渦戦士エディー

戦闘員救出せよ!

(幻の山荘:改題)

 


(一)戦闘員の正体

 

グヒグヒグヒ!

ゲヒゲヒゲヒ!

 徳島市内のとある商店街。

 5人の奇怪な男たちが街中を踊るように跳ね回っている。

頭には銀色に光るヘルメットを被っている。顔全体を覆う大きな怒りのドクロ仮面を着けているため人相はわからない。ダークグレーの迷彩柄のツナギを着用し、編み上げ式の黒い軍隊用ブーツを履いている。

 徳島全県民の敵ヨーゴス軍団の戦闘員たちだ。

 戦闘員たちは皆、殺虫剤のスプレー缶を両手に持って、あちらこちらへ跳びはねながら、まるで蚊でも退治するかのように缶の中身をシュッシュシュッシュとスプレーしている。

ゲヒゲヒゲヒ。

 戦闘員たちが噴きつけた霧状の液体は店の品物や人々の衣服に付着して、何とも言えぬ悪臭とともにジュウウウと白煙を上げた。

「うわっ臭い!」

「ぐ・・・ぐええ」

「ごほっげほ」

 白煙は通行人を取り巻くように拡散し、それを吸い込んだ人びとすべてに苦悶の声をあげさせた。

 毒ガスか!?

きゃああ!

いやあああ!

ヨーゴス軍団の汚染テロだと気づいた人々はクモの子を散らしたように逃げ出した。

 まもなく陽も西へと傾く時刻。夕餉の食材を求めて多くの買い物客が行き交う中へ現れた突然の闖入者によって楽しげな語らいの声や威勢の良い客寄せの声は掻き消され、逃げ惑う人々の悲鳴がアーケードの屋根にこだました。

 店の人たちは近くにいる買い物客を中へ招き入れると一斉にシャッターをガラガラガラと降ろした。

 ついさっきまであんなに賑やかで平和だった商店街が、一瞬でまるで死の町のようだ。ヨーゴス軍団の悪行とはこれほどまでに酷いものなのだ。

 しかし、それでも私たちはこの町で暮らしてゆける。

それは、彼らがいるからだ!

「まて!ヨーゴス軍団。悪さもそこまでだ!」

「平和な商店街の楽しいお買い物のひと時をだいなしにするなんて。許さないわよ!」

 額に輝く青いひし形のエンブレム。側頭部と背中にはしらさぎの羽を模したアーマーが銀色に輝いている。胸の青いコアは無限の渦パワーを湛えてまるでコスモのようだ。

「渦戦士エディー。参上!」

 もうひとりはエディーと同じ青いひし形のエンブレムを額に戴く女性戦士。風になびく長い髪は、胸のエディーコアの渦パワーによって透き通るブルーに染まっている。

「同じく渦のヒロイン、エリス。参上よ!」

 黒いゴーグルアイに睨まれた戦闘員たちの足がすくんだ。

 強力な宿敵の登場に戦闘員たちはあきらかに浮き足立っている。それでもエディーとエリスにむかって毒液を噴きかけながら戦いを挑んできた。

グヒグヒィ!

ギャヒギャヒギャヒ!

 徳島の住人たちが恐れるヨーゴス軍団の戦闘員だが、エディーに比べればあきらかに格下だ。繰り出されるパンチもキックもむなしく空を切るばかりだ。

「ほらほら。そんなことじゃアジトに帰ってタレナガースにこっぴどく叱られるぞ。弱い者いじめしか出来ない情けないやつらめ」

「もう、あっちこっち汚しちゃって。さぁこの間にちょいちょいちょいとサンプル採取っと」

 エディーが戦闘員たちを軽くあしらっている間にエリスは揮発したガスを吸って路上でうずくまる人たちを安全な所へと素早く誘導し、毒液のサンプルを集めはじめた。たちまち中和剤を作るのに十分な量が集まったようだ。

「オッケーよ、エディー」

 エリスからの避難完了の合図を待っていたエディーは一気に戦闘モードに入った。

 戦闘員の繰り出したパンチを余裕でかわし、その腕をひねり上げて路上に放り投げ、キックを受け流して胸に正拳突きを打ち込んだ。

 たちまち5人の戦闘員たちはエディーの足元に転がった。

 そのうちの1人がエリスの近くまで飛ばされてきて呻いている。

「エディーにかなうはずないじゃない。いい気味。。。」

―――助けて。

「。。。え?」

 戦闘員がエリスをじっと見上げている。だがすぐにまたゲヒゲヒゲヒと嫌な鳴き声をあげながら起き上がるとエディーに向かってゆく。

「何?今わたしに何か言った?」

―――お願い。

―――助けて。

 彼らに意識をむけると、突然エリスの耳にさまざまな声が届いてきた。まるで彼女の脳の中に直接流れ込んでくるかのようだ。

―――いやだ。

―――エディーと戦うのはいやだ。

―――こんなことをするのはいやだ。

―――助けて。

 声と言っても音声ではない。だがエリスには聞こえるのだ。

戦闘員たちのものではない。だが戦闘員たちから発せられたものだ。

 エリスの傍らへエディーが近づいてきた。戦闘の圧倒的優位にあるはずのエディーだが、何やら困惑しているようだ。

「エ、エリス。なんだい、あの声は?」

「エディー。あなたにも聞こえたのね。あの。。。声」

 渦エナジーのなせる業か。このふたりには戦闘員たちの声なき声が届いていたのだ。

「もしかしたら。。。彼らは人間なのかもしれない?」

「ええ!?戦闘員はタレナガースが産み出した人造生命体なのでは?」

 エディーの動揺は大きい。もし彼ら戦闘員がヨーゴス軍団によって人から改造されたものだとしたら、知らぬこととはいえエディーはヨーゴス軍団の被害者を攻撃してしまったのだから。

ゲヒゲヒゲヒ!

 必死でエディーたちに助けを求めながらも、戦闘員たちはやはりエディーとエリスに攻撃をしかけてきた。

 しかし彼らは皆。。。泣いていた。

 

「まずは安心して。捕縛した戦闘員たちは安全な施設に隔離して検査を始めたから。たぶん遠からずもとの人間に戻れるはずよ」

商店街での戦いから一夜明けた朝、いつもの喫茶店。

奥の壁際のテーブル4人分をふたりで占拠しているのは例によってヒロとドクだ。

最近ではマスターや他の常連さんたちにとっても見慣れた景色になっている「奥のテーブルのジャージのふたり」である。

ドクの言葉に向かいの席のヒロは背もたれに体を預けて天井を見上げて大きく息を吐いた。

「よかったぁ」

昨日戦ったヨーゴス軍団の戦闘員たちが、元々は人間だったのかもしれないというエリスの疑惑をどうしても無視できず、エディーは彼ら全員を倒さずに捕縛したのだった。

それは大正解だった。やはり彼らは「人間」であることが判明したのだ。

「だけどエリス。今まで僕がやっつけたモンスターや戦闘員たちは元人間だなんてことはないだろうね?」

相手はナニをやらかすかわからないヨーゴス軍団だ。心配の種は尽きない。

「大丈夫。今までの戦闘員たちは完全に人造ポイズンドロイド、つまりタレナガースが調合した毒性物質に電気ショックを与えたり異なる毒素を掛けあわせたりして超常化学反応を起こさせて製造された一種の下級モンスターだったから。今度のような事例は初めてなのよ」

そうか。と、ヒロは腕組みをしてまた考え込んだ。

またもやタレナガースめは新しい厄介ごとを始めたらしい。

「つまり、毒製戦闘員たちがあなたに片っ端からやっつけられて製造が追いつかなくなったから、手っ取り早く人間をベースにして造り始めたってことじゃないかしら」

「そのためにさらわれた人たちは何人くらいいるのだろう?」

「調べてみましょう」

ふたりは頷きあうとカウンターの奥でコーヒーを淹れているマスターを呼んだ。

「朝しるこセットふたつ!」

 

「なんと11人もかい?」

 ヒロの声は県立図書館の広いホールにこだました。

「シー!」

 ドクが慌てて人差し指を口の真ん中に立ててヒロを睨んだ。彼女の声を発しない口が「バ」と「カ」の形を表した。

 首をすくめて頭をかくヒロに今度はドクが近寄って小声で話しかけた。

「そう。見てよ、ヒロ」

バサバサバサ。

 広げた新聞紙の音がまたもや静かな図書館の館内に大きく響いて、ドクは思わずまた周囲を見渡した。

木製の大きなテーブルに重ねて広げられたのは、ここ6ヶ月分の地元新聞だ。何枚もの付箋がドクによってあちらこちらに貼られている。いずれも県民の失踪事件を伝える記事だ。

この半年間で、報道されただけで19件もの失踪事件が発生している。そのうち認知症の老人の失踪が5件。他県で発見されたり、数週間後にフラリと帰宅して解決したものが3件。残された原因不明の未解決失踪事件が都合11件である。

「ドク、この11件が全部ヨーゴス軍団による誘拐事件だと言うのかい?」

 ヒロが眉間に深いシワを刻みながら呟いた。だとしたら容易ならざる事態だ。

「確信はないわ。だけど、この行方不明者たちはみんな若い男女ばかりでしょう。戦闘員に改造するにはもってこいだと思わない?」

「うん、確かに」

「もしも私たちの仮説が正しいとしたら、昨日私たちが捉えたあの5人以外にまだ6人もの若者たちがヨーゴス軍団に拉致されていることになるわ。絶対に放っておけないでしょう?」

「もちろんだ。思い過ごしならそれでよし。だけどひととおり検証してみる必要があるね」

「ええ。これを確かめるには、彼らの足跡をすべてたどってみる必要があるんじゃないかしら」

 彼らの仮説とはつまり、ヨーゴス軍団が徳島県民をなんらかの方法で誘拐し、密かに戦闘員へと人体改造しているのではないかということだ。

 昨日の戦いでエディーとエリスが聞いた戦闘員たちの心の叫びは正義の戦士たちをして心胆を寒からしめた。

 戦闘員たちがもともと人間であるのなら、どんな悪さをしようともうかつに攻撃するわけにはゆかない。

 エディーたちは徳島県警に協力を仰ぎ、捕縛した人間製戦闘員たちを県警科学センターに増設した特殊病棟に入院させてもらった。その病棟では、かつてタレナガースによって苦しみとともに暴走しかけていた地の龍を鎮めるためにエリスが使用した渦エナジーの放射装置を床下に仕込んであり、その清らかなパワーで戦闘員たちを包みこんで小康を保たせつつ、エリスが調合した解毒剤を少しずつ投与してもとの人間に戻す計画を実行している。

だが、人ならぬ奇怪な肉体へと変貌したまま長時間が経てば、やがて回復への望みも絶たれるかも知れぬ。状況は予断を許さない。

「ここに掲載された記事を何度でも読み返して、どんな小さなことでも良いから手がかりをみつけよう」

「そうね。絶対に諦めないわよ」

 ふたりはテーブルに積み上げられた新聞の山から付箋のついた記事を1件ずつ取り出して読み始めた。

 ひとりの女性司書が、目を吊り上げて記事を読むヒロたちふたりへ訝しげな視線を送って通り過ぎた。

 

(二)地図に無い山

 

 間もなく日が落ちる。山の昼は平野部よりも短いのだ。

「どうしよう。迷っちゃったのかしら?」

「うん。。。どこかで道をはずれてしまったようだ。ここはどのへんなんだろう?」

ヒロとドクだ。

何の変哲もない若い男女の登山者に扮している。

しかしどうやら本当に道に迷ったらしい。先ほどから、頼りのGPSの調子が悪い。マップを表示するはずのモニターが何も映し出さなくなった。まるで人工衛星からの電波が何かに遮断されているかのようだ。こんな時のために買った新品なのにまったく役に立たない。スマホも圏外でどことも連絡がつかないうえに現在位置がつかめないのでは手のうちようが無い。

 今はまだ日の光がわずかに残っているが、まもなく真の闇が世界を包み込むだろう。

「勘を頼りに歩くのは危ないってショップの人が言っていたわよね」

 ドクの言葉に、ヒロも黙って頷いた。打開策を考えているようだが、うまい考えが浮かばない。

防寒用のニット帽を被り、フリースのジャケットに、足元をスパッツで覆った化繊のズボンに登山靴。背には大きなザックを背負っている。それなりに本格的なトレッキングの装備だ。ふたりとも山に関してはまったくの初心者なのだが、山へのハイキングをなめていたつもりはない。だがあくまで日帰りトレッキングの予定だった彼らにとって、想定外の夜は少々心細かった。。。

 

この数日、エリスは行方不明になった11人の家族に会っていろいろ話を聞いた。

行方がわからなくなる直前のようすはどうだったのか?普段と違うことはなかったか?そこに何らかの共通点はないか?

結果、その答えは意外なほど簡単に得られた。

「山?」

県内パトロール中、スーパーマシン・ヴォルティカを駆るエディーがサイドカーに座るエリスに訊いた。

「そうなのよ。ヨーゴス軍団にさらわれたと思われる11人はみんな、山歩きの準備をして家を出たらしいわ」

「なるほど、山へ出かけられる人なら体力はあるだろうし、戦闘員に改造するのに適していると考えたとしても不思議じゃないな」

「山の中のどこかに罠を仕掛けてハイカーたちがかかるのを待っていたのよ」

「なら、その山を探索すればヨーゴス軍団の戦闘員改造施設を見つけられるって寸法だな」

「そういうこと。でもね、それがどこの山なのか誰も聞いていないのよ」

「11の家族の誰も聞いていない?そいつは妙だな」

「ええ。でも変なことがもうひとつ。みんながみんな『あんな所に山があったなんて』と言って家を出たのですって」

「誰も知らなかったのかい?山歩き愛好家たちが揃いも揃って知らない山だなんて。そんなの変すぎると思わないかい?」

「ほんとよね。でも県警に協力をあおいで、防犯カメラやNシステムの画像を検索させてもらったの。姿を消した人たちがどの方向に向かったかくらいは見当がついているわ。明日にでも行ってみましょう」

「ああ、そうだな」

エディーの声は明るかった。この調子なら案外早く解決することが出来るかもしれない。

だが、彼の思惑はものの見事にはずれた。

 

「おっかしいなぁ。防犯カメラの映像に映っていた行方不明者たちはこの町から西へは行っていないはずなのよ」

愛用のAWD車の運転席で、エリスはフロントガラスにおでこをくっつけてあたりを見渡した。

「だけど、ここら辺に山はないぜ」

片やタブレットのマップを睨みながら助手席のエディーは唸るように呟いた。

さまざまな資料の分析によって、あらかじめ山の場所の見当をつけていたふたりだったが、この後3日間、彼らの探索は実を結ぶことはなかった。そしてその間にさらに2名の行方不明者が出てしまった。

痛恨の思いを胸に、それでもエディーとエリスは探索を続けた。ここでやめるわけにはいかない。

―――問題の山がこのあたりにあることは間違いないはずなのよ。

しかし、人工衛星から送られる地図情報には広大な田園地帯が表示されるのみであった。

「くそっ。いったい問題の山はどこにあるんだ!?」

もう同じ場所を何度も走っている。今日もここまで空振り続きだ。エディーがタブレットを睨みつけた。

その時、隣でエリスが息を飲む気配がした。

「エディー、あれ。。。」

 あきらかにようすが変だ。

「ナニ、どうしたんだエリス」

「ほら、あれ。山よ」

 呆然としているエリスの横顔を見つめるエディーは、彼女の指が指し示す方向へゆっくりと視線をめぐらせた。

「あ、あれは?」

 タブレットのマップによれば田んぼが広がるはずのそこに、山がそびえている。何度も通って確認したはずなのに、今までは無かったはずなのに、彼らの目の前には立派な登山道が整備された山があった。

「これは、どういうことだろう?」

「恐らくこのエリアに幻覚を見せるガスか催眠音波のたぐいが流されているのでしょう。山が見えているってことは、私達も既にその影響を受けているということだわ。あきらかにヨーゴス軍団の罠ね。気をつけてエディー」

「わかっている。ヤバいアラームが頭の中で鳴り響いているよ。だけど、ふふふ、ようやく見つけたぞ」

 そうだ。彼らはこの山を見つけるために何日も駆け回っていたのだ。罠だとわかっていても行くしかない。エディーとエリスは覚悟を決めて「うん」と頷くと変身を解いて車を降りた。

 

。。。日が暮れて暗くなった。霧も出ている。視界が悪いと不安もいっそう大きくなる。

「どこかでビバークしたほうがいいのかな?」

「それって野宿ってこと?なんだか怖いなぁ」

 装備一式を購入した際、登山コーナーの担当者からいろいろ教えてもらったが、付け焼刃の知識だけでどこまでできるだろう。

「山なんか来るんじゃなかったなぁ」

ドクは足元の石ころを蹴飛ばして文句を言った。山で凍え死ぬのは嫌だ。

「ドクが一度山へ行ってみたいって言ったんじゃないか」

「そうだっけ?ヒロが山はきっと気持いいぞって言ったんじゃない」

ふたりは言い争いをはじめた。

いや、ちょっと待て。なんだかおかしくはないか?

変身を解いているとはいえ、彼らは渦戦士だ。少しくらい山中で迷った程度で泣き言を口にするものではない。

もしかしたらヨーゴス軍団による何らかの精神操作によって本来の彼らではなくなっているのか?それともヨーゴス軍団の監視を想定して芝居でもうっているのか?

ホウホウホウ

どこかでフクロウの鳴き声がした。夜行性の鳥獣が活動を始めたということか。運悪くイノシシなどの大型獣と遭遇するかもしれない。ふたりは野生の中にいることを強く感じ始めた。

こんな山中で野宿は勘弁してもらいたい。心細さも極限に近づいた頃、ヒロが暗闇の中に何かを見つけた。

「ドク。ホラ、あれ。あれ!」

 何かを指差したまま足早に歩き始めた。「あ、待って」と言いながら慌ててドクも後に続く。すぐに彼女も気がついた。

 小さな立て札だ。緑色の蛍光ペンキで書かれた文字が夜のとばりの中で浮かび上がっている。

粗末な立て札だが、人が作った物を目にしたことが何より嬉しい。しかも立て札にはこう書かれている。

「夜越山荘」

 

「ヤエツサンソウ?ヨルゴエサンソウ?まぁ夜を越すための山荘ってことだろうが、本当はなんて読むんだろう?」

それにしても、こんな山の中で宿泊施設を見つけられるとは思わなかった。「夜越山荘」という名はガイドブックにも載っていない。だがなんにせよ地獄に仏である。もし営業していなくとも、たとえ廃屋であっても、建物が残ってさえいれば絶好のビバークポイントになるだろう。ふたりは足早にその先へと進んだ。

 夜霧は山荘に近づくにつれてどんどん濃くなってゆくようだ。じっとりとした湿気が全身にまとわりついて、まるでこの先へ進んではいけないとでも言っているようだ。だがふたりはもう前しか見ていなかった。はあはあと口で荒い息をしながらあえぐように進む。

 そしてついにそこへ辿り着いた。

「あった」

「営業しているわ」

 小さな山小屋だが、窓からは電灯の光がもれてくる。

 ふたりは躊躇なく山荘のドアをノックした。

 

「どなた?」

 ギィィィという古い蝶番の音とともに現われたのはガイコツのようにやせ細った男性の顔だ。

「ひっ」

 ドクが首をすくめてヒロの背後に身を隠した。

 眼窩は窪み、頬はこけている。まるでシャレコウベだ。ただ愛想笑いの口元から妙に尖った歯が光っていた。

 頭髪も普通ではない。灰色、いや銀色に近い色の頭髪だ。しかも肩まで伸びる銀髪を、細かく複雑に編み上げてある。レゲエでよく見るドレッドヘアだ。上半身は軍隊を思わせる迷彩色のTシャツに白いエプロン、下半身はカーキ色のパンツに青いクロックスのサンダルというちぐはぐないでたちだ。

 エプロンには「垂永須」という名札がピンでとめられている。

「あの、山荘の方ですか?」

「左様。あるじである」

「あの、僕たち道に迷ってしまって。。。野宿しようかと思っていたら、偶然こちらの案内板を見かけたので、その、ひと晩泊めていただけませんか?」

 あるじの異様な容姿に圧されたのか、ヒロの声もちょっとうわずっている。

「入られよ」

 あるじは犬歯をあらわにしてニィと笑うとふたりを中へといざなった。

 畳三畳ほどの狭い玄関はどこもかしこも木製で、木の切り株を流用したテーブルセットが置かれている。人ひとりしか立てぬ狭いフロントデスクの向こうに入ったあるじが大きな木札の付いた部屋のカギをふた束取り出してヒロとドクに渡した。

「よをごすさんそうへようこそ」

「あの、宿代とか。。。お支払いは?宿帳とか、書かなくていいんですか?」

「いらぬ。部屋は201号室と202号室。2階の、階段上がってすぐ右じゃ。それと、夜食の用意が間もなくできる。奥の食堂へ来るがよい」

 ぶっきらぼうにそう言うと、フロントの奥のドアの向こうへと姿を消した。

 機嫌が悪いのか、もともとそういう性格なのか、接客業にあるまじき愛想の悪さに客は気を悪くするだろうが、今夜のヒロたちはそんなことを気にはしていられない。なにせここは、地獄で出会った仏の宿なのだから。

 ふたりはキーを手に、言われたとおり階段を上がった。

ところが一歩踏み出した途端、足もとが急にぐらりとふらついて、ふたりはバランスを保てず床に手をついた。そんなにも疲れはてていたのか、と内心驚いた。まるでシーソーに乗っているかのようにぐらつく階段を、ふたりは四つんばいの格好で昇りきった。

まっすぐな廊下が奥まで続き、左右にドアが並んでいる。ドクがドアの数を数えようとしたが、うまくいかなかった。ひとつなのか10なのか?いや無限に並んでいるようにも思えた。

ゲヒゲヒゲヒヒヒ。

 どこからか妙な声が聞こえてきた。

―――なんだろう?空耳かしら。。。

ドクは耳をすませたが声の出どころは掴めない。傍らのヒロは気づいてすらいないようだ。

 

変だ。

ずっと変だ。

いつから変なのかはわからない。

いろいろわからない。

なぜ顔がひきつったドクロのような面になっているのか。。。なぜダークグレーの迷彩柄のツナギなんぞを着ているのか?この軍人が履くような編み上げ式の黒いブーツは何なのか?。。。

ゲヒゲヒゲヒ。

 奇妙な声で鳴いているのは誰だ?

 あっちでも。

 こっちでもだ。

「なんだ?こいつは?。。。え?」

―――鏡?

「これは、俺の顔?ひぃっ!?」

 鏡に映っている自分の顔が見る見る変わってゆくではないか。

頭頂部がまるでロケットのように尖りだし、額からは2本の触覚が ニョキニョキとはえてきた。

「なにか俺、変だ!変だよギギィ」

―――え?

ふと自らの手を見た。

人間のものではない!

先端が鋭利に尖って二の腕からは無数の突起が飛び出している。まるで昆虫の足ではないか。

―――うわあ!ナニこれ?助けて!誰か!

 悲鳴をあげたが、それはただギィギィギィという泣き声でしかなかった。

「この声、俺の声!?俺はどうなっちゃうんだ?もう人じゃないのかよ!」

 ゴキブリだ!

全身が茶色い巨大なゴキブリ人間になってしまう。嫌だ!嫌だ!嫌だ!

 

 さいわい201号室と202号室はすぐ見つかった。廊下を挟んだ向かい同士の部屋だ。室内には粗末なベッドがひとつと木製の小さなサイドテーブルがひとつきり。テレビも冷蔵庫も無い。さらに夜の空気が漂っている。どこかに隙間があってそこから外気が忍び込んでいるのだろう。それに妙な臭いまでする。掃除がゆき届いていないのか?それとも湿ってじっとりと重い布団の臭いだろうか?

 それでもヒロとドクはそれぞれの部屋でリュックを降ろすと、外にいた時の服装のままベッドに体を横たえた。どんなに湿っていようが臭かろうが、これはまぎれもなく布団だ。大きな木の根元か土の窪みに体をよせあって夜露の中で眠ることを考えれば何万倍もありがたい。この幸運を与えてくれたのが神か仏かは知らぬが、文句を言ったら失礼だ。

ドクは部屋の窓から外を見た。この山荘にたどり着けなければ自分達は今もあの闇の中にいたのかと思うとぞっとした。

「あら?」

闇の中で何かが動いた。

―――ふくろうかしら?

正面の大きな木の陰に?ボゥと赤いものがふたつ浮かび上がった。

―――目!?

カッと見開いた異様に大きな目が赤い光を放ちながら木陰からじぃっとドクを見つめている。

ひっ!と息を呑んでドクは急いでカーテンを閉じた。

ひとりでいるのが急に怖くなり、ドクはヒロの部屋をめざして自室を飛び出した。

ドン!

キャッ!

廊下へ飛び出した途端、ドクは誰かにぶつかった。見上げると、山荘のあるじが感情の無い洞穴のような目で彼女を見下ろしていた。

「あ、すみません。。。」

「夜食を食べにまいれ。よいな」

そう言うとあるじはくるりときびすを返して階下へ降りていった。

 

3分後、ヒロとドクは食堂に顔を出していた。

食堂には4つのテーブルセットがあるが、他の宿泊客達はすでに食事を済ませていたのか、そこにはふたりだけがいた。

ドン!

いきなりふたつのトレイがヒロとドクの前に置かれた。

驚いて見上げると、いつの間にそこにいたのか、白い割烹着と三角巾を着けた女性がテーブル脇に立っていた。名札には「久院」と書かれている。

その顔を見上げてドクは悲鳴をあげそうになった。顔の三分の一ほどもありそうな大きな吊り上った目は真っ赤に充血している。ついさっき彼女が部屋の窓から見た、闇に浮かび上がるあの赤く光る目にそっくりだ。

「何じゃ?」

女性の割にはしゃがれた声だ。

「い、いえ。いただきます」

ドクはトレイに置かれた料理に目を落とした。パンとスープだ。

「夕食はもう終わっておるでのう。このようなものしか用意できぬ」

「いえ。有難いです」

ヒロは本当にお腹がすいていたようで、嬉しそうに土色のどろりとしたスープを口に運んだ。その勢いにつられてドクも。だが、すぐにふたりは口を押さえた。

「う。。。こ、これは?」

なんとも表現しがたい味だ。臭いもキツイ。お世辞にも美味しいと言える料理ではない。

「不味いかえ?ひょっひょっひょ。山で集めた薬草のスープじゃ。我慢して飲んでおくがよいぞ。明日になれば疲れが取れて山歩きが楽になることうけあいじゃ」

―――なるほど。そういうものか。

再びスプーンを口へと運びはじめたふたりを置いて久院は厨房の奥へ姿を消した。三角巾からはみだした頭髪が目の覚めるようなピンク色であった。

 

夜食を食べ終えたふたりは「おやすみ」と挨拶を交わしてそれぞれの自室へ戻った。

異変は間もなく始まった。

お腹も満たされ、ベッドに横になったらすぐ眠気に襲われるのだろうと思っていたヒロだったが、案に反して目は冴えまくっていた。体の奥からふつふつと湧き上がってくるものがある。食堂の人が言っていた薬草のスープがもう効いてきたのだろうか?

この感覚は時間が経つと共に次第に強くなってくる。そしてヒロは体の芯から沸きあがってくるものの正体をはっきりと認識した。

破壊衝動だ。

ヒロは部屋の中を見渡した。ベッドか?テーブルか?いや、いけない。そんなことをしちゃいけない。だが。。。

暴れたい気持と理性がヒロの中でせめぎあっている。ヒロは拳で己のひざを強く叩いた。

ゲヒヘヒ!

その頃、向かいの部屋ではドクも同じ症状に苦しんでいた。

―――ハァ、ハァ。何なのよこれ?そこらへんにあるものを手当たり次第に壊してしまいたい。

ギギ。。。

妙な泣き声が喉の奥から湧き上がり、ドクは自分でも驚いた。

我慢できずにドクは自分のリュックを掴むと力任せに壁に投げつけた。

衝撃でリュックの中身がバサリと飛び出して室内にばらまかれた。

ゴトン。

鈍い音がして、リュックの中にあった何か硬いものが床に落ちた。

「うわっ」

床に落ちた物体はやおら青い光を放ち、部屋の隅々までをまるで海の底にいるかのように青く染め上げた。

う。。。うぐ。。。え。。。おえ。。。

その光に全身包まれたドクは、なにやら苦しげに喉元を押さえた。肩が不規則に上下している。

「う。。。わ、私は。。。ブチ壊したい。。。違う。。。私は。。。私は。。。」

―――守りたいの!

事件の記憶がフラッシュバックする。

商店街での戦い。

啼いていた戦闘員。

図書館での調査。

行方のわからぬ人々。

心配する家族の顔。

顔。

顔。

「そうよ!だから私はここに来た!」

頭の中にかかっていた濃い霧が晴れ、ドクはすべてをはっきりと思い出した。この山の周囲に網の目のように張り巡らされた催眠電波のせいで不覚にもミイラ取りがミイラになってしまった。

だが、今彼女はすべてを取り戻したのだ。偶然リュックから落ちたこのエディー・キューブのおかげで。

 

(三)エディーコア発動!

 

 翌朝、山荘のあるじが朝食の用意が整ったと告げに来た。

ヒロとドクは再び食堂にやって来た。昨夜の印象よりも広く思えるのは窓から差し込む外光のせいだろうか?

先客がいる。

4つのテーブルにふたりずつ、8人の宿泊客達が朝食を食べている。

よほど旨いのか、それとも腹が減っているのか、皆テーブルの上の料理に乗りかかるように背を丸めてムシャムシャ食べている。

いや、違う。何か違う。どこかがおかしい。

「おはようございます」

ふたりは先客たちに明るく挨拶した。だがなんの反応も返ってこない。

「ねぇヒロ?」

「ああ。みんな、いったいどうしちまったんだ?」

ムシャムシャムシャ!

ガツガツガツ!

ペチャペチャペチャ!

ジュルジュルジュル!

なにやら人の食事とは思えない。皆、鬼気迫る雰囲気をまとっている。ドクが一番近いテーブルで食事する男性の顔を覗き込んで絶句した。

口の形状がヒトのそれとは違っている。まるで昆虫のようだ。そのうえ額からは2本の触覚が伸びているではないか!

「この人たち、ゴキブリ型戦闘員になりかけている!?」

「ほれ、早よう席につかぬか」

その時、久院という食堂担当の職員が二人分の食事が乗った木のトレイを両手に持って食堂に入室してきた。

「あ、はい」

ヒロとドクは言われたとおり空いているテーブルに向かい合って腰をかけた。

目の前に置かれたのはナニやら穀物が入ったスープである。

「きちんと食すのじゃぞ、よいな。ひょっひょっひょ」

久院は奥のテーブルで食事をしている客達を見渡して満足そうに頷くと食堂を出て行った。

ドアに耳を押し付けて気配が遠ざかるのを確認したヒロがドクを振り返って目で合図する。

ふたりは片手の拳を自身の胸に置き、もう一方の手を開いて真っ直ぐ前に伸ばした。

「エディー・コア発動!」

意識を体内のエディー・コアに集中させると、それに応じてコアが発動する。体の芯がカァっと熱くなり渦パワーが体の隅々にまで流出するのを感じた。

青いオーラが二人を包む。オーラは堅固なアーマに変わりヒロとドクは渦戦士エディーとエリスに変身した。

エリスがバッグから先刻のオーラと同じ青い光を放つ四角い塊を取り出して自分達のテーブルに置いた。その塊から放たれる青い光はとても強く、狭い食堂の内部はたちまち隅々まで青く染め上げられた。

「うぐっ!」

その途端、一心不乱に食事をとっていた客達は皆いちように体をぴくりと震わせた。

エリスが取り出したものは、昨晩悪魔のような呪縛からヒロとドクを解き放ってくれたエディー・キューブだ。立方体のクリスタル容器に渦パワーが充填されている。

商店街での事件でエディーたちによって保護された、戦闘員に変えられた人々の症状を診たドクが応急の処置用にと持参したとっておきのアイテムだったのだが、これによってまずドク自身が最初に救われることになるとはまったく予想外であった。

ドクに続いてヒロもエディー・キューブの放つ浄化のパワーによって正気に戻された。だが、まだまだクリスタル・キューブにはたっぷりの渦パワーが残されている。

ぐう。。。

がはっ!ぐえええ。。。

げっげっ!あああ!

皆、青い浄化の光を浴びて悶絶している。特に奥のテーブルに座っている客達の苦しみ方が尋常ではない。

昨晩のヒロとドクがそうであったように、恐らくはこの山荘で供される食事に、人間を徐々にヨーゴス軍団の戦闘員に変えてゆく何かの薬剤が混ぜ込まれているに違いない。

肉体の細胞を変化させ、それに伴って精神まで荒々しくなってゆく。そして最後には人間ならざる悪の手先へと成り果ててしまうのだ。

ここにいる人たちこそ、エディーとエリスが探し続けていた原因不明の行方不明者たちに違いない。

奥の方のテーブルに座っている客たちは、恐らくこの中でも早くからここに「軟禁」されている被害者たちだろう。長くここの食事を食べ続けてきた分、苦しみようも激しいのだ。中には床に倒れこんで両手両足をバタバタさせている者もいる。

「エリス、例の薬を投与してみよう」

「そうね。この苦しみから早く解放してあげなくちゃ」

エリスは、キューブの渦パワーによって自分自身が正気を取り戻すまでの数分間の苦しみを思い出した。交互に襲ってくる耐え難い虚脱感と嘔吐感。わずか1食口にしただけであの苦しみだったのだ。何日もここにいた人たちは今、地獄の苦しみに苛まれている。

エリスは自身のバッグから栄養ドリンクのボトルに似た小さなカプセルを取り出した。

エリスはそのカプセルの片方に被せられている青いキャップをはずすと、一番奥のテーブルに向かった。奥の席に座っていた男性は苦しみのあまり椅子ごと後方へひっくりかえって呻いている。額の中心には黒いドクロが痣のようにうかびあがり、顔は濃い緑色に変色している。白目をむいてヒクヒクと激しく痙攣している。エリスは手に握ったカプセルを倒れた男性の額のドクロに押し付けた。

プシュ!

カプセルに内包された薬液が体内に注入される音がした。

このカプセルはエリスが考案した無針注射器で、ヨーゴス軍団の活性毒素を無効化させるワクチンが込められている。エディー・キューブともうひとつ、今回の被害者救出用スペシャルアイテムである。

エリスは同じように他の宿泊客にも薬液を注入してまわった。

「エリス、時間がない。奴らが来る前にこの人たちをここから連れ出さなきゃ」

エディーはドアの外の気配をうかがいながらエリスに警告した。今回のミッションはヨーゴス軍団を倒すことではない。この人たちをもとの世界へ連れ帰ることなのだ。

頷きながらエリスはテーブルや床に突っ伏して苦しむ行方不明事件の被害者達を見回した。

―――歩けるのかしら?でもやらなきゃ。何としても!

エリスは比較的症状の軽そうな一番手前に座っている男性ふたりの肩に手をかけた。

「さ、ここから逃げるのよ!」

 

(四)追撃と迎撃

 

バタンバタンと荒々しい足音がして食堂のドアが勢いよく開かれた。

「どれ、食事はもうおわっ。。。た。。。ありゃりゃ?」

山荘のあるじは奥目を可能な限り見開いて空っぽの部屋を見渡した。

その目に次第に怒りの炎が宿り、あるじはここで何が起こったかを理解した。

あるじの背後から食堂担当の久院もやってきた。

「うえっ!なんじゃこの気持ちの悪い清々しさは?」

久院は口を押さえてよろめいた。

もちろんあるじも感じていた。そうなのだ。入室した瞬間から感じていたこの清浄な空気の粒のようなもの。。。

覚えがある。

間違いなくこれはあの忌々しいヤツが現れた証拠だ。

「おのれエディーめ!」

あるじの全身から怒りの黒い炎がゴオゴオと吹き出した。

真っ黒な炎はあるじの着ている衣服を焼き、その皮膚までも焼いた。そしてその下から現れたものは?

肉をそぎ落としたしゃれこうべの顔だ。

人のものではない。ケモノのものでもない。怒りに歪みねじくれた、この世ならざるモノのしゃれこうべだ。

眼窩は落ち込み、その奥には底なしの闇が澱んでいる。左右の口の端からは頬を切り裂くかのごとき鋭いキバが突き上げるように生えている。

衣装も変化している。

迷彩色のコンバットスーツに編み上げ式のブーツ。その装束を覆うように、胸には強固なドクロ型のアーマが、肩からはケモノのマントが忽然と現れた。

一連の謎の行方不明事件の首謀者にしてヨーゴス軍団の首領、タレナガースである。

「掻っ攫ってきて今日まで、エサを与えて内部から肉体改造し、徐々におぞましく育て上げてきたのじゃ。ここで逃がしてなるものか!」

かああああ!

まだ渦パワーの清浄な気配が漂っていた食堂いっぱいにどす黒い瘴気を満たすと、タレナガースはケモノのマントを翻して食堂から飛び出していった。

 

ハァハァハァ。

う。。。ぐうぇえ。。。

一行は山道を駆け続けていた。

駆けるといっても、エディーとエリス以外の8人は皆、足元がおぼつかない。

ただでさえ見通しのきかぬ森の中、木の根や潅木に足を取られる山道であるうえに、全員ヨーゴス軍団によって人体細胞を改変させる悪魔の薬液を摂取しているのだ。エリスの応急処置でわずかに人としての自覚が蘇ってきたが、まだ体がいうことをきかない。

「しっかり!意識をしっかり持ちなさい!」

「君たちは人間なんだ!ここを逃げ切れればもとの生活に戻れるんだ!」

エディーたちは常に彼らに呼びかけ、励ました。そうしていなければ、特に重傷者たちは戦闘員としての人格が浮上してきそうだ。走りながらも「ゲヒゲヒ」「グゲゲ」などと人ならぬ声をあげたりしている。

「し、しっかりしてください。。。」

「さぁ、私の手をとって」

症状が比較的軽い者が自分よりも苦しげな人に声をかけはじめた。そんな姿は、困難な脱出ミッションをリードするエディーたちの目にも頼もしく写った。

―――どうだタレナガース。これが人間だ。自分も苦しいけれど、隣で苦しむ人にも声をかけられる。この気持ちこそが人間の強さだ。決してお前たちに負けないと信じられる何よりの根拠だ!

ごああああああ!逃がさぬぞおお!

その時、山の木々を振るわせる不気味な声があがった。

バサバサバサ!

山の隅々まで響き渡るような大きな声に驚いた山鳥の群れが一斉に飛び立った。

ザアアアア!

森が震え、大地が凍りついた。

凄まじくおぞましい気配が近づいてくる。エリスは山荘のあるじが追ってきているのを冷たい背筋の感覚で察知した。

「来るわ、エディー」

しばし足を止めて背後の森に気配をめぐらせていたエディーも、焦りの色を隠せずにいた。

「急ごう。とにかく前へ進むんだ」

一行は再び足元の悪い山道を進み始めた。

「エリス、エリア脱出まであとどれくらいだろう?」

さすがのエディーにも焦りの色が浮かび始めた。

「わからないわ。GPSが機能しないから今どの辺にいるのかさっぱりなのよ。だけど走ってきた距離と時間からしてもう半分以上は下山しているはずなのだけど」

走りながらエリスが応えた。そうだ。とにかく走るしかない。前へ!前へ!

ごおおおおお!

再び追撃者の遠吠えが聞こえた。あきらかに先ほどよりも距離を詰めている。苦しみながら進む人たちを守りながらでは逃げ切れそうにない。

エディーは決心した。

「エリス、キミはこのままみんなを連れて走れ!必ずこのエリアを脱出してこの人たちを家族のもとへ返してくれよ」

エリスも足を止めてエディーを振り返った。目と目で互いの思いが交され、ふたりは無言で頷きあった。

―――あとでね。

―――ああ、あとで。

エリスは膝を地面につき肩で息をしている人たちを励してまた立たせると、下り斜面を進み始めた。

その後姿を見送って、エディーは大きく揺れる背後の木々に向き直った。

「さぁ、こっちから行くぜ。ヨーゴス軍団!」

追撃する者と迎え撃つ者。反発しあうふたつの大きなパワーがググっと距離を縮めて、弾ける臨界を迎えようとしていた。

 

魔人は足を止めた。

硬いシャレコウベの顔がニヤリと笑った。いつまでも脳裏からはなれず何度も悪夢に出てくるであろう不気味な笑みだ。

「諦めたか。正しい判断である」

その視線の先にあるは額に青いロンバスをいただく正義の使徒である。ヨーゴス軍団にさらわれて非道な改造を受けた人たちをこの巣窟から逃がすために単身魔人の前に立ちはだかったのだ。

「渦戦士エディー参上!」

タレナガースの全身から瘴気が暴風のように噴きつけてくる。人間ならば、かなり格闘技に精通した者であっても後ずさらずにはいられまい。

その中をエディーは平然と前へ進んだ。

「さぁかかって来いよ。ガイコツ野郎」

善と悪、清と濁の両極が一気に間合いを詰めて交差した!互いの手の内はいやというほど知っている。

―――右のツメが脇を狙って斜め下から。これがいつものヤツの初弾だ!

―――阿呆が。どうせ正拳を正面からじゃ。毎度毎度つまらぬヤツよ!

ズガッ!

バシュッ!

エディーとタレナガースのジャンピングソバットが同時に繰り出され、炎をまといながら双方のボディに炸裂した。

ぐはっ!

ぎょえっ!

相手の裏をかこうとして図らずも同じ攻撃を繰り出したエディーとタレナガース。両者のバトルセンスは存外似ているのかもしれない。

バキバキバキ!

車のドアくらいなら蹴破りそうな蹴りを喰らったエディーとタレナガースは吹っ飛んで肩口から周囲の巨木に激突して呻いた。

―――この野郎、俺の裏をかきやがった。

―――いつもと違う変則攻撃。。。正義の味方の分際でアジな真似を。

体からボロボロと木の破片を撒き散らしながら立ち上がった両者は今一度拳を構えた。闘気がゆらゆらと立ち昇る。

もうあれこれ考えまい。己の細胞にプログラムされた本能の攻撃パターンにすべてを委ねよう。

ズガ!ドカ!バシ!ザシュ!ドドン!ガン!ゴオン!

再び風を巻いて拳とツメ、蹴りと蹴りが高速で交わった。

後頭部で束ねたタレナガースの銀の髪がエディーの手刀でばらりとほどけてざんばらになった。その銀髪が魔人の闘気によって逆立ち、怒れる獅子のようだ。

ふたりの闘気がぶつかり、渦を巻き、タレナガースの瘴気を取り込んで周囲の木々をのけぞるように外側へ反らせていた。真上から見下ろせば、そのフィールドは天然のリングと化したようだ。

タレナガースの太い二の腕の筋肉に裏付けられた鎌のごとき鋭いツメがエディーのアーマをガリリと抉る。

来るとわかっていてもガードが間に合わぬエディーの超高速パンチが、タレナガースのドクロのボディアーマにピシリと大きな亀裂を作る。

「このぉぉぉ!」

「どおおりゃああ!」

ほとんど互角の戦いではあったが、それでもわずかに、わずかずつエディーのパンチ、キックがタレナガースにダメージを与えてゆく。

ぐはっ!

エディーが放った神速の回し蹴りを側頭部に受けて、はじめてタレナガースが後ろへさがった。それはほんのわずかな後退であったが、この戦いの勝敗を決めた決定的な証しであった。

「ぬううう」

タレナガースが悔しげに呻いた。

 

(五)強さの秘密

 

エリスに導かれて、なかばヨーゴス軍団のゴキブリ型戦闘員に変えられていた行方不明の人たちは、麓の町を目指していた。

 奇妙な食事と謎の山荘に張り巡らされた脳波を狂わせる電波の網に絡め取られてしまったせいで、健全な肉体を蝕まれ、人ならぬヨーゴス軍団の一員へと生きながらにして改造されかけたのだ。清浄な渦パワーを浴びてなんとか人の意識を取り戻しはしたものの、まだ体の具合は本調子ではない。

 ふらつく足を下り坂にとられ、潅木にさえつまづきながら、彼らは必死で前へ進んだ。

体力的にキツくなり一行の進むスピードも落ちてしまったため、エリスは思い切って小休止をとった。

時間的にもよい頃合なので、エリスはもう一度無針注射器で全員にワクチンを投与した。

即効性のあるワクチンに体内の毒素が拒否反応を示したのか、皆再び苦しみ始めたが、発作がおさまれば前よりもまた少し人間らしさを取り戻したようだった。

「さぁ、行きましょう。もとの生活が待ってるわ」

 エリスの言葉に皆立ち上がって進み始めた。

うっうっ。。。

 誰かが泣いている。

 本来なら山歩きを楽しめるほどの頑健な肉体を持つ若者が、歩きながら涙を流しているのだ。

―――母さん。ボクは元気だ。今、帰るよ。

 肉体がいびつに変貌してゆこうとも、人の精神は簡単に消し去ることはできない。変わってゆく己の体と薄れ始めた記憶の中で、もう愛する家族には会えぬとあきらめていた。

 だが、エディーが来てくれた!

 エリスが人間の世界へと導いてくれる!

 嬉しい。こんなに嬉しいことはない。

 家族の面影を浮かべて喜びの涙を流しているのだ。

「エディーは大丈夫かなぁ?」

 その時、ひとりの若者がポツリと呟いた。

「え?」

 先頭を歩いていたエリスは驚いて振り返った。

「エディーをひとり置いて、僕らだけ逃げ帰ってもいいのかなぁ」

 その言葉に全員が立ち止まった。

「そうだよ。エディーは強いけれど、ここはヨーゴス軍団の本拠地だからなぁ」

「ひとりで闘っているんだよな、僕らを逃がすために」

 一番若い青年はまだ二十歳そこそこだろう。はやる気持ちが山の木々の向こうにある町のほうを向かせているが、エディーをひとり残していることが後ろ髪を引かせているのか、足が止まったまま動かない。

「彼なら大丈夫よ。渦戦士エディーは決して負けたりしない。心配せず、さぁ下山しましょう」

 エリスの言葉に、皆「うん。。。」と頷いた。

 

「おのれエディーめ。いつもいつもいつもいつも余の企みをだいなしにしおって。今日こそはこの手で引導を渡してくれようと思うたが、かくなるうえは。。。出でよゴキブリモンスター!」

ゴギゴギゴギ。

 タレナガースの呼びかけに応じて、木々の向こうから全身がどす黒く光る奇怪なモンスターが現れた。二足歩行の巨大なゴキブリ怪人だ。エディーよりもひとまわり大きい。

三角形の頭部はへしゃげたように平たく、一対の丸い眼が赤く光っている。せまい胸部の下には後方へピンと突き出した腹部がある。4本の腕は人間と違って体の前部からニョキリとはえている。実際のゴキブリと違ってケモノのような筋肉が盛り上り、肘から先は細かいトゲ状の突起が無数にあって触れるものを無差別に傷つけるだろう。

人間を無理やり変身させて造ったのではなく、タレナガースが悪魔の律でブレンドした特殊な活性毒に高圧電流を流して産み出したオリジナルだ。

「ふぇっふぇっふぇ。ヒトからこしらえた亜種などとは桁違いの強さじゃぞ。ゆけゴキブリモンスター、エディーを倒せ!」

ゴギゴギゴギ。

 不気味な鳴き声をあげて、長い触手をせわしなく動かしながらゴキブリモンスターはエディーに襲いかかった。

シュッ!シュシュッ!

 腕の先端の鋭利なツメを突き出してくる。強力な肩の筋肉によって繰り出される攻撃は目にも止まらぬ速さだ。まともに食らえばエディーの装甲も貫かれそうだ。

だがスピードならばエディーも負けてはいない。残像を見せるほどの高速で体をスウェーさせ、その攻撃をすべてかわしてみせる。ゴキブリモンスターのツメはエディーの残像をむなしく貫くばかりだ。

 エディーは攻撃をかわしながら、自分の周囲の木々から奇妙な白煙がたちはじめたのに気づいた。

―――こいつ、毒液を?

エディーを捉え損ねたゴキブリモンスターのツメの先端から飛沫が飛び、周囲の木の幹に付着してじゅううという音とともに見る見る腐らせてゆく。おそらく強酸性の猛毒液だろう。ツメの攻撃で受けた傷にこの毒液を流し込まれたら、エディーといえどもただではすむまい。

―――侮れない相手だ。

 その時エディーはハッと気づいた。いつの間にか森の中の大きな木のもとに追い込まれている。数人の大人が手をつないでようやくひと回りできそうな巨大な木だ。毒ヅメの連続攻撃をうまくかわしていたつもりで、エディーはここへ追い込まれてしまったのか?

巨木を背にしたエディーに対して、ゴキブリモンスターは4本の腕を通せんぼのように大きく広げてエディーの左右からガシッとツメを巨木に食い込ませた。

これでエディーはゴキブリモンスターの太くて長い腕のケージに閉じ込められた形になった。

ギュルル。。。

ゴキブリモンスターの口からだらりとよだれが垂れた。

口がガギガギとせわしなく動き出した。

―――こいつ、俺を食おうとしているのか?

大きくいびつなアゴの中でギザギザの旋盤の如き歯がグルグル回転している。実際のゴキブリの歯とは異なる形状だが、これもまたモンスターたる所以であろう。

「ふぇっふぇっふぇ。ゴキブリは雑食じゃでのう。何でも喰らうぞよ。肉でも草でもヒーローでものう。ふぇ!」

大きな顎の中の回転する旋盤状の歯がグイッと前へせり出してエディーに迫った。旋盤状の歯で切り刻み、喉の奥へ放り込もうというのだろう。

―――俺はそんなに旨くはないと思うがなぁ。。。

エディーはゴキブリの逞しい雑食性にちょっと感心してしまった。だが事態は切迫している!

エディーは両腕でゴキブリモンスターの頭部を押さえて攻撃を防いだ。

次第に狭まる樹木とゴキブリの間でエディーは身動きとれずに呻いた。

「ふぇっふぇっふぇ。ほんに食欲旺盛なよい子じゃ。のこさず全部食べるがよいぞ。ほれガリガリガリ、ほれボリボリボリ」

タレナガースの嫌な音頭に調子づいたのか、ゴキブリモンスターの旋盤歯はエディーのマスクすれすれに迫った。

エディーの姿はもうすっかりゴキブリモンスターに包み込まれてしまって背後のタレナガースからは見えなくなった。

ううう。。。

エディーの声が聞こえた。

うううおおお。。。

タレナガースはエディーの最期の苦鳴をしみじみと味わって聞こうと目を閉じた。この魔人には断末魔もクラシック音楽のように聞こえるのかも知れぬ。

うううおおおおおおおお!

おやおや?消え去るであろう苦鳴が次第に大きくなってきた。タレナガースはどんなようすなのか、首を伸ばして覗き込んだ。

うおおーーー!おりゃ!

ドオン!

ギョエエエエ。。。

消え入るどころかエディーの声は大きな気合となり、炸裂音と共にゴキブリモンスターの巨体は後方へ吹っ飛んだ。

ひょええええ!

覗き込もうとしてあおりを食ったタレナガースも驚いて仰向けにひっくり返った。

シュウウウウ。

そこには両の拳を前へ突き出したエデイーが立っていた。

「エディー・ソードの味はどうだ、ゴキ野郎」

動きを封じられながら、エディーは両腕をゴキ野郎の大顎にねじ込むと同時に口中で渦パワーを放出し、エディー・ソードを練成させたのだ。

ゴギギュルル

吹き飛ばされたゴキブリモンスターの口の中にはエディー愛用の剣が突っ込まれ、柄だけが口の外に出ている。

モンスターはその柄を掴むとズルズルとソードを喉から引き抜いた。ソードと共に緑色の体液がゴボゴボと大量にあふれ出る。口の周りから喉にかけてズタズタになっているはずだ。

ゴキブリモンスターの手に握られた途端、青い光のソードはたちまち輝きを失って消滅した。

しかしソードは敵の体内に致命的な傷を残した。。。はずなのだが、ゴキブリモンスターはそれでもツメをエディーに向けて今にも飛び掛ろうと身構えている。並みのモンスターとは桁違いの生命力だ。

「今度はこっちからいくぞ、ゴキ野郎」

 ここまでの戦闘でゴキブリモンスターの攻撃のリズムをある程度捉えているエディーは、隙をついて頭部へのワンツーパンチでゴキ野郎をのけぞらせると間髪を容れずに胸部へ神速の回し蹴りを叩き込んだ。

ゴゲエエエエ。

 ゴキブリモンスターはキックをくらった衝撃で緑の体液を噴き出しながら後方へ吹っ飛んで悶絶した。体の内外からのダメージはやはり大きいようだ。

「こ、これ。しっかりせぬか!」

 タレナガースが見ていられぬというふうに両手で己の目玉のない目を覆った。

 その時、ゴキブリモンスターの背が縦に割れた。

「むっ、飛ぶのか?」

 エディーの言葉通り、ゴキブリモンスターは背に収納していた左右2対の羽根を展開して宙へ舞い上がった。

ブウウウウウウウン。

 忌々しいゴキブリモンスターは木々の間を巧みにすり抜けながら飛び、変幻自在の立体戦法でエディーに再び挑んできた。

 宙を滑空して毒液を撒き散らすツメの攻撃を繰り返す。エディーも上空に向けて拳を突き上げるが、リーチはモンスターの方が長い。下方にいるエディーが圧倒的に不利だ。

 たとえ毒ヅメによる攻撃をかわしても、強酸性の毒液がエディーに降り注ぎ、アーマーのいたるところを溶解させた。

「くそっ。チョコマカとめんどくさいゴキ野郎だな!」

 何度目かの急降下攻撃を迎え撃ったとき、エディーは下草に足を取られてわずかにバランスを崩した。上ばかりに気をとられすぎたせいだ。

 一瞬の反応の遅れを突いてゴキブリモンスターの右の毒ヅメがエディーの体に赤い筋をつけた。

―――しまった!

 エディーの左足から白煙があがった。傷口から毒液を注がれてしまったのだ。鋭い痛みにエディーの表情が歪む。空からの執拗な攻撃を受けている今、足を止められてはまずいのだが。

「ふぇっふぇっふぇ。どうしたエディーよ。苦戦しておるではないか。ゴキブリモンスターよ、エディーが苦しんでおるぞ。早くとどめをさして楽にしてやらぬか」

―――大きなお世話だ、タレナガースめ。これくらいどうということはないさ。

ブウウウウウ。

 羽音をたててゴキブリモンスターがまた襲ってきた。

 エディーは気合もろともジャンプすると、最寄りの大木の幹を蹴ってさらなる高みへと跳んだ。

トオオ!

 頭上10メートルの空中戦だ。

 ゴキブリモンスターの毒ヅメとエディー必殺の三角蹴りが激突した。ふたつの影が高速で交差し、黒い陰は再び空へ舞い上がり、青い陰は地面に着地した。

 着地したエディーの傍らへドサリと何かが落下した。

 ゴキブリの腕だ。

 炎を噴き上げるようなエディーの飛び蹴りがゴキブリモンスターの右の中足をつけ根からもぎ取ったのだ。

 だが。。。

「くっ」

 エディーの上体がぐらりと傾き、彼は地面に片膝をついた。右のわき腹のアーマーが20センチほど切り裂かれている。えぐられた部分から白い煙が立ち昇っていた。傷の痛みとともに毒による眩暈と吐き気がエディーを襲った。

 敵の腕1本、これがその代償というわけか。

「くそ。ちょっと高い買い物だったかな?」

 エディーは歯を食いしばって立ち上がると再び身構えた。

ブウウウウウウン。

 羽音を響かせてゴキブリモンスターが上空を旋回している。

 足とわき腹にダメージを負ったエディーに向けて左右の前足を盛大に振ると、ツメの先端から迸る猛毒の液体が雨のようにエディーに降りかかった。

シュウウウウウ。

ジュウウウウウ。

「くっ、うう」

 地面を転がって少しでも強酸毒の雨から逃れようとするエディーだが、降りかかる毒液は彼の堅固なアーマーを溶かし、肉体に深刻なダメージを与えた。今やエディーの全身から白煙が立ち昇り、彼から俊敏性が失われてゆく。

―――ちょっとまずいかな、これは?

 かすむ視界の中で、ゴキブリモンスターが急降下して襲い掛かる。攻撃をかわさねばと思ってももはや足が思うように動かない。

ドゥゥン!

 大きな音をたててゴキブリモンスターがエディーに体当たりした。

ぐわあ!

 高空から急降下した勢いのままの巨大な弾丸をエディーはモロにくらって吹っ飛んだ。

背後の巨木に背をしたたかに打ちつけ、息がつまった。

「ふぇっふぇっふぇ。エディーのあのざまを見よ。愉快じゃ!さすがは余が丹精込めて造り上げた自慢のモンスターじゃ」

「くそ。オレはまだ闘えるはずだ。もう少し、もう少し渦のパワーの昂ぶりさえあれば」

 エディーは小刻みに震える己のひざに拳を叩きつけて悔しがった。

―――がんばれ

 それはまるで空耳のようなかすかな声だったが、エディーの耳はしっかりと捉えていた。

 エディーは驚いて声の方を振り返った。

「まさか?」

 エリスとともにここを脱出したはずの人たちが木々の間から頭を出してこちらを見つめているではないか。

「がんばれエディー!」

「負けるな!立て!立ってください!」

「エリス、これはいったい。。。?みんなどうして戻って来たんだ?」

 信じられぬという表情だ。

「それがね、みんなあなたをひとりにして逃げられないって言うのよ。早く家に帰って家族に会いたいはずなのに、あなたが心配だから戻ろうってきかないの」

 エリスも困惑して首を左右に振る。

 エディーは大木の陰からこちらへ声援を送る人々の顔を見た。みんな必死だ。拳を突き出す人もいる。

―――自分達を助けに来た俺を逆に心配して。。。?

「そんなモンスターに負けないでよ、エディー!」

「やっつけて!」

 そして、エリスも含めた全員の声が期せずしてひとつに重なった。

ガンバレェエエエエエ!

 熱いものがエディーの胸の奥から湧き上がってきた。

 その熱い何かは輝きを失いかけていたエディー・コアの中にかすかに残されていた渦エナジーを再び対流させはじめた。

 エディー・コアに青い光が戻ってきた。

「エディー危ない!」

 エリスの叫びと同時に上空で旋回したゴキブリモンスターが再びエディーめがけて突進した。

ガシイイン!

 エリスたちは思わず目を覆った。

 だが。。。

ぬおおおおおお!

 地面で棒立ちになっているエディーの体をピンボールのように弾き飛ばしてもう一度空に舞い上がるはずだったモンスターの大きな体は地面から約1メートル数十センチのところでピタリと止まっている。

「なんじゃ?どうしたモンスターよ・・・うぇっ?」

 ようすを確認したタレナガースは絶句した。

 重量実に400キロ近く。大型バイクほどの重さを持つ昆虫型飛翔モンスターを、エディーは二本の腕で受け止め、その動きを封じていたのだ。

おりゃあ!

 気合もろともエディーはゴキブリモンスターを頭よりも高く差し上げて、そのまま逆さまに地面へと叩きつけた。

グシャア。

 木の根が張り巡らされた硬い地面に頭から突っ込んで、ゴキブリモンスターは悶絶した。

「な、なぜだ!貴様あれほどボロボロだったくせに、こんな真似がなぜできる?」

 タレナガースはあきらかに焦っている。口の端から緑の泡を噴いている。

「これほど戦ってこれほど負けておきながらまだわからないのか、タレナガース。オレの力の源は決して渦パワーだけではないということを。いつだってオレを奮い立たせるのは善良な人たちの声援さ。平和を願い、人と自然を愛する純粋な心の叫びさ。見ろ、このエディー・コアの輝きを!」

 ヒクヒク痙攣するモンスターを見下ろして悠然と立つヒーローの胸にはどこまでも青く澄んだエナジーが渦を巻くコアが燦然と輝いている。

 ゴキブリモンスターがフラフラと立ち上がった。三角形だった頭部は今の衝撃で醜くへしゃげている。

 さぁ、そろそろこの闘いにピリオドを打つ時がきたようだ。

 エディーが腰を落として両足を踏ん張ると、彼の周囲の大気が静かに渦を巻きはじめた。

ヒュウウウ。

 巻き上げられた落ち葉が吸いつくようにエディーの体にまとわりついた。

ゴオ!

 ゆるやかな大気の渦は突如突風となり、エディーの体が宙に舞った。

「激渦烈風脚!!」

ドガガガガガガ!

 姿が霞むほどの超高速で回転しながら蹴りを繰り出すエディーに対し、サンドバッグ状態のゴキブリモンスターの体はみるみるボロ雑巾のようになってゆく。

ズサッ!

 つむじ風のごときエディーの回転キックが止まったとき、棒立ちのゴキブリモンスターの右の前足がボトリと地に落ち、そのままの体勢で怪物は仰向けに倒れた。

ドドーン!

 生命活動を停止したゴキブリモンスターの体は地面に倒れこむ直前に破裂して消えた。

「いかん。ここはひとまず退散じゃ」

 ヨーゴス軍団の首領はゴキブリモンスターの最期を見届けるや、あたふたと姿を消した。

「やったわね、エディー」

 エディーのもとにエリスたちが駆け寄った。疲れた体にむちうってエディーを精一杯応援してくれた人たちも満面の笑顔だ。

「すごい。やっぱりエディーだ!」

「エリスの言うとおり、何の心配もいりませんでしたね」

 だがその言葉にエディーは静かに首を横に振った。

「いいえ。正直あの時オレは大ピンチでした」

「えっ?」

 敬愛するヒーローの意外な言葉に皆驚いたようだ。

「あなたたちなのですよ、オレを勝利に導いてくれたのは。あの時、ゴキブリモンスターのツメと毒液と体当たり攻撃によって追い詰められていたオレは、あのまま敗れていたかもしれなかった。だけど、みなさんの声援が、一刻も早く家へ戻って家族や友人たちに会いたいはずの皆さんの叫びが、オレの胸の中でエナジーとなって力をくれたんです」

 エディーはみずから手を差し出して、彼に声援を送ってくれた人たちひとりひとりと握手した。

 最後にエディーと握手した最年少の若者は頬を紅潮させて言った。

「あなたはボクのヒーローです」

「ありがとう。だけど本当のヒーローは、皆さんなのですよ」

 

 やがて一行はヨーゴス軍団の悪しき影響下にある山を無事に降りることが出来た。

安心したエリスが今来た道を振り返ると?

「ええ?山がないわ!」

その声に驚いたエディーたちも背後を確かめた。

だが、そこにはどこまでも広がる田んぼときらきら輝く水を湛えるため池があるのみで、今の今までいたはずの険しい山などどこにもなかった。

「僕達は夢を見ていたのかなぁ?」

行方不明被害者のひとりがポツリとつぶやいた。

「そうね、そうかもしれない。みんな一緒に悪い夢を見ちゃったかな?」

エリスがわずかに震えるその背をなでながらやさしく言った。

  

(六)そして次なる闘いへ

 

脳波を狂わせる電波を特定のエリアに流して幻覚の山を見せ、GPSを使用不能にさせて道に迷わせた。瘴気に含まれた毒性物質で意識と記憶を混濁させつつ、幻覚で見せた山荘におびきよせて毒が混ぜ込まれた食事で体の内側から人間をヨーゴス軍団の戦闘員へと改造する。

ここ1ヶ月ほどの間に発生した原因不明の失踪事件は、こうして行われたヨーゴス軍団のかどわかし作戦だったのだ。

 

 山から降りたエディーら一行はその足で最寄りの警察署へ向かい、ことの仔細を報告した。

 行方不明という扱いになっていた山荘の宿泊客たちは、車で迎えに来た家族と何週間ぶりかの再会を果たした。

 たがいに名を呼び合い、喜びの涙をぬぐおうともせず抱き合う姿に、エディーとエリスは苦労が報われた思いだった。

「ただいま県警本部から連絡が入りました。先におふたりが保護した戦闘員、いや市民の皆さんも継続的な渦パワーの照射とワクチン投与で次第にもとの姿に戻りつつあるとのことです」

 若い警官がてきぱきと報告し、敬礼して去っていった。

「よかった」

 エディーとエリスは互いを見合わせて微笑んだ。

 ヨーゴス軍団の魔の手に一度は絡め取られた人たちも、遠からずかつての日常生活を取り戻すだろう。

「それにしてもタレナガースめ、恐ろしいことを考えるヤツだ」

 エディーの声は怒りに満ちていた。

「だけど私達の力はあいつらを上回っているわ、そうでしょう」

エリスの言葉は自信に満ちている。なぜならエディーとエリスには頼もしい徳島の人々がついているからだ。

渦戦士と徳島の人々の揺るがぬ信頼関係がある限り、魔人タレナガースに勝ち目などない。

 ヨーゴス軍団のたくらみを完全に粉砕し、徳島に真の平和が訪れる日まで、闘え我らの渦戦士エディー!

(完)