若くして急逝された神戸“日菜佳”みゆきさんのご冥福をお祈りします。

    仮面ライダー響鬼

  2005年1月30日(一之巻) 〜 2006年1月22日(最終之巻/48話)


【完全新生】

仮面ライダーの異色作「響鬼」。放映を終了した今、私の感想をひとことで言えば「切ない作品」とでも言えばいいでしょうか・・・。

面白かった!面白かったのです。夏の甲子園で関西圏における放映が中断したとき、響鬼禁断症状が出た(ホントに出たのですよ)くらい、翌週の放送が待ち遠しかった。

改造人間ならぬ生身の主人公たちが「トレーニング」だけで異形の鬼へと変身し、敵(魔化魍)と人知れず戦う。しかも決め技はキックでもパンチでもなく、太鼓!これだけでも驚きなのに、前年までのように無名のイケメン俳優ではなく、既に二枚目俳優として名を成していた細川茂樹さんを主人公にキャスティングしてきた意外性。「クウガ」で狂喜乱舞したものの、さすがに「剣」まで続いた平成仮面ライダーシリーズに閉塞感を覚えていた(つまらない、という意味では断じてありません)私にとって、響鬼は期待感満タンの新番組でした。そして・・・。

 

【バイクに乗る必要のないライダー】

響鬼には香須美サンという専属の美人ドライバーと、不知火という立派な4WD車が支援組織「猛士」によって用意されていました。つまり、バイクに乗らねばならないという必然性がまったくないのです。これは仮面ライダーシリーズとしてはとんでもない設定だと思いませんか?まして一之巻や十之巻では、ヒビキさんが車やバイクの運転そのものが苦手であることを、見ている私たちにしっかりと印象づける演出までされていました。念入りとはこのことです。(じゃあ何でライダーなの?)いやぁまいったまいった。

 

【クールな鬼たち】

響鬼や威吹鬼、轟鬼などレギュラー陣はもちろんですが、はっきり言ってチョイ役の弾鬼や鋭鬼、やられ役の裁鬼までがすごい人気でしたね。HYPER HOBBY誌とフィギュア王誌が共同でこれら3体の脇役鬼のソフビフィギュアを限定販売したくらいですから。(もちろん私も買いましたとも) 実際、弾鬼も鋭鬼も裁鬼もカッコイイのですよ。ワイルドなファイティングスタイルの弾鬼、やられの美学さえ感じさせる裁鬼、満身創痍の苦闘の最中も、軽いダジャレで乗り切る鋭鬼・・・それぞれがOVAでサイドストーリーの2〜3本作れそうなかっこ良さ!脇役キャラにここまでこだわる奥の深さも響鬼ワールドの魅力なのでしょうね。

で、極めつけは斬鬼。轟鬼の師匠として、文字通り鬼のように強く、渋く、厳しく、慈愛に満ちていた鬼の中の鬼、斬鬼。その最期はあまりにも美しく切なく残酷でした。松田賢二サンというセクシーな性格俳優を得て、斬鬼は特撮史に名を残す一大ヒーローに昇華したのです。「鬼だよ」のひと言はまさしく永遠の名言です!エンディングで響鬼さんが闊歩した品川インターシティ。
聖地です。

そういえば斬鬼と威吹鬼のファンを確か「ザンブキ者」とか呼んでいました。私はいわゆるザンブキ者ではありませんが、響鬼全ストーリーの中で最も愛するエピソードは、威吹鬼が東雲の地下排水施設でオオナマズと戦う十八之巻「挫けぬ疾風」です。傷を負い、必殺の烈風も無いまま、魔化魍が潜む地下へ笑って降りてゆく威吹鬼。香須美サンが打ち鳴らす手まねの火打石がカツーンカツーンと威吹鬼の胸の中で響く!なんて燃えるエピソードだ!(それだけに四十六之巻でイブキさんが香須美サンを抱きしめ『死にたくない』と打ち明けた時は少なからず幻滅したものです)

いずれにしても、企画段階での綿密な世界構築が、魅力溢れる鬼たちとその仲間たちを生み出し、誰もが主人公に匹敵する魅力あるキャラに仕上がったということでしょう。

 

【手抜きなし!どこまでも丁寧なこだわりの創り】

毎週日曜日の朝8時。明日夢クンのナレーションで響鬼ワールドへと誘われた私たちは、ラストの「少年よ」で再びゆっくりと現実の世界へと送り返されていました。オープニングのインストゥルメンタルは、回によってアレンジが異なり、提供のナレーションも登場人物たちが月替わりで勤めていました。エンディングのシーンも確か3パターンありましたね。エピソードにおける設定上の細かいつじつま合わせがきちんとできていることはもちろん、こうしたこまやかなサービス精神も、私たち見る者にとっては嬉しいことでした。鯛焼きで言えば、まさに頭の先から尻尾の先までぎっしりとアンコが詰まっているような作品でした。

 

【そして・・・】

放送当時中学校2年生だった息子は、こういった特撮番組から徐々に卒業してクラブ活動に熱をあげ始めていました。ところが「響鬼」だけは、日曜日の早朝練習へ出かける前に必ず「絶対録画しといてね」と言っていたのです。よほど面白かったのでしょうねぇ。 そんな息子が秋ごろからそれを言わなくなったのです。こちらから「録画してあるよ」と言っても「いい」と言って見なくなりました。「飽きたの?」と尋ねると「最近つまらん。友達もそう言っていた」とのこと。

―ああ、やっぱり・・・。実は私もそうだったのです。四谷の街中にカシャが現れた時から「なんだか今までと違うぞ?」という疑問が沸き出し、クグツたちが理不尽に人員整理されて「そんな馬鹿な??」となり、アームド響鬼登場で「これじゃいつものメタルヒーローじゃないか」でがっかりでした。極めつけは、太鼓でしか倒せないはずの「夏のヤツラ」を弦やら管やらで容赦なくバッタバッタとやっつけ出した事。文字通りやっつけ仕事だ、これじゃあ。(轟鬼は一体何のために苦労して特訓したんだ?何のために響鬼さんは必死の思いで紅にレベルアップしたんだ?)

ファンの間で嵐のごとき非難が噴出した三十之巻以降のプロデューサー交代劇については、はっきりしたことを知らないので敢えて関連づけをしないけれど、シリーズ前半でひとつひとつエピソードを重ねて丁寧に築きあげた世界観を平気で無視するストーリー展開だけはどうしても許せませんでした。仮面ライダー響鬼は・・・変わってゆきました。

 

はたして仮面ライダー響鬼は名作であったのでしょうか?シリーズ前半まで私たちが確信していたように、仮面ライダーという枠を超えて後々まで語り継がれるべき作品として終了したのでしょうか?新作「仮面ライダーカブト」絶好調放映中の今もなお、私は「響鬼」が大好きです。しかし、響鬼を語るとき、必ず三十之巻以降のことにも触れなければならないことが悲しい・・・。ならば、二十九之巻「輝く少年」での大団円をもって最終回と思い込み、以降は触れずに無視してしまう。というのもやっぱり悲しい・・・。

仮面ライダー響鬼は「切ない」作品なのです。

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