Go!剣戦隊
ファングレンジャー
episode 2
(三)立合い カツゥン! カンッ! カシッ! 剛剣館の道場から聞こえてくるのは、木刀が打ちあわされる音だ。 緊迫した雰囲気の中、堅い木と木がぶつかりあう乾いた音が道場の外まで届いている。 道場に足を踏み入れれば、木の音に加えて木刀が振り下ろされる際に空気を断ち切るシュッという鋭い音も耳に届くようになる。 生身に打ち込まれれば、木刀ではあっても肉は断ち切られ、骨は粉砕されるに違いない。それほど鋭いひと振りひと振りだ。 剣士はトモエとシンパチであった。 道着をまとったふたりからは汗が湯気となって立ち昇り、まるで闘気のオーラのように見える。 ともに剛剣流を極めた者同士、繰り出す一撃とそれを受ける技量は並ではない。 だが、脇に正座してふたりの立合いを見ているジュウベエは、シンパチの両肩がわずかに上下しているのに気づいていた。昨日、何十人という邪魂奴どもを相手に大立ち回りを演じながら息ひとつ乱さなかったシンパチが、である。それほどにトモエの剣技は卓越していた。 シンパチほど派手ではないが、その分動きに無駄がない。破壊力よりも技のキレを重視しているのだ。ボクシングでも、少しずつ繰り出すジャブは、試合後半に蓄積されたダメージとして必ず相手の足を止める。ダメージこそ少ないが、シンパチはトモエに押され始めていた。フットワークで相手を幻惑しながら隙を見て相手の懐に踏み込み、必殺の一撃を見舞うタイプのシンパチに比べてトモエの軸足はほとんど動いていない。 ―――本調子が出ていないな。 ジュウベエが思った時、上座に座って同じように立合いを見ていたシュウサクが不意に右手を挙げて立合いを止めた。 「シンパチ君、木刀をこれに変えてみたまえ」 シュウサクが手渡したのは、今彼らが使っている通常の長さの木刀よりも幾分長い物である。 ―――なるほど。 ジュウベエもシュウサクの狙いを即座に悟ってほくそ笑んだ。だが、一番喜んだのは長い木刀を手渡されたシンパチ自身である。 「こいつはいい」 ビュンビュンと右手で素振りをくれた。 通常日本刀は60〜70センチ程度のものが多いが、彼の愛刀「宝珠丸」は90センチ近い大太刀だ。この差は彼の剣法にとって格好の武器となるのだ。いやむしろ彼の戦闘パターンは、宝珠丸の長さを活かすために編み出されたと言っても過言ではない。ジュウベエが思っていたように本調子が出せずにいたのは、彼の得物の長さのせいでもあったのだ。 道場の中央あたりに向かい合ったトモエとシンパチは、改めて木刀を抜き合わせると、気合一閃ふたたび激しい技の応酬を繰り広げた。 大きな弧を描いて飛来する相手の木刀を受けながら、トモエは驚きに目を見張った。シンパチの攻撃は相変わらず動きに無駄が多い。だが、木刀で受けなくとも体さばきでかわせると思った一撃がかわしきれない。先ほどよりも長く重い得物を持っているのに、彼の攻撃が数段鋭く早いのだ。 ―――これがシンパチの剣! トモエは彼の底知れぬ強さを実感した。 今の木刀の長さがよほど気に入ったのか、シンパチの動きがリズミカルになってくる。そうなれば試合の流れは一変した。 繰り出す一撃一撃に破壊力がある分、受ける側のトモエはスタミナを消耗する。わずかだが、彼女は道場の隅へと追いやられていった。 ―――このままでは負ける。 生来の負けん気に火がついたトモエの腰の位置がわずかに落ち、左右のつまさきの向きがわずかに開いた時。 「それまで!」 シュウサクの鋭い制止が入り、ふたりの剣士はフリーズしたネット動画のように動きを止めた。 数秒のにらみ合い。そして同時にふぅと息を吐いた。 「はぁぁぁ、トモエちゃん強えぇ!ナマクラ百人相手にするよか消耗するぜ」 シンパチの悲鳴に似た声とともに道場に満ちていた殺気に似た緊迫感が雲散霧消し、手拭いで額や首筋の汗をぬぐうトモエとシンパチの疲労感がシュウサクとジュウベエにも感じられた。 「トモエ、最後に何をするつもりだった?」 シュウサクの言葉に、トモエはわずかに体をこわばらせた。その眼には粗相を叱られた幼子のような後ろめたい困惑の色がある。 「黙っていてもわかる。お前、シンパチ君に奥義を使おうとしたな」 この立合いでは、剛剣流の奥義のたぐいは一切禁じられていた。彼らほどの使い手が奥義を使えば、練習といえどもただごとでは済まなくなるからだ。だがトモエは、シンパチに押されてその奥義を放とうとした。シュウサクは彼女の狙いをいち早く察知して立合いを止めたのだった。 「すみません、お父様。シンパチ、ごめんなさい」 父を相手に隠しだてはできない。トモエは潔く頭を下げた。 「いやいや、それほどまでに真剣になってくれて俺は嬉しいよ、実際」 シンパチは左手をひらひらと左右に振りながらおどけた。 「己を抑えることができぬ者は、戦いにおいて平常心を保つことなど叶わぬ。トモエ、まだまだ青いな」 シュウサクは冷たく言い放った。 道場に流れ始めた気まずい雰囲気を断ち切るかのように、ジュウベエがスッと立ち上がった。 「シュウサク先生、ひとつ私とお手合わせ願えませんか?」 「えっ?」 トモエは驚いてジュウベエを振り返った。父はつい先日邪魂奴に単身決戦を挑み、重傷を負った。そのため、二度と刀が握れぬ体になってしまったのだ。そのことはジュウベエたちもよく知っているはずである。父にとって何よりも辛いこの現実を突き付けるようなことを、なぜジュウベエが…? だが、ジュウベエはにやりと笑うと、右手を手刀の形に伸ばし、体の前で構えてみせた。それを見たシュウサクは「ははぁ」と何やら得心したように大きく頷いた。 陽は既にだいぶ西に傾いている。 街を見下ろせる小高い丘に、人影があった。 戦国時代を思わせる鎧兜を全身に纏った異形の者。昨日眼下の巨大ショッピングモールを急襲し、多くの人命を奪い、建物のいたる所を破壊した邪魂奴のひとりである。 全身朱色の鎧兜は相手を威圧するに十分ではあるが、立物などの装飾がまったく無い質素な造りの兜は、騎馬武者などに比べて身分の低さを物語っている。顔面は目と口の部分だけが切り取られた漆黒の面具で覆われており、生気を失ったうつろな眼窩がわずかに覗いているだけで、表情などの人間らしさはまるっきり窺えない。 彼らを使役していたゲイカイボウたちは「ナマクラ」と呼んでいた。邪魂奴は皆、太刀に宿るよこしまなる魂の化身であることから、戦国時代にただただ殺戮の道具として用いられた名もない刀の邪念にとりつかれた哀れな足軽の転生した姿であろうか? それにしても、ゲイカイボウやコクウンボウらに操られているだけのナマクラが、なぜ一人こんな場所にたたずんでいるのだろう? 夕陽に染まる眼下の街をしばしながめていたナマクラは、何やら意を決したように立ち上がると、道をはずれてまっすぐに街へ向けて歩き出した。 一歩ごとに鎧の各部がカチャカチャと音をたてている。背後から夕陽を浴びた朱備えの甲冑姿は血の色を思わせて無気味であった。 剛剣館の道場では、先ほどまでと打って変わって、静かな戦いが繰り広げられていた。 木刀を持たぬシュウサクとジュウベエが、手刀を胸前で構えた姿勢のまま目を閉じて向き合っている。ただ目を閉じて向き合ったまま、一向に動かぬのだ。 静かだ。 静かだが、重苦しい。 緊迫の度合いがトモエ・シンパチ戦の比ではない。立合いを始めてからずっとこの姿勢を崩さず微動だにしないふたりである。 しばらくして両者の額に汗が浮かび、さらに頬をつたって顎先からしたり落ちた。 動いてはいないが、彼らは間違いなく戦っているのだ。そのことは傍らで正座し、成り行きを見守っているトモエ、シンパチにもよくわかっている。 ふたりは互いの意識を重ねあうことで共有の戦闘空間を創造し、その中で手合わせをしているのだ。意識の中でなら、シュウサクもかつてのように思うさま剣をふるうことができる。ジュウベエとシュウサクは今、無限のバトルフィールドで、互いの技を競い合っているのだ。 ふたりをつなぐものは戦う「気」のみ。意識の中でみずからの姿を創り出すだけでも至難の業である。卓越した剣技を誇る剛剣士にあっても、こうした離れ業をやってのけられるのは上位のほんのひと握りの者のみであろう。 一滴、二滴…両者の足元にはしたたり落ちた汗の溜まりができている。通常の立合いならば肉体的疲労が募るが、この立合いは著しく精神力を消耗する。肉体的なダメージは無くとも精神的ダメージは外からはうかがい知れぬ分危険だ。トモエとシンパチは両者のどんな些細な変化も見逃すまいと目を凝らしていた。 この不思議な立合いが始まってもう20分…通常の立ち会いでもスタミナの限界を越えているはずである。 ―――そろそろ止めに入らないとヤバいな。 正座している腰を浮かしかけたその時、シンパチは近づいてくる異様な気配を感じて凍りついた。 ―――何だこれは!? 「何か来るな」 シュウサクとジュウベエも同様の気配を感じたか、立合いをやめて気配の方を見ている。結局ふたりの静かなる対決は、思わぬ闖入者によって中断されてしまった。シュウサクもジュウベエも、わずかだが肩を上下させている。 「これは、邪魂奴の気配だわ」 トモエの言葉に一同は無言で頷いた。 「宿敵の本拠地を直接襲撃するって寸法か?それならそれで話が早いぜ」 シンパチはいつのまにか木刀を愛刀宝珠丸に持ち替えている。 異様な気配はもうそこまで来ている。家中の入口や窓から乱入してくると予測して、四方に向いて構えている四人であったが、案に反して「それ」は玄関から来た。 ドンドンドン。 何か堅い物が玄関の床を叩く音がする。 しばらく待って反応が無いと知るや、またドンドンドンと叩く。これはどうやら…? 「家人を呼んでいるのか?」 邪魂奴ならば、そのまま抜き身を引っさげて無断で乗り込んで来るはずと訝しがりながら、四人は音のする玄関へと出向いた。 「あっ!」 「貴様!」 ジュウベエたちは驚きの声を上げた。 玄関には、右手に大刀をさげた邪魂奴がただ一人、家人の登場を待ち構えていた。 鎧と兜・・・時代劇などで見慣れた、下級武士のいくさ支度である。 飾りなど何も無い質素な鎧と兜は褪せた朱色に染められている。顔面のほとんどは黒漆塗の面頬で覆われており、眼球を失ってミイラ化した眼窩に浮かぶ小さな黒点が眉庇の下で不気味に光っている。底知れぬ闇の色に染まったいつわりの生命の光だ。 ジュウベエたちは知らぬが、先刻この町のはずれの丘にいた、あのナマクラである。 そいつはあきらかに何かを訴えようとしていた。玄関先で立っている、ということは一応の作法は心得ているということだろう。先ほどのドンドンという音も、この邪魂奴が鞘の尻を玄関の床板に打ちつけていたものらしい。 「どうやら問答無用の斬りあいをしに来たってふうでもないな」 「何しに来た?」 愛刀の鯉口を切るシンパチを制して、道場主のシュウサクが一歩前へ出た。 ナマクラは右手に下げた太刀を水平に掲げてみせた。肉体は滅んで腐敗しているため、声を発する機能はとうに失っているらしい。答えるかわりに掲げた刀をジュウベエの方へ向けた。 「なるほど、ジュウベエとの立ち合いを所望か」 シュウサクの言葉にナマクラはわずかに頷いた。 「立ち合い・・・俺と?」 本来ならば道場における他流試合は禁じられている。しかし、この場合は・・・。 シュウサクはしばし黙考した。禁じられた他流派との試合とはいえ、相手は邪魂奴。尋常ならざる相手だ。今はおとなしくこちらの出方を待っているが、断られたとなれば腹立ち紛れに何をしでかすかわからぬ。 いずれは戦わねばならない者同士。せめて、もののふとして相まみえることができるなら、それはまた得がたい好機と言うべきか。 シュウサクはジュウベエに小さく合図した。 「本来ならば客分としてお上がりいただくところだが、生憎邪魂奴を神聖な道場に入れるわけにはゆかん」 「案内する。ついてこい」 ジュウベエは靴を履き外へ出ると、後ろも見ずに屋敷の裏へと続く木戸をくぐり姿を消した。 ナマクラがその後を追い、さらにシュウサク、シンパチ、トモエもそれに続いた。 木造平屋建ての道場脇を抜け、中庭へ続く小路を行く途中、わずかに俯いたままジュウベエの後を歩いていたナマクラが、不意に立ち止まり背を振るわせ始めた。右手にさげた日本刀がわなわなと震えている。 「ぐ・・・ううう・・・」 喉の奥から獣のような呻き声が低く漏れてきた。 「む、こいつ!」 異変に気づいたシンパチが咄嗟に宝珠丸の鯉口を切った。 「待て」 ナマクラとシンパチの間にいたシュウサクが左手でそれを制した。 ―――狂気を抑えようとしているのか? 剣の師は、眼前でわななく邪魂奴が、必死で理性を保とうとしていることに気づいていた。いまわしい邪剣の魂に精神を蝕まれた化物が、なんとか剣士としての己を保とうとしている。ジュウベエと正々堂々と立ち合いたいという願望がよほど強いのだろう。 やがて、肩の震えがおさまり、何事も無かったようにナマクラはふたたびジュウベエの後を追った。
「ではゆくぞ」 ジュウベエは素早く印を結びながら変化の九字を唱えた。 閃光とともにその姿は真紅の戦士に変身した。最強の状態で相手をする。正面から堂々と向かってきた敵に対する、これがジュウベエなりの誠意である。それはナマクラにも伝わったのか、ジュウベエには赤備えの魔物がわずかに頭を下げたように思えた。 「ファングレッド、大天馬のジュウベエ。まいる」 両者は愛刀の鞘をはらい、対峙した。 たちまち立ち昇る凄まじい殺気。 しかけたのはナマクラだ。 空気を裂いて鋭い一撃が胴をはらう。 ガキィン! 大天馬が受ける。 ―――態勢を崩した? シュウサクの見たとおり、ジュウベエは今の一撃の鋭さに衝撃を受けていた。 小手調べの一撃、ジュウベエは足さばきでやりすごすつもりだったのだが、よけきれずに刀で受けた。その一瞬の誤算が彼の姿勢をわずかに崩したのだ。 攻め時と見たか、ナマクラは次々と攻撃を重ねてきた。 足元から、あるいは頭上から、幾重にも襲い来る変幻自在の斬撃がジュウベエの心胆を寒からしめた。 手練の撃ち込みはいずれも必殺の邪気を含んでおり、いかにファングレッドのソリッドスーツといえどもまともに食らえば少なからずダメージを受けることになろう。 そのうえ相手は「死者」である。肉体は滅び、魂は永劫の闇に彷徨う哀れな彼らは、今よりさらに落ちるということはない。人であるジュウベエとはそこの部分が本質的に違っている。防御を犠牲にしてまでも相手に一撃を加えんと、思いきって踏み込んでくる捨て身の戦法は恐ろしいものだ。一方が「死」を覚悟した時、その分「生」への未練がもう片方にのしかかってくる。そんな状況下で繰り返される波の如き鋭い斬撃は、はかりしれぬ精神的ダメージをもたらすものなのだ。 「あいつ、強えぇ・・・」 シンパチが呻くように言った。 ナマクラの戦い方は、ジュウベエたちのような正当な剣術が持つ美しさとはまるで縁遠い我流のものだが、実戦で会得した彼なりの真っ当な戦法なのであろう。刃を相手の肉体に撃ち込むことだけを目的とした恐るべき殺人剣である。この剣法を駆使して、いくつものいくさを生き抜いてきたに違いない。 「それでも」 その声に、シンパチは傍らのトモエを見た。凛とした横顔には強い信念のようなものが秘められている。 「それでもジュウベエはもっと強いわ」 トモエの確信に満ちた一言にシンパチは頷いた。 「そろそろかもな」 シンパチの野性的な顔がニヤリと笑みを浮かべた。 その言葉通り、ジュウベエの静かな反撃が始まろうとしていた。ここまで防戦に徹していたジュウベエは、ナマクラの切っ先を紙一重でかわしながらじっと相手の技量を推しはかっていた。そして頃合いと見るや、ジュウベエは自らの「気」を、大天馬に込め始めた。 ギン!ギィン!ガキィン! 相手の刃を受け止める大天馬は、物理的な反発力に加えて目に見えぬ気の力で邪剣を押し返し始めた。相反する属性の気は互いに弾けあう。そうなれば、あとは純粋に剣と気の技量の差がものをいう。 影響が出始めたのはナマクラのほうであった。 ここまでナマクラの攻撃が有効であったのは、その連続性に起因するところが大きい。繰り返し押し寄せる波の如き攻撃は、ジュウベエに態勢を整える時間を与えなかった。 しかし、ジュウベエの「気」による静かなる反撃によって、その連続攻撃の流れが狂い始めた。 そしてついに・・・。 シュッ!バキィン!! 脳天めがけて振り下ろされたナマクラの刀をすりあげたジュウベエが神速の胴を撃ちこんだ。 おびただしい火花が飛び散り、ナマクラの体がぐらりと傾く。 「決まった!」 トモエが歓声とともに身を乗り出した。 「しっ!まだだ」 シュウサクが片手で背後のトモエの左肩を押さえた。 「ぐうううう」 ぐらりと揺らいだ体が止まった。 胴を深くえぐられたナマクラの喉の奥から、再びあの獣の唸り声が聞こえてきた。深手を負った宿主を救わんと、またぞろ邪剣の忌まわしい能力が発動し始めたのだ。かろうじて剣士の魂を宿しているナマクラが再びどす黒い闇の心に支配されたなら、尋常な立ち合いなどとは無関係にあたり構わず闇雲に暴れまわるに違いない。 シンパチとトモエは身構えた。 が、それでもナマクラは持ちこたえていた。邪剣の魔力を借りねば、深手を負ったその身はこの場で滅んでしまう。だが敢えてそれを選んだのは、剣士としての最後の意地であったやもしれぬ。 ナマクラは二、三度肩を大きく上下させて息を整えると、そのままドォと地面に倒れこんだ。 「やったわね、ジュウベエ」 「ナマクラ相手だ。楽勝だったさ、なあ」 確かに強敵ではあったが、かといって危うい勝利というわけでもなかった。 しかし、勝利を喜ぶふたりの言葉にジュウベエは何故か無言であった。 自らの一撃によって胴に深手を負ってから倒れるまでのわずかな時間、ジュウベエはナマクラのようすを間近でじっと見ていた。そこに何を見たのか?何を感じたのか? ジュウベエは静かに変身を解くと、歩み寄るトモエやシンパチに背を向けて愛刀をさげたまま道場へと姿を消した。 残されたシンパチとトモエは怪訝な表情で顔を見合わせると、そそくさとその後を追った。 道場の中央で神棚をじっと見上げて立ち尽くすジュウベエは、背後のシンパチとトモエに尋ねた。 「見たか?」 「見た・・・何を?」 ふたりは左右からジュウベエの前にまわりこんで尋ねた。 「顔さ。邪魂奴の・・・顔」 ジュウベエの声はまるで百物語の語り部のようだ。 「顔?ああ、なるほど。あの顔を間近で見ると気分が悪くなる」 「ミイラなんでしょう。気持ち悪いわ」 シンパチが顔をしかめ、トモエは寒気をはらうように、両腕を交差させて左右のわき腹をさすった。 「そうじゃない。立合いの最後に俺が見たのはやつの・・・素顔だ。生きていた頃の」 「えっ?」 ジュウベエの言葉にふたりは絶句した。 「まさか・・・そんなことが?」 「やつが生きていた頃って、何百年も昔なのでしょう。それを・・・?」 トモエたちの問いかけに、ジュウベエは黙って頷いた。 「頬がこけてやつれた感じだったが、眉が濃くて、唇を噛みしめて、真摯な剣客という印象だった」 ジュウベエはゆっくりと思い出しながら語った。何か忘れていることがあってはいけないような、対戦した相手のすべてを、覚えている限りのことをふたりの仲間に伝えたいと思った。 「邪剣に魅入られ魂を奪われて以来、邪魂奴として死ぬることさえ許されずに、今日まで幽界を彷徨っていたのだ」 「ジュウベエを見て、剣士として高みを目指していた頃の思いが呼び覚まされたのかしらね」 「そういえばあいつ、時々おかしかった。妙な唸り声をあげたりしてさ」 シンパチの言葉に、後から道場にやってきたシュウサクも相槌を打った。 「邪剣の魂に飲み込まれそうになっていたのだろう。剣ひと筋に生きてきたもののふとしての意地が、辛うじてやつの正気を保たせていたに違いない」 「単身敵陣へ乗り込んで来ただけでも大した覚悟だ。いつまた狂気に支配されるかもしれない状況で、やつはよく戦った」 「だからこそ俺は、ファングレンジャーとして、最強の剣士として相手をしたかった」 シュウサクがジュウベエの肩にポンと手を置いた。 「それでいい。最強の剣士と堂々と戦えた。彼の魂はようやく救われたんじゃないかな。ん、どうしかしたのかトモエ?」 トモエがむずかしい顔をして唇を噛んでいる。思い悩んでいる時に唇を噛むのが幼い頃からの彼女のクセであることを父親の彼は知っている。 「たぶん彼は・・・もともと立派な剣士だったのね?」 「ああ、そのようだな」 「邪魂奴になどならなければ、己の剣を極めて新たな流派を成していたかもしれん」 「そんな彼が、一生懸命剣の道を極めようとしていた彼が、どうして邪魂奴なんかになってしまったの?今の私たちと何一つ変わらなかったのでしょうに。そんな人までも邪剣に魅入られてしまうというのなら、もしかしたらいずれ私たちも・・・」 「違う」 ジュウベエは即座に否定した。落ち着いているが力強い声だ。 「俺たちとやつらは違うよ」 「違う?どう違うの?」 自分たちと同じ道を歩み続けた先達の悲惨な姿を目の当たりにしたトモエは取り乱していた。もしかしたら、自分も邪剣の魂に囚われてしまうかもしれないという恐怖が彼女を混乱させていたのだ。 「剣の道ひとすじ…いや、その道が何であれ人は壁に突き当たる。ひたむきであればあるほどその壁は高い。何度もぶち当たっては跳ね返されているうち、人の心にわずかな弱さが生まれる。そこにつけこむのが邪魂奴だ」 トモエもジュウベエもシンパチも、シュウサクの話に耳を傾けている。 「邪剣というのは妙に切れ味が良いと聞く。かつてない手ごたえに、もしかしたら自分は壁を乗り越えたのではないかと錯覚しても仕方がないのかもしれない。その手ごたえを確かめたくて、何度も何度も人を斬る。やがて斬ることが目的となり、己を見失って身も心も邪剣に取り込まれてしまうのさ。そして気づく。もはや自分は剣の道はおろか、人としての生き方さえも踏み外してしまったことに。二度とふたたび戻ることのできぬ未来永劫の暗闇の世界に堕ちてしまったことに」 「だが、俺たちは違う」 トモエの目を見据えて、ジュウベエは繰り返した。 何も気負わず、力強い声だ。ジュウベエの言葉は萎えてしまいそうなトモエの心に不思議な力を与えてくれた。 「俺たちの前にも壁はある。だがどんなに高い壁が目の前にそびえていようと、俺たちはやつのようにこの道を踏み外したりはしない。なぜなら俺たちには頼れる師がいるからだ。何もかも分かち合える仲間がいるからだ」 シンパチが笑って言った。この男の笑顔はトモエの心に広がる不安の黒雲を払いのけてくれた。 シュウサクが両腕を広げて左右にいるジュウベエとシンパチの肩を抱いた。 トモエの目の前で3人の頼もしい男たちが自分を見つめて笑っている。やさしく力強いまなざしで。 「トモエ、正しくあろう!」 父の言葉は、トモエの心に忍び寄ろうとしていた不安という名の邪を一瞬で討ち祓った。 晴れ晴れとした気持ちを取り戻し、トモエは満面の笑顔で大きく頷いた。 <Episode2 終> |