渦戦士エディー

水上の激闘

 


(一)放たれたモノども

 台風一過。

蒸し暑いがともかく5日ぶりの青い空と緑の海だ。

堤防の上には、この天気を待ちかねた太公望たちが一列に並んで釣り糸を垂れている。

堤防の根っこでは大学生らしき3人の若者たちがチョイ投げでキスを狙っている。腰をおろしているクーラーボックスの中には15〜16センチほどのキスが3匹放り込まれていた。

「先週ケンちゃんが40センチ超のキスを釣ったってのはこの辺なんだよな」

「そうだよ。気持ちよかったぜ」

 左端の若者、3人の中では最も釣り歴が長いケンタの笑顔が他のふたりの負けん気に火をつけたようだ。

「さぁ、ノボルもコウちゃんも気合入れなよ」

「おう!」

 真ん中のノボル、右端のコウスケが同時に拳を突き上げて気勢を上げた。

「でも、そろそろアタリが来てもいい頃じゃないかなぁ?」

 竿を持つ手の感触に注意をはらいつつ、3人は海面を凝視している。

 その時、真ん中のノボルの竿が突然グイとしなった。

「オッ!言ってるそばから来たんじゃね?」

「よっしゃ、4匹目ゲットだ」

「バラすなよ。慎重にな」

 左右の若者たちは真ん中の釣竿の先を見つめて歓声をあげた。

 竿はクイックイッと不自然な動きを見せている。その時。。。

グイン。

 その竿が急に大きくしなった。

「うおっ、何だ!」

 ノボルが突然立ち上がった。

「どうした?」

「おい、キスの引きじゃないぞ」

 左右のケンタもコウスケも糸の先にいるものを見極めようと目を大きく見開いている。

 やがて魚影が見えてきた。大きい。キスでないのは確かだ。

「おい、こりゃ?」

「マゴチだ」

 体長60センチはあろうかという黒く平べったい魚が糸の先に食いついている。

「釣れたキスに食いついたんだ」

「ほほう、珍しいパターンじゃのう」

「ダブルゲットか」

「ついておるのう」

「まったくだ。こんなこと滅多にないぞ」

「なかなかのサイズじゃ」

「ああ。このサイズのマゴチはそうそう。。。?」

「グロテスクでなかなか可愛いのう。ふぇっふぇっふぇ」

―――ふぇっふぇっふぇって。。。え?

 3人はようやく気がついた。そして奇妙な4つめの声の主へ恐る恐る振り返った。

「よう、余じゃ」

 まるで3人の若者たちと顔見知りであるかのようにヒョイと片手を挙げて挨拶した「モノ」は。。。

銀色の長い頭髪はドレッドに編まれ、後頭部へ流れている。一見浮浪者のようだが、その顔は人間のものではなかった。おぞましいシャレコウベだ。白骨なのだ。そして左右に大きく裂けた口元からは長く鋭い一対のキバが頬から耳に向かって伸びている。

胸にはドクロの鎧状の胸当てを着けていて、肩から何かのケモノの毛皮でこしらえたマントを羽織っている。

徳島県民なら誰もが知っている、そして決して出遭いたくない存在。

「タ、タレナガース!」

 3人の若者たちは同時にのけぞって悲鳴を上げた。

「た、助けて!」

 助けを求める彼らの叫び声に、周囲の釣り人たちもその好ましくない存在に気がついた。近くにいるだけで病気になりそうな、見つめられるだけで一生悪夢にうなされそうな、声をかけられるだけで嘔吐しそうな最悪の存在だ。

皆、高価な愛用のつり道具を放り出して逃げ始めた。ローンを組んでまで手に入れた虎の子の竿だが、そんなものに構ってはいられない。今彼らを支配しているのは本能だ。「死にたくない」という本能のみだ。本能に支配された人間は損得など考えない。理性も吹っ飛んでいる。堤防の上はたちまちパニックになった。

かああああああああ。

タレナガースが逃げ惑う人びとの背後から追い討ちをかけるように口からどす黒い瘴気を大量に吐き出した。

「ふぇっふぇっふぇ。逃げよ逃げよ、愚かな者どもめ」

無人となった堤防で、タレナガースは3人の若者たちが残していったクーラーボックスを海へ蹴り込んだ。

「ふん。おのれは海の小動物をこのように釣り上げて殺しておるくせに、余ひとりを悪者のように言うて被害者ヅラしておる。まこと人間とは救いようのない馬鹿どもじゃ」

タレナガースはひとりで毒づくと、足元にうちすてられたひときわ大きく黒い魚に目を落とした。若者の一人が釣り上げた獲物だ。タレナガースは鋭いツメで魚の尾びれをつまむと目の高さまで持ち上げた。

「さきほどの若造がマゴチと呼んでおったのう」

マゴチ。コチの仲間で食べると美味しいが、平べったく、シャベルのようにしゃくれた大きな口に不釣合いな小さな目、まだら模様のグロテスクな姿をしている。

「不細工で可愛いのう。最近ではブサカワとか言うのじゃろう?醜いだけではなく、針を飲んで弱っておる小魚を襲って食う、その姑息な性根がまたよいぞ」

つまみ上げたマゴチを左右にブルブル振りながらしばらく見つめていたタレナガースは、やがて意を決したように頷くと「よし」と呟いた。

「おぬしに決定じゃ」

そう言うと虫の息のマゴチを堤防の硬いコンクリートの上に置くと懐から細長い注射器を取り出した。シリンダーにはなにやら墨色の液体で満たされている。

「余が精魂込めてブレンドした肉体強激改造用活性毒素、その名もクラッシングXプレミアムである。クイーンの奴に知られたら、またぞろ勝手に使いたがるゆえ苦労して極秘裏に開発したものじゃ。いよいよ待ちに待った実戦投入の時よ」

タレナガースはブツブツひとりごとを言いながら注射器を右手に持つと、左人差し指のツメの先でマゴチの頭部をツツゥとなぞった。そのツメが両目の間でふと止まった。

「うむ、ココじゃな」

言うなりタレナガースは逆手に構えていた注射器の針をツメで探り当てたポイントにブスリと突き刺した。

急所に注射針を撃ち込まれてヒクヒクと痙攣するマゴチに構わず、注射器の中の液体を一気に押し込んだ。

数秒後。。。

ビタン!

今まで死にかけていたマゴチが突如力強く跳ねた。力強い尾びれの一撃が堤防のコンクリートを叩き、その勢いで宙高く舞い上がったマゴチはそのまま海にドボンと姿を消した。

後に残されたタレナガースは腕組みをしてひとり沖を見ている。強い海風がこやつの銀色のドレッドヘアを揺らしていた。

ヘックション!

「さむ。。。帰ろ」

吹きさらしの堤防から立ち去りかけた魔物は、途中もう一度ヘィックショイと大きなくしゃみをした。

 

同じ頃、吉野川下流域のヨシの茂みに怪しい人影あり。

かれこれ30分以上も川の流れを見つめてたたずんでいる。まさか入水しようというのでもあるまいが、それにしてもただならぬ気配を身にまとっている。

いや、ただの「ただならぬ」ではない。その雰囲気は完全に人間離れしている。

顔の3分の1もありそうな、瞬きをしない大きな目。そしてピンクの頭髪。ピンクのマント。ピンクのピンヒールニーハイブーツ。なによりその全身から立ち昇るどす黒いオーラは光をも吸収するブラックホールのようだ。

ヨーゴス軍団大幹部ヨーゴス・クイーン。

「んんんん。タレ様のなさることは、いつもようわからぬ」

大きな目であたりを見回している。

「わらわに隠れてなにやらコソコソしておると思えば、このような黒くて臭いドロドロをこさえておったとは。どうせ何ぞの毒液であろうが、注射器に入れておったところを見ると何かに注入して使うのじゃろうな」

クイーンは懐から細長い注射器を取り出した。なるほど中にはどす黒い液体が詰め込まれている。どうやら人外の女王様は首魁タレナガースが極秘のつもりで開発したこのアイテムの存在にしっかりと気づいていたようだ。

「じゃがのう。。。いざこうして注射器を掠めて来てみれば、なにやら面倒くさくなってしもうたわい」

はぁ。

ため息をついてヨシの茂みに腰をおろした。今日はここで油を売って、あしたアジトへ帰ろう。注射器のことを聞かれたら、川に落としたとでも言えばよかろう。

ヨーゴス・クイーンはそう腹を決めると、その場にゴロンと横になった。澄んだ青い空やさわやかな川風が気に入らないが、じっとり湿った土がなかなか心地よかった。

「いたた!」

なにかが足にチクリときた。

「なんじゃ、無礼者!」

クイーンが注射器を持ったままの右手を振って足の痛みの元を振り払うと、小さな手ごたえを残してそれは近くのアシの茂みに飛び込んだ。

―――まったく、人がせっかく気持ちよく油を売っておるというのに。それにしてもこのうっとうしい注射器さえ無ければ。。。無ければ。。。あやや!?

ヨーゴス・クイーンは己の右手を見た。今の今まで持っていたはずの注射器が無くなっている。

「無い。無いではないか。いずこへいったのじゃ?落としたかえ?」

慌てて周囲を見渡すが、どこにも落ちてはいない。

「まぁよい。どうせ失くしたと言うつもりだったのじゃ。嘘がまことになっただけじゃ」

ヨーゴス・クイーンは立ち上がると「仕方ない。うんうん」と自分を納得させると、お尻の土をはらいながら土手の向こうへと姿を消した。

ヨーゴス・クイーン。あらゆる失敗を数秒で忘れ去ることができる鋼鉄の心臓を持つ魔女である。

 

(二)川に何かいる?!

ズドーン!

深夜の静けさをぶち壊す巨大な爆音が周囲の家々を震わせた。

轟音で揺さぶられる家屋から弾き飛ばされたかのように人々が外へ飛び出してきた。

「何だ!?」

「スゲー音がしたぞ」

「爆発か?」

「いや、飛行機が落ちたんだろう」

わらわらと大勢の人が懐中電灯を手に、土手の上の道路へ駆け上がってきた。吉野川沿いの土手道だ。土手道と言ってもちゃんと車が対向できる広さを持っている。

皆、思い思いの方向へ懐中電灯の光を向ける。

「家はどこも壊れていないな」

「じゃあ、いったいさっきの音は?」

「。。。うわっ!こりゃ一体?」

土手の反対側、川辺に降りていた男が声を上げた。それにつられて皆土手の上から川の方へ懐中電灯の光を向けた。そして全員、息を呑んだ。

「こ。。。小屋が。。。」

「粉々じゃないか」

河川敷に建てられていた木造の小屋が見るも無残にバラバラに砕かれている。この小屋は土手を整備する電動草刈機やシャベルや竹ぼうきなどをしまってある物置として使われていた。中はタタミ6畳分くらいの広さを持つそこそこ大きな小屋だった。それがものの見事に粉砕されて、小屋の木材やら仕舞われていた道具類などがあたりに散乱している。屋根材の一部などは川に浮かんで下流へと流れてゆくではないか。

「やっぱり、爆発したんだな。。。」

「テ、テロ?」

その単語を耳にした途端、そこにいた全員が一斉に、ほぼ同時に、震える指でスマホを取り出して110を押した。

 

日が昇る前に県警からパトカー3台とバイクや自転車に乗った警官が12人、それに鑑識員4人がやって来て、昨夜粉々に破壊された河川敷の小屋の周囲に集まっていた。

「おまわりさん。やっぱりコレはテロの仕業でしょうねぇ」

背後からかけられた問いに、近くにいた若い制服警官は首を左右に振った。

「いやそれが、小屋の壁の板が外側からすごい力でへし折られているんです。これは爆発とかじゃなくてクレーンか何かで叩き壊されたもんです」

「クレーンって、俺らが飛び出したときにはそんなモンなかったぞ。なぁ」

「おお。小屋が砕かれるすごい音がしてスグ外へ出たから、そんなデカイ物があったらいくら夜中でも気づくだろうに」

「ううむ。そうは言ってもなぁ」

若い警官は腕組みして首を捻った。その時誰かが背後からその警官の耳をひねり上げた。

「いぃぃでででで!」

誰だ!とばかりに振り返ると、そこには初老の制服警官が目を吊り上げて立っている。どうやら若い警官の上司のようだ。

「このバカタレ!捜査状況を軽々しくほかへ漏らすんじゃないとあれほど言っただろう!」

「ひぃ、すみません」

あっち行ってろ!とばかりに掌でしっしっと追い払う上司にペコペコおじぎしながら、若い警官は走り去った。

「ねぇねぇ。何かすごい力でぶち壊されたんですって?」

「重機か何か、見つかったんですか?」

相手が誰であろうと住民たちの興味は尽きない。今度は初老の警官を取り囲むと口々に質問を浴びせかけた。

囲まれた警官は素早く後ずさると両手を住民たちのほうへ突き出して制止した。

「いやいや。まだ鑑識も結論を出していません。何もわかりませんので」

そう言うとくるりと背を向け、駆け足で立ち去った。

「ちぇっ、何だよ。少しくらい状況を話してくれてもいいじゃないか」

第一発見者の住民たちは、すっかり蚊帳の外に追いやられてしまった。そして物置小屋全壊の事件は結論が出されぬまま時間だけが過ぎていった。

 

吉野川の北岸土手を1台の軽トラックが走っていた。

対向車が無いためか無遠慮なハイビームがはるか遠くまで照らしている。

決して広くはない道路なのに少し蛇行してはいないか?運転手はふざけて運転しているのだろうか?それとも?

窓を降ろし、右の肘を乗せてタバコを吸いながら左手だけで運転している。風に乗ってフンフンフンと調子はずれな鼻歌が聞こえてくる。

運転手はザバアアンと大きな水の音を聞いたような気がした。何かでかい魚でも跳ねたかな?と思った途端。

ドガアアン!

耳が潰れるような大きな金属音と、車ごと掴んでシャッフルされたかのような激しい衝撃に襲われ、運転手は意識を失った。

 

「エディー、事故みたいよ」

吉野川にかかる橋を走行していたヴォルティカのサイドカーで周囲に注意を払っていたエリスが、赤い回転灯に気づいた。

ふたりは高機動バイク、マシンヴォルティカで徳島県下をパトロール中なのだ。

たしかに川の土手にパトカーが停まっている。

―――やけに警官が多いな。

エディーは胸騒ぎを覚えた。大きな事故かもしれない。怪我人がいなければよいのだが。

ヴォン!

橋を渡りきると、エディーはハンドルを事故現場のほうへと向けた。

エディーたちの姿を認めた制服警官がひとり、エディーたちに近寄ってきて敬礼した。事故の状況を手短に説明する。傍らには1台のベージュ色の軽トラックが引っくり返っていた。どうやら土手から転げ落ちたようだ。土手の草が所々えぐられていた。

「運転手は何かにぶん殴られたって言ってるんです」

「ぶん殴られた?運転手さんは何か異変に気づいて車から降りたんですか?」

エディーの問いに若い警官は顔の前で掌を振って違うと言った。

「ぶん殴られたっていうのは車ごとらしいんです。土手を走っていたら何かデカイ物に車ごとドカーンとぶん殴られて下まで転げ落ちたんだ、と」

突拍子もない話にエディーとエリスは顔を見合わせた。

「確かに車の側面はベッコリとへこんでいるわね。でも、軽自動車とはいえ走行中の車を?」

「はい。運転手は、その。。。エビにやられた。エビだエビだ、と申しておりまして。。。はぁ」

「エビ?これを。。。エビが?」

ふたりが呆れるのも無理はない。

こんな馬鹿馬鹿しい話をエディーに聞かせてよいものかどうか、若い警官は困惑しているようだ。

「ただ、その運転手、実はちょっと。。。酒臭くて」

「え?お酒を飲んで運転していたのですか?」

そうなると一気に話の信憑性が低くなる。もしかしたら飲酒による事故を誤魔化すために口からでまかせを言っている可能性すら否定できなくなる。

―――なんだ、そういうことか。

ヨーゴス軍団の仕業の可能性を模索していたエディーとエリスは、拍子抜けしてしまった。

「お酒を飲んで車に乗るなんて。それがどれだけ危ないことか、どうしてわかってくれないの?」

エリスは悲しそうな目で呟いた。

 

今日はおかしい。

フローターの背もたれに後頭部を乗せて、タモツは天を見上げた。

ブラックバスを狙って日の出前の5時頃から川に繰り出してかれこれ90分。30分ごとにポイントを変えてワームで試し、スピナーでも試した。冬に備えて敵は食欲も旺盛のはずだ。

釣れない要素が見当たらない。

なのに1尾も釣れない。

ブラックバス歴12年の自分にとって、この状況はどうにも納得がゆかぬ。しかも吉野川は自分のホームグラウンドだ。

「しゃあない。もういっちょうポイントを変えるか」

ルアーを巻き上げるとタモツはフローターの左右に取り付けられたオールをこぎ始めた。

―――まるでこの川にはもともと魚が1匹もいなかったんじゃないかって気になっちゃうぜ。

フローターはさらに下流のインレットをめざした。

「ここで釣れなきゃマジで引退だ」

タモツがキャストしようと竿をしならせたその時。。。

「?」

なにか硬いモノが足ヒレに触れた。魚がつっついたというような感じではない。大きな、ゴツゴツした、何か?

「なんだ。。。ナニがいる?」

大きな岩でもあるのかと、慌てて周囲の水中に視線をめぐらせたタモツはフローターのほぼ真下にある大きな光る丸いものに気づいた。ふたつある。

―――目?そんな、馬鹿な!

次の瞬間右足に鋭い痛みを覚え、悲鳴をあげようとした途端、タモツはフローターごと水面から弾き飛ばされて宙に舞った。

少し明るさを増した東の空に、ズタズタに引きちぎられたフローターのボディと赤く巨大なハサミ。それらを見て、タモツは意識を失った。

 

(三)海にも何かいる?!

日いちにちと秋の気配が深まってゆく。

土曜日の今日、大鳴門観潮船は地元や関西近県からの観光客で賑わっていた。

ちょうど満潮時だ。瀬戸内海と紀伊水道の水位が大きく異なり、わずか1.4キロの狭い海峡の真ん中で激しい流れが生じる。海底の複雑な地形がそれに手を貸して大きな渦巻きに変える。

ゴゴゴゴゴゴ。

約120人を乗せた観潮船は、現れては消えるいくつもの渦潮の真ん中を突っ切っていた。

「右手に大きなのが出ますよっ!」

ベテランの船長が渦潮の気配を巧みに読んでアナウンスした。その言葉通り、直径20メートル以上ある大きな渦潮が船の右舷に現れ、乗客から歓声が湧いた。

「ほら、あそこ。巻いてるよ」

「スゲー!」

「大きいね。初めて見たよ」

20メートル超級の大渦ともなれば徳島県民ですら滅多にお目にかかれない。唸りをあげる時速20キロの膨大な海水が見せる世界でも珍しい現象だ。

観潮船は見事な操船によって大渦のすぐ真横にいた。

ガガン!

突如大きな異音がして、船体が大きく不自然に揺れた。

乗客は慌てて船の手すりにしがみついている。

「な、なんだ?!」

「船底が何かにぶつかったぞ」

船長は船の窓から周囲を見渡した。

「座礁か?いや、この辺は深度90メートル近くあるはずだ。なら今のは一体何の衝撃だったんだ?」

この海に出てもう30年になる船長にとってもこんなことは初めてだ。

その時、デッキの乗客たちから悲鳴があがった。

「きゃあああ!」

「うわっ、何だあれは」

「こっちへ来るぞ」

驚愕の声がする後部デッキへ走り出た船長が見たものは!

「う。。。うわ!」

それはまるで先端が鋭く尖った電柱が縦に数本並んで大渦の真ん中を突っ切っているようであった。

「これは、魚の背びれ?」

「うそだろ、こんなデカイ。。。」

そこにいた全員が本能的に波の下に目をやった。そして、そこだけ海の色が違うことに気がついた。巨大な何かが船の真下にいた。膨大なエネルギーを内包する渦潮をものともせず悠々と泳いでいる。

「何かいる!」

「ふ、船よりデカイぞ!」

「怪獣だ。怪獣が船の下にいる!」

凍りつくいくつもの視線の中、やがて巨大な背びれはゆっくりと海中に姿を消した。

「帰ろう。港へ!早く!!」

先ほどの衝撃でどこかを破損したのだろう。出力が落ちてはいたが、それでも手負いの観潮船はなんとか港へ船首を向けて動き出した。

帰港後、観潮船はクレーンで陸へ引き揚げられた。ブルーの船体の横っ腹には、まるで熊のツメでえぐられた樹木のごとき線状の掻き傷が幾筋も走っていた。

そして、鳴門海峡は恐怖の海と化した。

 

「これクイーンよ。ちと話があるのじゃが」

薄暗い洞穴に低い声が響いた。悪魔が実在するならきっとこういう声なのだろう。ヨーゴス軍団首領タレナガースだ。

「なんじゃ?」

応じた女性の声もまた、まるで深い地の底から届くようなおぞましさを含んでいる。ヨーゴス軍団大幹部ヨーゴス・クイーンだ。

「ここに仕舞っておいた余の新しい毒液を知らぬか?」

「し、し、し、し、し。。。。らぬ」

「注射器に入っておったであろう?」

「ちゅ、ちゅ、ちゅ、ちゅう。。。うしゃきなど知らぬ」

「どこへ持ち出したのかのう?」

「よ、よよ、よし、よしの。。。。知らぬ」

「わかった。わかったゆえまことのことを言わぬか。で、持ち出した毒液は吉野川でナニに注射したのじゃ?」

嘘がことごとくバレていると知ったヨーゴス・クイーンは観念したようだ。

「。。。わからぬ。うそではない。なにやらわらわの足の上をゴゾゴゾ這い回る生き物がおったので注射器を持った手ではらったら、その注射器ごとどこぞへ吹っ飛んでしまったのじゃ」

「なるほど。やはり最近巷を騒がしておる吉野川の怪物というのはクイーンが産み出した物のようじゃな。いや、よいのじゃ。これはこれで面白い」

タレナガースが怒っていないとわかってクイーンは胸をなでおろした。

「あの黒いドロドロはどのような毒薬なのじゃ?」

「あれはクラッシングXプレミアムというて、未完成なのじゃよ。とにかく生物を急速に怪物化させるためのものなのじゃ。肉体を劇的に巨大化させ、性格を凶暴化させる。時間とともに細胞組織を暴走させるかつてない面白き毒液になるはずじゃ」

「なんと」

「徳島は今、海と川の両方から謎の怪物に攻められておる。大騒動じゃ。憎きエディーめも今度ばかりは手も足も出まい」

ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。

ひょっひょっひょっひょっひょ。

闇の中に二人の気味悪い笑い声が流れた。

 

「おかしいよね」

「ああ、おかしい」

「ヤバイよね」

「ああ、ヤバイ」

いつもの喫茶店。グレーのジャンプスーツ姿のヒロと濃紺のサウナスーツを着たドクは例によって徳島新聞をテーブルいっぱいに広げてここ何日かの不審な事件を洗い出していた。

「ええい、スペースが足りないわ」

ドクが空いている隣のテーブルの隅をつかんでガリガリガリと嫌な金属音を立てながら引きずると自分たちのテーブルにくっつけた。

周囲の客はその音に、店のマスターはふたりで8人分のテーブルを占拠してしまったことに、それぞれ眉をひそめているが当のふたりはお構いなしだ。記事の内容に集中するあまりまわりが見えなくなっている。

広げた新聞の上に別の新聞が重なり、そこだけ拡大して見るととても喫茶店にいるとは思えないありさまだ。

「河川敷の小屋が粉砕された件。同じく河川敷のゴルフ場の芝が鋭利な何かであちこち抉られていた件。などなど」

「これに、先日僕たちが偶然見かけた酔っ払い運転の軽トラックが土手から弾き落とされた件をあわせれば、全部で8件。正体不明の『巨大なナニか』がひきおこした事故、いや事件だ」

「だけどね、それらすべてのおかしな事件の前に、コレがあるのよ、ヒロ」

ドクは折りたたんで脇によけてあった新聞をヒロの前に広げた。

「なになに、釣り人数人が海に投げ込まれる。犯人は。。。タレナガースか!?」

ヒロが目を見開いてドクを見た。見返すドクが無言で頷く。

「ヤツめ。一体ナニを企んでいる?」

「幸いけが人も溺れた人もいなかったからよかったものの。いつもながらひどいことをするわ、あの妖怪オヤジは」

「でも、ただ釣り人を脅したり海に突き落としたりって、目的がよくわからないな。タレナガースは悪人だけどバカじゃない。姿を現したからには必ず何か目的があるはずだと思わないかい?」

「そうね。そこが不気味といえば不気味だわ。唯一の手がかりは、釣り人の証言ね」

「証言?」

「ええ。タレナガースは何か得体の知れない薬液を釣った魚に注射したそうよ。その魚がどうなったかは不明だそうだけど」

「ううむ。この一連の奇妙な事件すべての発端にそいつがあるんだな」

「要するに。。。」

ドクは新聞紙の渦の中からまるで手品のようにコーヒーカップを取り出すとズズとすすった。

「ヨーゴス軍団がまたぞろ動き出したのよ」

 

(四)いざ怪物退治!

@

絹を裂くような悲鳴がパニックの始まりを告げた。

体長およそ数メートルもあろうかという巨大なカニが突如川の中から出現し、イベントで賑わう河川敷を睨んでいる。

その日、吉野川下流にある河川敷の広場では地元のNPOが主催するフリーマーケットが開かれており、会場には200人近い人々が集まっていた。本来雑食で小動物でも食するカニの化け物ともなれば、ここへ現れた目的もおのずと知れようというものだ。

 

逃げ惑う人々が110番したその時、渦戦士エディーはそこからさらに上流へ約3キロのあたりをパトロールしていた。

「カニだ!巨大なカニが!」

ヴォン!

アスファルトに黒々とタイヤ痕を残して急ターンした高機動バイクヴォルティカはひときわ太いエンジン音を残して下流の現場へ向けて奔った。

エディーと彼の鉄の愛馬は青い風となった。

 

河川敷は阿鼻叫喚の様相を呈していた。

巨大ガニはギザギザのハサミを振り上げて上陸してきた。

赤黒い甲羅の中心部には縦に二列のノコギリの歯のようなトゲが生えている。逃げる人々をねめつける1対の目は燃えるように赤い。川辺に生息するカニが何かの間違いで規格外な大きさに育った、というだけではあるまい。明らかに自然の摂理とはかけ離れたいびつなモンスターの姿だ。

このような理解の範囲を飛び越えるような恐怖にさらされると、人は正しい判断力を失ってしまうのだろうか?売り物の古着を取り込もうとする者、車の中へ逃げ込んで中からロックする者、あるいは目を固く閉じてその場にしゃがみこむ者などさまざまだ。だがそれではひとりまたひとりとあの巨大カニの恐ろしいハサミの犠牲になってゆくことは間違いあるまい。

そんな人びとには誰かが正しい指示を与えてやらねばならない。

「逃げろぉ!早く!!」

巨大なカニの前に立ちはだかったのはひとりの制服警官だ。自転車で警ら中、異様な悲鳴を耳にして駆けつけたのだ。

「土手へ上がるんだ!走れ!車から出ろ!荷物なんかほっとけ!」

両腕を振り回し、出せる限りの大声で人びとを土手の上へ避難させた。だが、巨大カニは腹をすかしているのか、逃げる人々を追ってくる。

警官は拳銃を抜くとカニを威嚇するために空へ向かって発射した。

パン!

しかしその銃声は、空腹のモンスターを威嚇するにはあまりに心もとなかった。

乗用車ですら引きちぎろうかという大きなハサミが、逃げ遅れた女性を捉えようと迫った。それまではあまりに多くの人々が蜂の巣を突いたかのように一斉に右へ左へと走り出したため、カニのほうでターゲットを絞りきれず攻撃を躊躇していたのだが、最後のひとりとなってしまったその女性にいよいよ狙いを定めたようだ。

「おおおおい。こっちだ!こっちだ!ホレ」

警官は女性をかばうようにハサミの前へ躍りこむと、ついに拳銃の銃口をカニに向けて発砲した。

パン!パン!

ギン!カキン!

だが頼みの拳銃弾は堅固なハサミにあえなく弾き返されてしまった。

「くそっ!」

それでもその間に逃げ遅れた最後の女性はもう土手の半ばを駆け登っている。なんとか逃げられそうだ。

―――しかし。

「ダメかな。。。オレは」

巨大なお化けガニはもう警官をほぼ真上から見下ろしている。今にも左右から振り下ろされるふたつのハサミに挟まれて真っ二つに引き裂かれてしまうのだろう。硬く目を閉じた彼の脳裡に愛する家族の顔が浮かんだ。

ブロオオオン!

場違いなオートバイのエキゾーストノートに、警官は目を開けて頭上を見上げた。

青い風が舞っていた。

1台のバイクが警官の頭上数メートルを飛翔している。警官に向けて必殺のハサミを振り下ろそうとしていた巨大ガニは、突如眼前を横切ったバイクに驚いたのか、身をのけぞらせて後退した。

―――エディー。。。エディーだ。

パトロール中に巨大ガニ出現の報を受けて現場に急行していた渦戦士エディーが今、到着したのだ。

エディーは空中から警官を見下ろすと敬礼を送り、彼自身も退避するよう促した。

その合図を受けた警官は、先に避難した人々が待つ土手の上まで死に物狂いで駆け上がった。そんな彼を人々は歓声と共に迎えた。皆、彼の捨て身の誘導で難を逃れることができたのだ。

「よかった!」

「有難うおまわりさん」

肩をたたかれ、握手を求められた。拍手をしている人もいる。一度は生還をあきらめた警官は涙でくしゃくしゃになった顔で河川敷を見た。我知らず拳を硬く握り締めている。そしてその男の名を叫んだ。

「エディー!たのむぞ!やっつけてくれ!」

 

ヴォルティカとともに大きくジャンプして巨大ガニを後退させたエディーは、着地の直前愛機から飛び降りてエディー・ソードを出現させた。

ヴォルティカは自動走行でそのまま数十メートルほど走るとアイドリング状態で停止し自らスタンドを下ろした。次に主人が呼べばまた瞬時に駆けつけるためのオートスタンバイ状態だ。

「さぁ来い、モンスター」

エディーは巨大ガニの正面でソードを構えた。前後左右、どこから攻撃されても対応できる構えだ。

だが敵は本能にまかせて攻めてくる。不意打ちなどではなく正面から圧してきた。ふたつのハサミが、エディーの体を貫こうと、挟もうと繰り返し襲ってくる。

「おう!」

ガィン!

「えい!」

ギギン!

自身の身体よりも大きなハサミの攻撃を、エディーは愛用のソードで気合とともに受けとめた。

いくつ目かのハサミ攻撃をかわしたエディーは、地面を転がってカニの懐深く飛び込むや、エディー・ソードを横にはらってカニの右足の1本を前節からズバッと切断した。

ギエエエエエエ!

グラリとバランスを崩した巨大ガニは両のハサミを振り上げて呻いた。

痛みというより怒りに支配されているようだ。

だが、エディーは構わず大きくジャンプすると今度は右のハサミにエディー・ソードを叩きつけた。渦のパワーを練り上げて形成させるエディー・ソードはただの剣ではなく、青い渦パワーをその刀身にまとっている。刃の鋭さだけによらず、斬れないものを斬り、時には砕き、時には貫くのだ。

グシャッ!

ソードの一撃を受けたハサミの先端部分が砕けとんだ。走行する車を一撃で弾き飛ばすほどの堅固なハサミを、エディー・ソードは打ち砕いたのだ。

エディーはそのまま宙で体を回すと、カニの甲羅の上に着地した。大型車のヘッドライトよりも大きな赤い目がギロリとエディーを睨んだ。

「そんなに睨んでもダメさ」

エディーは躊躇せずエディー・ソードを両目の間へ打ち込んだ。

ザクッ!

ギョオオオオオオ!

致命傷になりえるほどの深い傷が甲羅に刻まれ、巨大ガニはガクリと地面に突っ伏した。

おおおおおおお!

土手の上から歓声があがった。

「うん?」

エディーは巨大ガニの左目の近くに刺さっている妙なものを見つけた。

「注射器?」

中身はほとんどカラだが、まだ少し何かの薬液が残っている。エディーはその注射器を引き抜いた。

その時、巨大ガニの体が突如ブルブルと震え始めた。

「ん、何だ?」

息絶えたはずの巨大ガニの全身が細かく震えている。痙攣というより、まるで体内に仕込まれたモーターのようなものでブルブルと振動しているようだ。

すると、エディーが斬りつけた甲羅の傷からブクブクと泡を吹きながらどす黒い液体が噴出し始めたではないか。

「何だ?この黒い泡は!」

カニだから泡を吹くのは当然だろうが、傷口からも吹き出すなどという話は聞いたことがない。しかも、どう見ても体液ではなく、真っ黒な、そう、タレナガースが得意とするあの活性毒にそっくりだ。

真っ黒な液体はやがて傷口以外の、口や目からもブクブクとあふれ出し、やがて甲羅に立つエディーの足元にまで近づいてきた。

―――これは、マズイ気がする。

エディーの頭の中で緊急事態を告げるサイレンが鳴り響いた。

間一髪。黒い液体が足元まであと数センチまで迫ったところで、エディーは体液に覆われて墨色に染まった巨大ガニの甲羅から大きくジャンプして地面へ降り立った。

やがて致命傷を食らって動かなくなった巨大ガニの全身は自らの体内から噴出したどす黒い液体にとうとう覆いつくされてしまった。

その時、巨大ガニの重さに耐えかねた河川敷の水際の土がガラガラと崩れはじめ、黒い泡に覆われた巨体は再び吉野川の流れの中へと吸い込まれていった。

エディーはそれを追って土手の縁まで駆け寄り、川の流れを覗き込んで怪物の姿を探そうと目を凝らしたが、水に溶けた真っ黒な液体が邪魔をして不気味な巨体は認められなかった。

―――逃がしたか。さっきのオレの一撃、手ごたえはあったが、しかし。。。

あきらめきれず水中を見つめるエディーを我に返らせたのは、テンパッたエリスの裏返った悲鳴だった。

<エディー!出た!魚!サ・カ・ナ!デカイ!こわ〜いよおおお!!>

A

エリスとピピは、徳島沿岸を警戒中の海上保安庁の巡視船に乗船していた。

今回の事件は海と川、ふたつの水域を縄張りとする二種類の怪物が存在する。最近の一連の不可解な事件をエディーとエリスが冷静に分析した結果がそれだった。

まずエディーは川を警戒する。そしてエリスが海。そう決めて手分けしていた。

小松島港を出港した巡視船が新町川河口付近にさしかかった時、まずレーダー士が気づき、そして双眼鏡で周囲を警戒中の乗組員が大きな声をあげた。

「方位1時の海中に巨大な何かがいます。全長約8メートル。高速でこちらに向かってきます」

「潜水艇か?」

「ちがいます。。。こんなに早い船はありません。これは。。。まるで。。。」

何かが破裂しそうな緊迫感が船内に満ちている。別の声が「その存在」を報告した。

「本船までの距離約200。来ます。海の色が違う!デカイ!ものすごくデカイぞ!」

エリスもピピを従えて急いで甲板に出て巡視船の右舷前方を眺めた。

う。。。と息を呑んだ。

巨大な尖った背びれが海面を切り裂きながら一直線に船へ迫ってくる。それはまるで大きなトレーラーが海の中を走っているようだ。

バウバウバウウワウウ!

エリスは恐怖を感じて思わず後ずさったが、ロボ犬ピピはデッキの手すりの間から頭を突き出して、迫り来る大きな魚影に向かって猛然と吼えた。

ヨーゴス軍団の存在を感知したピピは戦闘モードに入る。口の上下から2本ずつのチタン合金製キバをむき出して、敢然と悪に立ち向かうのだ。

しかし今度ばかりは相手が悪すぎる。エリスは戦闘モードを強制解除してピピをデッキの端から下がらせた。

「エディー!出た!魚!サ・カ・ナ!デカい!こわいよおおお!!」

専用スマホの短縮ボタンをタップしてエディーに助けを求めたが、いかなエディーとてこの瞬間エリスの前に現れてこの状況を覆せるわけもない。

巨大な魚影は巡視船の真下へと潜り込んで左舷へと抜けた。その瞬間、体の上部に並んだ1対の巨大な眼が船上のエリスをギロリと睨んだ。その後ろにぎっしりと並ぶ名刺サイズよりも大きく鋭いウロコが陽光を不気味に反射した。

ガガガガガガガ!

きゃああ!

文字通りモンスター級の鋭い背びれが巡視船の船底を持ち上げたため船全体がまるで巨波にあおられた小船のように揺れた。

エリスはピピの体を抱えながら死に物狂いで近くの手すりにつかまった。

「ひいいん、落ちたら食べられちゃうよ」

「エリスさんは中に入ってください。今から攻撃します」

乗組員の指示に従ってエリスとピピは大急ぎで船室へ戻り、丸い窓に顔をくっつけで巨大魚と巡視船の戦いを見た。

ウィィィン。

船首の主砲、自動追尾式20ミリ機関砲が巨大魚の魚影に向けて動いた。

大きな魚影は一旦見えなくなったが、それは海面近くから一気に深みへと潜ったからだ。

―――次に、襲ってくる気だわ。

エリスはごぐりとつばを呑み込んだ。

ザバーン!

一瞬陽の光が遮られ、海中から巨大なスコップを思わせる巨大な魚が空高く舞い上がった。

天空でグルリと身を捻った巨大怪魚は、ギロリと巡視船を睨むと大きく口を開いて飛びかかってきた。

平たい頭の上には無数の鋭い棘がびっしりと生えており、開かれた口の中には地獄の拷問具のごときキバが並んでいる。このアゴで噛みつかれたらいかな巡視船といえども無事に港へ帰りつくことはできぬだろう。

―――やられちゃう!

エリスが思わず両手で顔を覆ったとき、轟音が起こった。

ブオオオオオオオオ!

船首の20ミリ機関砲が火を噴いたのだ。

ババババババ!

鈍い音がして巨大怪魚の身体に次々に穴が穿たれた。大きくジャンプした巨大怪魚は思わぬ反撃を受け、力なく再び海へ落下した。

「おおお!やったぞ」

「見たか、海を荒らす化け物め!」

船内から歓声が上がった。

エリスも船内で「きゃほー」と快哉を叫んでいた。

海に落ちた巨大怪魚は腹を上にして海面にプカリと浮かびあがった。

すると、なにやらどす黒い泡が巨大怪魚の銃創からブクブクと噴き出してきた。まるでタールを含んでいるかのような真っ黒なその泡は、みるみる巨大な怪魚の体全部を覆い始めた。

「な、なんだあの黒いのは?」

「まるで、死体を護るように包み込もうとしている。。。?」

乗組員たちは皆、食い入るように目の前の不思議な出来事を見つめている。そしてエリスも。

今や泡に包まれてひとまわり以上大きく真っ黒になった怪魚は、音もなく海の中へとその姿を消した。

あとには海に流れ出た大量のどす黒い液体が海面を漂うだけだ。おそらくはヨーゴス軍団の産み出した恐るべき毒液なのだろう。この後悪い影響を海に残さねばよいが。

エリスは放心したように、汚されてゆく徳島の海を見つめていた。

巡視船は海に没した巨大怪魚を探索しようとしたが、あの鋭い背びれの一撃によって船底に受けたダメージで浸水し始めていたため、断念して帰港することになった。

ともかく、怪物は倒した。これで海の恐怖は取り除かれた。取り除かれたはずだ。。。?

 

(五)生きていた奴ら

吉野川下流の河川敷でエディーが化けガニを退治し、海では海上保安庁の巡視船が巨大怪魚を撃退した。この朗報はまたたく間に徳島県下に行き渡った。

<撃退!海の巨大魚、川の巨大ガニ。徳島を襲う脅威去る>

<ふたたび釣り客でにぎわう水辺の景色>

<謎の黒い体液から猛毒。生態系に悪影響か>

徳島新聞の1面に記事が大きく載り、2面や社会面にも関連記事が掲載された。

<まだ死体があがったわけではありません。あのヨーゴス軍団が送り込んだモンスターです。まだまだ注意が必要です。。。>

エディーの談話を紹介した記事は2面の左隅に小さく掲載された。

 

2日後、水曜日の午後4時。

陽が西へ傾き始めた頃、営業を終えて事務所へ戻ろうとしていた1台の車が四国三郎橋を走行中、いきなり眼前にそいつが現れた。

ガリガリガリ!バキバキ!

「ひ、ひいいいい!」

ギ・ギ・ギギギイイ。

車のフロントガラスからでは全体像がわからないほど大きな生物が鉄製の橋の欄干や街灯をへし折りながら現れ、道路の中央へと乗り出してきた。

ドライバーはウインドーを降ろして顔を突き出して、ついでに目玉も飛び出させながらそいつを見た。

カニだ。それも途方もなく巨大で醜いカニのモンスターだ。

ギギギ、と不気味な音を立てながら進むたびに街灯ポストがメキメキとひん曲がり、バキバキと断ち切られてゆく。掘削重機のごとき鋭いツメが舗装道路に突き刺さって穴を穿って行く。

橋の上はパニック状態になっていた。走行中の数台の車からドライバーたちが悲鳴を上げながら転がり出た。恐怖のため目も口も最大限に開かれている。大勢の悲鳴があがっているはずなのだが、橋が破壊される大きな音にかき消されて聞こえない。

巨大ガニは明らかに逃げ惑う人たちを狙っている。この大きな体のモンスターにとっては、人間も小動物程度の大きさにしか見えないはずなのだ。

乗り捨てられた多くの車を無造作に踏み潰しながら、恐ろしい殺人ヅメが人びとに襲い掛かろうとした。

ああ、徳島県民からモンスターの犠牲者が出てしまう!

その時!

ドーン!

巨大ガニの鋭いツメに潰された車が火を噴いた。潰されたボディから漏れ出たガソリンに火花が引火したのだ。

ドゥン!ドカーン!

巨大ガニによって潰された、主を失った車が次々と炎を噴き上げた。まるで地雷原に足を踏み入れたかのようだ。

ギョオオオオオ!

これにはさすがのバケモノも驚いたようだ。人をはさもうとして伸ばしたハサミを天に振り上げて足元から噴き上げる炎を避けようと後ずさった。だが四国三郎橋の上は既に放置された車があちらこちらで燃えている。進もうが退こうが、橋上にいる限り茹でガニになるのは時間の問題だろう。

ギイイイエエエエエ!

ザブーン!

四方を炎に囲まれて体が乾燥しはじめた巨大ガニは、口からどす黒いあぶくを盛大に吹き出しながら、一気に吉野川の中へとダイブした。

 

吉野川の土手の暗闇に、更に濃い影がいくつかうごめいている。まるでブラックホールのような底の見えない不気味な影だ。

「マゴチもカニも、よう働いておるようじゃ」

影がしゃべった。不気味な影に似合いの不気味な声だ。

「うむ。ほったらかしにしておるが、徳島の者どもめモンスターを恐れて海にも川にも近づかぬわい。愉快じゃ」

「これ、戦闘員どももちっとはあの魚どもを見習って気張って働かぬか!」

「じょじょ」

「じょじょじょじょ」

「ふん、まぁあのモンスターどもは別にヨーゴス軍団のために働いておるつもりではないがのう」

ヨーゴス軍団、そう言ったのかこの影は。。。

「ただ泳ぎ回って、腹が減ったら獲物を探す。やつらは怪物になる前と少しも変わっておらぬわい」

ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。

ひょっひょっひょっひょっひょ。

笑う影たちは、まるで周囲の闇の中へ拡散するかのようにその気配を消した。

 

その夜は吉野川流域の自治体から、夜釣りをはじめ川に近づかぬよう緊急の警報が出され、予定していた夜間の橋梁保守点検工事などもすべて中止された。

橋の南北には警官が配備され、夜を徹して橋を渡る車の警護にあたることとなった。

「今夜はやけに冷えるなあ」

橋の南側に詰めている初老の巡査部長が肩をすぼめて呟いた。

9月下旬とはいえ、夜の川風は制服の上から冷気を全身に感じさせる。

「そうですね。暖かいコーヒーが飲みたい気分ですね」

コンビを組んでいる若い巡査も同調した。

「交代の時間まであと30分だ。気張ろう」

何ごとも無ければそれでよい。

バリバリバリバリ!

その時、耳をつんざく爆音と共に警察ヘリが飛来した。

騒音を伴うために約2時間に1度の空からの警戒である。機体下部から眩いサーチライトが川面を照らして巨大ガニの姿を捜索しているのだ。

午後6時45分。今夜はこれが最後の偵察飛行だ。上空200メートルとはいえ、普段よりは低空飛行である。これ以降も実施すればさすがに住民から苦情が出るに違いない。

ふたりの警官が詰める橋の上空をヘリが越えたその時―――。

川が爆発した!

ドパアアアアアアン!

川面がはぜて盛大な飛沫があがり、二人の警官はあたりの路面と共に頭から水を被ってしまった。

何ごとかと目を凝らしたふたりは腰を抜かした。

巨大な魚が上空のヘリに向かって垂直にジャンプしたのだ。

デカい!漁船などよりもはるかに巨大で、黒く平たい魚だ。

ヘリの乗員は突如水中から飛び上がってきた、鋭い歯が何重にも並んだ大きな口を真上から見て慌てた。

「うわあああああ!」

「き、巨大魚だ!生きていたのか」

巨大ガニの捜索をしていて思わぬ怪物に出くわしたパイロットはパニックに陥り一気に操縦桿を引いてヘリを急上昇させた。

ガチン!

もともと高度があったためジャンプした巨大魚との距離は十分安全なものであったが、咽の奥まで見える巨大な死の入り口は機体のすぐ真下で閉じられたかのような錯角をパイロットに与えた。

バッシャーン!

まっすぐジャンプした巨大魚の体は空中で横倒しとなって再び川に落下した。ふたたび飛沫が盛大にあがり、橋の周囲はまるで土砂降りの雨に見舞われたようにずぶ濡れになった。

ふたりの警官は全身から雫を滴らせながらただ口をポカンとあけたまま棒立ちになっていたが、はっと我に返ると大急ぎで無線機のスイッチを入れた。

「出ました!カニじゃありません!魚!飛んだんです!ヘリまで!デカいデカい!ビショビショです!」

その報告はまったく要領を得ず、巨大魚がヘリをめがけてジャンプしたということが本部に伝わったのはもう少し後のことだった。

 

翌朝の新聞の一面には巨大な魚とカニのモンスターの写真がでかでかと載せられていた。

水面から大きくジャンプしている巨大魚と橋脚を上る巨大ガニの姿は再び県民を震え上がらせた。

巨大魚は全長約12メートル。巡視船と交戦した時よりも更に大きくなっている。全体的に平たい褐色のボディには無数のトゲがはえており背や胸、腹のヒレをまるで翼のように広げている。上空のヘリを食らおうと大きく開けた口は下あごが前に突き出ており、小型のプレジャーボートくらいなら丸呑みにできそうだ。

カニは甲羅全体に油を流したような光沢が広がり、巨大魚と同様からだの全体を無数のトゲが覆っている。振り上げた大きな左右のハサミはまるで重機の先端に取り付けられたグラップルのようだ。カニのハサミは本来何かを裁断するというよりも獲物をつまむために使用されることが多いため、ハサミと言っても鋭い刃がついているわけではない。しかし桁外れのパワーで挟まれれば漁船も真っ二つにねじ切られてしまうだろう。

 

この写真が載せられて以降、思わぬところで論議が巻き起こっていた。

<カニやべぇ>

<あれってマゴチだよね。食べれば旨いんじゃね?>

<もはや怪獣じゃないですか。退治できるの?>

<エディーでも敵わないでしょ>

ツィッターはじめSNSは2匹のモンスターに関する話題でにわかにもちきりとなった。

<名前なんていうんだっけ?>

<巨大ガニじゃつまんないよね>

<ビッグフィッシュ?>

<なんかハンバーガーみたいwww>

<トレトレピチピチカニリョーリwwwwwwwwwwwwwwwwwwww>

やがてこれら一連の無責任なSNSから、巨大魚はデスプラテス、巨大ガニはメガマンテスと呼ばれるようになり、各メディアにおいても次第にこの名が浸透していった。

 

ヒロとドクの前にコーヒーのおかわりが運ばれてきた。いつものことながらこの客はまた新聞をこんなに広げ散らかして。。。とウェイターの眼が言っている。だが、彼らはそんなことに気を配っている場合ではなかった。

「やっぱり、あなたの言ったとおりだったわねヒロ」

「ああ。しかも前よりも大きく、前よりもイビツな姿になっている」

ふたりとも沈鬱な声だ。

「今回はもうすこしで県民が犠牲になるところだった。車が火を噴いたのが幸いしてカニが。。。」

「メガマンテス」

「う。。。そのメガマンテスがひるんだのがラッキーだった。オレは、駆けつけることが出来なかった」

「仕方ないわよ。いくらエディーでもあらゆるピンチに瞬時に駆けつけることなんて不可能だわ」

「ああ、わかっている。だけどそれでも、オレはその場にいたい。その場にいてみんなを護りたいんだ」

ドクは無言で頷いた。その気持ちは彼女も同じだからだ。それは力を持つ者、正義に殉ずると心に決めた者にとって、永遠の命題なのだ。

「なぁドク。やつらの行動パターンを読めないだろうか?どうにかして先回りできないか考えてくれよ?なんとかやつらをおびき出す術はないものか?」

ヒロはドクに詰め寄った。

「うううん、そう言われてもね。やつらを造りだしたのは間違いなくヨーゴス軍団なのでしょうけど、今回はメガマンテスもデスプラテスも操られている気配がまったくないわ。ほとんど本能で動いているみたいなのよ。パターンと言われても。。。あ、でもひとつ」

「なんだい?」

ドクの分析力はヨーゴス軍団との戦いにおいて強力な武器となる。ヒロは期待を込めてドクのほうへ身を乗り出した。

「コイツら、光を狙って現れたんじゃないかしら」

「光?そうか、車のヘッドライトに惹かれて!四国三郎橋には街灯もたくさん並んでいたよね」

「ええ。そしてデスプラテスはヘリのサーチライトに襲いかかったんだわ。上空にいるヘリめがけてジャンプするなんて、光に惹かれるというよりまるで光を憎んでいるみたい。ヨーゴス軍団の毒によって完全に闇の属性に変えられてしまったのね」

「なるほど。本当にそうなら、なんとかやつらをおびき出す方法があるかもしれないな」

「だけどおびき出しても、やっつける方法はあるの?致命傷を与えても、また例の黒い毒の泡によって復活するに違いないわ。それに、あれを出されると周囲への環境汚染がひどいし」

「ううむ、あれは確かに厄介だな。新聞の写真で見ると、オレが砕いたヤツのツメも足も全部もとどおりに治っていた。やっつけてもあの黒い毒の泡でやつらは復活し、同時に川や海が汚染される。一撃で、復活する間もなく瞬時にやっつけるしか解決方法はないのかな。それに関してだが、オレがカニ。。。」

「メガマンテス」

「コホン。。。メガマンテスから回収した注射器の中身は分析できたのかい?」

ヒロの問いにドクは無言で首を左右に振った。

「それがまだよくわからないの。ヨーゴス軍団の活性毒素の派生形には違いないのだけど、今までの毒薬と違って分子配列がメチャクチャなのよ。人間で言えば完全に性格破綻者ね。あんなものタレナガース自身にも制御できるはずないわ」

「それはどういう意味だい?」

「どんな悪党でも毒薬を兵器として使うときには、必ず解毒剤を用意しておくものなのよ。毒薬と解毒剤、このセットが揃ってはじめてその毒を兵器として使用できる。だけどあの注射器の中身からは解毒剤なんて絶対作れるはずないのよ。もう無茶苦茶だわ。あのモンスターたちは目の前にいるのがタレナガースだとしても、躊躇なく襲いかかるでしょうね」

「つまりひたすら凶暴化させた化け物をただ野に放っただけってことか?なんて無責任な!それじゃあ倒すヒントすら見つからないじゃないか」

ヒロは頭を抱えた。だが、ドクは解析不能の難問を前にして学者魂にかえって火がついたようだ。

「あきらめちゃ駄目よ、ヒロ。科学的な解析が無理ならキーワードからヒントを見つけ出すの。たとえば『光』、たとえば『本能』。ほかには『瞬時に一撃で』。。。考えましょう。何か、何か見つかるはずよ。いい打開策が。。。」

眉間にしわをよせながら、ふたりは少し冷めかけたコーヒーをズズズとすすった。

 

(六)仕切りなおして怪物退治だ!

@

バリバリバリバリ―――

吉野川下流域と徳島県北部海岸線を数機のヘリコプターが飛行していた。いずれも高度150メートルほどの低空飛行だ。

周辺住民への説明と謝罪は済ませてある。すべての人々が納得したわけではないが、それでも怪物退治の作戦は敢行された。

作戦名は「闇を裂く光作戦」。もっとも、ちょっと恥ずかしいので誰もこの作戦名は口にしないが。

昼夜を問わず飛ぶヘリの機体下部からはサーチライトが放たれて水面を明々と照らしている。カニでもマゴチでもよいからまずはおびき出さねばハナシにならない。エディーたちの提案をいれた県警は、海上保安庁へも全面協力を要請して水棲モンスター討伐の総力戦に出たのだ。

作戦開始から2日間は快晴だった。照りつける日の光の中で、ヘリのサーチライトはその威力を充分に発揮しきれなかった。そのせいか、メガマンテスもデスプラテスも姿を現さない。

そして今日、いまにもひと雨来そうなどんよりした空にサーチライトがくっきりと浮かび上がった。

ギギ・ギ・ギイイイイイ

はたして吉野川の美しい流れが突如大きく乱れた。

「出た!カニだ!メガマンテスが現れました!」

 

吉野川河口付近を警戒中の海上保安庁の巡視艇うずかぜ。

「艇長、吉野川にメガマンテスが出現しました」

閃光を発しながら天空に舞い上がったメガマンテス出現を知らせる信号弾を双眼鏡で確認した副長が上官に報告した。

「そうか。なら、あとはこちらだな」

「はい。闇を裂く。。。例の作戦は、2匹のモンスターが同時に出現することが前提ですから」

「だが、2匹同時に引きずり出して本当に大丈夫なのか?」

「残念ながらあとはエディー任せです。我々の兵装ではモンスターの体液でこの海をまた汚してしまうのだそうです」

常識を逸脱した醜いモンスターに対抗する作戦の最後は、やはり正義の超人、渦戦士エディーの超パワーに頼らざるを得ない。

「渦の超人か。。。信じて託すしかあるまい」

「はい」

上空をヘリが3機飛んでいる。吉野川にメガマンテスが出現したことで、ヘリはデスプラテス捜索に軸足を移したのだ。

 

20分後、徳島市小松海岸沖。

ごおおおあああああ

上空のヘリが放つ眩いサーチライトにおびき出されたデスプラテスがついに姿を現した。

パシュ!

信号弾が天高く打ち上げられた。

ついにヨーゴス軍団の毒に侵された2匹の巨大モンスターが川と海2箇所同時ににその姿を現したのだ。

エディーは信号弾の合図をしらさぎ大橋の橋上で見ていた。

―――よし。ここからはオレの出番だ。

「ウェイバー!」

エディーは腰のパウチから専用デバイスを出して愛機を呼んだ。

高速水上バイクSWC(スーパーウェーブカッター)ウェイバー。戦闘の場が水上である時、このマシンはこのうえなく頼もしいエディーの相棒となる。たとえ鳴門海峡の大渦であろうとこのマシンでなら一気に突っ切ることができるだろう。徳島県の海岸線に3箇所、吉野川中流域には1箇所、このウェイバーの秘密格納庫が設置されている。エディーの呼びかけに応じて最も近い格納庫が自動選定され、目覚めたウェイバーはオートパイロットシステムによって障害物を巧みによけながらエディーのもとへと駆けつけるのだ。

エディーの黒いゴーグルアイが白い飛沫を上げて駆けてくる無人機を捉えた。シート後部に兵器システムを搭載したシッティングタイプの02型機だ。01型にくらべて機動性はやや劣るが、大排気量でかっ飛ばす重量級マシンである。

エディーはしゅっと短い息を吐くとしらさぎ大橋から一気に吉野川へとダイブした。ウェイバー02はまるでディスクを咥えて駆け戻ったフリスビードッグのようにエディーの落下地点で停止して主人の搭乗を待っている。

そのシートに、背のしらさぎウィングを展開したエディーがヒラリと舞い降り、グリップのアクセルを一気に開いた。

ウォン!

これから邂逅する強敵を前に、水上の猛犬は雄叫びと共に駆け出した。

 

があああああああ!

デスプラテスは怒りに狂っていた。

まったく癇に障る光だ。騒々しく水をかきまわして頭上を進む奇妙な硬い魚も神経を逆なでした。この空腹を満たしてくれるほどよい大きさのエサが少ないこともイラつく原因のひとつだ。だが天上から真っ直ぐに射しこんできて目を眩ませるこの光ほど憎たらしいものはない。この光に当てられると無性に暴れたくなる。何でもよいから体当たりしてぶち壊したくなる。

ザアアアン!

ロケットが飛び出したのかと思わせるような水柱と共に、今や真の怪物と化したデスプラテスが空中へ跳ね上がった。しらさぎ大橋に充分届く高さだ。

橋を見上げる狂気の視線を青い光の矢が遮った。エディーが駆るウェイバー02だ。

「こっちだ、ウスノロ!」

エディーはウェイバー02を蛇行させて飛沫を盛大に飛ばし、デスプラテスを挑発した。さらにハンドルバーに設けられた赤いボタンを押す。

シュパパパパパ!

ウェイバー02の後部兵器ポッドから鋭い発射音とともにいく筋もの光が天に向かって奔った。

デスプラテスの注意を惹きつけるためにエディーがあらかじめ仕込んでおいた照明弾だ。

ごおおおおおああああ!

眩い閃光を放ちながらゆっくりと落下する照明弾の向こうに、白波を上げて高速で走るエディーの背が見える。デスプラテスは標的をはっきりと定めた。

巨体を翻して一直線にエディーを追撃し始めた。

「よし。食いついたな」

こうなればあとはスピード勝負だ。だが、水上にいる限りどうあがいても人は魚に勝てない。巨大な魚影が水面をどす黒く変えながらエディーとウェイバー02に迫る。

「エディー来るぞ!」

上空でエディーの戦いを見守るヘリ乗員が無線で警告を送る。

―――オッケー。後は任せてくれ。

水上バイクなど苦もなく丸呑みにできそうな大きな口が全開で襲いかかった。

ザシュッ!

間一髪、エディーは巧みな体重移動とハンドルさばきでウェイバー02を急旋回させてそれをかわす。

地獄の拷問具のごとき乱杭歯が、エディーのすぐ隣でガチンと嫌な音を立てて空を噛んだ。

エディーはウェイバー02のハンドルを操作しながら意識を自分の周囲に飛ばしていた。額のひし形のマークが明滅している。それはエディーの超感覚の発動を意味する。渦パワーの波動を自分の周囲に張り巡らせ、どの方向から脅威が迫るかを視覚や聴覚だけに頼らず察知することができるのだ。

空を切ったデスプラテスが体勢を崩している隙に、エディーはウェイバー02をもとの方向へ向けた。河口から約2キロ。しらさぎ大橋を無事くぐり、はるか前方には国道11号線が走る吉野川大橋が見える。

―――真下!?

ヴオン!

エディーの咄嗟の判断と巧みな操作でウェイバー02はふたたび間一髪、水中から垂直に襲い来るデスプラテスの攻撃をかわした。

超感覚は冴えに冴えていた。エディーの全身を濡らす飛沫の1滴1滴までも感じとることができるほどだ。

そしてもうひとつ。

「しっかり!」

「気をつけて!やられないでねエディー!」

「がんばれエディー!」

川岸から戦況を見つめ、エディーに声援を送る人たちの声だ。ウェイバー02のエンジン音、激しく舞う川風と飛沫、そして襲い来るモンスターのうなり声。そうした中でも人々の必死の声援はエディーの耳にしっかりと届いていた。

「ありがとうみんな」

エディーは心の中で感謝した。この声援こそがエディーの渦パワーに活力を与えてくれる。そして死角から襲い掛かるモンスターの恐怖を打ち消してくれるのだ。

―――さぁ、行くぞエリス。

エディーはウェイバー02の鉄のハートに活を入れた。

A

同時刻。

エディーが向かうその先ではエリスがメガマンテスを相手に悪戦苦闘していた。

ハサミを伸ばせば吉野川に架かる橋の欄干にまでも届きそうな巨体だ。しかもこの怪物は思いのほか速い。体が大きいだけにストライドが広く、小さな人間から見ればその移動スピードはかなりのものだ。

体の上部から突き出した1対の目が怒りに赤く燃えて前方を逃げるエリスを捉えている。木造家屋など難なく突き破る恐ろしいハサミが獲物を狙っている。

エディーのたてた作戦はデスプラテスとメガマンテスを鉢合わせさせて戦わせようというものだった。ヨーゴス軍団の新しい毒薬で醜いモンスターに変貌したとはいえ、決してタレナガースたちに誘導されているわけではなく、マゴチやカニが持っている本能によって行動しているという仮説が本当なら、ヤツらは互いを捕食対象と認識して襲いあうのではないかとエディーたちは考えたのだ。そのためには双方のモンスターを同じ地点に誘導させる必要がある。光に過剰反応するモンスターを怒らせて注意をひくためにエリスはウェイバー02に照明弾発射装置を備えつけた。

作戦としては申し分なかった。うまくいけば労せずして2匹のモンスターの片方を葬ることができる。

だが。。。

エリスは不満だった。エディーの作戦の根本の考え方として、エリスもエディーと同等のウェイバー操縦技術を有しているという前提があった。

―――無理よぉ!エディーの馬鹿ぁ!!

エリスはウェイバー02を駆りながら毒づいた。飛沫に濡れたクリアブルーの長い髪が風にあおられて真後ろへ流れている。

ヘリからの投光によって水面に姿を現したメガマンテスは眼前のエリスめがけてハサミを突き出した。盛大に噴き出す泡はヤツの怒りと空腹による焦燥の結晶のようだ。

メガマンテスを誘導するルートは川の中でなければならない。陸上を移動させれば家屋や交通機関に甚大な被害が出るからだ。

人間など真っ二つに切り裂くことができるような巨大で鋭いハサミがエリスの体をかすめて走った。

ぎやああああ!

とにかく彼女はずっとうるさかった。

高機動型水上バイクウェイバーは向かってくる波を乗り越えずに切り裂いて進む。だが迫りくる波が眼前でパシュッ!と真っ二つに裂かれる瞬間エリスはうわあああ!と叫び、横波で船体が揺れるたびにひええええ!と叫び、メガマンテスのハサミが振り下ろされるたびにぎやああああ!と、わめき散らした。

エディーは事前の打ち合わせで渦パワーによる超感覚を発動させろとか言っていたがそんなことができるわけはない。

「集中するのさ。モンスターの存在を目で追うんじゃなくて感じればいい」

あの御仁は時々ワケのわからないことをおっしゃる。すぐそこに巨大なモンスターがいて、それを見ないでいられるわけなどあるまいに。

そんなの無理だと食ってかかるエリスに、それならばとエディーが授けたアドバイスはこうだった。

「いいかい、一刻も早く俺と合流したい気持ちだろうけれど、5秒以上まっすぐ進んではいけないよ。あのでかいハサミで叩き潰されちゃうから。オッケー?」

「なにが『オッケー?』よ!」

エリスは体を思いっきり左へ傾けて急旋回させた。

ズババ――――ン!

コンマ数秒前までエリスがいたあたりにメガマンテスのハサミが撃ち込まれた。

ぎやああああ!

その横波がウェイバー02を翻弄する。

ひええええ!

それでも2メートル近い波をウェイバー02はスパッと切り裂いた。

うわあああ!

ひええええ!(横波が来る!)

ぎやあああ!(ハサミが襲ってきた!)

うわあああ!(波を切り裂く!)

ひええええ!(横波が来る!)

ぎやあああ!(ハサミが襲ってきた!)

こんな組み合わせを5セットほど繰り返した頃、前方に吉野川大橋が見えてきた。

シュパパパパッ!

エリスははやる気持ちを抑えて、最後の照明弾を一気に打ち上げた。

ぐうあああああ!

ちょこまかと逃げ回る獲物に業を煮やしたメガマンテスは、左右のハサミを振り上げて咆哮した。

 

(七)激突!

@

この時、上空のヘリは東西ふたつの動きをはっきりと捉えていた。

白い航跡を残して川の上流と下流から高速で接近する2台の水上バイク。それを追う異様に巨大な影。やがてそれらは交差した。

「エリス!」

「エディー!」

そのすぐ後ろから、まるで洞窟かと見紛う大きな口を開けたデスプラテスが、そして無数のトゲが生えた甲羅と恐ろしいハサミを振りかざしたメガマンテスが迫る。

ザザーン!

デスプラテスが先んじて大きくジャンプした。

「いまだ!」

2台の水上バイクは絶妙のタイミングで急旋回し、迫り来る怪物の脇を抜けた。

ここまでひたすら眼前の水上バイクだけを見下ろしていたデスプラテスとメガマンテスの視線がはじめて「その先」を見た。そして互いの大きく赤い目を見た。

しまった!と思ったかもしれない。だがすべて遅かった。

ガツン!

肉と肉がぶつかりあう嫌な音がしてデスプラテスの平たい頭にメガマンテスのトゲトゲ頭がめり込んだ。

体の大きさとそれまでのスピードからして勢いはデスプラテスが勝っていた。ぶつかりあったままメガマンテスは背後にひっくり返り、デスプラテスはその上を跳び越して十メートル近くも吹っ飛んだ。

ギョオオオオオオ!

グロロロロロロロ!

大きく体勢を崩した2匹は、それでもすぐに今戦うべき相手に向かって身構え、行動に移した。それは自然がプログラムした本能という名の自己防衛システムなのだろう。

二匹のモンスターは各々の本能に従って戦闘態勢にはいった。決して偶然ではない。これこそエディーが狙った作戦であったのだ。

「よし、うまくいった!」

「やったね、エディー。これで2匹が戦えばモンスターのうちの1匹は労せずして退治できるって寸法ね!」

エリスがウェイバーの上ではしゃいでいる。

―――だが。

「油断するなエリス。君は今すぐこの水域から離脱するんだ。距離を置いてウェイバーを自動操縦にしたら一刻も早く陸にあがれ」

エディーからの鋭い指示が飛んだ。この作戦がうまくいったとしたら、片方のモンスターは倒されるかもしれないが、その時には強い方が残っているのだ。その強い方のモンスターは、いよいよエディー自身が倒さねばならない。

獰猛な巨大モンスターが激突した今、2機のウェイバーは巻き添えを食わぬよう大急ぎでこの場から離脱した。

ガアアアアアア!

デスプラテスが限界まで口を開き、全身を激しくくねらせてメガマンテスを喰らおうと襲いかかった。川面を滑るように何度も襲いかかる。メガマンテスも応戦する。そもそもデスプラテスは肉食だしメガマンテスも雑食で肉を喰らう。巨大化してからというもの、己の胃袋を満たしてはいない。2匹には戦う以外に「喰らう」という目的が付加されている。ゆえに二匹とも決して引くことがない。互いに執拗な攻撃を繰り返す。空腹という起爆剤が二匹の内燃機関を極限まで回転させているのだ。

より活発な攻撃はもっぱらデスプラテスから繰り出された。やはり肉食動物に特有の攻撃性ゆえであろうか。メガマンテスに喰らいつこうと襲いかかってはハサミの手痛い反撃にあっている。だがそんなことを何度も繰り返した後、ついにデスプラテスはメガマンテスの足に歯を立てることに成功した。

グラアアアア!

メガマンテスの足に噛みついたデスプラテスはそのまま川の深部へと引きずり込もうとする。もとよりメガマンテスも水棲生物だから水の中がどうということはないが、相手の戦法にただ従うことはすなわち敗北を意味する。本能が抗うのだ。

ギョオエエエエ!

なまじ踏ん張ったがために、咥えられたメガマンテスの足2本が引きちぎられてデスプラテスの口の中へ消えた。だが巨大肉食魚の桁外れに大きな胃袋を満足させるにはまだまだ足りぬ。

さらに大きな口を開くや、デスプラテスは今度は振り上げられたメガマンテスのハサミに喰らいついた。これで最大の武器であるハサミの片方を失ってしまえばメガマンテスの敗色はかなり濃厚になる。徐々に追い詰められたメガマンテスは、死に物狂いの反撃に出た。自由な方のハサミを遮二無二振り回わすと、デスプラテスの脳天にその切っ先をザクリと突き刺してみせた。

思わぬ攻撃で急所を抉られたデスプラテスは全身をひくひくと痙攣させ、目がくるりと白目になった。メガマンテスの一発逆転勝利か?と思われた時、ハサミによってえぐられた脳天の傷からまたあのどす黒い泡がブクブクと溢れ出始めた。黒い毒の泡は、本来なら致命傷になるほど深い脳天の傷を埋めると、そこから黒く光る鋭利な刃のようなツノを形成させた。天をもえぐらんとするような湾曲したツノをいただく姿は、もはやマゴチとは言いがたい。

傷つけばさらに強力に、さらにいびつに生まれ変わる。2匹のモンスターたちはたがいを喰らおうと攻撃しながら、その実さらに強力な化け物へと変貌させているわけだ。いつもながらタレナガースの悪行はどこまで因業なのだろう。

復活したデスプラテスは生えたばかりのツノの扱い方をじゅうぶん心得ているかのように水中からメガマンテスの懐に飛び込むと、巨大なダガーナイフのごときツノをメガマンテスの腹部に突き刺した。腹から入ったツノの先端は硬い甲羅を内部から貫いて反対側にとび出ている。そしてデスプラテスは、ぶるんと全身のバネを使って串刺しにした巨大ガニのボディーを空へ放り上げた。

ゲエエエエエエ!

耳を覆いたくなるような叫び声をあげてメガマンテスが宙に舞う。しかし今度はメガマンテスの腹部の傷から黒い泡が噴出し、空中でその巨体がビクンと痙攣した。

またしても新たな姿に変わろうとするのか?

その時、ザバン!と川から垂直にジャンプしたデスプラテスが口を全開にして変身途中のメガマンテスに襲いかかった。

ガッガッガ!

嫌な音を立ててデスプラテスのアゴの骨がはずれ、もともと大きな口がさらに広がる。2階建ての民家くらいなら丸のみできそうな大きさだ。

ゴブリ!

宙に舞う獲物をジャンピングキャッチしたデスプラテスは大口の中にメガマンテスの体のほとんどを呑みこんだ。平たいシャベルのごときデスプラテスだが、下あごから喉のあたりが不自然に膨れている。その喉を震わせて、さらにひとくちメガマンテスを喉の奥へ送り込んだ。これほど活きの良い大きな獲物は久しぶりとあって何とかして腹に収めてやろうと懸命だ。何度も何度も咥えなおし、喉を天に向けて飲み込もうとしているのだ。

メガマンテスの体の約7割はデスプラテスの口の中に消えているが、それでも自由になる右のハサミを駆使して、なんとか脱出せんともがく。もがく。もがく。叩いたり突いたり挟んだりと大暴れだ。だがーーー。

バキバキバキバキ!

ついにデスプラテスの強靭なアゴが堅固なメガマンテスの甲羅を噛み砕く音がした。

目を覆いたくなる地獄の戦いもいよいよ終焉を迎えようとしているようだ。

バリボリボリ!

体の大半を噛み砕かれてさすがにメガマンテスも致命的なダメージを負ったようだ。デスプラテスの口からはみ出た大きなハサミがしばらくビクビクと痙攣していたが、やがて力なくダラリと垂れ、数分後にはそのすべてがデスプラテスの腹の中へと消えた。メガマンテスというカニの巨大モンスターはこの時点で黒い毒の体液ごと完全に消滅したのだ。

ドゥルルルルル。

腹を満たしたデスプロテスは満足そうな唸り声を上げた。

―――と、そのとき。

デスプラテスは巨体をブルンと震わせる突然尾びれで川面を叩いて垂直にジャンプした。ジャンプの頂点でグググと体をのけぞらせ、苦しげに激しく痙攣したかと思うとザブン!と横倒しのまま水中に姿を消した。

そして10秒。。。20秒。。。

ザシュ―――ン!

デスプラテスは激しい水しぶきとともに再び垂直にジャンプした。だがなんとその姿はつい先ほどジャンプした時とは明らかに違っていた。トビウオを思わせる大きな胸ビレ。無数のウロコはまるで槍の穂先のように鋭く尖り鈍く輝いている。下あごはさらに大きく前へせり出して口元からは2本のキバが天に向かって伸びている。こんなものはもはや魚の姿ですらない。何より不気味なのは平たい頭部から左右に3つずつ縦に突き出して並んでいるカニのような目だ。全部で6つある目玉がそれぞれ違う方向をギロリとにらんだ。

さきほどメガマンテスに貫かれた頭部の傷からニョキニョキと禍々しいツノが伸びたように、口の中で噛み砕かれたメガマンテスの体内から流れ出した例のどす黒い毒の泡がデスプラテスをさらに変貌させているのだ。

翼を思わせるトビウオのような大きな胸ビレで空をかくと、デスプラテスの巨体はジャンプの最高部からさらに十数メートルも天空に舞い上がりゴオオオ!と吼えた。

その様子を監視していたヘリの乗員は戦慄した。

「いかん。撤退だ!高度を上げろ。デスプラテスのジャンプ力は我々の想定をはるかに超えているぞ。キケンだ!」

メガマンテスのモンスターパワーをもその身に取り込んで、もはや原形を留めぬほどにいびつに変形したデスプラテスは全身にみなぎるパワーに喜びの咆哮をあげた。

A

ゴアアアアアアアア!

川面からカニの6つの目だけを突き出してデスプラテスは周囲をうかがった。次なる獲物を求めているのだ。これだけの禍々しい巨体を維持するためにはとにかく食わねばならぬ。何より体の芯からほとばしる強烈な闘争心が戦う相手を求めていた。

どこかにいないか?船でも橋でも何でも良い。今や最強となったこの体を全力でぶつけられる相手は?

―――いた!

それは刃のようなウロコを通して感じる殺気であった。独立してギョロギョロとあちらこちらを睨めていた6つの目が同時に同じほうを見た。それはデスプラテスから約1キロほど下流。高機動水上バイクウェイバーに乗る人影であった。

その全身からたちのぼる清冽な青いオーラは狂乱の極みにあるデスプラテスのものとは対極にあるものだ。

渦戦士エディー・エボリューションフォーム。

額の青いひし形はみなぎる渦のパワーの証し。左右には白鷺の羽根が展開し、精悍さを増している。普段は体の奥をめぐるそのパワーはエボリューション化するにあたって体表に滲み出し、特に人で言う大動脈、大静脈にあたるパワーの奔流は青い体の各所に一層濃く深い紺青のラインとなって発現した。

普段は黒いゴーグル・アイに覆われている瞳が正義の光を湛えて金色の光を放っている。

「行こうウェイバー」

エディー・エボリューションは愛機に向かって静かに命じた。彼の声は音声認識システムを通して了承され、ウェイバーは前方の巨大モンスター目指して水面を滑るように発進した。さきほどまでの攻撃タイプ02型ではない。ひとまわりスリムなスタンディングタイプのウェイバー01型だ。極限までスピードを追求した設計により、立ち上がる波を切り裂き水上を矢のように走るスーパースピーダーである。

エディー・エボリューションは戦場をしらさぎ大橋と吉野川大橋の間の水域に定めた。できるだけ両方の橋から距離をとりたい。エディー・エボリューションは敵の動きを見極めながらウェイバー01を巧みに操作した。

ゴアアアア!

仕掛けたのはデスプラテスだ。水面を跳ねるや、翼のような胸ビレを操って回転しながら川面と水平に飛翔した。エラからはどす黒い大量の瘴気をジェット噴射のように噴き出している。もはや魚とは思えない動きだ。

ゴオオオオオ!

真っ赤な喉の奥まで覗かせながら、巨大な口が身をかがめたエディー・エボリューションの頭上をかすめた。生臭い突風が川面を乱し、不規則な波がウェイバー01の前に立ち塞がる。眼前に巨大な斧のような尾ビレが迫るがエディー・エボリューションの超感覚はそれをまるでスローモーションのように捕えていて、ウェイバー01を高速で進ませながら機体をわずかにスライドさせて難なくやりすごした。

メガマンテスを呑んだことでさらなる超攻撃力を身につけたデスプラテスはその巨体を水中につけることなく滑空し続けている。生きた武装ホバークラフトだ。デスプラテスは翼のように開いた胸ビレの片方を川の流れに突き刺すと、それを軸にして巨体を素早く回転させ、尾ビレでバシッと水面を打つや再びエディー・エボリューションめがけて襲いかかった。黒い瘴気ジェットが水面を叩く。

ゴオオオオオ!

―――次ははずさない!

デスプラテスの血のように赤い6つの目がそう言っている。水平の攻撃をかわされたデスプラテスは、今度は一旦高度をとって上空からピンポイントでエディー・エボリューションを狙ってきた。

「さぁこい。とことんつきあってやるよ」

エディー・エボリューションはウェイバー01のハンドルから両手を離すと左右の手のひらに渦パワーを集め、練成させてエディー・ソードを出現させた。いつものソードの倍ほどもある大太刀だ。

ビシュシュシュシュシュシュ!

ジャリジャリジャリと鎖がぶつかりあうような金属音とともに、上空のデスプラテスの全身が不気味に波打った。無数の鋭いウロコが一斉に立ち上がると、眼下のエディー・エボリューションめがけて高速で打ち出されたのだ。まさに「逆鱗の手裏剣」だ。

ギンギンギン!

エディー・エボリューションは手のひらほどもある大きなウロコの手裏剣をエディー・ソードですべて弾き落としてゆく。体をかすめでもすれば肉がきれいに引き裂かれるだろう。だがエディー・エボリューションには超感覚による鉄壁のディフェンスがある。

刃のウロコ攻撃がやんだと見るや、エディー・エボリューションは大きな太刀の切っ先を水面に浸し、わずかに腰を落として身構えた。青い闘気がゆらゆらと立ち昇る。

シュウウウン。

言葉にせずとも主人の思念を受けたウェイバー01は、ソードを両手で構えて立つエディー・エボリューションを乗せたまま、滑るように発進した。

上空から飛来する体長10メートルの獰猛な巨大怪魚対水上の騎馬武者。

激突する寸前、デスプラテスはエディー・エボリューションの真正面でクルリと前転をするように体を回転させた。

頭頂部から突き出たいびつに歪曲した剣のようなツノと大型バスほどの重量を持つ怪魚のボディが真上からエディー・エボリューションを襲った。

大人の身長ほどもある長いツノを、エディー・エボリューションはエディー・ソードで下から思いきり払った。

グァキイイン!

ザシュッ!

ふたつの影が交差した瞬間、ウェイバー01上のエディー・エボリューションがバランスを崩した。

超重量級の攻撃を受け止めた両手が激しくしびれている。だが彼がぐらついたのはそれだけではない。交差の瞬間、デスプラテスの鋭いヒレが渦戦士の額に深い傷を残していった。片側の白鷺の羽根が無残に斬りおとされている。一方、しかけたデスプラテスの方は、ツノが根元近くでポッキリと折れて回転しながら岸まで吹っ飛び、河川敷の柔らかい土にザックリと刺さっていた。

土手や橋からこの戦いを固唾を呑んで見守っている人たちから歓声があがった。

痛みなのか悔しさなのか、大きく身悶えたデスプラテスは大きな飛沫を上げて全身を川の中に沈めた。全長20メートル超の巨体は、大きな渦とともに川の最深部まで一気に潜っていた。怒りの赤い目が水上のウェイバー01を睨みつけている。

数瞬後、再びデスプラテスが動いた。水平で駄目、上空からも駄目、ならば自分の最も得意とする水中からの一撃だ。空中では翼の役目を果たす胸ビレをギュウンとひとかきしただけで、デスプラテスの巨体は一気に水面へ向かって奔った。大きく開かれた口はギザギザのキバが無数に光り、ウェイバー01などひと呑み、ひと噛みでこの世から消滅させられるだろう。右へ逃げようが左へ逃げようがもはや逃がしはしない。デスプラテスは勝利を確信した。

「エディー、来るぞ真下だ!早く移動しろ」

かなり高空まで退避したヘリの乗員が無線で叫んでいる。上空から俯瞰すると、デスプラテスの魚影でウェイバー01の周囲の水の色が濃く変色している。みるみる大きくなる。小さなウェイバーなど一瞬で手品のように消滅するだろう。

「そこにいたらダメだ!」

「エディー、どうして動こうとしないんだ?」

高い土手で戦況を見守る人々が不安な気持を口にした。

「一撃で決めるつもりなのよ」

「あ。。。エリス」

自らの役割を果たしウェイバーから陸にあがったエリスも、人々と一緒に土手に上がってエディーに声援を送っていたのだ。

エボリューション・フォームの渦パワー消費量を考えると、あの巨大で強力なデスプラテスと長時間戦うのはエディーにとって得策ではない。エディーは持てるパワーのすべてを次の攻撃につぎ込むつもりなのだ。

「一撃で。。。」

見守る人々の間に緊張が走った。

エディー・エボリューションは超感覚を研ぎ澄ませていた。まるで見ているかのように敵の動きが把握できる。

―――わかるぞ。さぁ来い。

エディー・エボリューションはゆっくりとエディー・ソードを両手で頭上に掲げた。意識をソードに集中させることで、胸のコアから体中を対流していた青い渦パワーが彼の両手を通してソードに集まってくる。清浄なるパワーは周囲の大気をも巻き込んで、刀身のまわりに透明の渦巻きを形成し始めた。大気の渦はみるみる巨大化し、ソードの向こう側の景色が歪んで見えなくなるほどだ。

てえええええい!

気合とともにエディー・エボリューションは頭上のソードを逆手に持ちかえ、その切っ先を足元の川に突き刺した!

ジュウウウウウウウン!

青く発熱した刀身は川の水を蒸発させ、逆三角形のドリル状の大気の大渦を出現させた。

「メイルストローム・クラッシャー!」

エボリューション・フォームの時にのみ使える大渦の粉砕ドリルだ。

水の中からブワッ!とデスプラテスの地獄の落とし穴の如き口が水中から浮き上がった。それをエディー・エボリューションの熱波の螺旋が迎え撃つ!

ゴオオオオオオオ!

ヨーゴス軍団ですら制御不能の新型毒薬によって産み出された異形の巨大モンスター対正義の心が操る渦パワーが編み出した灼熱の巨大ドリル!

遠巻きに見る人たちもみな、この激しいバトルが最後の局面を迎えたことを直感していた。

うおおおおおお!

エディー・エボリューションが吼えた。気力の強さが技の破壊力を上げる。持てるすべての渦パワーをつぎ込んで、メイルストローム・クラッシャーに極限の破壊力を与えた。

ガ・ガガガ・ガガガガガ。。。

最初は拮抗していたふたつの勢力だが、徐々にメイルストローム・クラッシャーがデスプラテスの肉体を粉砕し始めた。モンスターの肉体は傷つけても元に戻ってしまう。その際体内から黒い毒の泡が流れ出し、深刻な水質汚染をひきおこし、自身の肉体も以前より強化させてしまう。ゆえにまずエディーは二匹のモンスターを戦わせ、デスプラテスにメガマンテスを食わせることで黒い毒液を周囲に流出させることなく完全にメガマンテスを消滅させることに成功した。そして今度は必殺のメイルストローム・クラッシャーの超高熱でデスプラテスの肉体そのものを砕きながら一気に蒸発させる作戦に出たのだ。

ガガガガガガガ!

吉野川の流れを大きくえぐりながら、灼熱の大気のドリルはデスプラテスの体を粉砕していった。粉砕すると同時にその悪魔の肉体は蒸発してゆく。

無数のキバのことごとくが砕かれ、恨みの赤い目と共に頭部が砕かれ、次には胴体が、その刃の如きウロコとともに砕かれ。。。黒い毒の水蒸気を巻き上げながらついに巨大怪魚デスプラテスはその姿を完全に消した。

 

「やったね、エディー」

岸ではエリスが大きなタオルを持って待っていてくれた。

ウェイバー01を降りて岸にあがり、軽く片手を上げて応えたエディーは既にエボリューション・フォームを解いていた。いや、膨大な渦パワーのほとんどを超必殺技メイルストローム・クラッシャーに注ぎ込んだため、自然とフォーム解除してしまったのだ。肩にかけたタオルで素早く隠したものの、胸のエディー・コアが点滅を始めている。衆目の中でエディーへの変身そのものを解除してしまいかねないほどに消耗していた。

「やれやれ、さすがにフルパワーじゃなきゃ倒せなかったよ」

エディーはほんの少し足元がふらついている。エボリューション・フォームを解除した後の虚脱感によるものだ。

静けさを取り戻した吉野川を振り返って美しい水の流れを再確認したエディーは、タオルで濡れた体を拭きながらフゥと息を吐いた。

今度こそ徳島の海と川に平穏が戻ったのだ。

 

(八)終幕

「またしてもやられてしもうたのう、タレ様や」

対岸の廃ビルの屋上から戦況を眺めていた数人。手すりによりかかって悔しげな声を上げたのはヨーゴスクイーンだ。人間よりもふたまわり以上大きなケモノの目が血の赤に染まっている。

「じゃがまぁ、よう健闘したと思わねばなるまい。そこいらに泳いでおる魚とカニで遊んだにしては面白かったものよ」

クイーンの背後から歩み出たのはいびつに歪んだケダモノのしゃれこうべ面のタレナガースだ。

ケモノのマントとピンクのマントが吉野川の川風にあおられてひるがえる。優雅。。。と言いたいところだがどう見てもホラーだ。

「さぁアジトへ帰ってクラシンエクシンプーレプレとやらで新しい動物モンスターを造ろうぞ。な、タレ様」

「クラッシングXプレミアムじゃ。それにあの毒液はもう無いぞよ」

「へっ?なしてじゃ?なぜもっとたくさん造らぬ?それに、無いなら無いでまた造ればよいではないか」

「なにを申すか。研究増産用にとり分けてあったスペアを勝手に持ち出してカニに使うたのはそなたではないか。あれが最後じゃ。データを取る前に持ち出されてしもうたゆえにもう同じものは造れぬわさ」

タレナガースの言葉を聞いていたヨーゴス・クイーンの全身がわなわなと震え始めた。

「そうか。全部わらわが悪いのじゃな。わらわのせいじゃと申すのじゃな」

大きな目が光を放ち始めた。クイーンの理性がぶっ飛んで精神が暴走し始めた証だ。タレナガースは焦った。これはマズイ状況だ。

キイイイイイイ!

クイーンが出力最大レベルの電撃ハリセンを振り上げた。

「だめじゃ!クイーン、よさぬか!」

タレナガースは咄嗟に傍らの戦闘員の胸倉を引っつかみ振り下ろされる電撃ハリセンの前へ突き出した。

ピシャ―――ン!バリバリバリ!

ジョエエエ。。。

レベルマックスの電撃を脳天に喰らった戦闘員は目と耳から煙を吹いてパタリと倒れて動かなくなった。そしてその隙にタレナガースの姿は風とともにかき消えていた。

 

抜けるような青空とはこういう空を言うのだろう。エディーとエリスは千畳敷公園から大潮に巻く巨大な渦を見下ろしていた。

「いい眺めだ。エリス、苦しい戦いだったけれど今度も俺達は徳島を守れたんだな」

「ええ。あなたのすばらしい闘いのおかげだわ」

「いや、いちかばちかのエボリューション・フォームでの戦闘の間、オレの耳にはずっと届いていたんだ。みんなの声援がね」

「わたしも聞いてたわ。ガンバレーって、みんな一生懸命だったね」

「ああ。あの声援を贈ってもらえる限り、オレたちは絶対に負けはしない。どんな敵だろうと、どんな状況だろうとね」

エディーは拳を固く握った。その拳にエリスはやさしい笑顔でそっと自分の掌を重ねた。

「ええ、だから思うのよね。本当のヒーローはあなた達なのよって」

(完)