大忍術映画ワタリ  仮面の忍者赤影

大忍術映画ワタリ 1966年上映 東映まんがまつり

仮面の忍者赤影 1967年4月5日 〜 1968年3月27日 関西テレビ 毎週水曜日19:00より(全4部52話)


あれはえ〜と、小学校1年生の1学期の終業式の日。先生が教壇の上にふたつの紙の束を置いてこう言いました。「映画の割引券をもらいました。みんなどっちか好きなほうを一枚ずつ取りなさい」 私はたまたま一番前に座っていましたので、最初に席を立ちました。教壇の前へ行って見ると、それは大映映画「ガメラ対バルゴン」の割引券と東映まんがまつり「サイボーグ009」&「大忍術映画ワタリ」の割引券でした。申し上げておきますが、夏休みに怪獣やらアニメやら(当時はアニメという言葉はまだなくって、まんが映画とか言っていました)の映画をふたつも見に行かせてもらえるとは到底思えませんでしたし、劇場作品をテレビで見られる可能性も今よりかなり低かったのです。ましてやビデオもDVDもありません。つまり、「選ばなかった方」は、金輪際見られない可能性が高かったというわけです。で、私はサイボーグ009とワタリを選びました。どっちかというと男子はガメラ対バルゴンを取ったやつがほとんどで、一緒に見に行こうと思っていたやつはみんなガメラ派でした。で、私はやむなくお袋と一緒に行きましたとさ。(後々、ガメラ対バルゴンも数回観賞する機会に恵まれております)

 009も非常に印象深い作品でした。まんがの009は片目しか露出していないのにどうして映画になると両目が見えているんだ?という疑問をずっと頭の中で繰り返していました。

しかしぶっ飛んだのは何といっても「ワタリ」です。009と違って、白土三平さんの原作はほとんど読んだことが無かったものですから、まったく予備知識無しでした。いや驚いたのなんの。ワタリは、ボロボロの着物を着たわんぱく少年のくせにデカイ斧を振り回して戦い、とんでもなく強力な忍術を使います。ワタリと一緒にいる後見人のような汚い爺さんも滅法強い。伊賀の下忍の悲哀と権力争いの権謀術数が複雑で、当時はストーリーがもうひとつよく理解できませんでしたが、忍術の奇抜さと特撮の素晴しさは今もはっきり記憶しています。空は飛ぶわ虹の上で踊るわデカい顔が空中に現れるわ電撃出すわ人間爆弾となって地中を走るわ・・・特に朧分身の術や空蝉の術など幻術系の忍法を描く特撮が秀逸で、忍者の凄まじい戦いぶりを堪能できました。まさに「大忍術映画」。看板に偽青影さんと白影さんが出演しています♪コレがまた強い強い!り無し!

ピンチの友達を救うため単身敵陣へ奔るワタリ。奔って奔って奔って、ついにはまるで滑走路を飛び立つ飛行機のように空を飛ぶのです。そのバックに流れるテーマ曲!私の血は沸き立ち、肉は踊りだしました。嗚呼私も何かひとつでいいから忍術をマスターしたいと心から思ったものです。

 

そんなワタリの奇抜な忍術合戦を、変わらぬハイレベルの特撮でテレビ放映してくれたのが「仮面の忍者赤影」です。赤い仮面をつけたかっこよさは勿論のこと、アイパー風の現代的ヘアスタイルに、ベストタイプのコスチューム。スマートでおしゃれでかっこイイ。伊賀でも甲賀でも根来でも風魔でもなく、飛騨忍者というのも新しかったですね。「飛騨」ってどこだ?どこだか知らないがエラい山の中なんだろうなぁって感じで。大人になって高山へ旅行した時は、山がきれいとか朝市が素敵だとか言う同行者たちとは違うことで「感慨」にふけったものでした。〜ここが赤影さんのふるさとかぁ〜ってね。

驚いたことに青影さんはワタリ役の金子吉延さん、そして白影さんはワタリと一緒にいた爺さん役の牧“遁兵衛”冬吉さん。すっかり息の合ったコンビでした。(このふたりはこの後「河童の三平」でも共演していますよね。本当に名コンビでした)

赤影、青影、白影の3人が3人ともそれぞれに強い。敵は金目教やら魔風やら卍党やら、あやしの術や大怪獣を自在に扱う魔人ぞろいなのですが、たった3人でこいつらを豪快に蹴散らしてゆく。

 テレポートしているのかと見紛う登場シーン。「赤影参上」まさに千両役者です。空を飛び、仮面の中心に埋め込まれた宝石から電撃を放ち、さらにはロケット砲までも。一騎当千のつわもの赤影。

 エンジン付大凧にのって空中を行く三叉槍の名手白影。何度赤影たちのピンチを救ったことか!笑顔に光る白い歯が素敵です。「白影のテーマ」は最高に燃える挿入歌でした。

 鎖鎌を自在に操るムードメーカー、少年忍者青影。恐ろしい魔人どもを平気でおちょくる胆力は大人顔負けです。

 

織田信長や木下藤吉郎の密命を帯びた無敵の3人が、忍者マーチにのって今日もゆく。理屈はいらぬ!赤影は忍者特撮の頂点を極めた作品です。♪手裏剣しゅっしゅっしゅっしゅしゅ!赤影は行く♪

余談ですが、2006年8月31日、奈良ドリームランドが惜しまれながら閉園しました。私はこの「日本製ディズニーランド」に小学2年生の時連れて行ってもらいました。

華やかなパレードや初めて乗る楽しい乗り物よりも、私の印象に残っているものがあります。「実写版忍者ハットリくん」と「仮面の忍者赤影」のパネル展を行っていたのです。その時はまだ赤影放映前で、「ご期待ください」という番組宣伝を兼ねた展示会であったように記憶しております。少年サンデーで見た赤影となんだか違うなぁという印象を受けたのを覚えています。なつかしい思い出です。

<追記> 奈良ドリームランドへ行くにあたって、ぱごすけファミリーは堺市の親戚の家で1泊か2泊しましたが、その時ウルトラマン第38話「宇宙船救助命令」〜オメメぱっちりのキーラが登場する回ですね〜を放映していたのを覚えています。放映データから調べてみるに、この日は1967年4月2日(日曜日のはずですよね)です。赤影の放送開始は同年4月5日ということですから、私がドリームランドで赤影のパネル展を見たのは、まさに放映開始の直前という頃だったのですね。

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