちの力は思いのほか強く、エディーは芋虫のようにグニグニと体をうねらせるばかりだ。

「エディー、渦のエナジーを放出してそいつらをはがすのよ」

上空からようすを見ているエリスからアドバイスが届いた。

「そうか、オッケー」

エディーの胸のコアから青い光が迸り、密着しているクモ型戦闘員たちの体を包み込んだ。

 

「むむむぅ。あのヘリコプターから情報をエディーに送っておったのか。やっておることは儂と同じじゃいか」

「エリスじゃよ。あの忌々しい渦のエナジーの開発者にしてエディーの相棒じゃ。戦闘力は低いがあの小娘の洞察力からくるアドバイスに何度煮え湯を飲まされたことか」

アジトで黒陰居士と共に戦況を見ているタレナガースが説明した。

「面倒なヤツよの」

黒陰居士が吐き捨てた

 

「急いで!八郎丸が復活するわ」

上空から戦況を観察しているエリスが叫んだ。

実際、八郎丸は驚くべき手段で傷口を塞いでいった。

エディーの奇襲から己を守るべく覆いかぶさった配下のクモ型戦闘員たちの体を次々と吸収していったのだ。

クモ型戦闘員たちは高熱にさらされたチョコレートのようにみるみる形を失うと、八郎丸の傷口に塗り込まれてゆく。

まるでひび割れた壁面を修復するパテのようだ。

八郎丸も戦闘員たちも、体組織はタレナガース特製の活性毒素で出来ている。

深手を負って体液を大量に失い一時的に行動不能に陥った八郎丸にとって今一番必要なものは再生のための時間なのだ。

エディーがクモ型戦闘員たちの拘束から逃れて体の自由を取り戻すまでに、こちらも戦えるか、最悪逃げられるほどに傷を修復せねばならぬ。

そのために使えるものは何でも使う。たとえわが身を守らんとする配下の戦闘員であっても。

エディーが放つ渦エナジーの光が取りついているクモ型戦闘員たちの体を徐々に蒸発させてゆく。

片や八郎丸の傷口もみるみる塞がってゆく。

先に立ち上がるのはエディーか?八郎丸か?

「これは。。。間に合わぬ」

ほぼ同時になりそうなタイミングだが、先に諦めたのは黒陰居士だ。

逃走するにしてもエディーのスピードを凌駕するほどに動けなければ、次は致命傷を負わされる。

「ならば」

八郎丸は仰向けに倒れたままで糸をシュルルルと吐き出した。

それは弱弱しく風に揺られて上昇してゆく。

攻撃にしては明らかなパワー不足と思われた。

その時エディーが立ち上がった。

「ええい!」

右足にしがみついていた最後のクモ型戦闘員の体を振り払ってソードを構えた。

そこで八郎丸も起き上がった。クルリと反転して8本の脚で立った。だがモンスターはその瞬間、迷わず逃走に移った。

「エディー、逃がしちゃダメよ。ここでやっつけちゃって!」

ヘリコプターからのエリスの送信に空を見上げて「よっしゃ!」と応じた。

「ん?」

―――あれは。。。?

青い空をゆらゆらしながらひと筋の白い物が空へ昇ってゆく。

「あれは。。。そうか八郎丸が逃げる時に吐いた糸だ。しかし一体何のために。。。?クモの巣の不発弾か?」

「エディー何してるのよ。八郎丸が逃げるわ」

エリスの声に振り返ると、確かに八郎丸が逃げてゆく。まだ完全に復調していないと見えて大きな体を持て余すかのようなぎこちない動きだ。

「今ならやれる!」

エディーがソードを構える。

が、もう一度空を見る。何か心にひっかかる。

八郎丸の白い糸は真っすぐ上昇してゆく。クモは糸を風に乗せて空を移動することができると聞いたことがある。

その向かう先に、陽光を反射するヘリの機体が見える。

「はっ!」

エディーは気づいた。

あのひと筋の糸は一見風にたゆたうようだが、確実に向かってゆくではないか。

エリスが乗った警察ヘリに!

まさか、いや。。。!

「エリス、八郎丸が出した糸がヘリに向かっている。避けろ!」

あの頑丈な糸が、たとえひと筋と言えどもヘリコプターのメインローターに巻きついたら。。。

エディーの警告でヘリの乗員の方でも近づいてくる八郎丸のクモの糸に気づいたようで、ヘリは高度を上げ始めた。

だが糸はそれでもその後を追う。

上空の強い風にあおられたためか、スピードを上げてヘリを追う。

まるで急上昇するヘリがみずから吸い寄せているかのようにも見えるが、決してそうではない。

エディーはジタバタしながら逃げる八郎丸を振り返った。

「貴様が操っているんだろう、黒陰居士め」

数メートル離れた裏路地にいつの間にか黒い闇の渦が巻いていた。

まるで地獄の門のような不気味な渦だ。

恐らくはヨーゴス軍団のアジトへ空間転移するためのゲートだろう。

「逃がさん!」

エディーは巨大なクモモンスターの息の根を止めようと背後に迫ったが、その時八郎丸の頭部からまた黒陰居士のホログラムが現れた。

「ひぃやっひぃやっひぃやっ。ホレホレ儂が止めねば糸が回転する翼に巻きつくぞ。よいのか?」

エディーの足が止まった。

「エディー、ダメだわ。振りきれない!」

エリスの絶望的な声が届いた。

ギリギリガツッ!

そして糸はついにメインローターに絡まりついて、回転翼を止めてしまった。

「ブレードが固定されました!」

エリスの背後で緊迫したパイロットの声が聞こえた。

メインローターが止まってしまったらヘリコプターは墜落するしかない。

「大変じゃぞ。早う何とかしてやれ」

そう言い残すと、浮かび上がった黒陰居士の姿ごと八郎丸は路面に渦巻く漆黒の空間転移ゲートの中に姿を消した。

八郎丸を迎え入れると同時にゲートは閉じ、闇の渦巻きはもとの路地へと戻ってしまった。

黒陰居士はエディーとの回復競争において自分たちが不利と判断し、クモの糸をひと筋、上空のヘリコプターに向けて吐き出しておいたのだ。

エリスの危機に際して、エディーはこちらを追撃するよりもエリス救出に注力するはずじゃ。というタレナガースの助言が見事に的中した。

エリスを乗せた警察ヘリはバランスを崩して落下し始めた。

あの高度だと大惨事になる。

「エリス、君の渦のエナジーでローターに絡まった糸を焼き切れないか?」

「やってみる!」

すぐにヘリコプターは青い光に包み込まれ、数秒後メインローター付近からひと筋の煙があがった。

「やったわ。焼き切った」

エリスの歓声と共に、ヘリコプターは息を吹き返した。

メインローターが止まった後もエンジンは生きていたため、ブレードが再び勢いよく回転し始めた。

不規則に揺れながらもヘリが眼下の河川敷に着陸するのがエディーの場所からも見えた。

「よかった」

安堵しつつも、エディーはあと一歩のところまで追い詰めながら八郎丸を逃したことを悔やんだ。

「俺から逃げるために敢えてエリスを狙ったのか。。。なんて奴だ」

そして巨大なモンスターが姿を消した地面のあたりを睨みつけた。

 

<五>強化

黒陰居士がフラリとヨーゴス軍団のアジトに入ってきた。

「おや?黒陰居士ではないか。そなたしばらく姿が見えなんだがどこをほっつき歩いておった?」

新たな毒の調合に余念がないタレナガースがふと顔を上げて悪態をついた。

「エディーに勝てぬゆえ尻尾を撒いて逃げたものと思うておったに。またぞろ現れおったか」

ヨーゴス・クイーンは更に痛烈である。

毒バチの魔女を横目でチラリと睨んだ黒陰居士は、二人の前で地面によっこらしょと胡坐をかいた。

エディーとの戦いで不覚をとり、タレナガースがこしらえた空間転移ゲートにダイブして辛くも逃げおおせたのがひと月ほど前。

それから黒陰居士はタレナガースたちに何も告げずに姿を消していた。

「うむ。ちょっと海外旅行をしておったのよ」

「なんじゃと、海外旅行じゃと?」

「うむ。ちょいと南米大陸を回っておった」

「なんと豪勢な。飛行機代はどうした?格安航空券か?ホテルはバク転トラベルか?」

「阿呆。んなモン使うか。クモはな、糸を伸ばして風に乗り、驚くほど遠くへ旅をすることができるんじゃ。飛行機なんぞに乗らんでもええんじゃ」

そう言うと黒陰居士は自分が纏うボロ布に食らいついている1匹の大きなクモを「ホレ」と指さした。

濃い灰色をした丸く大きな体から筋肉質な足が左右4本ずつ生えている。全身を短い体毛が覆っている。

恐怖映画などでよく見るタランチュラだ。足を広げれば4〜50cmはあろうか。

「ほほう、これはデカいのう」

「おうよ。これほど大きな個体は南米にもそうそうおらん。気性も荒く毒性も強い。ジョロウグモなんぞ一発で食われてしまうぞ」

黒陰居士はご満悦だ。

「外国の毒グモかえ。愛いのう」

タレナガースもヨーゴス・クイーンも初めて見る大きなクモに興味津々のようだ。

「まさか、この毒グモを捕まえるために地球の裏側くんだりまで行っておったのかえ」

顔を近づけてツンツンとクモの頭を突っついたヨーゴス・クイーンの指先を、そのクモがガブリと噛んだ。

「イダダダダダダァ!」

指を激しく振って振り飛ばそうとするが、クモは鋭いキバをがっしりとクイーンの指先に食い込ませていてはずれない。しかもムシャムシャと指の肉を喰い始めたではないか。

「ギヤアアアアア!早う早う、取ってくだされタレ様や。早う!」

ヨーゴス・クイーンは地団太を踏みながら噛みつかれている人差し指をタレナガースの目の前に突き出した。

黒陰居士はそれを見て腹を抱えて笑っている。

やれやれ。。。タレナガースは茶色いクモの体をむんずと掴むや力任せに引きはがした。

ビリリッ!

肉が引きちぎられる音がしてヨーゴス・クイーンの紫色の体液があたりに飛び散った。

「ぐぎぃああああああ!」

凄まじい悲鳴を上げて、ヨーゴス・クイーンは先端が欠けた指を押さえて跳ね回った。

「ひぃやっひぃやっひぃや。。。ひぃひぃ、ああ腹がよじれるわ」

黒陰居士は胡坐をかいたまま後ろへひっくり返って仰向けに笑い転げている。

「このクモは迂闊に触れては駄目じゃよ」

黒陰居士は体を起こすとタレナガースの手からそのクモをもぎ取った。だが決して頭部に触れようとはしない。

「今言うたように、このクモはきわめて攻撃的で足も速い。毒性も強いのでクモでは最強の部類に入るだろうぜ。なにせ自分よりも大きなネズミなんかも捕食する。怖いぜぇ」

「ほほう。それは頼もしい」

「あのエディーと真っ向勝負するためにはあのようなジョロウグモモンスターでは力不足と痛感した。だから、この獰猛な最強肉食タランチュラと掛け合わせて八郎丸を強化するのさ。タレナガースからぶん捕ったクモ型戦闘員も先の戦いですべて使い果たしてしもた。この上は八郎丸を再改造してより強いモンスターにするしかない!」

エディーに目にもの見せてやる。

枯れ枝のような黒陰居士の全身からどす黒い闘気がゆらゆらと立ち昇った。

 

「2回たたかって、どう思う?」

カフェの定位置に腰を下ろすなりヒロが尋ねた。

「どうって?」

ドクはメニューを開きながら聞き返した。

まぁ言っている意味はわからないでもないが。

「黒陰居士というか、八郎丸というか」

「うん。。。」

注文メニューを決めたのか、ドクはメニューをヒロに渡して改めてその問いを頭の中で反芻した。

「あの黒陰居士、油断ならない相手よね」

「まったくだよ。あの時、八郎丸の傷口が塞がるための時間稼ぎがしたくて君が乗るヘリを狙ったんだぜ。狡猾な奴だよ」

ヒロもメニューを見始めた。

「しかもモンスターを通して物を見たり話をしたり出来るなんて、そんな奴は今までのヨーゴス軍団にはいなかったよね。本当にタレナガースの配下なのかな?」

「そこなのよ。私もヨーゴス軍団のメンバーとは少し感じが違うような気がしているの。同じ邪悪な存在でも、どこかよそから来たんじゃないかしら」

「でも最初に戦った時、タレナガースに俺のことを聞いたって言ってたぜ」

「うん。活性毒素で構築したモンスターといい渦エナジーを嫌う体質といい、間違いなくヨーゴス軍団と手は組んでいるわね。やっぱり悪党は悪党同士、相見互いってことなんでしょうよ」

「鬱陶しいなぁ」

「本当にね。だけど。。。あのおじいちゃん、2回目は戦い方を変えてきたわ」

「1回目は正面から無防備に突っ込んできたよね。クモ型戦闘員で俺の腕試しをしたつもりだったのだろうけど、完全にこっちを甘くみていた」

「だけど2回目は用心して徹底的に距離を取っていたわ。糸の網で遠距離攻撃。こっそり近寄って毒液攻撃。機動力を活かした広角戦法に切り替えてきた。タレナガースみたいな安っぽいプライドが無い分、現状に即したベストの戦法を取る。怖い怖い」

「じゃあ次はどう出ると思う?」

「あのクモ型戦闘員がチョロチョロとけっこう厄介なのよ。エディーの動きを封じる上に、八郎丸の傷まで塞ぐし。ああした捨て駒を持っているっていうのは油断ならないわ。でももし戦闘員がもういないのだとしたら、それはそれで怖いわね」

「というと?」

「もう奇策は用いないってことよ。真正面から来るんじゃない?ただし、今度は無茶苦茶強くなっているはずよ」

ゴクリ。

トーンを落としたドクの言葉にヒロがつばを飲み込んだ。

まぁとにかく。。。

「マスター、きのこのにんにくバター醤油スパゲティふたつ!」

「私は大盛りで」

 

次が決戦だ。

両陣営ともそう直感していた。

 

<六>最強形態の対決

「今日は天気も良かったから淡路島まで見えたね」

「本当にいい景色だったわ。のどかな街ね、徳島って」

県外客だろうか。

若いふたり連れは上機嫌で眉山ロープウエイ山頂駅で発車を待つゴンドラに乗り込んだ。

平日の午後なので他に乗客はいない。

14人乗りの真新しいゴンドラを自分たちだけで占有できるのも気持ちが良かった。

ドアが閉じられ、約6分後には山麓駅に着く予定だ。

「これは桜の木だね。少し早かったようだけど、満開になったらきっと綺麗だよ」

「そうね。またその頃に来たいわ」

などと話しているうち「ガコン」という衝撃と共にゴンドラが急停車した。

「うわっ」

「きゃっ」

女性は男性に、男性は金属製の手すりに掴まって何とか転ばずに済んだが、ゴンドラはしばらく大きく揺れ続けてふたりは恐怖に青ざめた。

「何だ?どうしたんだろう?」

「何かの事故かしら?このゴンドラは大丈夫そうだけど。。。」

女性は恐る恐る乗っているゴンドラの周囲を見渡したが、特に異常はなさそうだ。

ゴンドラの揺れが自然に収まるにつれて少し落ち着きを取り戻してきた。

周囲には木々も生い茂り、下を見ると地面までそう高くないように思えた。

「飛び降りても大丈夫なんじゃない?」

「馬鹿言わないでよ。低そうに見えても10mくらいあるんじゃない?私のアパートの4階の踊り場くらいあるわ。大けがするわよ」

とにかく救助を待つしかない。

その時、空から白い何かが舞い降りてきた。

それはまさに天から舞い降りてきたように見えた。

「え、何これ?」

ふたりは窓に顔をくっつけて、白い網がゆっくりと自分たちが乗るゴンドラを包み込むのを目で追った。

「これ。。。クモの巣?」

しかし、ロープウエイを止めてしまうようなクモの巣なんてあり得ないだろう。

目の前で起きていることがにわかに信じられなくて、ふたりはポカンと口を開けてみるみる白く包まれてゆく周囲の世界を眺めていた。

その時車内の電話機が鳴った。

男性が受話器を取ると山麓駅の係員だった。

できるだけ早く救助に向かうから落ち着いて、シートに座って待っていてくれと言う。

「この白いクモの巣みたいなやつは何ですか?」

と尋ねると

「クモの巣みたいです、たぶん」

と答える。

どうやら電話口の係員も状況を把握しかねているらしい。

「とにかく、一刻も早く助け出してください。お願いします」

と伝えて受話器を置いた。

「大丈夫だ。僕たちは孤立しているわけじゃない」

「そうね。こんな街の近くにあるロープウエイだし、すぐ助けに来てくれるわよ。きっと夕方の高速バスには間に合うわ」

女性はそう言った。

自分を落ち着かせるために。

その時、何か大きな影がゴンドラ後方の窓に映った。

ギギギギリギリギリ。

横一列に並んだ4つの紫の目がじぃっとこちらを見ている。

「ひっ!」

「な、なんだこれ!?」

ふたりは腰を抜かしてゴンドラの床にへたり込んだ。

「ク、クモ?」

「うそ。こんなに大きな?」

「怪獣だよ。クモの怪獣」

「いやぁぁぁ」

トゲだらけの前脚がゴンドラをガッシリ抱え込んで鋭いキバでゴンドラのボディーをガシガシと噛み始めたではないか。

「きゃあああああああ!」

「やめろ、やめろ、あっち行け!」

もの凄い力で押さえつけられたゴンドラが大きく傾いてふたりは迫るクモのキバのすぐ近くまで転がった。

ふたりの悲鳴はクモの巣に覆われてしんと静まりかえった眉山の木々の間に響き渡った。

 

「おい、あれ。あれ見てみい」

「うわっ!なんじゃあれは?」

「どうなっとるんじゃ!?」

徳島市街地を行く人々は誰もかれも足を止めて、ついでに口をポカンと開いて、あるいは指をさして。。。眉山を見上げた。

眉山は雪が積もっているかのように真白だ。

「雪降ったんか?」

「あほ言え。ここら辺こんだけええ天気やのに」

「そうじゃ。もうじき桜が咲く季節やぞ。眉山だけ雪が降るわけないだろが」

「何千メートルもある山ならともかくたかだか290mやのになぁ」

「ほなけん雪ちゃうって!」

「ほな何なだ!?」

 

「クモの巣?あれが全部クモの巣ですか?」

ロープウエイ運行会社からの電話に対応した警官の声は裏返っていた。

受話器を持ったまま、署の窓からあらためて眉山を見た。

普通なら冗談はよせと怒るところだが、この警官も先日のデカいクモのモンスターを実際に見ていた。

―――この間のデカいクモのしわざか。

すぐにエディーを呼ばなければ。

傍らの同僚にジェスチャーでエディーへのホットライン「Eアラート」を発動するよう指示した。

「すぐ警官隊とエディーが現場へ向かいます。皆さんも直ちに避難してください。え、立ち往生しているゴンドラに乗客が!?」

 

Eアラートを受信した数分後、エディーとエリスは眉山山頂の公園で待機している警官隊、救急隊と合流した。

おおよその状況はロープウエイ運行会社の担当者から聴取して理解している。

「間違いなく八郎丸のしわざだな」

「ええ。しばらく鳴りを潜めていたけれど、いよいよ出てきたわね」

八郎丸の吐いた糸でロープウエイがスタックした時、乗客を乗せたゴンドラは発車して間がなかったとのことなので、ふたりは山上駅側からアプローチすることにした。

乗り場からゴンドラの姿は認められない。

「まず俺が行く。エリスは安全が確認出来たら救助チームを率いて最寄りの支柱まで進み、そこからゴンドラに移って乗客を救出してくれ。じゅうぶん気をつけてくれよ」

「オッケー、任せて。それよりエディー、敵がしばらく鳴りを潜めていたってことは。。。」

「ああ。あちこち改造して強化していたってことだよな」

エディーは森の奥へ視線を向けたまま噛みしめるように言った。

「そういうこと」

エリスにポンと肩を叩かれたのを合図に、エディーは眉山の木々の中へ歩を進めた。

―――ふふふ、バックアップは任せなさいってか。

頼もしい相棒だ。

ロープウエイのケーブルに沿って進むと、ほどなく八郎丸のクモの巣のエリアに入った。

あたりはクモの巣に覆われて一面雪景色のようだ。薄いクモの巣は陽光を通すが、それでもこれだけ広範囲に覆われていると薄暗い。

八郎丸のクモの巣が強粘着性なのは体験済みだ。触れればたちまち絡めとられてしまう。

神速の攻撃を持って得意技とするエディーだが、ここでは動きが極端に制限された中で戦わねばならぬ。

不利を承知でエディーはゴンドラに向かった。

敵はゴンドラ襲撃が目的ではなかろう。明らかにエディーを呼び出そうとしている。

ならばエディーがここに来たことを既に知っているはずだ。

ましてこの森に足を踏み入れた時から嫌な気配が痛いほど感じられる。その気配を隠そうとすらしていない。

エディーは慎重に進んだ。

もう間もなくゴンドラが見えてくるはずだ。

「来たなエディーよ。我らのフィールドで戦う気概があるか?なんなら逃げてもよいぞ」

森の奥から黒陰居士の声が沸き上がった。露骨に挑発してきた。

その声にも微塵も動じないエディーは無言でエディー・ソードを錬成した。

「いいから来いよ」

エディーの全身から戦うオーラが立ち昇る。

その時ゴンドラから悲鳴がエディーの耳に届いた。急いでゴンドラが見える所まで走る。

巨大なクモがゴンドラを屋根の上から抱え込んでいるではないか。

八郎丸だ。

巨体を左右に振ってゴンドラをわざと大きく揺らしている。ゴンドラの内部で乗客が必死に手すりにしがみついているのが見える。

黒陰居士はエディーを挑発するために、わざと乗客に恐怖を与えて悲鳴を上げさせているのだ。

「よくも乗客を」

エディーの胸に青い怒りの炎が湧きあがった。

ゴンドラを抱えている八郎丸は予想通り、前回とはかなり容貌が異なっている。

―――タランチュラ?こんなの日本にいるのかよ。

同じクモでも以前の足の長いジョロウグモ型とはだいぶ違う。全体の肉づきがヘビー級ファイターであることを感じさせる。

タランチュラ型に生まれ変わった八郎丸はゴンドラから飛び降りるとエディーの眼前に立った。

三度目の対峙だ。

大型バスほどもある巨体。

顔の前面に横一列に並んだ4つの丸い紫の目。

その下には丸太でもスッパリと断ち切る斧の如き不気味な鋏角。

あんこ型の力士が仕切りの態勢に入ったようなフォルムだ。

ただしこちらはグレーの全身を短くて堅い体毛が覆っている。

黒陰居士なるクモ使いの魔人が操る、まごうかたなきモンスターである。

―――まずは脚の1本もいただくか。

エディーはその場に残像を置いてダッシュした。八郎丸の傍らを駆け抜けざま渦エナジーを注ぎ込んだエディー・ソードをふるって気合もろとも左の後ろ脚を薙ぎ払った。

バシィィン。

ギヨエエエ。

だが岩をも切り裂くエディー・ソードは強化された八郎丸の脚の肉にはじかれてしまった。

打撃の衝撃も小さくはなかったと見えて八郎丸も態勢を崩しかけたが、エディーの思惑ははずれた。

「前よりもはるかに堅いぞ」

切り裂けず、単なる打撃となったために反動で手がビリビリと痺れている。

八郎丸の頭頂部から光が射して人の姿が現れた。

黒陰居士だ。

相変わらず枯れ枝のような骨の浮いた体躯に汚れがこびりついたボロ布を纏っている。

「ひぃやっひぃやっひぃや。速攻で先制しようと思ったのだろうが無駄であったのう。ジョロウグモよりも獰猛な南米のタランチュラをかけ合わせた超格闘型巨大モンスターにはもはや貴様のソードも通らんぜ」

薄笑いを浮かべている。

八郎丸は腹から糸を射出して傍らの木に巻きつけるとクレーンで持ち上げるようにスルスルと自らの体を樹上まで持ち上げた。

「エディー、今ゴンドラに一番近い支柱の根元に来たわ。しばらくの間八郎丸の注意を引いておいてね」

エリスからの連絡が入った。

「オッケー。乗客を頼んだ」

 

エリス以外にレスキューチームは4人。熟練の技でゴンドラに到達すると内部に入ってゴンドラ底部の脱出用ハッチを開けてロープを降ろした。

「もう少しよエディー。クモをこっちに来させないで」

1人目の乗客がゴンドラからレスキュー隊員と共にゆっくりと降下してくる。救助は手際よく進められていたが、見上げるエリスにとってはとてつもなく長い時間に思えた。

 

「エディー・ソードの一撃を退けたのかや?」

「なんと。でかしたではないか!」

タレナガースとヨーゴス・クイーンが戦況を覗こうと顔を近づけてくる。

黒陰居士が目の前でふんぞり返って笑っているものだから、ふたりとも状況が知りたくてうずうずしているのだ。

万一エディーが悔しそうな表情でも浮かべていようものなら小躍りしそうな勢いだ。

「余にも、余にも八郎丸の目を繋げてくれぃ。戦況をリアタイさせてくれぃ!」

「わらわも。わらわも。わらわも。リアタイヤじゃ!リアタイヤじゃ!」

何か見えはせぬかと左右から顔を押しつけてくる。

「だああああ、やめんか!顔をくっつけても繋がりはせんわぃ。ゲーム機の通信やっとるのとは違うのじゃからして」

―――子供か、こいつら。

黒陰居士は困り果ててため息をついた。八郎丸と最高の状態でタッグを組むには自分ひとりだけで繋がっているのが最も望ましいというのに。

「わかった、わかった。お前さんたちの五感も八郎丸につなげてやるわ。ホレこっちを向け」

これほど騒がしくされたら戦いに集中できない。黒陰居士は根負けした。

タレナガースとヨーゴス・クイーンに向けて短い呪文を唱えて人差し指で眉間に触れた。

その途端、薄暗いアジトにいたはずのタレナガースとヨーゴス・クイーンは、白いクモの巣に覆われた眉山の山中にいた。

「おおおお。よう見える。まるでこの場におるような臨場感じゃ」

「そうであろう。儂の目を通せばテレビを観ておるような感覚じゃが、こうしておけば八郎丸の五感を共有できるからの」

「あっエディーめじゃ。やってしまえ!やってしまえ!」

 「これクイーン。おとなしくしておれ!まったく」

 

―――どうやら八郎丸は俺と戦うことだけを考えているようだ。もうゴンドラには関心を示していないな。

黒陰居士がゴンドラの乗客を人質にとることを一番恐れていたため、これは有難かった。

実を言えば、黒陰居士は乗客を人質にとってエディーの動きを封じる手も考えてはいたのだが、タレナガースとヨーゴス・クイーンの意識があまりにもエディーに向かってしまうのでやむなく正面からの戦闘に切り替えたのだった。

八郎丸はエディーの周囲を素早く移動しながら糸を吐きかけてくる。

巨体にもかかわらずまったく重力から解き放たれているかのような身軽さだ。

プシュッ。

プシュッ。

エディーも軽快なフットワークで糸を避ける。

避けながら少しずつゴンドラとは反対方向の森の奥へと移動していった。

プシュップシュップシュッ。

八郎丸は顔面、肩、足元と3カ所を狙ってランダムに糸を吐きかけてくる。

今のところは少し距離を置いての攻撃だが、いずれ接近戦に切り替えてくるのではないか?

用心しなくては。

その時八郎丸が巨木の上部へスルスルと昇っていった。

数秒下界のようすを眺めていた八郎丸はふわりと宙に踏み出すと円を描きながら落下した。

今いた場所に糸の一端を付けたまま大きく円を描きながら落下する。

まるで密林の王者が木の蔓につかまって飛ぶように、体長10mの巨グモは宙を滑空してエディーに突進してきた。

「来た!」

エディーはエディー・ソードを構えて迎え撃とうとした。

「お、あれ!?」

踏み出そうとしてエディーは足を取られてつんのめった。

不覚にもガクリと両膝を地面についてしまった。

足が動かせない!?

見るといつの間にかクモの糸の束がエディーの足首のあたりに巻きついている。

「しまった!」

はっと顔を上げると八郎丸の巨体がすぐそこにあった。

ガシィィィン!

ぐわっ!

衝撃とともにエディーは意識が飛んだ。

両足を拘束されたまま後方へ飛ばされたエディーは、肩を木の幹にぶつけて地面に転がった。

肩の痛みがエディーの意識を辛うじて呼び覚ました。

「くそ。。。いつの間に足を?」

「ひぃやっひぃやっひぃやっ。クモの世界は奥深いであろう?まぁこの技は儂の術によるものだがな」

頭頂部から黒陰居士の上半身を投影したまま八郎丸は腹の下から白い糸を出した。

糸は八郎丸の体の下をまるで蛇のように音もなくエディーの方へ伸びて来る。

「糸を操っているのか?」

先刻エディーの周囲に吐き続けた糸はこうしてエディーの体に絡みつけるためにあらかじめ巻いておいた罠だったのだ。

見えない誰かに引っ張られるように伸びてきた糸はエディーの太ももから体の下へ巧みに潜り込み、腕や肩に巻きついてくる。

完全にエディーを拘束しようというつもりか。

「ええい、厄介な!」

エディーはコアに意識を集中させて渦エナジーを体外へ拡散した。

青い光は数秒で細いクモの糸を焼き、さらに襲いかかろうとした八郎丸をも遠ざけた。

「むむ」

飛びかかろうにも渦エナジーを発散させているこの状態では無理だ。

黒陰居士の表情が歪んだ。

だが。

「ふん。だがいつまでもそのようにエナジーを放出してばかりもいられまい。この八郎丸と戦うためのエナジーが必要なのじゃから」

黒陰居士の言葉通り、エディーは糸の拘束を焼き切るとすぐに渦エナジーの放出をやめた。

「ほおれ、そのようにな!」

八郎丸は一転してエディーに襲いかかった。

エディーも体の自由を取り戻している。

仕切り直して第2ラウンドだ。

体格に任せて襲い掛かる八郎丸をエディーの右の拳が迎え撃つ。

ガシィン。

目のひとつを狙った打撃だが、ナックル・コアのパンチをもってしても潰せない。

ガガッ!

ガシッ!

左右の前脚を交互に撃ち込んでくる。先端の鋭いツメを手刀で弾きながらエディーは顎の下に膝を叩き込んだ。

口の中が傷ついたのか、黒い体液がゴブゴブと溢れてきたが八郎丸は構わず攻撃を続ける。

ガガガガガ!

激しいラッシュだがツメにばかり気を取られていると鋏角を大きく開いた口が頭から食らいにくる。

ジャキッ!

エディーの眼前で斧のような左右の鋏角がクロスする。

捉えられれば渦のアーマがはたして耐えられるかどうか?

エディーは右腕に違和感を感じた。

「む、糸か?」

八郎丸の糸が忍び寄って右腕に巻きつこうとしていた。

「ナックル・コア、エナジー放出!」

渦エナジーが流れ出る手でその糸を掴む。

じゅううううう。

たちまち糸は蒸発した。

それでも八郎丸はグイグイ前へ来る。体全体で押してくるためエディーの体は自然と後方へ反ってしまう。そこに覆いかぶさるように巨体を預けてきた。

動きが止まったエディーを前脚で抱え込む。

肩を、脇腹を、下半身を、足でガッチリと固めてしまった。

「すごい力だ。。。だが、くらえ!」

ナックル・コアのエナジーをフルパワーで拳に込めて八郎丸の目のあたりを殴りつける。

エディーのパンチはコンクリートブロックさえも粉砕するが、ナックル・コアのエナジーを乗せたらその数倍の威力を発揮する。特にヨーゴス軍団のモンスターには抜群の効果を発揮する。

さすがに八郎丸もひるんだようだが、それでもエディーに対する攻撃をやめようとはしない。

前脚でエディーを引き寄せて丸太を切断するような鋭く大きな鋏角の元へと運ぼうとする。

口の中に捕らわれればエディーの頭とてガリガリとかじられてマスクを破壊されるに違いない。

「体を固定されていてはパンチにも力が込められないぞ。どうする」

しばし思案したエディーは、ふと思いつき両の掌を八郎丸の頭の左右に押し当てると右手の甲のナックル・コアから渦のエナジーを放出した。

渦のエナジーは八郎丸の頭部を通って頭の反対側に押し当てられた左の掌に吸収された。

ぴぃぃぃぴやっ!

まるで電気が体内を走るように渦のエナジーが頭の中を左から右へ横断したのだ。

 

「あっひいいいい!」

「くわあああああ!」

「ぎょえええええ!」

八郎丸と完全にシンクロしていたヨーゴス軍団の3人は、渦エナジーの衝撃を八郎丸と同じように脳天に受け、そろってひっくり返った。

「こ、これはたまらん」

黒陰居士は頭を振りながら立ち上がったが、生粋のヨーゴス軍団たる幹部ふたりはまだ悶絶している。

 

目を白黒させて奇妙な悲鳴を上げた八郎丸はエディーの体を放り投げて背後へ飛んだ。

苦し紛れの戦法だったが効いたようだ。

ビュビュビュッ。

着地すると同時に八郎丸は口から黄色い液体をエディーに吐きかけた。

うわ。。。

黄色いネバネバした液体がエディーの顔から胸にかけて付着した。

「またこの毒液か」

昆虫系モンスターがよくする体液をひっかけてくる攻撃は本当に嫌だ。

渦のアーマが守っているためヒロの肉体にまで直接悪い影響は出ないが、渦のエナジーの循環を狂わせてエディーの俊敏な動きに狂いを生じさせる。

八郎丸は再びエディーの周囲を旋回しながら隙を窺っている。巨体をものともせず、木々の間を高速で巧みに駆け抜けている。

その間にエディーも態勢を立て直して構えを取った。

毒液がじわじわとアーマやバトルスーツに沁みこんでくるのがわかる。今はまだ気持ち悪いだけだが、戦いが長期戦になると効いてくる。

早めに決着をつけたいものだが。。。

その時エリスの声が届いた。

「エディー。救出した乗客は山上公園で救急車に乗せて病院へ向かったから安心して。私も今からそっちへ戻るわ」

エリスから報告が入った。

「サンキュー。もう何も心配事は無くなったわけだ」

エディーは腰のパウチから三角形の赤いコアを取り出した。

アルティメット・コア。

渦戦士エディーを本来の限界以上に強化する最強形態へのパスポートである。

 

「何をする気じゃ?ありゃ何じゃ?」

黒陰居士が傍らのタレナガースとヨーゴス・クイーンに問うた。

「赤いエディーになるのじゃろう」

「大っ嫌いじゃ」

「赤いエディーとは?」

「ふん!別に強くもなんともないわい」

「大っ嫌いじゃ」

「全然強くなどならんわ」

「大っ嫌いじゃ」

黒陰居士は大きなため息をついた。

「要は無茶苦茶強くなるんじゃな。まぁそうでなければわざわざあんなモン出さんわな」

先に言うとけよ、と文句を言いながら黒陰居士は再びエディーの動きに意識を集中させた。

 

取り出した赤いコアを胸の青いエディー・コアに重ねる。

赤いコアはエディーの渦のアーマと融合し、その強力かつ繊細なコアを守るためのX型のコア・ガードが展開してコアを覆った。

赤いエナジーは瞬時にエディーの全身を駆け巡り、その体を赤く染めてゆく。

八郎丸から浴びせかけられた黄色い毒液がみるみる蒸発してゆく。

最後に青かったゴーグル・アイがシャキッと赤に変わって最強フォームへの二段変身が完了した。

「アルティメット・クロス見参!」

八郎丸は樹上に登ってその変身を見ている。

警戒しているのだろう。

「それが貴様の奥の手か」

黒陰居士が忌々し気に言う。

「奥の手?そんな物、俺は持ち合わせちゃいないさ。俺はいつだって出し惜しみはしない」

最強のアルティメット・クロスになって戦うことでエディーの体にかかる負荷はどうか。

アルティメット・クロスの攻撃の破壊力の大きさが周囲に与える影響はどうか。

ノーマル・フォームで戦うことで戦闘が長期化した場合、周囲に与える影響はどうか。

様々な条件下における影響を考慮して、変身すべき時には躊躇せず実行する。

この場合、ロープウエイのゴンドラ内に取り残されていた乗客が安全な場所へ移された今がその時なのだ。

「俺が今アルティメット・クロスに強化した理由は一つ。さっさと勝負を決めてこの戦いを終わらせる!」

 八郎丸、アルティメット・クロスの双方が距離をつめた。

共に接近戦に自信あり!

きえええええぃ!

おりゃああああ!

八郎丸の重機のアームのごとき前脚の爪が左右から交互に来る!

それをかわして、或いは手刀で防いで、アルティメット・クロスのパンチが飛ぶ!

ズガッ!バシュッ!ガガッ!バチッ!ドドッ!ズドン!

一撃一撃が巨木をへし折り、コンクリートを粉砕し、大地に割れ目を刻む破壊力を秘めている。

八郎丸のツメがアルティメット・クロスのマスクをかすめて背後の木の幹をえぐる。

アルティメット・クロスの拳が八郎丸の顔面を捉える。

片方の鋏角が根元からへし折れて吹っ飛んだ。

ガシッ!バキッ!ドシュッ!

双方足を地面に踏ん張って一歩も引かずに攻撃を続ける。

やがて。。。

アルティメット・クロスが1歩前へ出た。

更に1歩。

両者の距離が次第に縮まる。

アルティメット・クロスの圧に負けてついに八郎丸が一歩後退した。

そこで八郎丸の攻撃のリズムがわずかに狂った。

そのタイミングを逃さずアルティメット・クロスの神速の蹴りが八郎丸の前脚の付け根に撃ち込まれた。

ベキッ!

前脚が千切れて後方へ飛んだ。

たまらず八郎丸が残った7本の脚をフル稼働させて樹上へ逃げる。

もがれた前脚の付け根から真っ黒な体液がボタボタとこぼれ落ちる。

 

「むむぅ、この八郎丸に接近戦で勝るとは。恐るべきヤツよ」

黒陰居士が唸る。 

「何をしておる。臆せず行かぬか!」

「やってしまえ!」

一方のタレナガース、ヨーゴス・クイーンはイケイケ一本鎗だ。

怖いもの知らずとはコイツらのことであろう。

「ま、待て。もう少し様子を。。。」

「突撃じゃあああ!」

 

八郎丸は樹上からアルティメット・クロスめがけて襲いかかった。

頭上から大型バス並みの巨大モンスターが落ちて来る。

それを平然と迎え撃つアルティメット・クロスの胆力よ!

アルティメット・クロスは腰を低くして右の拳を強く握る。

頭上から落下する八郎丸を見ず、気配に委ねてその時を待つ。

アルティメット・クロスのゴーグル・アイから赤い閃光が迸るや、握った拳を一気に突き上げた。

轟!

上からの八郎丸の巨躯VS下から突き上げたアルティメット・クロスの拳。

パァアアアン!

何かが破裂したような音がして八郎丸の巨体が縦に裂けた。

パンチの衝撃と同時に赤い渦エナジーが放たれて、モンスターの体は完全に破壊された。

ドシャッ!

黒い体液にまみれた体が地面にベタリと落ちた。足が1本ヒクヒクと痙攣していたがすぐに動かなくなった。

 

「ぐおおおおお」

「うひぇえええ」

「あきゃぁああ」

ヨーゴス軍団のアジトで3人組がお尻を天井に向けてひっくり返った。

バックドロップを食らったレスラーのようだ。

「じゃからして待てと言うたのに。。。まったくお前さんらときたらしょうがないのぉ。そんなじゃからいつも負けてしまうのと違うか?」

黒陰居士がひっくり返ったままタレナガースとヨーゴス・クイーンを睨みつけた。

「それにしても何じゃ今のパンチは。もの凄い破壊力じゃないか!」

「おのれ、おのれ、おのれ。今度こそ勝てると思うておったに!」

「だ。。。大っ嫌い。。。じゃ。。。」

体組織を粉砕された八郎丸と感覚を共有していた3人は俄かに立ち上がることができない。

「あれほど堅固な肉体を誇った八郎丸が一撃で撃破されてしもたわ」

黒陰居士は忌々し気に吐き捨てた。

「うぬぬぬ、こうなったら」

「こうなったら?」

黒陰居士の言葉にタレナガースとヨーゴス・クイーンはムクリと上体を起こした。

まだ何か打つ手があるのか?

 

「アルティメット・クロス、やっつけたのね」

眉山の山上公園から駆けつけたエリスが駆け寄った。

しかしアルティメット・クロスは「待て」と彼女を制止した。

腹を地面にべったりと付けて動かなくなった八郎丸だが、ヨーゴス軍団のモンスターにはどのようなカラクリが潜んでいるかわからない。

ましてあのクモ使いの老人黒陰居士が操るのだ。

「油断するな」

アルティメット・クロスは用心しながらそろそろと八郎丸に近づいてゆく。

深手を負っているように見えても、ヨーゴス軍団の活性毒素によってまた活動可能な状態になるかもしれない。

現に前の戦いでは勝利目前の所まで追い詰めながら逃げられてしまった。

あの時仕留めていれば、眉山のこの惨状は起きなかったのだ。

八郎丸の傍らまで近寄ってつま先で大きな頭を2〜3度突っついてみたがピクリとも動かない。

「大丈夫そうじゃない?」

背後からエリスが近寄って来る。

アルティメット・クロスの脳裏に嫌な気配が沸き上がるのとエリスの悲鳴が上がるのが同時だった。

「きゃあああ!」

はっとして振り返ったエディーの目の前で、足首を幾重にもクモの糸に巻きつかれたエリスが逆さまに樹上へと引っ張り上げられてゆく。

「しまった!エリス!」

「うわわわわーん」

まるで罠にかかった動物のように10m近い木の枝で両手をぷらんぷらんさせている。

「たすけてぇ。アルティメット・クロスぅぅぅ」

大嫌いなクモの糸に絡めとられたのと高い所で逆さまに宙づりになった怖さとでエリスは半泣きになっている。

アルティメット・クロスは八郎丸を振り返った。

やはりまだ完全に絶命したわけではなかったのだ。

眉山を覆いつくすこの膨大なクモの巣を操って抗ってくる。

「エリス、渦のエナジーでクモの糸を焼き切るんだ」

「うん。やってみる」

エリスの胸のコアが青い光を発して彼女の体全体を包み込む。

足首に巻きついたクモの糸が白い煙となって蒸発してゆく。

「よし。うまいぞ」

ところが周囲に張り巡らされたクモの巣がよじられたクモの糸と化してエリスの足首へと集まって来る。

青い光はそれらを焼き続けるが、次から次へと新しい糸が彼女の足首に絡まって獲物を逃がすまいとする。

最悪、この山を包むすべてのクモの巣を焼き切るまで続けねばならないのだとしたら。。。

「エリスの渦エナジーが先に枯渇する」

―――やはり八郎丸の息の根を完全に止めるしかない!

そう思った途端、虫の息だった八郎丸が黒い体液のしぶきを上げてアルティメット・クロスに飛びかかった。

ドシャッ。

「うわっ、しまった」

最後の力を振り絞ってアルティメット・クロスの動きを止めたのだ。

だが、止めてどうする?

その時アルティメット・クロスは思い出した。八郎丸のもうひとつの能力を。

ヤツのツメは。。。

「放電するんだ」

初戦の折、ビルの屋上でエディーの上に折り重なるクモ型戦闘員に放ったツメの電撃だ。

バリバリ!

「まずい!」

電撃自体は大した出力ではなかったが、その電撃を受けた毒液は!

「発火する!」

案の定、深手を負った八郎丸からダラダラと流れ出た毒液が電撃を受けてボォ!と音を立てて燃え上がった。

毒液を浴びたアルティメット・クロスの体も、覆いかぶさっている八郎丸の体ごと高熱の青い炎に包まれた。

八郎丸の命すらも引き換えにして渦戦士を倒す。黒陰居士の執念を感じる恐るべき戦い方だ。

炎は地面に広がる灌木にも燃え移り、逆さ吊りになったエリスをもあぶり始めた。

「アチチチ。バーベキューになっちゃうよぉ」

エリスはミノムシのようにクネクネと身をよじらせてもがいている。

「バーベキューも嫌だけど、早く消火しないと大変なことになるわ」

エリスの声がアルティメット・クロスの耳にも届いた。

「そうせかさないでくれエリス。。。今こいつをどかせるから」

火に焼かれたせいか八郎丸の体は少し軽くなっていた。

アルティメット・クロスは更に力を込めてぐったりとしている八郎丸を「ええい!」と蹴り飛ばして体の上からどかせた。

その時エリスが歓声を上げた。

「あ、来たわ。ホラあの音。やっと来てくれた」

逆さまのエリスが自分の足元の方を指さして空を見た。

その音はエディーの耳にも届いている。

ヘリコプターだ。

クモの巣が頭上を覆っているため空は見えないが、確かにヘリコプターがエディーたちのほぼ真上にいる。

すると。

パラパラパラパラ。と大量の液体が降ってくる音がした。

「何だ?火を消しに来たのか?それにしては手回しが良すぎないか?」

アルティメット・クロスは赤いソードでうねうねと迫りくるクモの糸を瞬時に断ち斬ってエリスを救い出すと、白く張り巡らされているクモの巣を見上げた。

すると、液体が落ちたあたりのクモの巣に丸い穴が開いたではないか。

ジュワアアアアアア。

綿あめが水に溶けてゆくように、クモの巣の穴はみるみる広がってゆく。

青い空が再び頭上に広がり、1機の警察ヘリが液体を散布しているのが目視できた。

「いいぞいいぞ。効果てきめんじゃん。どんどん撒いちゃってねー」

エリスはヘリに向かって大きく手を振った。

クモの巣を消滅させた謎の液体はアルティメット・クロスたちの周囲で広がり始めた火も消してくれた。

もちろんアルティメット・クロスとエリスも頭からびっしょりと濡れてしまったが。

「エリス、この液体は一体何だい?そしてあのヘリはあらかじめスタンバイしていたのかい?」

「これはクモの巣を分解する溶液なのよ。最初に襲ってきた時に糸をサンプリングして成分を解析しておいたの」

エリスは濡れている掌を見ながらほほ笑んだ。

「クモの糸だけに作用して人や植物なんかにはなんの影響もおよぼさないから安心して。うまい具合に火も消えたみたいだし、一石二鳥ね」

いつもながらエリスの慧眼には恐れ入る。

「溶液自体はとっくに出来上がっていたんだけど、まさかこの眉山全域を包み込むほど広範囲に巣を張るとは思っていなかったから、追加で大量に生成するのにちょっと時間がかかってしまったのよ。で、出来上がり次第ヘリに積んで私たちのいる場所を中心に散布してもらうようお願いしておいたの」

溶液は雨のように眉山一帯に降り注ぎ、すべてのクモの巣を分解した。徳島市はシンボルたる美しい緑の山を取り戻したのだ。

やがて八郎丸の巨体もクモの巣同様ボロボロと崩れ始めた。

糸の組織を破壊する溶液は八郎丸自身の体組織も溶かしてしまう効果があったようだ。

アルティメット・クロスの打撃を食らって深手を負い、捨て身の戦法で放った火で自らを焼き、最期はエリスが開発した溶液で体を溶かされてしまった。

かつて巨大なタランチュラ型モンスターであったモノは、いまや完全に形を失って溶液で濡れた地面に沁みこんでしまった。

アルティメット・クロスは二段変身を解いてノーマルモードのエディーに戻った。

間違いなく、危険は去っていた。

 

<終章>つかの間の平和

「どこぞへ行くのかえ?」

タレナガースに呼び止められて黒陰居士は立ち止まった。

厚い雲が月を隠している。

闇夜である。

「徳島を去るか?」

黒陰居士は無言のまま背を向けている。

やがて再び杖をついて歩き始めると、森の中へ姿を消した。

「なんじゃ、愛想の無いヤツじゃのう」

アジトから出てきたヨーゴス・クイーンが、黒陰居士が消えた先を見ながら吐き捨てるように言った。

「もう少しやると期待しておったに。結局尻尾を巻いて退散しおった。情けないじじぃじゃ」

「まぁそう言うてやるな。クモを操る幻術を習得して以来、今回のようにコテンパンにやられたのは恐らく初めてのことじゃろう。あやつなりにショックを受けておるのじゃ」

「ふん、ショックなんぞわれらは毎回受けておるわ。のうタレ様や」

ヨーゴス・クイーンが胸を張る。

「どや顔で言うでない。そのようなもの自慢にもならぬわ」

タレナガースは傍らの木に巣を張るジョロウグモを見つけてツメの先でつまみあげた。

―――見ておるのじゃろう?

黒陰居士は己の目を閉じて、クモの目で物を見ることができる。世界中いたる所にいるすべてのクモが彼の目となるのだ。

「気が向いたらまた立ち寄るがよい」

そう言うとタレナガースはそのクモを元の場所に戻してやった。

アジトの中へ入っていったヨーゴス・クイーンを追おうとしたタレナガースが一瞬足を止めてジョロウグモの方を振り返った。

ジョロウグモが何か言ったか?

「左様か」

タレナガースは小さくそう言い残すと、今度こそ山の岩肌を素通りしてアジトへ入っていった。

しばらくして洞穴の中から大きな声が聞こえてきた。

「さぁて、今度はどんなモンスターを造ろうかのう」

「わらわに、わらわにやらせてたもれ!」

「ええい!そなたはジョロウグモで存分に遊んだではないか。それはそうとそなた、パスワードを何に変えたのじゃ?」

「忘れた」

「かああああ!毎度毎度余計なことを!もうこのマシンに触ることあいならぬ!」

「いやじゃ!いやじゃ!もういっぺんわらわにやらせてたもれぇ」

やらせてたもおおおおお!

その不気味な叫び声は眉山の麓の民家にまで届き、近隣住民に悪夢を見せた。

 

2台の高機動バイク、ヴォルティカが徳島自動車道を西へ向かっていた。

「新しいクモのモンスター、また襲ってくるかしら?」

渦のマスクにセットしたバイク用インカムからエリスの声がした。

「そうだなぁ。八郎丸とかいうあの巨大グモのモンスター、完全に破壊したからね。さすがにもう懲りたと思うんだけど」

「懲りる?ヨーゴス軍団が?それはないなぁ」

「確かにね。それにしても今回はナックル・コアといいクモの巣を溶かしたあの溶液といい、エリスのバックアップですごく助けられたよ」

エディーが親指を立てた拳を後方のエリスに向けた。

「へへん。じゃあエディー、パトロール終わりの晩ごはん、おごりね」

「チェッまぁ仕方ないか。いいぜ。何が食べたい?」

「中華がいいなあ。そうだ、油淋鶏がいい。油淋鶏!ラーメンも一緒に」

「じゃあ俺は酢豚にしよう」

「よぉし、そうと決まれば晩ごはんまで張り切ってパトロールするわよ!ついて来なさい」

そう言うとエリスはエディーのバイクを追い越して先行した。

キィィィィィィン!

2つのエンジン音が周囲の山々にこだました。

モンスターなど1体もいない平和な徳島の山々に。

。。。今のところは、だが。

【完】