渦戦士エディー
怨嗟の鎧
〜前編〜
大型で非常に強い台風第11号は、今日午後1時には高知市の南約110キロメートルにあって東へ毎時22キロメートルで進んでいます。中心気圧は900ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は毎秒62メートルです。この台風は、明日の零時には浜松市の南約50キロメートルに達する見込みです。明後日正午には仙台市の東南東約160キロメートルに達するでしょう。台風周辺海域および進路にあたる海域は大しけに、台風の進路にあたる地域は暴風や大雨に厳重な警戒が必要です。次回の台風情報は―――
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徳島県内某所。 激しい風雨の音をかき消す山のうなり声を町民たちが耳にした15分後。 ゴオオオオオオオオ! 「く、崩れるぞ!」 「逃げろお!」 轟音とともに、里山の斜面が巨大な木々ごとすべり落ちた。麓には数件の住宅があったが、一瞬のうちに土砂に飲み込まれて一帯は泥の色一色になってしまった。 大きな山ではないのだ。これは以前より何かの古墳であったのではないかと言われ続けた、こんもりとした高台のような山だ。そのため被害は広範囲には広がらず住民たちもずぶ濡れになりながらも間一髪で避難できた。 やがて台風11号は日本各地に深刻な爪あとを残して熱帯低気圧になった。
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濃い霧だ。 触れようと思えば触れられそうな、掴もうと思えば手のひらに留められそうな濃密な霧。 その中を進む影あり。足元すら定かではないほど視界が悪い白濁した世界を、怖がるふうもなく悠々と歩いている。 はたして人なのか? ハリネズミを連想させる銀色の尖った頭髪を鉢金付きのハチマキでまとめあげ、長身を迷彩戦闘服で包んでいる。軍用らしい編み上げブーツを履き、金属板を鍛えて造った胸当てを着け、肩からは全身を覆い隠すほど大ぶりのケモノの毛皮でこしらえたロングマントを羽織っている。そのいでたち自体は派手なメイクで唄う攻撃的なロックンローラーのようでもあるが、全身から立ち昇るおぞましいオーラはマントなどでは隠しようもない。 なにより異様なのはその顔だ。白骨なのだ。仮面などではない。得体の知れぬ動物のシャレコウベだ。それがこやつの「顔」なのだ。 下あごからは長く耳元近くにまで一対のキバが伸びている。両目のくぼみには眼球が無く、ただ深い闇がそこに押し込められている。灯りの無い暗闇の中にあってなお暗いその闇は、視線の先にあるものの心臓を瞬時に射抜く鋭さを孕んでいる。 尋常な人間などではあり得まい。 然り。 そやつこそ徳島に仇なさんと暗躍するヨーゴス軍団の首領タレナガース、人外の魔物である。 タレナガースの足がふと止まった。 目の前の霧が不自然に揺らいで地面のあたりがもっこりと盛り上がった。地の底から湧き上がるように何かが立ち上がる。まるで悪趣味なマジックのようだ。 <だれじゃ?> タレナガースが問うた。答えは無い。 <ことわりもなく余の前に立つとはよい度胸じゃ。姿を見せよ> 腕を胸前で組み、アゴを突き出して言い放つ。上から目線のタレナガースに恐れなし。 霧の中から出現したモノはやがて人型に形を整え始めた。霧の粒子のひと粒ひと粒が己のあるべき部位へと集結し、やがてソレは奇妙な落武者の姿になった。体はいくさ装束の武者だが、頭はタヌキだ。左目は深々とえぐられて失われている。噴き出した血で額のハチマキから顔半分は真っ赤に染まっている。体にも数本の矢が刺さったままだ。残された片方の目でじっとタレナガースを見つめている。 <貴様・・・いや・・・あなた様は!> はじめてタレナガースの気配が乱れた。「お・・・」とくぐもった声がキバの間から漏れる。 <御屋形様!> タレナガースは揺れる霧の中に跪いた。この魔人が自分以外のものに膝を屈するとは?今度はタレナガースがじっと眼前の落武者を見あげた。何か言葉を待っているかのようだ。だが御屋形様と呼ばれたタヌキの落武者は何も語らず、ただ悲しそうに己の胸のあたりに手を置いた。鋭いツメの伸びた毛深い手で胸から腹にかけてをなでまわしながら、ただ悲しい視線をタレナガースに送ってくる。 <いかがなされた御屋形様?胸が痛まれるのか?それとも腹が?> タレナガースは落武者の意図をくみとろうと身を乗り出すが、タヌキの落武者の姿はふたたび地面へと沈み始めた。 <やや!お待ちくだされ御屋形様。余に何を伝えたいのじゃ?言うてくだされ!> だが落武者は胸のあたりを手で触りながらついにもとの霧の中へ姿を消してしまった。 そこは再び霧の濃いただ白く澱んだ世界に戻った。ただひとり、跪いて地面を凝視するタレナガースを残して。
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台風一過の徳島は雲ひとつない秋晴れとなった。土砂に埋もれた家屋は7軒。知事の要請により陸上自衛隊第14施設隊から隊員たちが出動し、瓦礫や根こそぎ倒れた巨木などを手際よく撤去した。 「ん・・・こりゃ何だ?」 剣シャベルを持った若い隊員が泥の海から何かを拾い上げた。 両手で抱えるほどの大きな箱、しかもかなりの年代もののようだ。 ズシリと重い。表面にこびりついた泥をぬぐうと、びっしりと鋲が打たれた頑丈な鉄製の箱だ。 「何だ?何か見つけたのか?」 隊員の上官が声をかけた。 「ハィ。鉄の箱なんですが、妙に重くて。。。」 「ほう。そういえばこの山はもともと大昔の古墳だったという説がある。お前さん、大層な発見をしたのかもしれんぞ。ハハハ」 上官の冷やかしに微笑みながら、鉄箱を眺めていた若い隊員は首をひねった。 「変だな」 「変?何がだ」 「ハィ。この箱、蓋が無いんです。六面すべてをきっちり溶接してあって。まるで・・・」 隊員は上官に訴えるように箱を胸の前まで持ち上げた。 「まるで中のモノを完全に封じ込めようとしているみたいに・・・」
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「あれかや、おまえ様が言うておった御屋形様の忘れ物とは?」 「うむ」 膝ちかくまで泥に埋まりながら懸命に復旧作業を続ける自衛隊員たちを、離れた林の中からじぃっと見つめる人影がふたつ。そこから声が漏れてくる。あたりをはばかる押さえた声だ。女の声に問われ、しゃがれた男の声が応えた。 人の手が入っておらぬ鬱蒼とした林は陽光を遮り、声の主の姿を闇の向こうに隠している。 「あの中にはナニが入っておるのじゃ?」 「わからぬ。夢枕に立たれた御屋形様は何も言わなんだからのう。じゃが、おそらくは・・・」 「おそらくは?」 「餓骨丸・・・」 「なんと!」 林の奥で息を呑む気配がした。 林の闇の中から血のように赤く染まった一対の大きな目が浮かび上がり、やがて消えた。
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閃光が部屋の隅々までを照らしている。 ロボットアームの先端に取り付けられた高出力バーナーが青い光を放ち、引越し用ダンボール箱大の鉄の箱を破壊せんとフル稼働している。 盛大に飛び散る火花を遮るための特殊硬質ガラスの向こう側ではサングラスをかけた4人の男たちが熱い視線で作業の進捗状況を見守っている。 徳島県立民俗博物館。 ここはその地下研究室だ。先日徳島を襲った台風11号の暴風雨によって崩れた里山から掘り出された謎の金属箱が自衛隊によってここに運び込まれていた。 事前のX線検査では中に何か封じられていることがわかっている。歴史研究家はじめ各方面の専門家によれば、おそらく古い鎧であろうと言う。 保存のよい年代物の武具ならばとてつもないお宝になろう。 「もう少しだ」 4人の中で唯一白衣ではなくスーツを着た男性がぼそりとつぶやいた。館長の古谷だ。 そして・・・。 ガコン! 重い音とともに金属箱の一面が切り取られて台から落下した。 「おお!」 4人の男たちはいちように硬質ガラスに顔をくっつけた。 堅固に溶接されていた1面を失った途端、箱の残りの3面もその役目を終えたかのようにパタパタと剥がれ落ち、天板ともども床に落下した。そしてそこには一領の古い鎧が残されていた。 古谷館長は大急ぎで硬質ガラスの室内へ駆け込んでその鎧を間近に見た。 「う・・・なんだ、これは」 大きく目を見開いた館長の口から漏れたのは明らかに失望の呻きだ。その鎧は完全に朽ち果てており、触れれば即座に形を失ってしまいそうだ。 「くそ!こんな・・・ガラクタ!」 最近とみに入場者数が減少している当博物館の起死回生の目玉展示物になることをひそかに期待していた古谷は悔しさに奥歯をギリリと噛みしめた。 「ガラクタとはごあいさつじゃのう」 ふぇ〜ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。 気味の悪い笑い声に驚いた男たちが振り返ると、そこには・・・ 「た・・・タレナガ!」 「これ!余の名はタレナガースじゃ。そのようにヨダレが糸を引いたような名ではない!」 腕を腰に当てて胸をそらせた偉そうなポーズは、ヨーゴス軍団の首領タレナガースだ。厳重なセキュリティなどものともせず、博物館の最奥まで易々と忍び込んできたのだ。 「な、なぜお前が・・・こんなガラクタが欲しいのか?」 「阿呆!ガラクタ言うな!ものの値打ちを知らぬ痴れ者め」 タレナガースは恐れて後じさる館長にかわって鎧の前へと歩み出た。 「御屋形様・・・あなた様が余に訴えたかったのはこれでありましょう」 タレナガースは朽ちてボロボロとなった鎧を愛おしそうに見下ろした。 「そ、その鎧についてなにか知っているのか?」 さすがは博物館の館長職をあずかる男だ。古谷は鎧に関する興味を抑えきれず、タレナガースににじり寄った。 「当たり前じゃ。これはのう、かつてタヌキたちが徳島での覇を競って戦った大いくさにて討ち死にされた敗軍の将『ハミのカズラ』が愛用しておった鎧『餓骨丸』じゃ」 古谷館長は「ほう、ほう」とタレナガースに対する恐怖も忘れて話しに聞き入っている。 「この鎧にはいくさで殺された多くのタヌキどもの体毛や皮が使用されておっての、そやつらの深い恨みがしみこんでおるのじゃ。生身の人間どもがうかつに関わればただでは済まぬぞ。さて、と」 言うなりタレナガースはボロボロの餓骨丸をひょいと手に取るや、わが身にあてがった。 しゅるしゅるしゅる――-。 鎧のヒモがまるで意思を持つ生き物のようにひとりでに結ばれ、餓骨丸はタレナガースの胴に密着した。途端、それまで朽ちていた鎧はまるでたった今職人が仕上げたかのような新品の姿に変貌したではないか。 「おおう良いのう。鎧にしみこんだ恨みの力が余の体内に流れ込んでくる。さすが御屋形様の忠実なる鎧。余の夢枕に立たれた御屋形様もさぞご満足であろうよ」 ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。 餓骨丸を身にまとったタレナガースは笑いながら博物館の地下研究室のドアへと向かった。 その不気味な姿がドアの外に消える瞬間・・・。 ゴオオオオオオオ! 餓骨丸をまとうタレナガースの全身からどす黒い瘴気が盛大に放出されて、古谷館長らごと地下研究室を墨色に埋め尽くした。
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雲ひとつない見事な秋晴れ。今日から三連休だ。 「みなさ〜ん。こんにちは!」 午前10時―――。 特設ステージ上に登場したおねえさんの元気な声は路線バスで5分ほどの徳島駅にまで届いていた。 「さぁいよいよ今年も『おたぬき様PONPOKOフェスティバル』の日がやってきました!」 ステージ上では2体のたぬきの着ぐるみが司会のおねえさんの左右でしきりに観客に愛想をふりまいている。人気キャラのPONとPOKOだ。 「会場のみなさん、きょうはゆっくり楽しんでいってくだ・・・きゃ!」 はじけるような笑顔が恐怖に凍りついた。 うわああああ! 揃いのおたぬき様Tシャツを着た舞台袖の裏方スタッフたちが悲鳴とともにステージ中央までふっとばされるように転がり出た。ステージの床や照明器具などに背や肩をぶつけて呻いている。 何事がおこったか理解できない観客たちはポカンとしてそのようすを見ている。演出か?トラブルなのか?――― ふぇ〜っふぇっふぇっふぇっふぇ。 「ごきげんよう、徳島の人間どもよ」 気色の悪い笑い声とともに舞台袖から現れたそいつの姿を目にしてはじめて、観客たちは自分達がとんでもない事態にまきこまれたことを知った。 「タレナガースだ!」 「に、逃げろ」 しかし会場の出口は既にヨーゴス軍団の戦闘員たちによって封鎖されていた。逃げ場を失った群衆は大型魚に追われるあわれな小魚の群れのように右往左往した。 タレナガースの後からはピンクのストールをまとったヨーゴス・クイーンが登場した。 タレナガースはステージに掲げられたイベントの看板を見上げて「ふん」と鼻で嗤った。 「なにが『おたぬき様PONPOKOフェスティバル』じゃ。クイーンよ、余がこの手の悪趣味なイベントが大嫌いなことを知っておろう?」 「モチのロンじゃ。わらわは知らぬぞ、人間どもめ。今日のタレ様は虫の居どころが悪いから覚悟せよ」 ステージ中央に進み出たタレナガースは民俗博物館で奪い取った鎧『餓骨丸』を着けている。迷彩戦闘服や軍用編み上げブーツに戦国時代の鎧というアンバランスがかえって奇妙な威圧感を見る者に与える。 タレナガースは逃げまどう人々を慰めるように猫なで声で「大丈夫じゃ」と告げた。「慌てずとも、逃げ場などどこにもないのじゃ」と。 があああああああああああああああ! 天に己が鎧を見せびらかすかのようにタレナガースは背をのけぞらせ喉から絞り出すような咆哮をあげた。 がああああああああああああああああ! やがて吠えるタレナガースに変化があらわれはじめた。彼奴のシャレコウベづらが歪み始めたではないか。眉間に深く皺が刻み込まれ、口の両端がひきつるように耳元まで裂けてつり上がった。 全身を震わせ、体の芯から突き上げるような悪のパワーに身をゆだね、タレナガースは両腕を天空に突き上げた。 ゴオオオオオオオオオオオオ! タレナガースの両腕からおびただしい煙のような気体が猛烈な勢いで噴出した。 瘴気だ! 瘴気はまるで打ち上げられた宇宙ロケットの如く一直線に天空へ駆け昇り、雲を突き抜ける高さまで噴き上がると、今度は四方八方へ拡散した。 ものの数分で、不気味な瘴気は巨大なドームとなって、見る見る徳島県全域の空を覆ってしまった。 秋の晴れた空は黒く覆われ、まるで徳島県だけがスモークドグラスの車内に押し込められてしまったかのようだ。 「なんだ?」 「空が急に暗くなったぞ」 「日蝕か?」 県民は皆空を見上げた。 道行く人々はもとより、屋内にいた人々は異変を感じ取り窓から身を乗り出し、あるいは外へ出て心細げな表情で天を仰いだ。 車を走らせる者、工事現場で作業する者、コンビニの店員や農作業をする者、山で働く者・・・この時ばかりはすべての徳島県民が立ち止まり、作業の手を止めて空を見た。徳島が陰鬱に染まった。陽の光が遮られることがこれほど人の心を不安にさせるとは。 その中心にいるタレナガースは今も両手を天に向けてどす黒い瘴気を吹き続けている。その面相は嫉みと恨みでさらに醜く歪んだシャレコウベの般若だ。さらに驚いたことに左右のこめかみのあたりから一対のツノが伸びてくるではないか。メリメリとタレナガースの頭部を突き破って長く長く、巨大な音叉のように伸びた。 タレナガースの隣ではヨーゴス・クイーンが恍惚の表情で彼奴の瘴気を浴びている。 「ひょっひょっひょ。良いのう。浴びて良し。吸うてまた良し。タレ様の瘴気はほんに甘露であるわえ」 両腕を何度も何度も振って、吹き上がる瘴気を己のほうへ引き寄せている。そうしているうち、クイーンもまた人間離れした大きな目が後方に引きつるように吊りあがり、その面相がしだいに歪みはじめた。額の真ん中が割れて円錐形のツノが一本ニョキリと生えた。凶悪さが格段に増してゆく。 「この美味なる瘴気を徳島中の人という人に馳走してやろうというのじゃ。気前が良い話ではないか」 般若のタレナガースが肩を怒らせた。 「やめろタレナガース!」 言いたい放題、やりたい放題のタレナガースに鋭い静止の声が飛んだ。 徳島を守護する者。渦パワーのスーパーヒーロー、戦士エディーだ。 黒く精悍なスーツにシルバーのマスク。額のブルー・ローンバスと胸のコアは無限の渦パワーのシンボルだ。鋭いゴーグル・アイが宿敵の姿をしっかり捉えている。 彼さえ来ればヨーゴス軍団の悪だくみは潰えたも同然だ。だが今日のタレナガースに動揺はみられない。 「ふん、来たかエディーよ。せっかくじゃから遊んでつかわそう。じゃが今日の余はひとあじ違うぞ」 エディーの傍らにはエディーのサイドキック、エリスだ。 「ヨーゴス軍団!県民のみなさんが楽しみにしていたおまつりを台無しにして。あなたたちはなんとも思わないの?!」 「なんとも思わないわけはないであろう。た〜のしくてしかたがないわさ」 ヨーゴス・クイーンが悩ましげに体をくねらせておどけた。 ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇ。 ひょっひょっひょっひょっひょ。 心の底から面白そうに笑うタレナガースたちに、これ以上の説得は無用と悟ったエディーは、しらさぎの羽を展開して一気にステージ上のタレナガースへ襲いかかった。一条の鋭い光が、瘴気によって陽の光を遮られた薄暗い世界を真っ二つに切り裂く。 神速のパンチ!キック! エディーの攻撃はスピードとキレの良さが持ち味だ。渦パワー全開時の彼の動きは残像を見せるとさえ言われている。 ガシッ!バンッ!ガキン! 最初のパンチこそタレナガースの両腕でブロックされたが、体を回転させての裏拳はタレナガースのこめかみを捉え、三発目の回し蹴りは見事に胸の鎧へねじ込まれた。だが・・・?! なぜかエディーは攻撃の手を止めて一旦タレナガースから距離を取った。 マスクで表情までは伺えないが、エディーは明らかに驚愕していた。 <俺の攻撃が効いていない?> 打ち込まれた裏拳もキックも急所へまともに入ったのに、タレナガースはまったくダメージを受けていない。まるで大地を殴っているようだ。裏拳を受けて不自然に傾いた首をゴキッゴキッと元に戻し、般若のツラでニヤリと笑った。 「貴様のこぶし、その程度のものであったか」 「もう一度だ!」 悔しげに拳を握ったエディーが再びタレナガースに向かってゆく。 今度はタレナガースもただ突っ立ってはいない。腰を落とした戦闘態勢でエディーの攻撃を防御し、わずかな隙を突いて反撃に転じた。 ガガッ!ビシ!ゴン!バシッ! 岩をも粉砕する恐るべきパンチが、キックが、高速で交差して眩い火花をあげた。スピード、破壊力ともに常人をはるかにしのぐ超人同士の攻防は一見互角に思えたが、わずかずつ、ほんのわずかずつそのバランスが崩れかけていた。 <つ・・・強い> 押されているのは渦戦士エディーのほうだった。実際はエディーの攻撃もタレナガースに十分届いている。だが与えたダメージが瞬時に雲散霧消してしまう。今のタレナガースはいくら攻撃してもパワーゲージをリセットできるダメージ知らずの狂戦士となっていたのだ。 「ふぇっふぇっふぇ。無駄じゃ無駄じゃ。この鎧『餓骨丸』ある限り余は不死身。無敵。鉄壁。不屈。貴様の渦パワーがいくら強力であろうとも、この餓骨丸の無限の妖力を凌ぐことは叶わぬわい」 言うなり、タレナガースは鋭いツメを振り下ろした。 ガシ! ぐあ! 青い火花が飛び散り、胸のエディーコアが深々と抉られてしまった。切り裂かれたエディーコアから渦パワーが流出しはじめた。 「しまった!」 キラキラと煌きながら胸のコアから蒸発してゆく渦パワーを見て、エディーは唇を噛んだ。このままでは遠からず彼の戦闘エネルギーは枯渇してしまうだろう。ここで倒れるわけにはゆかぬというのに。 「貴様の戸惑いが手に取るようにわかるぞ、エディーよ。この瘴気ドームは既に徳島全県下を覆っておる。この中におる人間どもは次第に毒気に侵されて衰弱してゆく。そして終いにはゆるやかに生死の境を越えるのじゃ。逆にわれらは活力を増し、何者もヨーゴス軍団の行く手を阻むことはできなくなるであろうよ。貴様とて例外ではないのじゃぞ、エディーよ」 「ふん、そんなものは気合で克服してやるさ」 「ふぇ!気合じゃと?いかにも貴様らお気楽なヒーローどもが好きそうな言葉じゃ。しかしこの瘴気ドームの本当の恐ろしさはそれだけではない。ま、いずれわかるがな」 今日のところはここまでにしておこう、と胸を張ると般若ヅラのタレナガースは、同じく禍々しく歪んだ面相のヨーゴス・クイーンを従えて濃霧のごとき瘴気の向こうへと悠々と姿を消した。 「くそっ、いつでも俺を倒せると言うつもりか」 渦パワーの流出と瘴気ドームの影響でさしものエディーも消耗しはじめていた。思わず片膝を大地に落としたエディーの傍らにエリスが心配げに駆け寄った。 大丈夫かというエリスの声も耳には届いていないのか、エディーはただ悔しげに拳を地面に打ちつけた。 遠くで緊急自動車のサイレン音がいくつも鳴り響いていた。
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淡路島福良。 「こらぁ待たんかい!」 たまねぎの甘い香りが漂うのどかな市街地に威勢のよい関西弁とともに一条の赤い光が飛来した。 わらわらと群がる怪しげな黒い一団の目前に飛来した赤い光は、眩い閃光と共に人の形に変化した。 「えらい遠いところまで逃げてきたもんやな。まったくそろばん違いもええとこや。せやけどもう逃がさへんで!」 黒いボディに獣王タイガーを連想させる黄金のライン。胸、肩などには熱い正義の心を映し出す真紅のアーマ。 行く手をふさがれたのはいずれも異様な姿のモンスターどもだ。先頭のモンスターバラバランはひっくり返し損ねたお好み焼きの恨みから生まれた奇怪な姿をくねらせて呻くようにその名を口にした。 「トライオー!」 そうだ。彼は大阪を護るヒーロー『浪速伝説トライオー』しかしここは淡路島だ。大阪の守護神がなぜこんな所までやって来たのか? バラバランが突き出した両腕から無数のつぶてが飛び、トライオーの全身にベタベタと付着した。 「わわっ!汚い!やめえや」 バラバランの生焼け小麦粉弾だ。これが付着すると皮膚がただれてくる。攻撃を受けたトライオーに怒りの炎が宿った。バックルのそろばんに0・9・1・2と入力するや、必殺の回し蹴りを放つ。トライオーの蹴りにあわせて大気が渦を呼び竜巻を生んだ。 「この野郎!くらえ。まいどおおきにハリケーン!」 竜巻は生焼け小麦粉弾を吹き飛ばし、そのままバラバランのボディを粉々に砕いた。 トライオーはさらに3・7・0・5とそろばんを入れると「なんでやねんスラッシュ」を連発し、後続のモンスターらを一気に倒した。 ドドオオオン! 大阪から淡路島までやってきたモンスターの一群は、ここ淡路島でついに全滅した。 「ふぅやれやれ、片付いたで。ほな浪速へ帰ろか・・・って・・・え?」 トライオーは諭鶴羽山の向こう、鳴門海峡の対岸を覆う黒いドームを見た。そのドームは大鳴門橋の西端を覆い隠し徳島全土を暗闇の底に沈めている。 「なんやあれは?それに・・・えらい邪悪な雰囲気出してるやないか」 トライオーは大鳴門橋のたもとまで駆けてきた。 「ものすごい瘴気やで。体のシマシマがピリピリするやんか。ははぁん。バラバランらモンスターどもはあの黒いドームに引き寄せられてここまで来たっちゅうことか」 異様な空気が漂う対岸を眺めてトライオーは息を呑んだ。 「徳島で何が起こっているんや・・・?」 足を踏み出そうとして、しかしトライオーはその場に留まった。徳島にはエディーとエリスがいる。彼らならこの状況をきっとなんとかするだろう。それよりも・・・。 「あの瘴気に惹きつけられてやってくるアホどもをここで食い止めなあかん。徳島へは絶対に入れへんで」 トライオーが振り返ると、うつろな目をしたモンスターどもが列を成してやってくる。 「来いやぁ!」 トライオーはゴオ!と吼えると炎をまいてモンスター群に向かって走った。
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うっそうと茂る樹木の中を進む複数の影。空は不気味な黒い瘴気に覆われて陽の光を遮っているが、この深い森ならばそもそも陽の光は大地にまで届かぬであろう。 枯葉が厚い層を形成している不安定な大地を気にも留めず、それらはただ前へ前へと歩を進めている。 暗い中でその姿はよく見えないが、いずれも頭部に突起があったり背に巨大なヒレがあったり、あるいは不自然に腕が長いものたちである。みなモンスターだ。その前に人影が立ちはだかった。 暗い闇に金色の目が浮かび上がる。モンスターを見据えるその目には瞳がなかったが、一点の曇りなく輝いていた。 全身黒装束だが、胸から肩はシルバーのアーマで覆われていて鍛え抜かれた武人のイメージを見る者に抱かせる。背には大きく「剣」のひと文字。 その人物は進んでくるモンスターに対して右手をあげて制止した。 「止まれ。それ以上こちらへ来るな」 静かで低い男性の声だ。その言葉には強い覚悟が秘められているが、モンスターたちにその言葉は届いておらぬ。そもそも人語を解さぬのかもしれぬ。 「貴様ら禍々しき者どもがこのお山へ立ち入ること、このツルギが決して許さぬ」 ツルギと名乗った武人は左腰に下げた太刀に手をかけた。自然体であった姿勢をわずかに落とし、満月の如き真円の鍔に左の親指をかけて鯉口を切った。 ツルギの全身から湧き上がる殺気に、モンスターたちは始めて反応した。まっすぐ前だけを見ていた化け物どもは皆いちようにツルギへ視線を移すと、キバなりツメなり、己の得物を前に押し出して襲いかかって来た。 シャアアアアアア! ギギギギエエエエ! 数体のモンスターが四方からとびかかった。 突き出された禍々しいツメやキバがツルギの四肢を引き裂かんとした瞬間、ツルギの姿はフッと消えて一条の銀光となりモンスター群の間を奔った。それはまるで岩岩の間をよどみなく流れる渓流のようだ。 流れる銀色の光がモンスターたちの背後へと移ったとき、そこには太刀を構えたツルギの姿があった。そして静かにその太刀を鞘に収めた瞬間、襲いかかるしぐさのまま硬直していたモンスターたちは声もなく枯れ草の上にドサリとくずおれた。 ツルギは静かに己が倒した相手を見下ろし、その視線をはるかな天空へと移した。 「空を覆うあの闇が出て以来、魔界の者どもがこの地に引き寄せられてくるようになった。神のおわすこのお山を汚させるわけにはゆかぬ」 神様のお山。ここは剣山系次郎笈の山麓である。ツルギは山の深奥部へ向かおうとしてふと歩みを止めた。目を凝らせて何かを見つめているふうだ。 「タヌキ?落武者のようであったが、幻視か?いや・・・まさか」 ツルギは再び空を見上げた。すりガラスのような黒い天幕の向こうを雲が流れてゆく。本来ならば気持ちのよい晴天なのであろう。だが真白いはずの雲はあたかも水面を漂う墨のごとく不吉な兆しのように蠢いて見える。 「ただごとではないな。いずれあの瘴気のもとを絶たねば収まるまいが、今はこのお山を離れるわけにはゆかぬ。化け物やら亡者やらをこのお山へ分け入らせはすまいぞ」 はたしてツルギは広大な剣山系の山々を己ひとりで守り抜こうというのか?だがその声には揺るがぬ決意がこめられていた。
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「がこつ・・・まる・・・だと・・・言いました」 ベッドの上の男は青白い顔でそう呟いた。 徳島県立民俗博物館の館長、古谷だ。 数日前、台風の暴風雨で崩れた古墳の泥の中から発見された鉄の箱を開封し、中に納められていた古い鎧「餓骨丸」を取り出した。それをタレナガースに奪われ、昨日の「おたぬき様ポンポコフェスティバル」での凶行に用いられてしまったのだ。 古谷は鎧を奪ったタレナガースから去り際に瘴気を浴びせかけられて昏倒し、その場にいた他の研究員たちと共にこの病院に運び込まれていた。 三日間ぶりに意識が戻った古谷が見たものは自分が奪われたあの鎧を着けたタレナガースが徳島の空を禍々しい瘴気で覆い、人々の生気を徐々に奪ってゆくという最悪の状況であった。 「私が・・・欲にかられてアレを、封印されていたあのおぞましい・・・鎧を外に出してしまったために・・・」 点滴の管をつけてベッドに横たわる古谷は弱弱しく呟いた。が、その目からは涙がひと筋こぼれ落ちた。今回の事件に関して重い責任を感じているのだろう。 「あなたが責任を感じる必要はありませんよ」 枕元にはエディーがいた。 「研究者なら誰だって発掘された物には興味を持つでしょうし、それがタレナガースのような悪者に利用されるだなんて、どうやって予知できます?あなたは悪くありません。タレナガースの悪行は私が必ず止めて見せます。だから安心して治療に専念してください」 エディーの言葉で幾分落ち着きを取り戻したのか、古谷は黙って目を閉じた。 エディーは彼の腕にそっと手を置くとそのまま病室を出た。 病院の中は戦場と化していた。 タレナガースたちが噴き上げた大量の瘴気は、フェスティバル会場に居合わせてそれを直接吸い込んでしまった人々の体内に浸透して強い苦しみを与えていた。おおまかな症状はヒ素による急性中毒に似ていたが治療薬がまったく効かぬ。さまざまな毒素を取り混ぜて人工的に生み出された新種の毒物に違いなかった。医師たちはあらゆる文献を引っ張り出し、わずかでも効果が期待できそうな方法はすべて試していた。しかし運び込まれた患者たちの苦痛はいっこうに癒されない。 患者の呻き、祈る家族たちのすすり泣き、医療関係者の焦り・・・病院内は絶望感に打ちひしがれていた。 しかも徳島県下を覆う瘴気ドームによる健康被害がぽつりぽつりと報告され始めていた。高齢者や幼い子供たち・・・抵抗力の低い人たちが原因不明の体調不良を訴えはじめたのだ。 エディーはスマートフォンを取り出した。 「エリス、患者たちは重篤だ。瘴気の分析ははかどっているかい?」 <駄目なのよ。こんな毒パターンは初めてだわ> タレナガースが放出した濃密な瘴気を間近で浴び、自らもダメージを負ったエリスだったが、治療を勧めるエディーを振り切って自室に戻り、採取した瘴気の分析と体内に入った毒素の解毒剤精製を始めていた。 だが今回の毒素はさまざまな性質を持つ複数の毒のパターンが巧みに組み合わされており、解毒の糸口が見つからないのだ。 試しに瘴気を液化させたものを相棒ロボのピピに吸入させてみたが「ゲッ」と異音を発して吸入ノズルから検体を逆流させてそれきり故障してしまった。いずれ内部を丁寧に洗浄しなければ当分使い物にはならないだろう。それほどに厄介なしろものであった。 「あきらめずに続けてくれ。君だけが頼りなのだから。俺はもう少し餓骨丸というあの鎧について調べてみる。タレナガースを討ち破るヒントが得られるかもしれない」 通信を終えたエディーはガクリと病院の床に膝をついた。 タレナガースのツメでコアを深々と抉られた傷は癒えていない。それどころか渦エナジーは流出を続け、傷口から侵入したタレナガースの毒性物質はその体をじわじわと蝕んでいた。 病院の床に敷き詰められた正方形のピータイルがぐにゃりと歪んで見える。 その時エディーの耳に、瘴気に倒れた被害者の家族の悲痛な声が届いた。 ―――なにくそぉ! エディーは声にならない叫びをあげて立ち上がった。震えるひざを己が拳で殴りつけ歩き出したエディーは時間外通用門の脇に停めてあった高速バイクに跨った。
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大型トレーラーの運転手は大きなハンドルに上半身を乗せるように身を乗り出して目の前の光景を凝視していた。 「・・・なんだこりゃあ?」 といっても答えはわかっている。タヌキだ。 タヌキが行進している。ぞろぞろと目の前の横断歩道を渡っている。 右側の民家の壁の中からすぅと現れて道路を横切り、左側の工事現場の防音壁の中へと消えてゆく。 いったい何匹いるものやら。しかもそいつら揃って戦国時代の鎧を身に着けているではないか。兜をかぶったタヌキまでいる。皆全身のあちこちに刀傷や矢を受けていて血まみれだ。ついさっき一戦交えてボロボロにやられて帰ってきたといったありさまだ。 「なんかのコスプレイベントか?だけど・・・こりゃあ・・・」 後続車がクラクションを荒々しく鳴らしても、運転手はその奇妙な行軍が目の前から消えるまでの間ポカンと口をあけて見守った。
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さきごろより徳島県下のいたるところで奇妙な目撃例がたて続けに報告されている。タヌキの落武者を見たというのだ。それも一匹や二匹ではない。深い刀傷を全身に負った血まみれのタヌキの鎧武者が何十匹も列を成して歩いているというのだ。県警各署に届けられた報告だけでも鳴門中央署、渦潮署、徳島城南署はじめ実に八つの警察署へ計18件もの目撃情報が寄せられた。 ほとんどのタヌキの落武者たちは目撃者には目もくれず、その目の前をただ通り過ぎていっただけのようだが、最新の目撃談によるとそのうちの一匹が目撃者に気づき、キバをむいて威嚇したという。だがいずれも数秒から十数秒程度で幻のように消えたそうである。 幻視にしてはおかしい。これほど酷似した幻視を違う場所でまったくの他人が見るものであろうか。 警察関係者たちはタレナガースが噴き出した空一面を覆う瘴気との関連を疑っており、捜査を進めている。(徳島新報より)
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あれ以来タレナガースは何やら呆けていた。アジトへ戻ってからのタレナガースはまるでゼンマイのきれたオモチャのようにうつろな目で宙の一点を見つめている。ただ、そんな時も餓骨丸は身に着けたままだ。もはやヤツの体の一部分と言ってもよい。 そんなタレナガースを、ヨーゴス・クイーンは四六時中じっと見ていた。タレナガースもクイーンもフェスティバル会場で容貌がすっかり変わってしまったが、その分パワーもアップした。 だが、戦っていないときのタレナガースはどこかへ消えてしまいそうな頼りなさが漂っている。眉間を割るかのような深い皺が刻まれたあの狂った鬼の顔のまま、だ。それはおそらく餓骨丸に宿る御屋形様の妖力のせいであろう。 そもそもタレナガースもヨーゴス・クイーンもいくさで死んだタヌキたちの怨念の権化である。つまりは悪霊だ。肉体を有しこの世に「実在」する悪霊とでも言おうか。 しかしかの御屋形様「ハミのカズラ」は違う。 その霊魂はあの世にありながら、この世の理に干渉しようとしている。こちらからは決して手を出すことができない。しかし「向こう側」にいる御屋形様はそれができる。自らの思念が宿るあの鎧を通してタレナガースを操ることによってできるのだ。 「それはいやじゃ」 クイーンはぼそりと呟くと立ち上がってタレナガースの背後に近づいた。 タレ様はあくまでタレ様でなければならぬ。いくら御屋形様といえどもヨーゴス軍団の首領はやはりタレナガースなのだ。パワーアップしたとしても、タレ様がいなくなってしまうのであれば意味がない。本末転倒というものだ。 呆けているタレナガースの顔を斜め後ろから覗き込みながらクイーンは「タレ様や」と恐る恐る声をかけた。 「なんじゃ?」 タレナガースはいつものタレナガースだ。安心したクイーンは首領の肩に手を置いた。 「何を考えておいでじゃ?」 「うむ、まぁ、のう。ダミーネーターを強化改造してみようかと思っておった」 タレナガースは傍らの忠実なる手下に視線を移した。嘘であろう。それは今ふと思いついただけのことに違いない。 もしかしたらタレナガースは餓骨丸に操られるだけではなく、精神そのものを食い尽くされてしまうのではなかろうか。この妖しい鎧によって、ハミのカズラによって、とり憑かれてしまい意識も記憶すらも失くしてしまうのではないか。 ヨーゴス・クイーンは急に耐えがたい孤独感に苛まれたが、そんな不安をおくびにも出さずに語り続けた。 「それは良い。ならば細かい作業にこのような鎧は邪魔であろう。肩が凝ってはいかんゆえ、脱がせてしんぜようぞ」 ヨーゴス・クイーンが鎧の紐の結び目に触れた途端―――! タレナガースの背にキバをむいた血まみれのタヌキの顔がぬう!と浮かび上がったではないか。そのタヌキをクイーンは知っていた。ハミのカズラだ。 「いらぬことをするな!おんな!!!」 クイーンをにらみつけるカズラの目は真っ赤だ。それは憤怒の色か額から噴き出した血の色なのか。前へむきだした乱杭歯は今にもクイーンの咽笛に喰いつきそうだ。口の端からは血の泡を噴いている。 ひいいいいいいいいい! ヨーゴス・クイーンは悲鳴を上げて後方へひっくり返った。 「お・・・おゆ・・・お許しください御屋形様ぁ」 土下座して頭上で両手を組み、拝むように許しを乞うクイーンを、振り返ったタレナガースは妙な顔で眺めた。 「なにをしておるのじゃクイーンよ。そのように拝まんでもダミーネーターを強くしてみせるわさ」 ふぇっふぇっふぇ。 それはタレナガースのいつもの笑い声だったが、ヨーゴス・クイーンはしばらく顔を上げようとはしなかった。
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深夜1時。 こんな時間でもコンビニには数人の客がいた。 マンガを立ち読みしていた若い男性がふと視線を上げた。 「ああ・・・なんだ?」 店の外でじっとこちらを見ているヤツがいる。それが・・・ 「タヌキ?」 どう見てもタヌキが二本足で立っている。だがよくある信楽焼きのタヌキのような穏やかな姿ではない。テレビで見る戦国時代のいくさ装束を身にまとい、しかもご丁寧に刀傷やら折れた矢やらで血まみれだ。 「落武者?タヌキの?なにかのデモンストレーションか・・・?」 そのタヌキの背後では何十匹という同じような落武者姿のタヌキの一団がゆっくりと行進している。なんなのだこの非現実的な光景は? しばらく目を合わせていると、眼前の落武者タヌキはにわかにキバをむき出しグルルルと唸り声を上げるや、手に持った長槍を構えてこちらに突き出した。 グァシャーン! 鋭い槍の穂先が分厚いガラスを突き破って立ち読みしていた若者の持つ雑誌を貫いた。 うわああああああああ! コンビニ客たちの悲鳴が深夜の街中に重なって響いた。
<前編 完>
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