ウルトラマンメビウス A

 

200648日 〜 2007331日  TBS系 毎週土曜日 17:3018:00


おお!怒涛のごとき名作群よ。ウルトラ者の人生をさらに豊かにする素晴しきエピソードよ。有難う!

 

【すべてが語られる怒涛の後半】

タケナカ参謀の登場やサコミズ隊長(やっぱ総監じゃん \^v^)の元科特隊キャップという驚愕の経歴など、次々と語られる衝撃のエピソードの中で、ウルトラマンメビウスはまさにシリーズ40年の熱き“うねり”ともいうべき大きな波で見るものを呑み込んでゆきました。

地球に(偶然)留まることになったウルトラマンが、襲い来る怪獣や侵略宇宙人と死闘を繰り広げていた頃、遠い宇宙では既にゾフィが人類の未来を見越して戦ってくれていたのですね。ということは、先に(その気で)地球防衛に就いていたのはやはり(長兄)ゾフィだったということですか。それにしてもジェットビートルの最後部にハイドロジェネレートサブロケットが取り付けられ、科特隊が初めて宇宙へ飛び立ったとき・・・留守を守るイデ隊員が小型ビートルに搭載した必殺兵器『マルス133』で等身大バルタン星人の大群を相手に孤軍奮闘していたとき・・・そしてウルトラマンが、再度襲来したバルタン星人のスペルゲン反射鏡に苦戦していたとき・・・ぱごすけたちの知らないところで、科学特捜隊は密かにサコミズキャップを宇宙へと送り出していたのですねぇ。すべてはあのとき始まっていた。あのときかぁ・・・。

【ウルトラマンの心】

ウルトラマンメビウスは、劇場版公開を境にその趣を前半とはガラリと変えました。堰を切ったようにウルトラ兄弟が登場し、そのストーリーに華を添えます。ウルトラ兄弟以前からのファンであるぱごすけにとっても、それらは皆、心洗われるような珠玉のエピソード群でした。

ウルトラ兄弟というのは言わずと知れた第二次ウルトラシリーズの産物です。別項にてさんざん『つまらん』『かっこ悪い』とこの時期のウルトラシリーズをこきおろしたぱごすけでしたが、いや面白かったのなんの。・・・え?あやまれって?はい、なんぼでもお詫びします。「本当に面白かったです。すみません」

でもですね、なぜ兄弟登場編がどれもこれも面白かったのか、には訳があるのですよ。

つまり、やって来たのはウルトラマンである前に“人”であったということ。そう、確かにレオが来た。80が来ました。しかし、しかしね、何よりも僕たちはオオトリゲンの慟哭を目撃しました。矢的猛の苦悩と悔恨を知りました。そして、南夕子の時空を越えた天使の微笑に触れました。

そうでしょう?

第二次ウルトラシリーズ時代のように、不意に現れては無敵の新兵器を授けて帰ってゆくような、唐突な“ウルトラマン”たちの出現ではなく、等身大の人の心を持つ人間体たちの飾らぬ姿に、ぱごすけは心を激しく揺さぶられたのです。

それらは恐らく第二次ウルトラシリーズの感動を糧に人生を送ってきたウルトラ者たちの心にくすぶっていたモヤモヤでもあったのでしょう。『そうではないのか?』という彼らの問いかけに、ゲンたちは『ああ、そうだよ』と答えてくれたのです。

それらのエピソードは、静かに熱くたぎる胸のうちを語る彼らの姿は、レオや80をほとんど見ていないぱごすけをして、とめどなく涙を流さしめました。

特に第41話「思い出の先生」は泣けました。このエピソードのもととなる80のお話をぱごすけは知りません。しかし、見なくてもわかりますよ。敬愛する先生が突然自分たちの前から姿を消し(他にもいい先生にはめぐり合えたのでしょうが)ずっと心のどこかに矢的先生の面影を抱きながら、そこから卒業できないまま、生徒たちは大人になったのです。心の“その部分”だけは27年前のままなのです。

懐かしい母校が廃校になろうとする時、彼らはそこへ集まります。そして心にしまっておいた矢的先生の面影を追って誰はばかることなく空に向かってその名を呼ぶのです。生徒が先生を求める姿は、子供が親を求める姿です。恋慕と敬愛と郷愁の気持ちです。いくつになったって変わるわきゃありません。

生徒たちの言葉と歌を聞いた80が天空へ去った後、夕暮れの街にひとりたたずむミライの背後から、ついに音もなく矢的先生が現れたとき、ぱごすけも桜ヶ丘中学校の生徒になってしまいました。大泣きしました。塚本君たちの歓喜の叫び声は死ぬまで忘れません。

「あっ!センセー!!矢的センセー!!!」(いかん、また泣けてきた)

ウルトラシリーズ40周年にして、あらたな名場面の誕生に立ち会えました。ウルトラ者冥利につきます。ここからまた、さらにウルトラ者として過ごしてゆけます。

ウルトラマンたちは誰も彼も、愛する人たちと決別して地球を去っています。私たちが、去っていったウルトラマンたちに限りない惜別の情を抱いているのと同じだけ、彼らもまたその胸に愛しい人たちの面影をしっかりと留めてくれている。その真実を彼らはそれぞれに吐露してくれました。(第46話「不死身のグローザム」で、戦いを終えたミライに我らのモロボシ・ダンは馬上から静かに微笑み、こう言いましたね。「私のように悲しい思いをさせたくはない」 この穏やかなひとことにどれほどの激情が込められていることか!)

人間よりもはるかに長い寿命を持つ彼らは、多くの天体をめぐり、その星星の平和を守っているにちがいありません。よその星ではその星での出会いもあったでしょう。ダメな子ほど可愛いと言いますが、人間は未熟でひ弱な生き物です。こんな我々のことをウルトラマンたちは深く心にとめておいてくれるのですねぇ。

第41話(46話も)の脚本は川上英幸さん。直接お会いすることはかないませんが、何度でも有難うと申し上げたいです。

【ミライは、メビウスは・・・仲間だ!】

サコミズ隊長とミサキ総監代行しか知らなかったミライの正体が、ついにGUYSメンバー全員に明かされることになります。タロウでさえも苦戦する難敵インペライザーを迎え撃つミライは、仲間たちの絶大な信頼と声援によってバーニングブレイブにパワーアップします。

それ以降、ウルトラマンの存在を前提に防衛チームの戦いが展開されるという、かつてない斬新なストーリーが披露されます。GUYSメンバーたちはミライのウルトラマンとしての能力に頼りながらも、彼を尊敬し、気遣い、労わり、信頼し、そして全力でバックアップしようとします。そしてミライもまた、自らが必要とされていることに誇りを感じて命がけで戦うのです。

かつて、仲間である隊員たちにまで自らの正体を隠して不自由な戦いを強いられた兄弟たちの苦難に比べて、ルーキーメビウスの何と恵まれていることでしょう。しかし、それはヒビノミライ自身の素晴しさゆえでもあるのです。彼の誠実さ、純粋さは見る者の心を惹きつけずにはおきません。

日和見参謀のトリヤマ補佐官が、ミライの引渡しを求める舌ったらずの政府役人に対してきった啖呵を思い出してください。

「わたしは知っている。ヒビノミライという青年を。彼は不器用だが、誰より一生懸命で誰よりやさしく、誠実だ」

「彼はわたしのかけがえのない部下だっっ!」

おそらくは、全国のウルトラ者が等しく快哉を叫んだこの言葉に、ヒビノミライ=ウルトラマンメビウスの愛すべき“人柄”が凝縮されているのです。

やがてその秘密は最終的に全国民の知るところとなります。(ヒルカワ、てめぇ!)しかしやはり、同じように人類はウルトラマンメビウスを信頼し、仲間として受け入れ、その力を求めます。サコミズ総監のスピーチは、ウルトラシリーズの本質を見事に言葉にしてみせたものでした。

カテゴリーは違いますが、GUTSのイルマ隊長は、初めてウルトラマンティガを見たとき「神に出会った」と思ったそうです。しかし、劇場版でハヤタはミライに「ウルトラマンは神ではない」と告げました。神ならぬウルトラマンと、彼らを神だと思ってしまう人間の関係・・・。40年間にわたるその問いかけに対して、サコミズ総監はひとつの結論を示してくれました。

ウルトラマンの存在を認め、感謝し、求め、そして共に戦う。人跡未踏のはるかな宇宙で40年長く生きたアストロノーツならではの重みのある言葉は、幼い坊やの心の奥にまでも染み渡ったのです。

それにしてもムラマツキャップやキリヤマ隊長の早すぎる死は、人類にとっては大きな大きな損失ですね。今彼らが生きていてくれれば、かつての彼らの言葉が曲解されて伝わることもなく、むしろGUYSの得がたい理解者になってくれていたに違いありませんもの。かえすがえすも残念でなりません。(パラレルワールドにおける平成ウルトラセブンでも、キリヤマ隊長は暗殺されたことになっていました。キリヤマが存命ならば、地球防衛軍はあのような愚かな過ちを犯すことはなく、ウルトラ警備隊も解散に追い込まれることなどなかったはずでした)

ムラマツキャップ(ウルトラマン、仮面ライダーという日本特撮界の二大金看板をど真ん中で支えた小林昭二さん、享年65歳)やキリヤマ隊長(ウルトラマンでは二宮博士役でゲスト出演し、小林昭二さんと共演した中山昭二さん、享年70歳)のほかにも、MAT加藤隊長(仮面ライダースーパー1で二代目おやっさんとしても活躍された塚本信夫さん、享年63歳)MAT2代目伊吹隊長(一昨年亡くなった根上淳さん、享年82歳)、ZAT朝日奈隊長(帰りマンではナレーションを務めた名古屋章さん、享年72歳)ZAT荒垣副隊長(TV版初代水戸黄門東野英治郎さんの息子で名バイプレイヤー東野英心さん、享年58歳)など、この40年で多くの名指揮官がこの世を去りました。口惜しいかぎりです。皆さん早すぎます!今お元気な方々、どうかどうかいつまでも長生きなさってください。我々ファンのためにも。

【海から来た名将 GUYSに勇魚あり】

第38話「オーシャンの勇魚」は後半のもうひとつの名作です。(脚本は、やはり中盤の名作「孤高のスタンドプレイヤー」の太田愛さん)

アクの強いGUYSオーシャン隊長勇魚を村上“カイザ”幸平さんが好演しました。んもうハマリ役でしたわな。強くて陰湿なカイザの記憶が生々しかったぱごすけは、GUYSクルーをイビる嫌なやつが海から来たのかと思ってしまいました。

しかし彼はいいヤツでした。抜群の戦闘能力を持ちながら、仲間を大切にする熱い心も併せ持っています。

「一期一会だ」

お茶目な遊び心で周囲を煙に巻き、口元を歪めてニヤリとニヒルに笑う軽い男なのだけれど、時折放つひとことは核心をグサリと突き刺すのです。極限状態の戦闘中でも常に冷静さを保ち、一喝すればパニック状態に陥りかけた部下たちの目をも一瞬で覚まします。そんな彼はちゃっかりガンウィンガーのコクピット内の会話を盗聴し、ミライの正体に気づいてしまいます。しかし、大局を見失わぬ賢明な勇魚は、そのことを部下に漏らしはしませんでした。GUYSオーシャンとは、深海をゆく巨大潜水艦をねぐらにする鋼の精神の持ち主ばかりなのでしょう。そしてその頭目たる勇魚は、まさしくGUYSにおいて、サコミズ総監の後継者最右翼ではないでしょうか?

ちなみにGUYSオーシャンの敬礼は、脇を閉めてコンパクトにする海軍式のものでした。いやぁ、隙がありませんね。

【ビッグネームの起用】

サコミズ!ウルトラ者にとってこの名前は『由緒正しい』もの。あだやおろそかにしてはならない姓ですよね。朝日ソノラマの『ウルトラマンアルバム』(竹内博さん編)によれば、ウルトラマンが企画段階で、まだ『科学特捜隊ベムラー』というタイトルだった時、正義の怪獣ベムラーを宿す主人公の名前がサコミズであったとのこと。その名をここで隊長(=総監)に持ってくるということからも、製作スタッフの意気込みのほどがうかがい知れます。しかもこのサコミズ隊長(最初ちょっと線が細いかなぁと思っていた田中実さん、回を追うにつれて謎の男という含みをとても上手に表していました。腹の底から発する出撃命令も素晴しかった!)クライマックスシーンでゾフィと一体化しましたね。公式HPでは“ゾフィの人間体がこのシリーズで遂に明らかになる!?”とありました。最後に?がついてはいても、こう書いた以上“やっぱりなりませんでした”てなワケにはいかんだろう、と楽しみにしていましたが、40年前の“戦友”ゾフィ実体化の『依り代』の役目を果たしました。(ゾフィ人間体とはちょっと違うな)

もうひとつ。劇場版〜TVシリーズ第43話でヒビノミライとちょっとイイ感じになる天才海洋学者ジングウジ・アヤ。ジングウジといえば神宮寺。つまり東宝の円谷特撮映画の名作『海底軍艦』において、海底軍艦『轟天号』の艦長だった神宮寺大佐の姓であります。そしてそれは2004年公開の『ゴジラ FINAL WARS』において古代生物学者神宮寺博士へと受け継がれています。このとき神宮寺博士を演じたのは佐原健二さん。メビウスではジングウジ・アヤ博士の祖父、タケナカ最高総議長として出演されました。不思議な縁です。

不思議な縁と言えば、轟天号艦長神宮寺大佐役の田崎潤さんは本名を田中実さんとおっしゃるそうではないですか!サコミズ隊長役の田中実さんも本名なのでまったくの同姓同名。製作スタッフもここまで知っていてジングウジという役名を起用したわけではないでしょうが、絆って不思議なものですねぇ。

【パラレルワールド】

@もはやハヤタはウルトラマンではないはずです。

そうそう、忘れちゃいけませんね。ゼットンとの死闘でカラータイマーを撃ち抜かれ、ゾフィと共に光の国へ帰っていったウルトラマンは、ハヤタときれいさっぱり分離しました。仮の姿として地球人の姿を写し取ったセブンやレオやメビウスとは基本的に違います。(すみません、この点において帰りマンやエースはどうだったのでしょう?確か郷秀樹も北斗星司や南夕子もひとことで言えば怪獣災害で命を落とした被災者だったと思います。もとは人間であった彼らはウルトラマンによって命を与えられ、その後は一体化したままではなかったのでしょうか?ちょっと自信がありませんが・・・)

つまり、現在においてはハヤタだけが“ウルトラマンではない”はずなのです。劇場版でも神戸空港で『ウルトラマン、地球での名はハヤタだ』と名乗っていますが、本物のハヤタはどっか違うところにいるはずだぃ!それに、ウルトラマンの声を黒部さんにあてさせちゃいけないねぇ(ヌーク風に ^o^;)。彼とゾフィの声はもっともっと低くってエコーがかかっているのですよ。「わたしの名は名ははは・・・ゾフィフィィィ・・・」って感じ。(文字でエコーを表すのはちょっと無理だわ)つまりハヤタであるウルトラマンはパラレルワールドの産物なのです。

Aもうわけわからんウルトラセブンのパラレルワールド

兄弟の中で一番複雑な多重世界を構成しているのがウルトラセブンですね。TVシリーズを基本として、レオへ続く流れ(MACの隊長に就任しています。最後は行方不明もしくは爆死?)そして『太陽エネルギー作戦』から『地球星人の大地』へと続く流れ(これまた行方不明もしくは爆死?)続いて平成ウルトラセブン(これはもしかしたら『地球星人の大地』からの続きと言えるかもしれません)へと続く流れ。いずれもウルトラ警備隊が登場しますが、必ずしも同じ世界を受け継いでいるとは限らないような気もしますし・・・。また、メビウスにおけるウルトラセブン(=モロボシ・ダン)も異なった世界の住人です。そもそもメビウスワールドは、科特隊→ウルトラ警備隊→MAT・・・と我々が知っている防衛チームがその順に実在したという設定になっています。何十年にもわたってウルトラ警備隊が存続した平成セブンの世界とは決定的に違います。

ま、「帰ってきたウルトラマン」以前の兄弟未設定時代におけるエピソードは、ある意味この世界観にとっては“泣きどころ”と言えるのでしょう。『とりあえずなかったことにしよう!』〜異議なし〜

【死ぬまでウルトラ!】

ネクサス〜マックス〜メビウスと続いたウルトラシリーズはこれにて一旦終了し、また充電期間に入ります。またウルトラの無い日々が始まるのです。しかし寂しくはありません。むしろこれでいいのです。無理やり続けたっていいことありませんから。ゆっくりと熟成し、またすばらしいウルトラマンを降臨させてくれることでしょう。

ウルトラシリーズ生誕40周年記念作品ウルトラマンメビウスは、その集大成としてウルトラ者の心に滓のようにたまった疑問やトラウマを片っ端から消滅させてくれました。それぞれのウルトラマンが胸に秘めた思いを訥々と語り、人類とウルトラマンの本来あるべき姿があらためて明らかにされました。もちろんすべての事柄に決着がついたわけではありませんが、ウルトラシリーズにいくつか存在する多重世界のうちのひとつに、きれいに句点をつけたのは確かでしょう。

きれいに、というのは恐らく製作スタッフがファンである我々ウルトラ者の気持ちを(最大公約数的ではあろうけれども・・・)できる限り汲み取ったうえで結論を出してくれたと思われることによります。(製作スタッフ自体がウルトラ者であるのかもしれませんが)第二次ウルトラ者ではないぱごすけにとっても、この試みはとても好感が持てました。

しかしぱごすけは好感を持った反面不安にもなりました。句点が打たれた世界はこれからどう広がってゆくのでしょう?すべてに急いで答えを出して、ウルトラはこれから一体どこへ向かってゆこうというのでしょう?

 

―――まぁいいさ。

我はぱごすけ、ウルトラ者なり。

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