空想特撮シリーズ
5章 観音崎沖 〜高速潜航艇発進す〜
作戦司令室は重苦しい空気に包まれていた。 情報処理班のハルナがもたらしたニュースは、意気揚揚とキャリアベースへ引き揚げて来たBGAM隊員たちを大いに落胆させた。 グラゴ星人がアルバトロス二号による攻撃を受けて墜落し始めた際の降下角度、速度および海面への着水角度など、あらゆるデータを多角的に分析した結果、これは飛行能力が失われたことによる単なる墜落ではなく、グラゴ星人の自発的降下の可能性が高いことが判明したのだ。 「俺たちが撃墜したんじゃなかったのか」 「ヤツは自分の意思で太平洋へ逃げたんだそうだ」 「馬鹿にして!悔しいわ」 BGAMはキャリアベースを相模湾の沖合いに停泊させていた。グラゴ星人が観音崎沖に墜落、いや降下したわずか四十分後には、アルバトロス二号によって東京湾一帯に、能登沖でも使用されたソノブイが投下され、グラゴ星人の姿を追った。更にその二時間二十分後には、応急修理を終えた一号機が探索と警戒のための任務に加わっている。 当初アルバトロス一号の高性能レーダーは、東京湾入り口付近深度百八十メートルの海底に潜伏するグラゴ星人の姿を捕捉していた。だが、確かに捉えていたはずの巨大な影は、海底の更に深いエリアへと移動し始めるや忽然とレーダーから消えてしまった。まるで自らが電波の網によって絡め取られてしまったことを悟っているかのような動きであった。 「消えたってどういうことよ?」 「あんなデカい図体なのにロストするなんて信じられねぇ。何やってんだ情報処理班は?」 「ね、デラ隊員はどう?グラゴ星人の居所について何か感じないの?」 「いえ何も。恐らくグラゴ星人はもう一度コア体に戻って肉体を形成し直すつもりなんじゃないでしょうか」 「ああ、あのままじゃ何度やってもアミスには勝てねぇからな」 「ヤツを叩くには絶好の機会なんだが」 「もうこれ以上海の上から眺めてたって時間の無駄ですよ」 「シュンの言うとおりだ。こうなると残された手段は」 作戦司令室で額をくっつけるようにひそひそと語り合っていた隊員たちは、結論が出るや「うん」と頷き合うとそのままの勢いで一斉にフドウに向き直った。 「隊長!こうなったら…」 「潜るか」 「へ?」 最も訴えたかったひと言を、当のフドウの口からあっさりと聞かされ、皆ガクンと拍子抜けした。 「い、いえあの、しかし隊長あるんですか?潜る手段が」 「まさかウェットスーツで潜れ、なんておっしゃるんじゃ」 「そんなぁ。水深二〇〇メートル近い海底なんですよ」 「なんだお前たち、海底に潜りたいんじゃなかったのか?」 フドウはなにやらニヤニヤしながらシュンたちの様子を見ている。 「ま、スルガ隊員が出先から戻るまで待ってくれや」 そして四十分後。そのスルガ隊員がキャリアベースへ帰還し、報告を受けたフドウは、部下たちを誘ってキャリアベース最底部へと向かった。
シュウシュウシュウ。 身体が溶けてゆく。この星に来て、暗い地中で育んできた強固なマグマのボディが、無数の泡となって暗く冷たい海水に混じって消えてゆく。 グラゴ星人は水深二百メートルの海底で、幽鬼のように立っていた。 ―この星に侵入して以来地中深く身を潜め、ようやく自らこの星の隅々まで蹂躙し、破壊し尽くそうと思ったものを。この星を守護する銀色の者に阻まれた。激しく損耗したこの身体はもはや使い物にならぬ。捨てる。あの銀色の守護者は強かった。恐るべき攻撃手段をその体内にいくつも隠し持っていた。そして、痛めつけても痛めつけても立ち上がって向かってきた。あの光る目には我の心胆を寒からしめる強固な意志が宿っていた。嫌な奴だ。恐ろしい奴だ。他にもいる。我を捜し求める意識の者。銀色の守護者に味方する小さき飛ぶ者ども。今も頭上では「音」が我を探している。あの飛ぶ者どもの仲間か。とるに足らぬ。銀色の守護者にやられていなければ、我を追ってきた飛ぶ者どもなど爪の先で軽く引き裂いてくれたものを。あの銀色の守護者め。憎し。憎し!みておれ。あの銀色の守護者と共に必ずやこの星を滅してくれる。そのために我はここにあるのだ。そのためだけに。 もはやグラゴ星人の巨体は半分以上が泡となり、どす黒い海の成分と溶け合っていた。 消えかかった身体の中から、金属製の機雷のような球体が現われた。これこそがグラゴ星人のコア体である。 肉体のすべてが泡と消える寸前、グラゴ星人は湯に浸された角砂糖の如き体を震わせて大きく吼えた。しかしそれはゴボッとひときわ大きな泡となって、虚しく海面へ向けて走ったにすぎなかった。 暗い海底に残されたコア体は、音も無く忍び寄る無数の影に取り囲まれていた。 グラゴ星人の全身から噴き出した大量の泡に引き寄せられたのか、日も届かぬ暗闇の深海でひときわ濃いそれらの影は、明かに敵意をあらわにしていた。
「た…隊長これは?」 全員の視線は、目の前にあるモノに釘づけになった。 キャリアベース艦底部に設けられた特設ドックには、全長十メートルの小型潜航艇が横たわっていた。 「高速潜航艇『マナティ』だ。この特設ドックに注水し、直接海中へ出撃することができる。このドックもマナティも皆には今の今まで秘密にしておいた。ま、悪く思わんでくれ。知ってのとおり我々の装備、兵装は外部に悪用されぬよう極秘中の極秘扱いとなっている。私と、開発担当のスルガ隊員しか知らなかったのさ」 悪く思うもなにも、フドウ、スルガ以外の隊員たちは皆、マナティの優雅でなめらかな涙滴型ボディに見入っていた。子供のように目がキラキラと光っている。 「スルガ隊員、説明を頼む」 「はい、隊長。え〜このマナティは、兵装などは搭載していないプロトタイプですが、キャリアベースの設計にも参加したBGAM海洋工科学センターの協力で製造した最新鋭の…」 五人の隊員たちは誰も、スルガの説明など悠長に聞くつもりはさらさら無いようすである。 「隊長、私に行かせてください」 「いえ、私に出撃命令を。シュンはまだ傷が癒えていない。その身体じゃ深海は無理だ」 「コヅカ隊員こそ諦めてください。これには武器は積まれていないんでしょ。出番はありませんよ」 「シュン、おまえ俺を引き金ひくしか能が無い男だとでも思ってるのか?」 「狭い艇内でデカイおまえさんと一緒じゃ息がつまるんだよ」 「サキョウ!おまえ」 「ちょっと待ってよ。サキョウ隊員もコヅカ隊員も、潜航艇オペレーションのテスト結果は私の方が上だったってことお忘れ?今回は私が行かせてもらうわ」 「あ、馬鹿。テスト結果を言うと…」 サキョウ、コヅカ、セイラの三人はちらりとシュンを見た。シュンは、ガッツポーズをしていた。 あきれて眺めているフドウの前にずいと進み出たのはデラだった。 「隊長、これには私が。海中でなら何か手がかりになるものを感じられるかもしれません」 「うむ、頼む」 「うそ…」 言い争っていた四人は一瞬固まり、そして「はぁぁ」とため息をついた。
結局マナティには、デラとシュンのふたりが搭乗することになった。 〈キールゲート、オープン。キールゲート、オープン〉 人工音声によるアナウンスと共にドック内の赤色回転灯がせわしなく回り始め、海水がマナティの周囲に注がれた。 ドック内に充分な海水が満ちるや、キャリアベースの底部が割れ、マナティは発進体勢を整えた。 「アーム解放。マナティ発進します」 ゴォォン。という低い音と共にマナティを支えていたアームが解除され、マナティは音も無くキャリアベースの船外へと発進した。 海面から幾筋もの柔らかな光がさし込む薄いブルーの海中を、マナティは快調に進んだ。 シュンはコクピットで潜航角度を調整しながら、無線の向こうのスルガに話しかけた。 「さて、ビヨンド先輩。さっきの説明の続きを聞かせてください。可愛い我が子の自慢、存分にしていいですよ」 〈はいはい。じゃ、よく聞いてください。プロトタイプ・マナティは全長十メートル二十八センチ。今のところ定員は二名…乗ってますよね。艇後部の左右に設置した二基のムーバル・アクア・ジェット・エンジンで水中を三十五ノットの高速で疾走し、ハイパーチタン合金製の耐圧シェルは、八百メートルの深海でもきしみひとつ起こしません〉 「なるほど、この小さなボディで原潜とほぼ互角の性能を持ってるわけか。さすがですね」 〈ま、能登のドラガロン戦に間に合わなかったのは残念でしたが、海中での索敵行動に、現在これ以上のメカは望めません〉 得意満面のスルガの顔が見えるようで、シュンとデラは顔を見合わせて笑った。 「了解。まもなく深度五十メートルを越えます。通信を終了しアンテナを収納します」
キャリアベースの作戦司令室では、通信を終えたスルガがフドウに親指を立てた。 その親指を睨みながら、サキョウが珍しくフドウに文句を言った。 「しかし隊長、デラ隊員はわかりますが、どうしてもう一人がソラガミ隊員なんですか?」 「まったく、セイラ隊員がシュミレーションテストの結果なんかを話題に出すからだよ」 「だってぇ。満点男がいたことを忘れてたのよ」 「シュミレーションが満点でも実戦は違います。彼には経験がありません」 「まして深海となると、精神的にもプレッシャーがかかります。今からでも彼らを呼び戻しませんか、隊長」 コヅカもサキョウも、おろしたてのメカにまだ未練を残しているようである。 「ん?まぁ、あのふたりを選んだのには深い意味は無い。ソラガミ隊員と一緒のほうがデラ隊員もリラックスできるんじゃないかと思ってな。それだけだ」 「ええ?じゃ俺たちが一緒だとデラ隊員の本調子が出せないと?」 鼻の穴をふくらませて憤慨するコヅカに苦笑いしながら、フドウはレーダーに小さな光点として映るマナティを追った。 誰が行こうが、隊長として部下の身を案じないはずはない。今回フドウは、ルパーツ星人デラの持つ超感覚とともにシュンの強運に賭けたのだ。剣山でも富士の樹海でも、死に直面する危機一髪の状況からシュンは生きて帰還した。その強運に。 ―気をつけろよ、ふたりとも。
「深度二百メートルを越えます」 デラが深度計を読み上げた。深度百メートルを越えたあたりから太陽光線がまったく届かなくなり、もはやあたりは漆黒の闇に包まれている。 マナティの極指向性ライトが、ひとすじの道をつけるかのように海底を照らす。その道を時折エビや小魚などの生物が横切って行った。 「静かね」 デラが艦橋前部に設けられた窓から外の様子を窺いながら呟いた。 「うん。僕たち人類は飛行機で高度何千メートルもの空を飛行しているけど、海の中ともなればわずか二〜三百メートル潜っただけで目も耳も奪われてこのありさまだ。情けないもんだよなぁ。ところでデラ隊員、もうすぐグラゴ星人をロストした海域だよ。何か感じるかい?」 シュンの問いにデラは予想外の答えを返した。 「ええ、さっきから感じているわ」 「何だって?」 さすがにシュンも操舵を握る手に緊張が走った。 シュンはソナーの3Dモニターを注意深く監視した。 縦十センチ横十五センチの小さな長方形のモニター画面に、緑色に光るワイヤーフレームで形作られた海底の地形が映し出されている。 魚群や鯨などの魚影にも反応する高性能である。全長五十メートルもあろうかというグラゴ星人の巨体ならば即座に感知してモニター上にその姿を描き出すはずである。 「何もないけど…。本当にグラゴ星人の存在を感じるのかい?」 「ええ。ただ少し違うのは、グラゴ星人がいる、と感じるんじゃなくて、何て言うか…グラゴ星人の海に私たちがいるって感じなの」 「グラゴ星人の海…よくわからないけど」 前をむいたままシュンが呟いた。 「恐らく、グラゴ星人はあのボディをこの海域で解体したんだと思うの。ここの海水にはその粒子というか成分がかなり濃密に溶け込んでいるんだわ」 「じゃあ、この近くにグラゴ星人のコア体があるのかな」 「ええ、たぶん。とても嫌な気分だわ」 シュンは小さな窓に見える一条の光とコンソールパネルの3Dソナーモニターを食い入るように見た。 マナティが潜航するにつれ、ライトに照らされたマリンスノーが飛ぶように上昇してゆく。 その時、マナティのライトが何かを捉えた。 「デラ隊員、今何か見えた」 シュンが叫んだ。ライトの細い光だけでは、高速で通りすぎる刹那に対象物の詳細までは判別できない。シュンは慎重に艇を操作して、さっき謎の物体を見たあたりへ再びライトを当てた。 「こ、これは?」 ふたりは、目の前に照らし出されたあまりに凄惨な光景に息を呑んだ。 「サメね」 「シュモクザメだ。かなり大きいな」 マナティの行く手には、おびただしい数のシュモクザメの死体が浮遊していたのだ。あるものは食いちぎられ、またあるものは見事に切り裂かれている。 シュモクザメは日本近海の人食いザメとしての代表格である。頭部が左右に大きく張り出し、ハンマーを思わせる独特の形が印象的だ。 シュンたちの前に無残な姿をさらしているのは、特に大型のヒラシュモクザメだった。体長はどれも三〜五メートル。日本の沿岸に棲む魚類では最強といえる。群れをつくることが多いが、この死体の数から察するにひとつの群れが全滅したのではないだろうか。 「一体何にやられたのかしら」 「まさかグラゴ星人が?」 艇内の空気がピンと張り詰めた。兵装を持たぬこの小型潜航艇であの狂暴なグラゴ星人と出くわしたなら…。 ごつごつした海底の岩場が目前に迫った。小さなカニがライトに驚いてそそくさと舞台から消え去った。 「3Dソナーに反応!左舷十時の方向。距離約八百。全長は…約十メートル!マナティとほぼ同じ大きさよ。こっちへ来るわ」 「ヤツか?」 「間違いないわ」 デラは軽くまぶたを閉じ、右の人差し指をこめかみに当てて意識を集中させている。 「グラゴ星人にしては小さすぎないか?」 「身体ができあがっていないのよ。でも一体何を媒体にしたのかしら」 「…サメだ」 デラの疑問にシュンが即答した。 「え?」 目を閉じて意識を海中に張り巡らせていたデラは驚いてシュンを見、そして窓の向こうにそれを見た。 ライトに映し出されたそれは、かつてシュモクザメと呼ばれていたものだった。 体のあちこちは網の目のように太い血管が浮き上がり、背びれと尾びれは異様に長く伸び、岩のように角質化している。体の何箇所かは大きな腫瘍のように丸く腫れあがっていた。 血のように赤い目がこちらをじっと見ている。 「飲み込んだんだわ、コア体を」 グラゴ星人特有の、あのおぞましい波動は、まぎれもなく目の前の異形のサメから発せられている。デラの表情にも明かな恐怖の色が浮かんでいた。 「なんてことだ」 グラゴ星人のマグマの身体が崩壊してゆく時に発生したおびただしい気泡が、シュモクザメの一群をここへおびきよせてしまったのだ。 そして、肉体の全てが海水に分解され海底にころがる金属的な妖しい光を放つグラゴ星人のコア体を、群れの中の一尾が襲った…。 「シュモクザメの群れを全滅させたのはあいつか」 グラゴ星人にとっては渡りに船だったと言うべきか。はからずもこうして自在に移動できる器を再び手に入れることができたのだから。 ギョオオオオオオン。 本来秩序正しく並んでいるはずの三角形の歯とは似ても似つかぬ湾曲した乱杭歯が並ぶ口を大きく開けて、そいつ―グラゴ・シャークはひと声鳴いた。その声は水中を走り、マナティに乗るふたりの乗組員を包み込んだ。長く聞かされれば正気を失いかねないこのうえなく耳障りな声だ。 「マナティを襲うつもりだ」 シュンがアクア・ジェット・エンジンをめいっぱい逆噴射させた。 「アミス、逆噴射ではスピードが出ないわ。マナティを回頭させて全速で離脱しましょう」 もっともだ、とシュンも思った。 「今ヤツに背を向けて逃げ出しても海面にたどり着くまでに追いつかれる。いくら高速潜航艇でもサメには勝てないさ。目も耳も無い背後から攻撃を受けたらひとたまりもないよ。速度を犠牲にしてでもヤツの動きを見極め、攻撃をかわしながら浮上する。生還の道はこれしかない」 だからって生還できるとは限らないけど、とシュンは腹の中で付け加えた。 「来るぞ!何かにつかまれ」 グラゴ・シャークは猛然とダッシュするとマナティに体当たりをしかけた。 ドオォォォン。 激しい衝撃がふたりを襲い、艇内の明かりが何度も明滅した。ふたりは左右の壁に交互に肩や側頭部をぶつけてうめいた。 グラゴ・シャークはいったんマナティから大きく距離を取ると、旋回して再び攻撃体勢に入ろうとしていた。 「海面までの所要時間は?」 「四分四十秒よ」 ―くそっ。遠いな。 シュンはギリと奥歯を噛んだ。 そこへグラゴ・シャークの二撃目が来た。 一撃目とはあきらかに突入コースが異なる。下へ潜り込もうとしているようだ。あの異様に発達した背ビレで攻撃するつもりだとシュンは直感した。ぎりぎりの状態で研ぎ澄まされた五感が、シュンの第六感を呼び覚ましていたのかもしれない。 下へ潜り込もうとするグラゴ・シャークに対し、シュンは本能的にマナティの艇頭部を持ち上げて回避行動に入った。 しかし僅かに底部を背ビレがかすめた。角質化した巨大なナイフの如き背ビレがマナティの底部をあたかもチーズのように切り裂いていった。 「キールに損傷。わずかだけど浸水しているわ。艇のバランスが崩れたため速力の十五パーセントがダウン!」 デラの悲壮な声を聞きながらシュンは臍をかんだ。 「畜生、よけきれたと思ったのに」 「アミス、あいつの身体が大きくなっているわ。全長約十二メートル」 こうしている間にもグラゴ星人は着々と新しい肉体を構築していたのだ。さらに強力に、さらに醜悪に。シュンが間合いを見誤ったのはそのせいだった。 第三撃の体当たりは左側面にまともに来た。 「うわ!」 「きゃああ」 食器棚をひっくり返したような音が艇内に起こり、計器盤からいくつもの火花がバチバチッと音を立てて散った。 突き上げるような衝撃にふたりはシートから転げ落ち、同時に艇内の照明がすべて消えた。 赤い非常灯が自動的に灯った。赤く薄暗い灯りは艇内の狭さをいやがうえにも強調し、精神的な重圧感を増した。 「大丈夫かい?」 「ええ、何とか」 シュンもデラもあちこち痛む身体をさすりながらシートに戻った。 「海上まであとどれくらいだ?」 「二分五十秒。でも速力は落ちるいっぽうよ」 わずか三分がシュンには絶望的な時間に思えた。次にまともな衝撃を受ければ、マナティは破壊されるだろう。しかし…。 ―デラ隊員だけは、正義のために侵略者と戦おうと故郷の星を捨ててやって来た彼女だけは助けたい。何としても! シュンはコンソールパネルを見た。 「相手は宇宙人、いやサメだ。サメをやっつけるだけなら今のマナティにも何か方法があるはずだ」 サメの急所は鼻先だと言われているが、その鼻先に一撃を加える術は残念ながら無い。マニピュレーターで殴ったところで枯れ枝のようにへし折られるだけだろう。 シュンはズラリと並ぶスイッチや計器の類いを見た。 グラゴ・シャークは今までよりも大きく旋回し、マナティのライトから消えた。助走距離を長くとったのだ。次の攻撃でマナティを確実に葬り去ろうということだろう。 オオオオオオオン。 いずこからかグラゴ・シャークの声が聞こえてきた。 光が届かぬ暗い海の向こうから矢のように襲い掛かってくる異形のサメ。 その時、シュンの視線はあるボタンに釘付けになった。 ―アクティブソナー。これだ!サメは内耳を持っていてすぐれた聴覚の持ち主だという。二キロ先でもがく小魚の水音を聞き分けるという話を聞いたことがある。 「デラ隊員、次にヤツが襲いかかってきたら最大出力でアクティブソナーをぶつける。サメの鋭い聴覚を逆手にとって鼓膜を突き破ってやるんだ」 ライトの到達距離のさらに向こうからグラゴ・シャークはマナティめがけて今、猛ダッシュをかけたところだった。 「デラ隊員、ソナーのヘッドフォンをはずすんだ。強烈な反響音がすぐに返ってくるぞ」 デラは無言でシュンの指示に従った。そしてシュンの腕をそっと掴んだ。 「大丈夫。僕を信じて」 シュンは少しだけデラの方へ顔を寄せてやさしく言い聞かせた。 デラは小さく頷いた。次の攻防が自分たちの命運を決める。デラも腹を決めた。 シュンはアクティブソナーの出力ダイヤルを最大にまで回し、指向性ダイヤルを逆に最小にまで落した。 指向性を絞り込むことによって、アクティブソナーの大音響を他の海洋生物にあてないで効率よくグラゴ・シャークにぶつけられるからだ。 ついにライトの中へ、限界まで口を開いたグラゴ・シャークが飛び込んできた。 「来た」 矢のようだ。ふざけていたぶるつもりも、必要以上に恐怖心をあおるつもりも無い。ただ、破壊する。そのためだけの無駄の無い動きだ。 シュンは、恐怖のために自分の胃と心臓がまとめて口から出そうな気がした。 「アミス!」 窓の向こうはグラゴ・シャークの牙しか見えなくなった。恐怖による硬直がデラの全身を駆け巡った。 「食らえ。音のミサイルだ!」 シュンはアクティブソナーのボタンを押した。 ピィン。 世界中にまで響き渡るかのような強烈な音波が、至近距離からグラゴ・シャークの内耳を一撃で破壊し、その瞬間魔物は極限まで身体をのけぞらせた。 カァン。 間髪入れず反響音がマナティに返ってきた。 シュンとデラはライトの中、エラから血を流しながら海底へと沈んでゆくグラゴ・シャークを放心したように見ていた。腹を上にし、口を半開きにしたままだ。 「やったのか…」 「ええ…そうみたい」 ふたりは互いの顔を見合わせた。 「ぷっ」 魂が抜けて放心した相手の顔が可笑しくて、ふたりは同時に吹きだした。 そしてシュンはシートの背もたれに上半身をぐったりとあずけて額の汗をぬぐった。 「やれやれだ。おっぱらってやったぞ」 「安心するのはまだ早いわ。グラゴ星人は死んじゃいない、傷ついただけなのよ。すぐに追跡しましょう。今グラゴ星人を逃がすわけにはいかないわ」 「追跡だって?」 「もちろんよ」 「駄目だ。今追っても武器を持たない僕たちにはグラゴ星人にとどめを刺すことはできないじゃないか。第一、傷だらけのマナティには本来の潜航能力は発揮できないよ。悔しいけれど一度キャリアベースへ帰投しよう」 「そんな…じゃあ私たちは何のためにここまで来たというの?」 デラはライトが照らす向こうの闇を悔しそうに見つめながら唇をかんだ。 「フドウ隊長から絶対に無理はするなと言われたろう。僕たちは今、BGAMの隊員なんだ。フドウ隊長の意向に反する行動はとるべきじゃない」 「…ええ…そうね。わかったわアミス。一旦戻りましょう」 デラの悔しい気持ちは手に取るようにわかる。シュンとて同じ思いなのだ。 この傷ついたプロトタイプの潜航艇では、攻撃はおろか更なる深海へ潜るだけでも心もとない。これ以上デラを危険な目に遭わせるわけにはゆかないとシュンは考えていた。 マナティはキャリアベースへゆっくりと進路を変え、少しずつ浮上していった。 「深度百メートル。ほんの少し明るくなってきたわ」 「ああ、太陽の光だ。日の光を浴びてこれほど嬉しく思ったことは今までなかったよ」 ふぅ、とシュンが肩の力を抜こうとした時、デラの緊迫した声がそれを許さなかった。 「ソナーに反応有り。後方約二百メートルより高速で接近する巨大な影」 「まさか!」 「そのまさかよ。追ってきたんだわ」 「くそ!なんてヤツだ」 シュンは窓にはめ込まれたブ厚い強化ガラスを拳でガツンと叩いた。 あれで死んだとは思っていなかったが、この回復力は予想以上のものだ。全宇宙にその悪名をとどろかせたグラゴ星人のタフさに、シュンは内心舌を巻いた。 「これでキャリアベースへは戻れなくなった」 このままこの深海からやってくる怪物をキャリアベースまで導いてゆくわけにはゆかない。キャリアベースも海中の敵を攻撃する手段を開発してはいないのだ。乗組員全員を危険にさらすことになってしまうだろう。そしてそれは、どこかの港へ逃げ込んだとしても同じことだ。 ソナーを見つめていたデラが更に驚愕の声をあげた。 「大きい!さっきより格段に大きくなってる。十八、いえ二十メートルはあるわ」 こいつはもはやサメとは言えない。その大きさだけでも充分怪獣と言えよう。 「太陽の光か…」 ―必ずふたりでもう一度光を浴びてやるぞ。目を開けていられないくらい眩しいあの光を。 シュンはデラを見た。無言の合図にデラも厳しい表情で頷いた。 グラゴ・シャークは、ゆらゆらと揺れる陽光の中にマナティの小さな機影を既に捉えていた。 シュンは狭い艇内で手のひらを大きく開いた。金色の小さな光の粒子がその中に凝縮され、玉を結び始めた。同時にマナティ全体が刺すような鋭い光を放ち出した。その光は、海面に近づいたことで一層強く差すようになった陽光など軽々と押し返してしまうほど鮮烈なものであった。 深い海溝の底までも照らし出すかと思われるほどの光の中、マナティの姿は忽然とかき消えてしまった。 その直後、古代の鮫メガロドンを連想させる巨大な魚影が、光の一部を影絵のようにどす黒く染めぬいて深海から急浮上してきた。 しかし怪物が容赦なく上下一対の顎をガチリ!と噛み合わせた時には、マナティは間一髪で光の彼方に消え去っていた。獲物を噛み砕く手応えを得られず、グラゴ・シャークは憤怒の雄叫びを上げた。 ぐおおおおおおお! 海底火山が噴火したかのように飛び散った水飛沫とともに、グラゴ・シャークは鯨さながら海面からジャンプし、横倒しの体勢で再び海中に没した。 マナティはグラゴ・シャークの口中からおよそ五百メートル離れた所で銀色の巨大な腕に抱きかかえられていた。 ウルトラマンアミスの腕である。 アミスはそっとマナティを海面に浮かべると「離れて」とデラにテレパシーを送った。 上半身を海面から出した状態で、アミスはファイティングポーズのままグラゴ・シャークを待ちうけた。 そのアミスの眼前に、無気味に黒光りする長い背ビレが現われ、アミスの周囲を大きくゆっくりと回り始めた。海面のわずかに下では、燃えるような赤一色の目が、円の中心にいるアミスをじっと見据えている。 突然その背ビレが海中に没した。 つかの間、その海域はいつもの平和な海の風景を取り戻し、ひとり戦闘ポーズを崩さぬアミスだけが取り残されて、何とも場違いな存在にさえ見えた。だが間違いなくこの海にはとてつもない魔物が棲んでいるのだ。 海中には魔物が放つ殺気が満ち、アミスは全身が総毛立つ思いがした。 そして魔物は鋭い牙をむいていきなり襲撃してきた。 グラゴ・シャークはアミスの右大腿部に食らいつき、恐るべき力で体長が倍以上もあるアミスをそのまま海中へ引きずり込んだのである。 グアア! 激しい痛みとおびただしい泡の中でアミスはもがいた。 体長はアミスの半分にも満たないが、その殺傷力はウルトラマンアミスといえども侮るわけにはいかない。食いついているグラゴ・シャークを何とか引き剥がそうと、頭や目を狙って拳を打ち込んではみたが、もとより踏ん張りの効かない水中に加えて右足にダメージを受けているため、さすがのアミスも決定打を繰り出せずにいた。 獲物の肉をえぐりながら、憎悪に燃える赤い目が苦しむアミスをじぃっと見上げていた。それはまた、殺戮のカタルシスに酔いしれる目でもあった。 徐々に海の深部へと引きずり込まれながら苦し紛れにアミスが打ちこんだ手刀が、偶然グラゴ・シャークのエラに命中した。大地をもえぐる威力を持つアミスの手刀は、魚類の特性を色濃く残すこの魔物の敏感な部分をざっくりと切り裂いた。この攻撃が功を奏したのか、グラゴ・シャークは白目をむいてようやくアミスの大腿部から歯を離した。 グラゴ・シャークはいびつなボディをくねらせて一旦アミスから距離をとると、くるりとUターンし、またもや一直線に襲いかかってきた。 水中においては、スピードは完全にグラゴシャークに軍配があがる。しかもグラゴシャークは戦うことにおいてこのうえなく狡猾であった。単調な攻撃などひとつもなく、防御するアミスをてこずらせた。 噛むと見せかけて鋭い背ビレや胸ビレでアミスのボディを傷つけたり、直線的な攻撃と思わせて上下左右に弧を描き、立体的にしかけて来たりした。一撃でアミスに致命傷を負わせるような破壊力を持ってはいないものの、たび重なる攻撃はアミスの体を次第に深く傷つけ、体力を急速に奪っていった。 キィン、キィン、キィン、キィン。 ついにアミスのカラータイマーが赤く点滅を始めた。その警告音は、グラゴ・シャークの内に僅かに残っていたサメの本能を著しく刺激した。 醜い乱杭歯を前へ突き出し、アミスの首のあたりを狙ってしゃにむに突進して来る。 アミスは我が身に残るエネルギーを結集し、気合とともに拳をグラゴ・シャークに向けて突き出した。その下腕から煌く三日月の如き光の鎌、ゾンバーエッジが三連射で撃ち出された。 超高速で回転する三つのゾンバーエッジのひとつは背ビレにはじかれたものの、残りのふたつはグラゴ・シャークのハンマー型頭部の左半分と、尾ビレの付け根あたりを切り裂いた。 グエエエエエエ! 思わぬ反撃に深手を負った魔のサメは、もはや戦えぬと悟ったか、切り裂かれた身体を巧みにくねらせて暗い深海へと素早く身を隠した。 逃げる後姿へ向けて、アミスは必殺のテルミニード光線を放った。闇を駆逐する光の激流が走る。はるかな闇の底で「ババーン!」という破裂音が響き、再び静寂が訪れた。 確かに手応えはあったが、アミスには今の一撃でグラゴ星人を葬ったとは思えなかった。 アミスはじっと底知れぬ深海の闇を見つめていた。 キン、キン、キン、キン。 カラータイマーのせわしない警告音のみが戦いの終焉を主張している。 その時―。 おおおおおおおーん。 狼の遠吠えを思わせる物悲しくも怒りに満ちた声がアミスの耳に届いた。 鯨やイルカなどでは断じてない。グラゴ星人だ。 おおおおおん。 おおおん。 おおん。 遠吠えは次第に遠ざかり、やがて消えた。しかし既に体力の限界を迎えていたアミスは、これ以上の追跡を断念せざるを得なかった。 金色の光の粒子が水中を舞い始め、やがてそれはアミスの全身を包むまばゆい光の繭となった。
約四十分後、シュンとデラはキャリアベースから派遣された救難用ボートのデッキに並んで立っていた。 「ひどい目に遭ったね」 「ほんと。潜航艇はもうこりごりだわ。狭くて息苦しいったらないんだもの」 「海が嫌いになった?」 「いいえ。今も海は大好き。でも陸から見てるほうが私には似合ってるのかも」 ふたりの目の前を、修理のために海洋工科学センターへと曳航されるマナティが横切って行った。 「おろしたてのメカだったのに、スルガ隊員に気の毒なことしちゃったわね」 シュンはマナティの後姿をみながら黙って頷いた。 くしゅん! デラは自分のくしゃみに驚いたようだ。 「今の何?」 「くしゃみだよ。身体が冷えたんだ」 「変なの。鼻がむずむずするわ」 「船内へ入ろう。風邪をひくよ。デラもすっかり地球の人になったね」 微笑みながら言ったシュンの言葉に、デラははっと驚いたような表情を見せた。 「地球の…人」 「どうかした?」 「え、ううん。何でもない」 何でもないと言いながら、明かにデラは何かを思い悩んでいるふうである。 シュンは、ルパーツ星人である彼女が全くの異星人になろうとしていることに淋しさを感じているのだろうと思った。 「あ〜あ、おなかがすいたなぁ。キャリアベースに帰還したら何か食べよう。僕がおごるよ」 急に大きな声を出して無関係な話題を持ち出したシュンを見上げて笑顔をうかべたデラは、元気良く頷いた。 |