ウルトラマンガイア

1998年9月5日 〜 1999年8月28日  毎日放送 毎週土曜日18:00 〜 18:30(全51話)


別項でも書きましたが、名シリーズとはすべからく3部構成であり、草分けの1作目、ブームを呼ぶ2作目、熟成する3作目ということらしいのです。ただ、平成ウルトラシリーズは、幸か不幸か草分け役の1作目ウルトラマンティガが既に完成の域に達してしまっていました。後続の2作品は宿命的に苦戦を強いられたことでしょう。

しかし2作目ダイナは健闘しました。原点回帰的要素(アルファスペリオルはまんま今風ジェットビートルだし、関西ロケの大作“滅びの微笑”の脚本は“怪獣殿下”の焼き直しでした)も盛り込みながらスピード感あふれる娯楽作品を見せてくれたのです。そして3作目、ふたりのウルトラマンが登場するまったく新しい作品としてガイアが始まりました。

防衛チーム(XIG)がひとつではなく、陸海空のエキスパートチームに分業されていることが大きな特徴でしたね。これらのチームがどれもカッコイイのです。(露出の度合いにものすごい不公平があって、チームマーリンの人たちなんか絶対今でも不満を抱いているのでは?)私のお気に入りはチームハーキュリーズ。メカも「バイソン」「スティンガー」の重量感はたまりませんでした。(陸戦メカを高空からいきなり降下させるっていうのもスゴいですよね。空から戦車が降ってくる!)吉田リーダーはじめ、3人とも“気は優しくて力持ち”を地で行く人たちばかり。大人のチームで、戦いについても一家言持っていそうな、頼もしいメンバーでしたね。六角形に変形するメカはおもちゃとしても斬新でしたし。(XIGファイターの黄色い訓練機のおもちゃが限定発売された時、私はまよわず東京まで買いに行きました)

ガイアの世界は、アルケミースターズとかリパルサーリフト、光量子コンピュータにプロノーン・カラモスなど難しい単語が予備知識なしにバカバカ出てくるSFチックな設定でありました。デフコンという言葉もこの作品で初めて知りました。(実はティガでもイルマ隊長が使っていましたが、気づかなかったのです)現実離れした天才少年たちの存在は、現実離れした発明を生み、現実離れしたメカを登場させます。しかし、それだけがガイアではありません。ごく当たり前の私たちの日常生活もしっかりと描かれていたのです。例えば、天空に浮かぶ脅威の移動基地エリアルベースがあれば、対照的に地中深く潜むジオベースもあるように、秘密裏に作戦行動をとる防衛チームXIGがあれば、それを報道しようとKCBテレビの取材陣が追う。怪獣と戦う主人公我夢がいれば、母親や同級生たちと過ごす普通の大学生我夢もいる。そして、人類の存続よりも地球そのものの救済を目指した冷徹なウルトラマンアグル藤宮がいれば、彼に救われた幼いユキちゃんと心を通わせる藤宮もまたそこにいる。というふうに、現実を超越したSFの世界と、ごく普通の日常が共に有る世界、心を閉ざして戦う姿と憩い愛する人間本来の姿が同一レベルで描かれた世界、それがティガよりもダイナよりもはるかに広大な広がりを見せるガイアの世界だったのです。

地球そのものを破滅(浄化?)させようとする外敵の襲来を前に、かつては敵として戦った地球怪獣たちも本能的に人類と共闘を始めました。宇宙の果てにまで心や夢を広げてゆかんとするダイナの世界よりも、私たち人類の平凡な日常の小さな幸せを守るために、ただ「生きる」という権利を守るために、宇宙の意思(ユニバース)VS地球(テラ)という目も眩むほど大規模な戦いを繰り広げてみせました。そのイメージは、ラストで我夢が持つミネラルウォーターのペットボトルからカメラがどんどん引いて、最後には地球全体が映し出された、あのシーンが象徴していました。ただ呼吸し、ただ食べ、働き、遊び、泣き、笑い、怒り、愛し合う。そういった私たちのいとなみのすべてが、大いなる宇宙の意思へと繋がっているのだよ、とガイアは教えてくれました。(前2作に比べるとちょっと難しかったけれど…)ここに、ティガからスタートした平成ウルトラマンシリーズ3部作はあらためてひとつの答を出し、完結したと言えるでしょう。そのラストは、とてもさわやかな感じがしましたよ。

有り難う平成ウルトラマン。死ぬまでウルトラ! 

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