機動戦士ガンダムSEED DESTINY@
2004年10月9日16日 〜 2005年10月1日 毎日放送 (全50話)
ガンダムSEED DESTINYの主人公の名を知ったとき、正直言って私は怒りを禁じえませんでした。「シン アスカ」ってどういうことだ?本当に久々に怒っちゃいましたね。ウルトラマンダイナの主人公「アスカ シン」をひっくり返しただけのパクリじゃないですか。どういう過程を経てこのネーミングに至ったのか・・・是非教えて欲しいものです。しかもウルトラマンダイナは「SEED」や「DESTINY」と同じ放送局、同じ時間帯の、言わば4ch土6の先輩なのです。もしDESTINYのスタッフがこのことを知っていたとしたら悪質なパクリです。知らなかったのなら深刻な勉強不足です。もし、新作ウルトラマンの主人公が「レイ アムロ」という名前だったら、はたしてガンダムファンが黙っているでしょうか? ただ、彼のほかにもソガ、アマギなどという登場人物がいることに気づいた時、このネーミングはDESTINY製作者によるウルトラシリーズへの大いなるオマージュであると解釈しておこうと自分をなだめました。しかし、このネーミングはやはりよくないです。
さてストーリーですが、ミネルバという無敵の新造戦艦とタリア・グラディスという強い女性艦長の登場によって、前作SEEDよりもさらに面白くなっていると思います。ミネルバVSアークエンジェルという、新旧のエース戦艦の度重なる激突は、優れた作品の正統なる続編にのみ許された最高の設定でありましょう。 互いに相手を認め、畏れ、時には気遣いながらも戦火を交える場面は手に汗握るものでした。ただ前作でも見られた、登場人物の立場や思想がコロコロ変わる傾向が、この続編では一層激しくなっているような気がします。私の息子などは「もうわけがわからん」と言ってさっさとドロップアウトしてゆきました。 一番の責任者はアスラン・ザラでしょう。前作から考えると「ザフト」→「アークエンジェル」→「オーブ」→「ザフト」→「アークエンジェル」と、一番深刻そうな顔をして一番優柔不断な動きを見せています。劇中でアスランはキラに対し「アークエンジェルの行動はいたずらに戦局を混乱させている」という意味の言葉を投げかけ、古巣の動きを非難しています。しかし、「お前が言えるのかよ」と突っ込まれても仕方がないくらい、彼の心は常に揺れ動き、あっちを離脱しこっちから脱走し・・・を繰り返します。 それに比べて、主人公のシン(本当にこいつが主人公なの?どう見ても扱いがキラ、アスランに次ぐ3番手のような気がしますが・・・)やレイ・ザ・バレル(私、このレイって結構好きなキャラです)は立場や思想が終始一貫していて、善し悪しはともかくとても好感が持てました。達観した感のあるキラやラクスやアスランたちがどんなに美しい理想を語ろうとも、やはり人間の行動の源は家族への愛情であり、それを奪われた憎しみであると思います。ある時は醜いまでにその気持ちに一途に殉じてゆこうとするシンやレイたちは見ていて潔く、アスランやキラと戦っている時、私はレイと一緒になって「やれ!シン!!」と胸の中で叫びました。
さて、戦術家として女性艦長として、その手腕が拮抗しているラミアス艦長とグラディス艦長も比較していて興味深いふたりでした。しかし、ムウ・ラ・フラガを想ってメソメソしているラミアス艦長よりも、芯がしっかりしているグラディス艦長が私は好きですね。彼女はデュランダル議長を想って艦内で涙を流したりしなければ泣き言も言わない。ただ、最後の最後ですべてをアーサーに任せ、議長と共に「女性」として死ぬことを躊躇無く選ぶことができる人。こちらも潔い姿が印象に残りました。常に何が優先するのかをしっかりと見極められる点から考えても、恐らくは軍人としてもグラディス艦長のほうがラミアス艦長よりも一枚上手ではなかったかとさえ思います。
毎回のラストでイントロが始まり、そのままエンディングへと流れてゆく構成は素晴しいのひとことでした。特にSee−Sawが歌う「君は僕に似ている」とそのエンディングシーンは、いよいよクライマックスへとなだれこんでゆかんとする嵐の予感をはらんで秀逸!! |