空想特撮シリーズ
ワンナイトオペレーション
「ローズ・オン・ザ・ハット」は、フランス人のカリスマオーナーシェフ自慢の料理もさることながら、店のある高層ビル72階から楽しむ東京の夜景が人気である。 特に今夜は、肉感的な満月がすぐ近くに浮いていて一層ゴージャスにアレンジされている。 そんな夜景を最大限楽しむために、店内の照明はぎりぎりまで落としてある。迫力ある夜景のパノラマはコンピュータ・グラフィックのようだ。宝石をちりばめたような、という表現があるが、無数の小さな灯りのひとつひとつは、窓から漏れる照明や帰宅途中の車のライト、ショップやレストランのイルミネーションなど、人々の生活に密着したものばかりなのだが、こうして地上300メートルから俯瞰すると、見る者を優雅に日常から逸脱させてくれる。 予約席というプレートが置かれたテーブルに案内されたのは30代半ばのカップルであった。 「素敵ね」 女性客が窓越しの景色を見て感嘆の声をあげた。 光沢のあるライトグレーのシャツブラウスの胸元には、細い金色のネックレスが揺れている。 ストレートのロングスカートで足首近くまで包みこんだシルエットがフロアに埋め込まれた淡い緑色の誘導灯に浮かび上がり、まるで深海に遊ぶ人魚のようだ。 滑らかな所作で席についた女性とは裏腹に、黒いスーツを着た男性の動きは異様にぎこちなかった。 車椅子を使用しているからである。 だが、身体障害者とはいえ、堂堂とした上半身には他の男性客たちとは明らかに異なる隆隆たる筋肉が宿っている。立ち上がればさぞ見栄えのする姿であったろう。 しかし、盛り上がる胸筋も、頑丈そうな顎の骨格も、暴力的な印象をまったく与えないのが不思議だ。穏やかな表情からのみならず、それは全身から発せられる温かいオーラのようなものの為せる業であろうか。 他の客たちは皆、しばしナイフとフォークを持つ手を止め、あるいは会話を中断させてこのふたりに視線を注いだ。それは、ふたりがそれぞれ身にまとう「只者ではない」気配のせいかもしれない。 BGAM西太平洋支部の隊長フドウと、同じくチーフドクターのカヤマである。 我が身にまとわりつくそんな視線を気にする風でもなく、フドウとカヤマは差し出されたメニューでひと通りの注文を済ませると、楽しげに話をはじめた。 「気に入った?」 フドウは夜景よりもカヤマの満足げな顔を見ている。 「ええ。でも、あなたがこんなお店を知ってたなんてちょっと意外だわ」 カヤマは切れ長の瞳を丸くした。無骨なフドウとこのお洒落なレストランがどうしてもイメージとして重ならないのだ。 「失敬だな。俺だって流行の店くらいチェックしているさ…って、本当はセイラ隊員に教えてもらったんだよ。彼女の持ってる雑誌に載ってた」 フドウが照れくさそうに頭をかいた。 「後で彼女にしつこく問い詰められたよ。誰と行くんだって、30分くらいつきまとわれたっけ」 「ふふふ、彼女らしいわ。でも嬉しい。本当に久しぶりだもの、こんな風に食事するのって」 「ああ。いつの間にか、ふたりとも忙しい立場になっちまったからなぁ。非番が重なることなんて1年に何度も無いよ」 ふたりの前にシャンパンが運ばれてきた。目の前のグラスに金色の液体が満たされてゆく。無数の小さな泡が次から次へと湧きあがる透明なグラスの側面には、バラの花を乗せた麦藁帽子が紅いラインで描かれていた。 「じゃ、乾杯」 ふたりは長いグラスの首を指先でつまんで同時に持ち上げた。テーブルの中央に差し出されたグラスの縁が微かに触れ合い、チン。と澄んだ音をたてた。 ギャルソンが前菜を運んできた。丸く大きな皿の中央に魚介のカルパッチョが飾られている。 「ところで、おめでとうフドウ君」 「え?」 カヤマはプライベートではフドウのことを「フドウ君」と呼ぶ。かたやフドウは彼女を「カヤマさん」と呼んでいる。ふたりはBGAMに所属する前からの知り合いであった。 「聞いてるわよ。あなたの足、わずかだけど動いたんですって?」 「何だ、知ってたのか。僕から話して驚かそうと思ってたのに…イケベトレーナーのおしゃべりめ」 カルパッチョをフォークで突つきながらフドウが口を尖らせた。まぁ、格別怒っているふうでもないのだが。 「あら、私を誰だと思ってるの?こと医療に関して、私に何か内緒にしておくのは不可能よ。イケベ君を責めちゃ可哀想だわ」 「なるほど、君はそっちの元締めだったね」 「そうよ、あなたが作戦行動の元締めであるように、ね」 カヤマはカルパッチョを口に運び「あら、おいしい」と呟いた。 新しいグラスに白ワインが注がれ、ふたりは新鮮な魚の風味を冷えたワインで増幅させた。 「だけど札幌であなたが重傷を負ってから今日まで、驚異的なスピードで回復しているわ。トレーナーとしてイケベ君を抜擢した私の目は正しかったってわけね」 「何をおっしゃいますか。俺の常人離れした肉体の賜物でしょうが」 フドウはナイフをもったままの右腕で力こぶを作ってみせた。どう見ても身体障害者とは思えない。今にも店の天井まで跳びあがりそうなほどにエネルギッシュだ。 「まぁ」 よく言うわ、と文句を言いかけたカヤマは言葉をつまらせた。 フドウがいきなりテーブルに両手をつき、深々と頭を下げたからだ。 「ありがとうカヤマさん。本当に感謝しているよ」 十数年のつきあいの中で、こんなフドウの姿をカヤマは見たことがなかった。皆の前では強がっていても、やはりこの傷がどれほどフドウを苦しめていたのか、今さらながらあらためて痛感させられた。 「よしてよ、みずくさい。それとももう酔っちゃったの?」 「酔っちゃいないさ。でもね、車椅子がなければ水も飲めず、トイレにも行けないと思い知らされた時、さすがに俺は落ちこんだよ。BGAMの作戦行動隊長として、もう二度と前線に立つことはない。なら、俺はここではもう必要の無い男だ。これからどこでどうやって生きていけばいいんだってね」 フドウはバラの花びらのように盛り付けられていた魚の切り身をフォークで突っつきながら独り言のように呟いた。 「だけど、君や部下たちの励ましのおかげでここまで来られた。実際驚いたよ。誰も下半身不随の俺を現場から引退させるつもりがないんだから」 「当然だわ。あなた以外にBGAM西太平洋支部を率いる人間はいないんだから。コヅカ君たちだってそう思ってるはずよ。シュン君なんて、そのつもりであなたに誘われるままBGAMに復帰して来たんじゃないの。ただただフドウ君の回復だけを信じてね。だからフドウ君には『あきらめる』とか『くじける』なんてカードはまわってこないのよ」 体長数十メートルの怪獣を前に一歩も退かぬ戦士が、言葉をつまらせた。 ―――やっぱり、ちょっと気弱になってるのかしら?精神的にネガティブだと、リハビリにも悪影響を及ぼしかねないのだけど…。 歩行のリハビリなどにはむしろ、盲目的とも言える積極性こそが望ましい。精神的高揚がカンフル剤となって、眠り続けている肉体の内燃機関に突然火が灯ることもある。だが、こればかりはいくら医者が言ってきかせてもどうにもならない。要は本人の精神状態の問題なのだから。 カヤマは、ナイフとフォークを握ったまま伏し目がちなフドウを黙って見つめた。 「ははは。俺、やっぱり酔ったかな?だらしねぇなぁ」 重い空気を振り払おうとフドウが唐突に笑い出した。 「かもね。第一、まだ歩けるようになったわけじゃないのよ。大変なのはこ・れ・か・ら。わかってる?」 「確かにそうだ。湿っぽい話はもうよそう」 患者とドクターの間柄とはいえ、今夜は少し彼女に甘えすぎたようだ。 ―――俺らしくない。 つまらぬ話をしたと、フドウは後悔した。 テーブルには二皿目の料理が運ばれてきた。ソテーした白身魚を、緑色のソースがゆるやかに取り巻いている。 「さ、飲もうカヤマさん。夜はまだまだこれからだよ」 「そうね。でもそんなにゆっくりできるのかしら?そろそろキャリアベースからお呼びがかかる頃だったりして?」 幅広のナイフで白身魚を切り分けながらカヤマが冗談っぽく言った。 「よしてくれ。それに、何かあってもコヅカに任せておけば大丈夫さ」 「そうね、この夜景のど真ん中に怪獣が現われでもしない限り…」 ドドーン。 突如店内が揺れた。 「何だ?」 「きゃあ」 「地震だ!」 「うわわ」 客の悲鳴があがり、テーブルのあちらこちらでグラスが倒れ、皿が割れる音がした。 フドウとカヤマは倒れかけたワイングラスを素早くつまんだまま、互いの顔をじぃっと見つめて凍り付いていた。 「おいおい」 「まさか…ね」 そぉっと視線を窓の外へ移してみると…。 ビル街の真中から盛大に土煙があがり、地面近くが炎で赤く光っている。 舞いあがる火の粉に照らし出されて、明らかに巨大生物のものと思しき角の一部が認められた。 「ねぇ、私が言ったから出てきちゃったんじゃないわよね」 「メインディッシュはおあずけだ」 うん、と頷くと、ふたりは店内に向かって同時に大声を張り上げた。 「BGAMの者です。皆さん、落ち着いて、速やかにこのビルから退避して下さい!」 怪獣は、フドウたちのいる場所からわずか5ブロック離れたオフィス街の地中から出現した。 「ローズ・オン・ザ・ハット」には専用の高速エレベータが設置されていたおかげで、客と店員あわせて47人が全員屋外へ退去するのにわずか10分ほどしかかからなかった。しかし、まだまだこのエリア一帯の避難誘導が完了したわけではない。 フドウは腕時計を見た。怪獣出現から約15分だ。 スーツの襟につけたピンバッジ型無線機をオンにした。 「コヅカ副隊長、来ているか?」 〈もちろんです〉 応答と同時に、フドウの頭上はるかな高層ビルの向こうから、BGAMが誇る最新鋭高機動戦闘機アルバトロス1号がぬぅっと現われた。それは、不気味な紅い満月から召喚された、翼を広げた妖しの魔物の姿を連想させた。 〈こっちも来ていますよ、隊長〉 無線から別の声が聞こえた。 ギャギャギャギャ。 派手なブレーキ音をとどろかせて交差点に姿を見せたのは、2台の高速戦闘車クーガーだ。 無人の国道を疾駆する2匹の猟犬は、フドウたちの前にピタリと停止した。 「お迎えにまいりました、隊長」 「ドクターはこちらへどうぞ」 クーガー1号にはセイラ、2号にはスルガが乗っている。 ごくろう、とふたりに声をかけたフドウは、カヤマを見上げて言った。 「カヤマチーフドクター。民間人の非難誘導にご協力くださって有難うございました。ここからは自分たちの仕事です。ドクターもこのエリアから速やかに退避してください」 それは、つい先ほどまで心を許して語り合っていたふたりの口調とはかけ離れた、形式ばった言い方だった。カヤマは、突然ひとりぽっちになってしまったような寂しさに襲われたが、フドウの口調は抗い難い強さを含んでおり、指示に従わざるを得なかった。 スルガがクーガー2号のコンソールパネルに並ぶスイッチのひとつをパチンと弾くと、後部ハッチがゆっくりと開き、特殊な金属アームに支えられたステップが地面へと降ろされた。車椅子用の自動リフトである。 クーガー2号は、車椅子のフドウが戦闘現場へ赴くために開発、導入された新型車である。彼の乗降はもとより、車内において車椅子のバランスを保持するシステムや、火器管制のスイッチパネルなども特設されている。 フドウが車椅子をステップの上へ進めると、アームは油圧の力で再びクーガーの内部へと引きこまれ、金属ステップの上のフドウは車椅子ごと車内に収納された。 「アルバトロスには副隊長とカナテ隊員が搭乗。ソラガミ隊員はレスキューチームを指揮して、避難誘導と救助活動にあたっています」 「うむ」 フドウは車椅子を特殊な金具にロックさせ、自らの体も複雑にクロスしたベルトで固定させた。 「戦況を目視確認できるスポットを確保してくれ」 「了解」 スルガの駆るクーガー2号は、1号よりもひとまわり大きなボディをわずかに震わせると、赤い火の粉と黒煙が盛大に噴きあがる高層ビルジャングルの奥を目指して駆け出した。 カヤマはセイラが開けたドアから助手席へ腰を下ろした。 「ドクターは明日の正午まで非番でしたね。お宅へお送りしましょう」 セイラは自らもシートに納まり、シートベルトを絞めた。 「クーガーでなら15分くらいで着きます」 「いえ、このまま埠頭へ向かってちょうだい」 「埠頭へ?」 セイラは発進しかけた操作を止めてカヤマを見た。 「夜のオフィス街とはいえ、おそらくたくさんの負傷者が出ているはずよ。家へなんて帰っていられないわ」 「でも…」 ―――せっかくの休日なのに。 セイラは気の毒であった。珍しくフドウと非番が重なって実現した久々のデートだったのだ。ふたりともさぞ楽しみにしていたことだろう。デートは台無しになってしまったが、せめて家へ帰ってゆっくりしてもらいたいところではある…。 「お心遣いは嬉しいけど、私はただちにキャリアベースへ帰還し、動けるすべてのドクターを召集して臨時医療チームを結成します。1時間以内にはこのエリアへ取って返して、最寄の救急病院で医療活動を開始しなければならないから」 セイラは驚いたが、カヤマの表情に微塵もゆらがぬ決意を感じ取って意を決した。 「わかりました。これより埠頭へ直行します」 クーガー1号は2号が走り去ったのとは逆の方向へターンすると、草原を駆ける猫科の野獣のように走り去った。
怪獣は、林立する高層ビル群のど真中にいた。 分厚い岩盤をものともせず、地中を高速で突き進むための堅い棘が全身を覆う四足タイプの怪獣だった。前足の付け根で盛り上がる筋肉が唸りをあげている。頭頂部には禍禍しく湾曲した鉤ツメの如き太い角が3本、一列に並んで相手を威嚇している。口元から伸びる牙も、指先に光るツメも、長く後ろへ伸びるムチの如き尻尾も、ひとつひとつがどれも一撃必殺の威力を秘めている。 グルルルルル。 体中から発散する憎しみのオーラ。そして、渦巻く殺戮衝動が放たれた先には、アルバトロスがいた。高度80メートルの中空から怪獣を見下ろしている。まるで、地底怪獣と対峙する翼竜のように。 怪獣は、はるか高空に浮遊するアルバトロスに向かってキバをむき、時には後ろ足だけで立ちあがって威嚇のポーズをとった。 「なんだ、あいつ。向かって来ますよ」 「よほど好戦的なやつなんだな」 操縦桿を握るカナテとガナーシートに陣取るコヅカがあきれ顔でつぶやいた。 「スルガ隊員から怪獣のデータが送られてきました」 カナテは、コクピットのサイドコンソールに埋めこまれた6インチの小さなモニターを見ていた。 「名はライノモーガ。体長約20メートル、体重は推定で6万トン。肉食哺乳類で狂暴なやつです」 ―――ごくり。 カナテの喉が鳴った。 「見てください、あのキバを。このアルバトロスを引き裂きたくてうずうずしてるって感じじゃないスか」 「ああ、おっかねぇな」 コヅカが舌なめずりした。言葉とは裏腹に楽しそうである。既に戦闘モードに入っている証拠なのであろう。ライノモーガとコヅカ、いったいどちらが狂暴なのだろう。カナテはふたつの「巨漢」を見比べて苦笑いを浮かべた。 「スルガ隊員、地上の避難状況はどうなっている?」 〈残念ながら思うようにはかどっていません。〉 クーガーから怪獣の周囲の状況が映像で送られてきた。破壊された建造物の残骸をぬうように、大勢の人たちが死にもの狂いで逃げている。炎と煙に巻かれて全身真っ黒になっている人。崩落したコンクリート片を浴びて全身真っ白になっている人。ずぶ濡れの人。地面を這っている人…。性別すら判然としない多くの人たちがまだ怪獣の足元近くに大勢残されていた。 アルバトロスが攻撃を躊躇している隙に先手を取ったのはライノモーガの方だった。 先端が二股に分かれたライノモーガの長く太い尻尾がぶぅんと振られ、路上に停められていた乗用車をアルバトロスめがけて弾き飛ばした。 跳ばされた乗用車は空中でボン!と音をたてて炎を噴き上げ、巨大な火の玉となって飛来した。 「危ない!」 「ぬおおおおお」 気合とともに、カナテは全力で操縦桿を倒した。 ぶわぁぁぁ! わずかに翼を傾けたアルバトロスは、悪夢のように高速で迫る炎の金属塊を間一髪でかわした。 ライノモーガは、割れて崩れた路上で頓挫している乗用車やトラックを、二股の尻尾で器用にすくい上げながら次々とアルバトロスへ向けて弾いた。 「くそっ。味な真似を」 「このままではビルに激突する。カナテ隊員、機を安定させるんだ」 火災によっておこされた強風がビル街を荒れ狂う中、機体を不自然に傾けたままライノモーガの攻撃をよけ続けていたアルバトロスは、狭いビルとビルの間で主翼の端が今にもビルに接触しそうになっていた。 〈アルバトロス、そこにいたのでは好戦的なライノモーガを刺激してしまう。一旦奴から距離をとるんだ〉 「了解」 「第1ラウンドはやられっぱなしだが仕方がない。地上班の避難誘導が終わるまで我慢するか」 コヅカの言葉にカナテが唇を噛んだ。 「ソラガミ先輩は何をしているんだ。何のためにレスキューチームの指揮をまかされてるのかわかりゃしない」 「まぁ、そう言ってやるな。怪獣はいつも突然現われやがる。夜とはいえここいらは一大オフィス街なんだ。たくさんの人たちが残業していただろうさ。ひとことで避難といったって、そう簡単にはいくまい」 「しかし…」 〈副隊長の言う通りだ。レスキュー隊も決死の救助活動を行っているんだ。今へたに攻撃をしかけてライノモーガに暴れられでもしたら、彼らの命さえも危険にさらされることになりかねん〉 「はぃ…」 BGAMにおいてカリスマ的存在ですらあるフドウの言葉に異を唱える度胸は、カナテには無い。 ―――いつもいつも、みんなソラガミ・シュンの肩ばかり持つ。 やり場の無い苛立ちに、カナテは拳を握り締めた。 せめて、目の前の怪獣にルーク砲を叩き込めれば気が紛れたかもしれない。しかし、それすら許されず、カナテはアルバトロスを怪獣の視界から遠ざけた。 〈いずれにしても、この街中で長期戦は避けなければなりません〉 スルガがライノモーガ撃滅のために考案した攻撃の布陣を説明し始めた。それは、空と地上からの立体攻撃作戦だった。 〈名づけて『春雷の陣』。避難がある程度終了したら、直ちに一斉攻撃を開始します。一気にケリをつけてください〉
「ありがとう、セイラ隊員」 「いえ」 東京湾に面したBGAM専用埠頭にクーガーを停め、戦闘服のセイラと華やかな装いのカヤマは、接岸作業中のシャトルボートを並んで眺めていた。 「それでは、私は現場に戻りますので」 「気をつけてね」 セイラは敬礼をし、乗船タラップに向かうカヤマを見送った。 「あの、ドクター」 呼びとめられて、カヤマはセイラを振りかえった。ロングスカートの裾が海風にあおられて小刻みに震えている。 「今日は…その…残念でした」 微かに上下に揺れるタラップの上で、カヤマは突然の惨劇に見舞われた現場の方に目を向けた。 火災が広がっているのか、夜空が朱に染まっている。 風に弄ばれ、狂ったように乱れる黒髪を構いもせず、カヤマは小さくため息をついた。 「やっつけてね」 そう言い残して、カヤマはシャトルボートの中へ姿を消した。 桟橋にひとり残されたセイラは、ヘルメットの顎紐を絞めなおしながらクーガー1号へと踵を返した。 ―――やっつけます。 なぜだか今夜は無性に腹が立っていた。 シュンは6人目の被災者をかついでビルから外に出た。ライノモーガが最初に出現した地点である。 国道の真中にぽっかりと開いた穴の向こう側では今も建物が火に包まれている。1階にある飲食店に、跳ね飛ばされた街灯が突っ込んで出火したのだ。 周囲には、地中から吹きだした大量の土砂や倒された街路樹などが散乱していて、まるで爆撃された戦場のようだ。 「お願いします」 シュンは迎えに来ていたレスキュー隊員に被災者の体を預けた。若い男性だ。崩れた天井の建材で全身を強く打っていて意識が無い。骨折と打撲による内臓へのダメージが懸念される。 ―――助かってくれよ。 祈るような気持ちでストレッチャーを押すレスキュー隊員の背を見送った。 「ソラガミ隊員、このビルはもう…」 煤で顔を真っ黒にしたレスキュー隊員が、シュンに警告しかけたその時―――。 ゴゴゴゴゴオオオオオ。 「危ない!崩れるぞォ」 1階部分をライノモーガの尻尾の一撃でぐずぐずに破壊されていたビルが、崩落の予兆を見せ始めたのだ。 「チームは全員外にいるのか?」 シュンの後方には、まだレスキュー隊員が残っていたはずなのだ。もう外に出てくれていればいいのだが…。 「マゼキ隊員がまだ中にいます!」 ―――やはり。 「マゼキ隊員、聞こえるか?こちらソラガミだ。応答してくれ」 〈ソラガミ隊員。ビルが、ビルが…〉 無線から流れるマゼキの声は焦りの色が濃かった。無理もない。ビルの骨格がきしむ音はますます大きく、まるで断末魔のようだ。 「わかっている。このビルは今にも崩れそうだ。早く来い!外へ出るんだ」 〈こちら要救助者1名を確保。脱出を試みていますが、煙で出口がわかりません!誰か誘導してください〉 焦りがパニックを呼び、冷静な判断力を狂わせているようだ。方向感覚を喪失しているに違いない。 ―――まずいな。 シュンは、他のレスキュー隊員たちに、このブロックからの速やかな一時退避を命じるや、再び崩れかけたビルの中へ身を投じた。 「あっ、ソラガミ隊員!」 すぐ近くにいたレスキュー隊員がシュンを制止しようとしたが、直径数十センチもある外壁材がいくつも落下し、ふたりを分断してしまった。 激しさを増す落石の雨の向こうにシュンの姿を求めたレスキュー隊員が見たものは、突然発せられた目も眩むような眩い光のみであった。
「あとはお願いね」 カヤマはひととおりの処置を済ませると、担当の看護士にその場を任せて次の患者のもとへと急いだ。 突然の怪獣出現による被害者は、カヤマの予測通り続々とこの一条記念病院へと運び込まれていた。 一条記念病院は、東京ベイエリアにおいて、BGAMがグラゴ星人撃滅作戦を展開した折、瀕死の重傷を負った当時の臨時隊員、ルパーツ星人デラを治療した病院であった。 その時の縁で、カヤマ自身もこの病院のスタッフとは顔見知りになっており、ドクターチームを率いて応援にやって来た彼女を、病院側ももろ手をあげて歓迎した。 重傷患者の呻き声や、看護士がドクターを呼ぶ声などが交錯し、さながら野戦病院の様相を呈している。ひとときも手を休めることのないスタッフたちは、全力を注いで患者たちの治療に取り組んでいた。 廊下では、比較的軽傷の患者たちが座り込んで治療を受けている。カヤマは傍らを通りながら、患者たちの顔色や細かなようすを注意深く観察してまわった。 ズウウウウン。 その時、突然病院全体が大きく揺らぎ、ストレッチャーや医療器具が派手な音をたててひっくりかえった。 「きゃああ」と女性の悲鳴があがり、火がついたような子供の鳴き声が聞こえた。一瞬にして巨大なビルを倒壊させる怪獣の脅威は、患者たちの心に癒し難いトラウマを作っていた。この病院は怪獣の現在位置からは2キロほど離れてはいるが、コンクリートの館内を震わせる怪獣の叫び声が届くたび、皆悲鳴をあげて身をすくめていた。 患者や病院のスタッフにとって、もしかしたら怪獣がここにもやって来るかもしれない、という恐怖心が辛いストレスとなり、肉体的な疲労をさらに深めていた。 カヤマは窓の外を見た。怪獣の現われた方角とは違うためか、窓の向こうの風景はいつもと変わらぬ穏やかな星空だ。 カヤマは、今この瞬間も、怪獣と至近距離で戦っているBGAMの隊員たちを思った。そして、車椅子で戦場に赴いて行ったあの大きな背中を思った。 ―――フドウ君、みんなを護って。 「ドクター、急患です」 看護士が大声でカヤマに応援を求めて走り寄った。 「レスキュー隊員、31歳。男性です。救助活動中、車両の爆発に巻き込まれて火傷を負っています。外傷は頭部と右肩。火傷は上半身を中心に広範囲です」 ―――レスキュー隊員…。 カヤマは、ストレッチャーに乗せられて手術室へと運び込まれる患者に寄り添った。 若いレスキュー隊員は、苦痛にうめいていた。 「しっかりしなさい。大丈夫よ、きっと直してあげる。きっと!」 カヤマたちが手術室に姿を消した直後「手術中」のライトが赤く灯った。それは、カヤマたちの新たな戦闘開始の合図だ。
「隊長、レスキューチームのハシダ隊員から報告がありました。付近の避難誘導および救助活動、ほぼ完了とのことです」 「わかった。だが報告はシュンからじゃないのか。シュンはどうした?」 「それが…その…」 口ごもるスルガに妙な胸騒ぎを覚えたフドウは、珍しく声を荒げた。 「はっきりしないか!シュンはどうしたんだ?」 「はっ、はい。後続のレスキュー隊員を探しにビルへ飛び込んだ直後…そのビルが…崩れて…現在、生死が確認されていません」 スルガの報告を聞くなり、フドウはクーガーの後部スペースで自分を拘束していたベルトや金具を次々とはずし始めた。そして、すべてのセーフティ装置をはずし終えるや、車椅子を乗せたまま後部リフトを稼動させ、クーガーから離脱した。 「た、隊長?一体どちらへいらっしゃるのですか」 「スルガ隊員、攻撃指揮権を一時君に預ける。『オペレーション春雷』を発動し、ライノモーガを撃滅せよ」 「はっ。了解しました。ですが隊長はどうされるのですか?」 「シュンのようすを見てくる」 「ではご一緒します。道路はどこも荒れていて、車椅子ではとても…」 「私のことはいい。君は攻撃に専念し、必ず怪獣を葬るんだ。いいな」 「はっ」 フドウはそう言い残すと、怪獣が最初に出現したポイントへ電動車椅子を走らせた。
「クーガー1号スタンバイOK」 「クーガー2号スタンバイOK」 「アルバトロス高度750メートルで旋回中。いつでもOKだ」 クーガー1号にはスルガ、2号にはカヤマを送り届けた後、戦線に合流したセイラが乗車し、作戦開始に備えてエンジンをふかせていた。高空のアルバトロスには、パイロットのカナテとガナーのコヅカが「その時」を待っている。 「副隊長、ポイントX‐0まであと六十秒っす」 「ライノモーガの動きに注意しろ。この攻撃はタイミングがすべてだ」 「了解っす。地上750メートルからのフリーフォール、ぞくぞくしますね」 「ビビるなよ、カナテ隊員」 「じょ、冗談じゃないっすよ。地面スレスレの曲芸飛行をとくとご覧あれ」 楽しそうなカナテの横顔を見た途端、コヅカは少しだけ逃げ出したいような気持ちになって目をそらせた。
「ライノモーガ、ポイントX‐0まであと30メートル。秒読み開始します」 攻撃の指揮をとるスルガがカウントダウンを始めた。 「…16、15、14…」 ライノモーガが進撃してくる片側三車線の広い国道に、2台のクーガーがゆっくりとその姿を現わした。中央の街路樹をはさんで上り車線に1号、下り車線に2号。スタートラインに並ぶスプリンターのように横一列に並んで停止した。 猫の子一匹いなくなった都会のど真ん中で、体長20メートルの地底怪獣ライノモーガと2台の高速戦闘車両が正面から対峙した。その距離300メートル。
「…9、8、7、6…」 アルバトロスのコクピットでも、デジタルカウンターが刻む数字をコヅカとカナテのよっつの目が凝視していた。操縦桿を握るカナテの手がぴくりと動いた。心の中では、既にエンジン全開でライノモーガに向かって突っ走っている。
「3、2、1。GO!」 スルガのゴーサインと同時に、みっつのメカが一斉に動いた。 〈いくわよぉ!〉 〈いいいやっほぉう〉 セイラもカナテも、アドレナリンが体内で大暴走をおこしているらしい。 「み、みなさん、タイミングですよ。タイミングを合わせてくださぁい!」 ギャギャギャギャッ。 スルガの警告の甲斐もなく、2号車がリアタイヤから白煙とともに派手な悲鳴をあげてロケットの如く飛び出した。 「ひぃえぇぇ」 やむなくスルガも1号を急発進させ、無理やり2号と平行に並んだ。 2台のクーガーは、ライノモーガに向けて更に加速し、天空のアルバトロスは、獲物を襲う猛禽のようにまっ逆さまに急降下を始めた。 クーガーのアクセルは床まで踏み込まれ、高性能エンジンが空気を求めて喘いだ。 アルバトロスの操縦桿は極限まで倒され、両翼の先端は、逃げ遅れた大気を巻き込んで雲をひいた。 「うおおおおおお」 「行っけええええ」 スピードが上がるにつれ、極端に狭まってゆく視界の中で、怪獣の巨体だけが凄い勢いで大きくなってゆく。セイラはのけぞりそうになる体を強くシートの背におしつけて、攻撃ポイント到達を待った。 ライノモーガも、殺気をはらんで急接近するクーガーに気がついたようだ。顎をひいて頭頂のツノを突き出し、突進するポーズをとった。 「来るわよ。クィンビー発射!」 陣形の動きは秒単位ですべて頭に叩き込んである。セイラは、小型地対空ミサイルの発射ボタンをプッシュした。 ―――もぅ。作戦指揮は僕がとっているのに…。 口を尖らせながら、スルガも攻撃を開始した。 シュボッ、シュボッ。 クーガーのルーフの左右に1基ずつ据えつけられた田の字型のミサイルポッドが火を噴いた。 シュルルルル。 ドン。ドォン。ドヮアン。 1号2号あわせて4発の地対空ミサイルが、踏み出そうとしたライノモーガの前足のつま先を正確に叩いた。
道路には平らな場所などどこにもなかった。 ビルは崩れ、火災が広がり、木が倒れ、舗装にはいくつもの穴が穿たれている。 フドウの車椅子では、1〜2メートル進むのにも数分かかってしまうような場所もあった。 だが、フドウはひたすら進んだ。時には車椅子を片手でひきずりながら、這ってコンクリート片の山を越えもした。 ―――シュン、無事だな。無事でいるよな。 かつて札幌に、突如マンモスフラワーが出現した時、崩れかかったビルの中から逃げ遅れた若者を助け出そうとして、フドウは下半身の自由を失った。 部下を自分と同じ目には断じて遭わせたくない。だが、BGAMの隊長である以上、彼らを「そこ」へ向かわせねばならないのだ。それは、避けて通ることのできない任務である。それだけにフドウは、部下の安否を何より気にかけていた。 シュンが救助活動を行っていた現場まで、あと10メートルほどという地点で、フドウは絶望の声をあげた。 左右のビルの外壁が、互いに寄りそうように崩れて幅六メートルほどの舗道を完全に塞いでいるではないか。 ―――ここを過ぎれば、すぐそこなのに…。 その時、上空から「ひゅるるる」と風切り音をあげながら、何かが猛スピードで降下してきた。 「来たか」 月は驚くほど大きくて丸い。アルバトロスがその月を真上から断ち割るように通過した。 ―――こんな所で難渋している場合じゃあるまいよ。 フドウはメガパルサーを抜くと、眼前の崩れた堆積物を撃った。 ドガァン。 至近距離からの射撃に、破壊され飛び散ったターゲットの破片が容赦なくフドウの全身を叩き、フドウは車椅子ごと仰向けに吹き飛ばされた。
激走してきたクーガーのルーフ中央にマウントされた主武装「アッテスバルカン・アーティラリー・カスタム」が重い頭を上方へ向けた。 小型ミサイル「クィンビー」は、あくまでもライノモーガを攻撃予定ポイントに足止めするための威嚇攻撃にすぎなかった。 本番はこれからだ。 6本の長銃身が超高速で回転し、たて続けに光弾を撃ち出した。 恐るべき破壊力を内包する光弾は、縄のように連なってライノモーガのノドに全弾命中した。 「今です!」 進撃してきたライノモーガの手前なんと10メートル!唯一中央分離帯が途切れる交差点の入り口で、2台のクーガーは同時に急ブレーキをかけた。 キキイイイイィ。 路面に黒々とブレーキ痕を残しながらドリフトしたクーガーは、アッテスバルカンを撃ち続けながら横滑りし、交差点の中央で交差した。 それとともに、ふた筋の光弾は、左右からライノモーガのノドぶえをかき切るように撃ちこまれ、着弾した体表からはX型の炎が立ちあがった。 ギエエエエエ。 ライノモーガは苦悶の呻きをあげ、本能的に首をすくめた。 刹那。 「もらったぁぁぁぁ」 ガラ空きになった脳天めがけて、高空から飛来したアルバトロスが必殺のルーク砲を撃ち降ろした。 ピュピュピュン。ピュンピュン。 ドドドドォン。 ライノモーガの3本のツノが木っ端微塵となって四散した。 「機首をあげろぉ!」 見事にガナーの役割を果たしたコヅカが目前に迫る地面を凝視しながら叫んだ。 「ぬおおおおおお」 カナテは渾身の力を込めて操縦桿を引き起こした。 天空からの攻撃の効力を最大限に引き出すため、機首をおこすのはぎりぎりまで控えるようにとスルガから言いわたされていた。何より、早すぎる離脱で、腰抜けのレッテルを貼られるのだけは耐えられなかった。 「上がって!」 クーガー2号の窓から空を見上げていたセイラが祈りの叫び声をあげた。 しかし、アルバトロスはついに高層ビルの谷間へと、その姿を消した。セイラとスルガは、悪夢のような墜落を覚悟して堅く目を閉じた。 ゴオオオオ。 だが次の瞬間、力強い爆音と砂塵に包まれながら、アルバトロスの勇姿は再び満天の星空へと舞いあがった。 地上わずか15メートル。獲物に襲いかかった鋼鉄の猛禽は、ようやくその頭を再び天へ向けることに成功したのだった。 ―――ふうぅ、マジかよ。危機一髪だぜ。 強がっていたカナテも、さすがに生きた心地がしなかった。脇や背を冷たい汗が幾筋も流れている。 「怪獣はどうなった?」 コヅカが機を旋回させるよう合図した。何も無かったかのような落ち着きぶりである。まったく、この男の豪胆さにはカナテの負けん気も敵わない。 アルバトロスはゆっくりと旋回すると、ライノモーガの頭上へと移動した。 ライノモーガは、頭部を舗装道路にめり込ませて絶命していた。 真上から超高速で撃ちこまれた必殺のルーク砲は、ライノモーガの3本ヅノを粉砕し、脳天を打ち砕いたのみならず、頭部そのものをアスファルトの舗装道路の中へとねじ込んでいた。 キバの間からだらりと出されている怪獣の舌が朱に染まっていた。 ビル火災は、消防隊の奮戦によってほとんど鎮火していた。それでも、依然屋内でくすぶる油断のならない小さな炎へ向けて、懸命の放水が続けられていた。 つい30分ほど前までは、救急車と消防車が慌ただしく交錯し、競い合うようにサイレンを響きわたらせていたのだが、最後の負傷者も既に搬送され、現場は落ち着きを取り戻そうとしていた。 「見事な指揮でした、ソラガミ隊員」 「いえ、皆さんこそ。怪獣が近くにいる危険な現場で、よく働いてくれました」 シュンの傍らへと歩み寄ったのは、レスキュー隊班長のキシであった。コヅカほどではないが、シュンよりも長身で、がっしりとした体躯の持ち主である。ライノモーガの脅威と隣り合わせの状況で、シュンの片腕となって救助活動に大活躍した男だ。 シュンとキシ、見合わせた顔は互いに煤で真っ黒になっていた。 「それと、マゼキを助けてくださったこと、感謝しています」 キシは、小さいがキレのある会釈をした。 倒壊し始めたビルの中で要救助者と共に孤立した若いマゼキを救うために、シュンは敢えてそのビルへと飛び込んで行った。シュンの野戦ブルゾンにプリントされた「SORAGAMI」の白い文字が砂塵に消えた時、レスキュー隊の誰もが、あれが彼の最期の姿だと思った。 しかし、ビルが完全に崩れ落ちた後、夜の闇の中から忽然とシュンは現われた。両腕にマゼキと要救助者を抱えて…。 絶対的な死地から奇跡的な生還をとげたシュンを、レスキュー隊員たちは皆、ヒーローを見る思いで眺めた。 「BGAMの方って、やはり超人的な働きをするものなのですね」 「え?」 「マゼキを助け出すためにあなたがあのビルへ突入した時、ビルは既に最終的な崩壊を始めていました。私の見る限り、とても生きて戻れる状況ではありませんでしたよ。常人ならね」 ―――常人なら。 その表現に、シュンはドキリとした。ウルトラマンアミスと同化しているという自分だけの秘密を、この男に知られてしまったのかと思ったのだ。 「大事な部下を助けてもらっておいて、こういうことを申しあげるのは…その、心苦しいのですが」 左右の指を組んだりほどいたり、キシは下を向いたまま言いにくそうに言葉を継いだ。 「もう…二度とあんな無茶はしないでくださいな」 その言葉は、呪文のようにシュンの記憶の扉を開放させた。シュンは、かつて隊長のフドウからまったく同じことを言われたことがある。 剣山に突如出現した昆虫型怪獣ディーバーゴに、マイクロプレーンで単身立ち向かった時のことであった。どんなに英雄的行為であっても、自らが命を落としてしまったら何にもならないのだ、と叱られた。シュンの身の上を案じての、厳しくも温かい言葉であった。あのひとことが、シュンをBGAM入隊へと誘ったと言っても過言ではないと自分では思っている。 とつとつと語るキシの言葉もまた、シュンの胸に温かく響いた。 「恐らくあなたがたは、我々には想像もできないような厳しい訓練を積んでいるのでしょうな。ですが、あんな無茶は、できればもうよしていただきたい」 シュンは、自分より年上の班長の言葉に、フドウと同じにおいを感じ取っていた。 「あ、本当に申し訳ない。部下を助けてくださった方に生意気なことを」 「いえ、班長のご忠告…肝に銘じます」 素直に頭を垂れるシュンに恐縮したのか、キシはさらに深く腰を折ると「では」と敬礼すると、現場を後にした。 「…ン」 ―――え? 「シュン」 いつから呼ばれていたのか。いずれにしても自分の名を呼ぶ声に導かれて、シュンは背後を振り返った。 そこにいる大柄な男は、満身創痍で「立って」いた。 「隊長?…フドウ隊長!」 シュンは我が目を疑った。 地面を這い、メガパルサーで障害物を破壊し、それでも何とかこの現場までたどりついた。野戦ブルゾンは引き裂かれ、ヘルメットのシールドも割れていた。行く手を阻む障害物を至近距離から爆破させながら進んできた証である。 だが、シュンが驚いたのは、そんなことなどではない。2メートルほどもある頑丈な材木を杖代わりに、フドウはまぎれもなく二本の足でそこに立っているのだ。 「よぉ。やっぱり無事だったか」 頬から血が流れている。笑ったつもりなのだろうが、傷のせいで顔がひきつって妙な表情である。 シュンはフドウのもとに駆け寄った。 「隊長。立てるんですね」 「ん?あ、いや」 言うなりフドウは、糸が切れた操り人形のようにストンと地面へ崩れ落ちた。 「あっ、隊長。しっかりしてください」 慌てて差し出されたシュンの腕につかまりながら、フドウは少し照れくさそうに言った。 「ははは。まだ『立てる』というわけじゃなさそうだな」 シュンは、まだ現場に残っているレスキュー隊員に替りの車椅子を持ってこさせると、フドウを座らせた。 「しかし隊長。ライノモーガの攻撃指揮をされていたのでは?」 「ん、ああ。そうだったんだがなぁ。スルガ隊員の考案した『春雷の陣』てぇのが、また激しいメカ戦でね。俺が乗っていちゃあうまくいかないのさ。だから彼に任せて、俺はそのへんを散歩してたのさ」 「散歩ですか?」 「おお。散歩だ」 そう言うと、シュンの煤で汚れた黒い顔やあちこち焼け焦げた野戦ブルゾンを見ながら、フドウは高らかに笑った。 ―――僕を心配して来てくれたんですね、隊長。有難うございます。 ―――また無茶をしたのだろうが、シュンよ。お前はやっぱりすごい奴だな。 「ところで隊長、ライノモーガは?」 「怪獣なら、とっくにやっつけたわよ!」 シュンの質問に答えたのは、思わぬ方向からかけられた声であった。 驚いて振りかえったシュンとフドウは、笑いながら歩いてくる4人の若者たちの姿を眩しげに見た。 「一撃ですよ」 「春雷の陣、完璧でした」 「息ぴったり。タイミングばっちりだったじゃない?私たち」 メカを降りた隊員たちは、フドウに作戦の成功を報告にやって来たのだ。 「みんな、すごいですね」 「ああ」 フドウは、そう言うシュンを含めた部下たち全員を、眩しそうに眺めていた。 「ところで、隊長もシュンもどうしてそんなにボロボロなのよ?」 セイラがシュンの野戦ブルゾンのほころびを突っついた。 「いや、まぁ。こっちもいろいろ大変で」 「ソラガミ先輩、避難誘導するだけで何がどう大変なんスか?こっちは高度750から真っ逆さまに急降下してたんスよぉ」 「ふん、未熟者のくせに」 辛らつなカナテにセイラがすかさず噛みついた。 「み、未熟じゃありませんよ」 「じゃ練習不足」 「違いますって」 「センスが無い…ウッ」 ふざけて言い合うカナテとセイラをコヅカが背後からヘッドロックにきめた。 「ハイそこまで。隊長、そろそろ引きあげましょう」 「ああ、そうだな」 コヅカの大木のような腕からようやく解放されたセイラがフドウの車椅子を押した。 「なんだかお腹が空いてきましたね」 珍しくスルガが食欲旺盛だ。考案した攻撃陣形が見事に機能したせいなのかもしれない。 もうすぐ日付が変わろうとしている。フドウは自分も夕食を食べ損ねていたことを思い出した。 「キャリアベースへ帰ったら、みんなで一緒に夜食でも食おう」 隊員たちの間から「おう」と歓声があがった。スルガだけでなく、作戦終了とともに空腹を覚え始めていたのだろう。 「待ってください隊長。お夜食なら私たちとじゃなくって…」 「何だい?」 何か言いかけて口ごもる背後のセイラに顔を向けた。 「いえ、あの…カヤマチーフドクターは…?」 「ん?彼女がどうかしたかい」 「ええ、ドクターたちはたぶん、今もどこかの病院でたくさんの患者さんを診ておられると思います。隊長、カヤマチーフドクターにお会いにならなくてもいいんですか?」 せっかくの非番のデートを、怪獣出現で台無しにされてしまったふたりなのだ。作戦が終了した今となっては、フドウもさぞカヤマのもとへ駆けつけたいだろう。セイラはそう思っていた。 「なるほど。頑張るねぇ、うちの先生がたも」 「は?いえ、そういうことじゃなくって…。まだ開いているお店だってたくさんありますし、ドクターを誘ってもう一度…」 「いいのさ。先生方だって、仕事の最中に俺みたいな大男が行ったところで、迷惑なだけだろうよ。第一、あのドクターが、患者を途中でほったらかして食事の誘いに乗ると思うかい?」 フドウはそう言うと「はははは」と豪快に笑った。 ―――せっかく人が心配しているのに。 セイラはなんだか腹が立ってきた。 「もう、知らない」 「おわっ!な、何を」 えいっとばかりにフドウの車椅子を荒々しく反転させ、皆が歩いている方向と逆向きにして自分だけさっさと歩き出してしまった。 「おおい、待ってくれ」 懸命に車椅子をもとの方向に戻そうとするフドウに、シュンが手を貸した。 「セイラ隊員、本気で心配していますよ。いいんですか?」 シュンは小声でフドウに尋ねた。 「ああ。何にせよ、焦らずにいこうと決めたのさ」 「焦らずに」と、他の隊員たちには聞こえぬ程度の小声で繰り返しながら、フドウは自分の両足をそっとなでた。 「それからな、シュン。さっき一瞬でも俺が立てたことは秘密にな。あれはいわゆる『火事場のクソ力』というやつだ。まだ本当に治ったわけじゃないから、妙に期待させちゃあ皆に気の毒だからね」 シュンは笑顔で頷き、フドウの車椅子を押し始めた。 先を行くカナテが手を振りながら叫んだ。 「隊長、ダメっすよ。腹減ってる時のセイラ隊員を怒らせちゃあ。すっごい狂暴なんスから」 「おりゃあ!」 ズン! 言うや否や、カナテの尻にセイラのまわし蹴りが飛んだ。 「痛ぇ!ひでぇなぁ」 腰の入った本気の蹴りに、カナテはしきりに尻をさすっている。 「ははは。まったく、怪獣より騒々しいやつらだな」 フドウは苦笑いを浮かべた。作戦が成功し、皆気分が高揚しているのだろう。 笑いながら車椅子を押すシュンは、ひとり頭上の満月に目をやった。 真円に近い見事な満月だ。しかも、眩しいほどの豊かな光量である。 地上で頻繁におこる怪獣災害など、まったく無縁の遠い世界から見下ろしているだけの月。しかし、蕩蕩と降り注ぐ金色のやさしい光は、大地のあらゆる傷を癒してくれる不思議な力を秘めているようにも思えた。そしてその無限の光は、車椅子のフドウにも、怪獣によって荒らされたこの街にも、静かに降り注がれている。 十数分後、まるで月の引力によって浮き上がったかのように垂直離陸したアルバトロス1号は、キャリアベースが停泊している東京湾沖をめざして飛び去っていった。 (完) |