第二次ウルトラシリーズ
帰ってきたウルトラマン1971年4月2日 〜 ウルトラマンレオ1975年3月28日 TBS系毎週金曜日19:00 - 19:30
【来たのは誰だ】 小学校6年生の遠足で、クラスごとに列を作ってダラダラ歩いていた時、友達が何気なく言いました。 「ウルトラマンが帰ってくるぞ」 にゃ、にゃにおう!?ウルトラマンが帰ってくるってか?!はるかな昔、ウルトラセブンに後を任せてゾフィと共にM78星雲へ帰っていった彼。そのセブンも、わやくちゃになって既に帰ってしまいました。私にとってウルトラと言えば「ウルトラファイト」だけになってしまっていた当時、ふたたびウルトラの王道が始まるのかと思うと胸がはずみました。またハヤタに会える。フジ隊員に会えるんだ!!そして翌年、ウルトラマンは帰ってきました。しかし実際はウルトラマンに似た「別人」が「やって来た」のです。 【ぱごすけにとっての時代背景】 ところで1971年というのは、大阪万国博が終わり、ぱごすけは中学生になり、そして「仮面ライダー」が始まった年なのです。ヒーローというものは必ず武器を持っています。銃とか剣とかね。たとえ持っていなくとも光線を放つことができます。そういうものなのです。ところが、仮面ライダーは敵をドツいて倒しました。ゲゲッ!これは衝撃的でした。ドツいてシバ 【ぱごすけにとって第二次ウルトラマンとは】 話がそれましたが、私はウルトラシリーズから距離を置き始めました。帰ってきたウルトラマン以降、毎週欠かさず楽しみに見る、ということがなくなったのです。そのわけは・・・ @中学生になった私が、特撮番組以外のクラブ活動とかアイドル(初めて買ったドーナツ盤は南沙織の「潮風のメロディ」 月刊明星に月刊平凡・・・毎月楽しみだったなあ)なんかのことに興味を広げ始めたこと。(これはまぁしゃあないですよね) A全国の平均的少年たちと同様、仮面ライダーなどの等身大ニューヒーローに目移りしてしまった。(2号ライダーの変身ブームにはどっぷり浸りました。腕を真横から頭上へ回し、反対側で拳を握るアノ変身ポーズは、一体何百回やったでしょう?) B帰ってきたのが、私たちのウルトラマンではなく別人だったことで興味が半減してしまったこと。それだけ初代に思い入れていたのですよ。(とにかくスタートでガックリつまづいたのは確かでした) C新たなウルトラマンには変身アイテムが無いこと。いつでもどこでもお手軽に変身できる・・・などという設定はちょっと許せなかったですね。ハヤタやダンが変身アイテムを無くしたり奪われたり、手のとどかない所に落っことしたりした時、どれだけ苦労したか。それを思うと・・・それを思うと・・・(泣) 「A」以降はなにかしらのアイテムが設定されましたが、指輪やらバッジやら、あたかもアクセサリーのように普段から堂々と身につけていましたね。それではダメです!アイテム=秘密なのです。持っていることすらヒ・ミ・ツなのです。(そのくせ私が書いたオリジナルウルトラマンは、変身アイテムが地中から湧き出てくるのですが・・・^o^;) D怪獣がわけもなく唐突に、しかも当たり前のように現れること。何の回だったか、「怪獣出現」からエピソードがスタートしたこともあったように記憶しています。パターンとしてはこういう展開もアリなのでしょうが、怪獣番組としては「へっ、もう出ちゃったの?」って感じで拍子抜けしました。(ぱごすけ的には、ですよ) E怪獣に凄みが無いこと。帰りマン以降の怪獣は、セブンまでの怪獣造形と決定的に違っていました。たとえば目。カワイイのですよ。つぶらな瞳の怪獣なんて嫌だ(by鉄拳)人間も目で印象が決まることが多いでしょう?帰りマンの代表的怪獣ベムスターなんて、ペットみたいです。(よく見りゃカワイイ顔してるじゃねぇか。byリュウ隊員 fromメビウス18話 『ウルトラマンの重圧』より)だけどエースの超獣「バキシム」はかっこ良かったです。頭部のシルエットはちょっとアボラスに似ていました。それに目玉が無い緑に光る目がイイ。やはり目です。 F(致命的だけれど)ウルトラマンがかっこ悪いこと(基準はあくまでも初代ですから)。帰ってきたウルトラマンは、妙に間延びした顔。薄い胸板。へんてこりんな後頭部のヒレ。どれも私の思い描くウルトラマンとは違いました。それに・・・よく負けました。それに比べると「A」「タロウ」「レオ」のルックスはなかなか独創的で(脱マン、脱セブンの意欲が伺えました)良かったと思います。ただ、 Gウルトラ兄弟って急に言われてもねぇ・・・。ぱごすけにとっては、(少なくとも)ゾフィとウルトラマンとセブンは兄弟ではありません。エースでイキナリ言われた時は、じゃんけんで後だしされたような気持ちでした。後出しは反則ですよね。ま、ウルトラにパラレルワールドはつきものだから許さないってことではないのですが・・・当時の私はなかなか割り切れませんでした。 そんなこんなで、私は当代ウルトラマン、メビウスの劇中で非常に重要な位置を占める「帰ってきたウルトラマン」を途中でぱったりと見なくなってしまいました。ウルトラ五つの誓いも暗記していません。 その後、南夕子という(ニキビ面のチュー坊どもの胸を切なくしめつけた)美しき戦うヒロインを擁した意欲作「ウルトラマンA」でふたたびウルトラ者に返り咲き・・・かけたぱごすけでしたが、なんと当の南夕子自身が「月の人」とかいうわけのわからない理由でもって番組から離脱し、こんどこそ決定的に私もウルトラシリーズから離脱してしまいました。 その後、先入観無くニュートラルな視線で作品を見直そうと試みました。レンタルビデオショップで何度か無作為にビデオを借りてみましたが、やはり続きませんでしたね。セブンやティガにあって第二次作品群に足りないもの・・・なんでしょう?脚本の面白さかな?やはりあの頃はマンネリと戦っていたことが大きく見えないプレッシャーになっていたのでしょうか?こっちは気楽に見ているだけですからその辺のことはわかりませんが。 だけど番組の中で、ヒロインがいきなり離脱したり、主人公の恋人が無残に殺されたり、防衛隊そのものが唐突に全滅したり、というのはやはり子供心にも釈然としませんでした。 結局、帰りマンもエースもタロウもレオも、今日ただいまに至るまで、私は最終回すら見ていません。スミマセン。 |