xxxHOLiC 〜ホリック〜
原作:週刊ヤングマガジン連載中
アニメ:第一部(23話+1話) 2006年4月〜同年9月 キッズステーション 他
第二部(xxxHolic◆継 12話+1話) 2008年5月6日〜7月29日 キッズステーション 他
唐突ですが、私はホラーとかオカルトの映画がきらいです。なぜなら怖いから(~_~)。大好きなウルトラQであっても「くも男爵」なんていまだにあんまり見たくありません(これは完全にトラウマってます) ですから、深夜のアニメや特撮番組を見ている時、いきなりホラー映画のコマーシャルとか流すのはやめて欲しいです。あれは絶対よくないです!番組が終わるまでにあと何回かこのCMが流れるのかもしれないと思っただけで、もう見るのをやめる時さえあります。 さて、「xxxHOLiC」はジャンル的に言えばオカルトモノなのでしょうか。それでもぱごすけは例外的にこの作品が大好きです。それは、アヤカシやモノノケが跋扈する怪しの世界に充ち充ちているあるモノのせい…。 例えば・・・ アヤカシにつきまとわれて弱り果てた四月一日(わたぬき)を店内に迎え入れた不思議な女主人、侑子さんの心にあるモノ。 会えば会うほど健康が蝕まれてゆく・・・。自らの寿命を縮めるとうすうすは感づきながら、それでも薄幸の女性繭子がひとり待つ黄昏の公園へ出かけてゆく、四月一日の心にあったモノ。 その四月一日の悲壮な覚悟を承知の上で、非情の破魔矢を繭子に放った百目鬼(どうめき)の心にあったモノ。 百鬼夜行でモノノケの大群に襲われた四月一日と百目鬼を、体を張って守ろうとした、いたいけな狐の坊やの心にあったモノ。 クモの祟りから互いを守ろうと、片目をわけあった四月一日と百目鬼の心にあったモノ。 四月一日の片目を取り戻したい一心で、邪気が充満する女郎蜘蛛のもとへ単身かけあいに出かけた、可憐な座敷童の心にあったモノ。 奥手な座敷童の恋心を成就させようと、わざわざ人間界までつきそって来る勝気な雨童女の心にあったモノ。 その雨童女の頼みを聞き入れ、自ら黄泉の世界の手前まで出向き、成仏できないで彷徨っていた少女の魂を昇天させてやった四月一日の心にあったモノ。 その際、道づれとなって黄泉の国へ引き込まれそうになった四月一日を、雨の中何時間も傍らで支え続けた百目鬼の心にあったモノ。 不吉な何かを周囲にまき散らす悲しい定めとともに生き、自分が触れたせいで重傷を負った四月一日の傷あとを自らの背中に受け継いだ、明るく可憐な少女ひまわりの心にあったモノ。 特殊な能力のせいで、世間から惨い仕打ちを受ける孤独な少女小羽を庇って、無慈悲な母親の拳をあえて受け続けた四月一日の心にあったモノ。 人が人として生きるために、必ずなくてはならぬモノ ―――「情」です。友情であり、愛情であり、人情であります。 それらは、どのエピソードにおいてもホリックの(というよりCLAMPの多重)世界を、背骨の如くドッシリと支えています。 侑子さんは、店にやってくる客の頼みを聞き入れ、その願いを叶えます。しかし、もしも依頼人の心に邪なる影がさしていたなら、願いの成就とともに、同等の負の力が、依頼人自身に重くのしかかってくるのです。 人は邪で弱く、ずるい一面を持っています。それはどうすることもできません。 ゴスロリファッションに身を包んで、勝気な雨童女は言い放ちます。 「人間は尊きものを助けないのに、何故尊きものが人間を助けなくてはならないの」 我々は神々に守られていると思いあがってはいけません。守ってほしくば、守られるだけの価値ある存在にならねばなりません。なろうとしなければなりません。 四月一日や百目鬼は、互いにいがみあいながらも、いざとなれば助け合います。誰に対してもわけ隔てなく、やさしさの心で接しています。家族や恋人以外に対してまでも、こんなに温かい気持ちで接してくれる人を、自分自身を含めて、残念ながら私は知りません。 アヤカシだ、モノノケだ、と忌み嫌いますが、人間の邪悪さは、もしかしたら彼ら以上なのかもしれません。いや、その邪さゆえに、人間界にはモノノケが嬉々として棲んでいられるのかもしれません。 アヤカシもモノノケも皆、自らの意思や欲求に対して正直です。四月一日の右目を食べてしまったあの女郎蜘蛛にしても、ただ眷属の受けた仕打ちに対する対価を得たまでのこと。座敷童のために自らを犠牲にしようとした四月一日に「私、そういうのキライ!」と言い放ち、彼の身代わり案を拒絶します。それはまるで、四月一日の心にある欺瞞とか自己満足のようなものをグサリと突いた鋭いひとことでした。そして、それならばと敵対心をむき出して向かってくる四月一日に「そういうの好き」と不敵に嗤います。 自分の身を傷つければ、必ずそれを悲しむ者がいる。なんと邪悪なる女郎蜘蛛は、人間が他人との関わりにおいて、決して忘れてはならない最も大切なことを四月一日に教え、去ってゆきました。安っぽい偽善など、人を超越したアヤカシの前では、取るに足らぬちっぽけな感傷にすぎなかったのですねえ。 そんな四月一日を、侑子さんは助けようとはしませんでした。(命までは失わぬよう、くだぎつねを伴につけてくれましたけれど…) しかし、片目を失うという大きな代償によって四月一日が得たモノこそ、百目鬼という無敵の友と、人が人としてあり続けるために決して失ってはならない「情」そのものだったのです。 百目鬼の瞳の半分を、失った己が片目に受け入れた四月一日のために、侑子さんは自らの膝を貸してあげます。気高い侑子さんの膝枕なんて、三千世界の一体誰が経験できたでしょう? 大飯喰らいで大酒飲みでわがままで気まぐれで横暴な侑子さん。彼女の心にあるモノは、この作品に接するたび、いつもぱごすけの胸の芯をほぉっと温かくしてくれるのです。 |