空想特撮シリーズ

ウルトラマンアミス

 1章 剣山 〜アミス覚醒〜


 その隕石は大気という名のバリヤーに激突し、真赤な炎を吹き上げた。

 火球と化した隕石は次第に小さくなりながらも、「大地」へ向けて高速で奔った。

 隕石そのものはたいして珍しい代物ではない。事実、インターネット上でも隕石を販売しているサイトは数多く存在する。しかもお手軽な値段でだ。

 しかし、表面を覆う鉱物が燃え尽き、中から妙にスベスベした質感の、機雷のような物体が姿を現したとなると話は少し違ってくる。

 成人の頭程度の大きさをしたその未知の物体は、最初ネオンがまたたく賑やかな都市部へと落下して行ったが、不意にコースを変え、闇深い山の中を選ぶと、勢い良く樹木の間へ突っ込んだ。

 見た目よりもかなり比重が大きいとみえ、驚くほど大量の土が跳ね上がった。

 シュウシュウと空気中の水分を蒸発させながら暗く冷たい土の中に身を横たえたその物体は、赤く焼けたその体をやがて黒金色に落ち着けた。

 そして嗤った。

―この星は無防備だ。

 

(一) 剣山 〜アミス覚醒〜

 剣山系山岳警備隊員のソラガミ・シュンは、パトロール用のトレールバイクから降りると、ヘルメットとグラブを取った。

 標高が一八〇〇メートルを越えている地点である。初夏とはいえ、気温は平地より10℃以上低い。シュンの真直ぐな髪をかき乱す風は、寒冷地仕様の警備隊員服をもかいくぐってしっかりと冷気を肌に伝えてくる。

 シュンは、スリムな長身を折り曲げ土の上に片ひざをつくと、傍らに咲いている黄色い花にそっと触れた。

 キレンゲショウマ。九州から四国の高地にひっそりと咲く高山植物である。

 ブランデーグラスを持つように、左の手のひらで花びらを下からやさしく包んで眺めた。

「今年も咲いたな」

 よく日に焼けた端正な顔をほころばせ、再び立ち上がると、頭上に広がる青空を見上げた。

 山を護るプロになって三度目の夏の空だった。

 四国徳島県の主峰剣山を中心に矢筈、烏帽子、中津、国見など、いわゆる剣山山系に属する山々での動植物の保護、観察、登山者らの安全確保をはじめ、このエリアでの一切の活動の監督と補助が山岳警備隊の仕事である。

 剣山は古くから山岳信仰の山だ。平安時代の末、壇ノ浦で源氏から壊滅的な打撃を受けた平家の落武者たちが、戦いの中で幼い命を海に散らせた安徳天皇の宝剣をこの山に納めたことから「剣山」の名がついたのだという説がある。いわゆる宝剣伝説である。

 それ以外にも数多く語り継がれる剣山にまつわる様々な逸話や伝説に、人生で最も多感な中学生の頃に興味を持って以来、シュンは数え切れないほど剣山系の山々に分け入った。

 冬の剣山では突然襲ってきた吹雪に遭難しかかった。冬眠前のツキノワグマと鉢合せ、命からがら逃げ帰ったこともある。カモシカを追いかけていて岩場で足を負傷した時は、山腹を深紅に染めたコメツツジの紅葉を目にし、痛みも忘れて感動の涙を流したりもした。

 そんなシュンにとって、学業を終えた後に山岳警備隊員の職を選択したのは至極当然のことであった。

「三嶺の方へ行ってみるか」

 タンクをなでながらバイクにそう語りかけると、シュンは再び装備を身に着け愛車に跨った。

 クマザサなどを痛めないよう、素人には判別し難いケモノ道を選びながら巧みにバイクを駆り、やがてシュンは一筋の細い渓流に出た。

 ふくらはぎを浸す程度の深さだが、木漏れ日にキラキラ光る可憐な流れに喉の渇きを覚えたシュンは、バイクを停めて流れに近寄った。

 天然のミネラルウォーターが湧き出す秘密のスポットがすぐ近くにあるのをシュンは知っているのだ。

 ふと、気がついた。

 風が止んでいる。

 木々の葉や下草たちの擦れ合う音がまるでしない。

 鳥も虫も鳴き止んでいる。

―山が竦んでいる?

 言葉では説明し難い異様な空気が山をすっぽりと包みこんでいた。

 何事かと辺りに視線を巡らせたシュンは、突然足元をすくわれて尻餅をついた。

 木々の中から無数の山鳥が一斉に飛び立った。

 音が後から来た。

ズ、ズ、ズゥウウン!

―地震?

 突き上げるような激しい揺れにシュンは思うように立ち上れない。

ドオオオオン!

 山の稜線の向こう側で巨大な土煙が湧き上がった。

「何だ、あれは?」

 土煙の中から何やら黒光りする奇妙な物体が現われたのだ。

 山の向こう側なので物体の全貌は確認できないが、そいつがあらゆる自然の摂理とはかけ離れたいびつな存在であることは、離れた場所にいるシュンにも充分感じ取れた。

「あの方向にはヒュッテがある」

 我に返ったシュンは、倒れたバイクを引き起こすと、謎の物体が出現した方向へ猛然と走り出した。

 

 ヒュッテはパニックの渦に飲み込まれていた。

 ベランダから沸き起こった若い女性宿泊客の悲鳴に、何事かと外を覗いたヒュッテの従業員や他の宿泊客が見た物は…。

「か、怪獣だっ!」

 目の前の山腹から、禍禍しくも巨大なカブト虫のような怪獣が出現していた。

 ヒュッテまでの距離約二キロ。怪獣は上半身のみを地中から出し、辺りの様子を窺っているふうに見えた。

 目と鼻でというよりは、頭頂から槍の如くニョッキリ突き出しているカブト虫のツノ状の触角で探っているようである。

「こっちへ来るぞ!」

「逃げろ!」

 ヒュッテにいる人々は先を争って車へ走った。山の行楽に使用するだけあって、どれも四駆車ばかりだ。

「待て。車はダメだ!」

 顎ひげをたくわえたヒュッテのオーナー、オオクラが怒鳴った。腹の底から張り上げた声だった。

「ここから脱出できる道は一本きり。あそこを通るしかないんだぞ」

 オーナーが指差した方向、でこぼこながら幅四メートル程の道路が伸びている先は、まさにその怪獣の真下だった。恐らくは怪獣出現の際におきた土砂崩れで道路は完全に寸断されているに違いない。いくら四駆でも越えられるとは思えなかった。反対方向へ逃げるには…。

「後ろの崖を下るしかない…」

 オオクラの言葉に、恐る恐る崖下を覗き込んだ客達はたじろいだ。

 眺めが良いのが「売り」のヒュッテは、険しく切り立った百メートル以上の断崖の端に建っていた。

 

ブロオォォン!

 林の中からシュンが駆るバイクが道路へ飛び出してきた。ヒュッテへ続く道である。

 山の中、道無き道を高速で疾走してきたシュンの顔には木の枝などでつけた幾筋もの細い傷が赤く刻まれていた。

 シュンの眼前には、既に全身を地上に露出させていたそいつの後姿があった。

―怪獣!

 今までテレビでしか見たことが無かったモノが、実物大でそこにいた。

 昆虫を連想させる頭部に、地獄からの使徒の如き悪魔の体躯。周囲のどの巨木よりも太い尻尾がうねっている。小さく身震いしただけで凄まじい土ぼこりが巻き上がり、一歩踏み出せば地鳴りが鼓膜を殴りつけた。

 圧倒的な迫力に気おされながら、シュンはバイク後部に固定されている皮ケースからライフルを引き抜いた。ツキノワグマなどの猛獣と遭遇した時の護身用である。

 怪獣の向こうにはヒュッテが小さく見えている。山小屋風の可愛い建物は、いつになく頼りなく見えた。

―怖い!

 腰から下が萎えそうだ。

 それでも自らを奮い立たせるかのように、シュンはライフルのボルトを引き、たて続けに発射した。空薬莢が森の妖精のように跳ねる。

 急所を捉えれば巨熊をも一撃で屠る弾丸は、しかし怪獣の岩のような体表に傷ひとつ残せなかった。まるで深い闇の中へ小石を投げ込むかのような頼りない攻撃に思えた。

「くそ!」

 シュンは怪獣の背中に怒鳴った。

 豊かな剣山の木々を踏み倒しながら、その怪獣は着実にヒュッテに近づいている。

「だめだ。ヤツを止められない」

 その時、シュンが立つ辺りを突然影が覆った。

ゴオオオオオォ!

 身を切り裂かれるような突風がシュンを薙ぎ倒した。

「怪鳥?」

 バイクと共に風圧で後ろへひっくり返ったシュンは、空に巨大な鳥のようなものを見た。

「怪獣の次は怪鳥か?」

 突如飛来した巨大な飛行物体は、ヒュッテと怪獣の間に割り込む形で空中に静止すると、ゆっくりと旋回し頭を怪獣へと向けた。

「飛行機…戦闘機か!」

 思わぬ援軍の到着にシュンの表情が緩んだ。

 銀色の大きな三角形の翼を広げたその巨鳥の側面にはBGAMと記されていた。

 

「アルバトロス、高度イチ・イチ・マルで静止。各機能異常ありません」

 飛来した巨大な戦闘機の内部では、深紅の野戦ジャケットに身を包んだ五名の搭乗者が皆一様に目の前の大怪獣に驚愕していた。下界ではシュンが風圧で吹っ飛ばされたことなど全く気づいてはいない。

「本当に出やがった。怪獣め」

「つまりこいつが『ディーバーゴ』ってワケだ。隊長、あの謎の通信は本当だったんですね」

「すごいわ。体長約五十メートルってとこね」

〈怪獣に対する国境無き護衛団〉BorderessGardiansAntiMonsters通称BGAM(ビーガム)。

 怪獣災害を最小限に押さえるべく組織されたエキスパート集団の彼らも、実物の怪獣と初めて対峙して、そのおぞましくも凄まじい迫力にしばし呆然としてしまったようだ。

「いつまでも感心している場合じゃない。隊長、後方のヒュッテにはまだ人がいます」

 操縦桿を握っている長髪の男、サキョウが後部席で腕組みをしているフドウに言った。隊長と呼ばれたフドウの肩には、他の隊員と唯一異なる〈CAP〉のエンブレムが縫い付けられている。

「わかった。コヅカ、トリガーを預ける。ルーク砲スタンバイ」

「了解」

 サキョウの右隣に陣取るコヅカと呼ばれた男が、一九〇センチ以上はあろうかという巨体を折り曲げるようにスコープを覗き込み、ゴツい両手でトリガーグリップを握り締めた。

 高機動戦闘機アルバトロスは、機首を怪獣ディーバーゴへ向けたまま、相手の動きを牽制するかのように周囲を旋回し続けていた。それはまるで、戦闘体勢で獲物のまわりを飛ぶ猛禽類を思わせる。だがシュンが一瞬怪鳥と見紛う程の巨大な戦闘機も、ディーバーゴにとってはせいぜい鳩程度の大きさにすぎない。振り上げたツメの先端が触れただけで、紙のように機体を引き裂かれるに違いあるまい。

グウロロロォ。

 いらついたディーバーゴが低い唸り声をあげ、蝿を追うように両手を振りながら前進を始めた。

「あっ、まずい。隊長、威嚇射撃でヤツの進む方向を変えましょう」

 コヅカがスコープに映るディーバーゴの足元へ照準を合わせた。マニュアルに沿って何百回、何千回とシミュレーションを繰り返し、体にしみこんだ攻撃パターンである。しかし、後部座席から刺すような視線を怪獣に向けていたフドウが下した判断は違った。

「威嚇射撃の必要はない。今すぐヤツを葬り去るのだ。ルーク砲発射!」

「むん」

 腹筋を引き絞る気合とともにコヅカはトリガーを引いた。

ピュン!

 鋭い電子音を発して、アルバトロスから眩くきらめく光弾が飛んだ。実体弾と違って反動はほとんどない。

 光弾は光の尾をひきながら、まっすぐディーバーゴの右肩を直撃した。

ドドーン。

 着弾と同時に、光弾の直径の三倍近い火柱が立ち昇った。

ギアアアア。

 錆びついた鉄のドアをこじあけた時のような、嫌なうめき声をあげ、ディーバーゴは上半身を大きくのけぞらせ歩みを止めた。

「効いたか?」

 隊員たちは皆、期待を胸に秘め身を乗り出したが、それに反してディーバーゴは両手を大きく広げ、姿勢を低くしてアゴを上げると、地獄の拷問のような口を左右に開いてアルバトロスに挑むように吼えた。

「駄目だわ。効いていない」

 搭乗員の中で唯一人の女性隊員、セイラが悲鳴にも似た声をあげた。

「ひるむな。撃ち続けるんだ。ヤツの自慢のツノをへし折ってやれ!」

 フドウが檄を飛ばした。

「うおおお!」

 スコープに顔を伏せたままコヅカが応じて吼えた。普段は巨体に似合わず無口でやさしい男だが、戦場では体から炎を吹き出さんばかりに熱くなる。隊の士気が低下した時などは、けしかけるとおもしろいようにノッてくることをフドウは熟知していた。

 サキョウが巧みに怪獣の前後左右をすり抜け、コンマ何秒かのシューティングチャンスを逃さずコヅカがルーク砲をたたき込んだ。操縦と射撃を二人が分担しているとは思えない見事なコンビネーションと言える。

「ヤツは歩みを止めています。やっぱり僕のルーク砲は効いているんですよ」

 後部座席にセイラと並んで座るスルガが顔面を紅潮させている。他の男性隊員よりは明らかに華奢な体つきだ。

 スルガの言う通り、ディーバーゴはアルバトロスの執拗な攻撃によってその場に釘付けにされてはいたが、致命的なダメージを受けているようにも見えなかった。それどころか、節くれだった太く黒光りする両腕を振り回してアルバトロスを叩き落そうとしてくる。

 攻撃を止めれば、ディーバーゴは再びヒュッテを目指して前進を再開しそうである。

 さすがに機内の隊員たちにも焦りの表情が浮かび始めた。

 その時。

 コヅカが放ったルーク砲がディーバーゴのツノの生え際にヒットした。フドウの言葉どおりへし折られてはいなかったものの、ツノの付け根から白煙がゆらゆらと立ちあがっている。

 そこがディーバーゴの急所であったのだろうか、今度こそ身じろぎもせず、口を半ば開いたまま、やがてゆっくりと後ろへ倒れた。

 巨木がへし折れて飛び、山が悲鳴をあげた。

「やった!ざまぁ見ろ」

 コヅカがガッツポーズをとり、スルガとセイラはハイタッチを交わした。

 この瞬間、初陣の隊員たちは皆、戦闘のために研ぎすまされた精神の集中力を失っていた。いつもは冷静なサキョウですら、棒のように倒れた巨大怪獣を呆然と眺めている。

「まだだ。みんな油断するな」

 フドウが鋭く警戒を促したが、それは僅かに遅すぎた。

 いきなり頭をもたげたディーバーゴは、キバだらけのアゴを左右に開くと、銀色に輝く一条の光を放った。

「危ない。サキョウ、離れろ!」

 フドウの指示は、ガガガガガ。という激しい衝撃音にかき消された。

「うわっ」「きゃぁ」身を乗り出していたセイラとスルガが衝撃で折り重なるように床に倒れた。

「痛ぁい。ちょっと、早くどきなさいよ」

 気の強いセイラにお尻を平手打ちされながら、サイドコンソールパネルにかじりついたスルガは、今の攻撃とアルバトロスが受けた被害状況をトレースしていた。

「隊長、今ヤツが吐いたものは強力な腐食液です。しぶきを受けた地上の木々が溶けて白煙をあげています」

「アルバトロスの被害状況は?」

「機体底部をかすめました。第一および第三エネルギーラインと後部ランディングギアをごっそりやられています」

 スルガの声は半ば裏返ってしまっている。

「それで、飛べるのか?まだ戦えるのか?」

 サキョウが苛立たしげに振り返った。

「い、今のところはまだ…」

「はっきり報告しなさいよ!」

「ひいい」

 セイラがスルガの胸元を掴んで揺さぶった。

「落ち着け、ビヨンド」

 不規則に振動する機内で、微塵も動じない瞳がスルガを見つめていた。

「隊長…」

 パニックに陥っていたスルガは、憑き物が落ちたかのように平常心を取り戻した。呼吸を整えると、十本の指が機関銃のようにキーボードを叩き始める。

「第二エネルギーラインは確保されているのでしばらくは飛べますが、そう長くはありません。恐らくもってあと十五分。それに第三エネルギーラインからの燃料の流出が地上における二次災害をひきおこす可能性があります」

「隊長、機体底部から黒煙が噴出しています」

 サキョウが平然と報告した。

―こいつだけはまるで他人事のようだな。

 フドウは、機体性能が極端に低下したアルバトロスを黙々と操縦し続けるサキョウの背を頼もしげに見た。

「ようし。サキョウ、コントロールを完全に失う前にどこかへ不時着させろ。ランディングギアがやられているから胴体着陸になる。スルガ、安全に降りられる場所を探せ。ここから先は地上戦だ」

 アルバトロスは黒煙を撒き散らしながら、森を縫うように走る一筋の渓流を目指して降下していった。

 

―やられた!

 シュンは、左右の翼を交互に上下させながら高度を下げてゆく戦闘機を見ながら唇をかんだ。

 得体の知れぬ怪物を相手に善戦はしたものの、とうとう撃墜されてしまった。となると、ヒュッテに取り残されてしまった人たちや剣山の豊かな自然を護る手段はもうなくなってしまったというのか。

 ディーバーゴはうるさいハエを叩き落したことに満足したのか、悠然と立ち上がると再びヒュッテの建つ方角へツノ先を向けた。

「そうだ。確かまだ…」

 突然のひらめきに従って、シュンは横倒しになっていたバイクを立て、眠っていたエンジンをたたき起こすと風のように木々の中へ姿を消した。

 

 五名のBGAM隊員たちは、左翼を川の流れに浸したまま動かなくなったアルバトロスを抜け出していた。

「みんな、大丈夫か?」

 体のあちこちから沸き起こる痛みにこっそり表情を歪めながら、フドウは後続の隊員たちを振り返った。

「大丈夫です」

「どうってことありません」

 皆それぞれに威勢はよかったが、辛そうだ。

「すみません隊長。私の不注意です」

 サキョウはアルバトロスを見た。他の四人も見た。

 エンジンを止めた今も、溶けて内部のメカが露出した部分から激しく煙を吹いている。

「いいさ。初陣にしては上出来だよ」

 フドウは笑ってサキョウの肩をたたいた。そして腰のホルスターから銃を抜き取ると、再び全員に檄を飛ばした。

「本当の戦いはこれからだ。なんとしてもヤツを仕留め、ヒュッテに残された人たちを救出する!」

「了解!」

 四人の声が一つになり、隊員たちは林の中へ消えて行った。

 

 バイクを駆ること約十五分。シュンは森の中に建つ丸太小屋の内部にいた。

 盗人やクマの襲撃、山火事などから内部を護るべく分厚いコンクリートで覆われているこの小屋には、スコップやツルハシ、ロープにチェーンソーなど、あらゆる土木作業用具が整然と納められている。

 小屋の奥には畳三畳分ほどの、体を横たえるためのスペースが確保されており、傍らには石油ストーブやテレビ、ラジオ付無線機などが置かれている。

 四季を通して山中をパトロールする山岳警備隊員の宿泊施設兼倉庫として、剣山系の各要所要所に設けられたこの小屋は、小さいながらも実は最新のテクノロジーが凝縮された秘密基地でもあった。

 シュンはテレビに内蔵されていたリモコンを取り出すと、テレビではなく床のほぼ中央あたりへ向けてチャンネルのボタンを押し始めた。

 ピッピッピッという電子音に続いてプシュ!という空気が抜けるような短い音が小屋内部に響き、暗い小屋の中を一条の光が床から天井へと走った。

 小屋の床下に設けられた秘密の収納庫が、今シュンによって開放されたのだ。

 緑色の非常灯で照らされる収納庫内部には携帯食糧や各種燃料、そして…。

「あった」

 シュンは大量に収納されていたダイナマイトの包みを両手ですくうように持ち上げた。

 土木作業用のダイナマイトを山岳警備隊で保管していたのをシュンは思い出したのだ。

「こいつであの怪獣にひと泡ふかせてやる」

 シュンは素早く包装を解くと、慣れた手つきで導火線をセットしはじめた。

 ひんやりとした小屋の中で黙々と作業を続けるシュンの額にはみるみる汗がいくつもの玉を結び、あごからしたたり落ちた。

 

 一方、ヒュッテではとり残された人たちが極限の精神状態にいた。

 ある者は一か八か車で怪獣の足元を走り抜けて見せると言い張り、同行者を募った。また別の者は柵を乗り越え、崖の半分にも届かぬ長さのロープをつたって降りるとわめいていた。

 皆、正気ではなかった。

 無理もない。とてつもなく巨大な怪獣は見る者の距離感覚を狂わせ、今にも全員を踏み潰しそうに思えたのだ。

「こんな所でただ黙って踏み潰されるのを待っていられるか」

「そうだ。どうせ死ぬなら俺は車で逃げるほうに賭ける。みんなも来い」

 オオクラが何度も両手を振りながら、いきりたつ宿泊客たちを静止した。

「駄目だ駄目だ!この道は怪獣が現われた時の土砂崩れで寸断されているはずだ。怪獣の足元で立ち往生してしまうぞ。それこそ自殺行為だ」

「そんなことわかるもんか。あんたそれを見てきたわけじゃなかろう」

「俺の言うことを聞け。車は駄目だ。あっ、おい。あんたもだ。そのロープじゃ崖の下まで降りられないと何度言ったらわかるんだ」

「ここから落ちりゃ死んじまうかもしれんが、半分くらいまでこのロープで降りときゃケガだけで済むかもしれんだろう」

「馬鹿を言うな。半分からでも何十メートルあると思っているんだ。第一、こんなロープをつたってどれほど降りられるって言うんだ。映画じゃないんだぞ。みんな目をさませ」

 怪獣が蹴り飛ばした岩石や木片がすぐ近くへころがって来た。

 見たこともない戦闘機がいずこからか現われ怪獣を攻撃し始めた時には、皆固唾を飲んで戦いを見守っていた。光の弾で怪獣が倒された時には歓声さえ上がったが、結局善戦むなしく撃墜されてしまい、皆へなへなと座り込んでしまった。

「やっぱり駄目だ」

「逃げ場は無いぞ」

 オオクラは、もうこれ以上泣き喚く宿泊客たちを押さえ込むのは無理だと感じていた。もし逃げ場があるとしたら…。

 怪獣の足元を、車ではなく、岩陰や木陰に隠れながら走って逃げる。途中まで続く険しい岩場が途絶え、森を抜けて沢へ出られる道があるはずだ。小さくノロマな人間が怪獣の注意をひきさえしなければ何とかなる。

 しかし、自分に先導役ができるのか?皆、荒れ狂う怪獣の足元を走りぬける恐怖に耐えられるのか?

 オオクラが唇を強くかんだその時…。

「おおい、無事か?」

 声が聞こえた。

―馬鹿な。

 オオクラは空耳だと思った。しかし怪獣の足元、砂塵巻き上がる彼方から確かに一人の男が走ってくる。

―信じられない!助けに来てくれたのか?

 男は砂塵を突っ切って、オオクラの傍らへころがるようにやって来た。

「BGAMのスルガです。皆さん、大丈夫ですか?」

 土で汚れた顔に笑顔を浮かべているのは、一見どこにでもいるような優男だが、絶望の淵に追いやられていた彼らにはこの上なく頼り甲斐のある男に思えた。

「助けに来ました。さあ、一緒に脱出しましょう」

 唖然としていた宿泊客達は、突然堰を切ったように質問を浴びせた。

「あ、あなたはさっきの変わった飛行機に乗っていた人ですか?」

「墜落して死んだんじゃなかったの?」

「一人なのか?仲間はいないのか?」

「逃げるってどこへ逃げるんだ?」

 矢継ぎ早の問いを、スルガは笑顔のままでハイハイハイと両手で制した。

「私はあの怪獣、ディーバーゴの足元をすり抜けてここへ来ました。もう一度そこを通って安全な所まで行くんです。先導しますからついて来てください」

 それは、つい今しがたオオクラが思い描いていたルートと同じだったが、スルガの指さす方を見て、客や他の従業員たちは皆尻込みした。

「あ、あそこを進むの?」

「無茶だ。自殺行為だぞ」

「大丈夫です。ヤツはデカすぎて我々には気づきにくい。それに私の仲間があそこで援護してくれています」

 皆、目を丸くした。

 怪獣のほぼ真下に、確かに何人かの人影が見える。

「あんな所で怪獣を攻撃しているのか。自分達を逃がすために」

 オオクラは宿泊客を振り返った。

「行きましょう」

 

 怪獣の巻き起こす凄まじい砂塵の中で隊員たちは奮戦していた。

「狙いを定めろ。ヤツの頭を集中攻撃するんだ」

「了解」

 フドウが怒鳴り、隊員たちが大声で応じた。

 手にしているのは、スルガが開発した光弾銃メガパルサー。六インチ銃身の大型拳銃とほぼ同じ大きさだが、威力は対戦車ライフルに匹敵する。アルバトロスから撃ち込んだルーク砲には及ばぬものの、繰り返し繰り返しの集中放火は、ディーバーゴに苦しげな唸り声をあげさせた。

 岩や巨木が飛来する中で、隊員たちの命綱は抜群のフットワークと射撃の腕前だ。

 中でもコヅカのみが持つアッテス・バルカンは、回転する六本の銃身から光弾を高速で撃ち出す超兵器だ。本来は戦闘車両などに固定して使用される重火器である。並みの技量では狙いをつけることはおろか、構えることすらかなわぬジャジャ馬なのだ。

「食らえ!」

 コヅカのヘルメットは、石が直撃したため側面がへこみ、前面のシールドが破損している。

 他のメンバーも似たようなありさまだ。しかし、体長五十メートルの怪獣の至近距離にいて、誰一人一歩も退こうとはしなかった。

「あ!」

 セイラが直径四〇センチほどもある岩をよけきれず転倒した。左肩を押さえて悶絶している。

「セイラ隊員!」

 サキョウがセイラの傍らに駆けつけ抱き起こした。

「だ、大丈夫…それより、スルガ隊員は?まだヒュッテの人たちは脱出していないの?」

「む、まだだ」

 サキョウはさっきアルバトロスが不時着した沢の方を見た。ヒュッテに残された人たちを全員アルバトロスまで移動させる。完了したら合図の信号弾を撃ち上げる。そういう手筈だった。しかしそれはまだ確認されていない。

ビュビュッビュウ!

 ディーバーゴが口からあの白い溶解液を吐いた。フドウが地面を回転しながら間一髪でそれをよけると隊員たちに叫んだ。

「もうすぐだ。もう少しふんばれ!」

「隊長。やはりスルガ隊員ではパニック状態の人々をまとめることができなかったんじゃ?」

「いや、彼なら大丈夫。ここ一番、彼のクソ度胸を俺は信じる」

 怒りに両目を赤く燃え上がらせるディーバーゴへ光弾を撃ち込みながら、フドウは二人の部下に笑いかけた。

 その時、苦悶の表情で体を起こそうとしていたセイラが、怪獣の頭上を指差して叫んだ。

「隊長、あれは一体?」

 

 山全体が崩れようかという大音響と、口や鼻の中まで真っ黒になりそうな砂塵の中を、ヒュッテの人々は死に物狂いで進んでいた。

 今はBGAMの隊員たちが怪獣の注意をひきつけてくれているが、いつ自分達を見つけて襲ってくるかわからない恐怖に、皆顔面がひきつっていた。

「も、もうダメだ」

「するがさぁん…」

 後方から泣き声がするたびに、先頭を行くスルガは笑顔で振り返って励ましの声をかけた。

「もうすぐです皆さん、しっかり。おお!安全地帯が見えてきましたよ」

「スルガさん、足が震えていませんか」

 突然オオクラに小声で指摘され、スルガは慌てた。

「い、いや。さっき墜落した時に足を打撲したんです。け、決して怖いわけじゃありませんからね。ははは」

 言うなり前を向きなおしたその顔は、半泣きになっていた。

―た、隊長ぉ。おっかないですよぉ。

 その時だった。宿泊客の一人が空を指差して叫んだ。

「ありゃあ何だ?」

 

 怪獣の頭頂部よりもさらに約二十メートル上空。

 三角形の翼の下に設けられた簡単な作りのシートにシュンは座っていた。

 シュンの背後では四百CCのエンジンがうなりをあげ、推進用プロペラが高速で回転している。トライクと呼ばれる超軽量プレーンである。

 夏山での遭難者捜索用にと山岳警備隊が導入したもので、ついさっきシュンが立ち寄った警備員基地の近くに発着所が設けられていた。

 剣山系山岳警備隊のマークが入ったフライトヘルメットにゴーグルを着けたシュンは、ディーバーゴの、天空を突き上げるような前頭部のツノを凝視していた。

「頭狙いでいく」

 確たる根拠はないが、ヤツも生き物なら急所は頭のどこかにあるだろう。

 シュンは体の前面にまわして装着したバックパックからダイナマイトの束を取り出した。十本をひと束にしてテープでとめたダイナマイトを口にくわえ、防風機能付ジェットライターで導火線に点火した。

 恐らくは、現代科学の最先端技術を惜しみなく投入させて造りあげたであろうあの戦闘機。その攻撃でさえヤツを葬れなかった。このささやかな火薬では、やはり怪獣に一矢報いることは叶わぬだろう。しかし、この山と山に棲むすべての命を護る使命を帯びた者として、シュンは戦わねばならないのだ。たとえ勝算などは無くとも、持てる力のすべてを結集させて。

「せめて進路を変えさせる。ヒュッテだけは護って見せるぞ」

 無言の気合と共に一気にディーバーゴの頭部めがけて急降下し、ダイナマイトを放った。と、同時にトライクのアクセルを限界まで踏み込み、一転、上昇した。

 一撃離脱。捨て身の爆撃である。

 ダイナマイトはディーバーゴの頭上数メートルの所で爆発した。

 距離感がつかみにくい空中での戦闘になど全く慣れていないシュンにとって、ダイナマイトを投げるタイミングを測るのは至難の技だった。

 それでもディーバーゴは驚いたように太い首をすくめると、闇雲に両腕を振り回し、蝿を追うようなしぐさで頭上を払った。

 更に高く上昇しながら、シュンは舌打ちして悔しがった。

「もっと思いきって降下しなきゃ」

 

「隊長、あいつ怪獣を攻撃していますよ」

 コヅカが空を舞う小さな三角形の翼を指差して叫んだ。

「今のはダイナマイトだな。隊長、ヤツは一体?」

 サキョウも攻撃の手を止めて空を見ている。

 フドウは腰のパウチから小型の双眼鏡を取り出して様子を見ていた。

「動きが早くてうまく確認できないが、男性に間違いなかろう。何かのユニフォームを着ているぞ。恐らく地元の山岳警備隊だろう。ハングライダーのようだが、さっきの急上昇は…ありゃきっとマイクロプレーンの類いだな。それにしても勇気のある男だなあ。あれは怖いぞ」

「感心している場合じゃありません。放っておけば最後にはやられますよ。ダイナマイトで倒せる相手じゃない」

「だがな、今のディーバーゴの嫌がりようを見ただろう。やはり頭のてっぺんは急所なのかもしれんぞ」

「だからって!怪獣を倒すのは私たちの仕事よ。このままじゃ危なくって攻撃もできやしないわ」

 セイラは頬を紅潮させて怒っている。目の前にシュンがいたら確実にひっぱたかれていただろう。

ドン!

 その時、スルガから合図の信号弾が放たれた。

「スルガ隊員からの合図だ」

「よかった。ヒュッテの人たちは無事非難できたのね」

 険しかった隊員たちの表情が明るくなった。

「ようし。あとはこのデカブツを退治するだけだ」

 コヅカが自分の拳をバチンともう片方の手のひらに打ちつけた。

「もうこれ以上怪獣の注意を惹きつけておく必要はない。各自散開して攻撃を再開せよ」

「しかし隊長、ヤツの急所が頭頂部だとすると我々の下からの攻撃は効果がないのでは?」

 フドウは、自分の手の中にある光弾銃メガパルサーに視線を落とした。

「まだそうと決まったわけじゃない。それに、もしそうだとしても、我々が今ここで攻撃を止めてどうする」

 セイラがフドウの隣に歩み寄って言った。

「彼は今も戦っているわ。ほら、また」

 トライクが急降下し、ディーバーゴのツノの付け根あたりで爆発がおこった。

 頭上を舞ううるさい虫を追い払おうとするディーバーゴの鋭いツメがシュンの体をかすめて走り、コンクリートのような風圧がトライクの翼を叩いた。

 さっきまでシュンに激しい怒りをぶつけていたセイラも、シュンが繰り出す再三の捨て身の攻撃に、次第に心を動かされ始めたようだ。

「やっぱり無茶だわ。でも、とても勇敢よ」

「皆くじけるな。今度は怪獣の注意を足元にむけさせて上空のライトプレーンを援護する。全員ただちに散開して攻撃を続行。ターゲットは怪獣のひざだ」

「了解」

 メガパルサーを構えた攻撃態勢のまま、四人の隊員はディーバーゴを包囲すべく走った。

 

 ダイナマイトは残りわずかだった。

 何回かのトライで、ダイナマイトを放るタイミングはだいぶ会得できた。しかし、急所付近でおこる爆発を嫌ってディーバーゴが暴れるため、ダイナマイトを投げる直前どうしても離脱することが頭をよぎり、もうひと呼吸つっこんでゆけなかった。

 頭ではわかっていても体が思うように動かないのだ。

「臆病者め」

 シュンはいらだっていた。

 さっき上がった信号弾は、恐らくヒュッテの人たちの安全が確保された合図ではないかとシュンは考えていた。あとはこの山の自然を護りぬくことだけだ。

 豊かな木々、可憐な草花、そして愛らしい野生の動物たち。ひっそりと、しかしたくましく生きているすべての生き物のために戦う。

 地上では、シュンにとっていまだ謎の部隊であるBGAMの隊員たちが、ディーバーゴの足を中心に執拗な攻撃を繰り返している。

 ディーバーゴが地上の隊員に向けて溶解液を吐いた。

「今だ!」

 シュンは唇を尖らせヒュッと鋭く息を吐くと、ディーバーゴめがけてダイブした。

 無数に突き出した黒いトゲが急速に接近してくる。「まだだ。まだ…まだ…」

 シュンの頭の中で、突如赤信号が激しく点滅し始めた。

「あと少し!」

 怪獣の体表がまるで手を伸ばせば届きそうに思えた瞬間、ついにシュンは、彼自身の恐怖が創り出した見えない壁を越えた。

―今だ!

 シュンは残っていたすべてのダイナマイトの束をディーバーゴめがけて続けさまに投げつけた。

ババババァーン。

 ツノの中ほどに当たって転がったダイナマイトは、見事にツノの付け根、頭のてっぺん付近で炎を吹き上げた。

グギャァァァァァ!

 急所の真中へ一撃を受け、ディーバーゴはのけぞった。

「おお、やったぜ」

「今のは効いたぞ」

 怪獣を取り囲むように展開していた隊員たちは、皆一様に拳を握ってガッツポーズを見せた。

 ディーバーゴは両ひざをついて硬直したように動きを止めた。深紅に燃えていた両目は白濁色に変わっている。

「やった」

 それはシュンを始め、この戦いを見ていたすべての人たちが同時に思ったことだった。

 ただ一人、BGAM隊長フドウを除いて。

「おおい!まだ決着はついてないぞ。油断するな!」

 しかし、フドウの叫びは高度五十メートルを風を切り裂いて飛行しているシュンの耳には届かなかった。

 勝利の喜びと言うよりも、戦いが終わった安堵感と、本当に倒せたのかという不思議な思いが交錯して、シュンは危険エリアから離脱せぬまま怪獣の至近距離を旋回していた。

 ディーバーゴの瞳に怒りの赤が戻ったことにも気づかず…。

「いかん、離れろ!」

 まるでフドウの絶叫が合図となったかのように、うずくまっていたディーバーゴがいきなり立ち上がった。

「しまった!」

 シュンはとっさに急旋回をし、ディーバーゴから距離を取ろうとしたが僅かに遅く、起き上がったディーバーゴの体の一部がトライクの右翼を引き裂いた。

 フレームが砕け散り、ついさっきまで風と一体化して浮力を創り出していたマシンは、ただの物体となってシュンもろとも落下し始めた。

「ああ!」

「やられた!」

 地上で見守っていた人たちから悲鳴に似た叫びがあがった。

 セイラは両手で顔を覆い、少し離れた森の中から一部始終を見ていたスルガは、まるで落下するシュンを受け止めようとするかのごとく、両手を思わず空に差し出した。

 皆、あと数秒とたたぬうちにトライクのパイロットに訪れる残酷な運命の結末を黙って見守るしかなかった。

 

 シュンは凄まじいスピードできりもみしながら落下した。

「わあああああああ」

 猛烈な吐き気に襲われながら、どちらが上なのか下なのかすらわからなくなっていた。

 意識が遠のいて、脳裏から最後の光が消え去ろうとした瞬間、ふと奇妙な上昇感を覚え、シュンは再び目をあけた。

 目の前に、シュンが愛した剣山の風景が広がり、かつて山中で遭遇したツキノワグマがこちらをじっと見ていた。シュンは幻覚だと察した。

「僕は死ぬのか」

 シュンの問いにツキノワは小さくうなずいた。

 襲うでもなく、逃げるでもない。その表情からは人間すら及ばぬ知性が感じられた。

 ふと気づくと、ツキノワを取り囲んで無数の動物たちがシュンを見ているではないか。学生時代に出会ったカモシカもその中にいた。皆、シュンに別れを告げに来たのだ。

 すまない、と詫びた。護りきれなかったことに、詫びたのだ。

 大地が目の前に迫っていた。

 その時、光が迸った。

 

 その鮮やかな金色の光は、トライクが墜落した辺りから真直ぐ上空へ放射されたように見えた。月までも届きそうな清冽な光だった。

「今度は何だ、一体?」

 もはやフドウにも、何がなんだかさっぱりわからなくなっていた。

 光は、その粒子のひとつぶまでが命あるもののように流れ、渦を形成し、急速に輝きと濃さを増していった。

 隊員たちが驚愕のまなざしで見守る中、光は徐々に人の形になり、さらに質量を有する実体へと変化していった。 

「巨人が…大地から巨人が現われたぞ」

 コヅカが呆然とつぶやいた。

 大地から迸った光から忽然と現われたその不思議な巨人は、神々しくも敢然と邪悪な怪獣ディーバーゴの前に立ちはだかった。

 身長は怪獣より僅かに低い約四十五メートル。銀色のボディに新緑を思わせる明るいグリーンのラインが、しなやかな筋肉の隆起に沿ってアールを描きながら全身を縦横に走っている。

 頭部中央にはブレードを思わせるフィンが走り、流線型の両目はあらゆる感情を覆い隠して白光を放っている。

 胸部のほぼ中央に青く煌くシグナルライトがみなぎるパワーを誇示しているようだ。

シュアア!

 気合一声。巨人はファイティングポーズをとるとディーバーゴに向かっていった。

 

 シュンは金色の光の中で目覚めた。

 全身に力がみなぎっている。大地が足の裏を伝ってシュンの体内に無限のエネルギーを注ぎ込んでくる。

 望めば地球の重力すらも凌駕してしまいそうだ。

 あの怪獣が目の前にいた。自分とほぼ同じ上背である。見覚えのある、怒りに支配された赤い目がこちらをじっと見据えていた。

 しかし、あれほど巨大で恐ろしい存在だった怪獣が、今のシュンには何故か対等に、いやそれ以上に渡り合える相手に思えた。

―倒せる。

 シュンは怪獣めがけてジャンプした。

 正面から組みつき、力まかせに振り回すと、怪獣は肩から大地に転がり痛みにうめいた。

 シュンは馬乗りになり、続けさまに拳を撃ち込んだ。

 怪獣は力でシュンを振り払えないと知るや、下からシュンの顔に溶解液を吹きつけた。焼けるような痛みが顔面を刺し貫き、シュンはたまらず後方へのけぞるように倒れた。

 怪獣が立ち上がり、シュンもまた痛みをこらえて立ち上がった。

 今度先にしかけたのは怪獣だった。鋭いツメにものをいわせ、地獄突きをシュンの喉めがけて繰り出した。ビルなどは一突きで大穴を穿たれるに違いない。

 シュンは素早く左右に体をかわしながら間合いを詰め、怪獣の腹部めがけてひざを突き上げた。

ギュウウオオオン。

 怪獣は、悲鳴に似た鳴き声をあげながら苦し紛れにあたりへ溶解液を吐きちらしてシュンをてこずらせた。 

 戦いを重ねるにつれ、シュンの周辺の森は飛び散った溶解液によって白煙をあげて溶けていった。

―自分が怪獣の攻撃をよければ周囲の森林が被害を被ることに…。

 シュンは覚悟を固めると、あえてフットワークの足を止め、溶解液を胸で受け止めた。

グアアア。

 シュンの喉から苦鳴がもれた。

 その時、キィン、キィン、キィンという金属音と共に胸部のシグナルライトが赤く点滅を始めた。

 体内のエネルギーが底をつきかけていることを告げる警告音であった。

 刹那、頭頂から足の指先に至るまで渦巻くようにみなぎっていたパワーが急速に失せ始めたではないか。

 何よりも両膝から力が抜け、大地に引き込まれそうになる。

「まだだ。ここで引き下がるわけにはゆかない!」

 シュンは大きく息を吸い下腹部に溜め込むと再び気合を込め、怪獣の巨大なツノに乾坤一擲の手刀を一閃させた。

 鈍い音と共に火花が散り、ツノは半ばからへし折れた。

ガ…ガガァァァ。

 深手を負い、怪獣の動きが鈍くなったとみるや、シュンは両手を組み合わせ、ツノを失った頭頂部へ渾身の拝み打ちを叩き込んだ。

グシャッ!

 ブ厚い甲冑のような体表の内部で何かが破壊された。怪獣はそのまま大地に突っ伏し、もはや虫の息だ。

じりじりと大地をかきむしるように少し這うと、唐突に背を左右に開いた。体内から透明の四枚の羽根を展開させ、明かに怪獣は空へ逃げようとしている。

 怪獣の背後でその様子をあくまで冷静に見つめていたシュンは、自らの両手が急激に熱くなってゆくのを感じていた。

 熱い。しかしそれは苦痛ではなく、体内に残留するすべてのエネルギーが両手に続々と集まってくるような高まりに似た感覚であった。

 シュンは左右の手首を、何かに導かれるようにクロスさせた。

 

 フドウの指示で、BGAM隊員たちは既に一箇所に集合していた。

「見ろ!ディーバーゴのヤツ、飛ぶつもりだぞ」

「きょ、巨人が何かしかけるわ」

 それぞれ違う方を見ていたコヅカとセイラが同時に叫んだ。

「危ない、伏せろ!」

 フドウの警告に、隊員たちは皆即座に反応した。

 巨人が両手を十字にクロスさせるや、目を覆うほど眩い光が激流となって、ディーバーゴめがけて走った。

 すでに地を離れ、東の空へ向かって飛び立っていたディーバーゴの背に光の激流が命中し、その体は大音響と共に木っ端微塵となって四散した。

「おお!やったぜ」

「イェーイ。すごいわ、あの巨人」

 BGAM隊員たちから一斉に歓声が上がった。コヅカとセイラがハイタッチを交わす。

 ディーバーゴの無数の肉片は、燃えながら剣山の森に落下していった。

 銀色の巨人はゆっくりと深呼吸をひとつすると、再び大地から迸り出た眩い光に包まれ、次第に溶け込み、ついには大地へと消えていった。

 あとにはいつもどおり平和な静けさに包まれた剣山が残されていた。

「隊長、あの巨人は一体…?」

 サキョウが独り言のようにつぶやいた。

 フドウはただ腕を組み、何事もなかったような青い空を見ていた。

「隊長ぉ。みんなぁ」

 ヒュッテに残されていた人たちを無事安全なエリアまで誘導したスルガが、大きく手を振りながら走ってくる。

 その姿を見てフドウも、頑丈なアゴをなでながらようやく笑顔を見せた。

「隊長、ヒュッテに取り残されていた民間人八名、無事救出しました。今はアルバトロスに積んであった非常用携帯食を食べてもらっています。地元の消防団と連絡が取れましたから、まもなく救助隊が到着する見込みです」

「よくやってくれた。ご苦労」

 敬礼して報告するスルガの肩をポンと叩き、フドウは笑顔でねぎらった。

 コヅカやセイラも、スルガに親指を立ててみせた。

 スルガは照れくさそうだったが、人命救助の大役を果たしたことにまた誇らしげだった。

 ただ一人、サキョウはトライクが墜落した方向を気にしていた。

「隊長、彼を…」

 わずかに言葉を濁したサキョウは、絶望感を打ち消すように続けた。

「救助に行きましょう」

 フドウ、サキョウ、コヅカ、セイラ、スルガ。四人の戦士たちは皆、もう一人の勇敢な仲間の安否に思いを馳せていた。

 

 シュンは、地表をうねるように這う人の体ほどもある太い木の根を抱きかかえるように、うつ伏せに倒れていた。その身体からはもはや生命の息吹は微塵も感じられない。

 小指の爪ほどの小さな黒い虫がもぞもぞとシュンの手の甲に這い上がった。この臆病で小さな虫でさえ、もはやこの物体に恐れを感じてはいない。

 その手の甲が不意にピクリと動いた。

 驚いた虫は、慌てて最寄の木へと緊急避難した。

 さらに驚くべきことに、動き出したシュンの体の輪郭が黄緑色に発光し始めたではないか。

 シュンの体に、発光するもうひとりのシュンの体がダブッているようにも見える。

 痛みを訴えるでもなく、体中にこびりついた泥をはらうでもなく、シュンはまるで意思を持たない人形のように立ち上がった。

 信心深いいにしえびとが見たなら、まさにそれは善人の魂が神に誘われて天へ昇る前ぶれと考えるかもしれない。

 だが、どうやらそうではないらしい。

 その表情からは一切の感情が消去されており、さきほどまでの活動的なシュンとは同じ人物とは思えぬほど冷ややかな面持ちだった。もはや血の通わなくなってしまった手のひらをじっと見つめている。

 ガサッガサッ、という草を踏み分ける音がして、人の気配がシュンに近づいた。

 木立の間から現われたのは白くか細い女性の足だった。キュッとひき締まった足首から下を、皮のサンダルが包んでいる。女性一人、山深く分け入るにはあまりに不似合いな履物と言わざるを得ない。

王冠のような、一風変わった皮の飾りがついたサンダルは、更にシュンに近づき、女性の全身が太い幹の向こうから現われた。

 ショートヘアの、二十歳代前半の女性だった。

 黄色いウィンドブレーカーが緑深い森の中で浮き上がるように美しく見える。

 長い睫毛がどちらかと言えば古風な印象を与える顔立ち。左右の口元がキリリと引き締まり知性豊かな女性であることを強調している。

 彼女の黒い瞳が突然青く光り始め、己が手のひらに見入るシュンを静かに見据えた。

そして言った。

「彼は、死んだの?」

 その問いは、彼女の口から発せられたものではなかった。心の会話、テレパシーと呼ばれる交信手段によるものである。

シュンは静かにゆっくりとその「声」の主へと視線を巡らせ、眉間に悲しみの小さな皺を浮かべて頷いた。立ち上がってから、シュンが初めて見せた感情の表現だ。

「そう」

 その表情に呼応するように、女性の「声」もまた哀悼の情を滲ませた。

「あなたがウルトラマンアミスね。あの青年は残念だったけど、あなたに会えたのは幸運です」

 ウルトラマンアミスと呼ばれたシュンは、視線だけではなく今度は全身をゆっくりとその女性の方へ向け、二人は正面から対峙する形となった。

 常人ならざる者同士の不思議な会話は続いた。

「君は…誰だ?」

 シュンはわずかに心を開いて訪ねた。しかし明らかにその女性をまだ警戒しているようだ。

「私の名はデラ。ルパーツ星人です。地球に凶悪な侵略宇宙人グラゴが潜入しました。私はそのことを地球人に警告するためにはるばるルパーツ星からやって来たのです」

 シュンは黄緑のオーラを放ちながらじっとデラの話を聞いていた。

 デラの瞳の青い光は、彼女の心の動きにあわせるかのように強くなったり弱くなったりしている。

「現在地球人は、怪獣や侵略宇宙人に対する特殊部隊を編成しています。私はその組織に警戒を促しましたが、まだまだ彼らの戦力だけではグラゴ星人に対抗しきれるものではありません。やはりアミス、あなたの力が必要です」

「私の力…」

「ええ。さきほどの怪獣ディーバーゴは、古来よりこの地に眠る地球怪獣です。グラゴ星人はその怪獣を強引に目覚めさせ、脳波に干渉して操り、暴れさせました。しかしグラゴ星人自身の戦闘能力はあんなものではありません。狡猾で残忍で強いのです。私は地球へ来る前、故郷ルパーツ星であなたの存在を知りました。大地の守護神、ウルトラマンアミス。怒りと悲しみの心を大自然の慈愛で包み隠し、無限のエネルギーで地球を守護する超人。何故か地球人はその存在に気づいていませんが、グラゴ星人の侵略から地球を護るためには、あなたの力添えが不可欠なのです」

 百メートルほど先の森から山鳥が数羽飛び立った。デラも何かの気配を察したのか、話ながらも少しずつもと来た方へ後ずさりし始めた。無表情なシュンに少し焦れている風でもある。

「はじめはどうやってあなたとコンタクトをとればよいのかさえわからなかった。でもその青年の犠牲であなたに会えました。ね、アミス。この山の自然を護ろうとして戦った彼のためにも起ち上がって。既にグラゴ星人は、もう一体の怪獣を目覚めさせる準備を整えています。次の戦いの舞台は能登。私と一緒に能登へ行ってください。待っています、アミス」

 言い終わるや、青い光を放つ瞳の不思議な少女デラは、忽然と木々の中へ姿を消した。

 シュンの体を覆っていた黄緑色の光が肉体に沁みこむように消え、かわりにシュンの瞳に生ける者の光が蘇った。

 狂言役者のごとき素っ頓狂な声があがったのは、シュンがふう、と大きく息を吐いたのとほとんど同時のできごとだった。ついさっき、山鳥の度肝を抜いた張本人であろう。

「みんなぁ、こっちですよ。こっ…」

 騒々しく現われたのはスルガであった。

 シュンとスルガ、二人の視線が不意に絡み合った。スルガは、シュンの頭からつま先までをせわしなくも入念に品定めし、突然ガバッとシュンに抱きついた。

「わっ。ちょ、ちょっと」

「よかった!おーい、生きてるぞ。よかったね、君。みんなぁ。信じられないよ。早く、こっちですよぉ。ケガはないかい?」

 スルガは後続の隊員たちとシュンの両方に交互に声をかけながら、シュンの背中や肩をパンパン叩きまくった。いきなりのことに驚くシュンにはおかまいなしである。

 やがて、

「おう本当だ。無事だぞ」

「足はついているか」

 などと言いながら、他のBGAM隊員たちがシュンのまわりに集まって来た。

 いきなり森から出てきた紅い戦闘服の人たちに面食らい、逃げ腰のシュンの前に大柄な男が歩み出た。

「BGAM隊長のフドウだ。君はあのライトプレーンのパイロットだね?」

「はい。剣山系山岳警備隊所属、ソラガミシュンです。あの、ご心配をおかけして…すみませんでした」

 BGAMという名に、シュンは聞きおぼえがあった。怪獣が出現したら命がけで撃滅に向かう世界的組織だと、新聞で読んだ記憶がある。

 剣山の小さな草花や動物の糞にまで目を凝らしながら一人で山中をパトロールするシュンにとって、それはあまりに荒唐無稽な話だった。新聞の記事も途中で読むのをやめてしまった。

 シュンは、怪獣と死闘を繰り広げた彼らが、今は自分の身を心から案じてくれていたことを知って胸が熱くなるのを感じた。

「シュンというのか。勇敢な奴だなぁ、君は」

 コヅカが細い目をさらに細めてシュンを見下ろしている。

「しかし高度五十メートルから落下してどうやって助かったんだ?普通死ぬだろ」

 サキョウのストレートな問いに一同は改めてシュンを見つめた。

「それが、気を失っていて…。気がついたらここに倒れていたんです。運が良かったのかな」

 ハハ、と笑ってみせたが誰からも何もリアクションが無い。弱ったな、と思っているところにスルガが助け船を出した。

「あの巨人ですよ。あの巨人に助けられたんでしょう?きっとそうですよ。ちょうどソラガミさんが墜落したあたりから光と共に現われたじゃないですか。ね」

 スルガの熱弁にシュンを含む一同はウン、ウンと妙に納得してしまった。

「だけど無茶よ。あんな装備で怪獣に…。怪獣と戦うのは私達の仕事なのよ」

 シュンの無事な姿を見て安心したせいか、セイラは再び怒り出した。

「はぁ、すみません」

 大きな瞳ににらまれて、シュンは首の後ろを掻きながら謝った。

「セイラ隊員の言う通りだ」

 フドウが再び口を開いた。シュンの無事を知り歓声をあげたコヅカ、スルガ両隊員と違い、一貫して厳しい態度でシュンに接している。

「君の行動は人命と自然を護る勇敢なものだ。だが君自身が死んでしまってはなんにもならないじゃないか。まず自分の命を大切にする。その意義を見失ってもらっては困る」

 一切の反論を許さぬ、静かだが断固とした意思の強さがシュンの肌にピリピリと感じられた。

「隊長、彼は民間人です。それくらいで…」

 フドウのいつになく厳しい口調にうなだれるシュンを見て、普段は寡黙で冷静なサキョウがさすがに見かねてとりなした。

 だが、フドウの叱責はシュンのハートにむしろ心地よく響いていた。巨大で凶悪な怪獣に正面から敢然と立ち向かい、顔も名前も知らない民間人を救うために自らの命をも盾にする。BGAMといえば、最新式の兵器で怪獣もろとも周辺の自然や街並みまでまるごと廃墟にしてしまう、冷徹な特殊部隊だくらいにしか認識していなかったシュンは、驚きと感動をおぼえていた。

―このチームには熱い血がかよっている。僕がこの山々を愛しているように、この人たちは地球のすべてを愛しているに違いない。人間はもちろん、自然や文明のすべてを。なんてスケールが大きいんだ。僕もこの人たちと共に怪獣災害に立ち向かいたい。BGAMに入隊し、フドウ隊長のもとでこの星のすべてを護るために戦おう。

 しかしシュンは、自らの熱い胸のうちをうまく言葉にできず苛立った。

 やがて無言できびすを返したフドウは、隊員たちに新たな指令を与えた。

「サキョウ、スルガ両隊員はヒュッテの人たちの身柄を無事救助隊に引き渡した後、アルバトロスを応急修理。他の者は、私と共にディーバーゴの肉片サンプルの回収と森林被害の調査だ。かかれ!」

「了解」

 隊員たちは皆、出番が終わった舞台俳優のように木々の中へ消えた。

「しかしまぁ、なんだ」

 自らも隊員たちの後を追おうとしたフドウが、ふと立ち止まってシュンに声をかけた。

「ホントに無事で良かったな、ソラガミ君」

 振りかえったフドウがシュンに残したものは、さきほどの厳しさとは裏腹のやさしい笑顔だった。しかも、泣いている幼子さえもつられて笑い出しそうな、人懐っこい笑顔だ。

「あ、あの。僕も…」

 勇気を出してフドウにかけたシュンの声は、木立に消えた彼の耳にはもはや届かなかった。

 シュンは再び静かな森の中に一人残された。

 風に揺れる木々の葉、山鳥の鳴き声。剣山はいつもの風情を取り戻していた。

 シュンは遠く北の空を見上げた。

「能登か」

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